KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

太田裕美とジョン・ゾーンと近藤等則の「三者の共演」はあったか

 下記記事に触発されて記事を書くことにした。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 上記リンクのブログ記事の初めの方に、下記太田裕美のツイートへのリンクが張られている。

 

 

 この件に関して、下記のツイートがあった。

 

 

 

 私は太田裕美ジョン・ゾーンの絡みについてだけは知っていたので、三者の共演があったかどうかを調べ始めたのだった。

 本論に入る前につまらないことを書いておくと、このエントリに対して最初、「太田裕美となかまたち」という恐るべきタイトルが思い浮かんでしまったのだが、長年のファン自ら冒瀆的なタイトルをつける真似はさすがにできなかった(笑)。

 私は太田裕美の最大のヒット曲「木綿のハンカチーフ」(1975*1)の頃はファンではなかった。初めて注目したのは、翌1976年秋の「最後の一葉」だった。太田裕美のあまたある歌の中では特に好きな歌ではないのだが、ちょうど英語の授業でO. ヘンリー(某故大津氏ではない)の原作、というか同名の短編小説を習ったばかりだったので、「なんだ、まんまじゃないか」と思ったのだった。この歌はなかなか劇的な作りになっていて、最後が「あなたが描いた 絵だったんです」で締められる。まさに原作通り。英語の授業で習った中で、こんなに印象的なラストはなかったのだった。だから太田裕美の歌を最初にラジオで聴いた時、どんな終わり方をするんだろうかとドキドキした思い出がある。それゆえの「思い出の一曲」なのだった。作詞は松本隆、作曲は先日亡くなった筒美京平。なお松本隆は1992年にミュラーの詩にシューベルトが曲をつけた連作歌曲集「冬の旅」を和訳したことがある。CDは持っていないが、NHKニュースで報じられたので知った。ああ、「最後の一葉」を翻案した人ならやりそうだなと思ったのだった。なお、「最後の一葉」にまつわる興味深いブログ記事があったので、下記にリンクしておく。

 

dokusho-note.hatenablog.com

 

 当時の太田裕美の歌の中では「しあわせ未満」(1977)が一番好きで、「九月の雨」(同)も悪くないが、前年に続いた秋に発売されたこの歌の「劇的路線」にはやや抵抗があった。そして太田裕美は「九月の雨」で喉を痛めてしまい、以後大ヒットを飛ばすことはなくなってしまったのだった。1980年の「南風」と「さらばシベリア鉄道」(大瀧詠一のカバー)で少し売れたのかもしれないけれど。

 以下、ようやく本論に入る。太田裕美がジャズや現代音楽の人たちと交流するようになったのは1980年以降のことだろうか。最初に気づいたのは現代音楽の作曲家にしてピアニストである高橋悠治(1938-)との交流があることだったが、今回ネットで調べてみて、それは高橋悠治というより、彼の子息である高橋鮎生との共演だったのかもしれない。十七絃箏の奏者・沢井一恵(1941-)のアルバム「目と目」(1987, 未聴)をプロデュースしたのが高橋鮎生だったとのこと。このCDに太田裕美が参加している。に収録されているとのことで、このアルバムに触れた下記ブログ記事へのエントリにリンクを張っておく。

 

ameblo.jp

 

 これは、1987年にナミ・レコードが制作した原盤が2010年に「日本伝統文化振興財団」から再発売されたものらしい。上記ブログ記事には沢井一恵が太田裕美の「Virginから始めよう」(1994)にバック・ミュージシャンとして参加したとあるが、この曲は20年以上前に買った太田裕美のベスト盤(2枚組)にも収録されているのでよく知っている。イントロに出てくるのが沢井一恵の箏なのだろう。2枚組の2枚目の最後から2番目に収録されているが、1枚目と比べてあまり聴かなかった2枚目の中ではもっともよく聴いた歌だ。太田裕美自身が作詞作曲している。

 

 しかし、以上は聴いたことのない「目と目」の収録曲を除いて、特段「モダン」な曲ではない。度肝を抜かれたのは、やはりジョン・ゾーンの「狂った果実」だった。現代音楽を主に取り上げる弦楽四重奏団であるクロノス・クァルテット、クリスチャン・マークレイのターンテーブル太田裕美のヴォーカルがクレジットされている。

 この曲はあの憎むべき石原慎太郎が1956年に書いた同名の短編小説を原作として、同年に公開された同名の日本映画にインスピレーションを得て作られたという。この映画には、石原の弟・裕次郎が主演し、晩年すさまじい極右と化した津川雅彦が出演するなど、見る気も起きない代物だし、実際見たことはないのだが、映画には武満徹が佐藤勝とともに音楽をつけている。

 この曲はクロノス・クァルテットのCD "Winter was hard" に収められていて、これは持っている。このCDを含むクロノス・クァルテットの6枚組を1995年6月10日に買ったのだった(かつてつけていたCD購入記録を参照した)。昨日取り出してみたが、箱は黄ばんでいるもののCDの保存状態は良好だった。

 このCDを取り上げたブログ記事に2件リンクを張る。

 

ameblo.jp

 

 後者のブログ記事から以下に関連箇所を引用する。

 

ちなみに、このアルバムの中にジョンゾーンの「狂った果実」(Forbidden Fruits)という曲が入っている(イシハラ某は完全無視してくれ)。楽曲だけでなく、詞も入っていて、これは太田裕美が「朗読」している。これもいい。「キーンキーンのスローモーション」・・・・・・。

 

出典:http://hakkaisan-photo.com/syuichi/2015/02/post-35.html

 

 ブログ記事には、CDのライナーノーツから太田裕美のナレーション(日本語)の部分の一部を収めた画像が載っている。

  この曲は、ジョン・ゾーンのアルバム "Spillane"(1987,未聴)にも収められているとのこと。

 

 

 

ameblo.jp

 

 以下、後者のブログ記事から関連箇所を引用する。

 

B面2曲目の「Forbidden Fruit」

そう、これは石原慎太郎裕次郎兄弟のあのカミユばりの名作「狂った果実

に対するオマージュなんです。

りりゐ、これを映画館で見たことありましたが、最後のシーンが狂った感じを表していて良かったですねえ。

今の映画も、主演のアイドルを映画で殺すくらいの勇気を見せてほしい。

ところで、この曲は現代音楽四重奏楽団クロノス・カルテットとの共演でして、


私はクロノスのCDにおさめられているのを聴いて知りました。

さらに共演しているのはレコードを素材として料理するレコードテロリスト、
クリスチャン・マークレイ←以前記事にしました*2

そして、ななななななんと。

詩を朗読しているのはあの、ハンカチの良く似合う永遠のアイドル。


太田裕美

この人、ジョン・ゾーンのレーベル、TZADIKでCDを後に出すのですが、その関わりはこの曲からだと思います。

しかし、なぜ関わったのか…。

いずれにしても、この曲はもはやジョン・ゾーンの手をすり抜けて「狂った果実」として

勝手に命を手に入れたくらいのオリジナリティを持っています。

私はこの曲を手掛かりにクリスチャン・マークレイにはまりました。

 

出典:https://ameblo.jp/goku-tubushi/entry-11353967575.html

 

  確かにこの曲で一番ぶっ飛んでいるのは、クリスチャン・マークレイの「ターンテーブル」であって、一聴してテープを早回ししているかのように聞こえるのだが、実は人力でやっているのだそうだ。

 その曲の中に、モーツァルトピアノソナタ(第13番変ロ長調, K.333)の端正な第1楽章冒頭や、作曲当時としては破格のぶっ飛び方をしていたに違いないベートーヴェンの「大フーガ」(変ロ長調, 作品133)*3の断片が、それぞれ一瞬出てくる。他にも、ブルッフのヴァイオリン協奏曲の冒頭に似た部分とか、何らかのクラシックの曲からの引用ではないかと思われる箇所も出てくるが、それらの出典はわからなかった。これらが、マークレイの「ターンテーブル」とぐちゃぐちゃに混ぜ合わされている。

 そういった音楽と太田裕美の語りのコラボなのだから、これは珍品中の珍品だろう。

 ところで、上記ブログ記事の中に「この人、ジョン・ゾーンのレーベル、TZADIKでCDを後に出す」という文章が出てくる。これは2004年に発売された、前記の高橋鮎生と太田裕美がクレジットされた「RED MOON」というCD(未聴)のようだ。

 あるいはこのCDに、先日亡くなった近藤等則が参加しているのかとも思ったが、そうでもなさそうだ。

 ただ、近藤等則は1978年からニューヨークでジョン・ゾーンらとともに活動していたらしい。CDもあるようだ。

 

 

 また、CD等にはなっていないかもしれないが、太田裕美近藤等則が共演したこともあるとの情報も得た。下記2件目のツイートには、またしても目にしたくない文字列があるが仕方ない。

 

 

 

 しかし、太田裕美ジョン・ゾーン近藤等則の3人が共演した記録(実は、これを探し当てるのが今回のネット調査の目的だった)は残念ながらみつけることができなかった。

*1:1976年のヒット曲なのだが、シングル盤の発売は1975年12月21日だった。

*2:リンク切れ=引用者註

*3:もとは弦楽四重奏曲第13番のフィナーレとして作曲された大曲だが、聴衆に理解されないのではないかとの理由で別の軽いフィナーレに差し替えられた作品。

東野圭吾『手紙』を読む〜「同調圧力」が生み出す加害者家族へのバッシングを描いた小説/平野社長の言葉に「感動」した人とは友達になれない

 私が日本の「読書家」たちのあり方に大きな疑問を抱いたのは、カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んで、この翻訳小説について書こうと思ってネット検索をかけたときだった。そのことは1年ちょっと前にこのブログに書いた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 「執事の品格」にこだわって格好をつけたつまらない生き方をしてきたものの、結局ナチの戦争犯罪に加担したに過ぎなかった貴族の主人は自殺し、その過程で執事自身も得られたはずの一番大切なものを得る機会を失っていたことを思い知らされて悔恨の涙を流す。『日の名残り』とは誰が読んでもそのようにしか解釈できない、誤読の余地が少なすぎるのではないかと思えるほどの小説なのに、その執事の生き方を「執事道とは品格と見つけたり」などと称賛したり、ハヤカワepi文庫につけられた丸谷才一の秀逸な解説文をこき下ろしたりするのが日本の「読書家」の姿なのだ。そのあまりの惨状に呆然としてしまった。

 『日の名残り』のような外国文学の翻訳書を読む人たちでさえ上記のようなありさまなのだから、大衆小説の読者ならなおのことなのは仕方がないのかもしれない。

 それが東野圭吾の『手紙』(2003)と『秘密』(1998)を相次いで読み、読者たちの感想文に接した時に思ったことだ。

 東野は6度直木賞候補になり、5度落選したが6度目の『容疑者Xの献身』で同賞を受賞した。このミステリーについては少し前にこのブログに書いた。ミステリーとしてはすぐれているが、作中で描かれた献身のあり方にはドストエフスキーの『罪と罰』を想起させる倫理的な大問題があり、その点で(文学賞候補作品としては)満点はつけられないというのが私の評価だ。

 『罪と罰』を引き合いに出した書評を書いたすぐあとに、東野圭吾3回目の直木賞落選作である『手紙』(この作品はミステリーではないとされる)を読み始めた。

 

books.bunshun.jp

 

 作品冒頭にそれこそ『罪と罰』を思わせる老婆殺しが出てきたのにはちょっとびっくりした。ただ老婆殺しをやったのは小説の主人公ではなく、主人公は「強盗殺人犯の弟」であって、彼がそのために差別を受け続ける物語になっている。終わりの方で2回大きな局面の転回があるが、平凡な作家だったら1回目で終わらせてしまうであろうところに2回目の転回をもってきて、3回目の転回はあるかどうか、それは読者の判断に任せる形で小説は終わる。何度もどんでん返しを持ってくるのは松本清張が愛用した手法であり、学生時代に清張作品を濫読したという東野圭吾は清張の影響を受けているのか、それともミステリー作家の作品ならありがちなことなのか。

 私は『手紙』の方が『容疑者Xの献身』よりも良いと思うが、『容疑者Xの献身』のように、予想もしなかった意外性に舌を巻くことはなかった。倫理的な問題はあれども、そういう作品の方が高く評価されるのが直木賞なのかもしれない。

 ここで、今回この記事を書こうと思い立った動機の一つに言及しておくと、鴻上尚司と佐藤直樹の共著である『同調圧力 - 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書,2020)に、『手紙』のテーマと深く関連する記述があったからだ。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 この本の序章で、佐藤直樹が下記のように語っている。以下引用する。

 

佐藤 僕は最近ずっと、加害者家族に対する「バッシング問題」を考えています。日本では、殺人などの重大犯罪が犯された場合、加害者の家族がひどい差別やバッシングを受けます。これは、コロナ感染者に対する差別やバッシングと非常によく似ていると思いました。日本人の間に「犯罪加害者とその家族は同罪」といった意識が浸透しているからです。犯罪被害者への同情や正義感でもありますが、「敵」とみなした相手を一斉にバッシングする排除の論理が働いているのでしょう。一種の処罰感情ともいえます。この同調圧力が、加害者家族を苦しめます。ただし加害者家族に対するバッシングとまったく同質の問題が、いま、コロナ禍をきっかけに大挙して噴き出てきたわけです。感染者やその家族が悪くもないのに謝罪するのも、そうした圧力があるからですね。

 

鴻上尚史佐藤直樹同調圧力 - 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書,2020)26-27頁)

 

 この指摘は、コロナ禍の部分を除いて『手紙』のモティーフそのものだが、この同調圧力に関して、『手紙』には主人公に対して、それを正面から受け止めよ、と教え諭す、主人公の勤務先である家電量販店の社長が現れる。登場人物の名は平野社長だ。彼の言葉は、一面では主人公に対して「厳しい現実を直視せよ」というアドバイスでもあるが、別の側面から見ると、同調圧力を正当化した上で、使用者の立場から労働者に対して厚かましい要求をしているともいえる。そして平野社長の言葉には、私自身を含む『手紙』の読者の大部分である「差別する側の人間」が決して軽々しく「感動」などしてはならないと私は強く思うのだ。

 だが、アマゾンカスタマーレビューや「読書メーター」には、平野社長の言葉に感動したという読者の感想文が溢れるほど多数存在する。引用はしないでおこうかと思ったが、思い直して(心を鬼にして)指摘・論難することにした。下記は「アマゾンカスタマーレビュー」より。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R30KFDN6TIDYZW/

 

rio.nanina
 

2019年3月24日に日本でレビュー済み

 

本作品、刹那さと喜び、哀しみ…色々な思いを噛み締めながら読みました。
読み終えてなんだろう…なんともいえない心に温もりを感じ、不思議ととても心地好い感覚でした。
兄剛志の想い、弟直貴の想い、そして由実子それぞれの想いが交錯し、場面場面でその都度感情移入してしまったからでしょうか、途中読みながら何故だか涙が溢れる場面もありました。
また社長平野が「差別されて当然なんだよ」と言った時は少し悲しかったけど、読んでいくうちにその意味、どういう事なのかが解っていきますね。ただ闇雲に腫れ物を隔離するという事ではなく、その言葉にもっと深い意味があったのだと。
要所で社長平野が出てきますが、決して答えは言わず的確な道標は残してくれます。とっても素敵な上司であり尊敬出来ます。自身も色々な事を考える事が出来たので私にとっても恩師です。平野社長、ありがとうございます。
こちらを読み終え直ぐプライムビデオで映画を観ました。本を読みながら、映画を観ながらと1日に何度も泣いてしまいました。とっても良い作品でした。

 

 おそらくこの読者の方は、深く主人公に感情移入した結果、「主人公の立場から」上記のような感想文を書いたのだろうが、それでもこんな文章を書く人とは友達になりたくない。私はそう思った。

 というのは、いくら主人公に感情移入したといっても、おそらくリアルにおいては書き手は主人公と同じような立場にはなく、「差別する側」の人間なのだろうから、同調圧力の論理を正当化しているともとれる平野社長の言葉から、同調圧力をかけるうしろめたさを取り除いてくれる心地良さを感じたのではないかとの自己省察くらいは持っていてほしいし、そういう人とでなければ友達付き合いはできない、というのが私の感覚なのだ。

 これが「読書メーター」になると、上記よりももっと厚かましい感想文が多くて本当に嫌になるのだが、それらは引用しないでおく。

 なお小説では、主人公は東京都江戸川区西葛西にあるこの家電量販店を辞めてしまう。そのきっかけになったのも、兄からの「手紙」だった。

 作者の東野圭吾は、この登場人物に対する作者としての評価は示していない。だが、作者が学生時代に濫読したという松本清張なら、読者をミスリードしかねないようなこんな社長の描き方はしなかったのではないか。

 なお今回ネット検索をかけて知ったが、東野圭吾は清張も読んだけれども、それよりも梶原一騎原作の漫画の影響の方が大きいと語っているようだ。

 

――常に手の届くところにいつも置いてある本があれば教えてください。

東野 : いつも読んでるのがあります。『あしたのジョー』と『巨人の星』です。僕がもっとも影響を受けたのは、この2作品ですね。大学時代に松本清張さんの作品をほとんど全部読んだこともあったけど、ジョーと飛雄馬からの影響のほうがずっと大きいですね。『トキオ』の宮本拓実が野球とボクシングをやってる理由はここにあります。

――……なるほど!

東野 : 『あしたのジョー』や『巨人の星』に描かれている風景は、『トキオ』の下町の風景と共通しています。僕は70年代の東京を実際には知らないから、ジョーと飛雄馬を通して教わったようなものなんです。両方ともガスタンクが出てくるでしょう。ジョーと飛雄馬は近くに住んでたんですよ。きっと、ガスタンクのある風景が原作者、梶原一騎さんの原風景なんでしょうね。

――どのような読み方をするのですか? 思い立って1巻から全部読むのか、それともあのシーンが読みたくなってという感じんなんでしょうか?

東野 : どっちのパターンもありますね。浪花節的などろどろした雰囲気は両方にあるんだけど、それが全編を通してあるのは『あしたのジョー』なんです。ジョーはいつも泪橋の辺りにいるんですね。『巨人の星』にはその雰囲気は最初だけなんですよ、途中からSF的なスポーツ漫画になってしまうから。だから、最初から通して読むのは『巨人の星』で、シーンを読みたくなるのはジョーのほうかもしれません。

――特に好きなシーンというと……?

東野 : いっぱいありすぎます。それより、飛雄馬と花形が対決する隅田公園はよく行く場所だし、ジョーと紀ちゃんが行った向島百花園にも行ってみたりとかそんなことをしたこともあります。

――『あしたのジョー』と『巨人の星』を、実際、どれぐらいの頻度で読んでいるのでしょう?

東野 : 本を読まないほうなんだけど、寝る前には必ず読むんです。読んでるとすぐ眠くなるから、そのためですね。それで、昨日は酒飲んでたから何も読まなくて、おとといは寝る前に『巨人の星』を読みました。

 

出典:http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi13.html

 

 大のアンチ読売、アンチ梶原一騎である私からするととんでもない話だが、なるほど、それで『秘密』の主人公が読売ファンなのか、とわかった。もっとも、あのなんとかの星の「真の主人公」は阪神タイガース花形満ではないかとの説もある。花形は後年ヤクルトスワローズでも活躍した良い選手だった(笑)。1978年のことだ。

 そんなわけで『秘密』へと話を移す。

 

books.bunshun.jp

 

 上記リンクにも表記されている通り、「意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだ筈の妻だった」という、現実にはあり得ないストーリーだ。1998年に刊行され、1999年に広末涼子主演で映画化されている。文庫本には若き日の広末の寄稿もある。

 すぐに2017年上半期に直木賞をとった佐藤正午の『月の満ち欠け』(岩波文庫的)を思い出したが、もちろん東野圭吾の『秘密』の方が20年近くも古い。そして、東野作品の方が、主人公が読売ファンであるというむかつく設定があるにもかかわらず面白かった。なお佐藤正午直木賞を獲った時に東野圭吾は選考委員を務めていて、下記のコメントを確認できる*1

 

「超常現象に直面した人々の反応に疑問が残った。」「生まれ変わった本人の戸惑いが描かれていない点にも不満が残る。」「また、最後の章は不要だったのではないか、と思っている。とはいえ、それ以外の場面では登場人物一人一人のドラマにリアリティと味わいがあった。もっとも楽しんで読めたのは本作である。」「もちろん佐藤正午さんの受賞を祝うことに些かの躊躇いもない。」

 

 似たようなアイデアに基づく作品を『秘密』、『トキオ』(2002,未読)と2作も書いた東野圭吾ならではのコメントといえようか。なお東野圭吾は1959年2月4日生まれで1985年作家デビュー、佐藤正午は1955年8月25日生まれで1983年作家デビューだから、学年、作家歴とも佐藤正午の方が2年上だ。

 『秘密』は1985年から1989年までが舞台で、主人公がテレビをつけた途端、読売の投手がヤクルトの選手にホームランを打たれて主人公が卓袱台を叩く場面がある。「ざまあ」と思ったが、実際には1989年のヤクルトは読売に7勝19敗とカモにされたのだった。この年は、4月に神宮で行われた2試合、3回戦で終盤もつれながらサヨナラ勝ちした試合と、雨天中止を挟んだ翌々日に高野光が読売打線を抑え込んで1986年から足かけ4年にわたる読売戦7連勝*2を飾った4回戦の2試合しか良い思い出がない。そして、高野はこの試合のあと故障してしまい、復帰には3年を要したし、さらにその後の彼の運命を思うと今も無念さが込み上げる。

 『秘密』では、主人公がある卑劣な行為に手を染めるのだが、そのくだりでは「ああ、読売ファンなら考えそうなことだな」と思った。なぜか「スパイ野球」に関しては、南海ホークス野村克也や阪急ブレーブス西本幸雄の名前ばかりが挙がって、「紳士たれ」とか言っていた川上哲治の読売はスパイ行為なんかやってなかったという都市伝説が今も流布しているが、そんなことはなかったのではないかと私は疑っている。読売は球界の権威に守られてスパイ行為が指摘されなかっただけではないかとの仮説を、私はずっと持っているのだ。

 それも含めて、『秘密』は面白かったけれども、「読書メーター」で多くの人が書いている「感動」には至らなかった。設定が非現実的なのだから仕方がない。リアルな『手紙』とは全然違うのだ。思うのだが、「読書メーター」ではあまりにみんなが「感動した」と書くものだから、同じように書かなければいけないという同調圧力がかかって「感動した」と書いてしまった読者が多いのではないか。

 そんなわけで、『容疑者Xの献身』を含む3作の中では『手紙』が私のイチ推しだ。ただ、平野社長の言葉に「感動」した人とは友達になれないことを改めて強調しておく。

*1:https://prizesworld.com/naoki/sengun/sengun150HK.htm

*2:その1勝目は、1986年の最終戦でブロハードの逆転2ランが飛び出し、読売の優勝を阻んだ試合だ。この試合では荒木大輔が7回から9回までの3イニングを抑えた。

ベートーヴェンは「改革者」ではなく、反動的な政治体制で生きることを余儀なくされた「革命家」だった

 神子島慶洋氏の下記ツイートに触発されて、今月に入って一度も更新していないこのブログに記事を書こうと急に思い立った。

 

 

 残念ながら「ベートーヴェン=改革家」という神子島氏の意見は、私にはピンとこない。古典派の作曲家で改革家といえばなんといってもハイドンの名前を思い出す。

 私は90年代末から2000年代にかけて、ハイドン交響曲弦楽四重奏曲にずいぶんはまった。そのきっかけになったのは、フランス・ブリュッヘンがエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団を指揮した、ハイドンの<疾風怒濤期の交響曲>19曲の5枚組CDだ。楽団名は17〜18世紀の欧州の啓蒙運動(the Enlightenment)に由来するものらしい。「啓蒙時代のオーケストラ」の意味だ。

 このCDに収められているのは、いずれもハイドン中期の作品だが、ハイドンは個々の交響曲のいずれをとっても、何かしらの実験をやっている。有名なのは第45番の「告別交響曲」(フィナーレで演奏者が次々に席を立って行き、最後に第1ヴァイオリンの2人だけが残る。筒井康隆の小説『残像に口紅を』(1989)を200年以上前に先取りしたかのような音楽だ(告別交響曲は1772年作曲)。

 告別交響曲の実験は誰にでもわかりやすいが、多くの曲で行われている実験に気づくには、クラシック音楽に長年親しんだ「年季」が必要だ。ハイドンはそんな音楽を書いた作曲家だった。

 弦楽四重奏曲では、「太陽四重奏曲」作品20の6曲が疾風怒濤期の代表作だろうか。しかし、ハイドンが疾風怒濤期(シュトゥルム・ウント・ドランク)時代を終えて古典的な作風を確立したといわれ、モーツァルトに多大な影響を与えたことでも知られる作品33の「ロシア四重奏曲」セットにも、面白い実験がある。

 作品33の最初に置かれた第1曲の主調は「ロ短調」なのだが、曲の始まりは長調ニ長調)に聞こえる。あれ、短調の曲のはずなのに、と思っているうちに短調に転調するのだ。この曲を聴いて直ちに思い出したのがブラームスクラリネット五重奏曲であって、あの曲もロ短調のはずなのにニ長調みたいな始まり方をする。あ、ブラームスハイドンのアイデアをパクったんだなと初めて気づいた。

 ハイドンではもう1曲、作品64の6曲セットの第2曲もロ短調だが、この曲も作品33-1と同じ「ニ長調で始まったと見せかけてすぐにロ短調に転じる」手を使っているから、ハイドンは作品33-1でやった実験をよほど気に入ったものらしい。しかし二番煎じではもはや実験とはいえないし、曲全体の出来からいっても作品64-2は作品33-1に劣ると思う。ハイドンが再び素晴らしい弦楽四重奏曲を書くのは、晩年の作品76の6曲と作品77の2曲だった。これらの8曲がおそらくハイドン弦楽四重奏曲の頂点だろうが、ハイドンはそのあとも弦楽四重奏曲を書こうとしていた。しかしハイドンはその曲の第2楽章と第3楽章しか完成できず、その状態のまま筆を擱いて発表したという。この最後の曲が、また実験精神に富んだ曲なのだ(第83番ニ短調作品103)。結局ハイドンは筆を擱くまで実験を続けた作曲家だったと思う。

 モーツァルトの場合は、作品の一部にずいぶん革命的なところがあった。私がいつも思うのは「第40番」として有名なト短調交響曲(K.550)のフィナーレであって、このフィナーレの展開部では、5度上への転調を延々と繰り返して主調に戻ろうとしない転調がいつ果てるともなく続く。無機的とも機械的とも感じられるこの箇所は、機能和声の破壊とも呼びたくなるものであって*1、実際展開部の初めには12音音楽を想起させる音列が現れる*2。実はこの音列は、展開部の核心部で行われる転調を短くまとめた形になっている*3。さらに、展開部冒頭で12音音楽風の音列のすぐあとに出てきたニ短調の一節(第1主題の変形)は、前述の展開部の核心部で12音音楽風の音列(減7度下降と減4度上昇の繰り返し)をなぞって行われる機械的な転調(今度は多少の調性感を伴っているがすぐに転調してしまう)が続いたあと、主調のト短調からはもっとも離れた調とされる嬰ハ短調(最初に出てきたニ短調の半音下)で再び現れて強奏され、展開部のクライマックスを築く。ここに至って音楽はようやく調性感を完全に取り戻すが、もとの世界とはパラレルワールドみたいな関係にある場所での狂躁といった趣がある。これが一段落すると、今度は5度下への転調を機械的に6度繰り返してト短調に戻り、再現部が始まる。このフィナーレの展開部は「悪魔的」としかいいようがないものだ。第1楽章の美しい旋律があまりにも有名なこの曲だが、フィナーレにこれほどまでにも奇怪な箇所がある。この部分は、実験的とか改革などではなく革命的としか呼べないと私は考える。

 ハイドンが「生涯実験」の作曲家で、モーツァルトが革命的なところもあった作曲家だったといえるなら、ベートーヴェンにはモーツァルトをさらに推し進めた革命家の役割しか残っていない。事実、ベートーヴェンは想像した音楽においても政治思想においても「革命家」としか言いようがなかった。

 しかし、「革命家」というだけではベートーヴェンを十分に表現したものとはいえないとも、正直言って思うのだ。そこで今回引っ張り出すのは、2015年に河出書房新社から刊行された「文藝別冊・フルトヴェングラー - 最高最大の指揮者 増補新版」に掲載されている吉田秀和丸山眞男の対談「芸術と政治 - クルト・リース『フルトヴェングラー』をめぐって」だ。これは『現代藝術』1959年3月号に掲載された対談だ。

 

 

 ここで吉田と丸山は、フルトヴェングラートスカニーニと対比して論じている。そこにベートーヴェンと政治の関係が触れられている。以下、吉田秀和の言葉を引用する。

 

吉田 トスカニーニは、フルトヴェングラーのような態度をした人間*4ベートーヴェンを演奏できるわけがないと言いますけれども、フルトヴェングラーは、反対の意見を持っていた。そもそもベートーヴェンの中にそうした二面があったと思うんです。ベートーヴェンの音楽というのは、革命を起したフランス人がかいたのじゃなく、ヨーロッパでもいちばん反動的な、メッテルニヒ支配下オーストリーでかかれた。だからフルトヴェングラーが典型的に示しているものは、まさにそういいうふうにしか出せない形をもっている。

 

出典:丸山眞男吉田秀和「芸術と政治 - クルト・リース『フルトヴェングラー』をめぐって」(「現代藝術」1959年3月号);「文藝別冊・フルトヴェングラー - 最高最大の指揮者 増補新版」(2015), 113頁より孫引き

 

 これは腑に落ちる指摘だ。ベートーヴェンの音楽は、重苦しい空気に覆われた反動国で書かれた「革命家」の音楽だった。

  上記の文章から思い出されるのは、青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー, 2018)だ。

 

www.heibonsha.co.jp

 

 同書218頁から「「メッテルニヒ体制の下で」と書かれた節が始まるが、時のオーストリア外相・メッテルニヒは1819年に「カールスバート議定書」を出して反動的な監視社会をウィーンに作り上げた。当時のウィーンには正規のスパイが7千〜1万人いたほか、秘密警察はそれ以外に多くの馭者、ボーイ、従者、娼婦などにも情報提供を求めていたという。青木氏は「まさに密告社会である」と論評している*5。以下同書から引用する。

 

 こうした息苦しい雰囲気がウィーンの人々を、気分転換としての明るく軽快なワルツやポルカといったダンス音楽に走らせ、華麗なイタリア・オペラに熱狂させたとしても、無理からぬ気がする。だがそうしたウィーン音楽界の流行が、ベートーヴェンの疎外感を強め、また密告の雰囲気が晩年に募りゆく彼の猜疑心のもとになったことを、後世の私たちは忘れてはならない。ベートーヴェンだけではない。シューベルトウェーバーはもとより、ベルリオーズやリストにいたるまで、この暗く陰鬱な時代の影を背負っていたのだった。彼らにとってベートーヴェンは、暗い海の彼方で光をともす灯台のような存在だったのかもしれない。

 幸いにもこの時期のベートーヴェンには、気心の知れた友人仲間がいて、かつてのように一人孤独に閉じこもるようなことはなかった。街のコーヒー店で新聞を熱心に読んでいるかと思えば、「狐の穴」とよんでいたシュタイナーの店のサロンや、あるいは行きつけのレストランや居酒屋で、友人たちを相手に熱弁をふるっていることもあった。彼は国内だけでなくヨーロッパ各国の政治情勢にも詳しく、常に一家言持っていた(もっとも、イギリスの議会制度を過大評価していたと批判する同時代人もいたが)

 そうした雰囲気が、当時使われていた『会話帳』から伝わってくる。耳の不自由な彼のためにそこに書き込んでいる友人たちはほとんどみな共和主義者だが、政府や警察や特権階級である貴族をもっとも手厳しく批判していたのはベートーヴェンだった。そしてこれは、この時代には投獄の危険を冒すことだった。心配した友人の一人が『会話症』(I, S.333) に書いている。

 

そんなに大声を出さないで下さい――あなたの人相は知られすぎているのですよ。

では、またにしましょう……いまはあいにくスパイのヘンゼルがここにいますから……

 

 1820年には、当時の警視総監セドルニツキー伯爵が、彼を逮捕すべきかどうかを皇帝に上申している。それが見送られたのは、第一に、ベートーヴェン自身が持っていた全ヨーロッパ的な名声だった。特に宮廷側としては1814〜15年のウィーン会議の折に、ハイドンモーツァルトに並ぶ最高の音楽家として月桂冠を与えた以上、その彼を投獄したりすれば国際的スキャンダルになりかねないと判断したからだろう。

 またベートーヴェンは、長年にわたるルドルフ大公の音楽の師であった。大公は現皇帝の異母弟の上、当時オルミュッツの大司教だった。しかも、その大公のためにちょうどその頃ベートーヴェンは『ミサ・ソレムニス』を作曲中だった。

 けっきょく当局は、ベートーヴェンの言動を十分把握していたが、それを奇人変人のたわ言として処理することを選んだものと思われる。

 

出典:青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー, 2018)219-221頁

 

 長い上記引用文の大半で描かれているのは「革命家ベートーヴェン」の顔だが、その中で青字ボールドにした部分にだけ、前記吉田秀和が指摘したベートーヴェンの第二の面が示されている。

 とはいえ、上記引用文を参照すれば、ベートーヴェンが漸進的な「改革者」などではなかったことは明らかだろう。それは何も彼の思想信条や生き方*6に限らず、音楽でも同じだ。いや、音楽においてこそベートーヴェンの革命性は際立っている。

 まとめると、冒頭でツイートを引用した神子島慶洋氏には誠に申し訳ないが、ベートーヴェンは「改革者」などではなく「革命家」だった。しかし、反動的な国で生きていくための妥協を強いられた「革命家」だった。以上のように私は考える。

*1:あるいはガン細胞の増殖をも連想した。元(主和音)に戻ろうとする機能が失われたかのような音楽がかなり長く続くのである。

*2:この音列に欠けている音が一つだけあり(曲の主音であるG(ト)音)、重複している音もあるため、12音音列にはならない。

*3:このことに気づいたのはほんの数年前だ。丹沢山塊の鍋割山に単独登山した時に、頭の中でこのフィナーレの展開部を反芻していたら、ふと気づいた。登山も、普段の平地歩きと違ってひたすら上へ上へと登っていく行為だから、このフィナーレの展開部と相通じるところがあるかもしれない。

*4:ナチ政権下のドイツにとどまって演奏活動を続けたことを指すと思われる=引用者註。

*5:青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー, 2018)219頁

*6:人聞きの悪い言い方をすれば「処世術」となろうか。しかし人間誰しも、生きていくために稼がなければならない。

物足りなさが残った東野圭吾『麒麟の翼』

 この記事は最初『kojitakenの日記』のために書き始めたが、こちらのブログの方が適切かと思い、こちらに載せることにした。

 

 昨日「kojitakenの日記」に公開した記事のタイトル「辞意表明の確率」から連想していたのは、一昨年春に読んだ松本清張の短編小説「捜査圏外の条件」だった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 両者の共通点は単に「漢字4文字+の+漢字2文字」というだけではない。

 「捜査圏外の条件」は、1989年にテレビドラマ化されているようだが、下記リンクにある通り、「妹を見殺しにした男への復讐のため、7年間かけて完全犯罪をもくろむ男を描いた作品」なのだ。この「7年間」というのが、安倍政権発足後の7年8か月という、この国が壊れていった長く暗い年月と共通する。

 

www.nihon-eiga.com

 

 上記ドラマの主演は古谷一行だが、伊藤蘭が出ていて、伊藤は清張の原作にはない役柄を演じている。無惨に見殺しにされた妹の役は甲斐智恵美だが、彼女は43歳の2006年に首つり自殺を遂げてしまった。もっとも私はこのドラマは見ていない。

 この「完全犯罪を遂げようとして失敗した男」の暗い情念が、私の琴線に触れるのだ。「捜査圏外の条件」のモチーフになった1951年の流行歌「上海帰りのリル」は知らなかったがネット検索で知り、繰り返して聴いてはまった。近年はカラオケには全くい行っていないが、仮にカラオケに行けば歌えるだろう。「上海帰りのリル」は戦前のヒット曲「上海リル」のアンサーソングで、「上海リル」はアメリカ映画に出てくる歌だが、3人の女性歌手がそれぞれ異なった歌詞で歌っている。そのうちの1人は江戸川蘭子という、おそらくは江戸川乱歩からとられた芸名の人だった。このあたりの音楽探究もこのブログで取り上げた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 この「上海リル」の方はカラオケでは歌えないが、「上海帰りのリル」の前奏には本歌の「上海リル」の節が使われていて、アンサーソングであることがわかる人にはわかるように仕掛けてあるのが面白いと思った。但し、メロディーの方はあとでできた「上海帰りのリル」の方が古くさく、いかにも「昔の歌謡曲」だ。だから覚えやすい。

 安倍晋三の話から大きく脱線したが、結局「捜査圏外の条件」の主人公(犯人)が雌伏7年の完全犯罪のもくろみに失敗したように、安倍政権の終わりへの期待も、どうやらしぼんでしまいそうだ。まあそうなるだろうとは思っていたが。

 ところで、清張の「捜査圏外の条件」を思い出した機会がもう一つあった。それが前回の記事で取り上げた東野圭吾の『容疑者Xの献身』だった。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 著者の東野圭吾は高校生の頃に松本清張を読み漁ったらしい。『容疑者Xの献身』の主人公は、ひそかに熱愛する女性への献身から、彼女(ら)の犯罪が絶対に露見しないようにするために完全犯罪をもくろんだ。このあたりを読みながら「捜査圏外の条件」を思い出していたのだった。前述のように、このあたりの暗い情念は私の琴線に触れるものがあった。

 しかし、あのトリックは、トリックとしては最高なのだが倫理的にはまったくいただけなかった。そこが、こともあろうに自らの妹が愛唱していた「上海帰りのリル」から失敗を犯してしまった清張の「捜査圏外の条件」と東野圭吾の『容疑者Xの献身』との評価を分けてしまった。私の評価では「捜査圏外の条件」は5点満点の5点だが、『容疑者Xの献身』は、前の記事にも書いた通り5点満点の4点にしかならない。

 このあたりが東野圭吾の弱点なのかどうかはもう少し読んでみなければわからないが、東野の『麒麟の翼』(講談社2011, 講談社文庫2014)を読み終えて、やはり清張と東野とを決定的に分けるところなのではないかとの心証が強まった。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 舞台はまたしても日本橋。大阪出身の東野圭吾が上京後に住んだのは東京のどこなのかは知らないが、隅田川西岸のどこかなのだろうか。

 東日本大震災の直前に刊行されたらしいこの作品は、翌年映画化されている。阿部寛新垣結衣が出ている。私は映画はほとんど見ないので、阿部寛(あべ・ひろし)と言われてもピンと来ず、安倍晋三の父方の祖父にして平和主義者だったという安倍寛(あべ・かん)しか思い出さないような無粋な人間だ。安倍晋三は平和主義者と戦争犯罪容疑者の血を引く人間だが、平和主義者に言及する機会はほとんどなく、もっぱら戦犯容疑者ばかりを崇め奉ってこれまでの人生を生きてきた。

 東野圭吾はこの『麒麟の翼』でも、派遣労働者が派遣先の工場での危険な作業によって後遺症を伴う負傷をしながら、派遣先の都合によって労災がもみ消されるという一幕を描いている。松本清張が現代に生きていたなら、このモチーフを大きく膨らませたのではないかと思わせる。しかし東野圭吾はそうはせず、単なるエピソードに留めてしまった。殺人事件の被害者にすべての罪をなすりつけたある登場人物が、被害者の息子にぶん殴られるだけで片付けられている。

 こういう作品を読むと、東野圭吾という人はせっかくの社会派的題材を取り上げながら、自らがノンポリであるためにそれを活かせていないのではないかと疑ってしまう。『麒麟の翼』の犯人は意外な人物だが、読者がそれを言い当てることができる伏線が十分に張られてはいないように見えるし、その登場人物が犯人だったことで、読後感がいっそう悪くなってしまった。この作品には5点満点の3点しかつけられない。

 一方、労働問題をモチーフにした清張作品で思い出されるのは、一般には知名度が低いであろう『湖底の光芒』だ。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 昨年1月に読んで上記ブログ記事に取り上げたが、今読み返すと上記エントリの出来は良くない。われながらまったく満足できない。そこで、下記「アマゾンカスタマーレビュー」を取り上げる。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RFJB7878HQM0B

 

 以下引用する。

 

たこ地蔵
 

2018年11月16日

 
諏訪湖の湖底に大量のレンズが投棄されているらしい。
親会社の方針変更で、下請けがせっかく磨き上げたカメラのレンズが返品されてしまう。
突き返されたレンズは何の使い道もない。泣く泣く捨てることになる。
湖底では怨みと涙のこもったレンズが怪しく光っているーーというのがタイトルの意味だ。
美しくも恐ろしい名タイトルである。

加須子は夫の後を継いでレンズ製造会社を経営している。発注元のケーアイ光学が倒産してしまった。
物語は債権者会議の修羅場から始まる。山中という男が現れて、すべての債権を額面の四分の一で買い取るという。
尻に火のついた零細企業主たちは飛びついた。
そんな中、加須子は大企業の専務から異様に有利な契約を持ちかけられた。

ううむ、凄い。何という筆力だ。罪もないのに瀕死状態の債権者たち、加害者のくせに平然としている親会社の社長。生臭く重苦しく、人間の本性がむき出しになる場面だ。
ナニワ金融道」を読んで「こんな話がネタになるのか」と感心したことがあるが、
もっと昔に清張が書いていたのだ。下請けいじめの実態は、この通りだろう。
数年前、日本の職人技術を称賛し、中国が買いあさっているーという意見をあちこちで見た。
嘘だ。いや嘘ではないが、途中が抜けている。
職人を殺したのは、大企業だ。日本の資本主義システムだ。外国人ではない。
悲惨な境遇の技術者に「ウチにおいでよ」と好条件を提示すれば、そりゃあ心が動くに決まっている。

大企業をかさに着てやりたい放題の専務に、加須子の義妹・多摩子が近づく。
錯綜する愛憎と欲望のジェットコースターが疾走する。
キャラ作りの巧みさといい息もつかせぬストーリーといい、まぎれもない一級品だ。
清張作品としては有名ではないが、名だたる有名作とくらべても遜色なしと断言できる。

 

 『湖底の光芒』は1963年から64年にかけて書かれたが、編集者や読者の評判も清張の自己評価もともにさして高くなかったのかどうか、単行本初出は執筆後20年近く経った1983年だった。

 この長篇小説の出来は結構粗く、清張作品にはありがちなことだが、作品の完成度は決して高くない。第一ヒロインが途中で変わる。最初に出てくる加須子は魅力に乏しく、途中から出てくる加須子の義妹・多摩子にヒロインの座を奪われる。そしてその多摩子のハチャメチャさが笑える。ある時逆上した多摩子は、加須子に怪我まで負わせてしまった。ところが終盤ではその多摩子のキャラクターが一変する。そして、その終盤こそがこの長篇の読みどころであり、現代日本の労働問題に通じることによって今なお作品の価値を失わない部分なのだ。しかし、昨年かけたネット検索では、中盤での多摩子のハチャメチャさばかりに焦点を当てて作品を酷評するような感想文などが目立ち、「この人はこの作品を読めていないよなあ」と思ったのだった。「小説現代」連載中には『石路』というタイトルだったこの長篇を1983年の単行本化に際して『湖底の光芒』と改めたところに清張の真意が込められているのだが、中盤のヒロインの奇矯な行動にばかり目を奪われた読者氏には気づけなかったようだ。しかし上記のレビュアー氏はしっかり気づいていた。

 東野圭吾も、せっかく派遣労働者の労災隠しという現代的な労働問題をモチーフに取り上げたのであれば、安易なお涙頂戴ではなく、清張作品のように労働問題を正面に見据えてまとめられなかったものかと残念に思った次第。私の琴線に触れたのは清張の『湖底の光芒』の方であって、東野圭吾の『麒麟の翼』ではなかった。あるいは、労働問題を正面から取り上げるようなことをしたら本の売り上げが落ちてしまうのかもしれないが。まあもう少し東野作品を読んでみて評価を決めることにしようか。

東野圭吾『容疑者Xの献身』『白馬山荘殺人事件』を読む

 このブログにも書いたことがあるかもしれないが、私は高校1年か2年生くらいの頃まではミステリーを好んで読んだもののその後読む機会が激減した。特に、1989年に『カラマーゾフの兄弟』を読んだ時、この小説を超えるミステリーなんかあり得ないんだから、などと勝手な理屈を捏ね上げて、以後四半世紀近くの間ミステリーはほとんど読まなかった。この態度を突如変えたのは2013年で、図書館で借りて読んだ松本清張の『Dの複合』にはまってしまったのだった。以後清張のミステリー長篇はおよそ4分の3を読んだ。

 しかし、未読で残っている清張作品(多くは雑誌等に発表されてからかなり遅れて単行本化された作品)を分厚くて文字の小さい全集(文藝春秋刊、全66冊)で読もうと思うまでには至っていないので、他の作家のミステリーも時たま読むようになった。

 東野圭吾の『容疑者Xの献身』(文春文庫2008; 単行本初出文藝春秋2005)と『白馬山荘殺人事件』(光文社文庫新装版2020; 初版1990, 単行本初出カッパ・ノベルス1986)を読んだのもその一環だ。読んだのも作品が書かれたのも『白馬山荘』の方が早いが、作品の出来は直木賞を獲った『容疑者X』の方が段違いに良い(というより、作者の最高傑作ともされているらしい)ので、こちらをメインに取り上げる。この作品は2008年に映画化もされているようだ。

 

books.bunshun.jp

 

 以下の文章では露骨なネタバレは避けるが、トリック等を強く示唆するような文章がどうしても含まれるので、小説を未読の方は読まれない方が良いかと思う。

 本作のトリックには、正直言って全く気づかなかった。社会派とされる清張の作品を多く読んできた私は謎解きにはさほど頓着しない読み方をしている、というより、謎解きよりも人間心理に重きを置いているせいもあるかもしれない。

 しかしそれよりも、最初から犯人を明示しているかのような作品の作りに完全に騙されていたというべきだろう。まさかあんなトリックが仕組まれていようとは。

 これが本格推理小説といえるかどうかという論争が一部にあったようだが、私はそんな論争には興味がない。私は筒井康隆ロートレック荘事件』(新潮社1990*1)の叙述トリックは見抜いたが、本作では及びもつかなかった。

 だが、真相が明かされた時、トリックには感嘆したと同時に大いなる興醒めもしたのだった(以後の文章は限りなくネタバレに近いので、それを避けたい方は以下を読まないで下さい)。

 あれは決して許される行為ではない。アマゾンカスタマーレビュー読書メーター、ことに後者には、本作を読んで感動したとかいう感想文が多数あるが、私はそのことに背筋が寒くなった。先ほどドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に言及したが、ドストエフスキーには『罪と罰』もある。ラスコーリニコフじゃあるまいし、と思った。また、浦沢直樹の漫画『MONSTER』にも「人の命は平等だ」という主人公のセリフがある。

 さらには、本作でも探偵役の「ガリレオ」こと湯川学は下記のように発言している。

 

「この世に無駄な歯車なんかないし、その使い道を決められるのは歯車自身だけだ、ということをいいたかったんだ」

 

東野圭吾容疑者Xの献身』(文春文庫2008)291頁)

  

 これが著者・東野圭吾のファイナルアンサーだ。だから本作の結末はあのようでしかあり得なかった。本作のエンディングで正しい。

 とはいえ、アマゾンカスタマーレビューや読書メーターの感想文に見られる通り、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(『罪と罰』)やヨハン・リーベルト及びエヴァ・ハイネマン(『MONSTER』)、あるいは日本の政界でしばらく前に話題になった某元号新選組の大西恒樹と同じような発想をする人たちを少なからず生み出してしまったことを考えれば、私なら本作に星5つ満点で5点はつけられない。せっかくのトリックにもかかわらず、4点止まりといったところだろうか。

 作者若書きの『白馬山荘殺人事件』の方は、『容疑者Xの献身』と比較するとだいぶ落ちる。

 

 こちらは、まだ図書館が開いていなかった頃にタイトルに惹かれて買ったのだが、意に反して「白馬山荘」とは白馬岳の頂上の、新田次郎の「強力伝」で描かれた風景指示盤があるあの山小屋ではなく、麓にある単なるペンションだった。それを確かめずにタイトルだけで本を買った私が悪いのだが。

 本作は、『容疑者Xの献身』より20年近くも前の1986年に単行本が刊行された。当時はバブル期(1986年12月〜1991年3月)の直前で、著者は20代後半だった。当時の文化を反映して、ペンションだのスキーだのテニスだのといった単語が出てくるが、私は当時からこれらに代表される80年代の文化が大嫌いだった。だから懐かしさなど全然感じなかった。

 本作は新田次郎の「強力伝」でも松本清張の「遭難」でも加藤薫の「遭難」でもなく、もっとも近いのは坂口安吾の『不連続殺人事件』(1948)ではないかと思った。安吾作品では○○○が○○が、同じ密室殺人事件の本作もそうではないか、その場合の○○○は○○○ではないかと勝手に想像していたらその通りだったので拍子抜けした。トリックは込み入っていそうだから想像する気にもならなかったが予想通り込み入っていたし、暗号は絶対に解けない代物に違いないと想像していたらこれも予想通りだったことなど、作品全体としてもあまり感心しなかったので、こちらは5点満点の2点といったところだろうか。もっともこの低い採点は、山小屋かと思ったらペンションだったという当方の早合点による身勝手な理由によるところが大きいから、作者にとっては良い迷惑かもしれない。しかし、本作を書いた頃には作者はまだあまり売れていなかったとのことで、いくらなんでも本作だけで作者を評価するわけにはいくまいと思って『容疑者Xの献身』に手を出したところ、そちらは「大当たり」だった。

 なお私は80年代のバブル期にはペンションに泊まったことは一度もないが、2005年に八ヶ岳天狗岳から北横岳方面に縦走した時に泊まった。80年代当時には八ヶ岳の東南麓にあるJR清里駅近辺にペンションが多く建っていたそうだが、現在はずいぶんさびれたらしい。

 

chinobouken.com

 

 そういえば書き忘れていたが、作者の東野圭吾は大阪出身だが『容疑者Xの献身』の舞台は隅田川を挟んだ東京都江東区と同中央区、それに旧江戸川が流れる同江戸川区などの東京東部だ。このうち前者に関する描写として下記の文章を引用する。

 

 橋を渡ると、彼は袂にある階段を下りていった。橋の下をくぐり、隅田川に沿って歩き始めた。川の両側には遊歩道が作られている。もっとも、家族連れやカップルが散歩を楽しむのは、この先の清洲橋あたりからで、新大橋の近くには休日でもあまり人が近寄らない。その理由はこの場所に来てみればすぐにわかる。青いビニールシートに覆われたホームレスたちの住まいが、ずらりと並んでいるからだ。すぐ上を高速道路が通っているので、風雨から逃れるためにもこの場所はちょうどいいのかもしれない。その証拠に、川の反対側には青い小屋など一つもない。もちろん、彼等なりに集団を形成しておいたほうが何かと都合がいい、という事情もあるのだろう。

 

 このくだりは雑誌連載第1回に当たるから、『オール讀物』2003年6月号に掲載されたことになる。当時の隅田川新大橋付近はこんな様子だったようだ。なお作中では数学教師の石神の住まいは江東区森下あたりにあり、そこから清澄庭園の手前にある高校(2009年発行の地図を参照する限り実在しないようだ)に通勤するのに、真っ直ぐ南下する最短距離をとらずに、わざわざ新大橋を渡って自宅アパートの隣室に住むヒロインが務める弁当屋で弁当を買ったあと、南下して清洲橋を渡って清澄庭園近くの高校に出勤している。これがたいへんな遠回りであることは、一時墨田区の流域によく歩きに行っていた私にはよくわかる*2。しかるに、このようなストーカー丸わかりの行為にヒロインは気づいていなかったというのだから、想像を絶する鈍感さというほかない。この点に限らず、『容疑者Xの献身』の弱点の一つとして、ヒロインがあまりにも魅力に乏しいことも指摘しておかなければならなかった。この点と前述の非人道性が、この直木賞受賞作に5点満点をどうしてもつけられない理由になっている。

 それはともかく、敗戦後の解放感に満ちた1948年の安吾作品からバブル期前夜の虚しさを感じされる1986年の『白馬山荘殺人事件』を経て、格差と貧困の影が濃くなった2003〜05年(小泉純一郎政権時代)の『容疑者Xの献身』へと、ミステリー作品を通して日本現代史が実感できる。

*1:1989年以降に読んだ数少ないミステリーのうちの1冊だ。

*2:その後の都や区によるホームレス排除で現在はどうなっているのだろうか。涼しくなったらまた隅田川流域を歩いてみたいと思った。

松本清張に登山の手ほどきをした「登山家」と消息不明の山岳小説家・加藤薫はやはり別人の可能性が濃厚/id:peleboさんのコメントより

 今年の新型コロナウイルス感染症で「QOL」(Quolity of Life)が下がったと感じておられる方は少なくないだろう。私もその一人だ。

 在宅勤務では仕事にアクセス制限があって(テレワークなんか全然想定していなかった職場なのだ)なかなか進まなかったが、その分を取り返せと言われて仕事に追われていることもある。そして、年に何回か行っていた山にも行けずにいる。

 唐松岳から五竜岳鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳へと縦走して柏原新道を降りたのは5年前の秋だった。この縦走路には途中に八峰キレットという難所がある。私がキレット小屋に泊まった日にも、小屋に骨折の重傷を負った登山者が運ばれてきた。鹿島槍方面から五竜岳方面へと北進中に骨折したが、キレット核心部の梯子は自力で越えなければならなかったそうだ。骨折した状態で危険箇所の梯子を越えるとは、想像するだけでも恐ろしいが、おそらく「火事場の馬鹿力」で乗り切ったのだろう。

 松本清張の「遭難」を読んだのは、この後立山(うしろたてやま)連峰縦走から2年3か月ほど経った2017年12月だった。この作品について、このブログに2回記事を書いたことがある。実は、最初書いたのはWikipediaの誤った(と思われる)記載に基づいた推論を展開したため、それに引っ張られて自らも誤りを犯した恥ずかしい記事だった(下記リンク)。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 その後、清張の「遭難」と、前記記事で私が誤解した加藤薫という作家の同名の作品を含む4作を編んだアンソロジーがヤマケイ文庫から出た。この本を読んで、前の記事を訂正する良い機会だと思って、昨年4月に4回シリーズで記事を公開した。以下に第1回、第2回と最終回へのリンクを示す。最終回は「平成」最後の日だった昨年4月30日に公開した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 ところで、上記4件のエントリのすべてからリンクを張ったブログ記事があった。下記にリンクを示す。

 

 ブログ名は「直木賞のすべて 余聞と余分」で、上記エントリは2008年6月15日公開の「山岳ミステリー作家、プロ魂を発揮して、現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫『遭難』」。

 これはたいへん「すごい」としか言いようがないブログで、大いに勉強させていただいたものだ。上記4エントリのうち最初のエントリでは、記事を全文引用させていただいた。

 ところが先日、驚いたことに、弊ブログの上記4エントリのうち最後のエントリにコメントをいただいた。以下に引用する。

 

id:pelebo

 

はじめまして。
以前、自分のブログに「現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫「遭難」」というものを書いた
サイト「直木賞のすべて」を管理している者です。

先般、ヤマケイ文庫のアンソロジー『闇冥』に、加藤薫の「遭難」が収録されて、
私も飛び上がって喜んだ口ですが、
松本清張「遭難」との関連をさぐったkojitakenさんの記事を読み、
大変勉強になりました。


清張が鹿島槍のことを教えてもらった「登山家」とは、
加藤薫を指しているわけではない、と私も思います。


清張のエッセイ「灰色の皺」は、
初出の『オール讀物』昭和46年/1971年5月号では、
目次を見ると「推理特集 新実力派ベスト4」という枠のなかの、「特別読物」として掲載されています。
その「ベスト4」というのは、加藤薫、斎藤栄、久丸修、海渡英祐の4人のこと。
つまり、彼らの作品が載るのと同じ号のために書いた随筆なので、
「灰色の皺」では「本格派の新人」として4氏のことに触れられている、と見るのが自然です。
「遭難」のアドバイザーだった登山家と、加藤が同一人物と考えるのは、
かなり無理があるだろうと思います。


ちなみに加藤薫のデビュー作「アルプスに死す」が
オール讀物推理小説新人賞に選ばれたとき、
選考委員としてこれを推したひとりが、清張です。

選評の一部を、引いてみます。

「「アルプスに死す」は候補作品中の第一である。こういう佳作を得たのをよろこびたい。
 私などは登山の趣味がないだけに、文中のクライミングの描写には息をつめる思いでよんだ。拙作に鹿島槍登はんを題材にした「遭難」というのがあるが、あれは私のテーマに基づき、登山家に細部を調べてもらったのであって、作者自身はその登山家と鹿島槍の中腹にまで至らないうちに降りてしまった。」(『オール讀物』昭和44年/1969年9月号 松本清張選評「推理小説の真髄」より)

ということで清張は、加藤がデビューしたときの選評でも、自作の「遭難」と登山家のことに触れていますが、
これもやはり、登山家と、受賞者加藤薫が同一人物とは、とうてい考えづらい文章です。


長々と書いてしまって、すみませんでした。
加藤薫がその後どうなったのか、いつか判明する日がくればいいな、
と私も願っています。

 

 まさか、あのすごいブログを管理されており、私自身大いに勉強させていただいた方からコメントをいただくことになろうとは、夢にも思いませんでした。感激の極みです。

 それなのに私ときたら、せっかくコメントをいただきながら16日間も反応できなくて、誠に申し訳ありませんでした。

 加藤薫の「アルプスに死す」に対する清張の選評は、仰る通り「登山家と、受賞者加藤薫が同一人物とは、とうてい考えづらい文章」ですね。というより、この選評こそ「登山家」と加藤薫が別人であることを示す決定的な証拠であるように思えます。

 コメントどうもありがとうございました。深く感謝いたします。

松本清張『霧の会議』(上・下、光文社文庫)を読む

 図書館で借りた松本清張の『霧の会議』上・下巻(光文社文庫*1を返却しなければいけないので軽くまとめておく。

 本作は清張晩年の1984年9月11日から1986年9月20日までの2年間、読売新聞に連載された新聞小説。余談だが、連載会議後すぐに読売ジャイアンツ西本聖江川卓が広島カープの長島清幸に2試合連続サヨナラ本塁打を浴び、連載終了後2週間あまりのちに、同じ読売の槙原寛己がヤクルトのマーク・ブロハードに逆転2ランを浴びた。いずれの年も広島がリーグ優勝し、それに挟まれた1985年には猛虎打線を誇った阪神が球団創設後最初で今のところ最後の日本シリーズ制覇を果たした。つまり本作の連載中には読売は一度も優勝できなかった。そして当時はプロ野球人気ともども、日本経済が絶頂期を迎えていた。1985年9月にプラザ合意がなされた。日本はバブル経済の前夜にあった。そんな日本が栄華を誇った時期の終わり頃、本作は読売に連載された。

 清張は1964年に海外旅行が解禁されてから頻繁に海外に出た。特に後期には海外を舞台にした作品が増えているが、本作はその中でも最長のものだろう。

 1982年6月17日に発見されたイタリア最大の銀行であるアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取の変死事件が題材に採られている。この事件は覚えていなかったが、カルヴィはミケーレ・シンドーナとともにバチカン銀行経由でマフィアを相手に不正融資やマネーロンダリングを行っていたとのこと。イタリアの政界からバチカンまでを含めてマフィアが暗躍していることは当時から知っていたが、当時のイタリアといえば、1978年に起きた極左団体「赤い旅団」によるモロ前首相殺害事件(本作でも言及されている)が日本でも連日報じられたことの方が記憶に残っている。だが、極左の「赤い旅団」以上に大がかりだったのがマフィア系の極右勢力によるテロだった。カルヴィ頭取は、本作中ではリカルド・ネルビと命名されている。カルヴィは当初自殺と報じられたが、他殺ではないかとの観測は当時からあったようだ。清張は当然のように他殺説に基づいて本作を組み立てたが、史実でも松本清張が没した直後の1992年に、ロンドン警視庁スコットランド・ヤード)の再捜査によって他殺と判断された。また、本作でネルビの命を狙っていた一人とされるガブリエッレ・ロンドーナのモデルは前述のシンドーナだが、史実では彼も1986年3月22日、つまり本作の連載中に獄中で「服毒自殺」を遂げた。しかしこれも、毒殺されたのではないかとの疑惑が強く持たれているとのことだ。

 しかし、本当の巨悪の頭目はカルヴィ(ネルビ)でもシンドーナ(ロンドーナ)でもなく、フリーメーソン「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリだった。本作ではルチオ・アルディの名前になっている。清張は3人ともミエミエの仮名を使ったわけだ。

 カルヴィとシンドーナはともに1920年生まれで、それぞれ60代だった1982年と1986年に非業の死を遂げたが、親玉のジェッリは2人より1歳年上の1919年生まれで、ムッソリーニ率いる「黒シャツ隊」の一員として活動したことに始まって、CIAに協力したり戦後にナチス・ドイツの戦犯を逃がしたりするなど、悪の限りを尽くした。極右の軍事政権下のアルゼンチンに武器供与を行い、あげくの果てには前述のシンドーナやカルヴィとともに、1978年の就任早々亡くなったローマ教皇ヨハネ・パウロ1世を暗殺したのではないかとの疑惑も取り沙汰される。

 ただ、非業の死を遂げたカルヴィやシンドーナとは異なり、ジェッリは2015年まで生きた。96歳まで生き長らえたのだ。

 清張作品のモデルとなった外国人で長生きしたといえば、『黒い福音』に出てくるトルベック神父のモデルとなったベルメルシュ・ルイズ神父が思い出される。彼もカルヴィ及びシンドーナと同じでジェッリより1歳年下の1920年生まれだったがたいへんな長命で、数年前までカナダで生きていた。死んだのは2016年だか17年だかで*2、私が2018年に同書を読んだ時にかけたネット検索ではベルメルシュの訃報に関する情報にアクセスできたが、その頃には本読書ブログの更新をサボっていて記事にしなかったためにリンクを記録したり引用したりはできなかったのが痛恨だ。ベルメルシュもジェッリと同じくらいの長生きだった。関係ないが1918年生まれの中曽根康弘は101歳まで生きた。いくつかの諺が思い浮かぶ。

 以上、本作そのものよりその背景をメモした。作品自体には「冗長」との評価もあるし、清張の長篇の中でも特に「読まれていない」作品らしく、アマゾンカスタマーレビューもなく、読書メーターでも1件の感想文があるのみだ。

 しかし本作はなかなかの力作であって、70代半ばの清張にここまでの気力とスタミナが残っていたのかと驚嘆させられる。基本はカルビ頭取を追うジャーナリストにカトリック信者同士の男女の不倫関係が絡む物語で、物語の結末は決して甘っちょろくはないが、最後の一行が印象に残る。今年に入って大きな活字の光文社文庫版でリバイバルされたが、偶数頁(下巻586頁)で終わっているので、うっかり先に解説を読もうとしたらその隣に最後の一行が書かれているために、それを目にしないことが必要だ。またこれは本作に限らないが、作品名でネット検索をかけたりしない方が良い。ネタバレが書かれていることが多いからだ。幸い、私は危ういところでその失敗を免れた。ある時期に口述筆記を止めてからの清張作品は、口述筆記時代の作品と比較して読むのに時間がかかるため、どうしても途中で解説文を参照したくなる誘惑に駆られるのだ。光文社文庫版でいつも解説を書く山前氏は結末までは書かないので、途中まで読み進んだところで解説文をチラ見したくなる誘惑に駆られることがたまにあるが、本作では特にその頻度が多かった。そういう時には、本文の最終頁が目に入らないように隠しながら解説文の最初の頁を見ていた。それで正解だった。

 ただ一言書いておくと、山前氏の解説文の最後に「リリカルなエンディング」と書かれているのを先に読み、どんなエンディングなのだろうかと思いつつ読み進めていった。もう一言余分なことを書くと、最後にあいつが「ざまあ」な目に遭った。しかし……。

 これ以上は止めておく。

 そうそう、読み始めて早々の舞台はロンドンなのだが、こんなくだりが出てきた。以下引用する。

 

 八木正八は横通りを東へ進む。カーゾン通りは東西の道路ばかりではなく、途中から南北の道が数条に分れ、また東西に派生し、井桁になる如くにして歪み、袋小路に入る。

 夜だと、あたかも永井荷風の「濹東綺譚」に書かれた玉の井のように想像されもするが、そうでないのは玉の井が大正時代の新開地、カーゾン通りは十八世紀からの高級住宅地。まだその名残りが同じ区域内に品のいい商店街として、上流階級らしい婦人客の足を運ばせている。

 

松本清張『霧の会議』(上)(光文社文庫 2020)8頁)

 

 たまたま本作を読む直前に読んだのが、安岡章太郎の『私の濹東綺譚 増補新版』(中公文庫, 2019)*3だった。この中公文庫版では巻末に永井荷風の「濹東綺譚」が収録されている。こういう偶然は時々起きる。

 書き忘れていた。清張が読売に連載した小説としては、他に清張の代表作といわれる超有名な『砂の器』があった。『霧の会議』には、その『砂の器』に出てくる芸術家集団を思わせる集団が出てくる。その中には和賀英良を思わせる作曲家もいる。『砂の器』も長いが、この作品の頃には清張は確か口述筆記を行っていたはずで、おそろしく快速に読み進めることができた。ただ、『砂の器』はトリックに大きな問題があるのに対し、本作においてはトリックはさほど重要な要素ではない。知名度といい文体といい、両極端のような2つの作品だが、芸術家集団を描いている頃、清張は『砂の器』を書いていた多作期を懐かしく思い出していたに違いない。

 清張の後期作品に抵抗のないマニアにはおすすめの逸品。但し清張作品には珍しく、読み進めるのにかなり骨が折れる。