KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

松本清張に登山の手ほどきをした「登山家」と消息不明の山岳小説家・加藤薫はやはり別人の可能性が濃厚/id:peleboさんのコメントより

 今年の新型コロナウイルス感染症で「QOL」(Quolity of Life)が下がったと感じておられる方は少なくないだろう。私もその一人だ。

 在宅勤務では仕事にアクセス制限があって(テレワークなんか全然想定していなかった職場なのだ)なかなか進まなかったが、その分を取り返せと言われて仕事に追われていることもある。そして、年に何回か行っていた山にも行けずにいる。

 唐松岳から五竜岳鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳へと縦走して柏原新道を降りたのは5年前の秋だった。この縦走路には途中に八峰キレットという難所がある。私がキレット小屋に泊まった日にも、小屋に骨折の重傷を負った登山者が運ばれてきた。鹿島槍方面から五竜岳方面へと北進中に骨折したが、キレット核心部の梯子は自力で越えなければならなかったそうだ。骨折した状態で危険箇所の梯子を越えるとは、想像するだけでも恐ろしいが、おそらく「火事場の馬鹿力」で乗り切ったのだろう。

 松本清張の「遭難」を読んだのは、この後立山(うしろたてやま)連峰縦走から2年3か月ほど経った2017年12月だった。この作品について、このブログに2回記事を書いたことがある。実は、最初書いたのはWikipediaの誤った(と思われる)記載に基づいた推論を展開したため、それに引っ張られて自らも誤りを犯した恥ずかしい記事だった(下記リンク)。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 その後、清張の「遭難」と、前記記事で私が誤解した加藤薫という作家の同名の作品を含む4作を編んだアンソロジーがヤマケイ文庫から出た。この本を読んで、前の記事を訂正する良い機会だと思って、昨年4月に4回シリーズで記事を公開した。以下に第1回、第2回と最終回へのリンクを示す。最終回は「平成」最後の日だった昨年4月30日に公開した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

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kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 ところで、上記4件のエントリのすべてからリンクを張ったブログ記事があった。下記にリンクを示す。

 

 ブログ名は「直木賞のすべて 余聞と余分」で、上記エントリは2008年6月15日公開の「山岳ミステリー作家、プロ魂を発揮して、現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫『遭難』」。

 これはたいへん「すごい」としか言いようがないブログで、大いに勉強させていただいたものだ。上記4エントリのうち最初のエントリでは、記事を全文引用させていただいた。

 ところが先日、驚いたことに、弊ブログの上記4エントリのうち最後のエントリにコメントをいただいた。以下に引用する。

 

id:pelebo

 

はじめまして。
以前、自分のブログに「現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫「遭難」」というものを書いた
サイト「直木賞のすべて」を管理している者です。

先般、ヤマケイ文庫のアンソロジー『闇冥』に、加藤薫の「遭難」が収録されて、
私も飛び上がって喜んだ口ですが、
松本清張「遭難」との関連をさぐったkojitakenさんの記事を読み、
大変勉強になりました。


清張が鹿島槍のことを教えてもらった「登山家」とは、
加藤薫を指しているわけではない、と私も思います。


清張のエッセイ「灰色の皺」は、
初出の『オール讀物』昭和46年/1971年5月号では、
目次を見ると「推理特集 新実力派ベスト4」という枠のなかの、「特別読物」として掲載されています。
その「ベスト4」というのは、加藤薫、斎藤栄、久丸修、海渡英祐の4人のこと。
つまり、彼らの作品が載るのと同じ号のために書いた随筆なので、
「灰色の皺」では「本格派の新人」として4氏のことに触れられている、と見るのが自然です。
「遭難」のアドバイザーだった登山家と、加藤が同一人物と考えるのは、
かなり無理があるだろうと思います。


ちなみに加藤薫のデビュー作「アルプスに死す」が
オール讀物推理小説新人賞に選ばれたとき、
選考委員としてこれを推したひとりが、清張です。

選評の一部を、引いてみます。

「「アルプスに死す」は候補作品中の第一である。こういう佳作を得たのをよろこびたい。
 私などは登山の趣味がないだけに、文中のクライミングの描写には息をつめる思いでよんだ。拙作に鹿島槍登はんを題材にした「遭難」というのがあるが、あれは私のテーマに基づき、登山家に細部を調べてもらったのであって、作者自身はその登山家と鹿島槍の中腹にまで至らないうちに降りてしまった。」(『オール讀物』昭和44年/1969年9月号 松本清張選評「推理小説の真髄」より)

ということで清張は、加藤がデビューしたときの選評でも、自作の「遭難」と登山家のことに触れていますが、
これもやはり、登山家と、受賞者加藤薫が同一人物とは、とうてい考えづらい文章です。


長々と書いてしまって、すみませんでした。
加藤薫がその後どうなったのか、いつか判明する日がくればいいな、
と私も願っています。

 

 まさか、あのすごいブログを管理されており、私自身大いに勉強させていただいた方からコメントをいただくことになろうとは、夢にも思いませんでした。感激の極みです。

 それなのに私ときたら、せっかくコメントをいただきながら16日間も反応できなくて、誠に申し訳ありませんでした。

 加藤薫の「アルプスに死す」に対する清張の選評は、仰る通り「登山家と、受賞者加藤薫が同一人物とは、とうてい考えづらい文章」ですね。というより、この選評こそ「登山家」と加藤薫が別人であることを示す決定的な証拠であるように思えます。

 コメントどうもありがとうございました。深く感謝いたします。