KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

2020年6月に読んだ本:井上栄『感染症・増補版』、石井妙子『女帝 小池百合子』

 6月も本を2冊しか読めなかった。緊急事態宣言発令当時に安倍政権が言っていた7〜8割削減(すぐ「8割削減」に修正された)を4月以降の読書量で達成してしまったかのようなふがいなさだ。9年前の東日本大震災と東電原発事故の時にも本が読めなくなった時期があったが、同じような症状を呈した人が果たしておられるかどうか。

 

 一冊目は井上栄『感染症・増補版』(中公新書)。2006年に出た旧版が、緊急事態宣言が発令された今年4月に改訂された。

 

 新型コロナウイルスに関しては、増補版で新たに序文と補章が加えられただけで、その他は2006年の旧版のままだ。

 この本で笑ってしまったのは、日本語の発音に有気音がない、英語や中国語ではp, t, kのあとに母音がくると息が激しく吐き出されるが、日本語では同様の場合でも息を激しく吐き出さない無気音として発音される。だから飛沫が飛び散りにくいのだとの仮説を提起していることだ。著者はこの仮説を英国の医学雑誌に投稿したところ、イグ・ノーベル賞主宰者であるM.エイブラハムズ氏のコラムに取り上げられたのだそうだ(本書34-38頁)。この件は補章にも出てきて、村上春樹の『ノルウェイの森』を日本語の原文と英語訳及び中国語訳で読ませて風圧を測定したことが書かれている(同214-216頁)。

 なるほど、それでか、と思い出したのは、先月、TBSの「ひるおび」で放送されたという動画だった。これはTwitterで世界的に広められて、日本がバカにされたことでも話題になった。

 

 

 もっとも、上記Twitterの取り上げ方に対する批判もあった。

 

 

 上記ツイートに書かれた「大妻女子大名誉教授」こそ著者の井上栄氏であることはいうまでもない。同じツイート主の呟きをもう一件示す。

 

 

 まあ英語と同様に有気音がある中国では人口あたりの死亡者数が日本よりも少ないことを考えれば、著者・井上氏の主張がもっともらしいとは言えないと私も思う。

 ただ、著者はこの件が議論されるのは愉快だったとか、仮説はSARSには当てはまらないと考えているなどと、2006年の旧版当時と同じ内容と思われる第1章に書いていること付け加えておく。

 2011年の東日本大震災や東電原発事故の時もそうだったが、新型コロナウイルスに関する新書の類が多く刊行されるのはこれからだろう。そういう本を買って読みつつ、読書の習慣が戻ってくるのだろうなと思っている。

 

 今月読んだもう1冊の本は、例の都知事選候補を描いた石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)だ。

 

books.bunshun.jp

 

 正直言って、3年前の小池が「排除」発言を発する2か月前に、奴が民進党内の「リベラル派」を排除するであろうとブログで正確に予測した*1私にとっては、読み返して改めて腹が立ったり、小池の冷酷非情さはここまで徹底していたのかと思ったり、小沢一郎が借りてきた猫のように小池に手なずけられたあげくにあっさり噛まれて悄然とするさまに呆れたりはしたものの、大きな発見のある本とまではいえなかった*2

 だが、私がしばしば批判する、「小池百合子民進党の連携にちょっとワクワクした」ことがある人や、下記のツイートを発するような人にこそ、是非読んでもらいたい本だとは思った。

 下記ツイートは、読売新聞の調査で立憲民主党支持層の4割が都知事選候補のうち小池百合子を支持していると報じた件に関して呟かれたものだ。

 

 

 えっ、「特に失点もない」って? まさか。失点だらけじゃないか!!

 

 以下、「女帝」本の終章から引用する。

 

 彼女はオリンピックにこだわり、自分が再選を果たせるかだけを気にし、新型コロナウイルス対策を軽視した。東京都が備蓄する防護服約三十万着を、自民党の二階幹事長の指示のもと、中国に寄付した。しかも、決裁の手順を無視し、記録を正確に残さぬ形で。

 オリンピックの延期が決まり、自民党が二〇二〇年七月の都知事選に対抗馬を立てず、彼女は一切、表に出ず、まったく方針を打ち出さなかった。東京都のコロナウイルス感染拡大への初期対応は、その結果、遅れた。

 しかし、安倍から再選の確約を得たとされるや途端に一転し、今度は危機のリーダーを演じようとし、記者会見とテレビ出演を重ねて「強いリーダー」を演じている。

 安倍への批判を自分への支持へとすり替え、この国家の危機に乗じて、自分が総理になる道を計算し始めたように見える。だからこそ、彼女は強い言葉を発して、自分を印象づけようとし、「ロックダウン」と口走ったのだろう。かつて、都知事には権限がないにもかかわらず、「都議会冒頭解散」と叫んだように。

 コロナ禍が拡大しても国の責任にすれば済むだろうか。だが、対応策を打ち出す知事もいた中で東京都は出遅れ、医療崩壊を招くリスクが高まったことは事実だ。小池の出演する都庁のコロナ対策CMが盛んに流される。コロナ禍を利用し、彼女は自分の政治的野望を果たそうとしている、との批判もある。

 

石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋,2020)414-415頁)

 

 正直言って、上記の文章にも引っかかるところはある。たとえば、「対応策を打ち出す知事もいた」とあるが、誰のことなのか。著者が想定していたのが大村秀章であればまだ良いが、まさか吉村洋文じゃなかろうな、などなど。大村が指摘した通り、(日本では感染拡大に至らなかったにもかかわらず)東京都と大阪府では医療崩壊が起きたと言っても過言ではない。単に吉村には五輪の縛りがない分豹変が小池よりわずかに早かっただけで、それまでの大阪維新の会による府政・市政のせいで大阪で医療崩壊を起こした責任はきわめて重い。

 ただ、そうした気になる点があるとはいえ、著者の小池批判は大筋としては正しいと私は思う。私には、「安倍から再選の確約をもらった」ことより、東京五輪延期が本決まりとなって初めて、小池が「コロナと戦うリーダー」の演技を始めたように見えたが、感染者数増加のデータから見て、小池が豹変した時期は、確かに遅きに失した。私は、小池を安倍晋三ともども、コロナ禍を拡大させたA級戦犯だとみなしている。単に首相の安倍晋三が、小池が豹変した段階になってもまだ経産省の意向を気にして対策にブレーキをかけ気味だった醜態を、小池にうまく突かれただけだ。著者が指摘する通り、小池が、よりひどい醜態を晒した安倍に全責任を押しつけたに過ぎない。しかし、このことを見抜くことができなかった人たちが多かったためだろう、コロナ禍によって都知事・小池の支持率は20ポイントほども跳ね上がった。

 コロナ禍に限らず、築地市場豊洲移転問題など、小池都政には失点続きであることがいうまでもない。前記ツイートへのリプライとして呟かれた下記ツイートが指摘する通りだ。

 

 

 来週行われる都知事選の投開票で小池が圧勝することはもはや疑う余地はないが、そんな今だからこそ、かつて小池に「ワクワク」したり、今また「小池知事には特に失点がない」などと言ったりいる人にこそ、本書を読んでもらいたいと強く願う。

 こう書いたところで、どうせ読んではもらえないだろうとは思うけれども。

*1:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20170802/1501632632

*2:ただ、石原慎太郎都知事選再選を果たした2003年に、今回と同じようにいずれもハードカバー本で読んだ斉藤貴男の『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』(岩波書店)と佐野眞一の『てっぺん野郎 本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社)の2冊よりは文句なく良かった。

2020年5月に読んだ本:今野勉『宮沢賢治の真実 - 修羅を生きた詩人』など

 月の大半が緊急事態宣言下にあった5月は、4月よりもさらに読書量が減り、読了した本は新潮文庫のノンフィクション2冊のみ。マーカス・デュ・ソートイ著、冨永星訳の『素数の音楽』(2013,原著2000)と、今野勉宮沢賢治の真実 - 修羅を生きた詩人』(2020, 単行本初出2017)。

 

www.shinchosha.co.jp

 

www.shinchosha.co.jp

 

 2冊とも、本の後半になるほど引き込まれていく、良質のノンフィクションだと思う。残念ながら『素数の音楽』の方は読み終えてからかなりの時間が経って記事が書きにくくなっているので、ここでは『宮沢賢治の真実』に絞る。

 

 宮沢賢治の童話を最初にまとめて読んだのは、もう40年以上前に中学を卒業して高校に入る前の春休みだった。岩波文庫で『風の又三郎』と『銀河鉄道の夜』を読んだ。松本零士原作のアニメ『銀河鉄道999』の放送は当時はまだ始まっていなかった。今もその岩波文庫は手元にあるが、2冊とも1951年の初版で『銀河鉄道の夜』が1966年の第18刷改版で私が買ったのは1975年の第29刷、『風の又三郎』が1967年の第24刷改版で私が買ったのは1976年の第34刷だった。この増刷のペースを見ると、1950年代から60年代半ばにかけては『風の又三郎』の方が人気があったが、60年代半ばから70年代半ばにかけての時期に『銀河鉄道の夜』が『風の又三郎』の人気に並んだか、抜きつつあったと思われる(その後の新潮文庫版の新編では、両者の人気は完全に逆転する)。

 自然科学や人文科学に深い関心を寄せた賢治の童話に、私は強く惹かれた。人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが、食糧供給は算術級数的にしか増加しないというマルサスの『人口論』は、賢治の童話で知ったと記憶する。現在言われる「新型コロナウイルス感染症は、人と人との接触を制限しなければ指数関数的に増加するが、検査数は一次関数的にしか増えない」という話を連想させる。今でも一次関数と二次関数の区別がつかない「論客」は賢治の童話を読むべきかもしれない。もっとも今では先進国の人口減の方が問題になっているが(特に日本はその先端を切っている)。

 その後、新潮文庫筑摩書房版の『新修 宮沢賢治全集』(1979-80, 全16巻)を底本として賢治の童話の文庫版を再編したのが80年代末で、私は1994年から2004年にかけて新潮文庫から出ている文庫本5冊をすべて買って読んだ。この新潮文庫版はすべて筑摩書房版全集の編集にも関わった詩人の天沢退二郎が編集している。最初に買ったのが『新編 銀河鉄道の夜』で、表題作は賢治が晩年に改訂した「第四次稿」によるものだ。中身は岩波文庫版とずいぶん違うが、一番違うのは童話の最後に出てきて教訓を垂れる「ブルカニロ博士」が完全に姿を消してしまうことだ。岩波文庫版は筑摩書房がしっかりした考証に基づく『校本 宮沢賢治全集』(全14巻)を出した1973-77年よりも早く編集されているので考証はいい加減で、第何次稿などの注釈もない。但し、哲学者の谷川徹三(1895-1989)が賢治の弟・宮沢清六の意見を参考にしながら独自の版を作り上げたことが、谷川による文庫本の解説文に記されている。

 この本を買った頃、私は多忙のピークにあり、暇を見て少しずつ読んでいったが、全部を読み終えないうちの翌年2月に大病を患った。その後の回復期にはしばらくの間自由時間が比較的多くなったので残りを読み始めると18年ぶりくらいにはまってしまい、『新編 風の又三郎』、『注文の多い料理店』を続けて読んだ。さらに1996年に『新編 宮沢賢治詩集』も読んだが、詩を解する能力が貧弱極まりない私でさえ、「永訣の朝」など賢治の妹・トシの死に際して書かれた一連の詩には強い感銘を受けた。「永訣の朝」は新横浜から岡山に向かう新幹線の中で読んだ記憶がある。

 さらにその後、賢治の批判的評伝である吉田司の『宮沢賢治殺人事件』(文春文庫, 2002)を読んで賢治への関心が呼び覚まされ、新潮文庫の残り1冊である『ポラーノの広場』を読んだ。この文庫本には神戸・三宮のジュンク堂書店の2004年5月30日の日付のあるレシートが挟まっているから、四国・高松からおそらく高速バスで神戸に出掛けた時に買ったものだ。この文庫本には『銀河鉄道の夜』の第3次稿や『風の又三郎』の初期稿である『風野又三郎』などが収録されている。

 だから私は、『銀河鉄道の夜』は谷川徹三らが編集した岩波文庫版と天沢退二郎らが編集した第4次稿と第3次稿の3種類を読んでいた。今野勉の『宮沢賢治童話集』は、その「銀河鉄道の夜」の謎解きを最後の第7章とそれに続く終章に持ってきて、そのクライマックスに向かって盛り上げていく。著者は1936年生まれ、最初TBSに入社し、30代半ばの1970年にテレビマンユニオン創設に参加したテレビマンで、高齢になってからも賢治の足跡を追って東北地方を飛び回るバイタリティには驚かされる。そして驚くべき結論に達することになる。

 第一私は賢治の妹・トシ(本書では「とし子」と表記されている)の悲恋も、賢治が同性に恋い焦がれていたらしいことも全然知らなかった。後者について著者が紹介しているのは菅原千恵子が1994年に宝島社から出版した賢治の評伝で、これは調べたところ1997年に角川文庫入りしていた。

 

www.kadokawa.co.jp

 

 この本は未読だが、この本と『宮沢賢治の真実』の両方を読んだ読者の感想文が「読書メーター」に載っていたので、抜粋して引用する。

 

bookmeter.com

 

(前略)こないだ読んだ菅原さんの本では賢治は悲恋物語の王子様のイメージだったが、この本ではほぼストーカーでしかもこっちが実態に近そうなので驚いた。でも失恋後は自分を受け入れながらも変わっていって。小岩井農場の心象スケッチでは思わず涙がこぼれた。その寂しさ孤独がしみてきた。透明な軌道を進む人。その決意に心打たれた。こないだ読んだ菅原さんの本では賢治は悲恋物語の王子様のイメージだったが、この本ではほぼストーカーでしかもこっちが実態に近そうなので驚いた。でも失恋後は自分を受け入れながらも変わっていって。小岩井農場の心象スケッチでは思わず涙がこぼれた。その寂しさ孤独がしみてきた。透明な軌道を進む人。その決意に心打たれた。この本からは著者の人生をかけた賢治への情熱を感じた。その源泉はなんだろうと考えたら、やはり青春の思い出なんじゃないかと。出会うタイミングは大事だね。

 

出典:https://bookmeter.com/reviews/79044082

 

 そう、著者の執念は本当にすさまじいのだ。放送人が書いた本では、昔読んだ朝日放送ディレクター・松本修の『全国アホバカ分布考』(新潮文庫, 1996)も凄かったが、それをも上回るかもしれない。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 松本修にせよ今野勉にせよ、彼らの推理がどのくらい正鵠を射ているかどうかはわからないが、かなりいい線は行っていると思う。今野の『宮沢賢治の真実』についていえば、本を読み終えたあと『新編 銀河鉄道の夜』や『新編 宮沢賢治詩集』の頁をめくってみると、著者の解釈がよく当てはまっていると感じられる箇所が少なくないのだ。

 とりわけクライマックスである「銀河鉄道の夜」の解釈は圧巻だ。新潮文庫版の『新編 銀河鉄道の夜』の冒頭に「双子の星」が収録されていて、「銀河鉄道の夜」は文庫本の中程にあるから、「銀河鉄道の夜」に「双子の星」からの引用が含まれていることには1994年にこの文庫本を読んだ時に気づいたが、「双子の星」と同じ、チュンセとポウセが出てくる童話は賢治はもう一篇書いていた。それには「手紙四」という素っ気ないタイトルがついていて(というよりタイトルがないというべきか)、天沢退二郎による新潮文庫版の解説文には下記のように書かれている。

 

(前略)ここでは、チュンセ童子とポウセ童子という双子の主人公は、性別もさだかではなく、両性的というより前性的であり、名こそ異なれ、性格等に差異もほとんどない、全く未分化な双子性と無罪性のうちに保護されている。のちの「手紙四」では、チュンセは男の子、ポウセ(ポーセ=引用者註)はその妹というように分化し、妹を亡ったチュンセは蛙を惨殺したりするようになるし(後略)

 

宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫1989, 1994年6月5日発行第13版) p.341-342;天沢退二郎による解説文より)

 

 「手紙四」は新潮文庫版の童話集全4冊でも、もちろん岩波文庫版の2冊でも読めない(はず)だから、私は読んだことがない。しかし賢治はどうやら「銀河鉄道の夜」ではこの一篇にも暗に言及していたらしいのだ。著者が指摘する通り、タイタニック号の沈没事故で犠牲になったらしい姉弟のうち弟が「それから彗星(ほうきぼし)がギーギーフーギーギーフーと云って来たねえ。」と、「双子の星」に出てきた印象的なオノマトペ*1を口にしたのに対し、姉が「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」と言っているから、著者の推理には説得力がある。そして「手紙四」の方では妹を亡って蛙を惨殺したチュンセが賢治に、亡くなった妹ポウセにトシがそれぞれなぞらえられていることは間違いないだろう。それでは「双子の星」の方はといえば、ネタバレを避けるためにぼかした書き方にするが、こちらは著者の推理が合っているかどうか私には判断がつきかねる。合っているかもしれないが間違っているかもしれないと思う。

 だが、また賢治作品を読み返したり、未読の賢治作品を読んだりしてみるか、という気にはさせてくれる。

 そうそう、本書で良かったのは、最晩年の賢治が極右人士である田中智学との訣別を告げる文語詩を作っていたことを知ることができたことだった。

 田中智学といえば「八紘一宇」なるスローガンの生みの親だったり、平沼赳夫が信奉していた「アインシュタインの(偽)予言」の源流だったりする、とんでもない野郎だったのだ。そんな人に宮沢賢治が心酔したのは、賢治最大の誤りだったのではなかろうか。

 「銀河鉄道の夜」の第4次稿の結末からブルカニロ博士がきれいさっぱり消されたのも、智学との訣別と関係しているのではなかろうか。

 「宮沢賢治の真実」は、本自体も抜群に面白いけれども、宮沢賢治への関心を改めてかき立ててくれたことも大きな収穫だった。

 来月こそもう少し本を読むことにしたいものだ。

*1:「双子の星」では「ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」と表記されている。

2020年4月に読んだ本:武田百合子『富士日記』など

 緊急事態宣言が発令された4月は、2011年5月以来の読書量の少ない月になってしまった。武田百合子(1925-1993)の『富士日記』(中公文庫の全3冊, 2019年新版)の中巻下巻、その関連書籍である中央公論新社『富士日記を読む』(中公文庫, 2019)、それに西東三鬼(1900-1962)という俳人が書いた『神戸・続神戸』新潮文庫, 2019)の3タイトル4冊。大半の日々は『富士日記』をちょっとずつ読みながら、新型コロナウイルスのニュースが入ってないかとネットを見る繰り返しだった。在宅勤務の日が増えたが、この在宅勤務というのも私の場合は出社して仕事をする以上に気疲れした。そして数少ない出勤日にはこなさなければならない仕事量が多いのでへとへとに疲れた。出勤日には本を読む気力など全く起きず、下手したら夜のテレビのニュースもまともに見ない日もあった。

 東京の神田・神保町の喫茶店「らんぼお」(現ミロンガ・ヌオーバ)のウェイトレスを務めていた鈴木百合子が13歳年上の作家・武田泰淳(1912-1976)と知り合い結ばれたのは戦後すぐのことだそうだ。神保町にはよく行くが(現在は三省堂書店が緊急事態宣言発令以来ずっと閉店中で、東京堂書店も土日と祝日は店を閉めているから行かないが)、あのあたりの昔の文士たちのたまり場だった喫茶店(というより「らんぼお」などは実質的に飲み屋だったそうだが)には入ったことがない。なんとなく近寄り難い。

 『富士日記』というのは不思議な書物で、全編が「食」と「死」に満ち溢れている。日記が書かれているのは、武田泰淳・百合子夫妻と、場合によっては娘の花、それにペット(最初は犬のポコ、終わりの方では猫のタマ)が富士山北麓の山荘を訪れた日に限られていて飛び飛びなのだが、まず東京の自宅と山荘との間の高速道路で、これでもかこれでもかというほど交通事故が起き、人が死にまくる。愛犬のポコも中巻で死ぬ。泰淳の文士仲間だった梅崎春生(1915-1965)は上巻で死に、最後には泰淳自身が死の床につく。

 また大岡昇平(1909-1988)夫妻との交流も描かれているが、泰淳が死の床についた1976年に大岡昇平にも心臓弁膜症が発見され、日記が終わった翌年の1977年には病状が悪化する。しかし大岡は1988年12月、昭和天皇が翌年1月に死ぬ直前まで生き延びた。

 日記の上巻は梅崎春生の死、中巻は愛犬・ポコの死、そして下巻は徐々に死の影が忍び寄る泰淳の衰えが特に印象に残る。

 上巻の口絵で武田夫妻に猫のペットがいる写真があったので、これは日記の途中でポコが死ぬんだろうなとは想像がついた。しかも、ポコという犬は、びっこを引いてなかなか治らなかったり、がんの治療のために山荘に連れて行ってもらえないことがあったりと病弱そうだったので、老犬なのかなと想像していた。

 ポコが死ぬという予想は当たったが、ポコの年齢と死に方の想像は大外れだった。梅崎春生の三回忌を翌日に控えた1967年7月18日*1にポコが死んだ時にはまだ6歳だった。死因は病死ではなく不慮の事故死で、それも相当に悲惨な死に方だった。著者は大声で泣き続けた。「工事の男女が〈三、四日前石の仕事で外にいたとき、風の具合で女の泣き声がずい分と永い間聞えてきて怖かった〉と話し合っているそばを急いで通りすぎる。」*2と著者自身が書いているが、悪いけれど笑ってしまった。こういう自虐的なユーモアもこの日記にはある。

 隣人の大岡昇平が慰めに来る。生前のポコは大岡が来るたびに吠えまくった。大岡夫妻の愛犬・デデがすぐに武田夫妻になついたのとは対照的で、大岡が来るとポコは風呂場に閉じ込められたりしていたのだった。大岡家ではずっと犬を飼っていたので「いろいろな死に目に遭ったのだ」*3。その中には、やはりずいぶん悲惨な形で不慮の死を遂げた犬がいた。というより、日記では先にその大岡の愛犬の死に方が書かれ、あとからポコの死に方が書かれている。どちらがよりむごいともいいかねる死に方だ。

 ポコの死のショックが冷めやらない武田夫妻は、大岡に愛犬の死の数々を語ってくれとねだる。以下『富士日記』から引用する。

 

 大岡さんは、そのほかにも、犬の死に方のいろいろを話された。そして急に「おいおい。もうこの位話せばいいだろ。少しは気が休まったか」と帰り出しそうにされた。「まだまだ。もう少し」。主人と私は頼んだ。大岡さんは仕方なく、また腰かけて、思い出すようにして、もう一つ、犬の死ぬ話をして帰られた。門まで送ってゆくと、しとしととした雨。夜は、釜あげうどんを食べた。(1967年7月19日*4

 

 引用文の最後に夕食への言及があるが、献立が必ず出てくるのがこの日記の特徴だ。

 ポコの死んだ時の様子が書かれるのは、ようやく翌20日の日記である。この部分は『富士日記を読む』でも複数の論者が引用している、全巻でも特に印象に残る箇所だが、引用は省略する。読者から読書の楽しみを取り上げたくないからである。直接本を読んで味わうのが一番だ。

 なお、この頃の大岡昇平夫妻の愛犬はデデではなくその前の飼い犬で、ポコの後を追うかのように同年8月13日に「ヒラリヤ」(フィラリア)で死んだ。ポコが死んだあと3年間ペットを飼わなかった武田夫妻とは対照的に、大岡夫妻は翌年には次の犬を飼っている。1968年6月1日の日記に、「コッカースパニエルの六カ月の子供が来ている。私に喜んでとびつく。よその人が大好きな犬なのだそうである」*5とある。この犬がデデだが、日記の終わり頃の1976年には耳の手術を受けた老犬になっていて、「今年の夏でデデも終りだよ」*6と飼い主の大岡昇平に言われてしまう。その大岡は、「『俺もあと五年だな。五年だということが判った』と元気よく言われる」*7。しかし前述のように大岡はこの言葉を発してから12年生きた。デデは「この夏で終り」ではなかったようだが、翌年あたりに死んでしまった。10歳になるかならないかであって、ネット検索をかけると犬の寿命は10-13歳とあるから、長命の部類ではなかった。一方、大岡昇平の79歳というのは、文士にしては長命だったかもしれない。武田泰淳は64歳で死んだし、梅崎春生は50歳で死んだ。武田も梅崎も大酒飲みだったが、大岡もそうだったはずだ。そういえば大江健三郎も大酒飲みで、現在はアル中が進んでもう新作は発表できないだろうと言われているそうだが、生きている。1935年1月生まれだったはずだから現在85歳だ。

 武田泰淳は、ポコの死も作中に取り入れたという大作『富士』を書き始めた1969年から酒量が増え、71年末には脳血栓に倒れた。再び『富士日記』から引用する。下記は1977年に雑誌に掲載される前に追記されたものだ。

 

[附記] このあと(昭和*8)五十一年夏になるまで、日記はつけていない。

 四十四年の夏の月終りから、武田は「富士」を書きはじめた。酒量があがった。それまでは酒屋へ缶ビール、瓶ビールを買いに行くことが多かったのが、ウイスキー、ブランデー、焼酎、ぶどう酒、様々な種類の酒を買いに行くようになった。若いときとはちがうのだから、いい酒を選んで、それだけを飲む方が体にいいと人からいわれても、うなずくだけで聞き流していた。胸の中では頑に首を振っていたのかもしれない。「いい酒のあと、安酒を飲む。がくんと酔い方がまるでちがう。その落差がいいんだ」と言った。四十六年に患ったあと、武田は原稿を書く仕事をしばらく休んだ。時たま対談に出るだけだった。この病気に山の寒さはよくないので、晩春から秋のはじめまでを山で暮すようになった。面倒くさがりで、私で済む仕事は私にさせていた人だったが、「富士」を書きはじめたころから病後は、ことさら、雑事を私に任せきった。このころから日記は短くて、大きな字だ。とびとびにつけたりしている。忙しくくたびれて、日記をつけるのが面倒くさくなったのだ。(1974年7月14日の日記への付記*9

 

 かくして、1974年7月から約2年間の日記は空白で、そこから泰淳最後の年である1976年まで日記は飛んでいる。大岡昇平が「今年の夏でデデも終わりだな」とか「俺もあと五年だな」などの言葉を発したのも泰淳終焉の2か月前の1976年8月だ。泰淳は「どうして大岡はそう次から次へと病気が見つかるのかなあ。群がり起るという感じだなあ。俺みたいに脳血栓一本槍にきめとけばいいのに」*10と言ったが、既にこの頃、自らが胃がんから転移した肝臓がんに侵されていたのだった。

 8月13日夜には庄司薫中村紘子夫妻が武田山荘を訪ねてくる。中村の演奏会への誘いを断った著者は書く。「また来年ね、といって車を見送る。来年、変らずに元気でここに来ているだろうか。そのことは思わないで、毎日毎日暮すのだ。富士山の灯、頂上まで続いて見える」*11。著者にはもう、夫の死の予感が兆していた。

 過剰な飲酒が泰淳の寿命を縮めたことは間違いないように思われるが、どうせ酒で死ぬんだったらジョニ黒を持って*12武田山荘に現れた大岡昇平のようにもっとマシな酒を飲めば良かったのに、泰淳ときたら飲むウイスキーは1本500円のサントリーレッドだったのだ。

 以上、愛犬・ポコの死と泰淳の死を中心に書いたが、読んだ時は、中巻の帯に「愛犬ポコの死」とあったのでその部分から読んだ。また下巻は、最後に泰淳の死が来ることはわかっていたので、武田夫妻が最後に山荘を去った1976年9月9日以降の日記と、その年間の空白が生じる直前の「附記」(前述の引用部分)から先に読んだ。だから、著者の買う酒に、それまでのビール一本槍からサントリーレッドなどの安酒が混じり始めるのがわかったし、徐々に泰淳の死が迫ってくるあたりの日記には胸を突かれた。

 そんな中で大いなる救いは、大岡昇平のおなじみのミーハーな音楽の趣味だったので、最後にその部分に触れる。

 まず、1970年7月20日の日記によると、当時の大岡は「フォーリーブスの大ファンで、テレビは欠かさず見、レコードも買い、ゴシップも沢山知っている」*13。大岡夫人によるとその前には九重佑三子のファン(?)だったそうだ。初代『コメットさん』は見ていたのだろうか(私は再放送で見た。二代目は大場久美子)。

 その一方で、呼ばれて大岡夫妻の山荘に行くと、「ワグナーのレコードと新しいステレオと新しいカラーテレビを大岡は見せたくて仕方がないんです」*14と大岡夫人に言われる。あれ、大岡昇平は「音楽はモーツァルトさえあればそれでいい」という人で、「ワグナーは性交音楽」*15というのが持論なんじゃなかったっけ、と笑ってしまった。武田泰淳大岡昇平から借りたワーグナーのレコードは「ニーベルングの指輪」だが、翌日に武田家のステレオで聴くと「蓄音器がわるいせいか、まるで音がちがう。うちの蓄音器だと下品な音がする。女の人が歌うところを台所できいていると、民謡のおばさんの声のようなけたたましい声にきこえる。昨日はこんな声ではなかったのに。タマはワグナーがかかったら外へ飛び出ていった。怒られているように思ったらしい」*16。このくだりにも笑ってしまった。

 笑いもあるけれども死の影も濃厚にある。緊急事態宣言の日々に読むには良い本だったかもしれない。

 『富士日記を読む』も良い副読本。「足が短いチビ犬」だったというポコの写真も1枚だけあって、武田泰淳がポコを抱いている。ただこちらはタイミングがあまり良くなく、さるミュージシャンにただ乗りした某現代日本の政治家であるところの唾棄すべき人間を連想してしまった。泰淳にとっては良い迷惑だろう。

 今月もう1冊読んだ西東三鬼の『神戸・続神戸』は、帯に「森見登美彦氏、賛嘆! 戦時下の神戸に、幻のように出現する『千一夜物語』の世界」とある。著者は1942年から48年まで神戸に住んだ。敗戦を挟んだ6年間。この本もこの時期に読むのに適しているかもしれない。著者の西東三鬼は新興俳句運動に力を注いだために1940年に「京大俳句事件」で検挙されたため、一時句作を止めて神戸に転居したのだった。

 来月は、もう少し本が読めるだろうか。緊急事態宣言はあと1か月程度続きそうだが、新型コロナウイルス感染症で新たに確認される陽性者はやや減少傾向に転じた。

*1:著者は年数の大部分を元号で記録しているが、この記事では引用文を除いて西暦に換算して書いた。

*2:中公文庫2019年新版・中巻148頁

*3:同144頁

*4:同144頁

*5:同304頁

*6:同下巻381頁

*7:同381頁

*8:引用者註。この日記が書かれた頃の習慣として、年数は元号で表記されるが、「昭和」は省略されることが多かった。単に「五十一年」と書かれている場合、それは昭和51年、つまり1976年を意味する。

*9:同355-356頁

*10:同381頁

*11:同386頁

*12:同204頁

*13:同187頁

*14:同271-272頁

*15:トリスタンとイゾルデ」を評した言葉だったはず。まあそれはそうだろうと思う。

*16:同273頁

2020年3月に読んだ本

 新型コロナウイルスのニュースに振り回された3月は、先週の火曜日(24日)までがやたら納期に迫られた仕事が続いてかなり疲れた。この2つの要因によって、読んだ本の数が減り、数少ない本も軽いものが多くなった。思い出せば2011年の3月は、11日以降本を読む気が全く起きなくなり、読書記録にかなり長い空白が生じた。その時よりはまだマシではある。

 

 今月はまず吉田秀和の『ブラームス』(河出文庫)を読んだ。

 

www.kawade.co.jp

 

 ことに『ステレオ芸術』誌に連載された、「ブラームス」とタイトルもそのものずばりの大作曲家の一代記が読ませた。作品10のピアノのための「バラード」(全4曲)の第1曲はブラームスの「父親殺し」であって、この音楽で殺された父親は先輩の大作曲家であるローベルト・シューマンだというくだりは特に強い印象を残す。私はこのくだりを、グレン・グールドの同局の演奏を聴きながら読んだ。

 ただ、吉田秀和の楽曲分析にはかなり基本的な誤りが含まれる。吉田の本領は文学的な解釈にあって、音楽学者的な分析にはかなり問題があるというのが読後感だ。何しろ、長三度と短三度を間違えているなど、素人の私にわかるくらいの初歩的な誤りなのだ。だが、ここ数年遅まきながらも文学に接するようになってやっとこさわかったのだが、吉田秀和の文学的才能は大したもので、だから去年読んだマーラーにしてもこのブラームスにしても、作曲家の一代記が実に面白いのだ。

 この本については、時間があればこのブログでもっと詳細に記事を書いてみたい。

 

 新型コロナや多忙な仕事のストレス解消のための手段としては、先月亡くなった野村克也が「週刊朝日」に連載した「野村克也の目」(1981~86年)のうち、最初の4年間が朝日文庫から再刊された下記の4冊を読んだ。

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

 ただ、野村克也はこの連載を自分で書いてはいない。野村の発した言葉を再構成したのは朝日新聞社に籍を置く「週刊朝日」の記者だった。ことに最初の2年を担当した川村二郎の文章が出色で、丸谷才一が絶賛していたりする。このあたりもいつか改めて書いてみたい。ただ、近年の河村氏は、野村克也ともども極右の世界にかなりどっぷり浸かってしまったようで、そのあたりは残念だ。

 なお、野村克也とは対照的に自分で文章を書いたのは、元西鉄ライオンズの名選手だった故豊田泰光だ。まことに対照的な2人の文章は、80年代には毎週週刊誌で立ち読みしていたものだが、二人とも逝ってしまった。

 

 その他に読んだ本。

 佐藤正午の「岩波文庫的」(この「的」には読み終える直前まで気づかなかった)な装丁の『月の満ち欠け』も、フラストレーション解消には良かった。なんでも、岩波書店から出た本としては初めての直木賞受賞作とのこと。

 

www.iwanami.co.jp

 

 昨年、中公文庫から「新版」が出た武田百合子の『富士日記』は上中下の3冊を買ったが、うち上巻のみ読了した。上巻の後半で、大岡昇平が隣人として出てくる。このことがこの分厚い3冊を買ったきっかけだった。大岡は上巻の巻末エッセイも書いている。

富士日記(上)|文庫|中央公論新社

 

 3月初めに図書館の書架に立ち入りできなくなる直前に借りたのが下記カフカ小説全集のうちの1冊。下記リンクは2001年に出たハードカバー版だが、2006年刊の白水Uブックス版で読んだ。順序としては、これが3月最初に読んだ本だった。今だったらカフカを読む気など起きない。現実の方がよほど不条理に満ちているからだ。

万里の長城ほか - 白水社

 

 来月は果たして、腰を据えて本を読む気が起きるだろうか。今月は後半に、今後強いられるかもしれない籠城生活に備えて、都内の何か所かの大書店で、ある程度本を買い込んだ。「これは不要不急の外出かもしれないな」と思いながら。

2020年2月に読んだ本:宮田光雄『ボンヘッファー - 反ナチ抵抗者の生涯と思想』(岩波現代文庫)など

 2月は忙しく、かつ新型コロナウイルスのニュースに気を取られることも多かったので読んだ本は7冊と少ない。

 今月の1冊は、表題にした宮田光雄『ボンヘッファー - 反ナチ抵抗者の生涯と思想』(岩波現代文庫, 2019)に尽きる。1995年に刊行された岩波セミナーブックスを加筆・修正したものとのこと。著者の宮田光雄さんは1928年生まれで、90歳を超えてなおこのボリュームの本を加筆・修正されたことにまず頭が下がる。

 

www.iwanami.co.jp

 

 私がボンヘッファーの名前を知ったのは2002年で、最上敏樹『人道的介入』(岩波新書, 2001)の初めの方に出てきて強い印象を受けた。

 

www.iwanami.co.jp

 

 最近では、昨年(2019年)、醍醐聡氏のツイートに何度かボンヘッファーの名前が出てきた。下記に一例を示す。

 

 

 蛇足ながら、上記ツイート中「ボンフェッハー」は「ボンヘッファー」、「橋下」は「橋本」のそれぞれ誤表記。

 

 さて宮田光雄の岩波現代文庫ボンヘッファー』だが、キリスト教の神学の話など難解な部分も多い。しかしそれだけに読み終えた時の充実感も得られる。本の終わりの方にあるボンヘッファーによる日本の天皇制批判など、まことに興味深いが、その部分だけ先に読んでも十分な理解は得られないのではないか。わかりにくい、あるいはわからない部分も多いなりに丹念に読んで、最後にボンヘッファーによる天皇制批判に触れた第8章を読んで、ようやく理解の手掛かりが少しは得られたように思われた。なお、ボンヘッファーによる天皇制批判の要約等は時間の都合で省略する。時間ができた時に新たなエントリを起こして紹介できれば良いとは思うが、今のところその目処は立たない。

 この本を読んでいた頃(2月13~18日)、夜のニュースやネットに出てくる、安倍晋三山本太郎や彼らを信奉する「信者」だのの言動や言説に接すると、そのあまりの落差に目がくらむ思いだった。彼ら、ことに安倍晋三とその信者(いわゆるネトウヨ)の低劣さは天皇制どころの話ではない。

 彼らは論外として、近年天皇制に容認的な人がずいぶん増えたリベラル・左派の人たちには、是非この本を読んでいただきたいと思う。

 

 他に読んだ本。白水uブックスフランツ・カフカ池内紀・訳)『断食芸人』。これでカフカの生前に発表された短篇と中篇はすべて読んだことになるらしい。

 また星野智幸の古い小説を3冊読んだ。『虹とクロエの物語』(河出書房新社, 2006)、『植物診断室』(文芸春秋, 2007)、『水族』(岩波書店, 2009)。この中では小野田維のカラー挿絵が多数挿入された『水族』が、ちょっと星新一的なテイストもあって印象に残った。また『植物診断室』は芥川賞候補作で落選したが、星野はこれを最後に新人に与えられる賞に応募するのは止めたらしい(既に中堅作家になったため)。星野は早大一文卒だったと思うが、アンチ村上春樹であることは『虹とクロエの物語』を読んでもわかる。

 その村上春樹川上未映子の対談本『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫, 2019)も読んだ。『騎士団長殺し』をめぐる話題が多い。

 最後は高杉良の『小説会社再建』(講談社文庫, 2008)。初出は『太陽を、つかむ男 - 坪内寿夫』(角川書店, 1985)で、高杉良がまだ40代だった頃に、来島どっく社長にして、佐世保重工社長にもなって同社の再建に乗り出した坪内寿夫を礼賛した企業小説。

 正直言って、この本のような経営者を主人公とした企業小説には、どうしても限界を感じてしまう。それとものちにはリベラル色を強めた高杉良も、80年代当時はこういうスタンスだった。なにしろ高杉には、現在では悪名高いワタミ創業者の渡邉美樹(2013年から昨年まで自民党参院議員)を礼賛した著書も2冊あったりする。

 『小説会社再建』は、今までに何冊か読んだ高杉の小説の中では、共感できるところがもっとも少なかった。もっとも、坪内と対立した佐世保重工労組(労愛会)の国竹七郎もとんでもない人物だったようだ。同盟(旧民社党系)の労組でありながら、なぜ坪内ら経営陣との対立を尖鋭化させたのかと訝りつつ読んでいたのだが、自分の出世が第一の俗物だったようだ。国竹に関連してネット検索で拾ったブログ記事を下記に挙げておく。

 

blog.goo.ne.jp

 

 上記ブログ記事に、下記の記述がある。

 

 筆者が佐世保重工を退職したのはストライキ終結直後の1980年2月である。この年の5月、国竹七郎委員長は民社党から衆議院選挙に立候補した。その5年後、『労働貴族』を書いた作家・高杉良は社長の坪内寿夫をモデルにした小説『太陽を、つかむ男』を出したが、そこには驚くべきことが暴露されている。

 <国竹は衆議院選挙に際して、臆面もなく坪内にカンパを求める鉄面皮ぶりを発揮し、坪内の側近を驚かせたが、坪内は「男が頭を下げて、頼みにきよるものを追い返すわけにもいかんじゃろうが」と言って、何百万円かのポケットマネーを出してやった。
 国竹は、中央政界入りを目指して、佐世保重工の労使紛争を利用し、自分の顔を売り込もうとした、という噂が立ち、一般労働者の支持を失ったことが落選の憂き目をみる結果をもたらしたのではないか、と見る向きが少なくないが、果たしてどうであろうか。また国竹は相当額の借金が会社に残っていたが、坪内のポケットマネーで割り増しの退職金を支給し清算させた。>

 国竹七郎委員長が作家の高杉良名誉毀損か何かで訴えたとは聞かないから、この記述に嘘はなかろう。「佐世保重工の“近代化”闘争」がどんなものであったか、この小説が“真実”の一端を語っている。

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/e/fb64c3ac2b60d27976d75044e25962c7

 

 上記の引用文には、高杉の小説からの引用文(弊ブログ記事から見れば孫引き)があるが、これは私が読んだ2008年の講談社文庫版では422-423頁に出てくる。

 坪内寿夫と国竹七郎の対立構図は、正直言ってどちらに肩入れする気にもなれない。

 

 3月は、現在の予定ではやはり忙しいので月末だけの更新にする予定だが、新型コロナウイルスの影響で暇が増える可能性もなくはない。その場合はもう少しこのブログの更新の頻度が増えるかもしれない。

2020年1月に読んだ本:カフカ『失踪者』『城』『流刑地にて』、樋口陽一『リベラル・デモクラシーの現在』、島田雅彦『虚人の星』など

 今年はどういうわけか年初から仕事がタイトで、1件の記事を書くのにいつも時間がかかるこちらのブログの記事を、年明け以来一度も更新できずにきた。3月半ば過ぎまではこの調子が続くので、1月と2月は「今月読んだ本」を羅列して、とりあえず昨年1月以来続けている毎月の更新を継続したい。

 今月は、2006年に白水uブックスから出た全8冊の「カフカ・コレクション」(池内紀訳、底本は白水社版「カフカ小説全集」全6巻, 2000-2002)から『失踪者』、『流刑地にて』、『城』の3冊を読んだ。カフカは30年以上前の1980年代に『変身』と『審判』を読んで以来。図書館で見かけたのでまず『失踪者』を借りたところ、カフカの小説の面白さもさることながら、昨年亡くなった池内紀の個性の強い訳文にはまってしまった。ネット検索をかけたところ、私と同様に池内氏の文体にはまったという人を複数発見した。氏の文体は確かに癖になる。「やおら」と「やにわに」という2つの言葉を偏愛しているのが目立つ。

 

www.hakusuisha.co.jp

 

 今月読んだ3冊のうち、未完の長編の(といっても3つしかないカフカの長篇はすべて未完だが)『城』が一番長いが一番面白い。それに次ぐのが、かつては『アメリカ』と呼ばれていた『失踪者』で、これはドイツからアメリカに渡る15歳ないし17歳*1の少年カール・ロスマンの物語だが、カール少年よりも先に小説の方が「失踪」して未完に終わった。子の小説の設定を下敷きにしたのが、15歳の田村カフカ少年が東京から高松に渡る村上春樹の『海辺のカフカ』だろう。短篇を集めた『流刑地にて』が一番とっつきにくい。

 

 1月は8か月ぶりに松本清張を2冊読んだ。文春学藝ライブラリーに収められた『昭和史発掘 特別篇』と光文社文庫の「松本清張プレミアム・ミステリー」の第6次シリーズに収録された『翳った旋舞』。前者は2009年に文春新書から出た『対談 昭和史発掘』を再編集して解題したもので、全13巻(現在の文春文庫新装版では全9巻)の『昭和史発掘』に収録されなかった2篇に、1974年に行われた清張と城山三郎五味川純平鶴見俊輔3氏との対談を併録したもの。後者は1963年に「女性セブン」に連載されたものの20年間放置され、1983年に一部書き改められた上で、角川書店から単行本化された。いずれも清張マニアくらいしか読まない本だろう。

 

 政治絡みでは、昨年12月に岩波新書から出た樋口陽一の『リベラル・デモクラシーの現在』は良かった。

 

www.iwanami.co.jp

 

 日本の政治はまず、歴代自民党政府がないがしろにしてきた立憲主義に立ち返るところから始めなければなるまい。古い政治思想ではあるが、日本の政治はその前提さえクリアできていない。だから現在の安倍政権の惨状がある。戦前の政党には「立憲」の2文字がつくことが多かったが、昨年の参院選で落選した、東大法学部卒の某元自民党参院議員、いや実名を出そう、礒崎陽輔は「立憲主義なんて習わなかったぞ」と嘯いた。その「立憲」の2文字を復活させて3年前の衆院選で躍進した政党があったが、その政党との合流協議で玉木雄一郎は「立憲」の2文字を外させようと躍起になったあげくに合流は破談になった。枝野幸男にも買えないところが多いが、玉木はそれ以前の論外の政治家というほかない。

 

 安倍晋三絡みでは、明らかに安倍をモデルにして島田雅彦が2015年に出した小説『虚人の星』*2を読んだ。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 しかし、大の安倍批判派だという島田雅彦のこの小説は「ぬるい」の一語。ことに終わり近くの部分が最悪で、安倍昭恵をモデルにした登場人物「玲子」だの、明仁天皇夫妻だのを善玉に描いてしまっている。「家庭内野党」をウリにして人気を博していた安倍昭恵は、この小説の刊行からわずか1年半後に発覚した森友問題によってその醜悪な正体を露呈したから、発表後短期間で色あせてしまった小説と評するしかない。講談社文庫版の解説を書いているのがあの上杉隆であって、島田雅彦はその上杉に文庫本解説の執筆を依頼したというのだから、島田のどうしようもなさがわかろうというものだ。『虚人の星』は最初の方は面白かっただけに残念。「キョジン」*3の祟りででもあろうか。

 安倍晋三をモデルにした小説なら田中慎弥の『宰相A』、政権批判側の立場に立った政治的な小説なら星野智幸の一連の小説の方がそれぞれずっと良いというのが私の評価だ。

 なお島田雅彦は、昨年の参院選山本太郎が代表を務める元号政党*4を応援したという。

 

 今月は他に安部公房『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫)、新田次郎『冬山の掟』(文春文庫)、竹内悊『生きるための図書館』(岩波新書)を読んだ。

*1:この未完の小説の草稿では17歳の設定だが、第1章だけ独立して1913年に発表された短篇「火夫」で15歳に改められた。

*2:スポ根も読売もこの小説には関係ない。

*3:プロ野球球団のニックネームの漢字表記は、私のブログのNGワードとしている。

*4:この政党の名前にも私のブログにおけるNGワードである現在の元号が含まれているため、私はいつも「山本太郎元号政党」を縮めた「山本元号党」または「山本党」と表記している。

吉田秀和の「晩年のマーラー」評に感銘を受けた

 前回も書いた通り、今年は2012年に98歳で亡くなった音楽評論家の吉田秀和を再発見した年だった。

 吉田秀和の名前を知ったのは1975年で、NHK-FMで日曜夜の深夜だったか、「名曲のたのしみ」という題の番組で、月の4週のうち3週は「モーツァルト その生涯と音楽」と題して、モーツァルトの全作品を流していたのだった。私がこの番組を聞くようになった1975年の秋頃には、ケッヘル番号(以下「K.」)301〜306番のヴァイオリンとピアノのためのソナタをやっていた。この分野でのモーツァルトの作品は、一般にはベートーヴェンの同種のソナタ、特に「クロイツェル・ソナタ」などと比べて軽く見られることが多いが、吉田は「クロイツェル・ソナタ」はあまり買わず、モーツァルトの作品群をこの分野での最高峰とみていたようだ。特にホ短調K.304が強く印象に残った。その少し前に、吉田の番組とは違うNHK-FMの番組で聞いた変ロ長調K.378(冒頭の旋律が忘れられない)などとともに、この分野のモーツァルトの作品群に強く引き込まれるきっかけになった。その後90年代に買った、東京生まれのヒロ・クロサキのヴァイオリンとリンダ・ニコルソンの古楽器による演奏が今では一番のお気に入りで、モーツァルト最後のヴァイオリンソナタであるイ長調K.526の良さが初めてわかったのはこの演奏による。現代楽器による演奏だとピアノがうるさすぎてやや鬱陶しかったのだが、クロサキとニコルソンの演奏で聴くと、ピアノとヴァイオリンのバランスがよくとれた音楽であることがわかるとともに、モーツァルトのヴァイオリンソナタの最高傑作がこの曲であることを初めて感得した。それと同時に、吉田秀和が「クロイツェル・ソナタはピアノが重すぎる」と書いていたことを思い出し、あるいはベートーヴェンのヴァイオリンソナタも19世紀の楽器で弾かれるべき音楽なのかも知れないと思った。

 だが、吉田秀和の音楽以外とのかかわりにはずっと関心が薄かった。ところがここ数年、小説の類をずいぶん読むようになって*1、文学者の文章に吉田秀和の名前が出てくるのを目にするようになった。前回書いた大岡昇平村上春樹などである。ネット検索をかけると、これも最近よく名前に接する丸谷才一*2が述べた吉田秀和への追悼の辞を引用したブログ記事を発見した。

 

kirakuossa.exblog.jp

 

 以下引用する。

 

丸谷才一は、「私の趣味は吉田秀和の本を読むことでした。私は古典派、とりわけハイドンモーツァルト室内楽を聴くのが好きで、それこそ趣味の最たるものですから、そのごく自然な延長として、吉田秀和の音楽評論を読んでおもしろがっていた。それに吉田さんの音楽評論自体が立派なもので、文句のつけようがなかった。それは、しあわせな音楽的環境に生まれ育って音楽好きになった人が、豊かでバランスの取れた知性と教養を身につけ、音楽への高度な愛情を比類のないほど巧みな文章で表現したものでした。文芸評論家も含めての近代日本の批評家全体のなかで、中身のある、程度の高いことを、吉田さん以上に上質で品のいい、そしてわかりやすい文章で表現できた人は、他に誰かいるでしょうか」といった意味のことを吉田氏への「追悼の辞」とした。

 

ずばりと言い当てた、まことによくできた文章だと思う。

 

出典:https://kirakuossa.exblog.jp/22847369/

 

  吉田秀和のあとを追うように、丸谷才一も2012年10月13日に亡くなった(吉田の命日は5月22日)。二人とも、「崩壊の時代」に入る直前*3に世を去ったわけだ。

  今年に入って河出文庫から吉田秀和のシリーズが相次いで出たので、私があまり関心のない指揮者*4、その中でも『決定版 マーラー』に収録された「マーラー」が特に印象に残った。これを今回取り上げる。

 

www.kawade.co.jp

 

 作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)の音楽が広く聴かれるようになったのは1960年代だろう。ちょうど、シューベルトピアノソナタの真価が理解されるようになったのと同じ頃だ。1970年代になると、確か1976年に、NHK-FMクラシック音楽のリクエスト番組で、マーラー交響曲第10番をデリック・クックが完成させた補筆完成版がかかるまでになった。当時の私はまだ後期マーラーが全然わからなかったのでその回は聴かなかったが。ただ、第1交響曲*5と第4交響曲は翌1977年に聴いて大いに気に入り、80年代に入るとマーラーが「マイブーム」になった。第4,5,7,8番の交響曲はコンサートで聴いたこともある。

 しかし、1970年代前半は、日本ではまだマーラーの黎明期だったらしく、吉田秀和が1973年から74年にかけて「ステレオ芸術」誌に連載した「マーラー」は、シェーンベルクアドルノマーラー論を引用しながら、譜例も多く引用して書かれた力作なのだ。

 私が本屋(池袋のジュンク堂書店)で『決定版 マーラー』を買うために頁をめくっていたら、たまたまシェーンベルクマーラー論を引用しているくだりがあったので、引用元のシェーンベルクの著書が文庫本になってないかと思って書棚を見たら、あった。果たして十二音音楽の開祖が書いた本が読めるだろうかと思いながら、しかし躊躇なく吉田の本と一緒に買ってしまったのだった。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 この本は1973年に三一書房から出た『音楽の様式と思考』を改題したもので、文庫化されたばかりだった。偶然かどうかは知らないが、ありがたいタイミングだ。私は十二音音楽の楽譜など読めないし、それ以前にオーケストラの総譜も読めないが、知っている曲の旋律が記された楽譜ならなんとか読める。ブラームスの第4交響曲終楽章の分析などなかなか面白かった。パッサカリアだかシャコンヌだかの第29,30変奏が第1楽章第1主題の再現であることには、ある時ふと自力で気づいて知っていたが、各小節の1拍目の音が変奏曲の主題の音と同じであるもことは、掲載されている楽譜を見て初めて気づいた。2小節目と4小節目が1オクターブ下げられているので、このことに気づかなかったのだった。「フーガの技法」の未完の四重フーガで「BACH」の音型を含む4つの主題を同時に奏させる構想があったとされるバッハを思わさせる作曲の技法だなと思ったが、シェーンベルクは基本的にこういうバッハやブラームスのノリを拡張して十二音音楽を構造を作った、と言ったら素人の決めつけに過ぎるだろうか。

 そのシェーンベルクの本に「グスタフ・マーラー」の章があり、ここでシェーンベルクマーラーの音楽を分析している。シェーンベルクは4小節単位で規則的に進む拍節構造が嫌いらしく、それから逸脱することが多いモーツァルトを褒め、4小節単位の規則的な進行に固執するベートーヴェンにはやや批判的だ。シェーンベルクが好むブラームスは、逸脱が多いことで有名な作曲家だった。マーラーが、普通なら4小節+4小節で8小節にする主題を、引き延ばしや新たな音型の挿入によってたとえば10小節に延ばしていることを、シェーンベルクは第6交響曲の第3楽章アンダンテの譜例を示して紹介し、「(『音楽論』140-142頁)。吉田はこのシェーンベルクの分析を一部自分の言葉に置き換えながら引用し(『マーラー』32-35頁)、さらに第6交響曲についての吉田自身の分析をつけ加えている。

 しかしながら、吉田の「マーラー」でもっとも印象に残るのは、シェーンベルクアドルノの分析を引用しながらマーラーのスコアと格闘している箇所ではない。1907年に長女マリア・アンナを病気で失い、「ヴィーンの帝室オペラの総監督の地位を手放さざるを得ない窮地に追い込まれ」*6マーラーは、自分の健康診断もしてもらったところ、「心臓に重大な故障があるので、生活の仕方を一八〇度転換しない限り、生命は保証できない」*7との診断を受けた。その後マーラーアメリカに渡り、以後アメリカとヨーロッパを何度か往復した後、アメリカで感染性心内膜炎との診断を受けてウィーンに戻り、50歳で亡くなるのだが、吉田はマーラーの「大地の歌」と第9交響曲、それに未完の第10交響曲の3曲を彼の最高傑作群と位置づける(これは一般的な評価と同じだし、私も異論はない)のだが、これらに作品を遺したマーラーを評する文章が素晴らしいのだ。以下引用する。

 

「友よ、私はこの世では仕合わせにめぐまれなかった。私がどこに行くのかって? 私は、当てもなく、山に入る、孤独な心のための安らぎを求めて」

 マーラーの実生活は、《大地の歌》の終曲に歌われているように、即座に、安息を求めて世界をすて、山に隠れるという具合にはいかなかった。しかし、このときを境に、自分の生命があともう数えられる期間しか続かないことを知った。たとえ今はまだ生きていても、自分が間もなく決定的に別の世界に入ってゆく人間であることを、常に自覚しているよう強いられることになった。

 さっき私が、マーラーの人類におくったもっとも美しい、最もすばらしい贈物とよんだ作品は、ここから生まれてきた。そうである以上、この三つの音楽が、文字通り、ひとりの人間の遺言であり、ひとりの芸術家の大地への訣別の歌であったのに、何の不思議もないわけである。

 そういうこととならんで、というより、それよりもまず、私は寿命が数えられたと知った人間が、生活を一変するとともに、新しく、以前よりももっと烈しく、鋭く、高く、深く、透明であってしかも色彩に富み、多様であって、しかも一元性の高い作品を生み出すために、自分のすべてを創造の一点に集中しえたという、その事実に、感銘を受ける。

 こういう人間が、かつて生きていたと知るのは、少なくとも私には、人類という生物の種族への、一つの尊敬を取り戻すきっかけになる。死を前にして、こういう勇気を持つ人がいたとは、すばらしいことではないか?

 

吉田秀和『決定版 マーラー』(河出文庫 2019)44-45頁)

 

 文庫に収められた小沼純一氏の解説文に、還暦を迎えて既にマーラーより10年ほど長い生をおくった吉田秀和が、自らの残り時間を意識しながら(もちろん、まだ40年近い時間が残されていようとは、吉田自身も思いもよらなかったに違いない)書いた文章だと指摘している。小沼氏曰く、「七〇年代は、還暦は現在のように「若さ」をあらわすものではなかった」*8。確かにそうで、私が初めて知った1969年か70年の男の平均寿命は70歳を超えてなかったよな、と思い出した。調べてみると確かにそうで、1970年には男性の平均寿命は69.84歳だった*9。吉田は、85歳まで生きたリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)について「まったく彼は、よくも長生きしたものである」*10と書いたことがあって、これはおそらく戦争中にナチに協力して戦犯の容疑を持たれたシュトラウスに対する皮肉を込めた言葉だろうが*11、そんなことを書いたあんた自身がシュトラウスよりよほど長生きしてるじゃないかとよく思ったものだ。まあこれは余談。

 死を意識してからの作品が素晴らしいという吉田の文章を読んで思い出したのが、このブログで少し前に取り上げたシューベルトだった。シューベルトの場合は25歳にして当時不治の病とされた梅毒を宣告されたのだから、宣告を受けた時の年齢はマーラーよりも20歳以上若かった。そのシューベルトピアノソナタが評価されるようになった時期と、マーラーの音楽が広く受け入れられるようになった時期がぴったり重なる(ともに1960〜70年代)ことは興味深い。

 これで今年の読書・音楽ブログは終わり。来年も最低月1回、年間最低24件以上の公開を目標に更新を続けるつもりです。よろしくお願いします。

 それでは、良いお年を。

*1:この傾向は2013年に突如松本清張にはまって以来始まり、昨年末までで清張作品のうち文字の大きな文庫本で出ているものはほぼ読み尽くしたので、純文学、エンタメを問わず読む範囲を広げようとしたのが今年だった。以前より政治や経済の本を読む頻度が減ったのは、2012年末以来延々と続く鬱陶しい安倍晋三政権に支配された「崩壊の時代」からの逃避かもしれない。

*2:3日前の12月28日に公開した『kojitakenの日記』で引用した大岡昇平の文章に、丸谷の名前が出てきた(https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2019/12/28/151048)。丸谷についてはカズオ・イシグロの『日の名残り』の解説文について、このブログで取り上げたこともある(http://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2019/08/25/135746)。

*3:ここでは第2次安倍内閣の成立を決定づけた衆議院選挙が行われた2012年12月16日以降を「崩壊の時代」と定義している。

*4:指揮者は自ら音を発さないので、実際に楽器を演奏するピアニストやヴァイオリニスト、それに自ら歌う歌手たちほど強い関心を持てない。もちろん関心がないわけではないが、相対的に関心が低い。

*5:この曲を「巨人」と呼ぶなかれ。マーラーはこの曲の副題を破棄しているし、破棄前の副題にせよ「ジャイアント」ではなく「タイタン」なのだ。

*6:マーラー』43頁

*7:同44頁

*8:同書256頁

*9:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk00/7.html

*10:『LP300選』(新潮文庫 1981)207頁

*11:実際、数頁あとに、「シュトラウスは、ドイツ敗戦後、ようやく戦犯の名をのがれて、間もなく死んだ」(同209頁)と書かれている。