KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

2020年5月に読んだ本:今野勉『宮沢賢治の真実 - 修羅を生きた詩人』など

 月の大半が緊急事態宣言下にあった5月は、4月よりもさらに読書量が減り、読了した本は新潮文庫のノンフィクション2冊のみ。マーカス・デュ・ソートイ著、冨永星訳の『素数の音楽』(2013,原著2000)と、今野勉宮沢賢治の真実 - 修羅を生きた詩人』(2020, 単行本初出2017)。

 

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 2冊とも、本の後半になるほど引き込まれていく、良質のノンフィクションだと思う。残念ながら『素数の音楽』の方は読み終えてからかなりの時間が経って記事が書きにくくなっているので、ここでは『宮沢賢治の真実』に絞る。

 

 宮沢賢治の童話を最初にまとめて読んだのは、もう40年以上前に中学を卒業して高校に入る前の春休みだった。岩波文庫で『風の又三郎』と『銀河鉄道の夜』を読んだ。松本零士原作のアニメ『銀河鉄道999』の放送は当時はまだ始まっていなかった。今もその岩波文庫は手元にあるが、2冊とも1951年の初版で『銀河鉄道の夜』が1966年の第18刷改版で私が買ったのは1975年の第29刷、『風の又三郎』が1967年の第24刷改版で私が買ったのは1976年の第34刷だった。この増刷のペースを見ると、1950年代から60年代半ばにかけては『風の又三郎』の方が人気があったが、60年代半ばから70年代半ばにかけての時期に『銀河鉄道の夜』が『風の又三郎』の人気に並んだか、抜きつつあったと思われる(その後の新潮文庫版の新編では、両者の人気は完全に逆転する)。

 自然科学や人文科学に深い関心を寄せた賢治の童話に、私は強く惹かれた。人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが、食糧供給は算術級数的にしか増加しないというマルサスの『人口論』は、賢治の童話で知ったと記憶する。現在言われる「新型コロナウイルス感染症は、人と人との接触を制限しなければ指数関数的に増加するが、検査数は一次関数的にしか増えない」という話を連想させる。今でも一次関数と二次関数の区別がつかない「論客」は賢治の童話を読むべきかもしれない。もっとも今では先進国の人口減の方が問題になっているが(特に日本はその先端を切っている)。

 その後、新潮文庫筑摩書房版の『新修 宮沢賢治全集』(1979-80, 全16巻)を底本として賢治の童話の文庫版を再編したのが80年代末で、私は1994年から2004年にかけて新潮文庫から出ている文庫本5冊をすべて買って読んだ。この新潮文庫版はすべて筑摩書房版全集の編集にも関わった詩人の天沢退二郎が編集している。最初に買ったのが『新編 銀河鉄道の夜』で、表題作は賢治が晩年に改訂した「第四次稿」によるものだ。中身は岩波文庫版とずいぶん違うが、一番違うのは童話の最後に出てきて教訓を垂れる「ブルカニロ博士」が完全に姿を消してしまうことだ。岩波文庫版は筑摩書房がしっかりした考証に基づく『校本 宮沢賢治全集』(全14巻)を出した1973-77年よりも早く編集されているので考証はいい加減で、第何次稿などの注釈もない。但し、哲学者の谷川徹三(1895-1989)が賢治の弟・宮沢清六の意見を参考にしながら独自の版を作り上げたことが、谷川による文庫本の解説文に記されている。

 この本を買った頃、私は多忙のピークにあり、暇を見て少しずつ読んでいったが、全部を読み終えないうちの翌年2月に大病を患った。その後の回復期にはしばらくの間自由時間が比較的多くなったので残りを読み始めると18年ぶりくらいにはまってしまい、『新編 風の又三郎』、『注文の多い料理店』を続けて読んだ。さらに1996年に『新編 宮沢賢治詩集』も読んだが、詩を解する能力が貧弱極まりない私でさえ、「永訣の朝」など賢治の妹・トシの死に際して書かれた一連の詩には強い感銘を受けた。「永訣の朝」は新横浜から岡山に向かう新幹線の中で読んだ記憶がある。

 さらにその後、賢治の批判的評伝である吉田司の『宮沢賢治殺人事件』(文春文庫, 2002)を読んで賢治への関心が呼び覚まされ、新潮文庫の残り1冊である『ポラーノの広場』を読んだ。この文庫本には神戸・三宮のジュンク堂書店の2004年5月30日の日付のあるレシートが挟まっているから、四国・高松からおそらく高速バスで神戸に出掛けた時に買ったものだ。この文庫本には『銀河鉄道の夜』の第3次稿や『風の又三郎』の初期稿である『風野又三郎』などが収録されている。

 だから私は、『銀河鉄道の夜』は谷川徹三らが編集した岩波文庫版と天沢退二郎らが編集した第4次稿と第3次稿の3種類を読んでいた。今野勉の『宮沢賢治童話集』は、その「銀河鉄道の夜」の謎解きを最後の第7章とそれに続く終章に持ってきて、そのクライマックスに向かって盛り上げていく。著者は1936年生まれ、最初TBSに入社し、30代半ばの1970年にテレビマンユニオン創設に参加したテレビマンで、高齢になってからも賢治の足跡を追って東北地方を飛び回るバイタリティには驚かされる。そして驚くべき結論に達することになる。

 第一私は賢治の妹・トシ(本書では「とし子」と表記されている)の悲恋も、賢治が同性に恋い焦がれていたらしいことも全然知らなかった。後者について著者が紹介しているのは菅原千恵子が1994年に宝島社から出版した賢治の評伝で、これは調べたところ1997年に角川文庫入りしていた。

 

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 この本は未読だが、この本と『宮沢賢治の真実』の両方を読んだ読者の感想文が「読書メーター」に載っていたので、抜粋して引用する。

 

bookmeter.com

 

(前略)こないだ読んだ菅原さんの本では賢治は悲恋物語の王子様のイメージだったが、この本ではほぼストーカーでしかもこっちが実態に近そうなので驚いた。でも失恋後は自分を受け入れながらも変わっていって。小岩井農場の心象スケッチでは思わず涙がこぼれた。その寂しさ孤独がしみてきた。透明な軌道を進む人。その決意に心打たれた。こないだ読んだ菅原さんの本では賢治は悲恋物語の王子様のイメージだったが、この本ではほぼストーカーでしかもこっちが実態に近そうなので驚いた。でも失恋後は自分を受け入れながらも変わっていって。小岩井農場の心象スケッチでは思わず涙がこぼれた。その寂しさ孤独がしみてきた。透明な軌道を進む人。その決意に心打たれた。この本からは著者の人生をかけた賢治への情熱を感じた。その源泉はなんだろうと考えたら、やはり青春の思い出なんじゃないかと。出会うタイミングは大事だね。

 

出典:https://bookmeter.com/reviews/79044082

 

 そう、著者の執念は本当にすさまじいのだ。放送人が書いた本では、昔読んだ朝日放送ディレクター・松本修の『全国アホバカ分布考』(新潮文庫, 1996)も凄かったが、それをも上回るかもしれない。

 

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 松本修にせよ今野勉にせよ、彼らの推理がどのくらい正鵠を射ているかどうかはわからないが、かなりいい線は行っていると思う。今野の『宮沢賢治の真実』についていえば、本を読み終えたあと『新編 銀河鉄道の夜』や『新編 宮沢賢治詩集』の頁をめくってみると、著者の解釈がよく当てはまっていると感じられる箇所が少なくないのだ。

 とりわけクライマックスである「銀河鉄道の夜」の解釈は圧巻だ。新潮文庫版の『新編 銀河鉄道の夜』の冒頭に「双子の星」が収録されていて、「銀河鉄道の夜」は文庫本の中程にあるから、「銀河鉄道の夜」に「双子の星」からの引用が含まれていることには1994年にこの文庫本を読んだ時に気づいたが、「双子の星」と同じ、チュンセとポウセが出てくる童話は賢治はもう一篇書いていた。それには「手紙四」という素っ気ないタイトルがついていて(というよりタイトルがないというべきか)、天沢退二郎による新潮文庫版の解説文には下記のように書かれている。

 

(前略)ここでは、チュンセ童子とポウセ童子という双子の主人公は、性別もさだかではなく、両性的というより前性的であり、名こそ異なれ、性格等に差異もほとんどない、全く未分化な双子性と無罪性のうちに保護されている。のちの「手紙四」では、チュンセは男の子、ポウセ(ポーセ=引用者註)はその妹というように分化し、妹を亡ったチュンセは蛙を惨殺したりするようになるし(後略)

 

宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫1989, 1994年6月5日発行第13版) p.341-342;天沢退二郎による解説文より)

 

 「手紙四」は新潮文庫版の童話集全4冊でも、もちろん岩波文庫版の2冊でも読めない(はず)だから、私は読んだことがない。しかし賢治はどうやら「銀河鉄道の夜」ではこの一篇にも暗に言及していたらしいのだ。著者が指摘する通り、タイタニック号の沈没事故で犠牲になったらしい姉弟のうち弟が「それから彗星(ほうきぼし)がギーギーフーギーギーフーと云って来たねえ。」と、「双子の星」に出てきた印象的なオノマトペ*1を口にしたのに対し、姉が「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」と言っているから、著者の推理には説得力がある。そして「手紙四」の方では妹を亡って蛙を惨殺したチュンセが賢治に、亡くなった妹ポウセにトシがそれぞれなぞらえられていることは間違いないだろう。それでは「双子の星」の方はといえば、ネタバレを避けるためにぼかした書き方にするが、こちらは著者の推理が合っているかどうか私には判断がつきかねる。合っているかもしれないが間違っているかもしれないと思う。

 だが、また賢治作品を読み返したり、未読の賢治作品を読んだりしてみるか、という気にはさせてくれる。

 そうそう、本書で良かったのは、最晩年の賢治が極右人士である田中智学との訣別を告げる文語詩を作っていたことを知ることができたことだった。

 田中智学といえば「八紘一宇」なるスローガンの生みの親だったり、平沼赳夫が信奉していた「アインシュタインの(偽)予言」の源流だったりする、とんでもない野郎だったのだ。そんな人に宮沢賢治が心酔したのは、賢治最大の誤りだったのではなかろうか。

 「銀河鉄道の夜」の第4次稿の結末からブルカニロ博士がきれいさっぱり消されたのも、智学との訣別と関係しているのではなかろうか。

 「宮沢賢治の真実」は、本自体も抜群に面白いけれども、宮沢賢治への関心を改めてかき立ててくれたことも大きな収穫だった。

 来月こそもう少し本を読むことにしたいものだ。

*1:「双子の星」では「ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」と表記されている。