KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

2022年8月に読んだ本 〜 アガサ・クリスティー『葬儀を終えて』(ハヤカワ文庫・新訳版)、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』(中公新書)

 8月は非常に忙しくて本もまともに読めなかった。しかし2019年1月以来の43か月連続更新が途切れるのも癪なので、今月読んだたった2冊の本の書名を挙げておく。

 1冊目は、昨年1月以来20か月連続で読んでいるアガサ・クリスティの『葬儀を終えて』。一昨年にハヤカワクリスティー文庫で新訳版(加賀山卓朗訳)が出たが、その版で読んだ。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 作者62歳の1953年の作品で、創作活動の中期の後半あたりに位置するのだろうが、あっと驚く大技を使っている。私見では犯人の当てにくさは『アクロイド殺し』を上回り、『死との約束』や『ポアロのクリスマス』と肩を並べる。ただ、その2作と比べると、全くの想定外ではなく、「えっ、そのパターンだとあの人が犯人ってことになってしまうじゃん。でも、まさかね」と思ってしまったのだった。その「まさか」だった。ものの見事にクリスティの術中にはまってしまった。あることに気づかなければ、「まさか」の謎は解決できない。それに気づくかどうかにかかっている。ヒントはフェアに提示されているのだ。

 そのヒントが新訳では明確に訳されているのに対し、加島祥造の旧訳では肝心な形容詞が訳されていないために気づきにくい。ヒントはその1箇所だけではないので気づくのが不可能とは言わないが、新訳を読む方がヒントに気づくチャンスは多い。その意味でも、本作は旧訳よりも新訳を読む方が絶対におすすめだ。私がこのことに気づいたのは、図書館に旧訳版も新訳版と並んで置いてあったので、本を返しに行った時に訳文を比較したからだ。このヒントは本の初めの方に出てくるので、油断も隙もあったものではない。私は全く気づかなかったのだった。私の場合、クリスティ作品の犯人は当たることの方が多いが、本作は前述の『死との約束』、『ポアロのクリスマス』と並ぶ三大完敗だった。もちろんミステリを読む時は、今回のようにしてやられた時の方が面白いし、評価も上がる。過去に何度も書いたが、大昔の中学生時代に『アクロイド殺し』を読んでいた最中に、悪友にネタバレを食って犯人を知ってしまったのだったが、その時「えっ、本当にあいつが犯人だったのか」と思った。つまり、その時点で私は真犯人を十分疑っていたのだった。当時、同じ趣向の作品は一つも知らなかったにかかわらず。おそらく、私の思考回路がクリスティと似ているところがあるためではないかと想像するが、その私でも全く想定できなかった「意外な犯人」の作品もクリスティには少なからずあるということだ*1

 

 今月もう1冊読んだ本は、黒木登志夫著『変異ウイルスとの闘いコロナ治療薬とワクチン』(中公新書, 2022)。

 

www.chuko.co.jp

 

 一昨年に同じ著者による同じ中公新書から出た『新型コロナの科学』の続篇だが、今年3月までの知見に基づいて書かれている。そのため、第7波の死亡者数が過去の波で最多となった現時点では、著者がもっとも可能性が高いと書いた楽観的な「終わりの始まり」のシナリオが崩れ、同じく著者が提示した、より悲観的なシナリオの方が当たりつつある。ただ、もう一つ提示した最悪のシナリオには至っていないようだ。

 私のようなど素人にとっては前作の方が面白かったが、専門家筋の間では本作の方が評価が高いようだ。なお、今年1月に86歳になった著者は来年第3作を上梓するつもりらしい。頭の下がる話である。

 なお本書では前作に続いて新型コロナ対応に貢献したベストに日本国民を選んでいるが、ワーストに選ばれたのが菅義偉肝煎りの「GoToキャンペーン」だった。これには大いに溜飲を下げた次第。

 来月はせめて3冊は読みたいところだが、相変わらず暇はきわめて少ない。

*1:なお『オリエント急行の殺人』は読む前からネタバレを食っていた。

中河原理という音楽評論家を知っていますか。氏は統一教会の機関紙『世界日報』に音楽時評を書いていた元朝日新聞記者

 下記ツイートを見てふと「中河原理」の名前を思い出したのだった。

 

 

 岡田克也枝野幸男安住淳の3人が『世界日報』に登場したことは、当の『世界日報』側が立憲民主党の石垣のりこ議員に対する「脅迫」めいた「抗議文」の文中で明らかにしたことだ。下記リンクに示す。

 

 

 なお抗議文の末尾の日付が「平成4年」になっているのは誤記であり、本文中には「2022年」と書かれている。弊ブログのように現元号を忌避しているのなら統一教会は思わぬ「お仲間」になるのだが、まさかそんなことはあるまい。

 『世界日報』の編集方針は、おそらく彼らにとっての宿敵『赤旗』をモデルにして、一般紙に準じた紙面の体裁をとっている。だから「改憲」の共通項で民主系の政治家が多数登場するわけだ。彼らは藤倉善郎氏や鈴木エイト氏も「統一教会関連議員」には含めていない。もちろん岡田、枝野、安住各議員が早めにコメントすべきであることはいうまでもないが。

 そう考えているうちに思い出したのが中河原理(1931-1998)の名前だった。1970年代の中学生時代に、初心者向けのクラシック音楽解説本でずいぶんお世話になったし、1977年から6年ぶりに読むようになった朝日新聞の夕刊文化面でも演奏会評だかでしばしば名前を見たように記憶する。以下Wikipediaから引用する。

 

中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 1998年4月3日)は、朝日新聞記者、音楽評論家

来歴[編集]

作家・中河与一の次男[1]として東京都に生まれる。

旧制成蹊高等学校卒業。

東京大学英文科卒業、同修士課程修了、朝日新聞社に入社、音楽評論家として活動した。

平明で的確なクラシック音楽評で知られた[1]

1998年4月3日、心筋梗塞のため66歳で亡くなった[1]

 

出典:中河原理 - Wikipedia

 

 しかしある時期から中河氏に対する印象が大きく悪化した。それは氏が『世界日報』に音楽時評を書いていることを知った方からだ。そのことは上記Wikipediaには出てこないし、氏は24年前に亡くなっているので検索語「中河原理 世界日報」でググっても、下記URLが引っ掛かったのみだ。しかし、そこにはっきり中河氏が『世界日報』に音楽評論を書いていたことが示されていた。下記にリンクを示すが、作家の河野多惠子(1926-2015)の追悼文に中河氏の名前が出てくる。

 

sub.worldtimes.co.jp

 

 以下に関連箇所のみ引用する。

 

 河野さんは人間を霊的なものと認識していて、その世界を言葉で探ろうとしていた。作者と想像力についてこう説明する。「タコと糸との関係ね。糸をこう引いたからといって、タコがどこへ行くか計算ができない」。

 手にある糸と、偶然と必然で動くタコが、タイアップしているという。「言葉や文章で表現できないものは無い」と思ってはいるが、「他の芸術を言葉で伝達することだけは不可能」とも語る。

 そんな話を聞いたので、小紙に連載された音楽評論家・故中河原理さんの「音楽時評」が初めて本になった時、書評をお願いすると引き受けてくれた。その文章に深い感銘を受けたようで賛辞を惜しまず、「いい人を見つけたわね」と称えてくれた。

出典:https://sub.worldtimes.co.jp/column/updraft/36703.html

 

 どうやら河野多惠子も『世界日報』に中河氏の著書の書評を書いたことがあるらしい。『世界日報』に登場したというわけだ。しかしどの程度の頻度で同志に登場していたかのはわからないし、河野氏の名前と「世界日報」あるいは「統一教会」を検索語にしてググっても、少なくともトップページにめぼしいサイトは引っ掛からない。

 中河氏が『世界日報』に音楽時評を書いていたのを知ったのはおそらく前世紀のことで、もしかしたら1980年代だったかもしれない。当時は「それで『原理』という名前なのかな」と思った。大学の「原理研究会」を連想したのだ。しかし、もし氏が朝日新聞を辞めて音楽評論家として生計を立てようとしていた等の事情があったとしたら、単に収入を得るためだけの理由で世界日報に音楽時評を連載したものかもしれない。朝日新聞にはあの大御所・吉田秀和(1913-2012)が「音楽展望」だったかを書いていたので、中河氏の入りこむ余地など全くなかった。

 果たして故中河氏を「統一教会関連人士」といえるかどうかも微妙なのではないかと今の私は思う。

 統一教会を批判する側(私もその一人である)は、あまり攻撃範囲を広げ過ぎない方が良いのではないかと思う。攻撃目標が曖昧になり、敵の本丸を逃がしてしまったら元も子もないからである。

中北浩爾『日本共産党 - 「革命」を夢見た100年』を読む - (1) 日本共産党の「民主集中制」の問題点

 本記事は、当初『kojitakenの日記』の下記記事の後半部分として書き始めていたものだ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 以下、今年(2022年)5月に刊行された中北浩爾『日本共産党 - 「革命」を夢見た100年』(中公新書)を参照しながら、日本共産党民主集中制に関する問題点について書く。

 

 まず、下記こたつぬこ(木下ちがや)氏のツイートと、それに対する反応のうち、同氏が発したリツイートに注目した。

 

 

 

 「『民主集中制』『統一と団結』といったキーワードで批判されるかも」というのは、「『志位和夫やってらんねえよ』とか炸裂トークやったら」、共産党員や同党支持者が「それは『民主集中制』や『統一と団結』に反する」として批判するのではないかとの意味だ。しかし志位和夫が現実にやっていることは、「天皇制など自身の個人的な思い入れを「これが共産党の立場」「共産党の目指すもの」と勝手に決めて発言」しているだけではないか、という痛烈な志位批判のレスだ。それを木下氏がリツイートしている。

 

 下記は、上記のすぐあとに氏が発信したツイート。

 

 

 氏はおそらく共産党員であろうから、直接「民主集中制」を批判しなかったものと推測されるが、その含意は明らかだろう。

 日本共産党民主集中制の問題については、下記中北浩爾著『日本共産党』(中公新書, 2022)の序章でも取り上げられている。

 

www.chuko.co.jp

 

 著者の基本的なスタンスは「はじめに」に示されている。以下引用する。

 

(前略)あたかも日本共産党社会民主主義政党に変化したような主張が現れている。他方で、今なお同党が暴力革命の方針を保持しているという見方が、警察庁公安調査庁を中心に維持され、政府の公式見解になっている。結論的にいって、いずれも妥当な評価ではない。共産党には、過去から変わった部分と変わらない部分とが並存する。その両面を正確に捉えなければならない。(本書i頁)

 

 続く「序論」で、著者は世界の急進左派政党を「保守派共産主義」「改革派共産主義」「民主的社会主義」「革命的極左*1の4つの類型に分類する。著者は日本共産党を第3の「民主的社会主義」の類型ではなく、第2の「改革派共産主義」に属するとみる(序章「国際比較のなかの日本共産党」の第2節「日本共産党の柔軟性と教条性」, 本書16頁)。

 しかし、日本共産党には「教条性」も残っているとする。

 

 その一方で、日本共産党には保守派共産主義の残滓もみられる。共産党の組織原則とされてきた民主主義的中央集権制民主集中制の堅持である。(本書18頁)

 

(前略)現在も中央集権が民主主義に優越しているのが実情であり、綱領や規約の解釈権も党中央によって握られている。末端組織の支部でも、党中央への信頼が一因とはいえ、批判的な意見を煙たがる空気があり、異論を口にする党員は上級の党会議の代議員などにまず選ばれないと聞く。(本書21頁)

 

 本書の終章「日本共産党と日本政治の今後」にも民主集中制への言及がある。以下にやや長く引用する。

 

 その一方で、共産党は分派の禁止を伴う民主集中制を維持している。つまり、党組織の外延部分については市民に開きつつも、中核部分は固く閉ざしている。例えば、立憲民主党は、年間2000円*2で登録できる協力党員(サポーター)に代表選挙の投票権を付与している。しかし、JCPサポーターは無料で登録できる代わりに、重要な意思決定に関わることができない。

 

 共産党の人事は事実上の任命制であり、党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない。天安門事件や東欧革命が起きた翌年*3の第19回党大会の際には、民主集中制を見直して党内民主主義を活性化すべき、最高幹部は全党員の直接選挙で選出すべきといった投稿が党員から寄せられたが、いまだ実現をみていない。共産党民主集中制を近代政党として当然の組織原理と主張するが、かくも厳格に分派を禁止し、強力な党内統制を加えている政党は例外的である。

 

 ソ連の解体から30年あまりを経てもなお、日本共産党民主集中制の組織原理を維持しているだけでなく、科学的社会主義と称する共産党イデオロギーについても見直しの兆しをみせていない。

 

 日本共産党が自主独立路線を確立して以降、ソ連や中国の大国主義・覇権主義と戦ってきたことは確かだとしても、革命を成功させた各国共産党がことごとく人権の抑圧など共産主義の理想に反したのはなぜなのか、日本共産党は本当に兄弟党の失敗から無縁であり得るのか、ロシア革命に始まる共産主義マルクス・レーニン主義)そのものに欠陥があるのではないか、こうした疑問に対して科学的な反論を十分に行っていない。そうである限り、共産党は多くの若者を惹きつけた過去の輝きを取り戻すことができないであろう。

 

 ソ連研究者の塩川伸明は、1994年の著作で共産主義社会主義)の可能性について次のように書いている*4

 

「負けたのは特定の型の社会主義に過ぎない」という人は、往々にして、「社会主義Aは失敗したが、社会主義Bはまだ試されていない」という風に考えがちである。だがそれは社会主義の歴史を踏まえない見方である。1950年代半ばのスターリン批判以降、さまざまな国でさまざまな仕方でスターリン社会主義からの脱却の試みが30年以上もの間続いてきたことを思えば、問題は、「社会主義Aも、社会主義Bも、社会主義Cも、社会主義Dも、社会主義Eも……失敗した後に、なおかつ社会主義Xの可能性をいえるか」という風にたてられなければならない。そして、これだけ挫折の例が繰り返されれば、もはや望みは一般的にないだろうと考えるのが帰納論理である。

 

(中北浩爾著『日本共産党』(中公新書, 2022)398-399頁)

 

 日本共産党がある時期以降、ソ連からも中国からも距離をとった、自主独立のいわゆる「宮本路線」をとったのは大成功だった。宮本顕治はその一方で民主集中制を堅持し、袴田里見野坂参三らを切り捨てていったが、民主集中制を問題視していつか武闘路線へ回帰するではないかとの、かつて共産党に対する強力な批判者だった立花隆らが指摘した懸念は現実にならなかった。その一方、ソ連及び中国に対する批判が功を奏して現在まで生き延びてきた。

 私は中北浩爾の著書を読む前の先月、立花隆の『日本共産党の研究』(講談社文庫1983, 雑誌連載『文藝春秋』1975-77, 単行本初出講談社1978)を読んだが、これを読み終えたあとにも、歴史的審判に耐えた「宮本路線」とは大したものだったんだなあ、と逆に感心したくらいだ。批判本を発刊後40年経って読んで、逆にその批判に耐えた人物を評価させるなど、滅多にない事例だ。

 その宮本顕治民主集中制について、下記松竹伸幸氏が中北浩爾著『日本共産党』を取り上げた3回連載のブログ記事の最終回に注目した。

 

ameblo.jp

 

 以下、松竹氏のブログ記事からまたしてもやや長い、というより記事の大半を以下に引用する。

 

 この書評の「上」で紹介した産経新聞書評で、佐藤優さんは、共産党がまだ暴力革命を捨てていないという見方をしている。そこが中北さんの本の評価とは違うと述べている。なぜ佐藤さんがそこにこだわるのかは分からない。共産党の現在の方針のどこを見ても、暴力革命などというものは欠片も見えてこないからだ。宮本路線にもとづく共産党の前進についても、中北さんが言うように、暴力革命路線から決別したからこそ達成されたものである。

 

 もしかしたら佐藤さんは、共産党民主集中制が組織原則だから、ある日、中央が暴力革命を公然と唱えはじめたら、都道府県から地区から支部まで党員は従うものだと言いたいのかもしれない。実際に過去に暴力革命の方針をとったことがあり、少なくない党員が従ったのだから、佐藤さんの危惧は無根拠ではないのかもしれない。しかし、それにしても、党員が従ったのは51年綱領がそういうものだったからである。61年綱領の採択以降60年も経つのに、見方が変わらないのは知的な誠実さが足りないと思う。現在の綱領に反するような方針が採択されたとして、それに従う党員は一人もいないだろう。

 

 ところで、この本にも出て来るが、その50年問題のとき、宮本顕治さんは九州地方委員会に左遷されていた。その頃、私の父親は長崎県の崎戸炭鉱の党細胞(支部)に所属していて(のちに作家となった井上光晴さんなどもいたそうだ)、父自身は宮本さんとは面識がなかったのだが、当時の父を指導していた幹部からは、私が成長する過程で宮本さんのことをよく聞かされた(父とともに50年代に生活苦で離党)。暴力革命路線と決別し、党の統一をはかる過程で、宮本さんの名前で党中央が「全ての党員に宛てる手紙」を出したのだが、その指導者がそれをいつまでも大事に保存していてびっくりした。

 

 いや、思い出話をしたいわけではない。そうやって左遷されたりして、共産党は暴力革命だということで国民から不人気な状態では、普通なら、宮本さんのように頑張れない。民主集中制の組織原則では党員の意見が反映されず問題だとする人は多いのだけれど(この本の著者もその一人である)、民主集中制の組織原則のもとでも、左遷された人がトップにまで登り詰めることができたのだ。その体験から宮本さんは、民主集中制でも個人の意見が中央を変えることができると思って、この原則を大事にしたのかもしれない。

 

 ただそれも、宮本さんほどの胆力と頭脳があれば、という条件付きだと思う。普通の党員には現実味のない話である。50年問題からの脱却のような大きな論争をしなくても、普通の党員の普通の路線上の模索が、何かに結実させるようなことができないのだろうか。

 

 この本の著者は、「党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない」ことを問題点として指摘している。それが一つの契機となるのではと、このブログでも書いてきた。(後略)

 

出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12748368016.html

 

 引用文の冒頭に佐藤優産経新聞に書いた中北本の書評への言及があるが、最近は産経のサイトにも有料記事が増えたので、無料で読むことはできない。産経を儲けさせるのは嫌だから有料記事のURLもリンクしない。しかしその佐藤が来月、朝日新聞出版から「日本共産党の100年」と題した本を出すらしいとの情報は読者にお伝えしておく。本体価格1700円とのことだからおそらくハードカバー本だが、私は佐藤を批判する目的で買って読もうと思っている。マルクスにせよドストエフスキーにせよ、私は佐藤優に対して常に反感を持たずにはいられないからだ。

 ところで宮本顕治の件だが、宮本は1950年以降の一時期、党内反主流派の「国際派」に属し、徳田球一野坂参三が属していた党内主流派の「所感派」から分派認定を受けた。宮本自身が民主集中制違反に問われたわけだ。しかし国際派はそこから反撃に転じ、1954年には所感派と国際派が歩み寄り、1958年には宮本は党の最高権力者のポストだった党書記長に就任した。これが共産党の党史において、執行部に分派認定を受けた集団が党中央に返り咲いた唯一の事例であることは中北本が教えるところだ。つまり、自分くらいの「胆力と頭脳」があれば、民主集中制下であっても「個人の意見が中央を変えることができる」と宮本顕治は思っていたのではないか。松竹氏はそう言っているわけだ。

 しかし松竹氏が書く通り、それは「宮本さんほどの胆力と頭脳があれば、という条件付きであって、「普通の党員には現実味のない話」だろう。

 そして、思っていることをはっきり書かせていただくと、現在日本共産党の党執行部にいる志位和夫委員長や小池晃書記局長に宮顕ほどの胆力と頭脳があるかといえばそれは大いに疑問であって、それどころか志位和夫不破哲三にも遠く全く及ばないのではないかと思われる。その一つの表れが2019年9月に志位がにれいわ新選組*5代表の山本太郎と結んだ野党連合政権との協力合意だ。

 前述の木下ちがや氏は当時からこの合意に警鐘を鳴らしていたが誰にも顧みられなかったとのことだ。私には氏の議論よりレベルの低い直感的な話しかできないが、当時から疑問に思っていたのは、日本共産党がかつて分派認定したはずの「日本共産党(左派)」の実質的な機関紙である『長周新聞』に熱烈な応援を受けていることが当時既に知られていたれいわ新選組と、なぜかくもあっさりと合意してしまったのかということだった。

 「日本共産党(左派)」は毛沢東主義の立場に立つ分派で、中北本の4類型に当てはめると「革命的極左」に該当する。一時れいわ新選組のブレーンではないかと言われた(現在は訣別したとの説があるが不明)斎藤まさしと近い立場だといえるかもしれない。

 中北本にも「日本共産党(左派)」と『長周新聞』への言及が出てくるので、以下に引用する。

 

 日本共産党の内部では、これら*6と並行して教条主義的批判の対象となってきた中国派の排除が進んだ。党中央の幹部では1966年10月13日の中央委員会総会で西沢隆二*7の除名処分が決まり、地方では山口県委員会の外郭紙『長周新聞』を握る福田正義らが除名された。やがて福田は「日本共産党(左派)」を結成することになる。(本書236頁)

 

 『長周新聞』には現在も日本共産党を批判する記事を多数掲載しているはずだ。少なくとも私がかつて目を通した時にはそうだった。

 ところが、その『長周新聞』に熱烈に応援されているばかりか、2019年当時ブレーンにマオイストにしてかつてポル・ポトにも肯定的だったとされる斎藤まさしがいるらしいと言われていたれいわ新選組と、なぜ志位和夫はあっさり「合意」してしまったのかと不思議でならなかった。なんでかつての「分派」につながっているかもしれない政党と不用意に手を結ぶのか、と思ったのだ。

 その後、新選組共産党に対する「抱きつき」戦術を強め、現在行われている参議院選挙の東京選挙区でも、「共産党公認の山添拓の当選は堅いから、私が共産党幹部なら政策が共産党に近い山本太郎に10万票を融通する」などという怪文書講談社のサイトから堂々と発信されるに至った。この「怪文書」の効果かどうかはわからないが、朝日新聞の情勢調査では山本太郎の当選可能性が強まる一方、山添拓が当落線上に転落したとのことだ。

 

 

 執行部がこんなていたらくなのに下からの意見が全然通らず、前記のれいわ新選組との合意のように見られる不用意な決定をしてしまう。このような共産党の現状には、どう考えても大きな問題があるとしか思えない。これを解決するためには「民主集中制」を見直すことが必要条件ではないか。これが私の長年の持論である。

*1:レーニン主義トロツキズム毛沢東主義などが「革命的極左」に属する。レーニン主義者を自称する白井聡や、『長周新聞』を実質的な機関紙としているとされる「日本共産党(左派)」はこの第4の類型に属することになる。

*2:本書の表記は漢数字の「二〇〇〇円」。以下同様=引用者註

*3:1990年=引用者註

*4:塩川伸明社会主義とは何だったか』(勁草書房, 1994)113-114頁=原註

*5:本記事で取り扱う問題の重大性に鑑み、あえてNGワードの自己規制を破って新選組の正式名称を表記した。

*6:日本共産党が繰り広げた文化大革命批判=引用者註

*7:筆名ぬやまひろし。彼が作詞した「若者よ、身体を鍛えておけ」という怪しげな歌詞の歌を高校の音楽の授業で習った。おそらく教師は左翼の人だったのだろう。=引用者註

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫)は、本文もさることながら山口周の解説文が非常に示唆的

 かつての朝日新聞のスター記者にして、1992年以降は『週刊金曜日』の創設者として知られる本多勝一が1980年代に書いた『アムンセンとスコット』(単行本初出は教育社,1986)が昨年末に朝日文庫入りした。それを買い込んで積ん読にしていたが、読み始めたら面白く、引き込まれていった。

 

publications.asahi.com

 

 著者の本多勝一自身の名前がクレジットされた記事がネットでも読める。下記はプレジデント・オンラインという、かつての本多からは結びつきが考えられないサイトへのリンク。

 

president.jp

 

 本多は『アムンセンとスコット』では、1980〜90年代の彼が愛用した「ノルヱー」(ノルウェー)や、片仮名の「ワ」「ヰ」に濁点を振って英語などの "va", "vi " の発音を表そうとした独特の片仮名表記を用いているが、上記プレジデント・オンラインの記事では「ノルウェー」という普通の表記を用いている。また本書では「ワ」に濁点の文字で表記されて然るべきと思われる人名 "Evans" が「エバンズ」と表記されているなど、不徹底な箇所がある。しかしこれらは余談だ。

 本書を取り上げようと思ったのは、巻末の山口周氏の解説が興味深かったからだ。

 山口氏は1970年生まれの52歳で、Wikipediaによると「著作家・パブリックスピーカー・経営コンサルタント」とのこと。2019年には前記ダイヤモンド・オンラインでアムンセンとスコットの南極点到達一番乗り争いを取り上げている。

 

diamond.jp

 

 本書と関連する部分のみ以下に引用する。

 

エリートがアントレプレナーに敗れる理由

 

 イノベーションの歴史を振り返ると、この「命令を受けたエリート」VS「好奇心に突き動かされた起業家」という戦いの構図がたびたび現れます。そして、多くの場合、本来であればより人的資源、物的資源、経済的資源に恵まれていたはずの前者が敗れています。

 これはなぜなのでしょうか? もちろんさまざまな要因が作用しています。筆者が所属するコーン・フェリーのこれまでの研究から、一つ確実に指摘できると考えられるのは、「モチベーションが違う」ということです。

 モチベーションの問題を考えるにあたって、非常に象徴的な示唆を与えてくれるのがアムンセンとスコットによって競われた南極点到達レースです。

 

 20世紀の初頭において、どの国が極点に一番乗りするかは領土拡張を志向する多くの帝国主義国家にとって非常な関心事でした。そのような時代において、ノルウェイの探検家、ロアール・アムンセンは、幼少時より極点への一番乗りを夢見て、人生のすべての活動をその夢の実現のためにプログラムしていました。

 たとえば、次のようなエピソードを読めばその徹底ぶりがうかがえるでしょう。自分の周りにいたらほとんど狂人です。

  • 子どもの頃、極点での寒さに耐えられる体に鍛えようと、寒い冬に部屋の窓を全開にして薄着で寝ていた
  • 過去の探検の事例分析を行い、船長と探検隊長の不和が最大の失敗要因であると把握。同一人物が船長と隊長を兼ねれば失敗の最大要因を回避できると考え、探検家になる前にわざわざ船長の資格をとった
  • 犬ゾリ、スキー、キャンプなどの「極地で付帯的に必要になる技術や知識」についても、子どものときから積極的に「実地」での経験をつみ、学習していった

 一方、このレースをアムンセンと争うことになるイギリスのロバート・スコットは、軍人エリートの家系に生まれたイギリス海軍の少佐であり、自分もまた軍隊で出世することを夢見ていました。

 当然ながらスコットには、アムンセンが抱いていたような極点に対する憧れはありません。彼はいわば、帝国主義にとって最後に残された大陸である南極への尖兵として、軍から命令を受けて南極へ赴いたに過ぎないのです。

 したがって、極地での過去の探検隊の経験や、求められる訓練、知識についてもまったくの素人といっていいものでした。

 さてこのレースの結果は、皆さんもご存知の通り、「圧倒的大差」でアムンセンの勝利に終わります。

 アムンセン隊は、犬ゾリを使って1日に50キロを進むような猛スピードであっという間に極点に到達し、スムーズに帰還しています。当然ながら一人の犠牲者を出すこともなく、隊員の健康状態はすこぶる良好でした。

 一方のスコット隊はしかし、主力移動手段として期待して用意した動力ソリ、馬がまったく役に立たず、最終的には犬を乗せた重さ240キロのソリを人が引いて歩く、という意味不明な状況に陥り、ついに食料も燃料も尽きて全滅してしまいます。

 一体何がマズかったのか。スコットの敗因についてはさまざまな分析が行われていますが、ここで筆者が取り上げて考察したいと思うのは、「探検そのものの準備と実行の巧拙」ではなく、もっと根源的な「人選の問題」という論点です。

 先述した通り、このレースは軍人エリートの家系に生まれ、自らもそうありたいと願うスコットと、幼少時より極地探検への憧れを抱き続け、人生そのものを一流の極地探検家になるためにプログラムしたアムンセンのあいだで争われ、そしてアムンセンの圧倒的な勝利に終わりました。

 ここで着目したいのが、この2人を駆り立てていた「モチベーション」です。

 同じ「南極点到達」という目標に向かって活動しながら、彼ら2人は大きく異なるモチベーションに駆動されていました。スコットのモチベーションは、おそらく海軍から与えられたミッションを完遂し、高い評価を得て出世するという点にあったでしょう。

 一方で、アムンセンのモチベーションは、おそらく南極点に最初に到達し、探検家として名を成したい、というただそれだけのものだったでしょう。

 つまり、スコットが「上司から与えられた命令を完遂して評価されたい」という承認欲求に突き動かされていたのに対して、アムンセンは極めて内発的なモチベーションによって突き動かされていた、ということです。

 この「上司からの命令で動くエリート」と「内発的動機に駆動されるアマチュア」という構図は、インターネット黎明期の頃から、たびたび見られた戦いの構図であり、多くの場合は「内発的動機に駆動されるアマチュア」に「上司からの命令で動くエリート」が完敗するという結果になっています。

 

出典:https://diamond.jp/articles/-/211296?page=2

 

 結果をすでに知っている人に対して、アムンセンとスコットの立場を比較して、「どちらかを選べ」と言えば、スコットの立場を選ぶ人はいないでしょう。

 前者が元から大好きだった探検を心底楽しみながら遂行し、無事に生還して探検家としての盛名を得たのに対して、後者はまったく興味のなかった探検を上司の命令だからということで仕方なく受け入れ、拷問のような苦労を積み重ねた末に、部下全員と自分の生命まで失っているのです。

 探検隊の最後の一人となったスコットの日記には「残念だがこれ以上書くことができない」と記され絶筆となっています……何ともはや。

 しかし、では今日、どれだけの人が自分の内発的動機とフィットする「場」に身を置けているかとあらためて考えてみれば、多くの人はスコットと同じように「上司の命令だから」ということで、モチベーションの湧かない仕事に身をやつしながら、内発的動機に駆動されて自由自在に高いモビリティを発揮しているニュータイプたちに翻弄され、きりきり舞いさせられているのではないでしょうか。

 そのような場所に身を置いていれば、いずれ自身もまたスコットと同じような社会的結末へと至ることになる可能性があります。

(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)

 

出典:https://diamond.jp/articles/-/211296?page=3

 

 アムンセンとスコットに関する上記の対比と同様の記載は本書の解説文にも出てくる。

 しかし、山口は本書の解説文で上記に当たる「パーソナリティーの側面=内発的動機の有無」に加えて、「マネジメントの側面=権力格差の大小」をも分析している。というより、こちらの分析の方が先に書かれている。以下に本書から引用する。

 

 まず「マネジメントの側面=権力格差の大小」という点について述べたいと思います。アムンセンとスコットのリーダーシップの違いがもっとも顕著に現れていると思われるのが、彼らのチームにおける「権力の格差」です。「権力の格差」とは、リーダーとメンバーとのあいだにおける権力の差で、もともとはオランダの組織心理学者、へールト・ホフステードが提唱した概念です。ホフステードはIBMからの依頼に基づいて、全世界のIBMオフィスにおける上司と部下の権力の格差を調査し、それを「権力指標 = Power Distance Index」として数値化しました。

 ホフステードによると、権力格差の大きいチームでは、リーダーの命令は絶対であり、メンバーがリーダーの指示に反論することはあり得ない、という空気が支配することになります。一方で、権力格差の小さいチームでは、組織はよりフラットになり、リーダーとメンバーが意見をぶつけ合いながら集合的に意思決定されることが歓迎されるようになります。ホフステードのスコアリングによると、アムンセンの出身国であるノルウェイは権力格差の非常に小さい国となっていますが(原註あり)、それは本書に登場するさまざまなエピソードからも感じることができます。

 

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫,2021)333-334頁)

 

 引用文中、「(原註あり)」と記した箇所の原註は下記の通り。

 

 ノルウェイの権力格差指標は18。スコットの出身国であるイギリスは35となっている。ちなみに日本のスコアは54。儒教の影響圏にある国は全般に格差が大きい。(同335頁)

 

 上記がいつごろ行われた調査なのか記載されていないが、ネット検索をかけると山口自身が書いた記事(下記リンク)がヒットし、それによると1967〜73年に行われた調査とのことだ。およそ半世紀前の研究結果ではある。

 

toyokeizai.net

 

 ノルウェイ(におけるIBM)が比較的フラットな組織であるのに対して、現在も階級制度が強く残存しているであろうイギリス(のIBM)では権力格差が大きい。しかし日本(のIBM)における権力格差はもっと大きいということなのだろう。2005年に亡くなった亡父がかつて「日本IBM? あれは日本の会社だ」とその体質を一言で切り捨てていたことを思い出す。日本の企業における業務命令が絶対の体質は私もよく知っており、会社内で下からの意見を汲み上げることなどほとんどない、というのが持論だ。

 山口は、アムンセン隊について「隊員一人ひとりの意見を尊重し、結果としてチームの参画意識、自主性、モチベーションを高く保とうとしたアムンセンのチーム運営に関する姿勢が窺えます」と高く評価する。スコット隊に対する下記の論評とは対照的だ。

 

 一方のスコット隊は、チーム運営に厳格な海軍の階級制度を取り入れていました。考えるのは隊長であるスコットで、メンバーは忠実に従順にスコットの命令に従うことを求められたのです。結果、自主性も参画意識も持てないメンバーはモチベーションを低下させ、ケアレスミスを連発することになります。スコット隊の隊員はありとあらゆる状況で小さなケアレスミスを積み重ね、結局はそれらのミスが全滅に至る決定的な状況を招いてしまいます。

 隊員が死亡していく順番にそれがよく現れています。記録を見返してみると、隊員が死んでいった順は、エバンス、オーツ、バワーズ、ウィルソン、そしてスコットとなっており、つまりは階級の低いものから順に死んでいます。隊長はその責任感から、最後まで頑張ったという能天気な見方もあるかもしれませんが、私は、スコット隊の厳格な身分制度が、階級の低いメンバーに心理的・肉体的なストレスを与え、死を早めたのだろうと考えています。

 

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫,2021)335-336頁)

 

 本多勝一が書いた本文でもスコット隊の階級由来の問題点をいくつもの箇所で指摘し、たとえば下記のような印象的なくだりがある。

 

 現在にいたるまで、オーツの死は高く称賛され、エバンズの死は語られることが少ない傾向がある。スコットはオーツの最期を語る日記のなかで「(オーツの行動は)勇敢な男の、そしてイギリス紳士(傍点*1は本多)のものであった」と書いた。これはエバンズが決して並べない階級社会での言い方である。その結果、エバンズの真に英雄的な行為が小さく見られてしまっていることに対して、エバンズの立場を顕彰しておきたい。

 

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫,2021)261頁)

 

 しかし、解説文での山口周の論評は、明らかに本多をも凌ぐ痛烈さである。

 山口はさらに、過去50年分、56か国のエヴェレスト登山隊における死亡者の発生率と権力指数の相関に関する南カリフォルニア大学の組織心理学研究者、エリック・アニシックの研究によると、権力格差の大きい文化圏の登山隊の方が、他方の登山隊と比較して死者が出る確率が著しく高いことが明らかになったと書いている(本書336頁)。こちらには下記リンクが示されている。

https://www.pnas.org/content/112/5/1338

 

 なお単独登山の場合は死亡率と権力格差には何の相関もないとのこと。

 山口の下記の文章は、その前半では日本の某政党がどうしても連想されてならない一方、後半では1950〜70年代に日本経済が高度成長を遂げた理由がよく説明できると思った。

 

 権力格差の大きいチームでは、地位の低いメンバーが発言を封じられることで、彼らの発見、あるいは懸念、あるいはアイデアが共有されず、結果的に意思決定の品質が悪化するのです。これは、想定外のことが次々に起き、リーダーの認知能力・知識・経験が限界に晒されるような環境下では致命的な状況といえます。

 一方で、アニシックの研究で非常に興味深いのは、予想外のことが起きないような安定的な状況においては、権力格差の大きさは、むしろチームのパフォーマンスを高めることがわかっています。そのような状況では、リーダーの意思決定が上意下達され、一糸乱れず実施される組織の方がパフォーマンスが高いのです。これはつまり、リーダーの認知能力や知識・経験の範囲内で対処が可能な状況においては、権力格差の大きさはチームのパフォーマンスにプラスの影響を与えるということです。

 

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫,2021)336-337頁)

 

 上記に続く部分が、山口の解説文の核心部といえるかもしれない。以下に引用する。

 

 よく「理想的なリーダーシップ」といったことが語られますが、そんなものは存在しません。リーダーシップというのは極めて文脈依存的なもので、どのような状況・環境においても有効に機能するリーダーシップなどというものはあり得ないのです。

 アムンセンとスコットの対比に関して言えば、アムンセンによる、権力格差の小さいリーダーシップは、南極点到達という、極めて不確実性の高い営みにおいては有効に機能しなかったわけですが、だからといってここから「どのような状況においても権力格差の小さいリーダーシップが有効なのだ」と断ずるのは暴論でしかありません。

 この示唆を、現在を生きる私たちに当てはめてみればどのようになるでしょうか? 当時の南極は、前人未到の大地であり、そこがどのような場所であるかはよくわかっていませんでした。それはまさに、現在の我々にとっての「これからやってくるアフターコロナの世界」のような局面です。このような不確実性・不透明性の高い環境において有効なリーダーシップとはどのようなものか? について考える題材を本書は与えてくれると思います。

 

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫,2021)337-338頁)

 

 特に示唆的なのは上記引用文中の最後の段落だ。

 日本は既に「人口オーナス期」(人口減少による経済や社会への不利益が続く時期)に入っているが、これに対する対処法の知見などほとんどない(経験がないのだから当たり前だ)。その不確実性に加えて「これからやってくるアフターコロナの世界」の不確実性がダブルパンチで襲いかかってくる。アムンセンやスコットが直面した南極到達にも比較されるべき困難な状況といえるだろう。こういう時期に何よりも求められるのは知恵であり、多くの人が持っている知恵を可能な限り有効に吸い上げてそれらを総合し、機能させることが求められる。

 ところが日本の政治状況について言えば、10年くらい前の民主党政権時代に「決められる政治」なるスローガンが喧伝されて、それに先立つ1990年代に行われた「政治改革」の「成果」と相俟って、政党の執行が独裁し、下部は執行部に付き従うだけという傾向が強まった。それ以前から公明党共産党はそういう性質を持つ政党だったが、自民党にせよ民主党にせよ上記の流れに従って権威主義的な政党に変貌していった。

 それらの「既成政党」に対抗する形で新たに現れた日本維新の党やれいわ新選組*2は、最初から公明党共産党をも上回る執行部、あるいは新選組の場合は党首単独が独裁する政党の性格を持っている。維新や新選組においては「権力格差」は特に大きいといえるだろう。

 しかし、上記山口周の議論を維新や新選組に当てはめると、これらの政党が「アフターコロナの世界」に対処できるとはおよそ思われない。

 それどころか、両党は本書刊行後にロシアがウクライナを侵攻して起きたウクライナ戦争で早くも馬脚を現した。維新OBの橋下徹新選組代表の山本太郎がともに事実上侵略者・プーチンの肩を持ったのである。これは、橋下や山本の体質と、世界でも稀に見る残忍な権力主義者であるプーチンのそれとの親和性が高いためだろうと私は考えている。

 プーチンのロシアにせよ橋下の影響力が強く残る維新にせよ山本が独裁する新選組にせよ、集合知が有効に働かないことは明らかだ。特に悲惨なのは新選組であって、山本が持つ陰謀論に惹かれやすい弱点を組織が修正することができず、逆に国政選挙の候補者たちの多くが陰謀論者であることなど、目を覆いたくなるぶざまさだ。

 山口は「アフターコロナの世界」と書いているが、山本太郎の暴走が始まったきっかけも新型コロナ感染症だった。コロナによって得意とする街宣を封じられた山本が打開策として選んだのは2020年の東京都知事選への強行出馬だったのである。この時、山本は宇都宮健児の出馬を取り下げてもらおうと工作したが失敗した。共産党立憲民主党(立民)は宇都宮を支持したため、山本が「野党共闘」に罅を入れた形になった。

 現在、一部の新選組シンパが「野党共闘を支持していた票が参院選で行き場を失うだろう」などと言っているが、昨年の衆院選での「野党共闘」の敗北で本格化した「野党共闘の崩壊」の最初のきっかけを作ったのは山本だったと私はみている。

 山本は2021年の衆院選でも東京8区からの出馬を強行しようとして失敗した。この時はこの山本の暴挙によってかえって同区で「野党共闘」がまとまる結果となり、この選挙区から立候補した立民の候補者が、自民党石原伸晃に比例復活も許さない圧勝をもたらしたが、選挙全体としては「野党共闘」は敗れた。山本は比例東京ブロックに回って当選した。

 ところが山本はきたる7月の参院選に出馬するために、自ら獲得した議席を投げ出した(衆議院議員を辞職)。ここまでくるともう滅茶苦茶だ。こんな人が率いる独裁政党が「アフターコロナの世界」に対処できようはずもない。

 山本が独裁する新選組は、今年の参院選でか、あるいは次の国政選挙でかはわからないが、いずれ行き詰まって破綻するだろうが、橋下徹大阪府知事選初当選から既に14年が経過し、大阪を中心とした関西ではすっかり定着した維新はそう簡単には引きずり下ろせない。それどころか今年の参院選で立民を上回る議席を獲得する可能性や、その後の衆院選野党第一党にのし上がる可能性さえある。しかし維新も新選組に負けず劣らず権力指数の高い政党だといえる。この政党もまた「アフターコロナの世界」に対処できようはずがない。

 政権政党自民党でも極右の元首相・安倍晋三が長く政権を担った2012〜20年の間に、すっかり独裁政党になってしまったし、野党第一党の立民も、せっかく2017年に「希望の党騒動」を奇貨として発足し、ボトムアップや「草の根」を標榜したにも関わらず、結局前代表・枝野幸男の個人商店と化したばかりか、衆院選敗北で枝野にとって代わって代表になった泉健太がドラスティックな政策の変更を衆院選の公約として打ち出しても、党員や支持者からろくすっぽ異議も上がらない惨状を呈している。

 また発足100年を迎えた共産党は、多くの論者から「民主集中制」の限界を指摘されている。先月発売された中公新書『日本共産党』*3の著者・中北浩爾も宮本顯治の路線が限界にきているとみているようだ。「民主集中制」の限界も、山口周が指摘する「権力格差」と関連づけて論じることができるのではないか。少なくとも民主集中制が「権力格差の小さい」制度であるとは私にはとても思われない。

 『アムンセンとスコット』の解説文について、「せっかくのドラマチックな物語をビジネスにおける教訓に転化してしまっていて個人的にはちょっと鼻白んだ」との感想を書いた人も見かけたが*4、私はそのような感想は持たなかった。山口周の解説文は、単に「ビジネス」にとどまらず、今後のこの国の舵取りにも適用できるものであり、その困難さは南極点への初到達と比較できるくらい困難極まりないものだと思うからである。

*1:原文の傍点に代えて太字とした=引用者註。

*2:『kojitakenの日記』では、アベノミクス、巨人(プロ野球チームの日本語の愛称としての用法に限る)、令和(れいわ)の3つの言葉を使用禁止用語に指定している。従ってこの政党名も通常「×××新選組」と表記しているが、ここでは初読の読者も想定して本記事限定であえてNGワードをそのまま用いる。

*3:この本は未読だが、読み終えたら弊ブログで記事を公開したいと考えている。

*4:https://bookmeter.com/books/18961308

ポーより早く探偵小説の原型を発表した(?)ディケンズ『オリバー・ツイスト』/後年の作品の萌芽を多く含む村上春樹『1973年のピンボール』

 連休中にチャールズ・ディケンズ(1812-70)の長篇『荒涼館』(岩波文庫2017, 全4冊=原著1852-53)を読んだ余勢を駆って、同じ著者の有名作品ながら読んだことがなかった『オリバー・ツイスト』(原著1837-39)を2020年に出た光文社古典新訳文庫で読んだ。

 

www.kotensinyaku.jp

 

 この光文社版はずいぶん字が大きいので800頁以上あるが、『荒涼館』の第1巻冒頭のように読むのに難渋する箇所もなく、また訳者の唐戸信嘉氏が1980年生まれの方ということもあって読みやすい。

 主人公のオリバーは『荒涼館』のエスターと同じ孤児だが、オリバーの成長物語みたいなタイトルがついているにもかかわらず、物語中の時間の進行は少しだけなのでオリバーは幼いままだし、途中から脇役に成り下がる。

 こういう大きな欠陥のある小説だが、作中に出てくる悪人たちが活き活きとしているし、作者は明らかに彼らに感情移入している(但しボスキャラ格のモンクスは除く)。フェイギン、サイクスやナンシーたちがそうだが、ことにナンシーは印象に残る。

 また、本作はディケンズ1834年に成立した新救貧法を批判するメッセージを強く込めた社会派の作品だった。新救貧法について下記リンクより引用する。

http://www.y-history.net/appendix/wh0904-065_1.html

 

1834年の新救済法

 産業革命が進行し、資本家層が力をつけてくると、マルサスリカードに代表される救貧法・スピーナムランド制に対する批判は徐々に強まり、1834年に救貧法は改定されることとなった。この新救貧法は、

  • スピーナムランド制は廃止。
  • ワークハウス以外での勤労者の救済を厳しく制限、働くことの出来る人には働くことを強制し、それを拒否した場合は厳罰で臨む。
  • 地方の教区ごとの救貧対策を改め、恒久的な中央救貧行政局を設置。

 このように新救貧法アダム=スミス以来の経済自由主義の思想によるもので、労働者救済の側面では大きく後退した。労働者保護の立法は、同時に進んでおり、1823,4年には労働者の団結権の容認、1833年には工場法も制定される中で、この新救貧法に対して労働者は強く反対した。しかし、内容においては後退したものであったが、これによって教会や地域を単位とした救済ではなく、国家が統一的な施策で対応するという社会保障制度への第一歩となったという評価もある。<橘木 同上 p.10-12>  → ウェッブ夫妻 国民保険法 イギリスの社会保障制度

参考 1834年救貧法の評価

 現代イギリスの著名な歴史家の一人であるホブズボームが産業革命後のイギリスを分析したその著『産業と帝国』で、次のように言っている。

(引用)社会保障が労働者自身の努力に依存していたかぎり、したがってそれは中産階級の基準で見ると経済的に非能率になりがちであった。それが、わずかばかりの公共の援助を決定する彼の支配者に依存しているかぎりでは、それは物質的救済の手段であるよりはむしろ、堕落と抑圧の機関となった。1834年の救貧法ほど非人間的な法律はほとんどない。それはあらゆる救済を外部の最低賃金よりも「望ましくない」ものとし、貧民をその貧困のゆえに罰し、より以上に貧民をつくろうとする危険な誘惑からかれらを遠ざけるてめに強制的に夫と妻と子をひきはなして、監獄のような授産場に救済を限定したのである。それが完全に実施されたことはなかった。というのは貧民がつよいところではかれらはその極端さに抵抗したからであり、やがてそれはわずかながら刑罰的ではなくなった。しかしそれは第一次世界大戦の前夜にいたるまでイギリスの貧民救済の土台となっていたのであり、チャーリー・チャップリンの子供の時の経験は、ディッケンズの『オリヴァ・ツイスト』が1830年代のそれにたいする民衆の恐怖を表明したときと、ほとんどそのままであったことを示している。<ホブズボーム/浜林正夫他訳『産業と帝国』1984 未来社 p.106>

 

出典:http://www.y-history.net/appendix/wh0904-065_1.html

 

 また終わり近くで死刑執行直前のユダヤ人・フェイギンの姿を描いているが、訳者の唐戸氏が書いた解説文によるとディケンズは本作で描かれたような公開処刑を実際に目にしたことがあり、その上で公開処刑に反対し、それどころか死刑自体にも反対していたという。死刑存置論者だったのちのアガサ・クリスティ(1890-1976)とは真っ向から立場を異にするわけだ。イギリスの公開処刑制度はディケンズ最晩年の1868年に廃止された。死刑制度もイギリス最後の死刑が1964年、死刑制度廃止の始まりが1969年で完全廃止が1998年だったとのこと。

 

japanesewriterinuk.com

 

 但し、前記のユダヤ人・フェイギンの描写には、シェイクスピア(1564-1616)にもみられたユダヤ人差別が色濃く見られるとして批判されている。

 作品の完成度は『荒涼館』には全く及ばないというほかないが、『荒涼館』の特色の一つであるミステリ小説の先駆的な手法は本作にも見られる。この点に関して前記唐戸氏の解説文に興味深い指摘があったので以下に引用する。

 

(前略)ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で指摘したように、十八世紀から十九世紀初頭はヨーロッパの刑罰システムの改革期にあたり(イギリスは一番の後進国であった)、犯罪者の「人間性」の発見がこの時期に行われたのである。ディケンズもこうした改革を後押しする人々の一人であり、『オリバー・ツイスト』の悪人の描き方――たとえば死刑前夜のフェイギンの懊悩をリアルに描いた点など――を見てもそうした姿勢は如実にうかがえよう。

 犯罪に対する考え方が変化しつつあったこの時代には、本格的な警察機構が登場している。近代警察の登場が文学に与えた影響は計り知れない。なぜなら、犯罪者とその追跡者という構図を定着させ、探偵小説というジャンルを生み出したからである。本作に登場するボウ・ストリート中央警察はロンドン警視庁スコットランド・ヤード)の前身で、イギリスにおける近代警察の元祖――ちなみにこの組織をつくったのは序文でも言及される作家で治安判事でもあったヘンリー・フィールディング――であるが、ここから派遣される二人の刑事ブラザーズとダフが披露するコンキー・チックウィードの小話には探偵小説の原型がある。通常、探偵小説の嚆矢はエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』(1841)とされるが、ここに探偵小説の萌芽を見てもあながち見当ちがいとはいえない。ディケンズの後期作品のミステリー的要素はしばしば批評家の指摘するところであるが、それは『オリバー・ツイスト』のような初期作品にも十分認められる特徴である。オリバーの出自の謎と最終場面のどんでん返しは、まさしく探偵小説的構造を備えている。探偵小説の作法に親しんだ私たちは、こうした部分をありきたりの技法として読んでしまうかもしれない。しかし、本作が書かれた時期には斬新なものであった。ディケンズは時代に先んじて謎解きという新しい物語構造に目をつけ、いち早く作品に織り込んでいるのである。

 

(チャールズ・ディケンズオリバー・ツイスト』(光文社古典新訳文庫, 2020)843-844頁)

 

 ここで言う「どんでん返し」が何を指すかは不明だが、物語の真ん中あたりで登場するヒロインのローズ・メイリーに関する事柄だったとするなら、ミステリを読み慣れていなくても、たいていの読者には意外感はないだろう。少なくとも私は「やはりそうきたか」と思った。しかし、180年前には新機軸だったということだ。

 なお上記引用文を含む「犯罪・監獄・警察」の項に続く本書844頁以降の「都市と探偵的興味」の項にはフリードリヒ・エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態――19世紀のロンドンとマンチェスター』(岩波文庫)からの引用も含まれる。右翼の読者は目を剥くかもしれないが、残念ながら既に十分長くなったのでここには引用しない。

 

 本作を読んだあと、さらに余勢を駆って村上春樹の『1973年のピンボール』(講談社文庫)を再読し、その舞台のモデルとなった場所のことや、同作が村上のその後の作品群、それも3部作の第3作にあたる『羊をめぐる冒険』のほか、第4長篇『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や第5長篇『ノルウェイの森』、さらには村上の中期への転換点となった第8長篇『ねじまき鳥クロニクル』などの萌芽が多数含まれていることを知って、それらの諸作品を知らない頃にはさっぱり面白いと思わなかった『1973年のピンボール』の特徴に遅ればせながら気づいた。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 本作の半分は東京を舞台とする物語だが、残り半分の舞台が阪神間をモデルとしており、後者において西宮市や芦屋市に該当する箇所があることには初読時から気づいていた。しかし、それとともに東京を舞台とする第1〜11章を奇数章を一人称、西宮または芦屋を舞台のモデルとした偶数章を「鼠」を主人公とする三人称にして書き分けているが、これは村上自身の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の先駆をなすとともに、ディケンズが『荒涼館』で採用した方法を受け継いだ手法であることには今回初めて気づいた*1

 ただ、有料の下記ブログ記事の無料部分の終わりの方に面白い指摘がされているが、それには気づかなかった。

 

note.com

 

本作は、のちの村上作品の原型が、ほぼそのまま書かれている。

〈「僕」&「鼠」は作者の分身〉

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』での主人公の分身(影)につながる。

 

出典:https://note.com/doiyutaka/n/n7e1f297b868e

 

 一人称と三人称を交代させながら進む手法には気づいたが、「鼠」が「僕」の分身だという視点は私にはなかった。しかし言われてみれば確かにその通りだ。あと、直子という名の「僕」の死んだ彼女は『ノルウェイの森』を予告し*2、井戸は同作を含む村上作品の多くに登場し、双子は『ねじまき鳥クロニクル』に登場する。

 個人的な思い出としては、作品のモデルとなった西宮の今津灯台と芦屋市霊園のうち後者を、2002年に当時住んでいた岡山県から六甲山登山に行った時の帰りに散歩して、霊園の北の端から六行山山頂に至る登山口の入口の道標が立っていた(それも少し離れた場所に2箇所の登山口があった)が、踏み跡はいたって少なく「山と高原地図」にもルートが載っていないので、下手に行ったら道に迷って遭難しそうだなと思った記憶がある。

 下記の神戸新聞記事も興味深い。

 

www.kobe-np.co.jp

 

 記事中にある『海辺のカフカ』の甲村図書館は四国の高松にあったことにされているが、作中の記述だと屋島近辺にあたるはずだが該当の地にそのような図書館はない*3。やはりモデルは芦屋の図書館だったようだ。なお2019年春に青春18きっぷで北九州から東京まで途中一泊して鈍行列車の旅をした時*4、芦屋図書館打出分室を見に行こうと思ったら改修中で行けなかったことがあった。

 そういえば『海辺のカフカ』にも世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を回想させるような箇所があったけれども、『1973年のピンボール』には図書館は出てこなかった。

 最後に示す下記リンク先は、今津灯台や芦屋市霊園もさることながら、1960〜70年代に使われていたトースターの画像が懐かしい。

 

hontabi.com

 

 上記記事からリンクされた下記ツイートにトースターの画像が載っている。

 

 

 なお、『1973年のピンボール』では、ピンボールの稀少モデルに絡む物語もそれなりに面白い。本作に続く第3作の『羊をめぐる冒険』で村上春樹ベートーヴェンの『エロイカ』級の飛躍をしていると評価できる*5が、それに先立つ第2作である本作も、デビュー作の『風の歌を聴け』と比較するとかなりの飛躍があり、本作には後年の諸作品が既に胚胎しているといえる。ちょうどベートーヴェンの第2交響曲がそうであるように。

*1:初読時には『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も『荒涼館』も知らなかったから気づきようがなかった。

*2:読書サイトを見ると、この点を指摘する読者は非常に多い。しかし、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』との関係にまで言及しているレビューも散見されるものの、その数は少ない。

*3:私は2000年代には高松市民だった。

*4:この時には東京から北九州までの往路は新幹線で移動し、復路で青春18きっぷを使ったのだった。

*5:そういえばアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』も名探偵ポワロものの第3作であり、前2作と比較して大きな飛躍を遂げているのだった。

チャールズ・ディケンズ作(佐々木徹訳)『荒涼館』(全4冊・岩波文庫)を読む

 読み終えてから少し時間が経ってしまったが、休日が多かった今年の黄金週間に、チャールズ・ディケンズ(1812-1870)の『荒涼館』全4冊(岩波文庫,2017)を読んだ。訳者は佐々木徹(1956-)で、図書館で借りて読んだ。

 

www.iwanami.co.jp

 

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 上記第4巻へのリンクから明らかなように、ミステリの要素も含まれる長篇だ。書かれたのはヴィクトリア朝時代の1852〜53年で、170年前の「英国社会全体」が描かれているという。

 読む気になったのは、図書館で第4巻の解説文(訳者による)を見た時だった。下記のように書かれている。

 

 アガサ・クリスティーは1966年*1「サンデイ・タイムズ」紙上で、次のように述べている――「一番好きなディケンズの小説は『荒涼館』です。プロットが本当によくできていますね。実は、前に一度依頼されてこの映画のシナリオを書いたことがあるのですが、まあ、何と豊かな登場人物たち! すばらしいキャラクターをたくさん切り捨てなければならないのがとても残念だったのをよく覚えています」。このシナリオは結局日の目を見なかったものの、クリスティーに話を持って行ったプロデューサーは慧眼の持ち主だったに違いない。『荒涼館』はミステリの一面を持っており、このジャンルの歴史の上でも重要な意義を持っている作品なのだから。

 

(チャールズ・ディケンズ(佐々木徹訳)『荒涼館』4(岩波文庫, 2017)486頁)

 

 解説文の冒頭からも引用する。

 

 『グレート・ギャツビー』の作者F・スコット・フィッツジェラルド*2は、1939年3月、当時大学生だった愛娘にあてた手紙の中で、『荒涼館』はディケンズの最高傑作であり、「反対刺激薬(カウンター・イリタント)」が欲しくなったら是非この小説を読むように薦めている。反対刺激薬とは、たとえばメントールのようにヒリヒリする刺激を与えることで別の箇所の痛みから気をそらせる薬を指す。苦い現実に接した時は、甘いものではなく、強い刺激のある本を読みなさい――フィッツジェラルドは娘への助言にそんな意味を込めているように思われる。なるほど、『荒涼館』は苦く厳しい真実を読者に突きつける。そして、辛口の社会批評に加えて、独特のユーモア、卓抜なストーリー・テリングを兼ね備えた本作は、確かにディケンズ芸術の一つの頂点を示しており、フィッツジェラルドの評価はまことに正当なものと言える。

 

(チャールズ・ディケンズ(佐々木徹訳)『荒涼館』4(岩波文庫, 2017)486頁)

 

 そこまで書かれたら読まないわけにはいかない。しかし読み始めには苦戦した。ことに全4巻のうち第1巻のハードルが高く、その中でも最初の2章のハードルは特に高い。しかし読み進めるにつれてペースはぐんぐん上がり、最後の第4巻はまる1日も要さずに一気読みした。

 

 以後、小説の内容に言及する。そもそも本作の具体的な中身について何も知りたくない方はここで読むのを止めていただきたい。

 また、本記事の後半部にはミステリ部分のネタバレが含まれる。ネタバレ部分の直前に再度お知らせするので、それまでの部分では殺人事件の犯人には言及しない。

 

 『荒涼館』は私が読んだ岩波文庫版の他に、1989年に刊行されたちくま文庫の4巻本があり、私が住む東京都の区内には、こちらだけ置いてある図書館もあった。ちくま文庫版は青木雄造(1917-1982)と小池滋(1931-)の共訳で、筑摩書店の「世界文学全集」第29巻として1969年に刊行された。図書館に多く(私の住む区内では5箇所に)置いてあるのは「筑摩世界文学大系」第34巻であって、こちらは1975年に刊行されている。なお、小池滋は東大文学部教授だった青木雄造の教え子らしく、ちくま文庫を見ると全部で69章からなる『荒涼館』の第1〜34章(筑摩文庫本では第1巻から第3巻の初めの2章まで)を青木、第35〜69章を小池が訳したことになっているが、Wikipediaの「青木雄造」の項にはとんでもないことが書かれている。以下引用する。

 

弟子(恐らく小池滋)と共訳(恐らく『荒涼館』)出版をすることになり、青木自身は前半を受け持ったが、青木がまるで仕事をしないので、小池が前へさかのぼって訳し、遂に第二章まで達してしまったという。

 

出典:青木雄造 - Wikipedia

 

 向坂逸郎岡崎次郎の『資本論』かよ、と思ってしまった。

 『資本論』といえば、やはりちくま文庫版の解説文をチラ見しただけなのだが、ディケンズ後期の『大いなる遺産』(1861)が『資本論』に匹敵する破壊力を持つとも評されていたらしい。

 後年の作家であるアガサ・クリスティが主にアッパー・ミドルの階級を描いたのとは対照的に、ディケンズが属していた階級はローワー・ミドルであって、その階級意識が作品世界に強く反映されていると指摘されているようだ。中流階級では二は属するもののアッパー・ミドルには属さないと思われる『荒涼館』のヒロイン、エスター・サマソンが労働者階級を見る目線にも階級意識が反映されていると、岩波文庫版訳者の佐々木徹は指摘する。以下、三たび岩波文庫版最終巻の解説文を引用する。

 

 エスターは19世紀の階層社会において、中流階級におさまっている人物である。だから、自分は下層の労働者とは身分が違う、と当然のように思っていた。これが社会の常識だったのである。ディケンズ自身は中流階級の底辺に近い家庭に生まれ、12歳の頃、経済感覚のない父親のせいで働きに出され、労働者の子供と交わらざるを得なかったことを非常な屈辱と感じた(父親は債務者監獄に入れられたため、彼はしばらく家族と離れて一人で暮らさねばならなかった――ディケンズ小説の孤児たちの原型がここにある)。イギリスの小説はどれを読んでも階級意識が窺えるが、その特徴がディケンズの作品には特に明瞭に現れている。

 

(チャールズ・ディケンズ(佐々木徹訳)『荒涼館』4(岩波文庫, 2017)484頁)

 

 マルクスの生前に刊行された『資本論』第1巻には、イギリスの苛酷な児童労働の実例を多く挙げた箇所があるが、『大いなる遺産』(私は未読)には具体的な児童労働が描かれているのではないかと思われる。だから、ディケンズより上の階級に属する人間が『大いなる遺産』が『資本論』に匹敵する破壊力を持っているとして脅威を感じたのではないかと推測される。なお、マルクス自身も「プロレタリアと一緒にされてたまるか」という階級意識を持っていたことを、労農派系の学者は指摘している。かつての社会党社会主義研究会は労農派系であり、彼らは等身大のマルクス像を描くことをタブーとはしなかった。そのあたりが、マルクスを神聖不可侵として祭り上げる傾向の強い講座派系(共産党系)と強い対照をなしているようだ。労農派、講座派の話は棚に上げたとしても、マルクスが「ルンペンプロレタリアート」を革命の担い手から除外していたのは誰も否定できない事実であって、それを捉えてのマルクス批判もなされている。

 

 『荒涼館』の周辺部ばかり述べてきたが、ここらから核心部に入ることにする。

 本作は、およそ半分が三人称、残り半分がエスターの一人称で書かれているという文体上の大きな特徴がある。クリスティが『ABC殺人事件』の主要部分をヘイスティングズの一人称で書き、ところどころに三人称の文章を挿入しているが、その先駆をなしている。

 読みやすいのはエスターの一人称の部分だが、英語の原文では最終章を除いて過去形の時制が用いられているのに対し、三人称の部分では現在形の時制が用いられているようだ。それは日本語の訳文に反映されてはいるが、なにぶん日本語には時制がないので対照の鮮やかさにやや欠ける。エスターの語りに平仮名が多用されているのはそれを補うための工夫だろうか。エス*3の語りに平仮名が多いのはちくま文庫版でも採用されている手法だが、岩波文庫版ではそれがかなり極端だ。それを読みにくいと感じる読者も少なくないようだが、私はそのような抵抗は持たなかった。

 初登場する第3章の最初で「りこうではない」と謙遜しながら自信なさそうに語り始めるエスターの語り口を印象づけるために平仮名を多用しているとも推測されるが、さほど読み進めないうちに、この謙遜はエスターの内心の自負心とはかなりかけ離れていることがわかってくる。読み進めるほどに他の登場人物の大多数と比較してエスターが聡明であることがはっきりするし、後述のエスターの出生の秘密からいっても、エスターが大変な美人である可能性が高いことがわかる。従って、エスターは「信頼できない語り手」の範疇に入るのではないかと思った。少なくとも語り手のエスターは自分の感情を真っ直ぐに表出してはいない。

 このあたりから、未読の方は知らない方が良いと思われる部分への言及を始める。まだ殺人事件のネタバレまでには若干の間があるが、私が「未読だが本作を読みたい読者」であれば知りたくないと思うに違いない内容が、このすぐあとの文章以降に含まれている。

 本作のミステリの部分は、実は(ある程度予想はしていたが)大したことはない。それよりもエスターの出生の秘密の方が興味深いのだが、実は本作の時系列以前に起きた出来事の全貌は明らかにされておらず、読者の想像に任されている。

 たとえば、エスターの実母であるレディー・デッドロックは、上流階級に属するサー・レスター・デッドロック准男爵と結婚する前はいかなる階級に属していたのかというのが不明だ。サー・レスターと同じ上流階級ではなく、中流階級ではないかと推測されるが明記されていない。

 また、浮浪児のジョーが罹患し、エスターが移されて顔に痕が残った病気は天然痘であると一般に解釈されており、その場合エスターの顔の痕は一生残るが、実は本作には病名は明記されていない。しかも、第64章で弁護士になったガッピーから再度求婚されたり、物語の最後で夫のアランに「きみはまえよりもきれいだよ」と言われたりしている。これを、人間として成長したエスターの内面の美しさを表現したとも解釈できるが、曲者はガッピーの再求婚だ。本作ではガッピーは俗物として馬鹿にした描き方がされていて、過去に美しかったに違いないエスター(本人の謙遜は「信頼できない語り手」なので全くあてにならない)の顔に病気による痕ができたのを見て目を丸くし、求婚を取り下げてしまったいきさつがある。そんなガッピーの再求婚については、最初読んだ時には「あんな奴にもいいところがあったのか」と思ったが、ネット検索をかけて、エスターの顔面の痕が薄れていったとの解釈があると知って、そちらの解釈に軍配を上げたくなった。その方が救いがあるのに加え、ガッピーのキャラクターによく合っていると思うからだ。この場合、エスターが罹患したのは「天然痘ではない正体不明の病気」だったことになる。丹毒(チフスの合併症)という病気だったとする説もあるようだ。

 エスターという「信頼できない語り手」の過去形での語りは、物語の進行、特にのちちに不幸な最期を遂げる登場人物の行く末を示唆するとともに、以下は私の発見ではなくどこかで指摘されていたの受け売りだが、自分の感情を他の人物の感情にすり替えて語る癖がある。また、本当は自分の顔の変化を非常に気にしており(それはどんな人にとっても自然な感情だろう)、それがアラン・ウッドコートに対する真情を語らない理由になっているのではないかと私は思ったが、これには同感の読者が多いのではなかろうか。

 また「良い人」としてしか描かれていないジョン・ジャーンダイス氏が早い時期からエスターを結婚相手に想定していたことは明らかだが、最終的にはエスターの本当の気持ちを承知しているジャーンダイス氏が自ら身を引いている。このあたりは「本当に良い人かどうか十分には信頼できなかったジャーンダイス氏は、それでもやっぱり良い人だった」という無難な結末だといえる。

 そしてどうなっているのかと最初からずっと訝っていた「ジャーンダイス対ジャーンダイス」の訴訟におけるエイダ、リチャードとジャーンダイス氏との利害関係は、結末近くになって初めて明らかにされる。クリスティのミステリを多く読んできた私は、三者、特に「エイダとリチャード」と「ジャーンダイス氏」とは実は対立する利害関係にあるのではないかとずっと疑ってきたが、その想像が当たっていたことが第62章「もう一つわかったこと」で初めて明かされた。それとともに、新たに見つかった遺言書によってジャーンダイス氏の取り分は減り、エイダとリチャードの取り分が増えることが明らかになった。このことから推測されるのは、ある時期からリチャードがジャーンダイス氏を憎むようになったのは、互いの利害関係が対立していることをリチャードが知ったからではないかということだ。

 そしていつ果てるかわからないかに思われた訴訟は結審を迎えるが、それはエスターが予期した通り、エイダとリチャードを金持ちにする結果ではなかった。ジャーンダイス家の遺産が訴訟によって消尽された結果だったのである。このくだりには意表を突かれた。「やられた」と思った。この結審にショックを受けたリチャードは、それまでにも進行していた病気を悪化させて死んでしまうが、リチャードの悲劇的な最期はエスターの語りにたびたび予告されていた。

 そしてエスターの母の死。それに至る失踪した母の追跡劇は、アガサ・クリスティの作品のいくつかを思い出させた。彼女のアドベンチャーものには追跡劇がよく出てくるが、それらではなく、ポワロを探偵とするミステリものの『もの言えぬ証人』の追跡劇が強く連想された。悲劇性が共通している。『もの言えぬ証人』も多くの読者にとっては「意外な犯人」だったに違いない*4

 これ以降にミステリ部分のネタバレが含まれる。

 本作では謎の死を遂げる人物が3人いるが、クリスティ作品を読みすぎの私は3件とも殺人事件で、犯人はあの人なのかなと思ってしまった。とはいえ1件目はあの人が殺したと考えるのはさすがに無理があるとも思ったし、肝心の3件目があの「意外な犯人」である可能性も頭に入れてはいたが、後者についてはミステリ小説の要素もあるとはいえミステリ小説そのものではないのだから「意外な犯人」でないのかもしれないと思って強引に読み進めた結果、まんまとディケンズのミスリードにはまってしまった次第。

 まず何より、殺人事件は1件だけだった。1件目は本当にアヘン中毒死だったし、2件目の「酒飲みの自然発火による死」も(驚いたことに)本当にその通りの設定だった。当時信じられていた俗説をディケンズが信じていたものらしい。ちくま文庫版ではそれに関する注釈が詳しかったらしく、読書サイトを見る限り、同文庫版でこの箇所を誤読した読者はほとんどいなかったようだ。あるいは岩波文庫版にもきっちり注釈されていて、私が読み飛ばしただけなのかもしれないが、私は秘密を隠匿したいに違いにないあの人が「殺った」のではないかと疑ってしまった。

 そして第3巻の終わり近くに起きた殺人事件。ここではディケンズは露骨にあの人、つまりエスターの母であるレディー・デッドロックが犯人であるかのようなミスリードを行っている。最初に逮捕されたジョージが犯人でないのは明らかだったが、バケット警部はサー・レスターに向かって「犯人は女でした」*5と告げる。ところが、バケット警部が名指しした真犯人はレディー・デッドロックではなく、彼女のかつてのメイドだったフランス人・オルタンスだった。この登場人物がレディー・デッドロックに恨みがあることを私は気に留めてはいたのだが、クリスティ作品でもあるまいしオルタンスではなく順当にデッドロック夫人が犯人だろうと高をくくっていたらやられてしまった。

 とはいえ、バケット警部の推理はザルもいいところで、読者に十分な手がかりが与えられているわけでも何でもないから、別に犯人当てできなくても問題はない。この場面に引き続いて失踪したデッドロック夫人をバケット警部とエスターが追跡する緊迫した場面が続くが、こちらの方が印象に残るしはらはらどきどきする。しかし、追跡に時間がかかりすぎることなどから、徐々にデッドロック夫人の死で終わるだろうなその想像が強まり、その場面に備えて十分な覚悟を持って読み進めざるを得なくなる。そして、夫人が倒れている挿絵に遭遇した。原著に収録され手いたと思われる「朝」と題するこの挿絵は岩波文庫版第4巻の305頁にあり、「それは死んでつめたくなった母の顔でした」とエスターが語る。この場面が本作の悲しいクライマックスだった。これが第59章で、このあとの第60〜69章は収束への過程になる。最後の第69章でエスターが初めて現在時制を用いて語っている。

 なお、デッドロック夫人の遺体を発見する場面で、デッドロック夫人と煉瓦造り職人の妻・ジェニーの服装が交換されているのは、社会において階級間の移動が行われるようになることを暗示しているとみられる。この指摘は多くなされている。

 また、デッドロック家の女中頭であるラウンスウェル夫人の長男が鉄工所を経営し、ホイッグ党自由党の前身)と見られる政党から選挙に立候補して当選するが、これは1830年の選挙によってであろうと推測されるようだ。本書が書かれたのは1850年代初頭だが、鉄道網が建設中だったことから1830年代と推測され、かつトーリー党(保守党の前身)からホイッグ党への政権交代が起きたのは1830年だった。1760年の産業革命開始から70年。新興の中産階級ブルジョワホイッグ党の代議士になる時代になった。但し、イギリスで普通選挙が始まったのはずっとのちの1918年であって、ホイッグ党も必ずしもブルジョワ政党ではなく、構成員にも上流階級の人間が多数いたらしい。

 そうではあっても、選挙結果はトーリー党と思われる政党を支持するサー・レスターには痛手だった。夫人に家を出て行かれた上に死なれ、選挙結果も望みに反したサー・レスターは病気で倒れて死には到らなかったものの再起不能となり、デッドロック家は凋落していった。

 文学的素養を全く欠く私が(これは決して「信頼できない語り手」の謙遜ではなく事実だ)年をとってから小説を多く読むようになったのは、いろんな時代やいろんな国の社会が活写されているフィクションから、その地域及び時代の社会を理解する手がかりが得られる楽しみがあることを知ったからだ。

 本作には殺人事件の箇所に限らず、最初読んだ時にはわからない伏線があとでつながる箇所が多い。たとえばヒロインのエスターの母は第2巻の前半で、父は同じ第2巻の後半で明らかになある。ジョージがラウンスウェル夫人の次男であることも、ある箇所に固有名詞が出てくることから推測可能だとの未確認情報を得た。

 つまり、本書には種明かしをされたあとの再読の楽しみがあると思われる。また、前述のように明らかにされていない部分も多いので、明らかにされた情報を元にそれを推測する楽しみもあるだろう。

 しかしなにぶんにもあまりにも長い小説だ。本作を再読するよりも、まだ読んでいない本を読む方を優先せざるを得ない。

 今後、ある年数を無事生き長らえることができて仕事をリタイアし、なおかつとれる時間がまだ残されているという幸運が得られるなら、本作を是非再読したいと思った。

 なお、岩波文庫版には「主な登場人物」が各巻4頁にわたって紹介されているのが非常に親切だと思った。かなりマイナーな登場人物まで網羅されている。ちくま文庫版はそうではない。また岩波文庫版には挿絵があるが、ちくま文庫版にはない。以上の理由から、岩波かちくまかの選択であれば岩波文庫版が断然おすすめだ。

 ネタバレの被害にほとんど遭うことなく(ごく一部、文庫本のカバーに不要な情報が書かれていたのが例外だった)大作を読み終えることができて良かった。そう言いつつネタバレ満載の記事を書いてしまったが。

 ディケンズの長篇は1980年代に新潮文庫で『デイヴィッド・コパフィールド』を読んで以来。誰だったか日本の小説家が薦めたから読んだのではなかったかと記憶する。その他の長篇は全然読んでいなかったが、遅ればせながら他の作品も読んでみようかと思った。

*1:原文は漢数字=引用者註、以下同様。

*2:(1896-1940)=引用者註。

*3:ちくま文庫版ではヒロインは「エスター」ではなく「エスタ」と表記されている。名前の表記では岩波文庫版のジャーンダイスがちくま文庫版では「ジャーンディス」と表記されているのが大きな違い。

*4:クリスティの好むパターンを発見していた私は真犯人に気付いてしまっていたが、その人物の死と、その人物に対する「意外な墓碑銘」(「間抜けな語り手」であるヘイスティングズの論評)は印象に残った。

*5:岩波文庫版第4巻119頁。

「翼をください」(赤い鳥、1971)は1977年に高校の音楽教科書で初めて知った

 NHKの朝ドラなど見なくなってから四半世紀が経つが*1、現在放送中の「ちむどんどん」に、1971年の沖縄で「翼をください」が歌われていたのに違和感を持ったと書かれた記事があることを、下記ブログ記事経由で知った。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 記事の前半は、沖縄返還の1972年5月15日(月曜日だったらしい)に、京都の学校が「半ドン」となり、午後の授業がなかったという話。私は兵庫県在住の小学生だったがその日の午後の授業があったかなかったかは全く覚えていない。

 後半が「翼をください」の話になる。元記事へのリンクを下記に示す。

 

news.yahoo.co.jp

 

 要約すると、1971年に「翼をください」という歌など知らなかった。それもそのはず、この歌は同年に発売された「赤い鳥」のシングル盤「竹田の子守唄」のB面曲だった。それがラジオ放送等により知られるようになった。音楽の教科書に載って学校の授業で歌われるようになったのは少しあとのことだ、とのことだ。

 実は私がこの歌を知ったのも、高校の音楽の教科書に出ている楽譜を見た時だ。1977年のことだった。コード進行がかなり変わっている。「赤い鳥」のボーカル・山本潤子はC(ハ長調)のキーで歌っているが、2〜3小節目に早くもC/B♭→ F が出てきてサブドミナントへの傾斜を見せたと思ったら、5小節目でD/C、つまりダブル(ドッペル)ドミナントが出てきて、予告とは逆方向、つまりドミナント(G)へ転調する(7小節目まで)。またサビの部分で二度B♭が唐突に出てくる。これらが面白いと思った。なおコードは教科書に載っていたように記憶する*2。下記YouTubeの動画にコード進行が示されている。

 

www.youtube.com

 

 この記事を書きながらいくつかYouTubeの動画を視聴したが、やはり最初にシングルを出した山本潤子の独擅場だと思った。オリジナルのシングル(結構テンポが速い)の他、テンポの遅いバージョンやロック色の強いバージョンなどいろいろあって、どれも面白かった。女性歌手でこの曲をCのキーで歌える人は少ないだろう。あの高音に特徴のある岩崎宏美のシングルでも高いFの音はほとんどなかったように記憶する。それを山本は楽々と歌っているように聞こえる(もちろんMISIAあたりなら楽勝だろうけど)。同じ山本でも「ふたりっ子」のイモ役者とは雲泥の差だ。但し後年の動画ではさすがの山本もキーを下げて(Aで)歌っていた。なお、サビに出てくるダブルサブドミナントはバージョンによっては他のコードに差し替えられている。たとえば視聴回数がもっとも多いと思われる下記の動画で山本はAで歌っているが、二度目のダブルサブドミナントはG(原曲ではB♭)がB7/A(同D7/C)に代えられている。これも悪くはなく、同じパターンを繰り返すのではなく二度目には違うコード進行で、という意図なのだろうが、私はオリジナルで覚えているのでそちらに軍配を上げてしまう。

 

www.youtube.com

 

 他の人たちの動画もいくつか視聴したが、いずれも山本潤子(赤い鳥)には及ばないというのが私の感想だ。中でも最悪だったのは平原綾香のバージョンで、私が視聴した動画ではキーをGあたりに下げて歌っていた上、歌い出しの部分のコード進行が滅茶苦茶だった。あまりにもセンスがない編曲に呆れて、サビの部分の前に視聴を止めてしまった。もちろん一番悪いのは編曲だが、こんなのを認めてこれで歌ってしまう平原も平原ではなかろうか。

 

 なお、Wikipediaによると、

 1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。

とのことだが、やまがたすみこバージョンには残念ながら接していない。

 

 上記Wikipediaの続きの部分を少し引用する。

 

1976年以後、音楽教科書にもたびたび掲載されている[1]。教科書出版社の教育芸術社橋本祥路が教科書に収録して以来、合唱曲として有名となり、1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。そのため、日本国内では老若男女誰もが歌える愛唱歌である。

FIFAワールドカップフランス大会予選のUAE戦(1997年10月26日開催)からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われるようになった[2]。1998年にはこれに便乗する形で小宮悦子川平慈英山本シュウらによって結成された企画ユニット「ザ・つばさーず」が「翼をください」をレコーディングし、同年3月発売のミニアルバム『サッカー天国』に収録した。

1998年長野オリンピックでは山本潤子版が、2021年2020年東京オリンピック開会式ではスーザン・ボイルの英語詞版が流れた。

2007年には「日本の歌百選」に選出された。

 

出典:翼をください - Wikipedia

 

 ああ、そういやW杯の予選で歌われてたっけなあ、と思い出した。これも四半世紀前の1997年のことだ。私が1977年に音楽の教科書で接したのは、この歌を音楽の授業で教えるようになって2年目という早い例だったようだ。

 しかし「日本の歌百選」というのには抵抗がある。あの技巧的なコード進行や転調は全然「日本らしくない」と私には思われるからだ。これは間違っても悪口ではないので誤解なきよう。

*1:最後に熱中して見たのは、あの山本太郎なる大根役者が出演していた「ふたりっ子」(1996-97)だった。

*2:但し教科書に載っていた楽譜のキーがCだったか、それともB♭(変ロ長調)あたりに移調されていたかまでは覚えていない。CかB♭のどちらかだったような気はするが。