KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

2020年1月に読んだ本:カフカ『失踪者』『城』『流刑地にて』、樋口陽一『リベラル・デモクラシーの現在』、島田雅彦『虚人の星』など

 今年はどういうわけか年初から仕事がタイトで、1件の記事を書くのにいつも時間がかかるこちらのブログの記事を、年明け以来一度も更新できずにきた。3月半ば過ぎまではこの調子が続くので、1月と2月は「今月読んだ本」を羅列して、とりあえず昨年1月以来続けている毎月の更新を継続したい。

 今月は、2006年に白水uブックスから出た全8冊の「カフカ・コレクション」(池内紀訳、底本は白水社版「カフカ小説全集」全6巻, 2000-2002)から『失踪者』、『流刑地にて』、『城』の3冊を読んだ。カフカは30年以上前の1980年代に『変身』と『審判』を読んで以来。図書館で見かけたのでまず『失踪者』を借りたところ、カフカの小説の面白さもさることながら、昨年亡くなった池内紀の個性の強い訳文にはまってしまった。ネット検索をかけたところ、私と同様に池内氏の文体にはまったという人を複数発見した。氏の文体は確かに癖になる。「やおら」と「やにわに」という2つの言葉を偏愛しているのが目立つ。

 

www.hakusuisha.co.jp

 

 今月読んだ3冊のうち、未完の長編の(といっても3つしかないカフカの長篇はすべて未完だが)『城』が一番長いが一番面白い。それに次ぐのが、かつては『アメリカ』と呼ばれていた『失踪者』で、これはドイツからアメリカに渡る15歳ないし17歳*1の少年カール・ロスマンの物語だが、カール少年よりも先に小説の方が「失踪」して未完に終わった。子の小説の設定を下敷きにしたのが、15歳の田村カフカ少年が東京から高松に渡る村上春樹の『海辺のカフカ』だろう。短篇を集めた『流刑地にて』が一番とっつきにくい。

 

 1月は8か月ぶりに松本清張を2冊読んだ。文春学藝ライブラリーに収められた『昭和史発掘 特別篇』と光文社文庫の「松本清張プレミアム・ミステリー」の第6次シリーズに収録された『翳った旋舞』。前者は2009年に文春新書から出た『対談 昭和史発掘』を再編集して解題したもので、全13巻(現在の文春文庫新装版では全9巻)の『昭和史発掘』に収録されなかった2篇に、1974年に行われた清張と城山三郎五味川純平鶴見俊輔3氏との対談を併録したもの。後者は1963年に「女性セブン」に連載されたものの20年間放置され、1983年に一部書き改められた上で、角川書店から単行本化された。いずれも清張マニアくらいしか読まない本だろう。

 

 政治絡みでは、昨年12月に岩波新書から出た樋口陽一の『リベラル・デモクラシーの現在』は良かった。

 

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 日本の政治はまず、歴代自民党政府がないがしろにしてきた立憲主義に立ち返るところから始めなければなるまい。古い政治思想ではあるが、日本の政治はその前提さえクリアできていない。だから現在の安倍政権の惨状がある。戦前の政党には「立憲」の2文字がつくことが多かったが、昨年の参院選で落選した、東大法学部卒の某元自民党参院議員、いや実名を出そう、礒崎陽輔は「立憲主義なんて習わなかったぞ」と嘯いた。その「立憲」の2文字を復活させて3年前の衆院選で躍進した政党があったが、その政党との合流協議で玉木雄一郎は「立憲」の2文字を外させようと躍起になったあげくに合流は破談になった。枝野幸男にも買えないところが多いが、玉木はそれ以前の論外の政治家というほかない。

 

 安倍晋三絡みでは、明らかに安倍をモデルにして島田雅彦が2015年に出した小説『虚人の星』*2を読んだ。

 

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 しかし、大の安倍批判派だという島田雅彦のこの小説は「ぬるい」の一語。ことに終わり近くの部分が最悪で、安倍昭恵をモデルにした登場人物「玲子」だの、明仁天皇夫妻だのを善玉に描いてしまっている。「家庭内野党」をウリにして人気を博していた安倍昭恵は、この小説の刊行からわずか1年半後に発覚した森友問題によってその醜悪な正体を露呈したから、発表後短期間で色あせてしまった小説と評するしかない。講談社文庫版の解説を書いているのがあの上杉隆であって、島田雅彦はその上杉に文庫本解説の執筆を依頼したというのだから、島田のどうしようもなさがわかろうというものだ。『虚人の星』は最初の方は面白かっただけに残念。「キョジン」*3の祟りでもあろうか。

 安倍晋三をモデルにした小説なら田中慎弥の『宰相A』、政権批判側の立場に立った政治的な小説なら星野智幸の一連の小説の方がそれぞれずっと良いというのが私の評価だ。

 なお島田雅彦は、昨年の参院選山本太郎が代表を務める元号政党*4を応援したという。

 

 今月は他に安部公房『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫)、新田次郎『冬山の掟』(文春文庫)、竹内悊『生きるための図書館』(岩波新書)を読んだ。

*1:この未完の小説の草稿では17歳の設定だが、第1章だけ独立して1913年に発表された短篇「火夫」で15歳に改められた。

*2:スポ根も読売もこの小説には関係ない。

*3:プロ野球球団のニックネームの漢字表記は、私のブログのNGワードとしている。

*4:この政党の名前にも私のブログにおけるNGワードである現在の元号が含まれているため、私はいつも「山本太郎元号政党」を縮めた「山本元号党」または「山本党」と表記している。

吉田秀和の「晩年のマーラー」評に感銘を受けた

 前回も書いた通り、今年は2012年に98歳で亡くなった音楽評論家の吉田秀和を再発見した年だった。

 吉田秀和の名前を知ったのは1975年で、NHK-FMで日曜夜の深夜だったか、「名曲のたのしみ」という題の番組で、月の4週のうち3週は「モーツァルト その生涯と音楽」と題して、モーツァルトの全作品を流していたのだった。私がこの番組を聞くようになった1975年の秋頃には、ケッヘル番号(以下「K.」)301〜306番のヴァイオリンとピアノのためのソナタをやっていた。この分野でのモーツァルトの作品は、一般にはベートーヴェンの同種のソナタ、特に「クロイツェル・ソナタ」などと比べて軽く見られることが多いが、吉田は「クロイツェル・ソナタ」はあまり買わず、モーツァルトの作品群をこの分野での最高峰とみていたようだ。特にホ短調K.304が強く印象に残った。その少し前に、吉田の番組とは違うNHK-FMの番組で聞いた変ロ長調K.378(冒頭の旋律が忘れられない)などとともに、この分野のモーツァルトの作品群に強く引き込まれるきっかけになった。その後90年代に買った、東京生まれのヒロ・クロサキのヴァイオリンとリンダ・ニコルソンの古楽器による演奏が今では一番のお気に入りで、モーツァルト最後のヴァイオリンソナタであるイ長調K.526の良さが初めてわかったのはこの演奏による。現代楽器による演奏だとピアノがうるさすぎてやや鬱陶しかったのだが、クロサキとニコルソンの演奏で聴くと、ピアノとヴァイオリンのバランスがよくとれた音楽であることがわかるとともに、モーツァルトのヴァイオリンソナタの最高傑作がこの曲であることを初めて感得した。それと同時に、吉田秀和が「クロイツェル・ソナタはピアノが重すぎる」と書いていたことを思い出し、あるいはベートーヴェンのヴァイオリンソナタも19世紀の楽器で弾かれるべき音楽なのかも知れないと思った。

 だが、吉田秀和の音楽以外とのかかわりにはずっと関心が薄かった。ところがここ数年、小説の類をずいぶん読むようになって*1、文学者の文章に吉田秀和の名前が出てくるのを目にするようになった。前回書いた大岡昇平村上春樹などである。ネット検索をかけると、これも最近よく名前に接する丸谷才一*2が述べた吉田秀和への追悼の辞を引用したブログ記事を発見した。

 

kirakuossa.exblog.jp

 

 以下引用する。

 

丸谷才一は、「私の趣味は吉田秀和の本を読むことでした。私は古典派、とりわけハイドンモーツァルト室内楽を聴くのが好きで、それこそ趣味の最たるものですから、そのごく自然な延長として、吉田秀和の音楽評論を読んでおもしろがっていた。それに吉田さんの音楽評論自体が立派なもので、文句のつけようがなかった。それは、しあわせな音楽的環境に生まれ育って音楽好きになった人が、豊かでバランスの取れた知性と教養を身につけ、音楽への高度な愛情を比類のないほど巧みな文章で表現したものでした。文芸評論家も含めての近代日本の批評家全体のなかで、中身のある、程度の高いことを、吉田さん以上に上質で品のいい、そしてわかりやすい文章で表現できた人は、他に誰かいるでしょうか」といった意味のことを吉田氏への「追悼の辞」とした。

 

ずばりと言い当てた、まことによくできた文章だと思う。

 

出典:https://kirakuossa.exblog.jp/22847369/

 

  吉田秀和のあとを追うように、丸谷才一も2012年10月13日に亡くなった(吉田の命日は5月22日)。二人とも、「崩壊の時代」に入る直前*3に世を去ったわけだ。

  今年に入って河出文庫から吉田秀和のシリーズが相次いで出たので、私があまり関心のない指揮者*4、その中でも『決定版 マーラー』に収録された「マーラー」が特に印象に残った。これを今回取り上げる。

 

www.kawade.co.jp

 

 作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)の音楽が広く聴かれるようになったのは1960年代だろう。ちょうど、シューベルトピアノソナタの真価が理解されるようになったのと同じ頃だ。1970年代になると、確か1976年に、NHK-FMクラシック音楽のリクエスト番組で、マーラー交響曲第10番をデリック・クックが完成させた補筆完成版がかかるまでになった。当時の私はまだ後期マーラーが全然わからなかったのでその回は聴かなかったが。ただ、第1交響曲*5と第4交響曲は翌1977年に聴いて大いに気に入り、80年代に入るとマーラーが「マイブーム」になった。第4,5,7,8番の交響曲はコンサートで聴いたこともある。

 しかし、1970年代前半は、日本ではまだマーラーの黎明期だったらしく、吉田秀和が1973年から74年にかけて「ステレオ芸術」誌に連載した「マーラー」は、シェーンベルクアドルノマーラー論を引用しながら、譜例も多く引用して書かれた力作なのだ。

 私が本屋(池袋のジュンク堂書店)で『決定版 マーラー』を買うために頁をめくっていたら、たまたまシェーンベルクマーラー論を引用しているくだりがあったので、引用元のシェーンベルクの著書が文庫本になってないかと思って書棚を見たら、あった。果たして十二音音楽の開祖が書いた本が読めるだろうかと思いながら、しかし躊躇なく吉田の本と一緒に買ってしまったのだった。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 この本は1973年に三一書房から出た『音楽の様式と思考』を改題したもので、文庫化されたばかりだった。偶然かどうかは知らないが、ありがたいタイミングだ。私は十二音音楽の楽譜など読めないし、それ以前にオーケストラの総譜も読めないが、知っている曲の旋律が記された楽譜ならなんとか読める。ブラームスの第4交響曲終楽章の分析などなかなか面白かった。パッサカリアだかシャコンヌだかの第29,30変奏が第1楽章第1主題の再現であることには、ある時ふと自力で気づいて知っていたが、各小節の1拍目の音が変奏曲の主題の音と同じであるもことは、掲載されている楽譜を見て初めて気づいた。2小節目と4小節目が1オクターブ下げられているので、このことに気づかなかったのだった。「フーガの技法」の未完の四重フーガで「BACH」の音型を含む4つの主題を同時に奏させる構想があったとされるバッハを思わさせる作曲の技法だなと思ったが、シェーンベルクは基本的にこういうバッハやブラームスのノリを拡張して十二音音楽を構造を作った、と言ったら素人の決めつけに過ぎるだろうか。

 そのシェーンベルクの本に「グスタフ・マーラー」の章があり、ここでシェーンベルクマーラーの音楽を分析している。シェーンベルクは4小節単位で規則的に進む拍節構造が嫌いらしく、それから逸脱することが多いモーツァルトを褒め、4小節単位の規則的な進行に固執するベートーヴェンにはやや批判的だ。シェーンベルクが好むブラームスは、逸脱が多いことで有名な作曲家だった。マーラーが、普通なら4小節+4小節で8小節にする主題を、引き延ばしや新たな音型の挿入によってたとえば10小節に延ばしていることを、シェーンベルクは第6交響曲の第3楽章アンダンテの譜例を示して紹介し、「(『音楽論』140-142頁)。吉田はこのシェーンベルクの分析を一部自分の言葉に置き換えながら引用し(『マーラー』32-35頁)、さらに第6交響曲についての吉田自身の分析をつけ加えている。

 しかしながら、吉田の「マーラー」でもっとも印象に残るのは、シェーンベルクアドルノの分析を引用しながらマーラーのスコアと格闘している箇所ではない。1907年に長女マリア・アンナを病気で失い、「ヴィーンの帝室オペラの総監督の地位を手放さざるを得ない窮地に追い込まれ」*6マーラーは、自分の健康診断もしてもらったところ、「心臓に重大な故障があるので、生活の仕方を一八〇度転換しない限り、生命は保証できない」*7との診断を受けた。その後マーラーアメリカに渡り、以後アメリカとヨーロッパを何度か往復した後、アメリカで感染性心内膜炎との診断を受けてウィーンに戻り、50歳で亡くなるのだが、吉田はマーラーの「大地の歌」と第9交響曲、それに未完の第10交響曲の3曲を彼の最高傑作群と位置づける(これは一般的な評価と同じだし、私も異論はない)のだが、これらに作品を遺したマーラーを評する文章が素晴らしいのだ。以下引用する。

 

「友よ、私はこの世では仕合わせにめぐまれなかった。私がどこに行くのかって? 私は、当てもなく、山に入る、孤独な心のための安らぎを求めて」

 マーラーの実生活は、《大地の歌》の終曲に歌われているように、即座に、安息を求めて世界をすて、山に隠れるという具合にはいかなかった。しかし、このときを境に、自分の生命があともう数えられる期間しか続かないことを知った。たとえ今はまだ生きていても、自分が間もなく決定的に別の世界に入ってゆく人間であることを、常に自覚しているよう強いられることになった。

 さっき私が、マーラーの人類におくったもっとも美しい、最もすばらしい贈物とよんだ作品は、ここから生まれてきた。そうである以上、この三つの音楽が、文字通り、ひとりの人間の遺言であり、ひとりの芸術家の大地への訣別の歌であったのに、何の不思議もないわけである。

 そういうこととならんで、というより、それよりもまず、私は寿命が数えられたと知った人間が、生活を一変するとともに、新しく、以前よりももっと烈しく、鋭く、高く、深く、透明であってしかも色彩に富み、多様であって、しかも一元性の高い作品を生み出すために、自分のすべてを創造の一点に集中しえたという、その事実に、感銘を受ける。

 こういう人間が、かつて生きていたと知るのは、少なくとも私には、人類という生物の種族への、一つの尊敬を取り戻すきっかけになる。死を前にして、こういう勇気を持つ人がいたとは、すばらしいことではないか?

 

吉田秀和『決定版 マーラー』(河出文庫 2019)44-45頁)

 

 文庫に収められた小沼純一氏の解説文に、還暦を迎えて既にマーラーより10年ほど長い生をおくった吉田秀和が、自らの残り時間を意識しながら(もちろん、まだ40年近い時間が残されていようとは、吉田自身も思いもよらなかったに違いない)書いた文章だと指摘している。小沼氏曰く、「七〇年代は、還暦は現在のように「若さ」をあらわすものではなかった」*8。確かにそうで、私が初めて知った1969年か70年の男の平均寿命は70歳を超えてなかったよな、と思い出した。調べてみると確かにそうで、1970年には男性の平均寿命は69.84歳だった*9。吉田は、85歳まで生きたリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)について「まったく彼は、よくも長生きしたものである」*10と書いたことがあって、これはおそらく戦争中にナチに協力して戦犯の容疑を持たれたシュトラウスに対する皮肉を込めた言葉だろうが*11、そんなことを書いたあんた自身がシュトラウスよりよほど長生きしてるじゃないかとよく思ったものだ。まあこれは余談。

 死を意識してからの作品が素晴らしいという吉田の文章を読んで思い出したのが、このブログで少し前に取り上げたシューベルトだった。シューベルトの場合は25歳にして当時不治の病とされた梅毒を宣告されたのだから、宣告を受けた時の年齢はマーラーよりも20歳以上若かった。そのシューベルトピアノソナタが評価されるようになった時期と、マーラーの音楽が広く受け入れられるようになった時期がぴったり重なる(ともに1960〜70年代)ことは興味深い。

 これで今年の読書・音楽ブログは終わり。来年も最低月1回、年間最低24件以上の公開を目標に更新を続けるつもりです。よろしくお願いします。

 それでは、良いお年を。

*1:この傾向は2013年に突如松本清張にはまって以来始まり、昨年末までで清張作品のうち文字の大きな文庫本で出ているものはほぼ読み尽くしたので、純文学、エンタメを問わず読む範囲を広げようとしたのが今年だった。以前より政治や経済の本を読む頻度が減ったのは、2012年末以来延々と続く鬱陶しい安倍晋三政権に支配された「崩壊の時代」からの逃避かもしれない。

*2:3日前の12月28日に公開した『kojitakenの日記』で引用した大岡昇平の文章に、丸谷の名前が出てきた(https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2019/12/28/151048)。丸谷についてはカズオ・イシグロの『日の名残り』の解説文について、このブログで取り上げたこともある(http://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2019/08/25/135746)。

*3:ここでは第2次安倍内閣の成立を決定づけた衆議院選挙が行われた2012年12月16日以降を「崩壊の時代」と定義している。

*4:指揮者は自ら音を発さないので、実際に楽器を演奏するピアニストやヴァイオリニスト、それに自ら歌う歌手たちほど強い関心を持てない。もちろん関心がないわけではないが、相対的に関心が低い。

*5:この曲を「巨人」と呼ぶなかれ。マーラーはこの曲の副題を破棄しているし、破棄前の副題にせよ「ジャイアント」ではなく「タイタン」なのだ。

*6:マーラー』43頁

*7:同44頁

*8:同書256頁

*9:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk00/7.html

*10:『LP300選』(新潮文庫 1981)207頁

*11:実際、数頁あとに、「シュトラウスは、ドイツ敗戦後、ようやく戦犯の名をのがれて、間もなく死んだ」(同209頁)と書かれている。

大岡昇平と吉田秀和と音楽と

 今年(2019年)、河出文庫から吉田秀和(1913-2012)の音楽評論の本がずいぶん文庫化された。98歳まで生きた吉田が遺した膨大な評論から、作曲家や指揮者、ピアニスト別にテーマを絞って新たに編集したものが6タイトルと、2011年に発行されていた『マーラー』に、新たな5篇を追補した『決定版 マーラー』の、計7タイトルだ。

 私はそれらのうち、『バッハ』、『グレン・グールド』、『ホロヴィッツと巨匠たち』、それに前記の『決定版 マーラー』の計4冊を読んだ。吉田の著作は、昨年岩波新書から復刊された『二十世紀の音楽』(1957)も読んだから、この2年で計5冊を読んだことになる。この中でもっとも印象に残ったのは、『決定版 マーラー』に収録された「マーラー」(初出「ステレオ芸術」1973年10月号〜1974年2月号)だが、これについては次回に取り上げる。

 今年はまた、中公文庫から大岡昇平のエッセイ集『成城だより』、『成城だより II』、『成城だより III』も出た。私は最初の2冊を読み、『III』はこれから大晦日までの間のどこかのタイミングで読む予定にしている。これらは順に1979〜80年、1982年、1985年に書かれた作家晩年の日記が収録されているが、それらにも吉田秀和の名前が出てくる。未読の『III』には、映画『アマデウス』に感激し、それをきっかけに出歩いて映画を見まくった大岡昇平の日記が読めるらしいから楽しみにしている。

 

成城だよりⅢ|文庫|中央公論新社

 

 さらに、近所の図書館で『大岡昇平 音楽評論集』(深夜叢書社,1989)という珍品を見つけて読んだ。これにはなんと、大岡昇平吉田秀和が作曲した歌の楽譜が載っている。大岡は中原中也の「夕照」と「雪の宵」の2篇、吉田は富永太郎の「恥の歌」にそれぞれ曲をつけた。巻末には大岡昇平吉田秀和の対談も収録されている(他に大岡と武満徹の対談も収録)。スタンダールの評論家として出発したという大岡は、同時代人としてモーツァルトの音楽に接したスタンダールに影響されてモーツァルティアンになった。一方でワーグナーに強く反発し、吉田に反撃を食らったりしている。

 その一例を以下に引く。下記は「芸術新潮」1955年2月号に掲載された大岡の「ワグナーを聞かざるの弁」からの引用。

 

 こんどの外国旅行で、僕の音楽指南番は吉田秀和君だった。昨年三月までニューヨークで一緒だったし、五月にはパリで会った。

(中略)オペラや音楽会に一緒に行っての帰り、ビールなぞやりながら、今聞いたばかりの曲について、質問したり、感想を聞いたりすることが、どれだけ役に立ったかわからない。

 しかし吉田君が目下本紙に連載している音楽紀行を読むと、彼が僕のおしゃべりを随分我慢して聞いてくれていたことがわかって来た。例えば先月号―「大岡昇平氏はワグナーを性交音楽だといってけなすけど、それがどうしていけないのだろう。そんなことは馬鹿げた非難だ。性交だって退屈なものだ。退屈だと思えば、或いは退屈な人には。しかしワグナーのこの音楽は退屈じゃない。よく書かれた立派な音楽だ。それだけで十分ではないか」云々。

 ワグナー性交音楽論は珍しいことではなく、現在では常識の部類に属すると思っているが、これはまあどうでもいいことだ。浪漫派が感情の陰影をなぞったのと、本質的にはなんの違いもありはしない。だから僕はシューマンも嫌いだが、彼等の芸術のかんじんな部分はそういうところにはないだろう。模倣は芸術の数ある手段の一つにすぎない。

 ワグナーのねばりっこい音色、無限旋律は一種の音楽的快感を与えるのだが、これはコンサートで聞く時に限られている。オペラとなると、どうも化かされているような気がして、反発を感じる。(以下略)

 

(『大岡昇平 音楽評論集』(深夜叢書社,1989)45-46頁)

 

 いやはや、ここまで書きたい放題に書ければさぞかしいい気分だろう。

 この文章の続きでは、バイロイト(Bayreuth)を「ヴイロイト」などというわけのわからない表記がされているが、それがそのまま単行本に収録されている。モーツァルトも初めのうち「モツァルト」と表記されているが、これはまだしも昔はそういう表記が普通だったのかもしれないと思わせる。しかし「ヴイロイト」はない(笑)

 大岡昇平で感心するのは好奇心の旺盛さであって、『音楽評論集』では50歳を過ぎてピアノと作曲の学習に、晩年の1982年の日記を収めた『成城だより II』には数学の学習に奮闘するさまが描かれている。中原中也の2篇の詩に曲をつけたのもその成果の表れだ。

 晩年の大岡は1977年に心臓病を患った時に耳も悪くなったと『成城だより II』に書いているが、『音楽評論集』にも80年代の文章は一つもない。ただ、吉田秀和との対談だけは『成城だより II』と同じ1982年に行われた。

 ここで大岡は、中島みゆき*1「あみん」にはまっていると語り、吉田と爆笑もののやりとりをする。以下引用する。

 

 大岡 いや、ぼくの音楽遍歴はデタラメで、ドーナツ盤の『待つわ』なんてやつも買ってきて聴くんだから。シーナ・イーストンオリビア・ニュートン=ジョンも聴いてますから。中島みゆきも聴くし。あなたは全然聴かないの?

吉田 聴かないですね。

大岡 「待つわ、いつまでも待つわ、あなたがあの人にふられるまーで」、とかなんとか言ってね(笑)。女子学生が二人で歌うんだよ。待つは*2待つわ、ってデュエットで重なるの。女が二人でデュエットで待つってのは、なんだか変なんだけどね。

吉田 それはモーツァルトの『フィガロの結婚』のなかにもあるけどね。手紙のデュエットのとこなんかね。

大岡 ああ、あそこにあるのか。

吉田 あれはきれいですよね。伯爵夫人が後述をするとスザンナがこう書いて、それで復唱するわけです。

大岡 あれは共謀のデュエットですね。ダブルところがあったっけ。「待つわ」では、一人が「わ」を長く引っぱってる間に、もう一人が「待つわ」と合の手を入れる。

吉田 いや、そうではない。

大岡 それがポピュラーか(笑)

吉田 モーツァルトはイタリア語だから、「待つわ」ではないけど、しかしテキストはそうですよ。夕方。庭で風が松の木をそよかに動かすようなとき、そのときその下で待っています、と言って。

大岡 あれはいい歌ですね。

吉田 だから、その中島なんとかっていう人の悪口を気はないけれども、でも十八世紀にだって女の人二人でもって「待つわ」ってこっちが言うと「待つわ」って、こう言う。それであとはもう「言わなくてもわかるでしょう」っていうと、「言わなくてもわかるでしょう」って、こう言う。それから今度スザンナが、それじゃこう手紙を書きました、夕方になって松に風がそよかに吹くときに松の木の下におります、あとは言わなくてもわかるでしょうっていうと伯爵夫人がそれをそのとおりやって、ああそのとおりって。

 

(『大岡昇平 音楽評論集』(深夜叢書社,1989)204-205頁)

 

 『待つわ』は中島みゆきではないのだが、それはともかく、上記の対話を書き写しているうち、『フィガロの結婚』のDVDを買って見てみたい気が起きてきた。かつてはNHK-BSなどでオペラを見たことはあったが、もう10年以上、いや下手したら20年近くもご無沙汰しているかもしれない。

 そんなわけで、今年8月末に大岡昇平の『事件』を読んで以来、大岡昇平がちょっとしたマイブームだったのだが、そんな私にとって迷惑千万だったのは大澤昇平とかいう、東大を追い出された馬鹿なネトウヨ学者の件だった。あんなのを一時は「特任准教授」にしていたとは、東大の堕落も深刻の度を増してきたようだ。

 なお、吉田秀和絡みの音楽論では村上春樹の『意味がなければスイングはない』も読んだ。本当はこの日記に3週間前に公開した下記記事(前々回の記事)を書く前に読んでおくべきだったのだが、順番が前後した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 吉田秀和との絡みについては、上記記事中に引用したブログ記事に言及されているので、この本については、出版元の文藝春秋の下記サイトにリンクを張っておくにとどめる。

 

books.bunshun.jp

 

 当然ながら、大岡昇平村上春樹では音楽評論も全然異なる。より本気で音楽と関わったのが、ジャズ喫茶を営んでいた経歴をもつ村上春樹の方であることは言うまでもない。

 大岡昇平の『成城だより』には未読の『III』に索引があるので、『II』と『III』に村上春樹への言及があることがわかる。『II』は既に読んだが、下記の記述がある。

 

 村上春樹は前作『羊をめぐる冒険』を読み損なったが、「納屋を焼く」(「新潮」)はカフカ風の不条理小説にして、変にレアリテあり。「クリスタル」系統にも漸く文学的主張、技法共に安定の徴候あり。

 

大岡昇平『成城だより II』(中公文庫, 2019)291頁)

 

 『羊をめぐる冒険』は最近読んだが、初期3部作の前2作とは違ってストーリーがあった!*3

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 大昔、3部作の初めの2作で村上春樹に挫折した私は、それにめげずに3作目も読むべきだったのかもしれない。この小説はちょっとしたミステリ仕立てになっていて、最後に謎解きもされる。明らかに児玉誉士夫をモデルとしたと思われる登場人物が出てくるが、そのことから私は直ちに松本清張の『けものみち』を思い出した。Wikipedia「児玉誉士夫」にも下記の記載がある。

 

逸話

 

 『けものみち』は1964年、『羊をめぐる冒険』は1982年、ともに児玉誉士夫の生前に書かれた。今年は中曽根康弘の死によって児玉誉士夫が思い起こされた年でもあった。児玉が口を開かなかったからこそ中曽根は逮捕を免れて5年もの長期政権を握り、日本の没落への道を開いた人間でありながら生前から「大勲位」などと呼ばれ、訃報の報道ではさもものすごい偉人であるかのような伝え方をされた。とんでもないことだ。

 話が不愉快な方へと逸れた。大岡昇平は『成城だより III』でも村上春樹に4度言及し、4度目は1985年の「試案ベスト5」の5番目に村上の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を挙げている。大岡の3冊の『成城だより』の最後に書かれた名前が村上春樹なのだった。

 今年は私もようやく長年の村上春樹の小説への苦手意識*4が払拭されて、村上作品を何作か読んだが、もっとも印象に残ったのはこのブログでも以前に取り上げた『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の第36章で、「僕」が手風琴で『ダニー・ボーイ』を弾くと、街が揺れ、図書館の少女が涙を流し、一角獣の頭骨が淡い光を発する場面だ。『羊をめぐる冒険』では主人公は失ってばかりで、最後に兵庫県芦屋市をモデルにしたと思われる街の、埋め立てられずに残ったわずかばかりの砂浜で大泣きするが、『終りの世界』で「僕」は失われてしまったはずの彼女の心をみつけた。つまり、初めて「取り戻した」といえるのだが、それにも音楽が重要な役割を果たしたのだった。

 

 次回は小説家を絡めずに、もう一度吉田秀和を取り上げる。

*1:中島みゆきについては、大岡は『成城だより』でも言及している。中公文庫版31頁に「中島みゆき悪くなし」とあり、埴谷雄高は「わかれうた」の題名まで知っていたと書くが、これは1977年の大ヒット曲。もっともその頃、大岡昇平は大病に臥せっていたのだった。

*2:原文ママ

*3:村上春樹村上龍の『コインロッカーズ・ベイビーズ』に影響されたとのこと。

*4:同じ「阪神間育ちなのにヤクルトファン」の私は、村上のエッセイは以前からよく読んでいたのだが、小説は初期3部作の初めの2作や『ノルウェイの森』などを苦手としたために敬遠気味だった。

1997年に日本の「階級」を描いた桐野夏生『OUT』

 今年(2019年)は松本清張を5冊しか読まなかった。昨年は41タイトル50冊を読んだが、図書館に置いてある、最近発行された文字の大きい清張作品の文庫本はあらかた読み尽くしてしまったためだ。もっとも、未読の清張の長篇はまだ3割くらい残っているのだが。

 それで、昨年後半あたりから大衆小説・純文学を問わず清張作品以外にも手を出し始めたのだが、読書記録を見ると昨年12月中旬に宮部みゆきの『火車』(1992)を読んでいて、12月20日に読み終えていた。『火車』は清張の『砂の器』の直系というべき作品だ。

 そして今年の同じ日に読み終えたのが、桐野夏生の代表作の一つとされる『OUT』(1997)だった。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 この小説も、松本清張を強く思い起こさせた。

 まず第一に気づいたのは、この小説が「階級」を描いていることだ。1997年にこの観点を持ってミステリ*1を書くとは、たいしたものだと感心した。

 そこで、読み始めて数十頁経ったところで、ネタバレがないかを注意しながら下巻末尾に収められた解説文の初めの方を見てみると、果たして小説家の松浦理英子が下記のように書いていた。なお下記の解説文は講談社文庫版が刊行された2002年に書かれている。また引用に当たって漢数字をアラビア数字に書き換えた。

 

 記憶をたどれば、5年前初めて読んだ時まず目を瞠ったのは、本作には現代日本における〈階級〉が描かれているということだった。ここ数年で「日本もまた階級社会である」という意見も目新しいものではなくなったけれども、1997年当時はそうではなく、〈一億総中流〉という決まり文句に囚われている人がまだ多かったと思う。『OUT』で描かれた弁当工場の夜勤についた女たちこそ、〈一億総中流〉というイメージが流布して以降初めて小説に登場した、そんなずさんなイメージを打ち崩すに足る具体性を備えた人物だったのではないだろうか。

 

桐野夏生『OUT』(講談社文庫, 2002)下巻336頁=松浦理英子による解説文より)

 

 「一億総中流」と言われたのは1970年代から80年代にかけてであって、それ以前には松本清張が階級的視点を有するミステリを多く書いていた。清張には時代ものでも『無宿人別帳』など最下層の人々に焦点を当てた作品群がある。しかし、そんな清張であっても70年代以降には『空の城』(1978)のような企業小説を書くようになっていた。そう考えれば、「『OUT』で描かれた弁当工場の夜勤についた女たちこそ、〈一億総中流〉というイメージが流布して以降初めて小説に登場した」という論評もあるいは当たっているかもしれない(正直言って、少し引っかかるものがあるが)。

 また、清張には登場人物がすべて悪人という系列の作品があるが、それをも思い起こさせた。

 前述の松浦理英子は解説文を下記のように結んでいる。

 

〈階級〉についての暗澹たる認識から出発しているにもかかわらず、本作品が古めかしいプロレタリア文学にも読者を意気阻喪させる悲惨な話にもなっていないのは、驚嘆すべきである。下層階級の女たちに作者とともに深い共感を寄せる読者は、(中略)ほかではめったに味わうことのできないカタルシスを得るに違いない。『OUT』はそういう小説である。

 

桐野夏生『OUT』(講談社文庫, 2002)下巻340頁=松浦理英子による解説文より)

 

 これは確かにそうかもしれない。少なくとも清張作品の終わり方とは違う。

 ただ、あまりにも凄惨な作品なので、この人の小説を続けざまに読もうという気にはならない。

 1992年の宮部みゆき作品『火車』とその5年後に書かれた本作さとでは凄惨さが全然違うのだが、その間に日本社会が大きな曲がり角を曲がったのだった。転換点となった出来事は、特に1995年に集中した。阪神大震災地下鉄サリン事件、それに日経連による「新時代の日本的経営」の発表などである。

 労働者派遣法も1996年に改定されて対象となる業種が拡大された。私が勤めていた職場に派遣労働者が入ってきたのは1997年の春だった。しかし、『OUT』が書かれた時点ではまだ派遣労働の原則自由化は行われていなかったし(1999年改定により施行)、製造業に派遣労働が解禁されたのは2004年からだった。

 それを思えば、桐野夏生の先見の明は大したものだった。

 

*1:ミステリとはいっても小説の前半に活躍した刑事は後半に入るとほとんど出てこなくなるなど、いわゆる「推理小説」のカテゴリには入れにくい。文庫本の裏表紙では本作は「クライム・ノベルの金字塔」とうたわれている。

「ハルキスト」たちが「ピアノソナタ第17番 ニ長調 D850」でシューベルトに挫折してしまわないために

 前回に続き、村上春樹の『海辺のカフカ』(2002)で言及されて注目されたクラシック曲を取り上げる。今回はシューベルトニ長調ピアノソナタで、Dで表される「ドイチュ番号」では850番に当たる。

 初めに、この曲を含むシューベルトピアノソナタ村上春樹のエッセイ及び小説との絡みについては、ネット検索で下記のブログ記事を見つけたことを報告しておく。

 

hypertree.blog.ss-blog.jp

 

 これは凄い記事だ。『海辺のカフカ』からの引用部分は記事の終わりの方に記載されているが、そこに至るまでの文章が既に圧倒的だ。そこで、上記ブログ記事をベースに、私の個人的な思い出などを差し挟んで文章を書くことにする。

 上記引用のブログ記事は、2005年に刊行された村上の音楽エッセイ集『意味がなければスイングはない』(未読)に収録された村上によるニ長調ソナタ論(2004年執筆)から論を起こす。以下、村上の文章を上記ブログから孫引きする。

 

意味がなければスイングはない」に収められたシューベルト論は、

    シューベルトピアノソナタ 第17番 二長調」D850
ソフトな混沌の今日性


と題されたものです。村上さんは ピアノソナタ 第17番 二長調の話に入る前にまず、シューベルトピアノソナタ全体の話から始めます。


いったいフランツ・シューベルトはどのような目的を胸に秘めて、かなり長大な、ものによってはいくぶん意味の汲み取りにくい、そしてあまり努力が報われそうにない一群のピアノ・ソナタを書いたのだろう? どうしてそんな面倒なものを作曲することに、短い人生の貴重な時間を費やさなくてはならなかったのか? 僕はシューベルトソナタのレコードをターンテーブルに載せながら、ときどき考え込んだものだった。そんな厄介なものを書く代わりに、もっとあっさりとした、口当たりのよいピアノ・ソナタを書いていたら、シューベルトは ─── 当時でも今でも ─── 世間により広く受け入れられたのではないか。事実、彼の書いた「楽興の時」や「即興曲」といったピアノ小品集は、長い歳月にわたって人々に愛好されてきたではないか。それに比べると、彼の残したピアノ・ソナタの大半は、雨天用運動靴並みの冷ややかな扱いしか受けてこなかった。


この出だしの "問題提起" に引き込まれます。少々意外な角度からの指摘ですが、言われてみれば全くその通りです。それはモーツァルトベートーヴェンと比較するとわかります。村上さんによると、モーツァルトがピアノ・ソナタを書いたのは生活費を稼ぐためであり、だから口当たりのいい(しかし同時に実に美しく、深い内容をもった)曲を、注文に応じてスラスラと書いた。ベートーヴェンの場合は、もちろんお金を稼ぐためでもあったが、同時に彼には近代芸術家としての野心があり、ウィーンのブルジョアに対する「階級闘争的な挑発性」を秘めていた、となります。


しかしシューベルトソナタはそれとは異質で、いわば謎めいています。村上さんはその理由がわからなかった、しかしあるときその謎が解けたと続けています。


しかしシューベルトのピアノ・ソナタときたら、他人に聴かせても長すぎて退屈されるだけだし、家庭内で気楽に演奏するには音楽的に難しすぎるし、したがって楽譜として売れるとも思えないし(事実売れなかったし)、人々の精神を挑発喚起するような積極性にも欠ける。社会性なんてものはほとんど皆無である。じゃあシューベルトは、いったいどのような場所を、どのような音楽的所在地を頭に設定して、数多くのピアノ・ソナタを書いたのか? そのあたりが、僕としては長いあいだうまく理解できなかったのだ。

でもあるときシューベルトの伝記を読んでみて、ようやく謎が解けた。実に簡単な話で、シューベルトはピアノ・ソナタを書くとき、頭の中にどのような場所も設定していなかったのだ。彼はただ単純に「そういうものが書きたかったから」書いたのだ。お金のためでもないし、名誉のためでもない。頭に浮かんでくる楽想を、彼はただそのまま楽譜に写していっただけのことなのだ。もし自分の書いた音楽にみんなが退屈したとしても、とくにその価値を認めてもらえなかったとしても、その結果生活に困窮したとしても、それはシューベルトにとって二義的な問題に過ぎなかった。彼は心に溜まってくるものを、ただ自然に、個人的な柄杓ひしゃくで汲み出していただけなのだ。

そして音楽を書きたいように書きまくって31歳で彼は消え入るように死んでしまった。決して金持ちにはなれなかったし、ベートーヴェンのように世間的な尊敬も受けなかったけれど、歌曲はある程度売れていたし、彼を尊敬する少数の仲間はまわりにいたから、その日の食べ物に不足したというほどでもない。夭折ようせつしたせいで、才能が枯れ楽想が尽きて、「困ったな、どうしよう」と呻吟しんぎんするような目にもあわずにすんだ。メロディーや和音は、アルプス山系の小川の雪解け水のように、さらさらと彼の頭に浮かんできた。ある観点から見れば、それは悪くない人生であったかもしれない。ただ好きなことを好きなようにやって、「ああ忙しい。これも書かなくちゃ。あれも書かなくちゃ」と思いつつ、熱に浮かされたみたいに生きて、よくわけのわからないうちに生涯を終えちゃったわけだから。もちろんきついこともあっただろうが、何かを生みだす喜びというのは、それ自体がひとつの報いなのである。

いずれにせよ、フランツ・シューベルトの22曲のピアノ・ソナタが、こうして我々の前にある。生前に発表されたのはそのうちのたった3曲で、残りはすべて死後に発表された。

「同上」


生前に発表されたのはピアノ・ソナタは22曲のうちのたった3曲、というところが「書きたかったから書いた」という説明を裏付けています。

 

出典:https://hypertree.blog.ss-blog.jp/2018-07-06

 

 こういう文章を読むと、世の「ハルキスト」たちには誠に申し訳ないが、村上春樹とは文学よりも音楽の才能の方が突出しているのではないかと思えてしまう。

 私がシューベルトソナタに初めて接したのは中学生の頃で、妹が習っていたピアノの教材であるソナチネアルバムに、D664の「小さなイ長調ソナタの第2楽章が収録されていたのを引いてみた時だ(私はまともにピアノを習っていないので、つっかえつっかえでたらめに音を出してみただけだった)。その後クラシック音楽を聴くようになってNHK-FMで最初に聴いたシューベルトソナタは、3曲あるイ短調ソナタのうちのD784だった。それまでにいくつか知っていたモーツァルトベートーヴェンのいくつかのソナタとは全く異質の、暗く重い音楽だった。この曲を聴いたのはたぶん1975年だったが、その頃には没後150年の1978年を3年後に控えて、それまで不当に低く見られていたシューベルトピアノソナタが正当に評価されるようになってきていた。

 それ以前の1960年代には、シューベルトピアノソナタに対する評価はまだまだ低かった。村上春樹が「彼の残したピアノ・ソナタの大半は、雨天用運動靴並みの冷ややかな扱いしか受けてこなかった。」と書いた通りだ。現に、前回も引用した吉田秀和の『LP300選』(初出は『わたしの音楽室』1961)には、シューベルトの『楽興の時』と『即興曲』は選ばれているが、ピアノソナタは選から漏れている。70年代以降の吉田秀和なら、D960の最後のピアノソナタ変ロ長調)は必ず選に入れていただろう。

 私が早くからなじんでいたD664やD784のソナタは、シューベルトソナタの中では例外的に早くから弾かれていた曲だったようだ。D784に対するピアニストの嗜好について皮肉っぽく書かれた下記ブログ記事を見つけたので、以下に引用する。

 

shubert.exblog.jp

 

この作品、25分程度で短く、
あまり、シューベルトが好きではないピアニストなども、
プログラムに変化をつけるためだけのように、
利用することがよくあり、
そうした人々が手垢にまみれさせた感じがなくもない。

 

1987年の「レコード総目録」では、
ソナタ16番」のレコードを出していたのが、
クラウス、ツェヒリン、
ハスキル、フィルクスニー、
ポリーニ、ルプーといった、
渋めの布陣に対し、
「14番」は、
ツェヒリン、中村紘子
フィルクスニー、宮沢明子、
リヒテル、ワッツといった、
花のある陣容となっている。

 

この名前を見ると、
ショパンやリストの前座に、
このソナタを利用しそうな雰囲気がある。

 

この手のリサイタルでは、
シューベルトソナタなど、
聴いたことがない人たちが多数参集して、
休憩時間以外は、
寝ているイメージがある。。

 

出典:https://shubert.exblog.jp/13377828/

 

 引用文中、「第16番」とあるのはD845のイ短調ソナタで、今回記事のタイトルにしたニ長調ソナタ(D850)及びト長調(D894)とともに、シューベルトの生前に出版された3曲のソナタの1つ。シューベルトの自信作なのだが、それよりも同じイ短調の「第14番」D784の方が、ピアニストたちにとって「ショパンやリストの前座」として人気があったとのことだ。

 これは、スヴャトスラフ・リヒテル中村紘子(や宮沢明子*1)を一緒くたにするというかなり乱暴な論であって、それには強く抗議したい。リヒテルが1979年に来日した時、D664とD784のソナタを演奏し、私はそれを民放FM(当時はFM大阪で聴いたが、FM東京をキー局とした大都市圏4局だかのネットで放送された)の録音で聴いて感激していた。そして、この時のプログラムはシューベルトが中心であって、決して「ショパンやリストの前座」などではなかったことについては、ネット検索で得たエビデンスを提示することができるのである。

 ただ、これが中村紘子あたりになると「ショパンやリストの前座に利用しそうな雰囲気」は確かにある。そのように軽く見られがちな音楽であったとはいえるかもしれない。

 しかし、このD784についてはある思い出がある。2001年か2002年頃、明るいD664とめちゃくちゃに暗いD784(少しあとに書かれた同じイ短調のD845と比べてもその重苦しい暗さは際立っている)はあまりにも対照的だと書いたら、D784を書く直前に、シューベルトはある宣告を受けたのだと指摘されたのだ。

 その指摘とは、当時「不治の病」とされていた梅毒感染の宣告。1823年の初め頃のことだった。D784の完成は1823年2月。当時、その指摘を受けてなるほどと思った。これは25歳の若さにして死と向き合わされた人が書いた音楽だったのだ。

 昔から、このソナタを境にして、以後のシューベルトの曲にはある種の重苦しさが出てきたと思っていた。D810の「死と乙女」の弦楽四重奏曲はその極端な例だが、そこまでは行かずとも、D804の「ロザムンデ」四重奏曲にだって暗さや重苦しさは感じられる。それまでの小市民的な「ビーダーマイヤー様式」*2に、自分自身の精神の暗闇を覗き込もうとするかのような要素が加わってきた。そしてそのことが、シューベルト音楽史上に残る大作曲家にしたのだと私は思っている。

 とはいえ、シューベルトが罹患した梅毒には症状に波があり、1823年末には快方に向かうかと思われた時期もあったようだ。だが翌年には再び病状がひどく悪化した時期があった。それを反映しているのかどうか、シューベルトは1823年以降も、何も暗さ一辺倒の音楽ばかり書いていたわけではない。前述のように、D784と同じイ短調のD845はD784ほどには暗くないし、このエントリのメインディッシュであるニ長調ソナタD850は、基本的には力強い長調の音楽だ。

 だが、そこにはモーツァルトベートーヴェン長調の音楽とは違う「とっつきにくさ」があるのも事実なのだ。ことに、シューベルトピアノソナタではニ長調D850が突出して取っつきにくい。村上春樹の『海辺のカフカ』を読んだ「ハルキスト」たちが、普段シューベルトを聴いたこともないのに、いきなりD850を聴いて、その難解さに尻尾を巻いたのも当然なのだ。私自身も、D664*3あるいはD784以降の9曲のソナタのうち、7曲までは節(メロディー)がだいたい頭に入っているが、未完成のD840(「レリーク」と呼ばれ、全4楽章のうち最初の2楽章しか完成されていない)はごく一部の記憶しかなく、ほとんど、いや全く覚えていなかった唯一の曲がD850だった。これには、初めて聴いた時にすでにかなり年齢が行っていたせいもあるが*4、それよりも何よりも音楽自体の取っつきが悪すぎるのだ。

 ところが、そのニ長調ソナタD850が、村上春樹の一番のお気に入りだという。以下、最初にリンクしたブログ記事から、再び村上のエッセイを孫引きする。

 


ピアノソナタ 第17番 ニ長調 D850



村上春樹さんによるシューベルトの「ピアノソナタ 第17番 ニ長調」の評論です。シューベルトピアノソナタで最も愛好しているのがこの曲、というところから始まります。


シューベルトの数あるピアノ・ソナタの中で、僕が長いあいだ個人的にもっとも愛好している作品は、第17番 ニ長調 D850 である。自慢するのではないが、このソナタはとりわけ長く、けっこう退屈で、形式的にもまとまりがなく、技術的な聴かせどころもほとんど見あたらない。いくつかの構造的欠陥さえ見受けられる。早い話、ピアニストにとっては一種の嫌がらせみたいな代物になっているわけで、長いあいだ、この曲をレパートリーに入れる演奏家はほとんどいないという状況が続いた。したがって、世間で「これぞ名演・決定版」ともてはやされる演奏も輩出しなかった。クラシック音楽に詳しい何人かの知り合いに、この曲についての意見を求めると、多くの人はしばし黙り込み、眉をしかめる。「なんでわざわざ二長調なんですか? イ短調イ長調変ロ長調、ほかにいくらでも名曲があるのに、どうしてまた ?」

たしかに、シューベルトにはもっと優れたピアノ・ソナタがほかにいくつもある。それはまあ客観的な事実である。

「同上」


ちなみに、二長調ソナタは第17番 D850しかありません。上の引用の中の "イ短調" とは第16番 D845、"イ長調" とは第20番 D959(=イ長調ソナタ。第13番 D664 はイ長調ソナタ)でしょう。"変ロ長調" とは最後の第21番 D960 です。そして次なのですが、村上さんは吉田秀和氏(1913 - 2012)の文章を引用しています。


このあいだ吉田秀和氏の著書を読んでいて、たまたまニ長調ソナタについての興味深い言及を見かけた。内田光子のこの曲の録音に対する評論として書かれたものである。ちょっと引用してみる。

    この2曲では、私はイ短調ソナタは身近に感じる音楽として昔から好んできいてきたが、ニ長調の方はどうも苦手だった。第1楽章からして、威勢よく始まりはするものの、何かごたごたしていてつかみにくい。おもしろい楽想はいろいろあるのだが、いろいろと往ったり来たりして、結局どこに行きたいのか、と問いただしたくなる。もう一方のイ短調ソナタに比べて言うのは不適当かもしれないが、しかし、このソナタが見事にひきしまっていて、シューベルトもこんなに簡潔に書けるのにどうしてニ長調はこんなに長いのかと、歯がゆくなる。シューベルトの病気の一つといったらいけないかもしれないが、ニ長調ソナタは冗漫に長すぎる」(『今日の一枚』新潮社 2001)

僕が吉田秀和氏に対してこんなことを言うのはいささかおそれ多いのだけど、「ほんとにそうですよね、そのお気持ちはよくわかります」と思わずうなずいてしまうことになる。でもこの文章には続きがある。

    こんなわけで、私はこのソナタは敬遠してこちらからわざわざきく機会を求めるようなことはしないで来た。今度CDが出て、改めてきき直した時も、イ短調の方から始め、きき終わるとそのままニ長調はきかずに止めていた。

だが、今思い切って、きいてみて、はじめて気がついた。これは恐ろしいほど、心の中からほとばし出る『精神的な力』がそのまま音楽になったような曲なのである(後略)」
「同上」


このあたりを読んで一目瞭然なのは、村上さんが吉田秀和氏を尊敬しているということです。自分が最も惹きつけられる音楽であるシューベルトピアノソナタ、中でも一番愛好している「17番 ニ長調」を説明するときに吉田秀和氏の文章を引用するのだから ・・・・・・。村上さんほどの音楽愛好家でかつ小説家なのだから、いくらでも自分の言葉として書けるはずですが(事実、書いてきたのだけれど)、ここであえて吉田氏を引用したと思われます。そして、次のところがこのエッセイの根幹部分です。


これを読んで、僕としてはさらに深く頷いてしまうことになる。心の中からほとばしり出る「精神的な力」がそのまま音楽になったような曲 ─── まさにそのとおりだ。このニ長調ソナタはたしかに、一般的な意味合いでの名曲ではない。構築は甘いし、全体の意味が見えにくいし、とりとめなく長すぎる。しかしそこには、そのような瑕疵かしを補ってあまりある、奥深い精神の率直なほとばしりがある。そのほとばしりが、作者にもうまく統御できないまま、パイプの漏水のようにあちこちで勝手に漏水し、ソナタというシステムの統合性を崩してしまっているわけだ。しかし逆説的に言えば、二長調ソナタはまさにそのような身も世もない崩れ方●●●によって、世界の「裏を叩きまくる」ような、独自の普遍性を獲得しているような気がする。結局のところ、この作品には、僕がシューベルトのピアノ・ソナタに惹きつけられる理由が、もっとも純粋なかたちで凝縮されている ─── あるいはより正確に表現するなら拡散している●●●●●●ということになるのだろうか ─── ような気がするのだ。

「同上」


味を言葉で表現するのが難しいように、音楽を聴いて受ける感覚を文章で説明したり、また、音楽を言葉で評価するのも非常に難しいものです。得てしてありきたりの表現の羅列になることが多い。しかし上の引用のところは、"パイプの漏水" や "世界の裏を叩きまくる" といった独自の表現を駆使してニ長調ソナタの本質に迫ろうとしています。それが的を射ているかどうか以前に、音楽を表現する文章が生きていることに感心します。

 

出典:https://hypertree.blog.ss-blog.jp/2018-07-06

 

 私がニ長調ソナタに対して持つ印象も、吉田秀和内田光子の演奏を聴く前の)に近い。おそらくピアニストたちも同じではないかと思う。たとえばルーマニア出身のラドゥ・ルプーというピアニストがいて、この人は70年代半ば頃にレコード会社によって「千人に一人のリリシスト」というキャッチフレーズで売り出された。1976年の春だったと記憶するが、当時の新譜だったルプーの演奏によるシューベルトト長調ソナタ D894の馬鹿長い第1楽章をFMで聴いて感激したものだった(全曲聴いたのだが、とりわけ第1楽章の世界に耽溺していた)。同じ「天国的な長さ」(後述)でも、D894の方がD850よりよほど親しみやすい。このD894は、シューベルトソナタの中でも、D664やD784などとともに早くから弾かれてきた曲だったことはのちに知った。しかし、この曲を弾いたルプーも、ニ長調D850のソナタは74歳の今に至るも録音していないのだ。

 上記ブログ記事の著者によると、村上春樹シューベルトニ長調ソナタと出会い、聴いて一番のお気に入りになったのは1979年頃だろうとのことだ。同じ年までに私は、D840とD845を除く、D664(またはD784)以降のピアノソナタ7曲を全部聴き終えていた。前年の1978年に、NHK-FMが何度も「シューベルト没後150年特集」をやってくれたおかげだった。ただ、のちにたいへんな名曲であることを知った、最後の変ロ長調ソナタD960のすごさは、まだ当時は理解することができなかった。あれは、この世とあの世のあわいの世界を見た人が、短い人生の最後に書き残した、唯一無二の音楽だ。特に第1楽章と第2楽章がすごい。第1楽章ではソナタ形式の展開部の終わりの部分、それに第2楽章では主部が再帰して転調を重ねる部分、特にこの楽章の終結直前の部分には筆舌に尽くしがたいものがある。

 ニ長調ソナタは、いくら「天国的な長さ」とはいっても、D960のようなこの世とあの世との境界の音楽とは全然違う。

 今回、この記事を書くに当たって、手元にあるD850の演奏を、2週間前と昨日の二度聴いてみた。私が持っているのは、レイフ・オヴェ・アンスネスが2002年に入れた録音で、偶然ながら村上春樹が推薦している演奏の一つだ。10年ほど前、2枚組に最後の三大ソナタ(D958, 959, 960)とD845が収録されていたので、聴いたことのなかったD845が聴けるなと思って買ったのだった。しかしD845は全く理解できず、数回聴いただけで投げ出していた。だから前述のように節も全然頭に入っていなかったわけだ。

 ソナタ形式で書かれた音楽には聴き方があって、まず第1楽章冒頭の「第1主題」をよく頭に入れることと、経過区を経て第1主題とは対照的な性格を持つことが多い「第2主題」を把握することだ。ところがこのD850は、吉田秀和が書く通り「威勢よく始まる」もののなんだかわからない経過区を経て、印象の薄い第2主題が出てきたと思ったら、その印象を打ち消すような、第2主題の二度下の調の三和音が強奏されるなど、本当に「とりとめがない」のだ。アンスネスの演奏では第1楽章は提示部の繰り返しがあって8分39秒*5だからそんなに長くない。長いのは第2楽章で、アンスネス盤では12分29秒。村上春樹はこの曲をシューマンが「天国的な長さ」と評したと『海辺のカフカ』に書いているが、実際にこの形容をシューマンが使ったのは、同じシューベルトの音楽ではあるがハ長調交響曲(D944)に対してだった。とはいえ、現在では死の年ではなく1825年にガスタインで書かれたとされる説が有力なハ長調交響曲と、今回取り上げているD850のピアノソナタとは、どうやら作曲時期が同じらしいのだ。つまりニ長調ソナタD850も、シューベルトの外遊先のガスタインで書かれている。そして両曲の第2楽章は、交響曲の方がイ短調ソナタの方がイ長調という違いはあるけれども、性格がかなり似ているように私には思われる。形式も両曲ともA-B-A'-B'-A"であって同じだ。さらに、『最新・名曲解説全集 第15巻・独奏曲II』(音楽之友社 1981)に掲載されている平野昭氏の解説文には下記のように書かれている。

 

(前略)8月に上部オーストリアで書かれたこの作品は、失われた交響曲として有名な「ガシュタイン」D849(この曲がD944の大ハ長調交響曲と同一ではないかとの説が最近は有力になっているようだ=引用者註)の完成直後に作曲されたものである。数ヵ月のうちにソナタやシンフォニーの大曲を仕上げた自信が、この曲で〈過剰への道〉へ迷い込ませることになる。「第二楽章の田園的コン・モートの中に〈天国的な長さ〉をみることができる。ここでは音楽が非現世的な高みの中に浮んでは消えてゆく。そうかと思うと、第三楽章でシューベルトは、民俗色の濃いスケルツォの中で、しっかりと大地に立っている」とゲオルギーは言っている(Georgie: Klaviermusik 1976 Atlantis)。いずれにせよ四十分近い大曲である。

 

(『最新・名曲解説全集 第15巻・独奏曲II』(音楽之友社 1981)92頁)

 

 今回、ニ長調ソナタD850を二度聴き直してみて、言い得て妙だと思った。もっとも第4楽章について平野氏は「全三楽章の充実にもかかわらず、安直な終楽章を書いてしまっている」(前述書93頁)と批判してもいる。また、最近河出文庫でリニューアルされた吉田秀和の『決定版 マーラー』(2019)に引用されていることを買う前の立ち読みで知って、無謀にも買ってしまった『シェーンベルク音楽論選』(上田昭訳, ちくま学芸文庫 2019, 邦訳初出は『音楽の様式と思考』三一書房 1973)の271頁に、ニ長調ソナタの第3楽章の譜例が載っていて、シェーンベルクは同一音型の単純な繰り返しを、「庶民感情に合致させている」、つまりシューベルトが大衆に迎合しているとして批判している。一方で私を含む一般人には取っつきにくく難解と思われるソナタを指して、十二音音楽の考案者はこのような批判をするのだから、真実は一つではない。なお脱線するが、この本でシェーンベルクが、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』でマンがシェーンベルクをモデルにするに際してマンにシェーンベルク像を吹き込んだアドルノに対してブチ切れている箇所があり、そのあたりの事情を岡田暁生氏が巻末の解説文で教えてくれているのだが、岡田氏は「この小説で十二音技法が難解で秘教的な「マニュアル」として描かれたことに、彼(シェーンベルク=引用者註)は我慢ならなかったのである。」(前掲書339頁)と書いている。私個人としては、シューベルトに対するのと同様の批判をシューマンの「アラベスク 作品18」に対して投げつけたシェーンベルクの批評に同意することはできない。

 いずれにせよ、今回村上春樹の小説を読み、さらにシューベルトニ長調ソナタD850を二度聴き直して、これまで全く理解できず取っつくきっかけもつかめなかったこの曲を理解するきっかけを、特に第2楽章、次いで(シェーンベルクに批判された)第3楽章を中心に、多少なりとも得られたと思われたのは収穫だった。一方、第1楽章はなお難解だ。吉田秀和村上春樹がいう「心の中からほとばしり出る『精神的な力』」が全曲の中でももっとも強く表れているのはおそらく第1楽章なのだろうとは思うが、率直に言って、私はそれを感得できるところにまでは至っていない。

 やはりこの曲は「はじめてのシューベルト」として聴く人にはやはりあまりにも難解だろう。ピアノソナタであるなら、現在「第13番」と呼ばれることの多いイ長調D664や、ジャンルは違うが同じイ長調で曲想にも共通点がある「ます」のピアノ五重奏曲(D667)、それに前回の記事でも推薦したピアノ三重奏曲(ピアノトリオ)第1番変ロ長調(D898)、さらには未完成交響曲や三大歌曲集などから入るほうをおすすめする。「村上春樹一推しの第17番ニ長調D850」をどうしても聴きたい場合であっても、「ます」の五重奏曲などの有名曲を併せて聴いた方が良い。村上春樹は「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ」と『海辺のカフカ』の作中人物の「大島さん」に言わせてはいるけれども、その訓練をD850のピアノソナタ第17番でやるのは、どう考えても無謀だ。

 こうわざわざ書くのは、前記アンスネス盤のアマゾンのサイトについた唯一のカスタマーレビューがさる「ハルキスト」によって書かれているからだ。以下引用する。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RD2FHDJTB6BOD

 

2011年1月20日

 
私はいわゆる「ハルキスト」を自認しておりまして、村上春樹さんの著作は、小説からエッセーに到るまでほとんど読んでいます。そんな村上さんの作品の中に、「意味がなければスイングはない」という評論集がありますが、これは、村上さんの音楽に対する強い想いや拘りが込められた、すばらしい音楽評論集だと思います。作家になる前はジャズ喫茶を経営していた人ですから、ジャズに対する造詣の深さは半端ではないわけですが、ここにはジャズに限らず、クラシックからJ-POPまで、いろいろなジャンルの音楽が取り上げられています。そのうちの一つが、このCDに収められている「シューベルトピアノソナタ第17番」です。村上さんは、この曲が収められているCDやアナログレコードを、演奏家別に15種類も自宅に持っているというのですから、驚きます。そして、それぞれの作品の評価が書かれていて、本CDはその中で最もお薦めのものになります。私はシューベルトピアノソナタを一つとして聞いたこともなく、演奏しているアンスネスというピアニストも知らなかったのですが、実際に購入して聞いてみて、確かにすばらしいと思いました。このCDのお陰で、シューベルトピアノソナタも好きになりましたし、アンスネスというピアニストも大変気に入りました。シューベルトピアノソナタはどれも大変長いのですが、第17番のみならず、全て力作で聞き応えがあります。

 

 村上春樹がエッセイや小説に取り上げたシューベルトソナタが気に入って良かったですね、とは思うが、初めて聴いたシューベルトソナタが「第17番ニ長調D850」で、かつこの曲を気に入った、というのは、それこそよほどシューベルトと相性が良いなどの要因によるよほどレアなケースだろう。

 この曲を繰り返し聞く訓練をやった結果、「シューベルトは私にはわからない」と挫折してしまうのでは、あまりにももったいない。

*1:宮沢明子(めいこ)は1960年代後半には既に故宇野功芳(1930-2016)に気に入られていたピアニストだったが、ネット検索をかけたら今年(2019年)4月にベルギーのアントワープで死去されていた。享年78。

*2:これは何もシューベルトが小市民的な人間だったことを意味しない。前回も書いたが、当時のオーストリアメッテルニヒが差配する「反動の時代」であり、シューベルトたちには重苦しい時代の束縛があったのだ。シューベルトの25歳以降の音楽に感じられるある種の重苦しさは、不治の病の苦しみに加えて、当時の西欧社会の閉塞感が反映されたのではないかと推測される。

*3:D664の作曲年は1819年という説が有力だが、自筆譜が失われているため、1825年の作曲ではないかとの異説がある。

*4:少年時代には、一度聴いた音楽は脳に深く刻み込まれたものが、成人してからその能力は急速に衰えた。

*5:時間はCDから移したiTunesに表示されているものだから、CDに記載されているものとは異なるかもしれない。

ベートーヴェンの「大公トリオ」と星新一・村上春樹・吉田秀和、それにシューベルトの変ロ長調トリオ

 村上春樹の『海辺のカフカ』(新潮文庫)を読んだが、今回は小説そのものには時折触れる程度にして*1、小説で取り上げられた2曲の音楽である、ベートーヴェンの「大公トリオ」とシューベルトピアノソナタ第17番(ニ長調 D850)の2曲を前後編で取り上げる。今回は下巻で大きな役割を果たすベートーヴェンの大公トリオ。正式名称 (?) は、ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97という。

 この曲を初めて聴いたのは中学2年生の2月だった。だが曲名はその前から知っていた。当時新潮社から出ていた「星新一作品集」(全18冊)の付録に載っていた「星くずのかご」というエッセイで言及されていたのだ。それを中学生の私は本屋で立ち読みしていたのだった。『海辺のカフカ』に大公トリオの名前が出てきてまず思い出したのは、ああ、星新一(1926-1997)が好きだった曲だな、ということだった。

 「大公トリオ 星新一」を検索語にしてネット検索をかけて、2010年に書かれた下記のブログ記事を見つけた。

 

nekodayo.livedoor.biz

 

 上記ブログ記事に抜粋された星新一のエッセイを、さらに抜粋して以下に紹介する。

 

星新一「星くずのかご No.7 音楽について」

 

音楽について書くのは、たぶんこれがはじめてである。中学の時(昭和14-18)、醍醐忠和という友人がいた。いまでもつきあっている。私に名曲鑑賞なることを教えてくれたのが彼である。あと二人ほど仲間をこしらえ、日曜日に学校の音楽教室のプレイヤーを使わせてもらい、彼の持ってきたレコードを聞いた。そのころはプレイヤーなどとは言わず、電気蓄音機と呼んでいた。

ほかにたいした娯楽のなかった時代である。何回か続けているうちに、音楽とはいいものだなと思うようになった。最初に聞かされたのは、チャイコフスキーだったようだ。醍醐はそのファンで、とくに「悲愴」交響曲を絶賛していた。

そんなことがきっかけで、私も父母にねだってプレイヤーを買ってもらい、こづかいをためてレコードを買うようになった。友人達とレコードの貸し借りをするようになり、いろいろな名曲に接し始めた。シューベルトの登場する映画「未完成交響楽」も醍醐と一緒に見に行った。音楽会にも時たま行った。貸し借りをするレコードは交響曲が多かった。だれでもはじめは、そのへんからであろう。また、中学生の思考として、同じ値段なら大勢で演奏している盤を買った方が得だ、ということもあったようである。

ベートーベンの「田園」は明るくて楽しいし、「英雄」はいわずもがな、「第七」には躍動美があり、第八は小品である点が面白い。いささか疲れさせられるが、「第九」は名作である。しかし、「運命」だけは全曲を通して聞いたことがないのである。もちろん、あの発端の部分は知っているが、その先は知らないのである。友人が貸してやると言っても、断った。あまりに有名すぎることへの抵抗である。あまのじゃく的性格が、そのころからあったようである。今日にいたるまで、いまだに運命を聞かないでいる。こんな人間は珍しいのではないだろうか。

モーツァルトブラームス、「新世界」のドヴォルザーク。こういった名に接すると、反射的に中学時代を思い出す。レコード屋にすすめられ、ラロの「スペイン交響曲」を買ったこともあった。どんな作曲家かよく知らないが、いやに新鮮な印象を受けた。真紅のジャケットも美しく、友人達に課して好評だった。もっとも、これは正確にはバイオリン協奏曲である。

バイオリンやピアノの協奏曲も、かなり聞いた。毎日のようにレコードをかけていた。あとは読書ぐらいしかすることがなかったのだ。昭和16年に日米開戦。いい時代だったとはお義理にもいえないが、おかげで私は名曲に親しむことができたのである。

高校(旧制)に入ってから、好みに変化が起こった。「運命」を除いて、シンフォニーを聞きつくしたのである。友人にすすめられ、シューベルトの「鱒」のレコードを買った。ピアノと四つの弦楽器による室内楽である。わかりやすく親しみやすく、ずいぶんくりかえして聞いた。それからしばらく、モーツァルトやベートーベンの弦楽四重奏のたぐいに熱中し、つぎにベートーベン、シューマンショパンなどのピアノ曲に興味を持った。

そのうち、どういうわけかドビュッシーピアノ曲が面白くなった。それまでのと変わった傾向のものだったからだろう。

こう思い出してみると、名曲とともにすごした時間は、結構多かったわけである。シューベルトの「冬の旅」もなつかしい。しかし、歌劇はあまり好きになれなかった。序曲はいいのだが、あの声は私の肌にあわない。

クラシックと呼ばれるものは、いずれも名作である。

しかし、欲にはきりがない。まだ聞いてないなかに、これこそ名作中の名作と呼べる音楽があるのではないか。そう思いながら鑑賞をくりかえしているうちに、ついにそれにめぐりあった。

ベートーベンの「大公三重奏曲」である。こんな名曲があったのかと感嘆させられた。神韻縹渺とはこのようなものへの形容だなと知らされた。当時は漢字制限などなかったのだ。なんともいいようのない、すぐれたおもむき、という意味だが、これだけは漢字で書かないとムードがでない。

難解なところは、まったくない。ベートーベン特有のあの力強さが抑えられ、限りない深みを作り出している。高貴にして明瞭、美の林の中をさまよっているような気分になる。聞くたびに、ため息がでた。

ピアノがコルトー、バイオリンがティボー、チェロがカザルス。いずれもたぐいまれな名手である。そのせいでもあろうが、人類の作り出した芸術のなかで、この曲にまさるものはないのではなかろうかとさえ思った。

戦争の末期である。東京への空襲も多くなった。そんななかで、私は毎日のようにこのレコードをかけ、聞いていた。いつ死ぬかわからぬ状勢。しかし、生きている間に、このような名曲に出会えたのだと思うと、ひとつのなぐさめにもなった。(後略)

 

出典:http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1369494.html

 

 「神韻縹渺」(しんいんひょうびょう)という四文字熟語にはたぶんこのエッセイで初めて接したに違いないが、それは記憶にない。しかし星新一がここまで絶賛するこの「大公三重奏曲」とはどんなにすごい音楽なのだろうかとわくわくしたことはよく覚えているし、他に言及された音楽に対する寸評にも、どれも見覚えがある。

 

 ブログ記事には、村上春樹の『海辺のカフカ』からも大公トリオに絡むくだりが引用されているので、以下に再び引用する。

 

今、この「大公」を聞きながらこの文章を書いているのですが、この曲は大仰なところや技巧走ったところのない、綺麗に美しく小ぢんまりと纏まった軽やかな小品です。星新一さんは、机の上に置く可愛らしい小物を集めるのが趣味の一つであるいうことを、このエッセイ「星くずのかご」に書いていますが、ショートショートという、小さい美しく纏まった小説形式と、こういった美しい小品の音楽の愛好や、小さな小物が好きという趣味は、星さんの人間らしい心の繋がりを感じさせてくれて、嬉しくなりますね…。

ちなみに「大公」は、村上春樹海辺のカフカ」で、重要な役割の曲だったので、IQ84でヤナーチェクシンフォニエッタが売れたように、海辺のカフカの影響によって、日本では結構売れた曲ですね。星さんはご自分でも書いておられるとおり、有名なものよりもマイナーなもの、大きいものより小さいものを愛好されておられたので、たぶん、「大公」のこういう売れ方は、もし生きてらっしゃったら、あまり好まなかっただろうなとは思いますが…。まあ、いい曲が大勢の人々に聞かれるのは、良いことだと僕は思いますね…。

 

彼は眼を閉じ、静かに息をしながら、弦とピアノの歴史的な絡み合いに耳を澄ませた。クラシック音楽を聴いたことはほとんどなかったが、その音楽は何故か心を落ちつかせてくれた。内省的にした、と言ってもいいかもしれない。(中略)

「音楽はお耳ざわりではありませんか?」
「音楽?」と星野さんは言った。
「ああ、とてもいいお音楽だ。耳ざわりなんかじゃないよ。ぜんぜん。誰が演奏しているの?」
ルービンシュタインハイフェッツ*2=フォイアマンのトリオです。当時は、『百万ドル・トリオ』と呼ばれました。まさに名人芸です。1941年という古い録音ですが、輝きが褪せません」
「そういう感じはするよ。良いものは古びない」(中略)

ベートーヴェンの『大公トリオ』です」
「なかなかいい曲だね」
「素晴らしい曲です。聴き飽きるということがありません。ベートーヴェンの書いたピアノ・トリオの中ではもっとも偉大な、気品のある作品です」
村上春樹海辺のカフカ」)

 

出典:http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1369494.html

 

 『海辺のカフカ』に出てくる「星野さん」は中日ドラゴンズの野球帽を被っており、キャラクターの名前はあの故星野仙一にちなんでいる。私としては非常に気に入らないが、作者の村上春樹はいわずとしれたスワローズファンなので、追及はしないでおく(笑)。

  で、「星野さん」は仙一よりも星新一のほうにはるかに近い感性の持ち主だったようで、彼が大公トリオを聴く場面はこのあとも何度も出てくる。村上春樹の大公トリオのとらえ方は星新一と近いように思われる。

 星新一のエッセイではコルトー、ティボー、カザルスの演奏のレコードに言及されているが、これは1928年の録音だ。一方、『海辺のカフカ』に出てくるルービンシュタインハイフェッツ、フォイアマンの録音は、引用文にもある通り1941年の録音。いずれもモノラル録音で音質は悪い。私は古いモノラル録音が苦手なので、この2種類のCDはどちらも持っていない。

 

 さて、中学2年生当時の私をわくわくさせた、まだ聴かぬ「神韻縹渺たる」名曲を聴く機会は星新一のエッセイを読んだ数か月後にめぐってきた。NHK-FMで2回に分けてピアノトリオの名曲を集めて聴かせる特集をやったのだ。初回に大公トリオとシューベルト変ロ長調トリオ(D898, 作品99)、それにメンデルスゾーンの第1番(ニ短調作品49)を聴き、翌週の2回目にチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」(作品50)とドヴォルザークの「ドゥムキー」(作品90)を聴いた。チャイコフスキードヴォルザークはともに異色の作品で、3楽章ないし4楽章の通常の構成をとらない。モーツァルトブラームスからは選ばれなかった。この2人には珍しく、この分野においては彼らにふさわしい水準に届く作品は残さなかったのだった。

 だが、2週に分けて放送された5曲の中で私がもっとも気に入ったのは、大公トリオと同じ変ロ長調をとるシューベルトのトリオだった。

 手元に吉田秀和(1913-2012)の『LP300選』(新潮文庫1981, 単行本初出新潮社1961)があるが、吉田は上記5曲のうちチャイコフスキードヴォルザークを除いた3曲を音楽史上の300の名曲に挙げている。その中から大公トリオとシューベルト変ロ長調トリオを評した部分を以下に引用する。

 

 また、室内楽のほかの組合わせでは、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏が六曲あるが*3、そのなかでは『大公トリオ変ロ長調(作品97)が、一番有名だし、ベートーヴェンの作品としては『クロイツァー・ソナタ』並みの出来であるが、トリオの名作は、案外少ないから、これはとりあげるべきだろう。ただし、中間の変奏曲の楽章は、私には長すぎてときどき眠くなる。

 

吉田秀和『LP300選』(新潮文庫 1981)169頁)

 

室内楽では、ピアノと弦楽四部――ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス――のピアノ五重奏曲ます』も有名だ。この曲は早熟なシューベルトのうちでも、器楽曲ではもっとも初期の名作だ。しかし、私は、ピアノ三重奏曲変ロ長調(作品99)も忘れたくない。両者をすぐれた演奏家による演奏できくと、その差がわかっていただけるだろうが、こちらの方がはるかに豊かな音楽的実質をもつ。しかも、ちっとも堅苦しくなく、朗々と歌うよろこびでも前者におとらない。それから、弦と管の『八重奏曲』も、楽しい曲である。

 

吉田秀和『LP300選』(新潮文庫 1981)181頁)

 

 後者の引用文に書かれたシューベルト変ロ長調トリオ評には全面的に同感だ。

 前者のベートーヴェンの部分で、吉田秀和は大公トリオが「『クロイツァー・ソナタ』並みの出来である」と書いているが、この有名なヴァイオリンとピアノのためのソナタに関する記述も以下に引用する。

 

ベートーヴェンのヴァイオリンとピアノのためのソナタは=引用者註)どれも、私には、モーツァルトソナタはもちろん、後のブラームスや、ないしはフランクのソナタほどにはおもしろくない。まあ、妥協して、『クロイツァー・ソナタ イ長調(作品47)を、とっておこうか。もちろん、大変よくできた曲であることは、いうまでもないのだが、なんだか、ピアノが重すぎる。私個人としては、おとしても、おしくない。

 

吉田秀和『LP300選』(新潮文庫 1981)163頁)

 

 つまり吉田秀和は「クロイツェル・ソナタ」も「大公トリオ」も必ずしもベートーヴェンの最高の作品とはみなしていなかった。

 大公トリオは確かに星新一村上春樹が(村上の場合は作中人物である喫茶店の経営者の口を借りて)書いている通り、気品と落ち着きのある、ある意味でベートーヴェンらしからぬ安定感のあるすぐれた音楽なのだが、逆にそこにひっかかりの原因が生じるのかもしれない。なお、「クロイツェル・ソナタ」は「大公トリオ」とは全く異なり、特にその第1楽章は焦燥と情熱に満ちた音楽であって、トルストイにこの音楽に触発された中篇小説を書かせたほどの力を持っている。作曲時期としても曲想としても両者の中間にあるのがチェロとピアノのためのイ長調ソナタであって、吉田秀和も下記のように書いている。

 

 それより、むしろ、ほかの人にもすぐれた作品が少ないせいもあるが、イ長調のチェロ・ソナタ(作品69)のほうをここで、とっておく必要がありはしまいか。

 

吉田秀和『LP300選』(新潮文庫 1981)163頁)

 

 このソナタは、第5, 第6交響曲のすぐ次の番号であり、ベートーヴェンの中期の中でも頂点をなす時期の1808年に書かれた(「クロイツェル・ソナタ」は1803年完成)。

 「大公トリオ」は1811年に完成し、翌年に書き上げられた交響曲第7番(作品92)や同第8番(作品93)とともに、中期の最後に書かれた。

 ベートーヴェン1812年にイギリス軍がナポレオン率いるフランス軍を破ったことを祝う「ウェリントン勝利」なる管弦楽曲を書いたが、これはベートーヴェンの生涯でたった1つの駄作だったと評されることが多い。そして、自ら公邸に即位して独裁者となったナポレオンの時代が終わったことを祝ったまでは良かったが、その後のヨーロッパを待ち受けていたのは、「政権交代」で生まれた民主党政権が3年あまりで終わったあとに始まった現在の日本の「崩壊の時代」を思わせる、長くて暗くて重苦しい反動的な時代だったのだ。

 そしてこの「反動の時代」に入るや、ベートーヴェンは長い長いスランプに陥り、音楽が書けなくなった。やがてその苦難の時期を乗り越えて、後期の超越的な作品群が生み出されることになるのだが。

 晩年のベートーヴェン1827年没)やシューベルト1828年没)が生きたのは、そんな時代だった。以下、ベートーヴェンの第8交響曲を取り上げたブログ記事から引用する。

 

ludwig-b.blogspot.com

 

交響曲第8番は9曲の中ではやや演奏頻度の低い部類に入る曲かもしれませんが、個人的にはとても好きな作品です。兄弟作とも言える第7番と比較されてしまいますが、第7番のような力強さや「不滅のアレグレット」のような陰りはもたない、全楽章を通し明るい曲となっています。

第8番は作曲開始が第7番の後、1811年、完成が1812年となります。
この前後にどのような歴史イベントがあったかまとめてみました。

 

1809年
 オーストリア戦役(ナポレオン絶頂期)
 ハイドン死去
1810年
 ヴァイオリンソナタ第10番
 弦楽四重奏第11番<<セリオーソ>>
 『エグモント』
 シューマン生まれる
1811年
 ピアノ三重奏第7番<<大公>>
1812年
 交響曲第7番・第8番
 「不滅の恋人」の手紙
 ロシア戦役
1813年
 『ウェリントンの勝利』
 ヴァーグナーヴェルディ生まれる
1814年
 ナポレオン退位(エルバ島へ)
 ウィーン会議
1815年
 弟カール死去
 ワーテルローの戦い
 「第9」の作曲始まる(完成は1824年)。

 

ナポレオン時代の終焉を迎え、「不滅の恋人」、弟カールの死、そしてスランプとベートーヴェンには様々な変化が訪れた時代です。前期・中期・後期などの分類では中期の最後、そして後期の始まりとなります。

メッテルニヒの主導するウィーン体制(「会議は踊る」で知られる)とはナポレオン時代に広まった思想を否定しそれ以前に戻そうとする政治体制であり、ベートーヴェン自由主義思想に共感を感じていたことから危険分子とされ逮捕されたとの逸話もあります(酔っ払っていたところを逮捕されたとも・・・)。

この政治的思想の取り締まり、経済的混乱、カールの死去とが重なり第8番のあとのベートーヴェンは創作どころではないスランプへ陥り、バッハの音楽の研究と後期後半の作品群へと繋がることになります。

このような時代の直前の第8番が明るくユーモアに満ち溢れているというのは皮肉なことかもしれません。

 

出典:http://ludwig-b.blogspot.com/2014/10/lv.html

 

 ブログ主さんが第8交響曲について、「明るくユーモアに満ち溢れている」と評した部分を「落ち着いて気品をたたえた」に変えれば、「大公トリオ」の作品評となる。

 「大公トリオ」とは、「嵐の前の静けさ」というべきか、はたまた落日の前の夕景の美しさにたとえるべき音楽か。

 

 次回は『海辺のカフカ』に出てきたもう一曲のクラシック曲である、シューベルトニ長調ピアノソナタ(第17番, D850)を取り上げる。

*1:海辺のカフカ』は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』の両作を承け、父殺しをテーマとした点で『騎士団長殺し』の先駆となる小説といえるし、舞台を高松市(架空の「甲村図書館」は琴電志度線の牟礼あたりがちょうど場所的に適合しそうだ)や高知の山間部(こちらは大豊町あたりだろう)であるなど、記事を書く題材には事欠かないが、きりがないのと時間の関係で、今回は小説に登場する音楽に焦点を絞った次第。

*2:原文ママ村上春樹の『海辺のカフカ』では一貫して「ハイフェツ」と表記されている。引用箇所は新潮文庫版では下巻210頁=引用者註。

*3:大公トリオは一般に第7番と呼ばれるが、第4番作品11はヴァイオリンの代わりにクラリネットが指定されており(但しヴァイオリンによる代用可とされている)、これを除外すると全6曲になる=引用者註。

新田次郎『強力伝・孤島』『雪の炎』を読む

 2週間前に新田次郎(1912-1980)の文庫本を2冊図書館で借りて読んだ。そろそろ返さなければならない。

 読んだのは『強力伝・孤島』(新潮文庫)と『雪の炎』(光文社文庫)。読まれるべき本だと私が思うのは前者で、後者は物好きか山好きの方にしかおすすめできない。半世紀前に谷川岳に登った一般登山者たちや当時の山小屋の様子を知るには興味深い。私はたまたま今秋に谷川岳に登るプランを考えたけれども実現させられなかったので、昭文社の「山と高原地図16・谷川岳」(2019年版)を参照しながら興味深く読んだ。以下、光文社のサイトから作品紹介を引用する。

 

雪の炎 新田次郎/著

幾百もの生命を飲み込んでいる魔の山谷川岳。男女五人のパーティで縦走中、リーダーの華村敏夫だけが疲労凍死した。兄の死に納得のいかない妹の名菜枝は、遭難現場に居合わせたメンバーに不審を抱き……。遭難事件に興味を寄せる謎の外国人や産業スパイ、恋心のぶつかり合い。真相に迫るごとに、奇異な事実が次々と明らかに! 山岳ミステリーの異色作。

 

出典:https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334773908

 

 この作品はもともと週刊誌「女性自身」1969年8月23日号で連載を開始して19回連載されたが、1973年にカッパノベルスから単行本化した時に全面的に書き改められた。作者は「結果的には書下ろし同然のものではあるが、『雪の炎』という題もそのままだし、週刊誌に載った部分もかなりの枚数取り込んである」*1と書いている。

 だが残念ながら、この作品には歴史的限界がある。女性週刊誌には女性向けにこんな小説を書いておけば良い、といった作者の偏見があって、それが小説を凡作にしてしまっているのだ。同じ誤りは松本清張も数多く犯しているので、致し方ないと思う。これは、日本国憲法で女性参政権が保障されてからまだ四半世紀前後しか経っていない頃に書かれた小説なのだ。

 一方、『強力伝・孤島』は良い。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 幸いにも、上記新潮社のサイトに「強力伝」(1951)、「凍傷」(1955)、「孤島」(1955)の3作の短い紹介がされている。他に、長篇『八甲田山死の彷徨』(1971)に16年先立って書かれた「八甲田山」(1955)、「おとし穴」(1960)、「山犬物語」(1955)の計6篇の短篇が収録されている。

 「強力伝」は著者・新田次郎直木賞を受賞した出世作。主人公・小宮正作のモデルは、著者が戦前の1932年から37年まで富士山頂観測所で技官を務めていた当時の炊事係の小見山正だが、この人について著者が書いた文章を今年4月に読んだことがあった。それはヤマケイ文庫から出ている『新田次郎 山の歳時記』に収録された「山とヘリコプター」*2だ。それが小松伸六(1914-2006)が書いた新潮文庫の解説に引用されているので以下に孫引きする。

 

(前略)私が富士山頂に行っておったころ、特にすぐれた強力が二人いた。一人は御殿場口の小宮正作君で、この人は三十貫(約一一二キロ)近いエンジン・ボデーをひとりで担ぎ上げた人である。力が強いだけでなく、話もじょうずだし、どんなに仕事につかれても、その日の日記はかかさず書いていた。観測所に勤めていたころも、その誠実な働きぶりと人柄で所員たちに深く愛されていた。この小見山君がある新聞社の仕事で白馬岳の頂上に五十貫(約一八七キロ)近い石を担ぎ上げて、その時の労苦が遠因となって死んだ。

 

新田次郎『強力伝・孤島』(新潮文庫 2011年改版 307-308頁)

 

 新聞社が「風景指示盤」と名づけたこの巨石は、今も白馬岳の山頂にあるとのこと。いつか白馬岳に登ることがあれば現物を見てみたい。

 ところで小見山正の命を縮めたこの事業を行った新聞社は、あの読売である。読売とは昔も今もろくなことをやらない社会悪そのものだ。

 なお風景指示盤の担ぎ上げは1941年に行われ、小見山正は1945年2月に死去した。氏の一人娘・小見山妙子さんは長年金時山の茶屋で「金時娘」として親しまれ、驚くべきことに80歳を過ぎた今なお現役だという。さすがに最近は茶屋に上がって来る日は減ったとのことだが。

 「凍傷」は前記新潮社のサイトを参照すると「富士山頂観測所の建設に生涯を捧げた一技師の物語」とのことだが、この作品の最後に下記の文章が付されている。

 

 この小説に登場する主要なる人物は実名を使用した。経過も、事実に齟齬しないように注意して書いた。新潮文庫 2011年改版 168頁)

 

 これは実話だったのかと驚かされた。それくらい壮絶だ。

 一方、著者が仮名を使って書いた作品は、多かれ少なかれ脚色されていると考えるべきだ。このブログで前回取り上げた『八甲田山死の彷徨』もその一つ。

 文庫本で最後に置かれた「孤島」を新潮社のサイトは「太平洋上の離島で孤独に耐えながら気象観測に励む人びとを描く」と紹介しているが、この離島とは伊豆諸島の鳥島であって、一時は絶滅されたと思われていたアホウドリ鳥島測候所員が発見したくだりには史実(1951年発見)が取り入れられている。おかげでアホウドリの再発見やその後、それに一時絶滅寸前に追い込まれた経緯をずいぶんネット検索で調べる羽目に陥ってしまった(笑)。それらは紹介しないが、興味のおありの方は調べてみられたい。アホウドリを絶命寸前に追い込んだ戦前の日本人の暴挙は、アメリカなど外国でも散々に酷評されたらしく、当時から「日本スゴイ」などという事実は存在しなかったことがよくわかる。

 この記事で紹介しなかった「おとし穴」と「山犬物語」もそれぞれ面白い。「八甲田山」だけは、のちの長篇『八甲田山死の彷徨』があるので、その萌芽が確認できることが興味深い程度にとどまる短篇だ。

*1:光文社文庫版364頁「作者付記」より。

*2:初出は朝日新聞に連載されたエッセイ「白い野帳」。