吉田秀和の昔のNHK-FMの解説で最近聴いたモーツァルト14歳の時のオペラ『ポントの王ミトリダーテ』K87が、音楽だけではなく劇としても面白そうだったので、これは是非動画見たいと思ってネット検索をかけたところ、一昨年(2022年)のベルリン国立歌劇場公演でこのオペラが宮城聰の演出で上演され、それをNHKが放送していたことを知った。
このオペラは3時間近くかかる長いものなので、どこかの三連休で見たいと思っていたが、やっとそのチャンスがめぐってきたので、NHKオンデマンドで220円で購入して(視聴有効期間は3日間)視聴した。
私は演劇には全く疎くて、宮城聰という人も全く知らなかったが、結構注目されたようだ。下記に一例を示す。
宮城聡の演出が話題に。番組冒頭の宮城聡の発言が実に良い。「オペラセリアの登場人物は一般人ではなく、歴史の教訓や知恵を体現してる神話的人物なので、過剰な演技は良くない。歌舞伎的な様式的な演技を歌手に求めた」。
これは、神話や歴史上の設定を現代政治や企業社会に置き換えて、「現代で言えば要するにこういうことです」と観客に読み替えさせる流行の演出とは逆の考え方である。例えば、シモン・ボッカネグラが田舎の土建業者から成りあがった市長だったりするw
とはいえ常々、エリザベス女王が、企業の女社長みたいに描かれるのには辟易としている。だから欧州のゴミ演出見たくないんですよw
歌手たちも、正面を向いて淡々と歌うことに面食らって、苦労したようである。そもそも日本ですら、「オペラ歌手が舞台に出て来て棒立ちで歌うのは良くない」と昔のオペラの本には書いてあった。
宮城聰という人はいろいろ面白いらしい。以下mixiより。
ある日友人から、こんなメールが届いたのだ。
「さて、ご存知かも知れませんが、東京駅でマハーバーラタの野外公演があるそうです。」
ええええ~~~っ、ご存じないですーー!
礼もそこそこに、大慌てでその場で公式サイトにアクセスすると、幸運にも席に空きがあったので、その場でチケットを購入した。
細かいことを調べたのは、その後だ。
宮城聡は、かつて、ク・ナウカという劇団を率いており、それを解散した後は、フランスのアヴィニョン演劇祭で招待上演したり、静岡の舞台芸術センターで芸術監督を務めたりと、今や日本を代表する舞台演出家の一人であるはずだ。
アヴィニョンでも上演した代表作『ナラ王の冒険』は、国内外で頻繁に上演を続けている。
最近は、オペラ『ポントの王ミトリダーテ』(モーツァルトの作品だって!)を手掛け、実はTV放送分を録画してあるのだけれど、まだ観ていない。
私が彼の舞台を初めて生で観たのは、なんと歌舞伎である。
インドの叙事詩『マハーバーラタ』を愛好する私は、これが尾上菊之助の手で歌舞伎化されると聞いて恐る恐る観に行ったのだが、敵役の中村七之助に圧倒され、音楽に打ちのめされ、筋の運びの妙に感心し、マイッタマイッタと思いながらプログラムに目を通してみると、それが宮城聡の演出と知って倒れそうになったのだ。
そんなこと、何も知らずに観に行ってたよ。
URL: https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986216020&owner_id=24016198
私など目を白黒させるばかり。
でも「歌舞伎」で思い出されたのは、つい最近聴いたばかりの43年前の吉田秀和のNHK-FM放送で6回連続でこのオペラが取り上げられたうちの第5回の放送だった。下記にリンクを示す。
上記YouTubeの25分50秒あたりで、このオペラの第3幕のある場面を吉田は「日本の歌舞伎みたいな感じですね」と評しているのだった。その41年後に宮城聰が本当に歌舞伎の様式を取り入れてこのオペラを演出した。偶然といえばそれまでだが、実に面白いと思った。
一昨日の記事でその光文社新書の著書を私が酷評した森本恭正は、吉田秀和がモーツァルトの戴冠ミサ曲K317のキリエを日本語の「お母さん」という言葉に当てはめた解説に対して、
何か気味の悪い、濁ったインクで書かれたメモを呑み込んでしまったかのような不快感を覚えた。そして唐突に、数十年前、ウィーンで開かれた立食パーティーで、寿司の屋台に並んだヨーロッパ人たちが、一流の寿司職人が握った寿司に醤油をどぼどぼとかけて、満足げに食べていた光景を思い出した。
(森本恭正『日本のクラシックは歪んでいる - 12の批判的考察』(光文社新書)152頁)
と吉田をこき下ろしているが、森本は宮城の『ポントの王ミトリダーテ』の演出にも同じ感想を持つのだろうかと思った。
私が連想したのは、読み終えたばかりの水谷彰良『サリエーリ - モーツァルトに消された宮廷楽長』(音楽之友社, 2004)に書かれた、サリエリが弟子のシューベルトに
「音楽をつけるに値しない野蛮な言葉 [ドイツ語] 」ではなく、イタリア語の詩に作曲するよう忠告した。(同書236頁)
というエピソードだった。結局シューベルトは師のサリエリの教えを守らずに成功したためか、著者の水谷氏が
サリエーリが不充分な教育を施し、それがシューベルトの形成に何の寄与もしなかったとする不当な非難が、後年彼らの回想録で繰り返されることになる。(同237頁)
と憤っているが、これはドイツ語を馬鹿にして、半世紀以上もウィーンに住みながら、結局最後までドイツ語がうまくしゃべれなかったというサリエリにも「不当な非難」を受ける隙があったといえるのではないかと思った。私がまた連想したのは昔日本プロ野球にやってきたメジャーリーガーたちのことだ。一方、大谷翔平は英語が結構達者になったと聞く。
森本恭正についていうと、森本とはまるで「名誉オーストリア人」みたいな人だなと思った。彼は著書でさんざん「反権威主義」を言っているが、私には森本自身が大の権威主義者であるようにしか見えない。
もっとも、歌舞伎の様式を取り入れた『ポントの王ミトリダーテ』の宮城演出の良し悪しについては私はわからなかった。なんと言っても、私自身が演劇には無知にすぎるからだ。
私が言えることはただ一つ、14歳のモーツァルトの書いた音楽は素晴らしいということだけだ。同じ頃に書いた他の作品と比較しても群を抜いている。モーツァルトは8歳くらいの子どもの頃からオペラへの関心が強かったそうだが、やはりやりたいことをやる時には人間は力を出す。オペラを書いた時の少年モーツァルトの音楽は、勉強の課題をこなすような感覚で書かれたと思われる子ども時代の交響曲群とは出来が全く違うのである。
とりわけ私の印象に強く残ったのは、第13曲のホルンのオブリガート付きのアリアだった。
このアリアに触れたブログ記事を以下に紹介する。
私自身このオペラ自体あまり馴染みがないのだが、「ポントの王ミトリダーテ」と聞いて真っ先に思い出すのは、モーツァルトが最初に(そして最後になったしまったが)作曲したホルンのオブリガート付きのアリア。
第2幕 シーファレによって歌われるアリア「あなたから遠く離れて」(第13曲)。
テ・カナワが歌うモーツァルト・アリア集(PHILIPS/1987)に収録されていた(ホルン:フランク・ロイド)。(中略)
ただ上記アリアでは、ソロ・ホルン奏者も舞台に上がり一緒に演奏するという演出。
ここは音楽(ソプラノとホルンとの絡み)と演出の両方が非常に良かった。今回視聴したこのオペラの中でもっとも強く印象に残った。
ソプラノと管楽器の掛け合いというと、すぐに思い出されるのはコンスタンツェが歌ったというハ短調ミサK427の「エト・インカルナートゥス・エスト」であり、これはモーツァルトの全作品中でも超絶名曲の一つだが、その曲を思い出したくらいだ(もちろんあの曲には及ばないが)。余談だが、ネット検索で調べたらコンスタンツェがハ短調ミサ曲で歌ったのは第一ソプラノではなく第二ソプラノだったのではないかとの説もあるようだ。
ハ短調ミサの「クリステ・エレイソン」や「エト・インカルナートゥス・エスト」に見られる美しいソプラノソロ、「ラウダムス・テ」に見られるコロラトゥーラの華やかなソロ、これらは、モーツァルトにより新妻コンスタンツェのために作曲され、初演の折りにコンスタンツェによって歌われたと考えられています。今から3年前、私が高橋英郎先生のお宅をお伺いした際に、「ハ短調ミサのソプラノのソロをコンスタンツェが歌ったことは事実だけれど、第一ソプラノではなく第二だったのではないか」との先生のご指摘は、これまでコンスタンツェが第一ソプラノを歌ったと信じて疑わなかった私にとって、ショッキングな話でした。確かに先生のご指摘のように、コンスタンツェがハ短調ミサのソロが歌える位のヴィルトゥオーゾであれば、モーツァルトはソプラノ歌手として名高かった姉のアロイジアに対してそうであったように、妹のコンスタンツェに対しても多くの歌曲を残したであろうし、コンスタンツェの第二の夫となったニッセンが著したモーツァルトの伝記にもコンスタンツェの声楽や音楽の才能についての記述があってもおかしくない。にもかかわらず、モーツァルトがコンスタンツェに捧げた曲は未完成のアリア一曲と、3つの練習曲を数えるのみなのです。そして、残された資料などをじっくり考えていくと、「歌ったのはキリエのソロだけだったのでは?」とまで思うようになりました。そこで、このことについて、この紙面をお借りして少し述べさせていただこうかと思います。
URL: http://www.venus.dti.ne.jp/~kotani/OME/Missa-c-moll.html
そうなのか。それは残念。
でも「オブリガートを伴うアリア集」だというキリ・テ・カナワのアルバムは面白いかもしれない。この人が歌うカントルーブの『オーベルニュの歌』は私の愛聴盤だ。
全曲で168分(2時間48分)の長丁場だったが、モーツァルトのオペラを通して視聴すできて本当に良かった。最近は土日でもまとまった時間がなかなかとれないことが多かったので、良いリフレッシュになった。
なお出演者その他は下記の通り。前記ブログから引用する。もともとは2020年公演予定だったのがコロナ禍で2年延期になり、出演者はかなり入れ替わったようだ。
歌劇「ポントの王ミトリダーテ」
- 作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
- 台本:ヴィットーリオ・アマデオ・チーニャ=サンティ (ジャン・ラシーヌの悲劇による)
- 演出:宮城聰
- 空間構成:木津潤平
- 美術:深沢襟
- 衣裳:高橋佳代
- 照明:Irene Selka
- 振付:太田垣悠
- ドラマトゥルク:Detlef Giese
- ミトリダーテ(テノール):ペネ・パティ
- アスパージア(ソプラノ):アナ・マリア・ラービン
- シーファレ(メゾ・ソプラノ):アンジェラ・ブラウアー
- ファルナーチェ(カウンターテナー):ポール・アントワーヌ・ベノ・ジャン
- イズメーネ(ソプラノ):サラ・アリスティドゥ
- マルツィオ(テノール):サイ・ラティア
- アルバーテ(メゾ・ソプラノ):アドリアーナ・ビニャーニ・レスカ
- 管弦楽:レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
- ホルン・ソロ:カルレス・チョルダ・サンス
- 指揮:マルク・ミンコフスキ
- 収録:2022年12月9、11日/ベルリン国立歌劇場