KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

新田次郎『強力伝・孤島』『雪の炎』を読む

 2週間前に新田次郎(1912-1980)の文庫本を2冊図書館で借りて読んだ。そろそろ返さなければならない。

 読んだのは『強力伝・孤島』(新潮文庫)と『雪の炎』(光文社文庫)。読まれるべき本だと私が思うのは前者で、後者は物好きか山好きの方にしかおすすめできない。半世紀前に谷川岳に登った一般登山者たちや当時の山小屋の様子を知るには興味深い。私はたまたま今秋に谷川岳に登るプランを考えたけれども実現させられなかったので、昭文社の「山と高原地図16・谷川岳」(2019年版)を参照しながら興味深く読んだ。以下、光文社のサイトから作品紹介を引用する。

 

雪の炎 新田次郎/著

幾百もの生命を飲み込んでいる魔の山谷川岳。男女五人のパーティで縦走中、リーダーの華村敏夫だけが疲労凍死した。兄の死に納得のいかない妹の名菜枝は、遭難現場に居合わせたメンバーに不審を抱き……。遭難事件に興味を寄せる謎の外国人や産業スパイ、恋心のぶつかり合い。真相に迫るごとに、奇異な事実が次々と明らかに! 山岳ミステリーの異色作。

 

出典:https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334773908

 

 この作品はもともと週刊誌「女性自身」1969年8月23日号で連載を開始して19回連載されたが、1973年にカッパノベルスから単行本化した時に全面的に書き改められた。作者は「結果的には書下ろし同然のものではあるが、『雪の炎』という題もそのままだし、週刊誌に載った部分もかなりの枚数取り込んである」*1と書いている。

 だが残念ながら、この作品には歴史的限界がある。女性週刊誌には女性向けにこんな小説を書いておけば良い、といった作者の偏見があって、それが小説を凡作にしてしまっているのだ。同じ誤りは松本清張も数多く犯しているので、致し方ないと思う。これは、日本国憲法で女性参政権が保障されてからまだ四半世紀前後しか経っていない頃に書かれた小説なのだ。

 一方、『強力伝・孤島』は良い。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 幸いにも、上記新潮社のサイトに「強力伝」(1951)、「凍傷」(1955)、「孤島」(1955)の3作の短い紹介がされている。他に、長篇『八甲田山死の彷徨』(1971)に16年先立って書かれた「八甲田山」(1955)、「おとし穴」(1960)、「山犬物語」(1955)の計6篇の短篇が収録されている。

 「強力伝」は著者・新田次郎直木賞を受賞した出世作。主人公・小宮正作のモデルは、著者が戦前の1932年から37年まで富士山頂観測所で技官を務めていた当時の炊事係の小見山正だが、この人について著者が書いた文章を今年4月に読んだことがあった。それはヤマケイ文庫から出ている『新田次郎 山の歳時記』に収録された「山とヘリコプター」*2だ。それが小松伸六(1914-2006)が書いた新潮文庫の解説に引用されているので以下に孫引きする。

 

(前略)私が富士山頂に行っておったころ、特にすぐれた強力が二人いた。一人は御殿場口の小宮正作君で、この人は三十貫(約一一二キロ)近いエンジン・ボデーをひとりで担ぎ上げた人である。力が強いだけでなく、話もじょうずだし、どんなに仕事につかれても、その日の日記はかかさず書いていた。観測所に勤めていたころも、その誠実な働きぶりと人柄で所員たちに深く愛されていた。この小見山君がある新聞社の仕事で白馬岳の頂上に五十貫(約一八七キロ)近い石を担ぎ上げて、その時の労苦が遠因となって死んだ。

 

新田次郎『強力伝・孤島』(新潮文庫 2011年改版 307-308頁)

 

 新聞社が「風景指示盤」と名づけたこの巨石は、今も白馬岳の山頂にあるとのこと。いつか白馬岳に登ることがあれば現物を見てみたい。

 ところで小見山正の命を縮めたこの事業を行った新聞社は、あの読売である。読売とは昔も今もろくなことをやらない社会悪そのものだ。

 なお風景指示盤の担ぎ上げは1941年に行われ、小見山正は1945年2月に死去した。氏の一人娘・小見山妙子さんは長年金時山の茶屋で「金時娘」として親しまれ、驚くべきことに80歳を過ぎた今なお現役だという。さすがに最近は茶屋に上がって来る日は減ったとのことだが。

 「凍傷」は前記新潮社のサイトを参照すると「富士山頂観測所の建設に生涯を捧げた一技師の物語」とのことだが、この作品の最後に下記の文章が付されている。

 

 この小説に登場する主要なる人物は実名を使用した。経過も、事実に齟齬しないように注意して書いた。新潮文庫 2011年改版 168頁)

 

 これは実話だったのかと驚かされた。それくらい壮絶だ。

 一方、著者が仮名を使って書いた作品は、多かれ少なかれ脚色されていると考えるべきだ。このブログで前回取り上げた『八甲田山死の彷徨』もその一つ。

 文庫本で最後に置かれた「孤島」を新潮社のサイトは「太平洋上の離島で孤独に耐えながら気象観測に励む人びとを描く」と紹介しているが、この離島とは伊豆諸島の鳥島であって、一時は絶滅されたと思われていたアホウドリ鳥島測候所員が発見したくだりには史実(1951年発見)が取り入れられている。おかげでアホウドリの再発見やその後、それに一時絶滅寸前に追い込まれた経緯をずいぶんネット検索で調べる羽目に陥ってしまった(笑)。それらは紹介しないが、興味のおありの方は調べてみられたい。アホウドリを絶命寸前に追い込んだ戦前の日本人の暴挙は、アメリカなど外国でも散々に酷評されたらしく、当時から「日本スゴイ」などという事実は存在しなかったことがよくわかる。

 この記事で紹介しなかった「おとし穴」と「山犬物語」もそれぞれ面白い。「八甲田山」だけは、のちの長篇『八甲田山死の彷徨』があるので、その萌芽が確認できることが興味深い程度にとどまる短篇だ。

*1:光文社文庫版364頁「作者付記」より。

*2:初出は朝日新聞に連載されたエッセイ「白い野帳」。