KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

2020年3月に読んだ本

 新型コロナウイルスのニュースに振り回された3月は、先週の火曜日(24日)までがやたら納期に迫られた仕事が続いてかなり疲れた。この2つの要因によって、読んだ本の数が減り、数少ない本も軽いものが多くなった。思い出せば2011年の3月は、11日以降本を読む気が全く起きなくなり、読書記録にかなり長い空白が生じた。その時よりはまだマシではある。

 

 今月はまず吉田秀和の『ブラームス』(河出文庫)を読んだ。

 

www.kawade.co.jp

 

 ことに『ステレオ芸術』誌に連載された、「ブラームス」とタイトルもそのものずばりの大作曲家の一代記が読ませた。作品10のピアノのための「バラード」(全4曲)の第1曲はブラームスの「父親殺し」であって、この音楽で殺された父親は先輩の大作曲家であるローベルト・シューマンだというくだりは特に強い印象を残す。私はこのくだりを、グレン・グールドの同局の演奏を聴きながら読んだ。

 ただ、吉田秀和の楽曲分析にはかなり基本的な誤りが含まれる。吉田の本領は文学的な解釈にあって、音楽学者的な分析にはかなり問題があるというのが読後感だ。何しろ、長三度と短三度を間違えているなど、素人の私にわかるくらいの初歩的な誤りなのだ。だが、ここ数年遅まきながらも文学に接するようになってやっとこさわかったのだが、吉田秀和の文学的才能は大したもので、だから去年読んだマーラーにしてもこのブラームスにしても、作曲家の一代記が実に面白いのだ。

 この本については、時間があればこのブログでもっと詳細に記事を書いてみたい。

 

 新型コロナや多忙な仕事のストレス解消のための手段としては、先月亡くなった野村克也が「週刊朝日」に連載した「野村克也の目」(1981~86年)のうち、最初の4年間が朝日文庫から再刊された下記の4冊を読んだ。

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

 ただ、野村克也はこの連載を自分で書いてはいない。野村の発した言葉を再構成したのは朝日新聞社に籍を置く「週刊朝日」の記者だった。ことに最初の2年を担当した川村二郎の文章が出色で、丸谷才一が絶賛していたりする。このあたりもいつか改めて書いてみたい。ただ、近年の河村氏は、野村克也ともども極右の世界にかなりどっぷり浸かってしまったようで、そのあたりは残念だ。

 なお、野村克也とは対照的に自分で文章を書いたのは、元西鉄ライオンズの名選手だった故豊田泰光だ。まことに対照的な2人の文章は、80年代には毎週週刊誌で立ち読みしていたものだが、二人とも逝ってしまった。

 

 その他に読んだ本。

 佐藤正午の「岩波文庫的」(この「的」には読み終える直前まで気づかなかった)な装丁の『月の満ち欠け』も、フラストレーション解消には良かった。なんでも、岩波書店から出た本としては初めての直木賞受賞作とのこと。

 

www.iwanami.co.jp

 

 昨年、中公文庫から「新版」が出た武田百合子の『富士日記』は上中下の3冊を買ったが、うち上巻のみ読了した。上巻の後半で、大岡昇平が隣人として出てくる。このことがこの分厚い3冊を買ったきっかけだった。大岡は上巻の巻末エッセイも書いている。

富士日記(上)|文庫|中央公論新社

 

 3月初めに図書館の書架に立ち入りできなくなる直前に借りたのが下記カフカ小説全集のうちの1冊。下記リンクは2001年に出たハードカバー版だが、2006年刊の白水Uブックス版で読んだ。順序としては、これが3月最初に読んだ本だった。今だったらカフカを読む気など起きない。現実の方がよほど不条理に満ちているからだ。

万里の長城ほか - 白水社

 

 来月は果たして、腰を据えて本を読む気が起きるだろうか。今月は後半に、今後強いられるかもしれない籠城生活に備えて、都内の何か所かの大書店で、ある程度本を買い込んだ。「これは不要不急の外出かもしれないな」と思いながら。