KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

鹿島槍ヶ岳に死す - 山岳の惨劇(第1回)松本清張「遭難」と加藤薫・序説

 1年前、去年(2018年)3月に、このブログの下記記事にコメントをいただいた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 いただいたコメントは下記。ブログ管理画面で確認すると、「2018-03-12 22:32:28」のタイムスタンプがある。つまり今から1年1か月前。

 

通りすがりの山岳小説ファン

 

今さらですが、気になるブログだったのでコメントさせて頂きます。

松本清張の「遭難」は私も好きな作品の一つで、色々調べたことがあります。
その際に、ウィキペディアに出てくる「灰色の皺」のエッセイや、松本清張全集の月報も読みましたが、私が読んだ限りでは加藤薫が松本清張の相談を受けたとか、現地まで案内したとは書いてありませんでした。
確かに紛らわしい書き方にはなっているのですが、ウィキを書いた方が誤認したのではないかと思います。
もし、ウィキペディアに掲載されている資料以外で、加藤薫が松本清張の相談に乗ったというようなことが出ている資料などをご存じでしたらお教え頂けませんでしょうか?
よろしくお願いします。

 

 このご指摘を受けて、当時、文藝春秋社刊『松本清張全集4』(1971)の月報を図書館で確認したが*1、確かにご指摘の通りで、全集の月報に載っていた扇谷正造の「『黒い画集』の思い出」には該当する記述はなかった。

 これは調べて返事をしないといけないと思いつつ、時間が取れなかったのでそのままにしていたが、先月21日に突然この件を調べるモチベーションが喚起された。

 それは何かというと、加藤薫の「遭難」が文庫化されていたのを東京・神保町の東京党書店の店頭で見て知ったのだ。早速買い求めて読んだ。それが山と渓谷社のヤマケイ文庫から2月に刊行された、「山岳ミステリ・アンソロジー」と銘打たれた馳星周選の『闇冥』(あんめい)だ。

 

 

 この文庫本には、松本清張の「遭難」、新田次郎の「錆びたピッケル」、加藤薫の「遭難」、森村誠一の「垂直の陥穽」の4篇の短篇が収録されている。それらにはいずれも共通のテーマがあり、それは選者の馳星周氏の表現を借りれば「荒れ狂う大自然の中、卑小な人間が心の奥に抱える深い闇を描いた作品」だ。

 この4篇のセレクションはまことに素晴らしい。以下、露骨なネタバレになるので未読の方はここで読むのを止めていただければ幸いだ。

 松本清張の有名な「遭難」(1958)に続いて、それをなぞるかのように見えて大きくひねった新田次郎の「錆びたピッケル」(1962)を置き、3番目に清張作品と同じタイトルで、同じ鹿島槍ヶ岳を指すとしか考えられない「海抜三千メートルの北アルプスK峰」が舞台で、主人公も清張作品と同姓である加藤薫の「遭難」(1970)を持ってくる。そして最後に、清張の「遭難」で返り討ちにあった槇田二郎の無念を晴らすかのような森村誠一の「垂直の陥穽」(1971)で締める。その見事な配列にはうならされた。

 さらにヤマケイ文庫からは『闇冥』と同時期に伊藤正一の『定本 黒部の山賊 - アルプスの怪』も刊行されていたので、これも東京堂書店で買って読んだ。

 

ヤマケイ文庫 定本 黒部の山賊

ヤマケイ文庫 定本 黒部の山賊

 

 

 驚いたことに、この本の201-202頁に「鹿島槍の殺人事件」が載っている。つまり、「山に行く人間に悪人はいない」という俗説が大嘘であることは事実によって証明されているようなのだ。

 なお、先月21日に東京堂書店に入ったのは、その直前に入った三省堂書店百田尚樹のサイン会が3月26日に行われるという宣伝が掲示されていたので、それに腹を立てて三省堂で本を買うのを止めて、東京堂書店で買うことにしたためだ。この日は他に原武史の『平成の終焉』(岩波新書)ほか2冊も東京堂書店で買った。『平成の終焉』は百田のサイン会がなければ三省堂でも買えただろうが、三省堂ではヤマケイ文庫の2冊は目に入らず買うことはなかっただろう。その意味で、ヤマケイ文庫の2冊に出会えたのは百田のおかげだったことになる。百田様々だ(笑)

 これらの本について書くのは次回(連載2回目)からにして、この記事では去年戴いたコメントへの回答の要旨を書いておく。

 今回調べたのは、遭難 (松本清張) - Wikipedia で言及されている清張のエッセイ「灰色の皺」(初出『オール讀物』1971年5月号)が掲載されている中公文庫の『実感的人生論』(2004)と、前掲の『松本清張全集4』に載っている清張自身の「『黒い画集』を終わって」(480-492頁)、及びそれを引用した阿刀田高の『松本清張を推理する』(朝日新書2009, 121-122頁)だ。

 

実感的人生論 (中公文庫)

実感的人生論 (中公文庫)

 

  

松本清張を推理する (朝日新書)

松本清張を推理する (朝日新書)

 

 

 今回私が確認できた限りでは、清張が加藤薫に言及したのは私が確認した限り「灰色の皺」で一度、一箇所にあるだけで、そこでの清張の文章は「確かに紛らわしい書き方にはなっている」とのご指摘の通りだった。つまり、清張の「遭難」に加藤薫が協力した可能性はあるが、そうでない可能性もあり、事実ははっきりしなかった。「ウィキを書いた方が誤認した」ことは間違いなく、筆者氏はおそらく『松本清張全集4』に載っている清張自身の「『黒い画集』を終わって」と、全集の月報に掲載された扇谷正造の「『黒い画集』の思い出」とを取り違えたものと推測される。なぜそのような取り違えが起きたかはわからないが、私自身が最初リンクを張った記事でやったのと同じように、原文に当たらずにネット情報をもとに推理を組み立てて誤認してしまったのではないかと思われる。

 詳細は後日に改めて書きますが、このテーマでは諸作品の魅力を含めて書きたいことがあまりにも多いので、おそらく連載の後半で触れることになろうかと思います。ご了承のほどお願いします。

(この項続く

*1:ありがたいことに、東京都K区K図書館に置いてある『松本清張全集』には月報が添付されていた。一方、E区C図書館に置いてある同全集には月報は添付されていない。図書館によりさまざまなのだろうが、添付されているとありがたい。