KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

松本清張『霧の会議』(上・下、光文社文庫)を読む

 図書館で借りた松本清張の『霧の会議』上・下巻(光文社文庫*1を返却しなければいけないので軽くまとめておく。

 本作は清張晩年の1984年9月11日から1986年9月20日までの2年間、読売新聞に連載された新聞小説。余談だが、連載会議後すぐに読売ジャイアンツ西本聖江川卓が広島カープの長島清幸に2試合連続サヨナラ本塁打を浴び、連載終了後2週間あまりのちに、同じ読売の槙原寛己がヤクルトのマーク・ブロハードに逆転2ランを浴びた。いずれの年も広島がリーグ優勝し、それに挟まれた1985年には猛虎打線を誇った阪神が球団創設後最初で今のところ最後の日本シリーズ制覇を果たした。つまり本作の連載中には読売は一度も優勝できなかった。そして当時はプロ野球人気ともども、日本経済が絶頂期を迎えていた。1985年9月にプラザ合意がなされた。日本はバブル経済の前夜にあった。そんな日本が栄華を誇った時期の終わり頃、本作は読売に連載された。

 清張は1964年に海外旅行が解禁されてから頻繁に海外に出た。特に後期には海外を舞台にした作品が増えているが、本作はその中でも最長のものだろう。

 1982年6月17日に発見されたイタリア最大の銀行であるアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取の変死事件が題材に採られている。この事件は覚えていなかったが、カルヴィはミケーレ・シンドーナとともにバチカン銀行経由でマフィアを相手に不正融資やマネーロンダリングを行っていたとのこと。イタリアの政界からバチカンまでを含めてマフィアが暗躍していることは当時から知っていたが、当時のイタリアといえば、1978年に起きた極左団体「赤い旅団」によるモロ前首相殺害事件(本作でも言及されている)が日本でも連日報じられたことの方が記憶に残っている。だが、極左の「赤い旅団」以上に大がかりだったのがマフィア系の極右勢力によるテロだった。カルヴィ頭取は、本作中ではリカルド・ネルビと命名されている。カルヴィは当初自殺と報じられたが、他殺ではないかとの観測は当時からあったようだ。清張は当然のように他殺説に基づいて本作を組み立てたが、史実でも松本清張が没した直後の1992年に、ロンドン警視庁スコットランド・ヤード)の再捜査によって他殺と判断された。また、本作でネルビの命を狙っていた一人とされるガブリエッレ・ロンドーナのモデルは前述のシンドーナだが、史実では彼も1986年3月22日、つまり本作の連載中に獄中で「服毒自殺」を遂げた。しかしこれも、毒殺されたのではないかとの疑惑が強く持たれているとのことだ。

 しかし、本当の巨悪の頭目はカルヴィ(ネルビ)でもシンドーナ(ロンドーナ)でもなく、フリーメーソン「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリだった。本作ではルチオ・アルディの名前になっている。清張は3人ともミエミエの仮名を使ったわけだ。

 カルヴィとシンドーナはともに1920年生まれで、それぞれ60代だった1982年と1986年に非業の死を遂げたが、親玉のジェッリは2人より1歳年上の1919年生まれで、ムッソリーニ率いる「黒シャツ隊」の一員として活動したことに始まって、CIAに協力したり戦後にナチス・ドイツの戦犯を逃がしたりするなど、悪の限りを尽くした。極右の軍事政権下のアルゼンチンに武器供与を行い、あげくの果てには前述のシンドーナやカルヴィとともに、1978年の就任早々亡くなったローマ教皇ヨハネ・パウロ1世を暗殺したのではないかとの疑惑も取り沙汰される。

 ただ、非業の死を遂げたカルヴィやシンドーナとは異なり、ジェッリは2015年まで生きた。96歳まで生き長らえたのだ。

 清張作品のモデルとなった外国人で長生きしたといえば、『黒い福音』に出てくるトルベック神父のモデルとなったベルメルシュ・ルイズ神父が思い出される。彼もカルヴィ及びシンドーナと同じでジェッリより1歳年下の1920年生まれだったがたいへんな長命で、数年前までカナダで生きていた。死んだのは2016年だか17年だかで*2、私が2018年に同書を読んだ時にかけたネット検索ではベルメルシュの訃報に関する情報にアクセスできたが、その頃には本読書ブログの更新をサボっていて記事にしなかったためにリンクを記録したり引用したりはできなかったのが痛恨だ。ベルメルシュもジェッリと同じくらいの長生きだった。関係ないが1918年生まれの中曽根康弘は101歳まで生きた。いくつかの諺が思い浮かぶ。

 以上、本作そのものよりその背景をメモした。作品自体には「冗長」との評価もあるし、清張の長篇の中でも特に「読まれていない」作品らしく、アマゾンカスタマーレビューもなく、読書メーターでも1件の感想文があるのみだ。

 しかし本作はなかなかの力作であって、70代半ばの清張にここまでの気力とスタミナが残っていたのかと驚嘆させられる。基本はカルビ頭取を追うジャーナリストにカトリック信者同士の男女の不倫関係が絡む物語で、物語の結末は決して甘っちょろくはないが、最後の一行が印象に残る。今年に入って大きな活字の光文社文庫版でリバイバルされたが、偶数頁(下巻586頁)で終わっているので、うっかり先に解説を読もうとしたらその隣に最後の一行が書かれているために、それを目にしないことが必要だ。またこれは本作に限らないが、作品名でネット検索をかけたりしない方が良い。ネタバレが書かれていることが多いからだ。幸い、私は危ういところでその失敗を免れた。ある時期に口述筆記を止めてからの清張作品は、口述筆記時代の作品と比較して読むのに時間がかかるため、どうしても途中で解説文を参照したくなる誘惑に駆られるのだ。光文社文庫版でいつも解説を書く山前氏は結末までは書かないので、途中まで読み進んだところで解説文をチラ見したくなる誘惑に駆られることがたまにあるが、本作では特にその頻度が多かった。そういう時には、本文の最終頁が目に入らないように隠しながら解説文の最初の頁を見ていた。それで正解だった。

 ただ一言書いておくと、山前氏の解説文の最後に「リリカルなエンディング」と書かれているのを先に読み、どんなエンディングなのだろうかと思いつつ読み進めていった。もう一言余分なことを書くと、最後にあいつが「ざまあ」な目に遭った。しかし……。

 これ以上は止めておく。

 そうそう、読み始めて早々の舞台はロンドンなのだが、こんなくだりが出てきた。以下引用する。

 

 八木正八は横通りを東へ進む。カーゾン通りは東西の道路ばかりではなく、途中から南北の道が数条に分れ、また東西に派生し、井桁になる如くにして歪み、袋小路に入る。

 夜だと、あたかも永井荷風の「濹東綺譚」に書かれた玉の井のように想像されもするが、そうでないのは玉の井が大正時代の新開地、カーゾン通りは十八世紀からの高級住宅地。まだその名残りが同じ区域内に品のいい商店街として、上流階級らしい婦人客の足を運ばせている。

 

松本清張『霧の会議』(上)(光文社文庫 2020)8頁)

 

 たまたま本作を読む直前に読んだのが、安岡章太郎の『私の濹東綺譚 増補新版』(中公文庫, 2019)*3だった。この中公文庫版では巻末に永井荷風の「濹東綺譚」が収録されている。こういう偶然は時々起きる。

 書き忘れていた。清張が読売に連載した小説としては、他に清張の代表作といわれる超有名な『砂の器』があった。『霧の会議』には、その『砂の器』に出てくる芸術家集団を思わせる集団が出てくる。その中には和賀英良を思わせる作曲家もいる。『砂の器』も長いが、この作品の頃には清張は確か口述筆記を行っていたはずで、おそろしく快速に読み進めることができた。ただ、『砂の器』はトリックに大きな問題があるのに対し、本作においてはトリックはさほど重要な要素ではない。知名度といい文体といい、両極端のような2つの作品だが、芸術家集団を描いている頃、清張は『砂の器』を書いていた多作期を懐かしく思い出していたに違いない。

 清張の後期作品に抵抗のないマニアにはおすすめの逸品。但し清張作品には珍しく、読み進めるのにかなり骨が折れる。