KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

太田裕美とジョン・ゾーンと近藤等則の「三者の共演」はあったか

 下記記事に触発されて記事を書くことにした。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 上記リンクのブログ記事の初めの方に、下記太田裕美のツイートへのリンクが張られている。

 

 

 この件に関して、下記のツイートがあった。

 

 

 

 私は太田裕美ジョン・ゾーンの絡みについてだけは知っていたので、三者の共演があったかどうかを調べ始めたのだった。

 本論に入る前につまらないことを書いておくと、このエントリに対して最初、「太田裕美となかまたち」という恐るべきタイトルが思い浮かんでしまったのだが、長年のファン自ら冒瀆的なタイトルをつける真似はさすがにできなかった(笑)。

 私は太田裕美の最大のヒット曲「木綿のハンカチーフ」(1975*1)の頃はファンではなかった。初めて注目したのは、翌1976年秋の「最後の一葉」だった。太田裕美のあまたある歌の中では特に好きな歌ではないのだが、ちょうど英語の授業でO. ヘンリー(某故大津氏ではない)の原作、というか同名の短編小説を習ったばかりだったので、「なんだ、まんまじゃないか」と思ったのだった。この歌はなかなか劇的な作りになっていて、最後が「あなたが描いた 絵だったんです」で締められる。まさに原作通り。英語の授業で習った中で、こんなに印象的なラストはなかったのだった。だから太田裕美の歌を最初にラジオで聴いた時、どんな終わり方をするんだろうかとドキドキした思い出がある。それゆえの「思い出の一曲」なのだった。作詞は松本隆、作曲は先日亡くなった筒美京平。なお松本隆は1992年にミュラーの詩にシューベルトが曲をつけた連作歌曲集「冬の旅」を和訳したことがある。CDは持っていないが、NHKニュースで報じられたので知った。ああ、「最後の一葉」を翻案した人ならやりそうだなと思ったのだった。なお、「最後の一葉」にまつわる興味深いブログ記事があったので、下記にリンクしておく。

 

dokusho-note.hatenablog.com

 

 当時の太田裕美の歌の中では「しあわせ未満」(1977)が一番好きで、「九月の雨」(同)も悪くないが、前年に続いた秋に発売されたこの歌の「劇的路線」にはやや抵抗があった。そして太田裕美は「九月の雨」で喉を痛めてしまい、以後大ヒットを飛ばすことはなくなってしまったのだった。1980年の「南風」と「さらばシベリア鉄道」(大瀧詠一のカバー)で少し売れたのかもしれないけれど。

 以下、ようやく本論に入る。太田裕美がジャズや現代音楽の人たちと交流するようになったのは1980年以降のことだろうか。最初に気づいたのは現代音楽の作曲家にしてピアニストである高橋悠治(1938-)との交流があることだったが、今回ネットで調べてみて、それは高橋悠治というより、彼の子息である高橋鮎生との共演だったのかもしれない。十七絃箏の奏者・沢井一恵(1941-)のアルバム「目と目」(1987, 未聴)をプロデュースしたのが高橋鮎生だったとのこと。このCDに太田裕美が参加している。に収録されているとのことで、このアルバムに触れた下記ブログ記事へのエントリにリンクを張っておく。

 

ameblo.jp

 

 これは、1987年にナミ・レコードが制作した原盤が2010年に「日本伝統文化振興財団」から再発売されたものらしい。上記ブログ記事には沢井一恵が太田裕美の「Virginから始めよう」(1994)にバック・ミュージシャンとして参加したとあるが、この曲は20年以上前に買った太田裕美のベスト盤(2枚組)にも収録されているのでよく知っている。イントロに出てくるのが沢井一恵の箏なのだろう。2枚組の2枚目の最後から2番目に収録されているが、1枚目と比べてあまり聴かなかった2枚目の中ではもっともよく聴いた歌だ。太田裕美自身が作詞作曲している。

 

 しかし、以上は聴いたことのない「目と目」の収録曲を除いて、特段「モダン」な曲ではない。度肝を抜かれたのは、やはりジョン・ゾーンの「狂った果実」だった。現代音楽を主に取り上げる弦楽四重奏団であるクロノス・クァルテット、クリスチャン・マークレイのターンテーブル太田裕美のヴォーカルがクレジットされている。

 この曲はあの憎むべき石原慎太郎が1956年に書いた同名の短編小説を原作として、同年に公開された同名の日本映画にインスピレーションを得て作られたという。この映画には、石原の弟・裕次郎が主演し、晩年すさまじい極右と化した津川雅彦が出演するなど、見る気も起きない代物だし、実際見たことはないのだが、映画には武満徹が佐藤勝とともに音楽をつけている。

 この曲はクロノス・クァルテットのCD "Winter was hard" に収められていて、これは持っている。このCDを含むクロノス・クァルテットの6枚組を1995年6月10日に買ったのだった(かつてつけていたCD購入記録を参照した)。昨日取り出してみたが、箱は黄ばんでいるもののCDの保存状態は良好だった。

 このCDを取り上げたブログ記事に2件リンクを張る。

 

ameblo.jp

 

 後者のブログ記事から以下に関連箇所を引用する。

 

ちなみに、このアルバムの中にジョンゾーンの「狂った果実」(Forbidden Fruits)という曲が入っている(イシハラ某は完全無視してくれ)。楽曲だけでなく、詞も入っていて、これは太田裕美が「朗読」している。これもいい。「キーンキーンのスローモーション」・・・・・・。

 

出典:http://hakkaisan-photo.com/syuichi/2015/02/post-35.html

 

 ブログ記事には、CDのライナーノーツから太田裕美のナレーション(日本語)の部分の一部を収めた画像が載っている。

  この曲は、ジョン・ゾーンのアルバム "Spillane"(1987,未聴)にも収められているとのこと。

 

 

 

ameblo.jp

 

 以下、後者のブログ記事から関連箇所を引用する。

 

B面2曲目の「Forbidden Fruit」

そう、これは石原慎太郎裕次郎兄弟のあのカミユばりの名作「狂った果実

に対するオマージュなんです。

りりゐ、これを映画館で見たことありましたが、最後のシーンが狂った感じを表していて良かったですねえ。

今の映画も、主演のアイドルを映画で殺すくらいの勇気を見せてほしい。

ところで、この曲は現代音楽四重奏楽団クロノス・カルテットとの共演でして、


私はクロノスのCDにおさめられているのを聴いて知りました。

さらに共演しているのはレコードを素材として料理するレコードテロリスト、
クリスチャン・マークレイ←以前記事にしました*2

そして、ななななななんと。

詩を朗読しているのはあの、ハンカチの良く似合う永遠のアイドル。


太田裕美

この人、ジョン・ゾーンのレーベル、TZADIKでCDを後に出すのですが、その関わりはこの曲からだと思います。

しかし、なぜ関わったのか…。

いずれにしても、この曲はもはやジョン・ゾーンの手をすり抜けて「狂った果実」として

勝手に命を手に入れたくらいのオリジナリティを持っています。

私はこの曲を手掛かりにクリスチャン・マークレイにはまりました。

 

出典:https://ameblo.jp/goku-tubushi/entry-11353967575.html

 

  確かにこの曲で一番ぶっ飛んでいるのは、クリスチャン・マークレイの「ターンテーブル」であって、一聴してテープを早回ししているかのように聞こえるのだが、実は人力でやっているのだそうだ。

 その曲の中に、モーツァルトピアノソナタ(第13番変ロ長調, K.333)の端正な第1楽章冒頭や、作曲当時としては破格のぶっ飛び方をしていたに違いないベートーヴェンの「大フーガ」(変ロ長調, 作品133)*3の断片が、それぞれ一瞬出てくる。他にも、ブルッフのヴァイオリン協奏曲の冒頭に似た部分とか、何らかのクラシックの曲からの引用ではないかと思われる箇所も出てくるが、それらの出典はわからなかった。これらが、マークレイの「ターンテーブル」とぐちゃぐちゃに混ぜ合わされている。

 そういった音楽と太田裕美の語りのコラボなのだから、これは珍品中の珍品だろう。

 ところで、上記ブログ記事の中に「この人、ジョン・ゾーンのレーベル、TZADIKでCDを後に出す」という文章が出てくる。これは2004年に発売された、前記の高橋鮎生と太田裕美がクレジットされた「RED MOON」というCD(未聴)のようだ。

 あるいはこのCDに、先日亡くなった近藤等則が参加しているのかとも思ったが、そうでもなさそうだ。

 ただ、近藤等則は1978年からニューヨークでジョン・ゾーンらとともに活動していたらしい。CDもあるようだ。

 

 

 また、CD等にはなっていないかもしれないが、太田裕美近藤等則が共演したこともあるとの情報も得た。下記2件目のツイートには、またしても目にしたくない文字列があるが仕方ない。

 

 

 

 しかし、太田裕美ジョン・ゾーン近藤等則の3人が共演した記録(実は、これを探し当てるのが今回のネット調査の目的だった)は残念ながらみつけることができなかった。

*1:1976年のヒット曲なのだが、シングル盤の発売は1975年12月21日だった。

*2:リンク切れ=引用者註

*3:もとは弦楽四重奏曲第13番のフィナーレとして作曲された大曲だが、聴衆に理解されないのではないかとの理由で別の軽いフィナーレに差し替えられた作品。