KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

東野圭吾『手紙』を読む〜「同調圧力」が生み出す加害者家族へのバッシングを描いた小説/平野社長の言葉に「感動」した人とは友達になれない

 私が日本の「読書家」たちのあり方に大きな疑問を抱いたのは、カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んで、この翻訳小説について書こうと思ってネット検索をかけたときだった。そのことは1年ちょっと前にこのブログに書いた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 「執事の品格」にこだわって格好をつけたつまらない生き方をしてきたものの、結局ナチの戦争犯罪に加担したに過ぎなかった貴族の主人は自殺し、その過程で執事自身も得られたはずの一番大切なものを得る機会を失っていたことを思い知らされて悔恨の涙を流す。『日の名残り』とは誰が読んでもそのようにしか解釈できない、誤読の余地が少なすぎるのではないかと思えるほどの小説なのに、その執事の生き方を「執事道とは品格と見つけたり」などと称賛したり、ハヤカワepi文庫につけられた丸谷才一の秀逸な解説文をこき下ろしたりするのが日本の「読書家」の姿なのだ。そのあまりの惨状に呆然としてしまった。

 『日の名残り』のような外国文学の翻訳書を読む人たちでさえ上記のようなありさまなのだから、大衆小説の読者ならなおのことなのは仕方がないのかもしれない。

 それが東野圭吾の『手紙』(2003)と『秘密』(1998)を相次いで読み、読者たちの感想文に接した時に思ったことだ。

 東野は6度直木賞候補になり、5度落選したが6度目の『容疑者Xの献身』で同賞を受賞した。このミステリーについては少し前にこのブログに書いた。ミステリーとしてはすぐれているが、作中で描かれた献身のあり方にはドストエフスキーの『罪と罰』を想起させる倫理的な大問題があり、その点で(文学賞候補作品としては)満点はつけられないというのが私の評価だ。

 『罪と罰』を引き合いに出した書評を書いたすぐあとに、東野圭吾3回目の直木賞落選作である『手紙』(この作品はミステリーではないとされる)を読み始めた。

 

books.bunshun.jp

 

 作品冒頭にそれこそ『罪と罰』を思わせる老婆殺しが出てきたのにはちょっとびっくりした。ただ老婆殺しをやったのは小説の主人公ではなく、主人公は「強盗殺人犯の弟」であって、彼がそのために差別を受け続ける物語になっている。終わりの方で2回大きな局面の転回があるが、平凡な作家だったら1回目で終わらせてしまうであろうところに2回目の転回をもってきて、3回目の転回はあるかどうか、それは読者の判断に任せる形で小説は終わる。何度もどんでん返しを持ってくるのは松本清張が愛用した手法であり、学生時代に清張作品を濫読したという東野圭吾は清張の影響を受けているのか、それともミステリー作家の作品ならありがちなことなのか。

 私は『手紙』の方が『容疑者Xの献身』よりも良いと思うが、『容疑者Xの献身』のように、予想もしなかった意外性に舌を巻くことはなかった。倫理的な問題はあれども、そういう作品の方が高く評価されるのが直木賞なのかもしれない。

 ここで、今回この記事を書こうと思い立った動機の一つに言及しておくと、鴻上尚司と佐藤直樹の共著である『同調圧力 - 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書,2020)に、『手紙』のテーマと深く関連する記述があったからだ。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 この本の序章で、佐藤直樹が下記のように語っている。以下引用する。

 

佐藤 僕は最近ずっと、加害者家族に対する「バッシング問題」を考えています。日本では、殺人などの重大犯罪が犯された場合、加害者の家族がひどい差別やバッシングを受けます。これは、コロナ感染者に対する差別やバッシングと非常によく似ていると思いました。日本人の間に「犯罪加害者とその家族は同罪」といった意識が浸透しているからです。犯罪被害者への同情や正義感でもありますが、「敵」とみなした相手を一斉にバッシングする排除の論理が働いているのでしょう。一種の処罰感情ともいえます。この同調圧力が、加害者家族を苦しめます。ただし加害者家族に対するバッシングとまったく同質の問題が、いま、コロナ禍をきっかけに大挙して噴き出てきたわけです。感染者やその家族が悪くもないのに謝罪するのも、そうした圧力があるからですね。

 

鴻上尚史佐藤直樹同調圧力 - 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書,2020)26-27頁)

 

 この指摘は、コロナ禍の部分を除いて『手紙』のモティーフそのものだが、この同調圧力に関して、『手紙』には主人公に対して、それを正面から受け止めよ、と教え諭す、主人公の勤務先である家電量販店の社長が現れる。登場人物の名は平野社長だ。彼の言葉は、一面では主人公に対して「厳しい現実を直視せよ」というアドバイスでもあるが、別の側面から見ると、同調圧力を正当化した上で、使用者の立場から労働者に対して厚かましい要求をしているともいえる。そして平野社長の言葉には、私自身を含む『手紙』の読者の大部分である「差別する側の人間」が決して軽々しく「感動」などしてはならないと私は強く思うのだ。

 だが、アマゾンカスタマーレビューや「読書メーター」には、平野社長の言葉に感動したという読者の感想文が溢れるほど多数存在する。引用はしないでおこうかと思ったが、思い直して(心を鬼にして)指摘・論難することにした。下記は「アマゾンカスタマーレビュー」より。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R30KFDN6TIDYZW/

 

rio.nanina
 

2019年3月24日に日本でレビュー済み

 

本作品、刹那さと喜び、哀しみ…色々な思いを噛み締めながら読みました。
読み終えてなんだろう…なんともいえない心に温もりを感じ、不思議ととても心地好い感覚でした。
兄剛志の想い、弟直貴の想い、そして由実子それぞれの想いが交錯し、場面場面でその都度感情移入してしまったからでしょうか、途中読みながら何故だか涙が溢れる場面もありました。
また社長平野が「差別されて当然なんだよ」と言った時は少し悲しかったけど、読んでいくうちにその意味、どういう事なのかが解っていきますね。ただ闇雲に腫れ物を隔離するという事ではなく、その言葉にもっと深い意味があったのだと。
要所で社長平野が出てきますが、決して答えは言わず的確な道標は残してくれます。とっても素敵な上司であり尊敬出来ます。自身も色々な事を考える事が出来たので私にとっても恩師です。平野社長、ありがとうございます。
こちらを読み終え直ぐプライムビデオで映画を観ました。本を読みながら、映画を観ながらと1日に何度も泣いてしまいました。とっても良い作品でした。

 

 おそらくこの読者の方は、深く主人公に感情移入した結果、「主人公の立場から」上記のような感想文を書いたのだろうが、それでもこんな文章を書く人とは友達になりたくない。私はそう思った。

 というのは、いくら主人公に感情移入したといっても、おそらくリアルにおいては書き手は主人公と同じような立場にはなく、「差別する側」の人間なのだろうから、同調圧力の論理を正当化しているともとれる平野社長の言葉から、同調圧力をかけるうしろめたさを取り除いてくれる心地良さを感じたのではないかとの自己省察くらいは持っていてほしいし、そういう人とでなければ友達付き合いはできない、というのが私の感覚なのだ。

 これが「読書メーター」になると、上記よりももっと厚かましい感想文が多くて本当に嫌になるのだが、それらは引用しないでおく。

 なお小説では、主人公は東京都江戸川区西葛西にあるこの家電量販店を辞めてしまう。そのきっかけになったのも、兄からの「手紙」だった。

 作者の東野圭吾は、この登場人物に対する作者としての評価は示していない。だが、作者が学生時代に濫読したという松本清張なら、読者をミスリードしかねないようなこんな社長の描き方はしなかったのではないか。

 なお今回ネット検索をかけて知ったが、東野圭吾は清張も読んだけれども、それよりも梶原一騎原作の漫画の影響の方が大きいと語っているようだ。

 

――常に手の届くところにいつも置いてある本があれば教えてください。

東野 : いつも読んでるのがあります。『あしたのジョー』と『巨人の星』です。僕がもっとも影響を受けたのは、この2作品ですね。大学時代に松本清張さんの作品をほとんど全部読んだこともあったけど、ジョーと飛雄馬からの影響のほうがずっと大きいですね。『トキオ』の宮本拓実が野球とボクシングをやってる理由はここにあります。

――……なるほど!

東野 : 『あしたのジョー』や『巨人の星』に描かれている風景は、『トキオ』の下町の風景と共通しています。僕は70年代の東京を実際には知らないから、ジョーと飛雄馬を通して教わったようなものなんです。両方ともガスタンクが出てくるでしょう。ジョーと飛雄馬は近くに住んでたんですよ。きっと、ガスタンクのある風景が原作者、梶原一騎さんの原風景なんでしょうね。

――どのような読み方をするのですか? 思い立って1巻から全部読むのか、それともあのシーンが読みたくなってという感じんなんでしょうか?

東野 : どっちのパターンもありますね。浪花節的などろどろした雰囲気は両方にあるんだけど、それが全編を通してあるのは『あしたのジョー』なんです。ジョーはいつも泪橋の辺りにいるんですね。『巨人の星』にはその雰囲気は最初だけなんですよ、途中からSF的なスポーツ漫画になってしまうから。だから、最初から通して読むのは『巨人の星』で、シーンを読みたくなるのはジョーのほうかもしれません。

――特に好きなシーンというと……?

東野 : いっぱいありすぎます。それより、飛雄馬と花形が対決する隅田公園はよく行く場所だし、ジョーと紀ちゃんが行った向島百花園にも行ってみたりとかそんなことをしたこともあります。

――『あしたのジョー』と『巨人の星』を、実際、どれぐらいの頻度で読んでいるのでしょう?

東野 : 本を読まないほうなんだけど、寝る前には必ず読むんです。読んでるとすぐ眠くなるから、そのためですね。それで、昨日は酒飲んでたから何も読まなくて、おとといは寝る前に『巨人の星』を読みました。

 

出典:http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi13.html

 

 大のアンチ読売、アンチ梶原一騎である私からするととんでもない話だが、なるほど、それで『秘密』の主人公が読売ファンなのか、とわかった。もっとも、あのなんとかの星の「真の主人公」は阪神タイガース花形満ではないかとの説もある。花形は後年ヤクルトスワローズでも活躍した良い選手だった(笑)。1978年のことだ。

 そんなわけで『秘密』へと話を移す。

 

books.bunshun.jp

 

 上記リンクにも表記されている通り、「意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだ筈の妻だった」という、現実にはあり得ないストーリーだ。1998年に刊行され、1999年に広末涼子主演で映画化されている。文庫本には若き日の広末の寄稿もある。

 すぐに2017年上半期に直木賞をとった佐藤正午の『月の満ち欠け』(岩波文庫的)を思い出したが、もちろん東野圭吾の『秘密』の方が20年近くも古い。そして、東野作品の方が、主人公が読売ファンであるというむかつく設定があるにもかかわらず面白かった。なお佐藤正午直木賞を獲った時に東野圭吾は選考委員を務めていて、下記のコメントを確認できる*1

 

「超常現象に直面した人々の反応に疑問が残った。」「生まれ変わった本人の戸惑いが描かれていない点にも不満が残る。」「また、最後の章は不要だったのではないか、と思っている。とはいえ、それ以外の場面では登場人物一人一人のドラマにリアリティと味わいがあった。もっとも楽しんで読めたのは本作である。」「もちろん佐藤正午さんの受賞を祝うことに些かの躊躇いもない。」

 

 似たようなアイデアに基づく作品を『秘密』、『トキオ』(2002,未読)と2作も書いた東野圭吾ならではのコメントといえようか。なお東野圭吾は1959年2月4日生まれで1985年作家デビュー、佐藤正午は1955年8月25日生まれで1983年作家デビューだから、学年、作家歴とも佐藤正午の方が2年上だ。

 『秘密』は1985年から1989年までが舞台で、主人公がテレビをつけた途端、読売の投手がヤクルトの選手にホームランを打たれて主人公が卓袱台を叩く場面がある。「ざまあ」と思ったが、実際には1989年のヤクルトは読売に7勝19敗とカモにされたのだった。この年は、4月に神宮で行われた2試合、3回戦で終盤もつれながらサヨナラ勝ちした試合と、雨天中止を挟んだ翌々日に高野光が読売打線を抑え込んで1986年から足かけ4年にわたる読売戦7連勝*2を飾った4回戦の2試合しか良い思い出がない。そして、高野はこの試合のあと故障してしまい、復帰には3年を要したし、さらにその後の彼の運命を思うと今も無念さが込み上げる。

 『秘密』では、主人公がある卑劣な行為に手を染めるのだが、そのくだりでは「ああ、読売ファンなら考えそうなことだな」と思った。なぜか「スパイ野球」に関しては、南海ホークス野村克也や阪急ブレーブス西本幸雄の名前ばかりが挙がって、「紳士たれ」とか言っていた川上哲治の読売はスパイ行為なんかやってなかったという都市伝説が今も流布しているが、そんなことはなかったのではないかと私は疑っている。読売は球界の権威に守られてスパイ行為が指摘されなかっただけではないかとの仮説を、私はずっと持っているのだ。

 それも含めて、『秘密』は面白かったけれども、「読書メーター」で多くの人が書いている「感動」には至らなかった。設定が非現実的なのだから仕方がない。リアルな『手紙』とは全然違うのだ。思うのだが、「読書メーター」ではあまりにみんなが「感動した」と書くものだから、同じように書かなければいけないという同調圧力がかかって「感動した」と書いてしまった読者が多いのではないか。

 そんなわけで、『容疑者Xの献身』を含む3作の中では『手紙』が私のイチ推しだ。ただ、平野社長の言葉に「感動」した人とは友達になれないことを改めて強調しておく。

*1:https://prizesworld.com/naoki/sengun/sengun150HK.htm

*2:その1勝目は、1986年の最終戦でブロハードの逆転2ランが飛び出し、読売の優勝を阻んだ試合だ。この試合では荒木大輔が7回から9回までの3イニングを抑えた。