KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

江戸川乱歩の発禁本「芋虫」は衝撃的/大岡昇平『レイテ戦記』第1巻(中公文庫2018年改版)と特攻隊

 昨年(2021年)は読んだ100冊のうち42冊がアガサ・クリスティだった。今年はその比率を減らそう、というより自動的に減ることになる。というのは、ポワロもの長篇の6割(33冊中20冊)とミス・マープルもの長篇の半分(12冊中6冊)を読み終え、短篇集も半分以上(ハヤカワのクリスティ文庫で14冊中8冊)読み、今年に入ってもトミー&タペンスものの2冊目と3冊目(短篇集『おしどり探偵』と長篇『NかMか』)を読んで、こちらも6割(5冊中3冊)になったからだ。しかし、まだミステリ読みの惰性が強く残っているので、3年前に手を出した江戸川乱歩(下記リンク参照)に再び手を出した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 3年前は角川文庫を読んだが、今回は新潮文庫の傑作選を読んだ。短篇9篇が収録されている。うち「二銭銅貨」、「D坂の殺人事件」、「心理試験」の3篇は、3年前に読んだ角川文庫にも収録されていたが、今回も飛ばさずに読んだ。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 不思議なことに、角川文庫には収録されていなかった「二癈人」と「赤い部屋」にもうっすらとした記憶があった。しかし、「屋根裏の散歩者」、「人間椅子」、「鏡地獄」、「芋虫」の4篇は初めてだった。

 ブログで取り上げようと思ったのは、最後に置かれた「芋虫」が衝撃的だったからだ。それまでの8篇とはある種の断絶があると思った。そして1929年に発表されたこの作品は10年後の1939年に発禁になり、2年後の1941年には乱歩の全作品が事実上の発禁になったという(表向きの発禁は「芋虫」のみ*1)。

 新潮文庫版の9篇の初出は下記の通り。

 

 

 確かに発表時期も「芋虫」だけ少し離れている。

 最初の「二銭銅貨」が書かれたのは今からちょうど100年前の1922年で、翌1923年に発表された。アガサ・クリスティがポワロもの長篇第2作の『ゴルフ場殺人事件』を刊行したのが同じ1923年だ。そして乱歩が「D坂の殺人事件」から「人間椅子」までを書いた1925年にクリスティは最高傑作との呼び声が高いポワロもの長篇第3作『アクロイド殺し』を書いた(刊行は翌1926年)。

 クリスティは『アクロイド殺し』が大評判をとった1926年に失踪騒動を引き起こし、同じ年に母が死去し、2年後の1928年には離婚するなどして一時スランプに陥ったが、乱歩も早々とネタ切れ気味になってきた。たとえば「人間椅子」は面白いけれども「赤い部屋」に発想が似ていると思った。すると新潮文庫の解説で荒正人(あら・まさひと, 1913-1979)が

空想の型という点では、「赤い部屋」などに多少似ているようにも思われる。

と指摘していたので、やっぱりそうだよなあ、と思った。「人間椅子」は「赤い部屋」とは掲載誌も異なるのでどんでん返しの二番煎じをやったのかもしれないが。

 クリスティは1930年代に入って『オリエント急行の殺人』(1934)や『そして誰もいなくなった』(1939)などいくつものピークをなす作品群を作り、60歳になった第二次大戦後にも、ほかならぬ乱歩が絶賛した『予告殺人』(1950)を発表したが、乱歩はミステリ作家としては大正時代後期の1923〜26年(大正12〜15年)に形成したピークを再び作ることはできなかった。もっとも有名な『怪人二十面相』は1936年の作品で、以後は少年向け小説とミステリ評論が主な業績になっている。

 しかし、昭和という暗い時代に入った1928年に書かれた「芋虫」はあまりにも衝撃的だ。この作品は当初『改造』からの依頼で書かれたが、あまりの過激さのために掲載を拒否されたという。以下、手抜きで申し訳ないけれどもWikipediaから引用する。

 

博文館の雑誌『新青年』の昭和4年(19291月号に掲載された。『新青年』編集長延原謙からの「「芋虫」という題は何だか虫の話みたいで魅力がないから、「悪夢」と改めてもらえないか」という要望により、掲載時のタイトルは『悪夢』とされた。ただし乱歩自身は「「悪夢」の方がよっぽど平凡で魅力がない」と評しており、平凡社版『江戸川乱歩全集』第8巻(19315月)への収録に際し、題名を『芋虫』に戻している。

当初は改造社の雑誌『改造』の依頼で書かれたものであったが、内容が反軍国主義的であり、さらに金鵄勲章を侮蔑するような箇所があったため、当時、左翼的な総合雑誌として当局ににらまれていた『改造』誌からは、危なくて掲載できないとして拒否された。このため乱歩は本作を『新青年』に回したが、『新青年』側でも警戒して、伏字だらけでの掲載となった。延原編集長は掲載号の編集後記で「あまりに描写が凄惨を極めたため、遺憾ながら伏字をせねばならなかつた」と釈明している。なお、この代わりに『改造』に掲載されたのが『』(『改造』19299月号 - 10月号)である。また、戦時中多くの乱歩作品は一部削除を命じられたが、本作は唯一、全編削除を命ぜられた。

創元推理文庫の乱歩自身の解説によると本作品発表時に左翼からは「この様な戦争の悲惨を描いた作品をこれからもドンドン発表してほしい」との賞賛が届いたが、乱歩自身は全く興味を示さなかった。

上述の戦時中の全面削除については「左翼より賞賛されしものが右翼に嫌われるのは至極当然の事であり私は何とも思わなかった。」「夢を語る私の性格は現実世界からどのような扱いを受けても一向に痛痒を感じないのである」と述べており、この作品はイデオロギーなど全く無関係であり、乱歩の「人間のエゴ、醜さ」の表現の題材として四肢を亡くした男性主人公とその妻のやりとりが描かれているにすぎない。

乱歩が本作を妻に見せたところ、「いやらしい」と言われたという。また、本作を読んだ芸妓のうち何人もが「あれを読んだら、ごはんがいただけなかった」とこぼしたともいう。

 

出典:芋虫 (小説) - Wikipedia

 

 新潮文庫の解説は、有名な左翼でもあった前述の荒正人が1960年12月に書いた文章が2009年に改版されて字が大きくなった現在も残っている*2。以下引用する。

 

「芋虫」は、作者のグロテスク趣味の極限を代表する佳作である。この作品が発表された当時は、プロレタリア文学の盛んだった頃で、反戦小説として激励されたりした。だが作者は、そんな意図のもとに書いたのではないと言っている。苦痛と快楽と惨劇を書きたかったのだと言っている。これも*3探偵小説ではないが、探偵小説の枠を一層拡げたものと言えなくもない。――これは初め、『改造』のために書いたものだが、検閲に通らぬのではないかと心配し、結局『新青年』に廻し、伏字だらけで発表された。戦争中、乱歩の作品は部分的削除を命じられたが、「芋虫」だけは、発売禁止になった。その点でも特異な作品である。今日の読者は、残酷物語の一篇として読むかもしれない。

 

(『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫1960, 2009年改版349頁=荒正人による解説文より)

 

 実際、江戸川乱歩は左翼どころか戦時中に大政翼賛会に迎合した人だった。たとえば1943年8月には「翼賛壮年団豊島区副団長」になっている*4。しかし「芋虫」に関していえば作品が作者を超えていた。

 つくづく思うのは、アガサ・クリスティはイギリスに生まれて運が良かったということだ。クリスティはデビューが第1次大戦後の1920年で、第1次大戦の戦勝を受けて書かれた1920年代の作品は、超傑作『アクロイド殺し』は別として、その能天気な世界観というか社会観というか人生観に正直言って抵抗を感じないわけにはいかないが(ことに5作あるアドベンチャーもの)、第2次大戦を受けて書かれた作品には、第1次大戦後の作品群の能天気さは影を潜めて、アドベンチャーものであるトミー&タペンスの『NかMか』(1941)を、同じ主人公の短篇集『おしどり探偵』(1929)のあとに続けて読むと、最近読み慣れていた1940年前後に書かれた他のクリスティ作品と共通する陰影が感じられた。12年間で確実に表現力が増している。クリスティは生涯を通して成長を続け、それが作品に反映された作家だった。しかし、日本(やドイツ)で戦争中に「陰影を感じさせる作品」を書いたらどんな目に遭ったかわからない。クリスティも1940年前後には作品が作者を超えるに至っていた。

 戦争といえば、ずっと積ん読にしていた大岡昇平の『レイテ戦記』(中公文庫、2018年改版の全4冊)を先週末から読み始めた。

 

www.chuko.co.jp

 

 小説というよりはノンフィクションではないかと思わせるこの作品を、大岡本人は「小説」に分類したという。前から図書館に中公文庫旧版の上中下の3巻本(1974年初版)が置いてあったが、字が小さいのに分厚いので敬遠していた。2018年の改版で字が大きくなったために3巻本だとさらに分厚くなるためだろう、4巻本に改められた。3巻本が置いてある図書館ではなかなか置き換えられないだろうと思って購入したが、第2巻だけ買ってなかった。昨年後半に第2巻を買ったので、年が明けたら読もうと思っていたものだ。

 最初はとっつきが悪くて読みにくかったが、昨日、第1巻の核心部ともいうべきか、それとも巻末の解説文で大江健三郎

長篇『レイテ戦記』のなかで、独立した中篇として読みとりうる完成度をそなえている。それがになっている課題の大きさ重さもぬきんでていよう。(本書425頁)

と称賛する第9章「海戦」、第10章「特攻」には引き込まれた。おかげで、1日で第1巻の後半である第9章から第11章「カリガラまで」を、付録の大岡昇平自身の講演録(1969年, 山梨英和短期大学主催の文芸講演会)及び前述の大江健三郎による解説(岩波書店大岡昇平集10』1983より転載)と合わせて一気に読んだ。この調子で、残り3冊も来週以降の週末にでも毎週1冊ずつまとめ読みできれば良いが、できるかはわからない。

 ことに、本書に関して議論の的になるであろう、大岡が特攻を「限られた少数ではあったが、民族の神話として残るにふさわしい自己犠牲と勇気の珍しい例を示した」と評している点に関して、大岡の講演録と大江の解説文とは強い関連性を持っている。ここは明らかに誤読されやすいばかりか率直に言って危うさを感じさせる箇所だし、現に民族主義者の筆者の手になると思われる下記ブログ記事を参照すると、あの小林よしのりが『レイテ戦記』の特攻評価に強い影響を受けているらしい。

 

koichiiwahashi.com

 

 以下関連箇所を引用する。

 

ところで、レイテ戦で初めて出現した特攻という戦術に対して、司令部の外道性は糾弾しつつも死に臨む搭乗員に美を感じるところは、大岡の文学者としての感性なのでしょうか?あるいは憐憫に過ぎないのか?

特攻に関する記述は小林よしのり戦争論』に多く引用されていたので、本書からかなり影響を受けていますね。

 

出典:https://koichiiwahashi.com/ISBN4-12-200132-3

 

 大江健三郎は注意深く下記のように書いている。

 

 ここに契機として出されている特攻の自己犠牲と勇気という評価が、やはり著者独自の、幾重にもかさねられた周到な思考の層の上に浮き出てくるさまを、大岡昇平の精神像のわれわれとしての構築に誤った短絡をおこなわぬためにも、つづいての「神風」の章を見ておきたい。(本書425頁)

 

 これに続く論考は、大江の解説文の中でも白眉だと思われるが、短文に要約する能力は私にはないし時間も限られているので、興味をお持ちの方は直接中公文庫2018年新版の『レイテ戦記』第1巻を直接ご覧いただきたい。少しだけ書いておくと、兵士に選択の自由があった比島沖海戦での特攻と兵士に強制された沖縄戦での特攻を大岡が峻別していること(425頁)、特攻が搭乗員にとってのみならず、敵方に対しても残虐兵器だったと大岡が指摘していること(426頁)などを大江は挙げている。また山梨の講演で大岡は、特攻と似たような戦法はイタリアに先例があるが、敵艦に時限爆弾を仕掛けたイタリア兵は敵艦の上に上っていって一定時間後に時限爆弾が爆発することを敵の船長に告げる、つまり船は沈めるけれども人間は助けるという考え方をしているとも言っている(411頁)。しかし特攻が強制された沖縄戦では生きて帰ってきたら怒られるという。また大岡は特攻が現地(フィリピン)で自然発生したという通説をとりながらもつとに中央の方針として決定していたのではないかとの疑念も呈していると大江は指摘する(426頁。実際本文の文庫本328頁にその記述がある)。前述の強制性に関して、大岡は志願兵と徴兵制を対比して後者を批判している。

 この第1巻で私が舌を巻いたのは、前記大岡の講演録と岩波の選集に収録されていた大江の解説文の2つを巻末に収録した中公文庫の編集者たちのセンスだ。抜群に良いと思った。

 私の感想をいえば、それでも、いや、それらがあるからこそ大岡昇平の結論の言葉には同意できない部分が残るということになる。現に、大岡の言葉を誤読してしまったとしか思えない小林よしのりのような悪例が存在し、小林は1990年代を中心に右翼たちに多大な悪影響を与えた。また、フィリピンでの特攻でも何度も出撃してそのたびに生きて帰ってきた兵隊がいて上官に罵倒されていた。2018年に刊行された鴻上尚史『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)に詳しい。なお私は鴻上の特攻観に対しても留保をつけた記憶がある。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 『レイテ戦記』については、続きを来月以降に書いて公開するかもしれない(書かないかもしれないが)。

 今年に入って他に読んだのは、2004年に刊行された池内紀『となりのカフカ』(集英社新書)と昨年末に刊行された本間龍の『東京五輪の大罪』(ちくま新書)。前者は面白かったが、後者は著者と私との立場はほぼ同じであるにもかかわらず全く面白くなかった。たまにこういうことがある。過去に2冊読んだことがある香山リカの本が2冊ともその例だった。心に全く響かない。いわゆる「相性が悪い」というやつかもしれない。

*1:https://rampo-world.com/nempyo.htm

*2:2012年6月10日発行第98刷にて確認。

*3:その前に置かれた「鏡地獄」と同様に=引用者註。

*4:https://rampo-world.com/nempyo.htm