KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。」(大岡昇平『レイテ戦記』より)

 2月に読み終えた本は5タイトル7冊。多くの時間を割いたのは大岡昇平の『レイテ戦記』(中公新書, 2018改版)の第2〜4巻だった。ことに第2巻を読むのに難渋し、一度の週末では読了できずに2週間に分けた。それに続く第3巻はそれぞれ土日の2日間、第4巻は索引や書誌等が某大なので本文は本の厚さの半分くらいだから次の土日の1日ちょっとで読んだ。それで2月20日の日曜日に読み終えることができた。

 1944年10月12〜16日の台湾沖航空戦に「大戦果」を挙げたとする大本営発表は虚報だったが、海軍はその誤りを訂正もしなかったから陸軍はその虚報を信じて作戦を立て、同10月20日からのレイテ島の戦いに突っ込んで行った。軍部自らが大本営発表に騙されるという信じ難い醜態が、8万4千人の兵士を投入して生還したのがわずか5千人、死亡率実に94%という悲惨な戦いだった。大岡昇平は1944年10月から1945年8月までのレイテ島での戦争を、日本側だけではなくアメリカ側の資料に立脚して戦闘の細部に至るまで記述し、それをノンフィクションではなく小説と自ら分類した。そんな内容だから読書に時間がかかるし、大変な忍耐力を要する。

 ネット検索で、下記ブログ記事を発見した。本書から抜粋されている。

 

blog.goo.ne.jp

 

 これまでに書いたことに対応する大岡昇平の文章は下記。

 

●「4 海軍」

 大本営海軍部はしかし、【台湾沖航空戦後の】敵機動部隊健在の真実を陸軍部に通報しなかった。今日から見れば信じられないことであるが、恐らく海軍としては全国民を湧かせた戦果がいまさら零とは、どの面さげてといったところであったろう。しかしどんなにいいにくくともいわねばならぬ真実というものはある。

 

●「5 陸軍」

 山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。真珠湾の米戦艦群を撃破したのは、空母から飛び立った飛行機のパイロットたちであった。レイテ島を防衛したのは、圧倒的多数の米兵に対して、日露戦争の後、一歩も進歩していなかった日本陸軍の無退却主義、頂上奪取、後方攪乱、斬り込みなどの作戦指導の下に戦った、第16師団、第1師団、第26師団の兵士たちだった。

 

   *

 

 死んだ兵士の霊を慰めるためには、多分遺族の涙もウォー・レクエムも十分ではない。

 

   家畜のように死ぬ者のために、どんな弔いの鐘がある?

   大砲の化物じみた怒りだけだ。

   どもりのライフルの早口のお喋りだけが、

   おお急ぎでお祈りをとなえてくれるだろう。

 

 これは第一次世界大戦で戦死したイギリスの詩人オーウェンの詩「悲運に倒れた青年たちへの賛歌」の一節である。私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。75ミリ野砲の砲声と38銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る唯一のことだからである。

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/humon007/e/ec4fdf55d65e24e4f4b04786889032ef

 

 現在のロシアとウクライナの戦争に当てはめるなら、プーチンやゼレンスキーやバイデンのことばかり言っていても、戦争を語ることには全然ならない、全くのナンセンスだということだ。戦争を戦うのは兵士たちである。

 その当たり前のことを骨の髄までわからせてくれただけでも、6度の土日にまたがる難行苦行の読書をやった甲斐があったかもしれない。ただ、間違っても楽しい読書ではないので、覚悟のある人にしかおすすめはできない。とにかく負け戦に次ぐ負け戦で、日本軍は自軍の兵士たちの命をとことんまで大量に消費し続けた。気が滅入らない方がおかしい。

 他には4冊しか読めなかった。うち3冊はアガサ・クリスティのミステリで、いずれも1940年代前半、つまり第2次世界大戦中に書かれた作品。読んだ順に挙げると『ゼロ時間へ』(1944)、『愛国殺人』(1940)、『スリーピング・マーダー』(1976)で、これは作品の出来の良さの順番でもある。即ち『ゼロ時間へ』が一番面白い。まあこれは中期の代表作の一つとして定評のある作品のようだ。ポワロもマープルも出てこない。『愛国殺人』はポワロもので、作中でポワロはある左翼かぶれの女性から「ブルジョワ探偵」と非難される。作者のクリスティ自身もゴリゴリの保守派だ。だが結末は、戦時中の日本だったら政府筋からいちゃもんがついた可能性のあるのでは、と思った。まあ意外な犯人ではないのだが。『スリーピング・マーダー』は没後発表のミス・マープル最後の事件だが、執筆は1943年で、その後8冊のマープルものが書かれたので、マープルものとしてはむしろ早い時期の作品。しかも「ミス・マープルが最後に解決した事件」というわけでもなんでもない。つまり『カーテン』とは全く特徴が異なる。「特徴は犯人当ての容易さであり、以下ネタバレを白文字で書く(普通の端末だと空白に見えるはず)。

 アマゾンカスタマーレビューや読書メーターを見ても指摘する人はいなかったのだが、犯人の名前と職業があの有名作と同じだ。ミス・マープルのモデルも同じ作品に出てくる人物だから、明らかに意識的な設定だろう。あの作品の特徴は「意外な犯人」だったから、それとは対照的な「当て易い犯人」の作品を書いて、自らの死後に読んでもらおうとクリスティは考えたのではなかろうか。クリスティはクリスマス用にだったか、超絶に当て易いトリックを用いた短篇も書いたことがある。トミーとタペンスものの『おしどり探偵』中の一作だ。それと同様の読者へのプレゼントのつもりだったのだろうとの仮説を提起しておく。

 残る1冊はみうらじゅんの『清張地獄八景』。文春からムックで出ていたものが昨年文庫化された。

 

books.bunshun.jp

 

 つまり『レイテ戦記』以外はいずれも軽読書だった。