有田芳生前参院議員のXで知ったが、今日、6月9日は「ロックの日」らしい。
明日は「ロックの日」(6月9日)。
— 有田芳生 (@aritayoshifu) 2024年6月8日
ロックな決断をした蓮舫さん。
13時から阿佐ヶ谷駅の街宣。応援に行きます。 https://t.co/NeFuRNL32N pic.twitter.com/HKo2kBjOkq
有田氏に応援された蓮舫もそれに応じている。
ロックの日かぁ!!
— 蓮舫💙💛RENHO🇯🇵 (@renho_sha) 2024年6月8日
仕分けの全ての会場に内田裕也さんがきてくださって、赤い薔薇とお手紙を毎回いただいたことを思い出します。 https://t.co/Q0C93TO4GD
しかし私が思ったのは、ロックもミュージシャンやファン層の高齢化が問題なんだよなあということだ。
このことは、検索語「ロック 高齢化」でネット検索をかければすぐにおわかりいただけるだろう。今回筆頭にヒットしたのは、2022年12月にスポーツ報知に掲載された下記記事だった。
ファン層の高齢化は、ロックの成り立ちが古い以上仕方ない。ロックよりもずっと早くファン層が高齢化したのがジャズで、ジャズよりもずっと早く高齢化していたのがクラシックだった。
ジャズからクラシックに進出したジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)が「ラプソディ・イン・ブルー」を書いたのが、今から100年前の1924年だった。当時のガーシュウィンにはオーケストレーションができなかったので、ファーディ・グローフェ(1892-1972)にやってもらったのだそうだ。しかしその後ガーシュウィンはオーケストレーションを勉強し、1926年に本格的なピアノ協奏曲(ヘ長調)を書き上げた。以上の経緯は下記ブログ記事を参照して書いた。
私は「ラプソディ・イン・ブルー」は半世紀近く前から知っているが、ガーシュウィンのピアノ協奏曲はつい最近(4月末)に買ったエレーヌ・グリモーの6枚組に入っていた1997年の演奏で初めて聴いた。ガーシュウィンの曲も面白かったが、それよりもグリモーというピアニスト自身の印象の方が強かった。それも、ガーシュウィンやカップリングされているお国もの(フランス)であるラヴェルの協奏曲よりも、ドイツの3人の作曲家(シューマン、ブラームス、ベートーヴェン)のピアノ協奏曲の方がさらに良かった。中でもブラームスの第1番(1997年録音)は、私が長年苦手としていた音楽の1つだったが、この曲が生まれて初めてといっていいほど面白く聴けた。どこが面白かったと表現することは難しい。あえて書くなら、グリモーがブラームスに強く共感して弾いていることが伝わってくるような演奏だったとでもいうべきだろうか。以下にその第2楽章をSpotifyからリンクする。
その後かけたネット検索で、グリモー自身がフランスの近代音楽にはさして興味がなく、ドイツ・ロマン派に一番魅了されると語っていることを知り*1、さもありなんと思った。ブラームスに次いで良かったのがシューマンのイ短調協奏曲作品54(1995年録音)で、これは天下の大名曲だ。しかしこれまでこれといって印象に残る録音に出会い得ていなかったので、これも非常に良いと思った。不必要にべたつかないところがとても良い。またベートーヴェンは1999年録音の第4協奏曲(ト長調作品58)だが、これはシューマンとブラームスを聴いたあとでは、ベートーヴェンの協奏曲からグリモーが選ぶとしたらこの曲だろうなと思わせる選曲だった。ベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲のうち、一番ロマン派に近いのは文句なしにこの曲だろう。この演奏も、この曲をこんなに熱心に聴くのは何十年ぶりかと思わせる好演だった。
1969年生まれのグリモーを天才少女ピアニストとして売り出したのは日本のDENONレーベルだった。1980年代終わり頃に、秋葉原にあった石丸電気レコードセンターのクラシック売り場で、彼女が17歳の頃に弾いたシューマンのピアノソナタ第1番の第1楽章がよくかかっていた。なかなか良さそうだと思ったがそのCDを私が買わなかったのは、たぶん新譜で値段が高かったからではないか。クラシックでは新譜などマニアの方を除いてはありがたみなどほとんどないと思われる。グリモーの評価が固まったらその時になってから買えば良いとも思った。グリモーはまず日本でブレイクし、次いでアメリカで人気を博した後、フランスやドイツなどでも人気を獲得したピアニストとのことだ。まずDENONへの録音で人気が出た女性ピアニストとしては、1970年代にモーツァルトのピアノソナタ全集を出したマリア・ジョアン・ピレシュ(ピリス)がいる。この人のこともこのブログに取り上げたことがあった(中村紘子を引き合いに出して中村をdisった覚えがある)。
私がグリモーのCDを初めて買った、というよりこれまで持っていた唯一のCDはバッハを収めた2008年演奏のドイツ・グラモフォン盤だった。最近はピアノでバッハをやる演奏家があまり多くないので興味を惹かれたのだった。iTunes(現Apple Music)に取り込んだのが2008年末だから、出たばかりの新譜のCDをおそらく輸入盤で買って早々にPCに取り込んだ、つまり一聴してただちに気に入ったものらしい(何しろ15年半前のことなのであまり覚えていない)。
これは才気煥発としかいいようがない選曲で、まず平均律曲集第1巻から第2番ハ短調と第4番嬰ハ短調で始めて、ニ短調の協奏曲第1番を続ける。その直後に平均律曲集から今度は第2巻の第6番を弾くのだが、この曲のプレリュードの出だしは協奏曲第1番の終楽章と同じくニ短調の下降音階で始まるのにクスリとさせられる。そしてそのあとに、アルバムの最初のクライマックスを企図したであろうブゾーニ編曲のシャコンヌ(ヴァイオリンのためのが続くが、これがまたニ短調。このシャコンヌが非常に良い。このCDの白眉だ。ブゾーニの編曲によるシャコンヌはそれまでにも他の奏者の演奏を聴いたことがあったが、感心したことは一度もなかった。その編曲を初めて良いと思わせたのがこのグリモーの演奏だった。
そのあと平均律第2巻第20番イ短調を挟んで、同じイ短調によるオルガンのための前奏曲とフーガBWV543、これも名曲だがこの曲のリストによる編曲を続けたあと、このアルバムで初めての長調の曲である平均律第2巻第9番ホ長調が弾かれ、最後に同じホ長調による無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番のプレリュードのラフマニノフによる華麗な編曲でアルバムを閉じる。
つまり、アルバムの前半ではニ短調の協奏曲、後半ではブゾーニとリストとラフマニノフの編曲をメインにして、平均律曲集から抜粋した5曲を散りばめる構成だ。曲は最初はハ短調、嬰ハ短調、ニ短調と平均律曲集式に半音ずつ主音を上げてニ短調にしばらく固執したあと、5度上のイ短調、さらに5度上の長調であるホ長調と5度上へ、上へと上昇していく。平均律曲集第2巻の第9曲は、以前にも書いたことがあると思うが平均律曲集でも屈指の名曲で、この曲のフーガにはグレン・グールドによる素晴らしい楽曲の分析が映像で残されている。しかしグリモーの演奏は当然ながらグールドとは全く異なるアプローチによる。ずっと短調の曲は続いたあとに弾き出されるホ長調のプレリュードの晴朗な印象は格別だ。そして、最後のラフマニノフの華麗な編曲によるバッハは、グールドのバッハとはまさに対極に位置する世界だが、これはこれで面白いと思わせるに十分だ。
グリモーは、
という(Wikipediaより)。その話は私も聞き知っていた。
余談だが、前記のガーシュウィンとラヴェルの協奏曲やこの記事で絶賛したブラームスの第1協奏曲などのグリモーのCDは、あの宇野功芳がライナーノーツを書いていたらしい。私もたまには宇野と意見が合うこともあるということなのだろうが、国内盤を買わなかったことはやはり正解だったと思わずにはいられない。
今回メインで取り上げたエレーヌ・グリモーはドイツ・ロマン派の音楽に深く共鳴するフランス人ピアニスト(但し21歳の1990年以降はアメリカに在住)だが、フランスとドイツのあわいといえば、最近、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)が指揮したショーソンとダンディのCDも押し入れから引っ張り出してMac Musicに入れて聴いたのだった。今回初めて知ったのだが、ミュンシュはストラスブールの人で、親兄弟は皆ドイツ人として活躍し、フランスに帰化したミュンシュ自身もドイツではカール・ミュンヒ Carl Münch として知られているそうだ。それどころか、帰化後も自らの署名にウムラウトをつけていたとのこと。このあたりについてWikipediaから引用する。
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891年9月26日 - 1968年11月6日)は、当時ドイツ帝国領であったアルザス地方ストラスブールに生まれ、のちフランスに帰化した指揮者。
来歴[編集]
ルーテル教会のオルガニストで合唱指揮者のエルンスト・ミュンヒの息子として生まれる。一族には音楽家が多く、おじのオイゲン・ミュンヒ、従弟のハンス・ミュンヒ、兄のフリッツ・ミュンヒは共に指揮者である。またシャルルの姉のエマはアルベルト・シュヴァイツァーの弟パウル・シュヴァイツァーと結婚した。
ミュンヒ家はドイツ系のアルザス人であり、第一次世界大戦後アルザスがフランス領に戻った際、いったんはドイツ国籍を選択するが、のちナチスの台頭を嫌いフランスに帰化した。出生名の綴りはCharles Münchで、1940年初頭からウムラウトを外してMunchと綴るようになったという通説もあるが、実際には1940年代を通じてウムラウトを付けたり付けなかったりで一定せず、1946年の署名でもウムラウトを付けていたことが指摘されている[1]。
ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の奏者となった。ゲヴァントハウス管弦楽団で1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務める。ゲヴァントハウスではドイツ語でカール・ミュンヒ(Carl Münch)と呼ばれていた[1]。
出生時の名前は Carl ではなく Charles だったらしいから、まさに独仏の国境近くの人らしい。そういえばドイツではカールも Karl と綴るのではないかとも思ったが、これにはCとKの両方があるようだ。
このミュンシュが今年2月に亡くなった小澤征爾(1935-2024)を教えた。ミュンシュには面白いエピソードがあり、それは前記の私が死蔵していたCDのらいなーのーつにかかれているのだが、それと同じ文章が前記Wikipediaに載っていたので以下に転載する。
人物[編集]
ミュンシュは、長い指揮棒を風車のように振り回す情熱的な指揮ぶり、爆発的な熱気あふれる音楽表現で高い人気を誇った。また、即興の名手であり、大の練習嫌いとしても知られている。仮に綿密なプローベをしたとしても、本番中悪魔のような笑みを浮かべつつ練習とは全く違う指示を出すことも多かったとも言われている。
私が持っているCDは1998年再発の国内盤だが、浅里公三氏(1939-)のライナーノーツにほぼ同じ文章が載っている。とはいっても浅里氏のオリジナルではなさそうで、いろんな人が書いた文章に「長い指揮棒を風車のように」云々の表現が用いられている。おそらくオリジナルは海外の批評と思われる。たとえばWikipediaで「風車のように振り回す情熱的な指揮ぶり」となっている部分は、浅里氏のバージョンでは「風車のようにふりまわす豪快な指揮ぶり」と表記されている。また、「悪魔のような笑み」云々の部分では、浅里氏バージョンでは下記のように書かれている。
実際、ボストン交響楽団のメンバーであるヴィク・ファース(ティンパニ)は「ミュンシュはリハーサルはしても本番では悪魔のような笑みを浮かべつつ別の指示をするなど予想がつかない。同じ演奏をしないのがとてもエキサイティングで、メンバーも必死でした。音楽を知りつくし、情熱を持っていた」と回想し、(以下略)
そんな人に教えを受けたのが小澤征爾だった。
CDはいずれもミュンシュがボストン交響楽団を指揮した1955〜62年の演奏で、ショーソンの交響曲変ロ長調作品20、独奏ヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲(ポエム)」作品25、それにダンディの「フランス山人の歌による交響曲」作品25が収録されている。この中ではソ連の名手ダヴィド・オイストラフ(1908-1974)がヴァイオリンを弾いた「詩曲」が一番良かった。というより、昔亡父から貸してもらったレコードの中に、この「詩曲」がメインで収録されたヴァイオリン名曲集(誰の演奏だったかは忘れた)があって、その曲が収録されていたからこのCDを買ったものに相違ない(このCDも買った経緯などはほとんど覚えていない)。
なお、今月に入ってからも本はほとんど読めていないが、今までのところ唯一読了できたのは安達正勝著『物語 フランス革命』(中公新書, 2008)だ。
弊ブログは昨年初め頃にはバッハの音楽の記事が多く、昨年秋から今年3月まではモーツァルトについてばかり書いてきたが、そのモーツァルトの晩年に始まったのがフランス革命だった。このフランス革命は世界史における一大事件であり、モーツァルトと彼のライバルだったサリエリとの評価もフランス革命を機に大逆転したことを弊ブログでもみてきた。
そして何より、日本の政界も一大転換期にさしかかってきた。それでフランス革命に対する関心が増すとともに、聴く音楽にもフランス人が入り込んできた。なお、この本のあとがきに書かれた文章が結構印象的だったが、それはこちらのブログよりもメインブログに適していると思うので、そちらに書くことにする。