KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

吉田秀和曰く、モーツァルトが「ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」をヴァイオリンとピアノの対等な二重奏曲に変えた(1982年放送NHK-FM「名曲のたのしみ」より)【前編】天才の変革には先駆者がいた

 モーツァルトについてもう少し書いておきたい。

 初めに、前々回に取り上げたK13のいわゆる「フルートソナタ」をオリジナル版で弾いた動画をリンクしたが*1、動画でピアノを弾いていた加藤友来(ゆら)さんという少女が成長してチェンバロ奏者になっていることを知った。モーツァルトの名を冠したコンクールでモーツァルトが幼かった8歳の頃のヴァイオリンまたはチェロのオブリガート付きのソナタを、楽器こそ現代のピアノながら原典版で弾いて、ジュニア部門で最高の成績を挙げて入賞するとは、と驚かされたが(なぜならどう考えてもコンクールには不利な選曲だから)、彼女が長じてチェンバロ奏者になったことについては「さもありなん」との感想を持った。今日(11/19)、兵庫県芦屋市のカトリック教会で行われるコンサートでチェンバロ通奏低音を弾かれるようだ。教会は阪神芦屋駅の少し北あたりにあるようだが、阪神芦屋駅近くといえば村上春樹が少年時代を過ごしたあたりだ。ネットで調べたら村上は駅の南東に住んでいたようなので駅からの方角は少し違う。だが教会は村上がよく行っていたという阪神芦屋駅前の本屋(宝盛館書店)と同じ町内にあるようだ。

 

www.kobe-bunka.jp

 

 古楽の道に進まれるとは、おそらく指導者も良かったに違いなかろうが、私の想像では、加藤さんご本人がまず中期以降のモーツァルトの音楽に惹かれ、次に彼の音楽はどこから来たのだろうかとの興味を持って、まずは幼児期のモーツァルトの音楽、さらに遡ってカール・フィリップエマヌエル・バッハ(1714-1788)に代表されるバロック音楽から古典派へ移行期の音楽に関心を持つようになったのではないだろうか。素晴らしいことだと思う。

 さて初期モーツァルトの「作品3」(K10〜15) については、1980年に放送された、吉田秀和(1913-2012)が解説するのNHK-FMの番組のYouTube動画でK14とK15も聴いたが、最後に置かれた第6番変ロ長調K15が実験的な作品だと感心した。実は昔、一度だけK15を聴いた記憶があり、その時にも当時としては斬新だったに違いない和声に驚かされた記憶があるが、今回はそれに加えて新たな発見があった。というのは、K13やK14ではルイ・モイーズの編曲(あるいは改変版)によってフルートに声部が与えられたものの、もともとはクラヴィーアに独占的に割り当てられていた主旋律が、K15冒頭ではモーツァルトのオリジナルの楽譜でも、第1楽章冒頭の上声部がオブリガートのはずのヴァイオリンまたはフルートに割り当てられているのだ。その動画を下記にリンクする。

 

www.youtube.com

 

 ただ、「音楽辞典」で「オブリガート」の項を調べると、ピアノの和音に乗せてヴァイオリン(あるいはフルート)が奏でる音型は、あるいはオブリガートのパートに許される即興演奏の一例を8歳のモーツァルトが示したものではないかとも思われる。

 

オブリガートオブリガート】 obbligato 〔伊〕

(1)省くことができない、不可欠な声部のこと。
(2)メロディ・パートをより引き立たせるために、(伴奏にのせて)同時に演奏される別のメロディのこと。助奏、カウンター・メロディともいわれる。

 

出典:オブリガート | 音楽辞書なら意美音−imion−

 

 つまり、K15の第1楽章に本当に必須なのは、クラヴィーアが奏でる、重厚な和音からなる付点つきの音型であって、その和音に合わせた旋律をオブリガートのヴァイオリンなりフルートなりが即興で弾いて楽譜が指定した音と置き換えるか、そこまではせずとも、たとえばリピートした2回目には楽譜に書かれた音に装飾をつけ加えるなどして弾く(吹く)ことは大いに許されるのではないだろうかと想像した次第。

 バロック音楽では即興演奏はおなじみだが、ロンドンでモーツァルト大バッハことヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)の末っ子であるヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)に音楽を教わっているから、その成果がK15に反映されていると見ることができるのではないか。そう思ったのだ。

 こうやって記事を書きながら思うが、大バッハモーツァルトは年が71歳違い、2人の生涯は重ならないが、エマヌエル・バッハモーツァルトが32歳の時まで生き、46歳で死んだクリスティアン・バッハはモーツァルトとは21歳しか違わなかった。クリスティアン・バッハは大バッハが50歳の時に生まれており、モーツァルトが26歳だった1782年の元日に亡くなっている。

 モーツァルトについては森下未知世さんという方が編集された Mozart con grazia というウェブサイトがたいへん参考になる。このサイトではモーツァルトの全作品が解説されているが、K15へのリンクを下記に示す。

 以下引用する。

 

モーツァルトはバッキンガム宮殿に1764年の4月と5月の二度訪問し、1760年に即位した国王ジョージ三世(1728-1820)に拝謁している。 そこではクリスティアン・バッハ(当時29歳)が王妃シャーロットの音楽教師をつとめていた。 モーツァルトは神童ぶりを発揮して一堂を驚愕させつつ、クリスティアン・バッハの作品を貪欲に吸収していった。

 

連作の最後にきて、ヴァイオリンは伴奏役を離れ、ピアノと対等に主役を争うまでになった。 しかしこれは6曲の連作の中のさまざまな創意工夫の一例として試みただけであり、次のソナタからヴァイオリンはまた伴奏の役割に戻ってしまう。

 

 上記の記述の通り、初期モーツァルトの「ヴァイオリンソナタ」または「フルートソナタ」は実際には「ヴァイオリン(またはフルート)のオブリガートつきクラヴィーアソナタ」だった。だから前々回でリンクした前述の加藤友来さんたちのような演奏が本来の姿だった。前記 Mozart con grazia の K.13 の項には、オリジナルの楽譜を表示させながらオリジナル編成によるK13の全曲を聴くことができる下記動画へのリンクがある。

 

www.youtube.com

 

 上記動画を楽譜を見ながら聴くと、オブリガートのヴァイオリンが主導して弾く旋律は一箇所もないことがわかる。ただ、ヴァイオリンがクラヴィーアの旋律の一部をカノン風に追いかけたりはする。

 聴いてめざましい印象を受けるのはやはりK13だと改めて思ったが、K15のような実験的な作品を8歳の頃から書いたモーツァルトの才能はやはり規格外だ。K15の第1楽章では第2主題群に当たる部分で「増6和音を属和音で解決する」緊張感のある和声進行が聴かれるが、これは後年に書かれた「母の死」と関連づけられることが多いK304のホ短調ヴァイオリンソナタ第1楽章で第1主題が再現する箇所にも用いられている。この主題は冒頭ではヴァイオリンとピアノのユニゾンで演奏され、それも緊張感に満ちているが、それとは異なるものの同じくらい強い緊張感があり、しかも冒頭と同じユニゾンの再現を予想していたところに不意打ちを食わされる。吉田秀和の番組でこの曲を最初に聴いた時には両方の箇所ともに非常に強い印象を受けた。

 その箇所にも用いられた「増6和音から属和音への解決」はモーツァルトに限らず古典派やロマン派の音楽には頻繁に出てくるものではある。またモーツァルト以前にも大バッハが使ったことがあるはずだし、バッハの息子たちの音楽を私はほとんど知らないけれども、特にエマヌエル・バッハなどは使っていそうに思われる。しかしこれがモーツァルトの音楽に初めて出てくるのはこのK15ではないだろうか。

 吉田秀和の番組で聴いたが、モーツァルトが8歳の時に書いた小曲のうち、バロック音楽の影響を受けて書かれたと思われるプレリュードと題された作品にはずいぶん大胆な転調もあった。これも大バッハではチェンバロのための半音階的幻想曲とフーガ(ニ短調BWV903)やオルガンのための幻想曲とフーガ(ト短調BWV542)などで大胆な転調の試みはすでになされていたし、モーツァルトに音楽を教えたクリスティアン・バッハはその息子なのだから教え得たという理屈にはなるが、それにしても当時まだ8歳のモーツァルトの吸収が早すぎるのである。ヴァイオリンのオブリガート付きのクラヴィーアソナタにしても、最初の作品でるハ長調K6は本当に稚拙な音楽なのに、K13ではのちに書く音楽の萌芽が豊富に聴かれたり、K15は実験精神に満ちていたりするなど、いくら大バッハの末の息子に直接教わったとは言っても8歳の子どもに成し得たとは本当に信じられない。

 ところで大バッハの時代にはヴァイオリンソナタといえばチェンバロとチェロの通奏低音を伴ってヴァイオリンが旋律を奏でるものだった。それが初期モーツァルトの時代には逆にヴァイオリンのオブリガートを伴うクラヴィーアソナタになろうとはいったいいつの間に、とは少年時代からしばしば考えたことだ。

 バロック音楽にはトリオ・ソナタという形式があり、これは2つのヴァイオリンと通奏低音だとか、ヴァイオリンとフルートと通奏低音だとか、フルートとオーボエ通奏低音などの組み合わせで複数楽章からなる音楽だが、バッハはたとえば2つのヴァイオリンのうち片方をチェンバロの右手に置き換えて、ヴァイオリンとチェンバロの右手が旋律を掛け合い、それをチェンバロの左手の通奏低音が支える形のヴァイオリンとチェンバロの二重奏ソナタを6曲、ヴィオラ・ダ・ガンバチェンバロのための二重早々ナタを3曲書いた。それらのうちヴァイオリンソナタ第6番ト長調の第3楽章ではヴァイオリンは何も弾かず、この楽章はチェンバロの独奏曲になっている。このあたりからいったん本格的な二重奏になっていたものが、逆にチェンバロ(クラヴィーア)が優勢になっていったものだろうかと勝手に想像していた。その想像が正しかったかどうかは未だにわからない。

 今回のネット検索では、バッハの息子たちのうちエマヌエル・バッハクリスティアン・バッハはヴァイオリンがあまり得意ではなくクラヴィーアの方が得意だったらしいことを知ったが、あるいはエマニエル・バッハが「大バッハ」と呼ばれていたらしい彼の生前の時代には、すっかりクラヴィーアが主導するのが普通になっていたのかもしれない。もちろんその間にチェンバロフォルテピアノに取って代わられた鍵盤楽器の技術革新が大いに二重奏曲での主役交代に影響したのではないかと思われる。

 そんな時代に、すっかり脇役に追いやられていたヴァイオリンの位置を引き上げたのは、よくクラシック音楽の解説ではベートーヴェン、特に弊ブログで連載を中断してしまっている『クロイツェル・ソナタ』の手柄にされてしまうことが今でも多いと思うが、早い時期からそんな言説に異を唱えて、ヴァイオリンの地位を単なるオブリガートから事実上ピアノと対等の二重奏の地位に引き上げたのはモーツァルトの功績だと力説したのが吉田秀和だった。前回取り上げてYouTubeの動画にリンクを張った1983年放送の『名曲のたのしみ』のうちK296とK304のヴァイオリンソナタが放送された回で久々に吉田の主張を聴けて懐かしかった。

 私が初めて吉田秀和の「名曲のたのしみ」で聴いたモーツァルトの音楽は、確かK301のト長調ヴァイオリンソナタだった。そう私は思い込んでいたが、なにしろ半世紀近くも前の記憶だから、正確かどうかはわからない。放送の記録や昔のFM雑誌の番組表を見ればねじ曲がっているであろう記憶を修復できるかもしれない。1980年に始まった2度目のシリーズも、基本的には1970年代の放送と同様の順番で放送されたものであろうから、YouTubeにアップロードされた動画群がヒントになるかもしれない。

 とにかくK301の印象は強かった。このソナタはK304、K376、K388の3曲とともに、アルテュールグリュミオークララ・ハスキルの歴史的名盤で昔から有名だ。K301はとりわけ流麗な旋律が印象的であり、この曲に対しても私の思い入れも深い。

 1971年に始まったこの番組の最初のモーツァルトのシリーズでK301を皮切りとしたヴァイオリンソナタ群が紹介されたのは、何度も書くけれども1975年だった。1970年代の第1回のシリーズでは、吉田秀和の語りが長くなりすぎて曲が放送時間に収まらないことがしばしばあった。その場合は途中で切れた音楽が次の回で最後まで放送されたりはしなかった。多少ルーズな番組作りだったといえるかもしれない。1980年からの2回目のシリーズでは、この問題点が改められ、曲を最後まで放送できなかった時には、翌週にもう一度最後までレコードをかけるようになった。吉田は語りの時間超過を第2シリーズの初回の放送でいきなりやらかし、第2回でK8のソナタが改めて曲の最後までかけられた。その第2回の最後に放送されたのがK13がオーレル・ニコレ(フルート)と小林道夫(ピアノ)のルイ・モイーズ版による演奏だ。番組の最後には同じ2人によるK14の冒頭が曲の紹介なしにエンディング用の音楽として流されたが、第3回の最初に放送されたK14の演奏はヴァイオリンのオブリガートを伴うチェンバロによる演奏で、モイーズ版ではフルートが吹いていた冒頭のパッセージは、想像した通りチェンバロが演奏した。しかしK15はニコレと小林によるモイーズ版が流されたので、ネット検索をかけてオリジナルの編成による演奏を探した。それで見つけたのがこの記事の初めの方でリンクを張った小倉貴久子のチェンバロ、若松夏美のヴァイオリン、鈴木秀美のチェロによる演奏で、上記埋め込みリンクでは第1楽章のみを示したが第2楽章の動画*2もある。いずれも前述の加藤友来さんが2013年のコンクールで入賞した時の記念演奏会の動画を発信したと同じピティナ(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)作成の動画だが、小倉貴久子さんらの演奏はプロによる模範的なもので、特にチェロの鈴木秀美さん(男性)は私も全盛期から名前を知っている大家のチェリストだ。私は鈴木さんがシギスヴァルト・クイケンが主宰するラ・プティット・バンドと共演したハイドンのチェロ協奏曲を録音したCD(1998年録音)を持っている。鈴木さんは1957年生まれの66歳。神戸出身で、2021年に神戸市室内管弦楽団音楽監督に就任されたとのこと。またまた関西出身の方だ。

 1980年代の吉田秀和の番組の思い出を少し書くと、前にも書いた通り、ある時期からモーツァルトの第2回目のシリーズは聴かないことが増えた。しかし就職してミニコンポを買ったすぐの一時機、再び聴いた頃があった。その時にはモーツァルトの未完のハ短調ミサK427の美しさに驚かされた印象が強烈だ。第1回のシリーズの「名曲のたのしみ」でもこの曲を聴いたが、おそらくは高校生だったその当時の私にはK427の良さが理解できなかった。その曲が20代半ばの1986年に私を感激させた。モーツァルトの生涯と音楽のシリーズで聴いたのか、そうではなく名盤紹介の回でかかったものかは覚えていないが、確か私があまり好まないカラヤン指揮による演奏だった。しかしそのカラヤンでもK427は素晴らしかった。そのしばらくあとに私が買ったCDはピリオド楽器を使ったガーディナー指揮の演奏だったが、それはカラヤンよりももっと良かった。

 しかし、ミニコンポで吉田秀和の番組を聴く習慣は長くは続かなかった。吉田秀和はのちにはモーツァルト以外の音楽家の生涯をたどる番組を始めたが、それらはほとんど聴いていない。この番組を最後に聴いたのは2005年7月で、土曜日の夜に高松から東京行きの寝台特急サンライズ瀬戸」に乗り、寝台車の個室のラジオをつけたら吉田秀和の「名曲のたのしみ」が始まったのでびっくり仰天したのだった。その日の番組ではハイドンの生涯をやっていた。最初にモーツァルトのK301を聴いてから30年も経っていた。しかし今はその時からさらに18年の月日が流れた。ブログを書くようになってからも17年が経っている。吉田秀和が亡くなってからももう11年だ。サンライズ瀬戸吉田秀和の語りとともにハイドンがかかった時には、1990年代から2000年代にかけてハイドンにかなりはまっていたこともあって大いに喜んだが、番組を聴いたのはその1回だけだった。ハイドンの作品数は交響曲だけで100曲以上あるなど膨大だが、CD化されている彼の音楽を全部番組でかけたかどうかは知らない。

 今回は吉田秀和モーツァルトのヴァイオリンソナタを絶賛した件が記事のメインだ。それを確認するために、YouTubeにアップされたK301の回の動画(ラジオ番組に基づいているため音声がメインだが、画面に丁寧な文字起こしが表示されていてたいへん助かる。作成者の方による素晴らしい労作だ)を視聴した。

 

www.youtube.com

 

 この回ではNHK側に放送のトラブルがあったようで、上記動画に含まれるフルート協奏曲第1番の音源が第1楽章だけ別の演奏家のものに差し替えられている。しかし2種類とも現代楽器による演奏だ。私が1980年代後半の1987年か88年ごろに買って愛聴しているのはイギリスのクリストファー・ホグウッドが主宰する「エンシェント室内管弦楽団」という変てこ名な和訳が今も気になる楽団とリザ・ベズノシウク(リサ・ベズノシューク)というフルーティストがピリオド楽器を用いた演奏で、こういう演奏を聴くと現代楽器による演奏などもう聴く気が起きなくなる。

 この回の後半でK301が取り上げられた。吉田秀和の解説は動画の32分40秒くらいから始まるが、画面に表示された文字起こしを元に、以下に改めて書き出してみる。なお引用にあたっては吉田が言い淀んだ部分などの一部を割愛するなどした。

 

モーツァルトマンハイムで=引用者注)ヴァイオリンとピアノのためのソナタを何曲か書いています。

 

 こっちの方は、ことにこれから聴く最初の曲(K301のこと=引用者注)は、もう彼がいかに力を入れて作曲したかということがよくわかるような音楽になっています。

 

 モーツァルトのヴァイオリンとピアノのためのソナタっていうものは、彼は一生のうちに相当な数、書いてるんですけど、子どものときのものは別として、まずこのマンハイムに行ってから5曲、それからパリに着いてから2曲、それからこの旅行が終わってザルツブルクに戻ってから1曲、全部で8曲書いています。

 

 その後ひと休みいたしまして、ウィーンに定住するようにあってから今度は4曲書いているので、全部で12曲ということになります。

 

 そのうちの6曲を彼はパリで出版して、それが作品1、モーツァルトが生きていた頃の作品の出版された作品の最初の番号をもつ、作品1として発表されました。

 

 ここでモーツァルトは子どもの頃に父のレオポルトが勝手に出版した時につけた作品番号(たとえば前述のK13は作品3の第4だった)をリセットした。つまりそれらは習作に過ぎず、これが本当に僕が世に問う作品なんですよ、と言っているわけだ。K301は作品1の第1、ホ短調のK304は作品1の第4に当たる。

 吉田の言葉の引用を続けるが、以下が核心部だ。

 

 実はモーツァルトが書いたこのピアノとヴァイオリンとピアノのためのソナタっていうのは、モーツァルトにとってだけじゃなく、このいわゆるヴァイオリンソナタと言われている種目にとっても、画期的な意味を持つものになりました。

 

 というのは、それまではこの種の曲ではピアノが中心になっていまして、そこにヴァイオリンのオブリガート、助奏なんて日本語で訳がついてますけど、要するに、本当はヴァイオリンがもう番号楽器としてそこにくっついているというようなものでした。

 

 だから、万止むを得なきゃピアノだけで弾いてもいいと。

 

 しかしモーツァルトは、初めてヴァイオリンとピアノという二つの楽器が対等に扱われる、そして対等に大事な楽想を演奏しながら、やっていく音楽というものにしたんですね。

 

 今日これから聴く最初の曲は、そういう意味で、彼にとっても非常に重要な作品になりました。

 

 どうしてマンハイムで突然モーツァルトがこういうことをやり出したのか。

 

 音楽学者たちは「彼がこの土地(マンハイム)に来てからシュースターという人のヴァイオリンソナタを聴いて、とっても面白いっていうことを父親宛の手紙に書いているので、そこからいろんなヒントを得たのではなかろうか」というふうに言っています。

 

 そのシュースターのヴァイオリンソナタそのものは今日僕たちが聴いてみると、そんなに面白い曲ではありません。だから、もう今日ではほとんどヴァイオリニストたちが弾かないということになってますけど。

 

 しかし、モーツァルトのような天才にあるヒントを与えたことにはなったんですね。そのヒントは何かといえば、今僕が申し上げたこのヴァイオリンとピアノをなんとか対等に扱っていこうということをシュースターが考えたということにあるんでしょう。

 

 このくだりは面白すぎる。シュースター(1748-1812)の名前は初めて知ったが、モーツァルトとはたった8歳しか違わず、ベートーヴェンが40歳を少し過ぎた頃まで生きていた。WikipediaのK301の項にもちゃんと名前が出てくるし、シュースターの項まで設けられている。以下に引用する。

 

ヴァイオリンソナタ第18番[1] ト長調 K. 301 (293a) は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したヴァイオリンソナタ。全6曲からなる「パリ・ソナタ」の1曲目にあたる。新モーツァルト全集では第11番とされる。

概要[編集]

モーツァルト1778年にヴァイオリンソナタの作曲を再開した。約12年の空白を経ていたが、再開したきっかけは、1777年の9月にマンハイムへの旅行の途中に立ち寄ったミュンヘンで、ヨーゼフ・シュースターのヴァイオリンソナタを知ったことである。モーツァルトはシュースターの作品から大きな刺激を受け、すぐさまヴァイオリンソナタの作曲に取りかかった。

第25番は1778年の2月頃にマンハイムで作曲された。第25番から第30番までの6曲は同年11月にパリで作品1として出版されたため、「パリ・ソナタ」と総称される。また、プファルツ選帝侯妃マリア・エリーザベトに献呈されたことから「マンハイムソナタ」とも総称される。

シュースターの影響で生まれた新しい様式のヴァイオリンソナタの第1作にあたり、ピアノとヴァイオリンの有機的で協奏的な融合が光る作品であり、明らかに二重奏ソナタの内容を呈している。アルフレート・アインシュタインは「いくらかハイドン風」だと評している。

 

出典:ヴァイオリンソナタ第18番 (モーツァルト) - Wikipedia

 

ヨーゼフ・シュースターJoseph Schuster, *1748年8月11日 ドレスデン – †1812年7月24日 ドレスデン)は、ドイツ作曲家

略歴[編集]

ドレスデンの宮廷楽士であった父ヨハン・ゲオルク・シューラーより最初の音楽教育を受ける。ザクセン選帝侯より学資金を下賜され、1765年から1768年までイタリア対位法を学んだ。1776年に、メタスタジオの台本による処女作のオペラ・セリア《見棄てられたディドー(Didone abbandonata )》がナポリサン・カルロ劇場において上演されて成功を収める。同年もう一つのオペラ・セリア《デモフォーンテ(Demofoonte )》がフォルリーにて初演を迎える。翌1777年ナポリヴェネツィアでのオペラの成功によって地歩を固め、ドイツで作曲家として名を馳せた。

作品のほとんどはオペラ・ブッファに分類されるが、教会音楽管弦楽曲室内楽曲も作曲している。シュースターの弦楽四重奏曲には、長らくモーツァルトの作品として広く流布したものがあり、当初はKV.210以降のケッヘル番号さえ与えられていた。シュースターはこれらを1780年ごろに作曲したのだが、モーツァルトの原本からの断片と看做されたのであった。真実の出所を明るみに出したのは、音楽学者のルートヴィヒ・フィンシャーであった(1966年、『音楽研究(Die Musikforschung )』誌上にて)。

 

出典:ヨーゼフ・シュースター (作曲家) - Wikipedia

 

 ネット検索をかけてみると、シュースターのヴァイオリンソナタの音源にはヒットしなかったが、モーツァルト作と誤認されたことがあるらしい弦楽四重奏曲の音源はあった。その中から第1番の第3楽章を下記にリンクする。

 

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 ここまで書いてもう1万字を超えた。

 実はシュースター以前にも大バッハがヴァイオリンとチェンバロとの二重奏のソナタの6曲セットを書いていることは前述したが、それはバロック時代のトリオ・ソナタに起源をもつもので、シュースターやそれに影響を受けてモーツァルトが始めたヴァイオリンのオブリガートを持つソナタを二重奏ソナタに発展させたものとは成り立ちが違うということなのだろう。

 今回のネット検索で思い出したのは、20世紀以降の音楽でシェーンベルクが発明したとされる12音技法にも先例があったと事実だった。それどころかケージの4分33秒にも先例があった*3。これらは弊ブログが以前公開した記事で取り上げたことがある。

 またジャンルは全く違うが、アガサ・クリスティのミステリ『アクロイド殺し』にも先例があり、その先駆者はなんとロシアの文豪、アントン・チェーホフだったことも思い出される。

 本記事は核心部にするつもりだった吉田秀和によるモーツァルトのヴァイオリンソナタの解説の紹介が途中までになってしまったが、続きは次回にする。

*1:https://www.youtube.com/watch?v=LrLfiJTRvKw&t=1s

*2:https://www.youtube.com/watch?v=B4yBSZ0kui8。K15は2楽章のソナタである。

*3:ケージの後継者は阪神タイガースだったかもしれない。