KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

ショパンコンクール、「日本人最高位受賞」には関心がないが受賞者の髪型を「サムライヘア」と呼ぶのは止めてほしい/「2番を弾いた優勝者」になり損ねたマルタ・アルゲリッチ

 5年に1度開かれるショパン国際ピアノコンクールは日本でなぜか人気がある。すぐに頭に浮かぶのはスタニスラフ・ブーニンで、彼が優勝した1985年のショパンコンクールの様子がNHK特集で放送されたことが大きく影響し、日本で大人気になった。コンクール開催当時19歳で若くて格好良く、演奏も豪快だったので大いにウケた。私もこのNHK特集は視聴していた。

 ブーニンは本場のヨーロッパではあまり評判が高くないが日本での人気は未だに高く、妻は日本人で自宅も日本にあるという。1年のうちどれくらいの期間を日本で過ごしているかは知らない。さすがに日本でのコンサートだけで生計を立てられるとは思えない。

 そのショパンコンクールが行われ、日本人演奏家が2位と4位に入ったという。あれ、5の倍数の年じゃないのにと思ったが、五輪と同じでコロナのために1年延期されたのだろうとはすぐに気づいた。調べてみたらその通りだった。次回は、これも五輪と同じで1年先送りするのではなく2025年に行われるらしい。

 私は2位の反田恭平の演奏も4位の小林愛実の演奏も聴いていないし、そもそもショパンコンクール自体、他のあまたあるコンクールと比較して特別なものだとも思っておらず、ましてや「日本人最高位」とか「日本人入賞者」などには全く関心がない。しかし今回ちょっと興味を持ったのは、下記のツイートを見たからだった。

 

 

 何が「サムライヘア」だよ。私が片仮名の「サムライ」で思い出すのは、沢田研二が腕章につけていたハーケンクロイツだ。その件は過去何回も『kojitakenの日記』で取り上げた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 証拠の画像も残っている。但し、下記ツイートから張られたリンクの動画は再生できない。

 

 

 本論に戻る。ショパンの音楽にはそれなりに馴染みがあるが、私がショパンで一番良いと思うのがポーランドの民族舞曲であるマズルカであり、その他では作品40番台以降の後期(といっても30代)の内省的な作品が好きだ。一方、ショパンコンクールで候補者が必ず弾かなければならない協奏曲や、優勝者や入賞者がよく弾きたがるワルツのうち初期の作品などは大した音楽だとは思わない。だから、1965年の4位入賞者・中村紘子の演奏が良いと思ったことは一度もなく、2016年に彼女が亡くなった時にテレビの訃報報道がよく流していたのが「華麗なる(大)円舞曲、つまりワルツの1番(作品18)または2番(作品34-1)という、私がショパンの作品のうちもっとも評価しない音楽ばかりだった時には、ああ、私とは縁のない演奏家だったんだなあと思っただけだ。なおどうでも良いが、中村紘子プロ野球・読売の熱心なファンだった。

 しかしショパンのワルツは中村紘子が愛奏したと思われる1番や2番のようなつまらない音楽ばかりではないし、コンクールで指定されている2曲のピアノ協奏曲にもそれぞれ良いところがある。というより、この2曲はベートーヴェンの同じジャンルの1番及び2番と似た関係にあって、ともに初期の作品だがあとに作られた1番の方が2番よりずっと構えが大きくて演奏効果もある。だから2人の大作曲家はあとから完成させた曲を第1番にした。私も2人のピアノ協奏曲の1番か2番かを選べと言われたら、ベートーヴェンでもショパンでも迷わず1番をとる。

 しかし、ベートーヴェンでもショパンでも「2番の方が好き」という人が少数ながら存在する。ショパンコンクールでも2番を選ぶ候補者がいる。しかし、2番を弾いて優勝した人がいたんだろうか。それが気になった。そこでネット検索をかけたところ、やはりいた。

 

note.com

 

 以下、「2番を選んだ優勝者」に関する部分を引用する。

 

「なぜ1番が多いのか」については、筆者などが説明するより、ピアニスト・文筆家でショパンコンクールの視察もなさっている、青柳いづみこ先生が、詳細に、かつ明快にまとめてくださっていますので、興味深い記事をご紹介します。

 

ondine-i.net


もちろん文章中、青柳先生のお考えの部分もありますが、事実としてご記憶いただきたいポイントは、

 

  • 1番と第2番では、実は「第2番」が先に作曲されている
  • 1番のほうが少し長く(事実)、内容も充実している(といわれる)
    ※第1番は40分強に対し、第2番は32分前後
  • 2番で優勝したのは、3回のヤコブ・ザークと第10回のダン・タイ・ソンのみ

 

という3点です。

ヤコブ・ザークはロシアのピアニストで、リヒテルやギレリスを教えたロシアの伝説的な名教師ゲンリヒ・ネイガウスが、この2人と並んで「私の最も優れた4人の弟子」(あと1人はヴェデルニコフ)の一人に挙げた名手です。演奏活動の傍ら指導も活発に行い、後年にはヴァレリー・アファナシエフエリソ・ヴィルサラーゼ、ニコライ・ペトロフ、ユーリ・エゴロフら、ピアノファンにはたまらない名手たちを育成しています。

ダン・タイ・ソンは、今回の審査員にも入っており、近年は演奏家としてだけでなく指導者としても高い実績を出し続けていることは、当連載でも何度も触れてきたとおりです。そのダン・タイ・ソンショパンコンクールで第2番を演奏しています。貴重な録音が、ショパン研究所のYouTubeにあがっています。

 

www.youtube.com

 

前述の青柳先生のコラムにもあるとおり、1番ほど多くはないものの、第2番を選択するピアニストは毎回現れますが、優勝することはなかなかありませんでした。コンテスタントたちももちろんそのことを知っているでしょう(誰が弾いたかまでは知らなくても、「第2番を弾いて上位に入賞するのは稀なこと」とは知っています)。

今回、第2番を選んだのは、アレクサンダー・ガジェヴ、マルティン・ガルシア・ガルシア、そしてイ・ヒョクの3。いずれも、すでに国際舞台で活躍し大きな国際コンクールでも優勝している名手たちです。つまり、この3人は「分かっていて2番を選んだ」可能性が極めて高いのです(本人に聞いてませんので分かりませんが・・笑)。この3人には、「第2番を弾いて描きたい世界」が明確にあるのだと思われます。

2番のことを調べていて、2018年にショパン研究所がはじめて行った「第1ピリオド楽器のためのショパン国際ピアノコンクールに行き当たりました。日本の川口成彦さんが第2位に入賞したことでも話題になった、新しい試みでした。(後略)

 

出典:https://note.com/ptna_chopin/n/nf81ae5a9afb9

 

 最後の「ピリオド楽器のための」というのは多少興味がある。というのは私自身、古典派の音楽の演奏ではピリオド楽器の方が現在の楽器より良いと考えているからだ。たとえばモーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタイ長調K.526は、現代楽器で聴くとピアノがうるさすぎるが、ピリオド楽器で聴くとピアノとヴァイオリンのバランスが絶妙で、ああ、これこそこのジャンルでモーツァルトが書いた最高傑作だと思わせてくれる。故吉田秀和ベートーヴェンのクロイツェルソナタ(前述のモーツァルトと同じイ長調のヴァイオリンとピアノのためのソナタ)でもピアノがうるさ過ぎると不平を鳴らしたが、これもピリオド楽器で聴くと両楽器のバランスが良くなる。

 ショパンの協奏曲ではどうなのだろうか。引用しなかった部分を読むと、6人のファイナリストのうち5人が2番を選択したとあるが、それなりの良さがあるのだろうか。残念ながら私は1番を差し置いてまで2番に惹かれる部分はないので何とも言えない。

 なお引用文からさらにリンクを張られている青柳いずみこ氏の文章も非常に興味深い。以下引用する。前回(2015年)のショパンコンクールに関する文章だ。

 

選曲の時点で勝負あり!?

 

第17回ショパン・コンクール、チョ・ソンジンとシャルル・リシャール=アムランの順位を分けたのは、協奏曲の選曲だったと言えよう。ショパンの協奏曲はいずれもワルシャワ時代、20歳前後の作品だが、1番の方が後に書かれ、より完成度が高い。2番は初恋の人への思いがあふれ、繊細な美しさが魅力だが、演奏時間が短く、難しいわりに効果が上がらない。

おまけに2番は縁起が悪い。過去のコンクールで2番を弾いて優勝したのは、第1回*1ヤコフ・ザーク(第2、第3楽章)と1980年のダン・タイ・ソンだけ。1990年の第3位(1位無し)の横山幸雄も、1995年の第2位(1位無し)のアレクセイ・スルタノフも2番のジンクスに阻まれた。とりわけスルタノフは、1989年クライバーン・コンクール優勝の大本命で、切々と訴えかけるような2番で聴衆を魅了したが、蓋を開けてみたら対照的に端正な1番を弾いたフィリップ・ジュジアーノと同率の2位だった。

1965年の覇者アルゲリッチも2番を用意していたが、周囲のすすめで直前に1番に変更したと伝えられる(それであのみごとな演奏というのは本当に驚かされる)。

いきおい、消極的な意味で2番を選択する人が多い。ダン・タイ・ソンはオーケストラとの共演経験がまったく無く、短いほうが楽だろうと2番を選んだ。横山も第17回のリシャール=アムランも、コンクールの時点では2番しかレパートリーに入っていなかった。

第17回の場合、81名の本大会出場者のうち2番を申告していたのは21人だから、ほぼ4分の1。「イタリアの抒情詩人」ルイジ・カロッチア、「フランスのグールド」オロフ・ハンセン、「中国の哲学者」チェン・ザンなど個性派ぞろいだったが、枕を並べて討ち死にしてしまい、10人のファイナリストのうち、アムラン一人が2番を弾くことになった。

次点のディナーラ・クリントンも2番の予定だったので、彼女が進出していれば事情は変わったと思うが、明らかにオーケストラが準備不足。リハーサルに立ち会った関係者の情報によれば、第1楽章を通したところでオケの部分練習が始まってしまい、アムランはずっと待っていたという。

1番を選択したチョ・ソンジンも、リハの時とはうって変わってテンポが遅く、重くなったオーケストラに悩まされたが、「肝心なのはソロ・パートだから」とマイペースを貫いたのが功を奏した。1960年の優勝者ポリーニの例を引くまでもなく、1番ならピアノがイニシアティヴを取っても何とか形になるが、2番はアンサンブルの要素が多く、よりコミュニケーション能力が求められる。

室内楽が得意なアムランはオーケストラが出やすいように拍をマークしたり、指揮者とアイコンタクトを取ったり、彼の長所を存分に発揮していたが、ただでさえ重圧のかかる本選で余計な神経を使ったぶん、やや消耗してしまったような気がしてならない。

 

出典:https://ondine-i.net/column/3561

 

 ベトナム人初の優勝者として話題になったダン・タイ・ソンは「オーケストラとの共演経験がまったく無く、短いほうが楽だろうと2番を選んだ」のだという。これにはびっくりだ。

 しかしマルタ・アルゲリッチの場合は違う。私は「アルゲリッチといえば2番」というイメージを持っていた。というのは、1980年前後に彼女が小沢征爾指揮のバックで2番を演奏したFM放送をエアチェックしたことがあって、それによって2番にもそれなりの良さがあることを初めて認識した思い出があるからだ。だから「アルゲリッチも2番を用意していたが、周囲のすすめで直前に1番に変更したと伝えられる」という話には、さもありなんと思わされた。

 そういえばアルゲリッチベートーヴェンでも2番の協奏曲を偏愛していた人ではなかったか。そういう特別な感性があの人にはある。私はアルゲリッチとの相性は必ずしも良くなく、これは素晴らしいと思う演奏(ラヴェルの「夜のガスパール」やハイドンのピアノ協奏曲ニ長調、バッハのパルティータとイギリス組曲のそれぞれ第2番など)と全然合わないやと思わせる演奏の両極端があるが、個性的であることにかけては特別なピアニストだ。

 なお「アルゲリッチ」という日本語表記を世に広めた一人が前記の吉田秀和で、彼はアルゲリッチに直接聞いたのだという。Wikipediaを参照すると、日本では最初「アルゲリッヒ」というドイツ風の読みをしていたが、NHKは(今もそうだと思うが)「アルヘリチ」というスペイン語読みを採用していた。しかし、アルゲリッチのルーツはスペインであってもカタルーニャ地方であり、当地の読みでは「アルジェリック」になる。しかし本人はそのいずれでもない「アルゲリッチ」という発音を気に入っているのだという。吉田秀和は上記の最後の結論部分だけをわれわれに伝えてくれていたのだった。それにしても、自分の姓の読み方まで自分の好きなように決めるとは、なんという自由奔放さだろうか。

 そのアルゲリッチも今年80歳の誕生日を迎えた。私が知った頃は彼女は30代で見事な黒髪の持ち主だったが。もうだいぶ前からすっかり白髪になっている。

*1:第3回(1937年)の誤記。なお第4回の開催は1949年で、12年も間が空いたのは第虹世界大戦の影響だろうと思われる=引用者註。