KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

モーツァルトが母の死の悲しみを込めた(に違いない)ヴァイオリンソナタK304とピアノソナタK310/モーツァルトは母が死んだ当日、父と姉に母の重病を知らせる手紙を書き送った/大江健三郎『万延元年のフットボール』を読んだ

 この週末は大江健三郎吉田秀和を再発見というか、大江に関しては新発見した。このことによって、一昨日と昨日の土日は、いつまで続く(続けられる)かは全くわからない今後の人生において大きな転換点になるかもしれないと思った。

 まず大江健三郎については、彼が亡くなった今年、2023年中に1冊は読もうと思っていたが、7月下旬に小川町の三省堂書店仮店舗で買った『万延元年のフットボール

講談社文芸文庫1988, 単行本初出講談社1967)をようやく読了した。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 最初は第1章をほとんど読み進めることができず、そののちにようやくエンジンがかかってきたかと思いきや、全体の4割くらいに至るまでは読むのにやはり難渋して、また仕事のために時間がとれなかったためもあってなかなか読書が進まなかったが、仕事がプチ一段落した*1金曜日の夜から土曜日の夜にかけてラスト10頁を除いて読み終え、日曜日に残り10頁と加藤典洋が書いた解説文や「作者案内」などの巻末の資料を読んだのだった。

 私にはこの小説を論評する能力はないので、読んで感心した下記の書評にリンクを張る。本作が村上春樹と絡めて論じられている。

 

satotarokarinona.blog.fc2.com

 

satotarokarinona.blog.fc2.com

 

 私は村上春樹に対してもそうだったが、大江健三郎に対しても、1988年頃に初期作品を集めた下記新潮文庫を読んでピンとこなかったことを理由(口実)にして、これまでずっと「食わず嫌い」をしていたのだった。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 しかし、『万延元年のフットボール』を読み終えた今、その態度は誤りだったと遅まきながら認めざるを得ない。著者にとって「乗越え点」だったというこの作品は、村上春樹でいえば私が 2012年に初めて読んで数年前にも読み返した『ねじまき鳥クロニクル』(1995)に対応する作品かもしれない。なお私が村上を敬遠する理由になった(口実にした)のは、初期の『風の歌を聴け』(1979)と『1973年のピンボール』(1980)だった。後者のタイトルが大江の『万延元年のフットボール』のもじりだったことを、村上は2021年にラジオ番組で認めたという(Wikipediaによる)。

 『読書メーター』を開いてみると、新しい順に2番目のレビュアーが

読後の衝撃たるや。それは深部に残り続けるだろうと思います。

と書いているが*2、私も同じ感想を持った。

 それと同時に、「また『衝撃』で人さまと感想が一致したか!」と思った。

 というのは、昨日モーツァルトの初期作品に関する長い長い下記リンクの記事をようやく脱稿して公開したあと、昨夜9時台から11時台にかけて視聴した下記2つのYouTubeの動画を見て、上記と同じ思いをしたばかりだったからだ。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 私は前記リンクのブログ記事に以下の文章を書いた。

 

 この番組は1979年度までは日曜日の夜11時から1時間番組で放送されていた。私hが初めて聴いたのは、前述の千藏八郎氏のクラシック音楽入門番組を聴いた直後だっただろうか、確か1975年の8月か9月だったはずで、その頃にも「モーツァルトの音楽と生涯」をやっていたはずだが、75年の晩夏の時期にはケッヘル300番台初めのヴァイオリンソナタをやっていた。特にホ短調のK304に大きな衝撃を受けた。このK304と対をなす音楽がK310のイ短調ピアノソナタだが、この2曲はこの半世紀近く変わらぬ愛情を持って接してきた、私にとっては特別な音楽だ。K310はなかなかNHK-FMにかからなかったが、晩秋の勤労感謝の日だったかの早朝に放送された。確かリリー・クラウスの演奏だった。これを当時はなかなかできなかった早起きをしてエアチェックした思い出がある。吉田秀和の番組ではそのあとに確かエミール・ギレリスの演奏で聴いた記憶がある。両者の演奏はずいぶん違っていて、演奏者によって曲の印象が大きく変わることを初めて実感した。番組は1979年にレクイエムを放送して終わったが、そのあと放送時間帯が日曜朝に変わったのは1980年度からだっただろうか。またケッヘル1番から始まったことには驚いた。だが放送時間帯が変わったためもあって、中学から高校生時代のように毎週聴く習慣は失われた。

 

URL: https://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2023/11/12/153452

 

 私が毎週聴いていたのは引用文の通り1979年末*3にいったん終わった「モーツァルトの音楽と生涯」のシリーズだったが、現在では放送内容を文字起こしした本も出版されているらしい1980年開始の二度目のシリーズも、前回のシリーズで聴けていなかったK300以前まではできるだけ聴くようにしていた。またブログ記事で触れたK304とK310の2曲には特別な思い入れがあるので、この2曲が放送された回は必ずや聴いたはずだ。それがYouTubeチャンネルの最新の2回にアップロードされていた。それが下記2件のリンクだ。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 この2曲に関する吉田秀和の解説は今聴いても感心するばかりだ。

 ただ、放送で選ばれたレコード(当時)は1970年代とは違う。1983年はK310ではアンドラーシュ・シフのピアノ、K304はシェリングのヴァイオリンとヘブラーのピアノにによる演奏がそれぞれ選ばれていた。1975年の放送時には確かK310がギレリスで、K304はもしかしたら歴史的名盤とされたアルテュールグリュミオークララ・ハスキルによる演奏だった可能性があるが他の演奏だったかもしれない。

 私が「おおっ」と思ったのは上記2件目の動画に作成者が書いていた文章だ。

 

97 回視聴  2023/10/06

 

私(作成者)が最も印象に残っている(衝撃のようなものを受けた)回です。パリでのモーツァルトの母の死といったものを知らなかったですし、その手紙のことも知らなかったからです。(それはたぶん次回にもつながっていくのでしょうが・・・)。 ぜひ、手紙のところを聴いていただけたらと思います。37:11

 

また、一曲目のヴァイオリン・ソナタについて、吉田先生は

「僕はヴァイオリン、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタのなかでも、特別好きな作品の一つ、としてかねがねこの曲をよく聴いてます。」

と言われているのも今回改めて聴いて知ることができました。

 

1983年2月20日NHK-FMで放送されたものです。

著作権については、著作権者にありますので、このチャンネルで発生する収益については、youtubeを通じて著作権者に渡ることに同意しています。

違法ではありませんので、安心してチャンネル登録していただけると思います。

 

また、エンドテーマは、ロシアの著作権の関係で、ピアノ:内田光子、指揮ジェフリー・テイト、演奏:イングリッシュ・チャンバー・オーケストラの演奏に差し替えています。

 

収録曲

K. 296                       ピアノとヴァイオリンのためのソナタ (第24番) ハ長調

K. 304   ( 300c )      ピアノとヴァイオリンのためのソナタ (第28番) ホ短調

K. 265   ( 300e )   きらきら星変奏曲   ハ長調

       「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲

 

 私は1975年に吉田秀和の解説で、K304やK310と母の死との関係を教えてもらったのだった。75年の放送でモーツァルトが父に宛てて書いた手紙(パリで母が死んだその日に、死んだ、とではなく病気が重い、と書いて故郷・ザルツブルクに住む父や姉に心の準備をさせた内容)が読まれたかどうかは覚えていない。ただひたすらモーツァルトの音楽に衝撃を受けた。なおK304とK310とを比較すると、より生々しい感情が込められているのはK304の方だと思う。

 上記動画には下記のコメントが寄せられている。

 

@user-nz1yo4lh9o

 

名曲の楽しみ モーツァルトは2回放送されています。私は1回目の時は楽しみに聴いていましたが、2回目は聴けませんでした。

K296は1回目の時にも好きな曲だと言っていました。

K304は若い頃聴いてわーっと感じたと言っていたと思います。それだけ印象に残っているのでしょう。

きらきら星変奏曲は最近だとウィーンに行ってから1781年頃作曲されたものとされているようです。

パリで作曲されたものという刷り込みが強くてなんかついていけない感じがします。

作曲された時期ではなく曲が良ければいいのですが、割り切れない感じがします。

 

 1975年の放送で吉田秀和がK296のヴァイオリンソナタが好きだと言っていたことは私も覚えている。ただその当時の私はK296がそれほど優れているとは思わなかった。後年その評価を改めたけれども。K296は少しあとに書かれたK376〜380との6曲セットで出版されている。2つのヘ長調ソナタ(K376とK377)の間の2番目に入れられたらしい。この6曲では緩徐楽章が弦楽四重奏曲ニ短調K421の第4楽章と似た曲想の変奏曲であるヘ長調K377と冒頭の主題があまりにも印象的な変ロ長調K378の2曲を私は特に好んでいる。

 また「きらきら星変奏曲」に関しては幸か不幸か私には思い入れは全くないのだった。それどころか、モーツァルトにしてはつまらない曲だとの低評価を昔から下している。昨夜も番組で曲がきらきら星変奏曲になった途端に睡魔に襲われて寝てしまった。モーツァルトには良い、あるいは素晴らしい変奏曲も多いが、それでも変奏曲のジャンルではベートーヴェンに敵わない(つまり打率というか傑作の割合がベートーヴェンより低い)とも思っている。だから、1781年にウィーンで作曲された、つまり母の死とは何の関係もないと知っても全くなんとも思わない。

 しかしK304とK310は「きらきら星変奏曲」とは全く違う。ネット検索をかけて下記noteの記事を見つけた。

 

note.com

 

モーツァルトが感情を入れ込んだ作品

 

このようにモーツァルトの作品には個人的感情を作品に組み込んでいないと思うのです。短調の作品(交響曲第25番ト短調K.183や交響曲第40番ト短調K.550、ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466やピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491など)には短調ならではの暗さはありますが、悲しみを訴えるような個人の思いがあまり伝わらないのです。音楽の中に個人的感情を組み込まなかったのか。モーツァルト自身がどのような思いで作曲していたかはわかりません。

 

そんなモーツァルトの作品の中では、彼自身がこれほどまでに自分の感情を作品に乗せているものが2つあります。それはヴァイオリン・ソナタ ホ短調K.304とピアノ・ソナタ イ短調K.310です。この二つは他のモーツァルト短調の作品の中でも群を抜いて、個人の感情を強く楽曲に乗せているものだと思っています。

 

この作品たちが生み出された背景として、母であるアンナ・マリア(1720~1778)の死が関わってきます。

 

1777年にモーツァルトは就活のためにフランス、パリに母と一緒に旅立ちました。しかし、思うように就活はうまくいかず、そして1778年に母は病死。そんな悲しみの時代のさなか誕生した作品がこの2つのソナタです。聞いてみると他のモーツァルトの作品に比べても、悲痛な叫びともとれるような響き、メロディーをもっています。先程のシューベルトの作品と比べても同じくらい自身の感情を表しているかのように聞こえます。私が「母の死」という事実を知っているからそう聞こえるだけかもしれませんが、この事実を知らなくても悲劇的な作品に聞こえると思います。

 

母を失った悲しみ、就活がうまくいかない焦り、葛藤。そんな悲痛な日々を過ごしたモーツァルトの叫びともいえる思いがこの作品たちには組み込まれているような、そんな気がしています。

今回はヴァイオリン・ソナタ ホ短調K.304をピックアップします。

 

ヴァイオリン・ソナタ ホ短調K.304


この作品は全2楽章構成です。ホ短調というのはモーツアルトの作品の中でもほとんど使われていない調であり、他には「老婆」K.517という歌曲ぐらいしかホ短調は使われていません。ちなみにモーツアルト短調の作品は、ほとんどはニ短調ト短調ハ短調が大多数であり、他にはへ短調(自動オルガンのための幻想曲K.608など)、ロ短調アダージョK.540など)嬰へ短調(ピアノ協奏曲第23番K.488第2楽章)、イ短調(ピアノ・ソナタK.310など)が多少使われたぐらいです。

 

URL: https://note.com/ryosasaki0620/n/n21c3eb0edca3

 

 「ニ短調ト短調ハ短調が大多数」と書かれているように、普段短調の曲を書くときにはフラット系の調ばかり選んでいたモーツァルトが、なぜ母の死に際して調号のないイ短調やシャープ1個のホ短調を選んだのか。平均律の理論からいって調性に性格などあり得ないはずなのに、と私などは思ってしまうが、理由の1つに楽譜の見た目の印象があるのではないかとの仮説を持っている。つまりシャープ(嬰記号)は十字架に通じるというわけだ。実際ハイドンにはそのイメージがあったらしい。ハイドン弦楽四重奏曲ニ長調作品76-5の第2楽章ラルゴにシャープ6個の嬰ヘ長調を選んで「メスト」(悲しげに)という発想記号をつけている。またハイドン交響曲第102番変ロ長調の第2楽章をピアノ三重奏曲嬰ヘ短調の第2楽章に転用しているが、交響曲ではヘ長調だったのを半音高い嬰ヘ長調に移調している。そしてこの楽章は、同じ楽想のはずなのに交響曲とは全然違う悲しげな音楽に聴こえてしまうのである。おそらくその前後の楽章の曲想が交響曲の方は明るいのにピアノ三重奏曲の方は暗いためだと思われる。またバッハのマタイ受難曲の第1曲がホ短調であることやロ短調ミサ曲のキリエなど、ホ短調ロ短調を愛用したバッハのイメージも、モーツァルトや彼と同様に「ニ短調ト短調ハ短調が大多数」の短調の曲ばかり書いたベートーヴェン*4にはあったかもしれない。特にこの2人は徹底的にロ短調を避けた。モーツァルトには上記記事にあるK540の他にはフルート四重奏曲第1番K285の第2楽章くらいしか思い浮かばないし、ベートーヴェンに至ってはバガテル作品126-4という小曲くらいしかないのでは、と思ってネット検索をかけたら「ピアノ小品 WoO.61」という生前未発表の1821年の作品があるようだ。

 

note.com

 

 後世の作曲家でも、ブラームス交響曲第4番とクラリネット五重奏曲という晩年の暗い曲でホ短調ロ短調をそれぞれ選択しているが、彼らドイツ・オーストリアの古典派からロマン派にかけての作曲家になぜ「シャープ系の短調を忌避する傾向」がこれほど顕著に見られるのかは本当に不思議だ。繰り返すが平均律の理論に拠って立つ以上「調性に色はない」はずなのに。やはり楽譜の見た目かバッハくらいしか理由は思いつかない。

 話がそれたが、モーツァルトホ短調ヴァイオリンソナタK304とイ短調ピアノソナタK310が、彼の他の音楽には見られない、生々しい悲しみが込められていることは疑う余地がないと思われる。

 そして吉田秀和の2回目のシリーズで1983年にK304が放送された回を聴いたYouTubeの作成者さんが「衝撃みたいなもの」を受けのたと同種に、1975年に1回目のシリーズを聴いた私は衝撃を受けたのだった。

 今回の記事のタイトルを『万延元年のフットボール』や『1973年のピンボール』にちなんで『1975年のベースボール』にしようかと一瞬思ったが、思い直して止めた。1975年は読売の球団が最下位に落ちた、今までのところたった1回の記念すべき年ではあるのだが、この記事のタイトルに読売を紛れ込ませる気にはどうしてもなれなかったからだ。

*1:といっても今後1か月ほどはまたしてもきわめてハードな状態が続く。

*2:https://bookmeter.com/reviews/116866318

*3:あるいは1980年3月だったかもしれない。記憶は確かではない。

*4:但しベートーヴェンの場合はその比率はモーツァルトほど極端ではない。