KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

モーツァルトの「フルートソナタ ヘ長調 K13」は、超天才作曲家が8歳にして書いた奇跡的な音楽ではあるが、後世の音楽家によって派手に改変されていた

 2023年はまだ50日ほど残しているが、CDショップに行く頻度がここ数年ではもっとも多く、といっても2か月に一度くらいのペースだが(近年は年に1度しか行かないか、さもなくば全く行かないかのペースだった)、主にクラシック、一部にジャズのCDを買って聴いた年だった。

 年の最初は買い替えたiMacにつけた外付けDVDプレーヤーの動作確認のためにゴルトベルク変奏曲を聴き直したことからバッハにハマり、そのバッハを敬愛した坂本龍一が3月に亡くなったことでバッハ熱がさらに増した。初夏以降には、亡父が生前に買った最後のCDと思われるフルトヴェングラーベートーヴェン交響曲全集を聴き込み、トルストイの小説を読んだことから「クロイツェル・ソナタ』をはじめとするベートーヴェンのヴァイオリンソナタの一部の曲*1、さらにはアンドラーシュ・シフ*2が2000年代半ばに録音したベートーヴェンのビアのソナタ全集を、こちらは全曲盤ではなく少しずつ買い溜めて聴くなど、ベートーヴェンを中心的に聴くようになった。ところが10月にアメリカのユダヤ人ピアニスト、マレイ・ペライアが1970年代から80年台にかけて録音したモーツァルトのピアノ協奏曲全集12枚組の輸入盤が3千円台半ばで売られていたので、円安の今でもこんな値段で買えるんだなあと思って買って聴いたところ、思いのほか良かったので現在はこれを中心に聴いている。

 モーツァルトのファンならご存知だろうと思うが、モーツァルトで本当に他の作曲家(これは特にベートーヴェンを指しての話だろう)を圧倒して良いと思われる曲種は、オペラとピアノ協奏曲だと言われている。たとえば吉田秀和(1913-2012)は、ヴァイオリンソナタでもベートーヴェンよりモーツァルトをより高く買っていた。私はヴァイオリンソナタでは両作曲家はほぼ互角だと思う。交響曲弦楽四重奏曲ピアノソナタの3つの曲種ではベートーヴェンモーツァルトを圧倒しているというのが私の評価だ。しかし確かにピアノ協奏曲ではモーツァルトベートーヴェンを上回る。それはたとえば同じハ短調モーツァルトの第24番K491とベートーヴェンの第3番作品37とを比較すれば明らかだろうと思う。

 そんなこともあって、モーツァルトのピアノ協奏曲集はこれまれもルドルフ・ゼルキンクラウディオ・アバドと組んだドイツ・グラモフォン盤やマリア・ジョアン・ピリスが若い頃のフランス・エラート盤などの選集を輸入盤で買い込んで聴いていたが、それらは全曲盤ではないのでモーツァルトが若い頃の曲を中心に何曲か欠けていた。そのうち第1〜4番はモーツァルトが幼い頃に他の作曲家の作品を寄せ集めて編曲した習作なのでなくても良いのだが、ペライア盤にはその第1〜4番や3第ピアノのための第7番、2台ピアノのための第10番*3を含む全27曲が収録されているので、値段も安かったことでもあり、迷わず購入したのだった。演奏を聴いて、1947年生まれのペライアの演奏が本当に良かったのはこの全集を録音した1970〜80年代だったのではないかと思った。

 しかし今回はそれらモーツァルトの中期から後期のピアノ協奏曲ではなく、前述の他の作曲家の作品を編曲した第1〜4番を聴いて思い出した、それらの作品をモーツァルトが書いた(編曲した)頃よりもっと幼かった8歳の頃に書いたソナタの話をする。

 というのは、モーツァルトのピアノ協奏曲第1〜4番は予想通りそんなに面白い作品ではなかった。唯一私の耳をある程度引きつけたのは、ト短調で書かれた第4番の第2楽章であり、これはヘルマン・フリードリヒ・ラウバッハという人のヴァイオリンソナタ作品1-1からとられているとのことだ。

 だが、短調の緩徐楽章ならモーツァルトは8歳の時にK13のいわゆる「フルートソナタ」で既に書いているではないかと思い出したのだ。

 そのK13のフルートソナタを初めて聴いたのはおそらく1975年夏で、夏休みに子どもなどのクラシック音楽初心者を対象に想定したと思われるNHK-FMの番組で、千藏八郎氏(1923-2010)の解説とともに聴いて、モーツァルトは今の日本なら小学校2年生の年齢でもうこんな音楽を書いたのかと驚愕した。その印象はあまりにも鮮烈だった。その頃はこちらもまだ中学生だったのだが。

 しかもこの曲の第1楽章は、家から離れているためにたまにしか行かなかった阪神間のさる本屋に行くと、よくBGMで流れていたのだった。この書店で流れていたBGMで他に思い出深い曲としては、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調の終楽章のロンドがある。本屋で耳にした頃にはバッハの曲だとは知らなかったが、翌年に服部幸三氏(1924-2009)か皆川達夫氏(1927-2020)、おそらくは服部氏が解説するバロック音楽のFM番組で、バッハの曲であることを知った。これに対してモーツァルトの方はNHK-FMで知った方が早かった。

 

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 これは3拍子の舞曲によるロンドで、オーケストラが演奏する舞曲の間にソロが活躍する部分が何度か挟まれる構成の音楽。ネットで調べたところ、舞曲はイギリスにルーツを持つジーグらしい。このヴァイオリン協奏曲第2番はバッハの音楽の中でも早くから人口に膾炙(かいしゃ)した曲だったとのことで、この爽快なロンド主題は実に印象的だ。

 モーツァルトのK13もそうで、これはロンドンで書かれた6曲のソナタ中の第4曲だが、それまでの3曲がなんということもない音楽だったのに、モーツァルトはここで突然大きな飛躍を遂げた。これは天才にはしばしば見られる現象で、ベートーヴェンの若い頃の作品でいえば悲愴ソナタピアノソナタ第8番作品13)がその例だろう。だが同じ13番という番号を持つソナタであっても、8歳のモーツァルトと28歳のベートーヴェンとでは年齢がかけ離れている。なお、モーツァルトの方はいうまでもなく後世の音楽学者・ケッヘル(1800-1877)が勝手につけた、モーツァルトの与り知らない番号だ。「ケッヘル」はおそらく今の人だったらよりドイツ語に近い「ケッヒェル」の表記が用いられたに違いない。

 この「ケッヘル13番」に関する興味深いブログ記事を発見したので以下に引用する。

 

ameblo.jp

 

このケッヘル13番のフルートソナタ、度々、いかに8歳のモーツァルトが、類を見ない大天才であったかを証明するため引き合いに出される作品の一つです。特に上昇、下降の音階を塩梅良く散りばめた第三楽章など、A~B~Aの三部形式が採用され、そのメロディーラインも素晴らしく、揺るぎない構成をも示しています。

 

その証拠に、フルトヴェングラー指揮のベルリンハーモニーの時代の首席フルーティストだった オーレルニコレさんが、この曲にマジに取り組み、1970年ドイツ グラマフォンにそれを録音したのが、きっかけとなって、全世界数十億人の人々にこの愛らしいソナタが、広まって行ったと考えられています。

 

ただ、子供のモーツァルト、自分一人で100%この偉業を達成したと考えるには、やはり無理があります J.Sバッハの息子、クリスティアン バッハの手厚い指導があったとみなすのが自然でしょう。

 

さて、このKV13は、フルートを学ぶ子供たちの必須科目で2年位経って、実力が、中級のレヴェルになった子供たちは、先生から「今度の発表会は、ケッヘル13にしましょうね」と言われることが多いと聞きます。

 

もし、キムタクの娘さんで、プロフルートプレーヤーを目指し桐朋学園音楽大学に通っていらっしゃる木村心美さんが、この作品をレパートリーに入れてくださればブロガー冥利に尽きるというものです。

 

更に、モダンジャズ界きってのNo.1フルーティスト、ヒューバートローズさんもこのソナタをこよなく愛していて録音しています。

 

最後にこれまで世界中で30億人が、観たといわれる大ヒット映画、ライアン オニール、アリ マッグロウ主演のある愛の詩、ここにも秘かにこの、ケッヘル13が使われているのです。日本でこの事実を知っているのは、私を含め500人に満たないでしょう。

 

URL: https://ameblo.jp/galwayera/entry-12684903259.html

 

 ブログ主さんは「galwayera」と名乗られているので、おそらくイギリスのフルーティストであるジェームズ・ゴールウェイ(1939-)と同世代の方ではないかと思われる。このゴールウェイは私の中学生時代には既に新進気鋭のフルーティストとして知られていた。元ヤクルトスワローズのマクガフ投手と同じくアイルランド系の人らしく、ジェームズと同じフルーティストである妻はアメリカ出身とのこと。ゴールウェイはギャルウェイとも読むようだが、姓の読みがアイルランド、イギリス、アメリカのいずれによればゴールウェイだったりギャルウェイだったりするのかは全く知らない。

 

このKV13は、フルートを学ぶ子供たちの必須科目で2年位経って、実力が、中級のレヴェルになった子供たちは、先生から「今度の発表会は、ケッヘル13にしましょうね」と言われることが多い

とのことだが、私がそうでもあろうかと長年想像していたまさにその通りのことが書かれた文章だったので、読んでうれしくなってしまった。

 モーツァルトを教えたクリスティアン・バッハの手が相当入っているはずだとの推測もおそらくその通りだろう。だがそのクリスティアン・バッハの詩を悼んでモーツァルトが冒頭の主題をそっくり引用したというピアノ協奏曲第12番の第2楽章などを聴くと、楽章全体としては美しい音楽だけれどもクリスティアン・バッハが書いたという主題はやはりやや平凡だなと思わずにはいられない。

 上記ブログ記事には、若いセルビア人女性がフルートを吹いたモーツァルトのK.13の動画が埋め込みリンクされている。それを下記に示す。

 

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 ところが、この動画には下記のコメントがついている。

 

@toma1610

The parts are inverted. The original is not like that.

 

 「パートが反転されている。(モーツァルトの)オリジナルはあのようではなかった」と書かれている。

 調べてみるとその通りで、しかもその犯人はクリスティアン・バッハなどではなかった。フランスの稀代の大フルーティストだったマルセル・モイーズ(1889-1984)の子でもあったルイ・モイーズ(1912-2007)が犯人だった。親子とも95歳まで生きた長命の人だが、こちらもフランス語の発音だと「モワーズ」の方が原語に近いようだ。但し、息子のルイの方はオランダ・スヘフェニンゲンの出身だそうで、あるいはスヘフェニンゲンではモイーズとの発音の方が近いのだろうか。例によって私には全然わからない。なおスヘフェニンゲンはScheveningenと綴り、英語式の発音では「スケベニンゲン」とも聞こえるらしく、日本ではこのカタカナ表記で「変な地名」としてたまに話題になる。Wikipediaには「スヘーヴェニンゲン」との読みが併記されている。このあたりはやはりオランダ系であるらしいベートーヴェンが正しいのかベートホーフェンと表記すべきなのかという話を思い出させる。

 そのスケベ人間だったかどうかは神のみぞ知るルイ・モイーズは、どうやらオリジナルではクラヴィーアが弾くように指定されていた冒頭の旋律をはじめとして、多くの声部をフルートに吹かせるように原曲を改変したようだ。根拠は下記リンクのサイトの記述。

 

★解題★

 

 モーツァルトの初期フルートソナタ(KV10~15)は、彼が8歳のとき(1764年ごろ)に作曲され、イングランド女王に献呈されました。そしてルイ・モイーズによって独奏フルートにオリジナルにおけるよりも重要な役割を与えるよう編曲され、幾多のすぐれたフルート奏者がモイーズ版を用いてきました。この版では、モイーズ版を底本としつつ、原典に対する忠実度を高めるため新モーツァルト全集も参照して編曲を行ないました。

 

 これらのソナタは天才の若書き(幼書き?)と言うにはあまりにも完成度が高く、しかも、成年以後にはむしろ見出しがたくなった伸びやかな勢いを持つ、不滅の名曲です。

 

 

★解説★

 

ヘ長調 K.V.13

 6曲中、もっともよく演奏される作品かも知れません。モーツァルトが晩年までずっと偏愛した下降音型の主題を持つ第1楽章、淡々とした不思議な味わいの第2楽章、半音階的主題を持つ速いメヌエットの第3楽章から成り、変化に富んだ傑作です。

 

 第1楽章はアレグロ、4分の2拍子。冒頭の主題はモーツァルトが生涯通じて何度使ったかわからないほど愛したモチーフですが、もしかするとこの曲が「初出」ではないでしょうか。この曲ではトリルを折り込んで切れ味鋭いメロディーになっています。展開部では短調の厳しい表情も垣間見せます。

 

 第2楽章はアンダンテ、4分の4拍子の長大な楽章です。ジグザグ音階を基調とする低音に乗って、短調の、ちょっぴりもの悲しいメロディーが繰り返し歌われます。何となく聞き流していたりするとモノトーンな音楽に聞こえかねませんが、実は和声の変化や転調によって音楽の色合いが微妙に移り変わっていく、なかなか味のある音楽です。RJP版の伴奏と演奏例では後半のリピートを省略しました。

 

 第3楽章はメヌエットで、比較的速いテンポが合うと思います。半音階を駆使したテーマの第1メヌエットと、ニ短調で分散和音を駆使したメロディーの第2メヌエットの対照も鮮やかな、可憐な音楽です。

 

URL: https://www.recorder.jp/flute/fm304.htm

 

 ルイ・モイーズによる原曲の改変は、上記セルビア人女性の演奏と、近年校訂版が出版された楽譜に基づいたと思われるクラヴィーア(ピアノ)、ヴァイオリン、チェロの三重奏での「ピティナ ピアノチャンネル」による同曲の動画(下記リンク)とを比較すると一目ならぬ一聴瞭然だ。なお下記リンクの動画には第2楽章は含まれていない。

 

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 中学生の頃の夏休みに私がもっとも驚かされたのは第2楽章だった。ヘ長調ソナタの第2楽章にこのようなヘ短調を用いた音楽としては、後年のモーツァルト自身が書いたピアノソナタ第2番K280(1775)の他にハイドンの作品13-3(Hob XVI-23, 1773)、ベートーヴェンの作品10-2(1798)があって古典派の3大作曲家がピアノソナタを1曲ずつ書いているが、曲の成立時期からいってモーツァルトの2番がハイドンの23番に影響された可能性が少なからずある。しかし、もしかしたらハイドンモーツァルトが8歳の頃に書いたヴァイオリンまたはフルートの伴奏付きのクラヴィーアソナタを知っていたのではないか。そう想像したくなる。またモーツァルト自身のヴァイオリンソナタ変ホ長調K380の第2楽章(ト短調)がこの楽章の楽想が再び用いられた例だと指摘されることもある。

 第3楽章の半音階的メヌエットは、今回セルビア人女性の演奏を聴いて一番衝撃的だった箇所で、えっ、モーツァルトは8歳でこんな大胆な半音階の使い方をしていたのかという新鮮な発見があった。

 おそらく第1楽章は全曲でもっともキャッチーな音楽であり、冒頭の主題を聴いただけで「ああ、モーツァルトだな」と思わせるが、「モーツァルトが生涯通じて何度使ったかわからないほど愛したモチーフ」と書かれているので、どんな曲があったっけと思って真っ先に思い出したのはピアノのためのニ長調のロンドK485だった。

 

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 ソーファミレドの前にドミソがついても良いとかそういう条件緩和をすればまだまだ出てくるが、ソーファミレドで直ちに思い出せたのはこの曲だけだった。

 またK13の第1楽章第2主題の「ラーラシレドシラ」の音程はフルート四重奏曲第4番イ長調K298の第1楽章の変奏曲主題と(K298の前打音を除けば)音程およびリズムが同じだが、K13ではハ長調の第6音であるのに対してK298ではイ長調の主音から始まる「ドードレファミレド」と同じだが、固定ドで読むとともに「ラーラシレドシラ」になる(但しK298のドにはシャープがつく)。私がK298を初めて聴いたのはK13と同じ1975年だったから、これには初めて聴いた時に直ちに気づいた。

 

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 またK13の第2主題は「ラーラシレドシララーソ」と続き、これにはレからソまで一音ずつ5度下降する音型が含まれるが、これは第1主題の冒頭と同じなので統一がとれている。それにもかかわらず元気の良い第1主題と流麗な第2主題という対比は鮮やかであり、たとえクリスティアン・バッハの手助けがあったとしても、これほどの音楽を8歳の子どもが書けたとはおよそ想像に絶している。

 さて今回の記事を書くためのネット検索で一番のうれしい驚きだったのは、NHK-FMの「名曲のたのしみ」で1980年から毎週1回朝の1時間番組でやっていた「モーツァルト:その音楽と生涯」の何度か目のシリーズ第3回でK13が取り上げられた回をエアチェックしていた方がYouTubeに音声のファイルをアップロードされていたことだ。

 

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 この番組は1979年度までは日曜日の夜11時から1時間番組で放送されていた。私hが初めて聴いたのは、前述の千藏八郎氏のクラシック音楽入門番組を聴いた直後だっただろうか、確か1975年の8月か9月だったはずで、その頃にも「モーツァルトの音楽と生涯」をやっていたはずだが、75年の晩夏の時期にはケッヘル300番台初めのヴァイオリンソナタをやっていた。特にホ短調のK304に大きな衝撃を受けた。このK304と対をなす音楽がK310のイ短調ピアノソナタだが、この2曲はこの半世紀近く変わらぬ愛情を持って接してきた、私にとっては特別な音楽だ。K310はなかなかNHK-FMにかからなかったが、晩秋の勤労感謝の日だったかの早朝に放送された。確かリリー・クラウスの演奏だった。これを当時はなかなかできなかった早起きをしてエアチェックした思い出がある。吉田秀和の番組ではそのあとに確かエミール・ギレリスの演奏で聴いた記憶がある。両者の演奏はずいぶん違っていて、演奏者によって曲の印象が大きく変わることを初めて実感した。番組は1979年にレクイエムを放送して終わったが、そのあと放送時間帯が日曜朝に変わったのは1980年度からだっただろうか。またケッヘル1番から始まったことには驚いた。だが放送時間帯が変わったためもあって、中学から高校生時代のように毎週聴く習慣は失われた。

 上記YouYubeは1980年4月27日放送分とのこと。シリーズ第3回の放送で、ロンドンで書かれた6曲のセットであるK10からK15のうち、最初の4曲が紹介された。K13は44分あたりから吉田氏の解説が始まり、内容的にいうと6曲の中でもっとも注目すべき作品だと吉田氏も言っている。

 そして、K10からK12までがヴァイオリンとピアノによる演奏が流されたのに対し、K13ではオーレル・ニコレのフルートと小林道夫のピアノによる演奏が流された。前記ブログ記事にこの曲にスポットを当てたのがニコレだと書かれていたし、小林道夫といえば以前ゴルトベルク変奏曲について書いた記事でも取り上げた大ベテランの奏者なので、おおっ、と思った次第。

 ただ、その演奏でニコレと小林はどうやらルイ・モイーズによる改変版で演奏していたようだ。これに対して1963年にジャン・ピエール・ランパルがロベール・ヴェイロン=ラクロワと組んで演奏した下記リンクの録音では、通奏低音のチェロこそ加わっていないものの第1楽章第1主題はチェンバロが弾いている。

 

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 しかしランパルらが原典版に近い楽譜に依拠しているかといえばそうではなく、そのあとのパッセージや第2主題は、前述のピティナの動画を参照すると原典版ではピアノが弾くはずなのにランパル盤ではランパルがフルートを吹いている。どうやらニコレと小林が用いたのとはまた別の改変版で演奏しているようだ。

 それに何より、ニコレもランパルも現代楽器で吹いているので、伴奏の小林道夫がピアノを弾いているニコレ盤はまだしも、ヴェイロン=ラクロワがチェンバロを弾くランパル盤では両者のバランスが悪くなっている。

 私は音楽評論家の宇野功芳(1930-2016)が大嫌いだが、彼が「バロック音楽のフルートを含む曲を現代のフルートで演奏するのは許せない」と言ったことにだけは強く共感する。バロック音楽や初期モーツァルトのフルートの曲はフラウト・トラヴェルソ(横笛)と呼ばれた頃の古楽器かそれを模した楽器で吹くに限る。特にモーツァルトの初期のソナタのように、フルート(やヴァイオリン)がオブリガートである作品でランパル盤K13のように冒頭の主題をチェンバロが弾いたりすると楽器間のバランスが著しく悪くなってしまう。どうしても現代楽器でやりたいなら、チェンバロではなくニコレ盤のようにピアノと共演すべきだ。現に小林道夫も主にチェンバロを弾く奏者だ。

 なおモーツァルトのK10から15までのロンドン・セットでは、K13に次いでは第5番K14のハ長調ソナタが比較的知られているかもしれない。吉田氏の番組の最後に流れていたのはこのK14の冒頭だろう。聴き覚えがあった。しかしこの曲の冒頭も原典版ではフルートではなくクラヴィーアが演奏したに違いない。こちらにはK13に対応するピティナの動画がなかったので、フルートが派手に活躍する動画を以下にリンクする。

 

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 しかし後世の人たちによる改変のともかく、このK14もK13で劇的飛躍を遂げたモーツァルトがその余勢を駆って書き上げた痛快な音楽だとはいえる。あるいは両曲の成立順はこの逆だったということはあり得るかもしれないが。

 栴檀は双葉より芳し、という諺の見本だろう。

*1:クロイツェルの他には第4〜6番。この3曲は調性の並びがイ短調ヘ長調イ長調となっているが、これは『クロイツェル・ソナタ』の3つの楽章と同じだ。そして『クロイツェル』のフィナーレはもともと第6番のフィナーレのために作られた音楽を転用したものであることはよく知られている。

*2:ハンガリー出身なのでシフ・アンドラーシュと表記しても良いが、彼は1987年にオーストリア、2001年にイギリスの市民権を取得し、かつ2011年の現在のハンガリーのオルバン・ヴィクトルが独裁する極右民族主義政権を批判した時に母国の右翼ナショナリストたちから猛批判を浴びたため、ハンガリーでは演奏会を開かないと公言している。従って、イギリス式に姓−名の順に表記する方が良いと思われる。

*3:第7番と第10番ではラドゥ・ルプー(1945-2022)が第1ピアノを弾いている。また第7番はモーツァルト自身が編曲した2台ピアノによる版により演奏している。