KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

三十数年ぶりにバッハの「ゴルトベルク変奏曲」にはまった(後編)/第30変奏「クォドリベット」は2つの古い民謡「キャベツとかぶ」と「長いことご無沙汰だったね、さあおいでおいで」の旋律とバッハの自虐ネタで閉じられ、美しいアリアが帰ってくる

 前回に続く、ゴルトベルク変奏曲の記事の後半。

 今回の記事を書くためにかけたネット検索で、バッハがゴルトベルク変奏曲を作曲するヒントになったと思われるドイツ北部・リューベックの作曲家、ブクステフーデの「アリア『ラ・カプリッチョーザ』による変奏曲」について書かれた浅田彰の文章に接した。2013年に書かれている。

 

realkyoto.jp

 

 以下に該当部分を引用する。

 

(前略)いま「ゴルトベルク変奏曲」を例に挙げたが、実は『Long Walk』の中心をなすブクステフーデの「アリア『ラ・カプリッチョーザ』による変奏曲」こそ「ゴルトベルク変奏曲」のモデルと考えられる。バッハの曲は、最初と最後のアリアおよび30の変奏、あわせて32のパートから構成されるが、ブクステフーデの曲も32のパルティータから構成される(バッハの場合、パルティータは複数のパートからなる組曲を意味するのに対して、ここでは個々のパートを意味し、最初のアリアを第一パルティータと数える)。これほど大規模なチェンバロ曲はブクステフーデの作品が初めてだろう。そして、ブクステフーデの使っているアリアの旋律が、「ゴルトベルク変奏曲」の最後の変奏にあたる「クオドリベット」に出てくるのである。バッハの大作に比べてはるかに素朴なこの曲の楽譜から、トリスターノが何と多彩な音楽を紡ぎ出していくことだろう! ライヴで聴くといっそうよくわかるが、一切ペダルに触れることなく端正な音楽を奏でることのできる的確なタッチ、そして抜群のリズム感が、その演奏を一貫して支えている。ライヴでは録音より大胆にコントラストが強調され、第3パルティータの弱音の美しさに息を呑むかと思うと、第5パルティータでは鋭いスタッカートにはっとさせられる。第10パルティータでは古雅なお引きずりのリズムがチェンバロを思わせるかと思うと、第31パルティータではダンパー・ペダルを踏みっぱなしにしてカリヨンのような響きを生み出す。繰り返すが、ブクステフーデの楽譜自体は、五線譜に書き起こされた形でもきわめて単純であり、そこからかくも多彩な音楽を紡ぎ出してくる、しかも、確かな様式感覚を維持し、恣意的と感じさせないとは、おそるべき才能と言うほかない。(後略)

 

浅田彰「トリスターノによるブクステフーデ再発見」2013年02月21日)

 

出典:REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » トリスターノによるブクステフーデ再発見

 

 この文章を読んだあとに渋谷のタワーレコードに行ってみたら、トリスターノという人の演奏ではなかったが、この曲とバッハのゴルトベルク変奏曲を収めたクリスティーネ・ショルンスハイムという人が弾いたCD2枚組が売られていたのでさっそく買って聴いた。

 

tower.jp

 

 このアリア「ラ・カプリッチョーザ」こそ、バッハがゴルトベルク変奏曲最後の第30変奏に盛り込んだ古いドイツ民謡「キャベツとかぶ」だ。

 ブクステフーデの曲は本当に素朴なものだ。ゴルトベルク変奏曲はまだ主題が32小節あり、前半の16小節で主調のト長調から属調ニ長調、後半で主調の平行短調であるホ短調を経てト長調に戻る転調があり、後世の世界中の音楽を制覇したといえる機能和声の音楽になっている上に前述のような転調で変化がつけられているので親しみやすい。しかしブクステフーデの変奏曲はバッハの曲よりはるかに短いけれども機能和声の時代の初期に作られている上に変奏曲のテーマ、すなわち「キャベツとかぶ」には転調がないこともあって、最初に聴いた時には単調な印象を受けて飽きてしまいそうになる。

 そういえば私は昔からルネサンスバロック初期の音楽が苦手で、しかも日本人でありながら邦楽が苦手だった。それはおそらく亡父が西洋のクラシック音楽のレコードばかりかけていたから幼い頃から機能和声の洗礼を嫌というほど浴びたせいに違いない。そう今になって思う。

 機能和声をどんどん複雑化させていったワーグナーその他の作曲家の苦悩は私のような素人にもある程度理解できたし、私は昔から20世紀の音楽にもずいぶんチャレンジしたので、福田康夫が好むバルトークや、現在悪評を買いまくっている志位和夫が好むショスタコーヴィチの作品の中にも好きな曲は少なからずある。しかしシェーンベルクが始めた12音音楽の良さがわかるまでには至らなかった。シェーンベルクは初期の弦楽六重奏のための『浄められた夜』でワーグナー流に機能和声を拡張した音楽から出発し、無調音楽を作曲して「表現主義」と呼ばれた時代を経て、1オクターブを構成する12の音を全部使った12音からなる音列(セリー)を操作するというパズル的な12音技法の音楽に到った。その時期のシェーンベルクの音楽は形式面では古典に回帰している。

 そのシェーンベルクの音楽論集を収めたちくま文庫を数年前に買って読んだが、それに長大なブラームス論が展開されている。シェーンベルクはその中でブラームス交響曲第4番の終楽章に言及して賛辞を呈した。

 この楽章は変奏曲形式で描かれており、8小節からなる短い主題が30回変奏され、最後に主題に基づく終結部(コーダ)がくる。最後の第30変奏はカノンになっており、主題の8つの音を含むとともにやはりカノンで書かれた第1楽章の終結部を再現させている。おそろしくパズル的な作曲手法であり、バッハの伝統を受け継ぐとともにシェーンベルクの12音技法の先駆けともいうべき音列操作が行われている。理屈っぽいドイツ人の面目躍如といったところだ。面白いのは、バッハはゴルトベルク変奏曲でずっと3の倍数の変奏でカノンを使ったのに最後の第30変奏だけは後述のように2つの民謡を用いた「クォドリベット」にしたのに対し、ブラームスはその第30変奏にだけカノンを用いたことだ。もしかしたらブラームスは第30変奏を書きながらゴルトベルク変奏曲を思い浮かべていたのではないかとの仮説に思い至った。もちろん証拠はないが、ネット検索をかけたところブラームスゴルトベルク変奏曲を熱心に研究していた事実があるらしいことを知った。

 なおさすがのクララ・シューマンブラームスの第4交響曲はよく理解できなかったらしい。しかしこの曲はそのマニアックな仕掛けを知れば知るほど面白いと思える音楽だと私は思う。その一方で晩年様式に近づきつつある作曲者の憂愁も思いっ切り込められている。その側面に対しては私はこの曲を初めて聴いた中学生時代から惹かれた。同様にクラリネット五重奏曲にも惹かれた。この曲の第1楽章と第4楽章の終わり方は露骨に第4交響曲をなぞっている。しかし晩年のブラームスにはクラリネット五重奏曲を第4交響曲のような理屈張った音楽にする力はもはや残されていなかった。その分憂愁は第4交響曲よりずっと深くなっている。でも人間の晩年の憂愁は中学生にも十分伝わる性質のものだ。そして私自身がいざ歳をとってみると、少なくとも今までのところはブラームスみたいに深い憂愁に襲われることはなかった。いや、昨年あたりから少しその気配が出てきたかもしれない。

 ブラームスが第4交響曲を完成させたのは52歳の1885年だったから、まだ力が残っていた。だからあのような知・情・意をすべて備えた音楽が書けたのだろう。ブラームス自身この曲を最高傑作に挙げていたそうだが、さもありなんと思える。中学生の頃はブラームスの音楽の中ではヴァイオリン協奏曲が一番好きで、交響曲の中では第2番が一番好きだったが、今ではこの交響曲第4番がこれらの曲に取って代わった。しかし私の大嫌いな音楽評論家の故宇野功芳はこの曲が嫌いだったらしい。

 これらの曲とは対照的に、中学生当時から今に至るまで私が大の苦手にしているブラームスの音楽が交響曲第1番だ。おそらくブラームスの中でももっとも人気の高い曲だが、あまりにもベートーヴェンに対して意識過剰なこの曲にだけはどうしても馴染めない。この苦手意識はおそらく死ぬまで変わらない。しかし私が嫌っていた作曲家の故山本直純が一番好きだったブラームス交響曲はこの第1番だったそうだ。山本直純が嫌いになったのは笹川良一日本船舶振興会のコマーシャルに出てきたからだ。時に1976年*1。当時から私は右翼が大嫌いだった。前述の宇野功芳も極右だった。

 シェーンベルクの話に戻ると、彼はユダヤ人だったためにナチスの迫害を逃れるべく1934年にアメリカに移住し、1951年にロサンゼルスで亡くなった。

 そのシェーンベルクの12音技法時代の音楽を私は今に至るもうまく聴けない。辛うじてラサール四重奏団の演奏で『浄夜』とカップリングされている弦楽三重奏曲作品45やグレン・グールドがピアノを弾いたピアノ協奏曲作品42が少し面白く聴ける程度だ。弦楽四重奏曲の第3番や第4番など、どこが面白いのかさっぱりわからない。1995年に大病をしたあとはこれらの音楽に挑もうとする意欲が起きなくなり、それを皮切りにクラシック音楽自体を聴くこと自体がどんどん減っていった。それが最近になってゴルトベルク変奏曲を三十数年ぶりに再発見し、それをきっかけにこれまでうまく聴けなかった古楽や西洋のクラシック以外の音楽にも接していこうかと思い始めたところだ。

 そのための課題の一つが、機能和声の呪縛からいかに自らの感性を解放するかだと考えている。

 これでやっとブクステフーデの音楽の話に戻った。ブクステフーデが変奏曲のテーマに選んだのが「キャベツとかぶ」という古い民謡だった。その変奏曲の下記noteに貼られた動画から一部を聴くことができる。単純素朴な音楽であることがおわかりいただけると思う。

 

note.com

 

 前回の記事にバッハがゴルトベルク変奏曲の前半最後の第15変奏を、受難曲を思わせる音楽で締めくくったことを書いた。

 実際、前回の記事に書き落としてしまったが、1991年にウィーンのアカデミー劇場で『ゴルトベルク変奏曲』と題された演劇が上演されたらしい。

 

www.nntt.jac.go.jp

 

 上記リンクによると、あらすじは下記の通り。

 

聖書を舞台化しようと苦闘する演出家と演出助手の楽屋裏コメディ。神とつかず離れずの愚かな人間の歴史がユーモアを交えて描かれる。

演出家ミスター・ジェイと演出助手のゴルトベルクは、神がこの世を創造した7日間を舞台化する作品の稽古を行っている。ところがなかなか思うように稽古が進まない。舞台装置は故障し、俳優たちはストライキに入り、ようやく再開しても、俳優たちは旧約聖書を勝手に解釈して演出家の言うことを聞かない。そこでミスター・ジェイは演出家の特権を利用して、あたかも神のように振舞いながら、ゴルトベルクにキリストの処刑の再現を命じる。ゴルトベルクは文字通りゴルゴタの丘の磔になり、キリストのように処刑される山場を迎えるのだった。

(新野守広)

 

URL:https://www.nntt.jac.go.jp/centre/library/society/list/de04.html

 

 ゴルトベルクが「文字通りゴルゴタの丘の磔になり」という場面では、もしかしたら音楽が流され、それはバッハのゴルトベルク変奏曲の第15変奏か、さもなくば後述の第25変奏のどちらかだったのではないかと私は想像する。大穴としてもう1つの短調の変奏である第21変奏もあり得るけれども。

 でも、この劇も「楽屋裏コメディ」だったのである。

 バッハの音楽には多面性があると思うが、あたかもそのことと対応するかのような劇の設定だ。ゴルトベルク変奏曲自体も、何もかしこまって聴かなければならない音楽などでは全くない。第15変奏も世俗的な解釈で聞いたり弾いたりしても全く構わないと私は考える。

 第15変奏とは対照的に輝かしいフランス風序曲で始まる後半は、前述の第25変奏(や第21変奏)のような例外的な変奏もあるけれども、全体としては前半よりも解放的な音楽になっている。

 このあたりに関して、前回も引用した『人間学工房』に2020年に連載されたピアニスト・高橋望氏の「ゴルトベルク変奏曲への旅」の第8回から以下に引用する。

 

www.ningengakukobo.com

 

前半と後半の違い

 

 演奏時間の合計は、前半も後半もほぼ一緒ですが、音楽の質は前半と後半で少し異なるように感じます。最初に演奏していた頃には、よくわかりませんでしたが、演奏しつづけていくと、前半は音と音の合間の隙間がなく緻密で、細密に音が織り上げられていることがわかりようになりました。

 

 特に第1変奏から第15変奏までは、一寸の隙間もなく音が敷き詰められている印象で、演奏者にあまり自由が与えられていません。

 

 それに比べて後半(第16変奏以降)に入ると、音と音の合間に隙間が増え、より自由に演奏できる変奏が多くなります。いわゆるタメを効果的につかって演奏できる変奏が増えるのです。そして、長大な第25変奏が終わってからは、頂上が見えてきて第30変奏まで一気に駆け上ることもできます。

 

 前半より後半の方がより思い切った演奏ができることを考えると、後半にむかって自然と盛り上がるように全体がつくられていることがわかります。

 

URL:https://www.ningengakukobo.com/single-post/goldberg08

 

 このあたりは私のように鍵盤楽器が弾けない聴くだけの人間にもわかる。まず、第16変奏のフランス風序曲の後半から第19変奏までは、その前の第15変奏とは対照的に開放的な気分に満ちている。

 そういえば昔、大阪の朝日放送(ABC)ラジオがやっていた「ヤングリクエスト」という深夜番組、これはクラシックとは全く無縁の主に歌謡曲を流す番組で、実際には「ヤング」よりも高年齢層のトラックのドライバーたちがよく聞いてでもいたのか、ヒットチャートとは相当に違って森進一などの演歌がリクエストの上位の常連を占めるような不思議な番組だったが、その番組のあるコーナーのBGMに、おそらくグレン・グールドが1955年に録音したゴルトベルク変奏曲の旧録音から第17変奏の終わりの方と第18変奏の初めの方が流されていた。その番組を聞いていた頃の私はゴルトベルク変奏曲を知らなかったのだが、1981年9月にNHK-FMが5日間にわたって組んだグールドの特集番組でゴルトベルク変奏曲の旧録音を聴いて、あっ、これがヤンリクに使われていたのかと気づいたのだった。NHK-FMの番組が放送された頃にはグールドは存命だったが、1981年録音の新盤が発売されたのは翌1982年9月であり、その直後の1982年10月4日にグールドは50歳の若さで急逝した。それはともかく、歌謡曲のリクエスト番組に使われるくらい、第17変奏や第18変奏はリラックスした気分の変奏になっている。

 ところで、ゴルトベルク変奏曲の区切りは何も前半と後半だけではなく、5曲単位でも区切れることを前記ピアニストの高橋望氏は指摘している。

 

www.ningengakukobo.com

 

 3曲ずつのまとまりをもって作曲されていますが、ど真ん中の、第16変奏に序曲の表示があるので前後半の2つに分けることも可能です。私にとっては、3曲ずつより5曲ずつのまとまりで捉えた方が演奏しやすいです。

 

URL:https://www.ningengakukobo.com/single-post/goldberg02

 

 確かにそうかなと思ったのは、これも今年に入ってゴルトベルク変奏曲を再発見してから買ったアンドラーシュ・シフの1982年録音の旧盤で、第10変奏の終わりにシフが大休止を入れているのを聴いた時だった。そして、3でも5でも割り切れる第15変奏が大きな区切りになっている。

 後半では第16変奏から第19変奏までが開放的な変奏曲群だが、このグループは技巧的な第20変奏でいったん区切られる。そしてそれに続く5つの変奏のうち最初の第21変奏と最後の第25変奏が短調の変奏曲になっている。つまり第20変奏と第21変奏との間に大きな変化があるといえる。さらに特徴的なのは第25変奏とそれに続く第26変奏だ。以下に高橋望氏の文章を三たび引用する。

 

www.ningengakukobo.com

 

第25変奏 2段鍵盤で

 

 全曲中、最も規模の大きい変奏。アダージョ(「ゆったりと」という意味)の表示があります。3回目のト短調の変奏ですが、沈鬱でもおどろおどろしくもない、心の深奥からの嘆きが感じられます。イエスの受難を見た天の嘆きかもしれません。 心の襞に入ってくるような複雑な表情は、冒頭3小節の中に1オクターヴの中の全ての音(12音)を使用しているゆえだと思います。(譜例3参照*2

 

 深い哀しみと共に曲を終わらせることもできたかもしれませんが、バッハはイエスに同情しつつも、何とかなるさ!という面も持っていたのではないかと思わせるのが、次の変奏です。

 

第26変奏 2段鍵盤

 

 ここでト長調に戻ります。手の交差の難しい、しかし陽気なこの変奏を弾くと、バッハは意外にも楽観主義者だったのではないかと思うことがあります。第1回で説明した通り、この変奏はヘンデルシャコンヌに似ている部分があり、私はヘンデルへのオマージュと解釈しています。

 

URL:https://www.ningengakukobo.com/single-post/goldberg07

 

 つまり、深い哀しみを込めた第25変奏が終わると、バッハは気分を一新させてクライマックスへと駆け上がっていくのだ。

 ここで、ゴルトベルク変奏曲の区切りにはもう1つの説があることに触れておきたい。これはこの記事を書くためにかけたネット検索で知ったことだ。それを指摘したのは、今年1月に90歳の誕生日を迎えたチェンバロ奏者の小林道夫氏だった。

 小林氏のお名前は中学生時代の昔から存じ上げている。その小林氏が87歳の2020年に録音したCDが翌2021年に発売されたという。

 

www.e-onkyo.com0

 

 以下上記リンクのサイトから引用する。

 

半世紀にわたり、毎年年末に「ゴルトベルク変奏曲」の全曲をリサイタルで演奏し続けてきた小林道夫。鍵盤奏者としてはもとより、指揮者、研究者として膨大なバッハ作品に対峙してきた小林にとっても、とりわけ特別な演目にあたる本作品。ライナーノツでは「バッハ作品の凄さは、どこまで勉強しても、常にその先へと誘われることです。『ゴルトベルク変奏曲』の演奏会でも、1年、1年と扉が次々開いていくような思いを抱いていました。」と語っています。

永きに渡りたゆむことなく続けられた全曲演奏が、今年(2021年)で50回の節目を迎えます。これを記念し、直近の2020年にハイレゾでレコーディングされたライヴを『50回連続演奏記念盤』としてリリースいたします。

 

小林道夫が語る「ゴルトベルク変奏曲」との半世紀

 

■バッハとの出会い

 最初にバッハを弾いたのは、ご多聞にもれず、少年時代に与えられた「インヴェンション」でした。ハ長調の第1番は晴れやかで良いのですが、ハ短調の第2番が立派なカノンで、音楽的にとらえにくいというか、練習していても第1番ほど楽しくなかったことを幼心に覚えております(笑)。その後、1954年にウィルヘルム・バックハウスが来日した際、日比谷公会堂で「半音階的幻想曲とフーガ」を聴きました。これが素晴らしく、バッハを見直したというか、ひとつ勉強してみようと思い立ちました。「イギリス組曲第2番」などは特に惹かれるものを感じ、早いうちから演奏会にかけたこともあります。

 バッハが本格的に面白いと思えたのは、チェンバロを弾くようになってからですね。ピアノを弾いているときはモーツァルトに惹かれるものを感じておりまして、それは今でも変わりません。そしてバッハに限らず、チェンバロで得た知識や経験が、同じレパートリーをピアノで弾く場合には必ずしも生かされなかったりします。色が5つしかない鉛筆で絵を描け、と言われて実践してきたことが、ピアノだといきなり24色になるという感じに近いでしょうか。

 チェンバロでも響きの色合を様々に変化させることは、もちろんできます。たとえば「平均律クラヴィーア曲集」の第1番の前奏曲。単純なアルペジョの連続ですが、これをチェンバロで弾く場合、少し乱暴な言い方になりますけれど、微妙なルバートを使い、大事な音に少し時間をかけ、そうでない音は目立たなくしながら、推移していく和声の色彩感や立体感を出すようにします。しかしピアノだとそんな工夫がむしろ邪魔になりかねず、別のアプローチが必要になってくるのですね。

■恩人ともいえる二人への感謝

 ミリオンコンサート協会の代表をなさっていた小尾旭さんが2020年7月に90歳で亡くなられました。毎年12月に「ゴルトベルク変奏曲」の演奏会を開くという、空前絶後の企画を実現していただいたことには感謝の言葉しかありません。

 1966年に私がドイツへの留学から帰ってきてから数年後、フルートのオーレル・ニコレさんとの共演の機会を設けて下さったのも小尾さんです。幸いにしてニコレさんには気に入っていただき、幅広いレパートリーをご一緒しましたが、中でもバッハは忘れることができません。バッハの権威として名を馳せた指揮者にしてチェンバロ奏者のカール・リヒターとの縁も深いフルーティストですし、その集中力と精神性の高さは圧倒的なものがありました。そして私が弾く通奏低音のパートまで暗譜していらっしゃるのです!

 そのニコレさんから、「君に向いていると思うのだけど、『ゴルトベルク変奏曲』はレパートリーに入っているかい?」と聞かれたことがあります。当時はまだ全曲に目が届いてなどいませんでした。今にしてみれば、ニコレさんから小尾さんに、「小林に一度やらせてみたらどうか」と提案があったのかと思ったりします。小尾さんからお話をいただかなければ、この曲に手を出すなどという大それたことは何十年も後になったでしょう。恩人ともいえるお二人です。

■音の論理を追いかけながら

 バッハ作品の凄さは、どこまで勉強しても、常にその先へと誘われることです。「ゴルトベルク変奏曲」の演奏会でも、1年、1年と扉が次々開いていくような思いを抱いていました。50年近く弾いてきて「なぜ気がつかなかったのか!」ということも多く、指使いひとつとっても然りです。基本的には“音の形”がすべてで、その論理を追いかけた結果であることは常に変わりません。しかし年を重ねるにつれて考えが変わってきたり、論理を踏まえつつ自由度が増したりしながら、今ではひとつの規則に縛られず……という感じになってきたかと、自分でも思います。

 たとえばバッハがこの作品に想定していた2段鍵盤の用法です。1つの変奏の前半と後半で鍵盤を交替させることはあっても、それを曲の途中で行なうというのは、演奏会を始めた当時は考えになかったですね。しかし曲のいろいろな仕掛けに親しんでくると、ある程度自由に使い分けてもよいのではないかと心がけるようになりました。

 実のところこれまで、自分が弾いた演奏のプレイバックを聴くたび、テンポを守り過ぎというか、そんな印象をずっと覚えていました。基本的に整理整頓が好きな性格で(笑)、それが音楽に出てしまうのかもしれません。テンポについていえば、昔からの演奏家の録音を聴くと、微妙な変化は意外と多いものです。たとえば“走句”といわれる類の音形があります。そこで自然と速めになるところは、速くなってよい。それがようやく最近になって、自分でもできるというか、勇気が持てるようになってきたかと感じています。

■緻密な構成の中に秘められたもの

 「ゴルトベルク変奏曲」の構成について、「序曲」と記された第16変奏を後半部分の開始地点とするシンメトリーな図式は、改めて指摘するまでもありません。全部で30の変奏は3つの変奏ごとに1つのグループを形成し、各グループの3番目に置かれたカノンが、1度のカノン、2度のカノン……というように音程間隔を広げていきます。

 そこで興味深いのは、第24変奏の8度のカノン、つまり音程間隔がオクターヴに達した時点で、作品がいったん収束しているようにも映ることです。各変奏の性格やカノンの体裁に関して、バッハは第1変奏から第12変奏と、第13変奏から第24変奏までを対称形に仕立てています。作品全体にこうして張り巡らされた、 “二重のシンメトリー”の図式は、既にヴェルナー・ブライクという音楽学者が1970年代に唱えていました。その見地に立つと、非常に旋律的な第13変奏と第25変奏は、前者がオクターヴのカノンに至る流れの後半部の開幕を告げ、後者がそれ以降の世界への扉を開く役割を担っているとみなせます。そしてト短調の第25変奏は特にユニークで、まるで協奏曲の第2楽章を聴く思いがします。

 演奏していても、この第25変奏以降は何か特別な領域というか、“奥の院”に到達したような印象を受けます。第27変奏は9度のカノンですが、テーマの低音の動きが2声のカノンになっていて、それまでの3声のカノンとは様相がまったく異なる。そして本来なら10度のカノンが置かれる第30変奏は「クオドリベット」。当時の流行り歌が対位法的に組み合わされますが、その2つの曲の歌詞が「キャベツと蕪が僕を追い出してしまった」と「長い間合わなかったね、さあおいで!」というのも判じ物めいて映ります。その後者の呼びかけに応える形で、テーマが戻ってくるのですから。

 極めて緻密な計画で書き進めながらも、第25変奏以降ではバッハが本性を現したというか(笑)、ある意味で吹っ切れた筆運びになっているとすら思えます。そして実演の場では、この“奥の院”で体力的にも厳しい領域に足を踏み入れます。いろいろな意味で大変な傑作が「ゴルトベルク変奏曲」なのですね。

 

取材・構成  木幡一誠

 

URL:https://www.e-onkyo.com/news/3264/

 

 そうだった。小林道夫といえばフルーティスト、オーレル・ニコレの共演者だった。小林氏が言及しているカール・リヒターは1981年2月に54歳の若さで急死した。その当時はリヒターのバッハをよくFM放送などで聴いていたからショックを受けたものだ。ニコレは2016年に90歳で亡くなっていた。

 それにしても50年近くゴルトベルク変奏曲を弾いてなお新しい発見があるとは素晴らしいことだ。

 そして、第12変奏までを第1のグループ、第24変奏までを第2のグループと見て、第25変奏以降でバッハが「本性を現したというか(笑)」と小林氏は言う。その後が体力的にも厳しいという。しかしそんな大曲を80代後半になっても演奏会で弾けるとは、なんという方なのかと驚嘆を禁じ得ない。

 それにしても、1970年代にようやくヴェルナー・ブライクという音楽学者が発見したという、12+12+6の区切りとは、ニュメロマニア・バッハはどこまで仕掛けていたのだろうか。でも、言われてみれば確かに第13変奏と第25変奏とは対応しているし、第25変奏以降第30変奏までの終結部が「ある意味吹っ切れた筆運びになっている」とは、聴くだけの人間である私にさえよく伝わってくることだ。目から鱗の説だと感心した。

 記事は引用部分を含めてもう1万字を超えているが、やっと「クォドリベット」に到達した。以下四たび高橋望氏の文章を引用する。

 

www.ningengakukobo.com

 

(前略)以降、カノンが登場する度に6度、7度と拡がって行き作曲するのも演奏するのも難しくなります。

 

 そして本来なら第30変奏が10度のカノンになるはずですが、バッハはあえてそれを回避しました。クォドリベットという、2つの異なる旋律を重ね合わせて遊ぶ音楽にしたのです。それは「長い間会わなかったな、さあおいで」と「キャベツとカブに追い出された。母さんが肉でも出してくれたらもっと長居したのになあ」という歌詞ではじまる2つの民謡からなっています。

 

 同じ旋律を追いかけるだけでも、作曲するのは難しいのに、全く異なる旋律を組み合わせて調和を作り出しています。しかも、この旋律の組み合わせにソフェミレシドレソの低音主題がしっかりと支えています。この曲を演奏するたびに、バッハの作曲技法の粋に身震いするほど感動します(譜例7参照*3)。

 

(冒頭のアリアに)長い間会わかったのは、キャベツとカブ(それまでの29の変奏のこと)に追い出さていたからであり、「ようやく再びここで会えましたね!」というユーモアを交えて30の変奏が閉じられます。

 

 ゴルトベルク変奏曲全体に張り巡らされた9つのカノンとクオドリベット。

 

 バッハは、作曲に精通した人がみたら感嘆するような作曲技法をこれらの変奏で示したかったように思います。

 

URL:https://www.ningengakukobo.com/single-post/goldberg03

 

  2つの民謡のうち1つは、最初に触れたブクステフーデが変奏曲の主題に借用した「キャベツとかぶ」だった。但しブクステフーデ作品の主題とバッハのクォドリベットに引用された旋律とは同じではない。

 民謡「キャベツとかぶ」の音源には下記サイトからアクセスできる。但しSpotifyに登録する必要がある。私は「キャベツとかぶ」を聴くためにSpotifyに登録したのをきっかけに、ある日曜日の深夜のずいぶん長い時間をクラシックに限らずいろいろな音楽を聴くのに費やしてしまった。

 

ontomo-mag.com

 

 もう一つの民謡「長いことご無沙汰だったね、さぁおいでおいで!」にもアクセスできるが、こちらは楽器だけで演奏されている。

 両方とも同一のCDが音源らしい。ゴルトベルク変奏曲のCDの余白に収められたもののようだ。両方とも、YouTubeから同じ音源にアクセスできることがわかったので以下にリンクする。まず「キャベツとかぶ」。

 

www.youtube.com

 

 続いて「長いことご無沙汰だったね、さぁおいでおいで!」。メロディがはっきり現れるのは1分45秒あたりからだ。

 

www.youtube.com

 

 いずれもたわいのない音楽だが、バッハより前の作曲家であるフレスコバルディが教会音楽に「キャベツとかぶ」を堂々と引用したこともあったらしい。つまり「聖」と「俗」とはそんなにはっきり分けられるものでもなさそうだ。

 両曲を聴いてゴルトベルク変奏曲の第30変奏を思い返すと、まず「長いことご無沙汰だったね、さぁおいでおいで!」が歌い出され、それに「キャベツとかぶが僕を追い出したんだよ」と応答することがわかる。そして第30変奏の後半の最後は、最高音部に「キャベツとかぶ」の後半の歌詞「ママが肉鍋にするんだったら、もっと長くいられたのに」に当たる旋律が高らかに歌われて全部の変奏が終わる。そしておもむろにアリア・ダ・カーポ、つまり冒頭のアリアが帰ってくる。「キャベツとかぶ」がそれまでの29の変奏曲、あるいはクォドリベット自身を含む30の変奏曲と言っても良いかもしれないが、それらに相当するのだというバッハの自虐ネタが開陳されている。バッハはゴルトベルク変奏曲の前半を前半を受難曲を思わせる音楽で締めたが、後半は自虐ネタまで含むこの上なく世俗的な音楽で締めた。これがバッハだ、と思う。

 このクォドリベットの演奏では、シフの旧録音で最後の「ママが肉鍋にするんだったら、もっと長くいられたのに」に当たる高音部を力強く響かせていることが印象的だった。

 そうそう、キース・ジャレットが1989年1月に日本の八ヶ岳高原音楽堂で演奏したCDも聴いたが、彼もまたシフの旧盤(1982年)やシトコヴェツキーらの弦楽三重奏版(1984年)と同じように、アリアに出てくるアルペジオグレン・グールド流の逆アルペジオで弾いていた。この時期、グールドの演奏がいかに多くの音楽家たちに強い影響を与えたかを改めて認識した。

 それにしても長い旅だった。前回と今回のブログ記事を書くのに異様に長い時間を費やしてしまった。しかし内容があまりにもマニアックであるために、前回に続いてこの記事もアクセス数はごく少ないと思われる。もちろんそんなことは百も承知の上で、半ば自分自身のために書いた記事だ。

*1:山本直純はその前年の1975年から日本船舶振興会のコマーシャルに出ていたようだが、私が笹川の正体を知ったのは1976年だった。

*2:楽譜の引用は省略した=引用者註

*3:楽譜の引用は省略した=引用者註