KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

松本清張『馬を売る女』に収録された「山峡の湯村」の舞台のモデルは岐阜県の秋神温泉らしい/「潜る」を「かずく」と言う地域はどこか

 光文社文庫から順調に出ていた「松本清張プレミアム・ミステリー」の刊行が、このところあまり出なくなった。それも、松前譲氏が執筆している巻末の解説文で刊行予定が予告された作品が、従来のラインアップに古い文庫本を並べている出版社との交渉がうまく行かないのかどうか、刊行されない例が結構ある。

 そんなわけで、今年は清張本は2冊しか読んでいない。そのうち角川文庫から新版が出た長篇『葦の浮舟』はつまらなかった。1967年の作品だが、清張の駄作の一つだろう。

 しかし、2冊目はまずまずだった。2011年に文春文庫版が出ていた中短篇集『馬を売る女』の光文社文庫松本清張プレミアム・ミステリー」版(2021)だ。字が大きくなるとともに、文春文庫版でカットされていた「式場の微笑」が入っていたので読む気になったものだ。

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334792091

 

 「式場の微笑」は文春文庫では『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作コレクション 中』(2004)に入っていたのでカットされたものだが、私は宮部みゆきとは意見が異なり、さして面白いとは思わなかった。エンディングには「えっ、これで終わり?」と思った。

 今回取り上げようと思ったのは、この本の最後に収録されている「山峡の湯村」の舞台と、北陸と福岡とで共通するというある言葉が気になったためだ。

 舞台は岐阜県高山市近くの温泉地で、「樺原温泉」という仮名になっているが、私が調べたところ、モデルは作品成立時の1975年には岐阜県朝日村(現高山市)の秋神温泉であろう。作中では樺原温泉が樺原村の中心地だったというから、実際には秋神温泉が朝日村の中心地だったことになる。しかし、清張が実際に秋神温泉に逗留したかどうかは調べてみたがわからなかった。

 この温泉の西に六郎洞(ろくろうぼら)山や栃尾山があり、栃尾山の登録にダムの人造湖があるという。作中ではこのダム湖が「仙竜湖」と呼ばれていることになっているが、実際には単に「秋神貯水池」という名前で、愛称は特にないようだ。六郎洞山、栃尾山、秋神貯水池の位置は下記サイトの地図で確認できる。

 

yamap.com

 

 事件はこの温泉で起きる。しかし主人公が事件の真相に気づくきっかけになったのは「かずく」という、標準語では「潜る」を意味する方言、というより古語だった。

 「かずく(潜く)」は、万葉集に収められた大伴家持の歌にも出てくるという。作中では、能登出身の登場人物と福岡県宗像郡鐘崎出身の登場人物がともに「かずく」という言葉を用いる。

 ところが、Wikipedia「海士(あま)」の項には下記のように書かれている。

 

能登国佐渡国の海士海女は、筑紫国の宗像地域から対馬海流に乗り、移動し漁をしていたという伝承が残り(舳倉島など)、痕跡として日本海側には宗像神社が点在する。鐘崎 (宗像市)には「海女発祥の地」とする碑がある。

万葉集』では真珠などを採取するために潜ることをかずくかづくかずきなどと呼ぶ。現在これらの表現する地方は、伊豆、志摩、及び徳島の一部の海女であり、房総ではもぐる[2]、四国では、むぐる、九州ではすむと呼ぶ。

 

出典:海人 - Wikipedia

 

 能登や宗像(むなかた)ではもう「かずく」とは言わなくなったのだろうか。徳島で「かずく」という言葉を使うのは海部(かいふ)あたりの人なんだろうか。愛知県にある同じ「海部」と書いて「あま」と読む地ではどう言うのだろうか、などなど気になった次第。

 なぜ海士と「かずく」という言葉が出てくるかというと、ダム建設の際に三十戸あまりがダム湖に沈められたが、そのダム湖に死体が沈められたのではないかと海士が潜る(かずく)行為がこの作品の鍵になるからだ。

 この小説を読んで思い出したのは、高知県早明浦ダムが干上がると、ちょうどこの小説が書かれたのと同じ頃にダム湖に沈められた大川町役場が姿を現すことだ。おかげでかつて何度も閲覧した下記サイトの記事にまたアクセスすることになった。下記記事が書かれたのはもう20年以上前だが、未だにネット検索の上位に引っ掛かるのだからたいしたものだ。

 

www.soratoumi.com

 

 なお、六郎洞山は面白い名前だが、神奈川の丹沢山塊にある檜洞丸(ひのきぼらまる)という山をまず思い出し、そこからさらに五郎丸というラグビー選手、ついでに源五郎丸という元プロ野球選手を連想した。しかしその六郎洞山は「岐阜百山」に入っていて、麓からの標高差はさほどないものの、猛烈な藪こぎを強いられ、地図の読めない人は登ろうとしてはいけない山とのことだ。

 本書収録の中篇では、「駆ける男」も岡山県とおぼしき瀬戸内の宿に興味を引かれた。しかし、舞台こそ瀬戸内だけれども、宿のモデルは愛知県の蒲郡ホテルらしい。舞台だけ瀬戸内に移し替えたわけだ。すると、「山峡の湯村」に描かれた「樺原温泉」のモデルらしい秋神温泉にも、清張は実際に行ったことはないのかもしれない。

 本書収録の作品は1973〜77年に発表された。この頃の清張のミステリー執筆数は少ない。しかし清張ファンであれば見落とせない中篇集だろう。

 なお、「山峡の湯村」は清張が亡くなった翌月の1992年9月にテレビドラマ化されているが、後半が原作とかなり変えられてしまったらしく、ネット検索で見ると特にその変えられた部分の評判が悪かった。しかしそれはドラマ化した日本テレビ(読売系)のせいであって、原作の小説は十分に面白い。