KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

沼野雄司『現代音楽史 - 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書)を読む

 沼野雄司『現代音楽史 - 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書,2021)を読んだ。

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/01/102630.html

 

 私が聴く音楽は、武満徹(1996年没)を除けば、新しくてもせいぜい(福田康夫が好きな)バルトーク(1945年没)とか(志位和夫が好きな)ショスタコーヴィチ(1975年没)くらいのもので、いわゆる「現代音楽」についてはよく知らない。

 いや、かつてアルヴォ・ペルト(1935-)や、稲田朋美が検閲しようとした映画『靖国 YASUKUNI』に使われていたヘンリク・グレツキ(1933-2010)の交響曲第3番「悲歌」(1976)のCDを聴いたことがあるので、ああいう「新ロマン派」的な潮流が前世紀後半にあったことくらいは知っているが、その先になると、そもそも音楽を聴く機会自体が減っていたために全然知らない。

 たまに、「21世紀の音楽」はどうなっているのだろうか、一度20世紀以降の音楽史の通史でもあれば読みたいとは時々思っていたが、なかなかそのような一般書はなかった。

 今回、出たばかりの中公新書にこの手の本があったので読んだ次第。

 著者は音楽学者だが、あとがきに下記のように書いている。

 

 現代音楽史を書こうとした動機はいくつかある。

 まず類書がほとんどないこと、日本語で書かれた二十一世紀までを含めて通観できるもの、それもある程度コンパクトなものが必要だと考えていた。実際、いまだに柴田南雄『現代音楽史』(1967初版)を参照する人もいると聞くので(確かに「名著」ではあるが)、いくらなんでも情報や音楽史観をアップデートしなくてはならない。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)267頁)

 

 専門家がこう書くのだから間違いない。確かに一般書の「類書」はほとんどない。私など柴田南雄(1916-96)の『現代音楽史』さえ知らない。私の現代音楽史の知識は、70年代初めに発行されたと思われる小中学生向けの学習百科事典のほんの一部分と、亡父が持っていた1967年頃の『レコード芸術』だったかの増刊号、それに1961年に書かれた吉田秀和の『LP300選』の現代音楽に関する項くらいのもので、いずれも1970年代に読んだから、もう半世紀近くも「音楽史観をアップデート」していない状態だった。だから興味津々で読み始めた。

 面白かった。以下いくつか興味深いと思った点をピックアップする。

 まず第1章「現代音楽の誕生」から。

 著者は、マーラー(1860-1911)、ドビュッシー(1862-1918)、スクリャービン(1872-1915)らの音楽について、下記のように論評している。

 

 単に音楽語法という観点のみから見れば、彼らの音楽は、それなりにモダンな側面を持っている。マーラーの未完の大作「交響曲第10番」に見られる破壊的な不協和音、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」における多調性、あるいはスクリャービンの「第6番」以降のピアノ・ソナタにおける無調的な音の連なりは、その斬新さゆえに、時には現代音楽の出発点として語られることも少なくない。

 

 しかし、どのように新しい技術が使われていても、これらの作品はブルジョワジーを主体にした聴衆から、最終的には離れようとしていない。彼らが想定しているのは、あくまでも「よき趣味」を持った上流階級であり、その意味で臍の緒は十九世紀としっかり繋がっている。

 

 しかし、大戦*1を経たあとにあとに歴史の表舞台に躍り出てきたのは、それまでとは異なるタイプの(中略)聴衆だった。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)26-27頁)

 

 なるほどと思わされる指摘だ。

 ただ、「現代音楽」には、市民革命家的な生き方を貫いた「楽聖ベートーヴェンに擬せられる作曲家はいなかった。半世紀前には十二音技法を創始したとされるアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)と、その弟子だったアルバン・ベルク(1885-1935)、アントン・ウェーベルン(1883-1945)の3人が、ハイドンモーツァルトベートーヴェンの3人に代表される「ウィーン楽派」に対照される形で「新ウィーン楽派」と呼ばれていたが、本書の索引を見ても「新ウィーン楽派」の項目はなく、少なくとも本書ではこの呼称は用いられていないようだ。

 なお、「十二音技法を創始したとされるシェーンベルク」と書いたが、実際に十二音技法を初めて用いた作曲家はシェーンベルクではなかったらしい。そのことが本書に出ている。本当の一番乗りはヨーゼフ・マティアス・ハウアー(1883-1959)という作曲家であって、シェーンベルクに盗用されたと感じたハウアーは、どちらが元祖かという抗争をシェーンベルクとの間で展開したそうだ。実際に早かったのはハウアーの方らしく、彼が最初に十二音技法で「ノモス」を作曲したのは1912年だったのに対し、シェーンベルクが十二音技法を試し始めたのは1921年だった*2

 この件について、著者は下記のように論評している。

 

 現代音楽の世界では、しばしば「誰が最初にそれを行ったか」が問われる。本来は「誰が良い曲を作ったか」こそが問題になるはずなのだが、二十世紀の「新しさ」への希求は、こうした傾向を生み出すことにもなったのだった。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)129頁)

 

 「誰が最初にそれを行ったか」といえば、ジョン・ケージの「4分33秒」(1952) の先駆者があったらしいことも本書で知った。ケージの「4分33秒*3については、本書132頁に「楽譜」が掲載されているが、本書には「4分33秒」に33年も先立つ1919年に作曲されたエルヴィン・シュルホフ(1894-1942)の「未来へ」という作品が紹介されている。以下本書より引用する。

 

 より本格的にジャズと関わった作曲家には、エルヴィン・シュルホフ(1894-1942)がいる。プラハに生まれた彼は、大戦後には社会主義者として活動するとともに(管弦楽伴奏付き歌曲「風景」[1919] はカール・リープクネヒトに献げられた後期ロマン派的な音楽だ)、一時期はシェーンベルクの「私的演奏協会」にも参加。やがて画家のオットー・ディクスの家でジャズのレコードに接すると、その自由さに惹かれて作風を変化させた。たとえば「五つのピトレスク」(1919)は基本的には単純なラグタイム風の音楽だが、第3曲「未来へ」では休符と記号のみが楽譜に記されるという、極度に実験的な趣向が用いられている。さらに、数年後の「五つのジャズ・エチュード」(1926)になると、半ば無調的な語法とジャズのエッセンスが見事に溶け合っており、スウィング以降のジャズを予見するようでさえある。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)64-65頁)

 

 上記の文章が載っている本書64頁に「未来へ」の楽譜が掲載されているのだが、「休符と奇妙な顔文字のみが記されている」と書かれている。楽譜は2段だが、普通のピアノ用の楽譜とは異なり、上段がヘ音記号で下段がト音記号になっている。拍子は、上段が5分の3拍子で下段が10分の7拍子というでたらめな拍子だが、楽譜には休符と「奇妙な顔文字」を含むいくつかの記号しか載っていないので関係ない。あるいは、演奏者がピアノに向かって右手と左手を交差させた姿勢で動かないか、または腕を振り上げたり振り下ろしたりするもののいっこうに鍵盤を叩こうとしない、といった様子に客席がざわめくことが「音楽」だという趣向なのだろうか。

 この「音楽」を取り上げたサイトがネット検索でみつかったので、以下に紹介する。下記サイトには、「5つのピトレスク」を構成する各曲の楽譜の冒頭部分がそれぞれ掲載されている。

 

www.virtuoso3104.com

 

 以下引用する。

 

 第3曲『未来へ』

 

 これこそが《5つのピトレスク》中で最大の謎にしてメインの話題です。

 テンポ表記は「時間を超越」という意味です。拍子記号は上段が3/5拍子、下段が7/10拍子という一見とんでもないことになっていますが、実際に音符を数えると4/4拍子です。最初の発想標語は「歌全体を自由に表情と感情をもって、常に、最後まで!」という意味。

で、肝心の音符が殆ど休符!

 もっとぶっ飛んでいるのは楽譜の中に「!」や「?」や「顔文字」があることです。どうやって演奏するの?と思うところですが、実は演奏指示や楽譜の読み方などについて、一切シュルホフは書いていません。しょうがないので、これを「演奏」する人たちは各々独自の読み方で楽譜を読んで「演奏」しています。

 一体何を意図して、この曲は書かれたのでしょうか。こればかりは僕も答えを出すことができません。より詳しく研究している人に丸投げしたいと思います。

 

出典:https://www.virtuoso3104.com/post/5pittoresken

 

 なお、『現代音楽史』の著者・沼野雄司はシュルホフとケージとを結びつける文章は書いていない。シュルホフとケージの両方を取り上げ、「未来へ」と「4分33秒」の「楽譜」をともに掲載しているにもかかわらず。これはむろん意識的にそうしたのだろう。しかし「現代音楽」に関して聞きかじったことのある人間であれば、本書のシュルホフの項を読んでケージの「4分33秒」を思い出さなかった人は誰もいないのではないだろうか。

 Wikipedia「ネオダダ」の項にもシュルホフとケージとの関係が書かれているので、以下引用する。

 

ネオダダに属する作家たちのうち、ロバート・ラウシェンバーグらは1930年代から1950年代にかけて存在したノースカロライナ州の小さな芸術学校、「ブラック・マウンテン・カレッジ英語版」で学んでいた。ここでは美術家のみならず音楽家、詩人、思想家らが教えており、なかでも教鞭をとっていた音楽家ジョン・ケージの、音響を即物的に考えることや偶然性を利用するといった活動から強い思想的な影響を受けている。もともと「何もせずに黙りこくる」という発想はケージのオリジナルではなく、エルヴィン・シュルホフの「五つのピトレスク」で初めて楽譜になったものであり、これをケージが「4分33秒」にしたこと自体がネオ・ダダの発端であった。ヨーロッパで発案されたものがアメリカ流に改良され、理論化されたものがネオダダなのである。

 

出典:ネオダダ - Wikipedia

 

 なお、シュルホフは沼野『現代音楽史』にもう一箇所だけ出てくる。それは不幸なことに、ナチスとの関わりだった。以下引用する。

 

 また、前章で名を挙げたシュルホフの場合、ユダヤ人にして共産主義者、さらにはジャズや前衛音楽に関わるという、ナチスが敵視したすべての要素を体現する存在になってしまった(彼はソ連への移住を望んでいたが、プラハで逮捕され、強制収容所で生涯を終えた)

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)93頁)

 

 だがソ連にもスターリンがいた。仮に首尾良くソ連に移住できたとしても、同じような目に遭った可能性がある。

 

 以上見た通り、シェーンベルクの前にハウアーあり、ジョン・ケージの前にシュルホフありといった具合に、音楽史上に残る大きな試みであっても先駆者がいた。18世紀後半から19世紀初めにかけてのベートーヴェンに対するモーツァルトと同じように。

 たとえば、音楽学者のアインシュタインが「モーツァルトエロイカ」と呼んで称賛したというK(ケッヘル) 271番のピアノ協奏曲変ホ長調(一般に第9番と呼ばれているが、実際にはモーツァルトが4番目に書いたピアノソロと管弦楽のための協奏曲)が、ベートーヴェンの第4と第5(「皇帝」)のピアノ協奏曲の他、第3交響曲エロイカ」にまで影響を与えたのではないかと私が再発見したのは、昨年末のことだった*4。何事をなすにも先人はいるものだ。

 長くなった。以下ははしょる。

 前述のショスタコーヴィチ(1906-75*5)やベンジャミン・ブリテン(1913-1976)は私がクラシック音楽を聴くにようになったあとに訃報に接した作曲家たちだった。NHK-FMで初めて追悼の意を込めてショスタコーヴィチ交響曲第5番ではなかった)が流された時にはちんぷんかんぷんだった。また日曜夜の吉田秀和の番組でブリテンがとりあげられたのも覚えている。ブリテンの死は確か12月で、モーツァルトの命日とは同じくらいではなかったかしら*6、と思って調べてみたら、ブリテンの命日はモーツァルトより1日早い12月4日だった。

 沼野『現代音楽史』では「社会主義リアリズム」を見直すことを提言していて、ショスタコーヴィチの第5交響曲が取り上げられている。しかし私は、第5交響曲が悪い曲だとは思わないが、それよりは弦楽四重奏曲の方がより良いと思う。たとえばまだ晩年の晦渋さにはいかない頃のショスタコーヴィチであれば、第3弦楽四重奏曲ヘ長調(1946)などの方が第5交響曲よりも惹かれる。また、本書に「ブリテンの現代性」*7が取り上げられているが、日本の「皇紀二千六百年式典」のために日本政府に送付された彼の「鎮魂交響曲」作品20については「諸事情により演奏されず」*8とのみ書かれている。あれはブリテンが日本に対する悪意を込めた音楽じゃなかったっけと思って調べてみたら、必ずしもそうは言い切れなかったのかもしれない。どのくらい信頼できるかどうかは不明だが、下記にWikipediaへのリンクを示しておく。

 

 またミュジック・コンクレートの話が147頁から始まるが、黛敏郎(1929-97)と武満徹の名前がそれぞれ出てきた*9直後に松本清張(1908-92)の推理小説砂の器』(1961)が出てきたのには笑ってしまった*10。有名な映画版では犯人はロマン派的な音楽を弾くピアニストになっているが、原作は前衛作曲家が電子音で殺人を行う設定になっていて、その作曲家のモデルは黛敏郎か、はたまた武満徹かなどと言われている。

 音響をマルチトラックで重ね合わせる方法について、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)が挙げられているが(これは私もCDで持っている)、そのビートルズに、明らかなミュジック・コンクレートというべき「レボリューション9」(1968)という作品があることが書かれている*11。こちらは曲の存在は以前から知っているが聴いたことはない。著者は「この時期、現代音楽とポピュラー音楽の距離はかつてないほど縮まっていたのだった」*12と書く。

 著者は、現代音楽史上において1968年は大きな切断点となっていると書く。著者は「政治による音楽、音楽による政治」という一節を設け、「六八年を経てみれば、あらゆる音楽が不可避に政治性をはらんでいることはもはや明らかだった。この中で作曲家や演奏家たちは、さまざまな形で政治と音楽の実践を交差させるようになる」*13と書く。そしてその例としてレナード・バーンスタイン(1918-90)を挙げている。

 アメリカでジョー・バイデンが大統領就任式を行ったばかりだが、ニクソンの大統領就任式を翌日に控えた1973年1月19日にワシントンDCで行われたユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの序曲「1812年」にぶつけるかのように、同じ日にバーンスタインは同じ市内のワシントン大聖堂でハイドンの「戦時のミサ」の無料演奏会を開いた*14。この様子を手塚治虫(1928-89)がこのエピソードを「雨のコンダクター」と題した短篇漫画にしたという。本書206頁にはその1ページが載っている。

 この漫画の存在も知らなかった。ネット検索をかけると、小学館から刊行されていた雑誌「FMレコパル」の1974年8月12日号に掲載されたものらしい。私がFM雑誌をよく立ち読みするようになったのは翌1975年からだから、タッチの差で間に合わなかったようだ。1974年といえば少年漫画の週刊誌は立ち読みしまくっていたものだったが。

 

 バーンスタインは1990年に72歳で、手塚治虫は1989年に60歳で亡くなった。いずれも訃報にはショックを受けたが、それからもう30年以上になる。現在の日本では、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅに対して「無知な歌手が政治のことを口にするな」と言わんばかりの無礼なツイートを発した某政治評論家(元時事通信記者)が、トランプの落選に我を失って無様なツイートを発し、人々の失笑を買っている。

 

 

 上記ツイートに対する私の反応は、下記ツイートと同じだ。

 

 

 くだらない人間をついつい嘲笑してしまったが、本書最後の2章である第7章「新ロマン主義と新たなアカデミズム」と第8章「二十一世紀の音楽状況」、特に後者はよくわからなかった。後者には「現代音楽のポップ化、あるいは資本主義リアリズム」*15という一節があるが、これによると「資本主義リアリズム」とは、もともと1961年に東ドイツから西ドイツに移住した美術家ゲアハルト・リヒターが言い出したものだという。著者は、「この名称は、たとえ東側の社会主義リアリズムを逃れたとしても、西側で芸術を行うことは、資本主義的な「ポップ化」を強制されることなのだというアイロニーを鮮やかに示すものだろう」*16と書いている。

 この「資本主義リアリズム」という言葉は、2017年に自死したマーク・フィッシャーが用いたことで知られることになったようだ。以下本書から引用する。

 

 二十一世紀に入ってからこの語は、資本主義が世界にとって唯一の選択肢となった、冷戦後の状況を指すものとしても使われるようになったが(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』)、冷戦後に顕在化している現代音楽のポップ化を「資本主義リアリズム」という枠組みで考察することも可能かもしれない。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)262頁)

 

 要するに、資本主義の呪縛によって「現代音楽」は窒息させられそうになっているということだろうか。

 その前の第7章に書かれた下記の文章も印象的だった。

 

(前略)新ロマン主義が「前衛様式に対する自由」であったことは明らかである。元来は自由を求めて開拓された無調や非拍節的な音楽は、しかし一部の作曲家たちにとっては大きな抑圧として機能するようになっていたのだ。かつて筆者は、六〇年代を過ごした年長の作曲家たちから、「あの頃は前衛的でなければ許されない雰囲気があり、自分もいやいやそんな曲を作っていた」といった類の述懐をしばしば耳にした。してみると、彼らもまた無調や前衛からの自由を勝ち取るために、新ロマン主義的な音楽を選択したということになろう。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)240頁)

 

 これには本当にぶっ飛んだ。彼らが前衛音楽を「いやいや」作っていたとは!

 そして、「前衛や自由からの自由」は勝ち得たものの、今では「資本主義リアリズム」が作曲家を縛っているのだろうか。「資本の論理だけには忠実で、その制限下で芸術作品を作れ」とでもいうのだろうか。いやはや。

 こんな状態だから「新ロマン主義の音楽」にも「ポップ化した現代音楽」にも本当に良い作品が出てこないということか。

 まだまだ「現代音楽」は混迷の時代を抜け出せそうにもないのかもしれない。

*1:もちろん第一次世界大戦のこと。

*2:以上、本書128頁による。

*3:何やら某年の日本プロ野球の日本シリーズを連想させる数字だが。

*4:K271は、当時の協奏曲の形式に反して曲の初めにピアノソロが出てくるところがベートーヴェンの第4及び第5のピアノ協奏曲の先駆をなしているとはよく指摘されることだが、長大なハ短調の第2楽章は、その長さといい曲調といい「エロイカ」の第2楽章と共通点があるように思われる。相当にオペラ風のK271の第2楽章と葬送行進曲による「エロイカ」の第2楽章は、両作曲家が普段書く緩徐楽章の作風とはいずれも異なり、かなり芝居がかった様式で悲痛な曲調がいつ果てるともなく続く。またK271はモーツァルト自身の後年の作品にも強い影響を与えており、自作のK456, K482, K491の3つのピアノ協奏曲は、K271なくしては生み出されなかっただろうと思わせる。特にK482はK271の直系ともいうべき作品で(ともに「エロイカ」とも共通する変ホ長調の曲)、ハ短調の第2楽章、ゆるやかな変イ長調の中間部を持つロンドのフィナーレなど、K271と酷似した構造になっている。

*5:本書53頁と62頁に出てくるダンサー・歌手・俳優のジョセフィン・ベーカーは生没年がショスタコーヴィチと同じだ。同じ生没年の人としては、他にハンナ・アーレントがいる。

*6:吉田秀和の文体または口調を真似た。

*7:本書142-143頁

*8:本書108頁

*9:本書154頁

*10:本書155頁

*11:本書160頁

*12:本書160頁

*13:本書204頁

*14:本書205頁

*15:本書258-263頁

*16:本書262頁