KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

黒木登志夫『新型コロナの科学』を読む(第2回)/日本の新型コロナ対応の「ベスト10」と「ワースト10」

 前回の続き。引き続き黒木登志夫著『新型コロナの科学』中公新書2020)より。

 

 本書第4章が「すべては武漢から始まった」、第5章は「そして、パンデミックになった」、第6章は「日本の新型コロナ」、同第7章は「日本はいかに対応したか」とそれぞれ題されている。これらの章に描き出された経緯のうち、第4章で武漢ウイルス研究所から新型コロナウイルスが漏れ出した疑いがあるとの著者の指摘は、知らなかったので興味深かった。

 著者の疑念の根拠は、同研究所に勤める中国人学者の石正麗氏が、実験室の生物学的安全レベルを表すBSL (Biosafety level) で「BSL2」に分類される実験室で研究を行っていたことによる。BSL2は「許可された人のみ入室可。室内には安全キャビネット、滅菌器などの設置が必要」とはされているが、「室内を陰圧にする必要はない」というレベルだ。この環境で研究していたことを石氏本人が証言した。これに対して著者は下記のように書いている。

 

 BSL2で実験していたとは! 最後の証言には、正直驚いた。空気圧を低くする必要のないBSL2だとウイルスが外に漏れる危険性がある。素性のわからない危険ウイルスはBSL4、少なくともBSL3で使うべきである。国立感染研の基準では、新型コロナウイルスは気圧が陰圧に調整されているBSL3で実験を行うことになっている。感染者用病室もBSL3と同じように、陰圧に調整されているし、防護服を着ることになっている。空気圧を陰圧にする必要のないBSL2だと外に漏れる危険性がある。武漢ウイルス研究所は、かなり気楽にBSL2で実験していることがわかった。

 

(黒木登志夫『新型コロナの科学 - パンデミック、そして共生の未来へ』(中公新書2020)122頁)

 

 この「武漢ウイルス研究所からの漏洩」説は、ネトウヨによって「ウイルス兵器」などという陰謀論説がばら撒かれたために却って注目されなくなってしまったが、上記のようなお粗末な実験環境に起因する漏洩が全世界的な感染の発端だった可能性は確かにありそうだ。何しろ中国当局は、当初武漢での感染を隠蔽しようとしていた。習近平政権が全く信用できないことは間違いない。

 だが、武漢由来の最初のウイルスは感染力がのちの変異株ほど強くなかった。最初の大きな変異はヨーロッパで起きた。それがいわゆる「欧州型」と呼ばれるD614G変異株である。日本の第1波は、前半に武漢由来のD614による小さなピークがあったあと、D614Gの比較的大きなピークがあった。このD614Gこそ昨年4月8日の緊急事態宣言発出を必要とした原因になった変異株である(にもかかわらず、現在は「従来型」と呼ばれている)。本書では、D614Gは「G614」と表記されている。G614とD614Gの両方の表記があることは、昨年12月21日の忽那賢志医師の下記記事などで確認できる。

 

news.yahoo.co.jp

 

現在はウイルス表面にあるスパイク蛋白というタンパク質の614番目のアミノ酸残基がアスパラギン酸(D)からグリシン(G)に置き換わる変異で感染性が増した「G614(D614G)」と呼ばれる新型コロナウイルスが世界で流行するウイルスの主流の株として入れ替わっています。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20201221-00213726/

 

 私がメインブログの『kojitakenの日記』に毎週公開しているグラフに当てはめると下図の通り。

 

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国内のCOVID-19新規陽性者数及び死亡者数 (2020/3-2021/5, 7日間移動平均対数=NHK)

 

 武漢型(D614)のピークは、7日間移動平均では昨年3月14日に1日平均46.6人でピークの極大となり、これがピークアウトするかに見えた同3月20日(のちのちまで問題視された例の「緩み」の3連休の初日)あたりから陽性者数が急拡大した。もちろんこれは3連休の2週間前頃の感染を反映したものであって3連休中の人の移動が引き起こしたものではない。3連休の人の緩みは、翌4月上旬に陽性者数の急増となって表れた。また時の安倍晋三政権が、習近平の来日が中止に決まったあとに中国や韓国からの人の流れの遮断をしながら、欧州やアメリカからの人の流れを遮断するのが遅れたのも感染拡大を悪化させた大きな要因の一つだ。なおこの段落は私の意見を書いたものであって、著書からの引用ではないことをおことわりしておく。

 著者は、一般に第2波とされる時期までに現れた波について、それぞれのピークは、次に述べるゲノム解析からもはっきりした特徴をもっているので、第一波、第二波、第三波と、三つに分けるのが正しいはずである。しかし、国際的にも、棒グラフでもはっきり分かる二つの山(引用略)を、それぞれ、第一波、第二波と呼んでいる。ここでは、第一波の武漢型とヨーロッパ型を区別する必要があるときには、それぞれを、第一波武漢型)と第一波(ヨーロッパ型)と区別することにした。(本書130-131頁)

と書いている。私の『kojitakenの日記』でも、最初はヨーロッパ型を「第2波」と表記してきたが、多くが昨年夏の波を第2波と呼び始めてからはそれに合わせて表記を改めた。

 今回の核心部はここからである。日本では第1波が欧米と比較して軽かった。また他の東アジア諸国も同様だった。そのことから「ファクターX」の議論が起きた。そのあたりは本書第6章第6節「ファクターX」に書かれている。TBSでやった日本語の「これはペンです」と英語の "This is a pen" の発音で、話し手の前に置かれた紙の動き方が全然異なるという懐かしい話も出てくる。この話の言い出しっぺは本書と同じ中公新書から『感染症・増補版』を出している井上栄氏で、この本は昨年読んだので下記記事を公開した。発音の件も同記事で取り上げている。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 しかし、日本の新型コロナ対応自体はほめられたものではなかった。以下、本書第7章の冒頭部分を引用する。

 

 前章で、日本のコロナ感染の広がりについて見てきた。日本はコロナにどのように対応したのか。司令塔もないまま、硬直化した行政にしばられ、PCR検査に反対し、中途半端に行動を規制し、それでも感染者数、死亡者数が最小限に収まったのだから、官邸スタッフがいみじくも言ったように、「泥縄だったけれど結果オーライだった」としかいいようがない。10月までの段階で、日本の対応のどこが問題だったのか、厳しく検証してみよう。(本書159頁)

 

 韓国や台湾は動きが早かったのに日本は遅かった。以下引用を続ける。

 

 韓国と台湾は、驚くほどすばやく対応した。台湾は、武漢当局が原因不明の肺炎発生を発表したその日(2019年12月31日)のうちに対策を開始し、1週間のうちにすべてを整えた(第8章)。韓国は、1月20日、最初の感染者が武漢から入国して1週間後には、PCR検査キットの開発と大量生産を医療メーカーに要請し、2週間後には1日あたり10万キットを生産した。それによりドライブスルーやウォークスルー検査など独創的な検査態勢が可能になった。検査をバックアップする病院体制もすでに整備されていた。日本の初期対応は韓国、台湾と比べて明らかに遅かった。スピード感のない日本の対応は、今日まで続いている。(本書161-162頁)

 

 以後、アメリカをはじめ世界の主要国にはあるCDCCenters for Disease Control and Prevention, 疾病対策予防センター)が日本にはないこと(本書162頁)、専門家会議が分科会に格下げされ、そのメンバーに感染症の数理分析の西浦博の名前がなかったこと(同163頁)、尾身茂を初めとする専門家たちが「驚くほどものわかりがよくなり、政府の方針にお墨付きを与える立場に甘んじてしまった」(同163頁)ことなど、矢継ぎ早に批判の言葉が繰り出される。以下本書からさらに引用する。

 いわゆる第二波の最中、東京都の小池百合子知事までもが、心配は必要ないという説明を繰り返した。その理由は、検査が増えたから感染者が増えたので、想定内の数字だというトランプ大統領も同じことを言っていた)。医療機器は整っているから大丈夫という説明であった。

 7月になり感染が急速に増えているのにもかかわらず、人の移動、集まりを認める方針がつぎつぎに出された。その最たる施策が1兆7000億円の巨額の予算を組んだGo Toキャンペーンである。かくして、専門家たちのお墨付きを得たGo To政策は、国民の政策をよそに、東京を外して7月22日にスタートした。

 政府の中枢部もおかしくなった。国会は閉会し、最重要問題を議論する場はなくなった。安倍首相(当時)に代わって、菅官房長官(当時)が説明するようになったが、国民の理解を求めるわけでもなく、現状の分析を語るのでもなく、上から目線で一方的に政府の方針を伝えるだけである。この組織改編を一番喜んだのは、新型コロナウイルスであった。

 われわれは、専門家としての見識ある説明を求めているのだ。専門家が、正確に理解できるよう現状を語り、その上で、政治家が誠意をもって説得力ある言葉で対策を語る。政治家と科学者の信頼と協力がなければ、パンデミックの難局は乗り切れない。

 

 本書には書かれていないが、第2波の致死率は低かった。日本国内では第1波の致死率が5.3〜5.4%だったのに対し、第2波の致死率は0.9〜1.0%だった。第2波の致死率に関しては著者自身が山中伸弥教授のウェブサイトに掲載した下記リンク先に言及がある。

 

 以下引用する。

致死率が世界で低下していることを考えると、致死率を抑え、感染を広げる⽅向にウイルスが変異したのかも知れない。このような変異はウイルスの⽣存に叶っているので、あり得ることだ。(上記リンク先より引用)

 

 実際、確か東京・埼玉型と呼ばれていたと思うが、この第2波の原因となったウイルスは弱毒性の変異株だったという研究結果が報じられたことを覚えている。しかし第3波のウイルスは決して弱毒性ではなかったし、現在の第4波で脅威とされて恐れられているN501Yに至っては強毒性の変異株だった。長い目で見ればウイルスは弱毒化するのだろうけれど、ウイルスの変異自体はランダムに起きるので、一時的には強毒性の変異株が猛威をふるうこともあり、それが今だということだろう。それを、ウイルスは必ず弱毒化するかのような発言を一時期テレビで大々的にやらかしていたのが、かの京大の万年准教授・宮沢孝幸だった(もちろん宮沢の悪口は本書には書かれていないが)。

 論外の宮沢はともかく、第2波のウイルスが弱毒性で感染状況が予想されたほど悪くならなかったことが、政府や東京都・大阪府など自治体の緩みに繋がったのではないか。私はそう考えている。実際、第3波が急拡大している時に、菅義偉が頑なに何もしなかったのはあまりにもひど過ぎた。第3波の減衰と第4波の立ち上がりが重なったことが、N501Yを検出する際のS/N(信号雑音比)を下げてしまったことは間違いあるまい。

 この第7章には前回取り上げた第7節「選択もされず集中もされず」が含まれている。また第8節「最大の問題はPCR検査」と第9節「官僚たち」については次回取り上げる。

 今回は、第7章最後の第10節「ベスト10、ワースト10」を取り上げて締めくくりたい。

 著者が選んだベスト10の第1位は「国民」だ。「国民は、要請レベルにもかかわらず、行動を自粛し、マスク着用、手洗いなどを励行した。経済的に苦しい人もよく耐えた」(本書184頁)と称えられている。

 第2位以下は、「三密とクラスター対策」、「医療従事者」、「保健所職員」、「介護施設」、「専門家の発言」、「中央、地方自治体の担当者」、「ゲノム解析」、「在外邦人救出便」、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」と続く。第6位の「専門家の発言」については「少なくとも、分科会に編成替えまでの専門家は、使命感から積極的に発言し、国民に警鐘を鳴らし続けた。われわれも専門家の発言に注意していた」(本書184頁)、第7位の「中央、地方自治体の担当者」については「医療従事者だけではなく、関係したすべての公務員は、一生懸命仕事をした」(同)、そして第10位の「新型コロナ対応・民間臨時調査会」については「この報告書がなければ、コロナ禍の中、政府内で何が起こっていたか、どこに問題があったかを知ることはできなかった」(本書185頁)とコメントされている(他の順位にも全部コメントがついているが、引用を省略する)。

 一方、ワースト10の1位は「PCR検査」。これについては次回取り上げる。第2位は「厚労省」で、「国民を守ることよりも行政的整合性を守ることに重きをおき、融通性に欠けていた。PCR検査では国民に背をむけ、裏で政治工作をした」(本書185頁)とこき下ろされている。第3位は「一斉休校」で、「文科大臣、専門家の意見を聞かずに、安倍首相の側近内閣府官僚の進言によって断行された一斉休校によって、教育の現場、父系の生活は大きな影響を受けた」(同)とのこと。もっとも私の意見は若干異なり、休校自体は悪くなかったが、官邸の動機が不純だったと考えている。今井尚哉は、東京五輪を無事開催にこぎ着けるためにこの策を思いつき、安倍晋三がそれに飛びついたのが真相だろうと私は推測している。第4位は「アベノマスク」で、「マスクを配布すれば国民の不安は消えますという首相の側近内閣府官僚(佐伯耕三=引用者註)の信玄によって実行されたマスクは、160億円もの税金の無駄遣いであった」(同)とのことで、これはその通りだと私も思う。第5位は第3位と第4位の元凶でもある「首相側近内閣府官僚」であり、「証拠に基づく政策(EBPM)の重要性が言われているなか、彼らは大臣、専門家を無視し、政策を首相に進言した。それを受け入れた首相(安倍晋三=引用者註)は、さらに問題である」(本書185-186頁)とのこと。この厳しい糾弾には快哉を叫んでしまった(笑)。

 第6位「感染予防対策の遅れ」では「3月のヨーロッパ型ウイルスの流入予防対策に後れを取った。第二波の最中にGo Toキャンペーンを実行し、感染を広げた」(本書186頁)との罪状が挙げられている。確かに、武漢(中国)よりもヨーロッパに感染の中心が移っていることがニュースでも報じられている時期に、安倍政権は中国や韓国からの人流を止めることばかりやっていて、欧米から流入し放題になっていることには私も大いにイライラさせられた。これは安倍晋三が感染抑止よりもネトウヨ受けばかり意識していたためであろう。Go Toも、菅義偉固執した悪印象が非常に強く、事実菅はコロナ対策に関しては安倍にも劣る劣悪な宰相ではあるが、Go Toキャンペーンは安倍政権時代に始められたことを忘れてはならないだろう。安倍の最悪の置き土産だった。

 第7位は「分科会専門家」で、専門家はベストとワーストの両方に出てくる。著者曰く、「分科会委員に格下げされてからの専門家は、政府の政策にお墨付きを与えるだけの立場に甘んじてしまった。専門家が正論を言わなくなったら専門家ではない」(本書186頁)とのことで、これもまっとうな批判だろう。第8位は「スピード感の欠如」で、「初動態勢から今日に至るまで、すべての対応が遅すぎた。早かったのは、学校一斉休校とアベノマスクだけである」(同)、第9位「情報不足」は「感染情報は非常に限られていた。感染の実態(院内感染者、死亡者数、発症日別統計など)の発表がなかった。政策決定に至る過程も不透明であった」(同)、第10位「リスクコミュニケーション」は「現状を科学的に分かりやすく説明し、質問に応えるリスクコミュニケーションがなかった。国民はテレビの情報番組に頼らざるを得なかった」(同)と続く。

 それでも、第1波と第2波の頃は日本に運があり、陽性者も死亡者も少なかった。しかしそれで安倍政権や菅政権がコロナを甘く見てしまい、それが第3波以降だけで9千人もの死者を出す*1惨状につながってしまった。しかも第4波では大阪府などで医療崩壊が発生するなど、状況は本書が書かれた時点と比較しても、ずっと深刻化してしまったのだ。(この項続く)

*1:昨年11月1日から今年5月8日までに発表された死亡者数は8,990人に達した。