KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

行進曲「威風堂々」で有名なエルガーは、自らの曲を保守党以外には使わせなかったつまらない保守作曲家だった。しかも「威風堂々」につけられた歌詞には、領土拡大を礼賛する帝国主義的な一節が含まれている。まるでプーチンの応援歌だ

 私は2014年にコナン・ドイルシャーロック・ホームズ全集を小林司東山あかね訳の河出文庫版で読み、昨年1月以来アガサ・クリスティの全ミステリ読破を目指して読み続けている。後者については今月もミス・マープルもの長篇第7作の『パディントン発4時50分』(原著1957, 松下祥子訳ハヤカワ・クリスティー文庫版,2003)を読んだ。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 この作品はキャッチーな題名のせいか、読書サイトを見ると「初めて読んだミス・マープルもの」という読者が多数いて、多くの方が「意外な犯人」に驚いていたが、クリスティ作品をずっと読んできた私は既にクリスティの「癖」を熟知するに至ったので、クリスティが初期の作品からずっと続けてきたある特徴に当てはまる犯人候補を解決の場面より前に一人に絞り込むことができ、今回も犯人当てにだけは成功した。クリスティの「癖」とは何かということは、ここでは書かない。そんなことは読者一人一人が気づくべきことだからだ。

 犯人当てだけはできたけれども、「犯人がわかってしまってつまらない」作品では決してなく、楽しく読めた。本作は作者66歳か67歳の時に書かれた、中期と後期のどちらに分類されるのかは知らないが、70歳近くなっても筆力の衰えはあまり見られない。「あまり」と書いたのは、さすがに「全く見られない」とまではいえないと思ったからだ。まあこの頃のクリスティ作品はまだほとんど読んでいないので評価は保留するが。

 とはいえ、1930年代後半に書かれたポワロものの『死との約束』と『ポワロのクリスマス』で続けざまに犯人当てに完敗したあと、1940年代から50年代の作品にかけてはそのような作品にはほとんど出会えずにいる。これらの作品の多くには、前述のクリスティの「癖」に当てはまる登場人物がいて、だいたい犯人の見当がついてしまうのだ。それでも読ませるところが中期・後期クリスティの特徴といえるかもしれない。

 ところで、コナン・ドイルアガサ・クリスティもゴリゴリの保守派人士だった。しかし彼らが書いたミステリは面白いし、ことにクリスティは年を経るに従って人間観・社会観が初期の紋切り型から変化して深みを増していったことが感じられる。

 しかし、イギリスの大作曲家とされるエドワード・エルガー(1857-1934)はそうはいかない。

 本記事を書こうと思ったのは、『kojitakenの日記』の下記記事にいただいたコメントがきっかけだ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 suterakuso

>ましてやチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は派手ではあるが内容の深さを欠く

うぐっ…。実はけっこう好きなんです。もちろん、冒頭の派手なピアノの部分だけですけど…。幼少期に早朝に見ることがあった、テストパターンのバックミュージックへの親しみのせいかもしれませんが。まあ、クラシックで好きなものといえば、威風堂々とかジュピターとかをあげるような人間が好きという程度のことですけど。これらは、簡単演奏編曲のしやすさもありますよね。ちなみに、好きな作曲家を強いてあげればバッハでベートーベンなら悲愴第2楽章が好きとかです。…それ、クラシック好きやない! ですかね。

 

 「ジュピター」という文字列を見た時、最初はモーツァルトかと思いましたが、違いますよね。平原綾香、もといホルストのほうですよね。私のような世代だと、1976年に冨田勲シンセサイザー用に編曲した印象が、平原綾香(2003)と同じくらい強く残っています。

 グスターヴ・ホルスト(1874-1934)は今回槍玉に挙げるエルガーと同じくイギリスの作曲家*1ですが、思想信条はエルガーとは対照的な左派で、私は『惑星』以外の彼の作品をほとんど知りませんが、『惑星』は冨田勲シンセサイザーより元のオーケストラ版の方が良いと思います。冨田勲なら『惑星』より前の3作の方が良かったという印象かな。ドビュッシーアラベスク第1番はピアノ曲より前に冨田勲で知りました。

 なお下記ブログ記事によると、ホルストには「日本組曲」というタイトルの曲もあるとのことです。

 

flautotraverso.blog.fc2.com

 

 さて、ようやく本題のエルガー批判に入る。といっても以前『kojitakenの日記』に取り上げたのと同じ内容で、ただこちらのブログを立ち上げる前の記事だったので、「読書と音楽の」と銘打ちながら音楽の記事がほとんどない弊ブログに音楽の記事を入れておこうと思った次第。

 上記コメントで言及されている「威風堂々」はエルガーで唯一広く知られた行進曲だが、作曲者のエルガーがとんでもなくつまらない保守野郎だったという話だ。

 以下は『kojitakenの日記』2015年5月9日付記事からそっくり引用する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 エドワード・エルガーは、ネット検索をかけなければファーストネームが思い出せない程度の、普段全く気に掛けていなかったイギリスの作曲家である。その作風はきわめて保守的であって、面白みも何もない。表向き保守的な印象でありながらその実十二音音楽の始祖シェーンベルクに影響を与えたブラームスとも違って、エルガーの音楽は骨の髄まで保守的なのだ。芸術の保守(革新)性と政治的立場のそれとは必ずしも一致せず、むしろ相反する例が多いような印象も持っているが、エルガーの場合はみごとに一致していたらしい。保守党の勝利に終わった今回のイギリス総選挙の結果は、さぞエルガーのお気に召すことだろう。


 5/8 史上初の任期満了による英国総選挙: きょうも歩く(2008年5月8日)より

  • 日本では、行進や卒業式などに使われる「威風堂々」という曲、作者エルガーは、保守党政権の英国を鼓舞する趣旨で作曲したので、労働党員には使わせるな、と言っていたらしくて、残念な話だなぁ、と私は思っています。


 この話、知らなかったので調べてみたら、確かにエルガーの遺志によって保守党以外の政党には「威風堂々」を使わせないことになっているらしい。

 希望と栄光の国 Land of Hope and Glory エルガー

希望と栄光の国
Land of Hope and Glory
エルガー「威風堂々」中間部のメロディがイギリス愛国歌に


イギリス愛国歌『希望と栄光の国 Land of Hope and Glory』は、イギリスの音楽家エルガー作曲による『威風堂々』第1番のメロディに歌詞をつけた楽曲。作詞はイギリスの詩人アーサー・クリストファー・ベンソン(Arthur Christopher Benson)。

『威風堂々』第1番は1901年に作曲され、同年10月22日にロンドンのクイーンズホール(Queen's Hall)で開催されたコンサートでは、当時としては異例の2連続アンコールが巻き起こったという。

イギリス国王エドワード7世も絶賛

当時のイギリス国王エドワード7世(Edward VII/1841-1910)も同曲を絶賛。エルガーは国王の依頼を受け、その中間部の壮麗な旋律に歌詞をつけて、翌年に作曲した『戴冠式頌歌 Coronation Ode』終曲として、この『希望と栄光の国 Land of Hope and Glory』を誕生させた。

その後、同曲はイギリスの愛国歌・第2の国歌として位置づけられ、独立した楽曲として演奏される機会が多い。ロンドンで夏に開催されるクラシック音楽コンサート「ザ・プロムス / The Proms / BBCプロムス」では、その最終夜「Last Night of the Proms」のアンコールで恒例として毎年必ず演奏されている。

サッカー応援歌や入退場BGMにも

『希望と栄光の国』は、サッカーイングランド代表サポーターが試合中やハーフタイムなどに応援歌として歌うことがあるほか、日本ではJリーグ浦和レッズのサポーターが応援チャンツとして同曲のメロディを(『威風堂々』の一部として)用いている。

また、イギリスのロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)は、同曲のメロディをコンサートの登場時にBGMとして用いていたほか、イギリス保守党保守統一党)における党大会の最終日で党員が退場する際にも使用されている(エルガーの遺志により他党は使用できないそうだ)。

ちなみにアメリカでは、学校の卒業式で卒業生が入場する際のBGMとして使用されているという。これは、米国コネチカット州のイェール大学(Yale University)から1905年に音楽博士号を授与された際、同大学の卒業式で『希望と栄光の国』のメロディが使用されたことがはじまりだという。


歌詞の意味・日本語訳(意訳)

Land of Hope and Glory, Mother of the Free,
How shall we extol thee, Who are born of thee?
Wider still and wider Shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty, Make thee mightier yet.


希望と栄光の国 自由の母よ
如何に汝を賞揚せん
誰ぞ汝により生まれ出でん
汝の領土は更に拡大を続け
汝を強大ならしめた神は
今も汝を強大ならしめん


なんだ、侵略行為を讃える帝国主義の歌か。最低だな。日本で言うなら北一輝岸信介安倍晋三かってところか。

こうして、好きでも嫌いでもなく無関心だったエルガーという作曲家がいっぺんに大嫌いになったのだった。

 

(『kojitakenの日記』2015年5月9日)

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20150509/1431130543

 

 引用文中の赤字ボールド部分は7年前に記事を公開した当時のもので、「日本で言うなら北一輝岸信介安倍晋三かってところか」と書いたが、今ならウラジーミル・プーチンを引き合いに出すところだ。

 「威風堂々」につけられた歌詞には、領土拡大を礼賛する、今ならプーチン主義とでもいうべき帝国主義を称える一節が含まれている。

 リベラルや左派は、チャイコフスキーショスタコーヴィチなんかではなく、ホルストの行進曲「威風堂々」第1番こそ排除の対象とすべきだろう。

 エルガーを聴く時間があるなら平原綾香を聴けってとこか。

*1:ネット検索によるとホルスト姓は北欧系とのことで、ルーツは北欧なのかもしれない。「グスターヴ」という名前がグスタフ・マーラーを連想させるのでドイツ系の人かと思ったが違うようだ。