KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

東野圭吾『沈黙のパレード』はアガサ・クリスティへのできそこないのオマージュ。湯川学と一緒にされたのではエルキュール・ポワロに失礼。理系トリックは容易に見破れるし、最後には湯川の『容疑者X』への理不尽な同情論まで出てきやがった(怒)

 初めにお断りしておきますが、本記事はタイトルの東野圭吾作品のほか、同じ東野の『容疑者Xの献身』、それにアガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』及び『スタイルズ荘の怪事件』のネタバレを含みます。さらにタイトルからも明らかな通り筆者は大のアンチ東野圭吾の人間なので、本記事は東野に対する悪口を主旨にしています。ですから東野ファンの方には読むことをおすすめしません。

 そんなわけで東野批判を始めるが、いつも読む前からどこを批判しようかと思いながら読む東野のミステリだけれど、膨大な東野作品を全部読もうと思うほど暇ではないので照準を主に「ガリレオシリーズ」と「加賀恭一郎シリーズ」に合わせている。この両シリーズは人気があるので図書館から借り出されていることが多いが、置いてあるのをみつけた時に借りて読むことにしている。ハードカバー版の最新作を読もうとまでは思わないので、読むのはいつも文庫本化されたあとだ。『加賀シリーズ』で文庫本化された10タイトルは第7作の『赤い指』と第10作の『祈りの幕が下りる時』を残すだけになった。しかし私の最大の照準は、稀代の悪書と私が位置づけている『容疑者Xの献身』を含むガリレオシリーズであって、このシリーズには東野の悪いところが濃縮された作品が多い。今回取り上げるシリーズ第9作の『沈黙のパレード』もその一つだ。本作を読んだことで、これまでに文春文庫に入ったガリレオシリーズは全部読んだ。最新の第10作『透明な螺旋』(2021)はまだ文庫本化されていない。おそらく文庫本化は来年(2024年)、図書館で借りられるのは再来年(2025年)頃だろう。本作は昨年(2022年)映画化された。

 

books.bunshun.jp

 

 以下、文春による煽り文句を引用する。

 

静岡のゴミ屋敷の焼け跡から、3年前に東京で失踪した若い女性の遺体が見つかった。逮捕されたのは、23年前の少女殺害事件で草薙が逮捕し、無罪となった男。だが今回も証拠不十分で釈放されてしまう。町のパレード当日、その男が殺された――

 

容疑者は女性を愛した普通の人々。彼らの“沈黙”に、天才物理学者・湯川が挑む!

 

 

ガリレオvs.善良な市民たち

 

“容疑者X”はひとりじゃない。

 

URL:https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167917456

 

 鼻で笑いたくなる露骨なミスリードだ。この煽り文句を読めばミステリの読者であれば誰でも「ああ、クリスティの『オリエント急行の事件』」を下敷きにしたミステリか、と思うに決まっている。

 しかし『容疑者Xの献身』にもののみごとに騙された読者なら、ああ、これこそクリスティが十八番とした「ミスリーディング」だろうと思うのではないか。少なくとも私はそう予想したし、それは正しかった。

 でもミスリーディングなら小説の中だけでやれば良いことだ。出版社のあざとい煽り文句を援用しなければ読者を騙す自信が東野にはなかったんだろうかと勘繰ってしまう。

 本書は一応、クリスティに対するオマージュの体裁をとっている。例えば文庫本の157〜158頁には

アガサ・クリスティオリエント急行の個室でさえ、もう少しましだったのでは無いかと思った。

と書かれているし、事件が解決したあとの同483頁では登場人物に

事件が解決したら去っていく。出来過ぎだと思う。みんなで話してたんです。あの人はきっと今度の事件解決にかかわっているに違いない、まるでエルキュール・ポアロだって。

と言わせている。

 しかし、ガリレオこと湯川学と一緒にされたのではポワロ(ポアロ)はいい迷惑だろう。東野はあの世のクリスティの怒りを買っているのではないだろうか。

 私が予想したのは、これは『オリエント急行の事件』のような「(1人を除く)全員が犯人」という設定のミステリではあるまいということだ。その予想は当たった。

 しかし、本作で東野はクリスティ作品からいくつもパターンを借用している。

 例えば「多段どんでん返し」がそうだし、「結局一番怪しい奴が真犯人だった」というパターンもそうだ。これらはいずれもクリスティの第1作である『スタイルズ荘の怪事件』で早くも使われている。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 私は2021年1月に『オリエント急行の事件』を読んで以来クリスティにはまったが、2番目に読んだクリスティ作品がこの『スタイルズ荘の怪事件』だった。クリスティ作品は東野作品とは違って、少なくともミステリ作品は全部読破しようとしている最中で、現時点でポワロシリーズ長編は33作中29作、マープルシリーズ長編は12作中8作、トミーとタペンスシリーズ長編は5作中3作を読んだ。ほぼ作品の成立順に読み進めている。短編集も先月に『ヘラクレスの冒険』を読み、残りは3冊ほどになった。

 『スタイルズ荘の怪事件』にせよ第2作の『ゴルフ場殺人事件』にせよ、これでほぼ事件解決のはずなのにまだ頁がたっぷり残っている、これはどんでん返しがあるなと思ったらやっぱりそうだったというパターンだった。しかもどんでん返しが何度もある。それを覚えていたから、東野がクリスティのこの手法を真似ていることは読みながらわかった。しかし「結局最初から一番怪しかった奴が最初の殺人事件の真犯人だった」というパターンまで東野がパクろうとは予想しなかった。だから実質的にクリスティへのオマージュの作品だというのはその通りだ。しかし出来の良いオマージュだとはお世辞にもいえない。

 本作でもっともバカにしたくなったのは液体窒素のトリックだった。湯川が最初に言い出したヘリウムガスによる殺人では容積が足りないと湯川自身が言い出した時、それならまさか液体窒素とかドライアイスみたいな相変化を利用したトリックじゃあるまいなと思ったらその通りだったので拍子抜けした。東野のガリレオシリーズはいつも理系トリックの部分がしょぼいのである。その意味で東野がエンジニア職を早々に見切ってミステリ小説家に転向した選択は正解だった。はっきり言って東野は理系の才能に乏しい。トリックが月並みであるばかりではなく、どっかのサイトでも批評されていたが思考方法もあまり理系的だとは思えない。

 私と同じことは、理系の学部を出た多くの読者が思うことなのではないか。例えば志位和夫鳩山由紀夫が読んでも同じことを思うのではないかと思った。

 ちなみにヘリウムのガスボンベも結構圧縮率は高い。14.7メガパスカル(150気圧)に圧縮されている。ヘリウムは圧縮率の高い気体だ。しかし相変化にはかなわない。液体窒素が気化すると体積は650倍になる*1。またドライアイスが気化して二酸化炭素になると体積は750倍になる。だから私は殺人に使われたのは液体窒素ドライアイスのいずれかだろうと思ったのだ。

 なお本作の単行本化は2018年だが、その頃にはヘリウムガスの価格が高騰していて民間のお祭りのパレードでおいそれと使えるものではなかったのではないかとの疑念も持たれる。もちろんトリックがヘリウムガスではないかというのは東野が仕掛けたミスリーディングだから本筋とは関係ないのだが。

 ヘリウムガスの価格高騰については下記リンクを示しておく。

 

www.nikkei.com

 

 本作が書かれるずっと前の2012年には既に、東京ディズニーランドで風船販売を中止するに至っていた。なお私が以前に勤めていた会社での検査工程でヘリウムガスを使っていたことがある。

 ヘリウムガス不足は今なお続いている。下記は2022年5月17日付読売新聞記事へのリンク。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 とはいえ本作最大の突っ込みどころは今までに書いた悪口に関わる部分ではない。終わりの方に出てくる湯川の言葉こそ最低最悪だ。以下本書から引用する。

 

 それに、と湯川は視線を外して続けた。

「僕には苦い経験があるんです。以前にも似たようなことがありました。愛する女性のために、すべての罪を背負おうとした男がいたんです。でも僕が真相を暴いたため、その女性は良心の呵責に耐えられなくなり、結果的に彼の献身は水泡に帰してしまいました。同じようなことはもう繰り返したくない、という気持ちがあります」(本書文庫版463頁)

 

 ふざけるな、と私が激怒したことはいうまでもない。「愛する女性のためにすべての罪を背負う」と称してその人間が何の罪もないホームレスを虐殺したと知ったら、その女性が「良心の呵責に耐えられなくな」ることなどあまりにも当たり前ではないか。あの『容疑者Xの献身』の真犯人は、本作に出てくる幼女と少女の2人を殺したあとに自らも殺された人間と比較しても極悪の度合いがさらにひどいのではないかと私は思う。

 それと同時に、あの稀代の悪書『容疑者Xの献身』を東野自身がどう思いながら書いたのか、またわからなくなった。ある時期から、東野自身はあれを本当の「献身」だとは考えておらず、出版社の戦略に乗っただけだとの仮説に傾きつつあったが、本作を読んでやはり東野はあれを本当の「献身」のつもりで書いたのではないかとの疑念がまた頭をもたげてきた。仮に前者だとしても十分に悪質だが、後者だとすると手の施しようがない。

 しかしさらに絶望的なのは、私と同じ観点から東野の該(害)作品を批判する意見が少なくともネットではほとんど見られないことだ。試しに「容疑者Xの献身 批判」を検索語にしてネット検索をかけたら、冒頭でヒットしたのはあろうことか弊ブログの下記記事だったorz

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 そういえば、筆者が運営するメインブログである『kojitakenの日記』に下記のコメントをいただいていたのだった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 suterakuso

すれちのお知らせコメントです。これは、少し気づきにくいかもしれません。

東野圭吾さんの直木賞「大問題だった」 北方謙三さんが明かす舞台裏
https://www.asahi.com/articles/ASR316T4BR2WUCVL01K.html?iref=com_rnavi_arank_nr02

kojitakenさんが毛嫌いする東野の直木賞ということで、おや?っと思ったのですが、読めるところまででは読めませんでした。ツイートを少し見ていくと…

https://twitter.com/nishiyamakimita/status/1631485280816603137
西山公隆(朝日新聞
@nishiyamakimita
容疑者Xの献身」はトリックを使ってるけれど、人間の心理が実によく描かれている。ここで押し切れなかったら、ミステリーの受賞なんて金輪際ないと思って、私は○をつけました――

だそうです。文学、疎いんで、知らないですけど、ついたツイートがべた褒めだらけで、逆に、kojitakenさんの、この本の倫理的な問題の指摘とあわせて、えらく胡散臭そうな人だなと思いました。念のために、wikiも見ましたけど、歴史小説、ハードボイルドとか、代表作のタイトルとか見て、知ってても興味なさそうと思いました。

 

 朝日新聞記者までもがこの認識とは、と私が呆れたことはいうまでもない。

 

 redkitty

まだ読まれていないかと思い、お知らせしようとしたのですが、sterakusoさんが投稿されていました。
 ここで注目されるのは北方ではなく渡辺淳一の評です。
 渡辺はこう言ったそうです。

「人が1人死ぬというのは大変なことで、トリックのために死ぬというのは許せない、普通の文学のリアリティーがない」

 

 渡辺淳一(2014年死去)の指摘が正しい。渡辺の他にも、東野が直木賞を受賞した時に同様の意見を発したミステリ作家たちも少なからずいたはずなのに、なぜその後Amazonカスタマーレビューにせよ読書メーターにせよ東野礼賛一色に塗り潰される気色悪い状態になってしまったんだろうか。カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』が日本では作品を誤読した解釈が多数派になっていることとあわせて、この国の読書界(というべきものがあるかどうかも知らないが)の未成熟さを象徴しているように思えてならない。

 そういえば香港の反体制運動家として一時注目された周庭氏が東野作品を村上春樹作品とともに愛読していると知って、彼女の前途に不安を感じたことを思い出す。氏は2021年にFacebookのページを停止し、その後は「沈黙」に転じたとのことだ。