KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

子ども時代にリライト版を読む前からネタバレを食ったガストン・ルルー『黄色い部屋の秘密』をようやく完読した

 ミステリのネタバレは今では禁物とされているけれども昔は横行していた。私が小学生時代に子ども用にリライトされた版で読んだガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』も犯人を知らされた上で読んだから興味は半減だった。

 この作品を自作のミステリ『複数の時計』で取り上げたのがアガサ・クリスティであり、同作では探偵のエルキュール・ポワロに論じさせていたが、『アガサ・クリスティー自伝』(ハヤカワ文庫)でもほぼ同内容のことを書いている。以下引用する。

 

読者の裏をかくミステリで、巧妙にくみたてられており、アンフェア、あるいはほとんどアンフェアと認めざるを得ないという人もいるようなタイプの作品だったが、その評価は当を得ているとはいえない。じつに手際よく小さな手がかりがみごとに隠されているのである。

 

 上記は、2015年にハヤカワ文庫から新訳版が出たガストン・ルルーの『黄色い部屋の秘密』(高野優監訳、竹若理衣訳)に収められた吉野仁(1958-)の解説文から孫引きした*1。訳者の名前は初めて見るが、監訳者の弟子らしい。「文責は高野にある」*2と書かれている。高野優氏は1954年生まれ。

 この訳文が非常に読み易い。但し、原文にある論理的につじつまの合わない部分を修正するなどの手を加えているらしく、「原文とは違う情報が含まれたり、原文にはない情報が補足されていることをお断りしておく(したがって、本書は作品研究には向かない。作品研究をするのであれば、原書や既訳も参照していただきたい)」*3と明記されている。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 本作は、18歳の若き新聞記者にして名探偵の卵のジョゼフ・ジョゼフィンことジョゼフ・ルールタビーユの活躍を友人の弁護士が記録するという、シャーロック・ホームズもののような体裁で始まるが、途中から犯人の不可思議な行動が目立つアルセーヌ・ルパンものみたいな冒険活劇になる。探偵による謎解きで明かされた犯人の行動ぶりには、まるで「人殺しをやるアルセーヌ・ルパンみたいだ」と思った。つまりそれなりに楽しめたということだ。

 子ども時代にネタバレを食った犯人を、今予備知識なしで読んだとしたら見破れるだろうかとも考えながら読んだが、中ほどに出てくる「消えた犯人」のところで疑ったに違いないし、消去法によれば確かにあの人しか残らない。このあたりの作りは本作の作品論をポワロに語らせた前述のクリスティの『複数の時計』に酷似している。クリスティ作品でも第2の殺人事件の容疑者は、被害者の生前の言葉から判断すると3人、というより事実上2人に絞られ、その片方はいかにも後期のクリスティが犯人に設定しそうな人だったから犯人が誰かについては確信を持って読むことができた。これは以前『複数の時計』を取り上げた記事にも書いた通りだ。但し、当該作品でクリスティが本作『黄色い部屋の秘密』を意識したかどうかはわからない。

 それよりも、1930年代の別の作品を書いた時にクリスティは本作を意識したに違いないと思う。あの犯人の設定はそれ以外には考えられない。ネット検索をかけた限りでは同案はみつからなかったが。なお当該の作品名はここでは挙げないが、私はその作品の犯人を当てることはできなかった。犯人の候補から外してしまったからだ。本作を先に読んでいれば、その作品の犯人も言い当てることができたかもしれない。

 本作の最大の特徴である密室「トリック」は、子ども時代に読んだリライト本の記録は完全に失われていたが(犯人は名前まで覚えていたのに)、今回も「そんなのを言い当てられるはずがない」と思った。もっとも、クリスティ作品にも「なんじゃそれ」と言いたくなるようなトリックや犯人の動機はよくある。私が一番ひどいと思ったのは、『三幕の殺人』で最初の被害者を殺した犯人の動機だ。あれも言い当てることは不可能だ。

 前記のクリスティが本作を評して「じつに手際よく小さな手がかりがみごとに隠されている」と言ったのは、おそらくこの密室「トリック」に関してだろうが、これは「騙す方」にとってみれば何でもありだということだろう。そうでなければミステリは書けないんだろうなとは私も思う。

 しかし、フェア/アンフェア論争はおそらく1920年代にアメリカやイギリスで始められたものであって、本作が新聞に連載された1900年代のフランスにはそんな規範などなかったに違いないから、論じても仕方ないことだ。

 それより、本作に続篇があるとは知らなかった。『黒衣夫人の香り』というタイトルで邦訳も出ているらしいが、その続篇には本作の探偵と犯人と被害者の女性が再登場する。この3人の関係がまたぶっ飛んでいるのだが、それには本作の最後の2ページで作者が露骨なヒントを出している。だから、ここまで書かれたら読み取れない読者などいないだろうと思った解説文の吉野仁は「続篇を読まずとも関係がどういうものか、おわかりだろう」と書き*4、堂々とネタバレの解説文を書いている。ここではそのネタバレ部分を白字にする。吉野は本作と続篇の二部作をドストエフスキーの某作と同様に「父殺し」をモチーフにした作品だと指摘し、監訳者の高野優も前記吉野氏の指摘に基づいて「父殺し」の読みが封殺されない訳文にすることを心掛けたというのだから念が入っている。実際に訳したのは前述の通り竹若理衣氏だから、サンフレッチェよろしくのお三方の合作といえるかもしれない。『読書メーター』を見ると、解説がまさかの続篇のネタバレをやっていると言って怒っている人もいたが、私はそもそも続篇があることを知らず、なんで全部終わったはずなのに作者はこんなどうでも良いことを延々と書くのかとイライラしながら読み飛ばしたので、3人の関係には気づかなかった。このように歳をとると気が短くなっていけない。元気なうちにこれまでの人生で読む機会を逃した本を少しでも読もうと思っているので、謎解きを終わった後の部分などはついつい読み飛ばしてしまう。

 この続篇の設定を知って初めて、本作の後半で探偵役のルールタビーユが奇矯な言動を繰り広げ続けた理由がわかった。それがわからなければもやもやした読後感が残ったに違いない。出版社は続篇の邦訳を出すつもりもないと思われるし、それなら本書の解説文のようなネタバレがあっても良い、というよりもむしろネタバレがあって良かったのではないかと思った。

 なお続篇では作者が本作で思いっきり露骨にほのめかした3人の関係は物語の開始早々に明らかにされるらしい。あとは本作とは違ってミステリというよりは超人的な悪党とそれに対抗する若き探偵らが繰り広げる冒険活劇のような話になっていて、ミステリファンの評価はいたって低いらしい。私はそんなにこだわりのある「ミステリファン」でもないので、字の大きな新訳版が出ていれば読んでみたいと思わなくもないが、ハヤカワ文庫にも創元推理文庫にも1970年代後半に刊行された字の小さな旧版しかないらしいから、読む機会は当分ないだろう。

 その代わり、図書館に同じ作者の『オペラ座の怪人』(1911)の邦訳を収めた2022年4月刊行の新潮文庫が置いてあったので、それを借りてきた。昔はルルーといえば『黄色い部屋』が有名だったが、最近はこちらのほうがよく知られているらしい。音楽学者の岡田暁生新潮文庫の解説文を書いていたのでそちらを先に読んだ。本文はまだ一行たりとも読んでいない。読んでブログに取り上げる気になったら記事を書くかもしれないし、書かないかもしれない。

*1:本書507-508頁。

*2:同503頁。

*3:同503頁

*4:本書512頁。但し原文を大幅にカットして引用した。