KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

東野圭吾『レイクサイド』(2002)のあまりの腐臭にげんなりした

 予定を変更して東野圭吾の「腐敗した」という感想しか思い浮かばない邪悪なミステリ『レイクサイド』(文春文庫)をぶっ叩くことにした。私は『容疑者Xの献身』(文春文庫)を読んで以来東野圭吾が大嫌いだが、たまに東野を批判するためだけに東野の小説を読むことがある。本作はその中でも久しぶりの「大当たり」だった。

 以下、もちろんネタバレを含む。

 本作は東野作品の中では知られていないと思われるが、2006年に文春文庫入りして今も絶版にならずに生き残っている。

 文春文庫には私が嫌ってやまない前述の『容疑者Xの献身』を含む「ガリレオシリーズ」が収められているが、このシリーズには腹が立つ作品が多い。一番嫌いなのはもちろん『X』だが、ワースト3を挙げると、2番目に酷いのは『禁断の魔術』、そして3番目が『真夏の方程式』だ。

 『レイクサイド』は、その『真夏の方程式』の悪い源流の一つだ。『真夏の方程式』は『週刊文春』連載が2010年で単行本化が翌2011年だが、『レイクサイド』は1997年の『週刊小説』に「もう殺人の森へは行かない」のタイトルの連載をベースにして書き下ろし、2002年に実業之日本社から刊行された。呆れたことに東野は本作を「会心の書き方ができ、いい仕上がりになった」と自画自賛しているらしい*1

 さすがに本作ほどの愚作ともあれば、アマゾンカスタマーレビューはもちろん『読書メーター』にさえネガコメはかなり見られる。しかし両サイトとも「感動した」という不気味な読者たちが少なからずいることはいうまでもない。

 面倒なので作品の概要は下記『読書メーター』の「ネタバレ」感想文で紹介する。もちろんネタバレ全開である。

 

bookmeter.com

 

 以下に全文を示す。

 

暗かった。あまり好きではなかった。 なぜ数家族が協力して完全犯罪を取り繕うのかのからくりが知りたくてどんどん読み進めたが、、、。お受験に関わる関係者に母達が身体を売ること、そこからの夫婦数組でのドラッグパーティ、父の浮気相手を子どもが殺すことなどあたしの思考では無理がありすぎた。

 

URL: https://bookmeter.com/reviews/114983916

 

 愛人を殺された主人公は、その義理の息子が血のつながりもない自分のために作ってくれた贈り物を知って、事件の真相を解明し、それを知ったあとには警察に通報しようとしていた自らの行動の予定を改め、数家族の共謀による殺人事件の湮滅に加担する。これがこの腐敗し切った小説の結末だ。つまり巨大犯罪は隠蔽される。そして一味の悪事をネタに強請ろうとした、一味と比較すればまだ「小悪」ともいうべき被害者にして主人公の愛人は、一味の小学生の息子に惨殺されたことが示唆されるが、それ気づいた主人公は「単純な動機だった」と納得して巨悪への加担を決意するというとんでもない結末なのだ。登場人物全員が悪人という小説は松本清張もよく書いたが、清張作品の場合は極悪人である主人公をさらに上回る巨悪によって主人公が破滅(たいていの場合は死亡)に追い込まれるのが定番だった。清張作品では、悪い主人公が死んで終わることによってそれなりのカタルシスがあり、本作のようにひたすら吐き気がするばかりという終わり方はしない。

 よくもこんな反社会的な小説が書けるものだと空いた口が塞がらない。さすがは自らが惚れた女の罪をかぶるためと称して罪もないホームレスを虐殺した「X」の極悪な殺人を「献身」として描いた人間が書いた小説だ。東野が売れっ子になる前から反社会的な小説を書いていたことは、講談社文庫に収められている『同級生』(単行本初出1993)を読んで知ってはいたが、本作の腐臭の激しさはその『同級生』をも上回る。こんな本ばかり書いている東野が当代きっての人気ミステリ作家だというのだから信じられないが、今の日本社会を象徴しているのかもしれない。

 本作は文庫本の解説文もひどい。千街晶之というミステリ評論家が書いている。知らない人だが、1970年生まれの53歳、文庫本の解説を書いたのはおそらく2005年後半だろうから、氏が35歳の頃の文章だ。以下に解説文の末尾近くの文章を引用する。

 

 事件の背後に隠された秘密を探りはじめた俊介は、最後にひとつの結論に達するのだが、それは同時に、ある苦い選択を強いられることでもある。この選択の是非については、読者の立場や考え方によって意見が異なるだろう。

 本書に限った話ではなく、著者の小説ではしばしば、主人公(またはそれに準じる立場の人物)が、何らかの選択を迫られる。そしてそこにあるのはいずれも、読者によって正反対の結論が出るような際どい選択肢である。

 例えば、著者の近作『容疑者Xの献身』については、ミステリとして優れていることは多くの読者が認めるところだろう。しかし、ラストで描かれる探偵役・湯川学のある行動については、否定的な意見をよく耳にする(かくいう私自身もちょっと引っかかるものを感じたくちだが)。(後略)

 

東野圭吾『レイクサイド』(文春文庫,2006)277-278頁)

 

 解説者が『容疑者Xの献身』を引き合いに出してきたから、「X」によるホームレスの虐殺に関する議論かと思いきやそうではなく、解説者の論点はなんと「探偵役・湯川の行動」だった。おそらく下記リンクのような話だろう。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

容疑者Xの献身を観たんですが結末にもやもやしてるので教えてください【ネタバレ】

 

湯川は石神のことを友人だと言っていながらどうして全て話してしまったんでしょうか?

石神はどんな犠牲を払っても愛する人に幸せになって欲しいと願ってたからこそ殺人まで犯したのに。

全ての罪を一人でかぶるのを見かねたとはいえ、唯一の友人ならあえて話さずに石神の願いを叶えてあげるべきだったんじゃないでしょうか…。

石神が必死に守ろうとしたものを湯川が最後の最後で壊してしまったように感じて、とても良い映画でしたが観終わってからもずっともやもやしてます。

原作は読んでいないんですが読んだらもう少し納得できますか?

自己解析でもいいので回答お願いします。

 

(「Yahoo! 知恵袋」より)

 

URL: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1333580988

 

 これはあの極悪ミステリ『容疑者Xの献身』の極悪さをさらに増せ、というとんでもない要求だ。論外である。

 最後に『読書メーター』とアマゾンカスタマーレビューから共感できた感想を紹介する。まず『読書メーター』より。

 

Takeshi Kambara

 

四組の家族による中学受験合宿中に死体が…ここから犯人探し、ではなく名乗り出た犯人を庇うべく完全犯罪の相談を始める大人たち。そして紐解けば解くほど出てくる人間の欲望などの黒い部分。言動が大分気持ち悪い登場人物たち殆ど全員嫌いになりながら読了😁そして一番恐れていた結末に落ち着いてくれてありがとうございます東野先生( ゚д゚)あまりにも悲しい結末に胸の底にズンッて大きな石を置いていかれた様な気分になりました。

 

URL: https://bookmeter.com/reviews/114305915

 

 文末の「ありがとうございます東野先生」というのはいうまでもなく皮肉または嫌味だろう。

 最後にアマゾンカスタマーレビューより。

 

m

★★☆☆☆ それでいいのか、人の親として、人間として。

2010年8月7日に日本でレビュー済み

 

犯人は想像もつかない人でした。

だけどそれは,いわばミステリーの邪道ともいうべき手法に近くて,風邪を引いてるポワロだったら大激怒するようなところだと思います。

そのあたりを置いておいたとしても,内容的にも,人間としてそういう結論を導いた主人公には,全くもって納得はいきません。

 

URL: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2L2C5JM8T86K0

 

 星を2つもつけていることを除いて(私なら絶対に星は1つだ)、このコメントが一番共感できる。

 そう、あんな「ミステリーの邪道」にはエルキュール・ポワロだったら、というよりアガサ・クリスティが本作を読んだら必ずや激怒したであろうことは絶対に間違いない。

 クリスティにも「子どもが犯人」という小説はある。しかし、有名なエラリー・クイーンの『Yの悲劇』と同様に、子どもは殺されて終わる。蛇足ながら『Yの悲劇』の場合は殺したのはなんと探偵役のドルリー・レーンであり、彼は探偵役でありながら登場した4作のうち2作で殺人を犯したとんでもない人間だ。

 これに対し、東野圭吾の『レイクサイド』では、犯人である可能性が極めて高い(それは作中で断定はされていないが)主人公の義理の息子が最後に贈ってくれたプレゼントに情にほだされた主人公が、自らの愛人を殺したであろう義理の息子を守るために四組の夫婦の共謀による犯罪の隠蔽に加担することを決意した。彼らや他の家族がその後どういう行いをなしたかと想像するだけでげんなりする。おそらく子どもたちは私立中学への裏口入学を果たし、その過程で「お受験に関わる関係者に母達が身体を売」ったに違いない。

 こんなミステリをクリスティやクイーン(リーとダネイの2人による共作のペンネーム)が読んだら目を剥いて怒るに決まっていると私も思う。

 しかしこの国では、なぜ『容疑者Xの献身』だの本作『レイクサイド』だのといった邪悪なミステリばかり書く東野圭吾が「大御所」に居座っていられるのだろうか。

 不思議でならない。