KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」を読む (第1回) トルストイとは40代までの自分の放蕩生活を棚に上げて「禁欲主義」の説教を行った人。妻・ソフィアを「世界三大悪妻」に数え入れるのは明らかに理不尽

 私が初めて読んだトルストイの小説は『アンナ・カレーニナ』で、もう40年前のことだった*1。これは面白かったが、次に読んだ『戦争と平和』にはへこたれた。特に、物語の流れをしばしば中断して長々と展開されるトルストイの自説の開陳に辟易し、それでもなんとか全部を読み切ろうと思って悪戦苦闘しながら、最後は意地でやっとこさ読み終えた思い出がある。私はその後に読み始めたドストエフスキーの方にはまったので、トルストイとは疎遠になった。その後『復活』も読んだが、さほど良いとは思わなかった。

 ただ、『アンナ・カレーニナ』を読むずっと前から気になっていたのが『クロイツェル・ソナタ』だった。しかしこの小説には読もうという意欲を妨げる要因があった。それは文庫本の解説目録などに書かれている作品紹介だった。たとえば、現在絶版であるらしい岩波文庫の1928年米川正夫訳には、下記の作品紹介がされている。

 

嫉妬にかられて妻を殺害した男の告白という悽惨な小説.殺人事件にまで発展した妬心が,夫の心の中でどのように展開していったかをトルストイは克明・非情に描き出している.その間,恋愛・結婚・生殖など,すべて性問題に関する社会の堕落を痛烈に批判し,最後に絶対的童貞の理想を高唱する.

 

URL: https://www.iwanami.co.jp/book/b248237.html

 

 「禁欲主義」を掲げる「トルストイ運動」についても聞きかじっていたので、そんな説教を読まされてはたまらないと思った。それがクラシック音楽好きの人間としては興味津々だったこの小説をこの歳になるまで読まなかった理由だ。

 その長年の心理的バリアを、先週の3連休最後の「海の日」(7/17)にようやく乗り越えた。それも一気読みで。ただ、同じ文庫本に併録された「悪魔」はあまりの重苦しさのために何日かに分けて読んだ。

 懸念していたトルストイのお題目は、作中で妻を殺害した男により述べられている。物語のあとにはトルストイ自身によるあとがきが付されて、それには10ページにわたって説教が開陳されているらしいが、私が読んだ原卓也(1930-2004)訳の新潮文庫版ではその要約が訳者自身が書いた解説に紹介されているだけだった。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 そして私の感想はといえば、下記アマゾンカスタマーレビューのレビュワー氏の感想に非常に近かった。

 

★★★★★ 作者の意識とは別に、作品は古くない

20101226日に日本でレビュー済み

 

文庫本の裏表紙には「性に関するきわめてストイックな考えと絶対的な純潔の理想とを披瀝した中編2作」とあるし、「クロイツェル・ソナタ」刊行時につけた「あとがき」からウルトラ・ストイシズムが引用されている。

 

だが、決して、性愛否定の古めかしい説教ではない。

 

2作とも関係者の死に帰結するのだが、直接の原因は、欲望ではなく、逆に、独占欲や貞潔観念なのだ。

さらに、性愛に苦しむ主人公たちへの作者のまなざしには、罪人への断罪ではなく、わかっちゃいるけどやめられない人間への共感のほうを強く感じてしまう。

 

作者の主観的な意識のありようはともかく、作品としては、決して古くない。「クロイツェル・ソナタ」には少子化問題の先取りのようなところもあり、そこも興味深い。

 

文章を読む楽しみという部分でも、セリフ中心の「クロイツェル・ソナタ」と、地の文主体で旺盛な筆力が横溢する「悪魔」の組み合わせで、味わいは豊かだ。

(なお、文庫の初版は1974年だが、2005年に改版されており、古い文庫本の小さな活字ではなく、読みやすい。)

 

URL: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RRXUY7B9LEJWF

 

 実際、併録されている「悪魔」について、訳者は実際に起きた事件に基づいた小説である*2ことを指摘したあと、下記のように書いている。

 

 しかし、『悪魔』という作品は、この事件だけにもとづいて書かれたわけではなく、トルストイ自身の苦い過去をも反映しているのだ。ソフィヤ夫人と結婚する少し前まで、トルストイは自分の領地のアクシーニヤ・バズイキナという百姓女と深い関係にあった。トルストイは一時彼女に、妻に対するような愛情を注ぎ、子供まで設けているのだが、1860年*3の外国旅行を機にその関係を断ちきっている。62年秋に彼がソフィヤと結婚した直後、『悪魔』に描かれているのとそっくり同じように、ソフィヤ夫人が屋敷の床洗いをさせるために村の女たちを集めたところ、その中にこのアクシーニヤが入っており、しかもほかの女たちが意地わるく夫人に、あれが旦那さまのお手付きですよと教えたため、夫人はその後ずっとはげしい嫉妬に苦しみ続けたという。さらにまた、五十歳くらいのころ、トルストイは召使部屋の料理女ドムナの性的魅力にひかれ、誘惑しそうになったことがあり、そのことも『悪魔』を執筆した一つの動機と言えよう。

 このように、『悪魔』はトルストイ私小説的色彩が濃い作品であるため、彼はソフィヤ夫人を傷つけることをおそれて、発表することを断念し、原稿のあることさえ秘密にしていた。1898年、兵役を拒否したためにアメリカに移住させられることになったドゥホボル教徒を救援する資金を作ろうとして、『復活』や『神父セルゲイ』をイギリスかアメリカの新聞に売ろうと考えた時、最初は『悪魔』もその中に含める予定だったのに、やはり考え直したのも、ソフィヤ夫人への影響を考えたからにほかならない。トルストイの存命中、『悪魔』はついに活字にならなかったのである。

 

トルストイ原卓也訳『クロイツェル・ソナタ 悪魔』(新潮文庫,2005改版)209-210頁=原卓也による解説より)

 

 トルストイにこんな目に遭わされたソフィア(ソフィヤ)夫人が「世界三大悪妻」の一人に数え入れられているという。

 

tenki.jp

 

⚫︎トルストイの妻・ソフィア

 

ロシアの偉大な文豪・トルストイの妻・ソフィア。子供たちを共に育てあげしっかり家庭を築いたトルストイとソフィア。何故、「悪妻」と呼ばれるようになったのでしょう。晩年、トルストイが文学から離れて、宗教活動などをするようになってからは、理想を求めるようになった夫と、現実的な生活をしたい妻の間で軋轢が生じるように。夫婦喧嘩が絶えなくなり、ついにトルストイは家出を。

 

その後、アスターポポという駅でトルストイは肺炎で亡くなったと言われています。財産を貧しい人に与えたいと理想に燃えたトルストイ。それに反し財産を守るため版権を取得するのに奔走したソフィア。そんな対立に耐えられなかったトルストイが家を出たと言われています。そんな晩年のいざこざが彼女が「悪妻」と呼ばれる要因になったようです。

 

URL: https://tenki.jp/suppl/e_kuraya/2019/04/27/29059.html

 

 しかし、トルストイ夫妻の不和の原因を最初に作ったのは明らかに夫のレフ・トルストイの方だし、問題の「悪魔」も破棄まではしなかったので、夫の死没の9年後まで生きたソフィアは存命中の1911年(トルストイ没年の翌年)に出版された。トルストイが考えを改めて「トルストイ主義」を始めたのは50歳くらいの頃だったようだが、その段階に至ってもなお料理女を誘惑しようとするなど、トルストイは理想と現実にやったこととの乖離が相当あったのではないか、それなのにソフィア・アンドレーヴナ・トルスタヤ(1844-1919)を「世界三大悪妻」の一人と決めつけるのは不当極まりないのではないかと思えてならない。トルストイとは、50歳になるまでは自分でもできなかったどことか自らが掲げる理想とは真逆の行いをしていながら、自分を反面教師にして、といえば聞こえがいいが、実際には自分が過去に犯した放蕩生活を棚に上げて説教を行った人物ではないかと私は思っている。

 

 なお、「クロイツェル・ソナタ」を読み終えた時に最初に連想したのは、アガサ・クリスティのあるミステリだった。「クロイツェル・ソナタ」は早い段階で犯人が妻を殺害したことを認めるので、以後は倒叙ミステリーとしても読める。しかしそれだけではなく、たまたま読み終えたばかりのクリスティの短篇(または中篇)に、「クロイツェル・ソナタ」との共通点が多い作品があったのだ。もちろんクリスティ作品の方があとに書かれている。

 また、作中で展開されるトルストイの音楽論が興味深いことに加えて、小説中のソナタと実際のベートーヴェンの音楽の進行とが整合しない箇所があるという突っ込みどころがあり、さらにはトルストイの「クロイツェル・ソナタ」に触発されて1923年に書かれたヤナーチェク弦楽四重奏曲があることなど、音楽関係でもネタには困らない。

 しかしトルストイなどのロシア文学とミステリ、あるいはロシア文学クラシック音楽との愛好層の重なりは思いのほか小さいようなので、それらについて来週と再来週に書いてみたい。来週が「ミステリー編」、再来週が「音楽編」になる。

 ただ、先月(6/7)に共同通信が上記の事項を一通り盛り込んだ記事を配信したので下記にリンクしておく。

 

www.47news.jp

 

 今回は、小説の概要と二葉亭四迷の「クロイツェル・ソナタ」評について書かれた部分を以下に引用する。

 

(前略)小説の方を概観しよう。嫉妬に狂って妻を殺した過去を持つ男が、列車で一緒になった「私」に事件のいきさつを語って聞かせ、併せて肉欲がいかに有害かを述べ立てる。力点はむしろ後者にある。

 

 男はポズドヌイシェフという名の貴族で、屋敷に出入りするヴァイオリン弾きのトルハチェフスキーが妻のピアノと合奏する親密な様子に不倫関係を疑い、ついには妻を刺殺してしまう。客を招いた夕食会で二人の弾いた曲が『クロイツェル・ソナタ』だった。ちなみに、ポズドヌイシェフは裁判の結果、裏切られた夫が汚された名誉を守ったという理由で無罪になっている。昔の事とはいえ、とんだ判決があったものだ。

 

 トルストイが『クロイツェル・ソナタ』を書いたのは60歳を過ぎてから。若い時には放蕩の日々を送ったこともあるが、年老いてからは性愛こそ諸悪の根源と思い定めた。本篇の後書きでも、キリスト教徒にとっての理想は純潔であり、夫婦であっても兄妹のように清浄に暮らすべきであるなどと主張している。二葉亭四迷は小説『平凡』の中でこれにかみつき、「何のことだ? 些(ちっ)とも分らん!(中略)伊勢屋の隠居が心學に凝り固まつたやうな、そんな暢氣な事を言つて生きちやゐられん!」と茶化した。

 

URL: https://www.47news.jp/9413087.html

 

 共同通信の松本泰樹記者が書いた上記記事には、音楽の話題もミステリの話題も出てくる(但しクリスティ作品は出てこない)。次回以降も参照することになるだろう。

(この項つづく)

*1:翻訳でロシア文学を読む人が悩まされるロシアの人名の父称だの男女で姓の末尾が異なることなどはその時に知った。たとえばアンナ・カレーニナの名前は父称を入れるとアンナ・アルカージェヴナ・カレーニナとなり、アルカージーの娘アンナでカレーニン家の女という意味になる。ロシアは人の名付け方からもひどい家父長制権威主義的な気風が強い国だと思われ、だからプーチンのような人間が出てきて、同様にバリバリの家父長制的権威主義者ではないかと疑われる山本太郎がそのプーチンにシンパシーを抱くのではないかとひそかに思っている。

*2:事件にかかわったステパニーダという女性の名前まで本作と同じ。

*3:原文は漢数字(以下同様)=引用者註