KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

東野圭吾『真夏の方程式』には松本清張『砂の器』との共通点もあるが、本質は『容疑者Xの献身』を焼き直した反倫理的小説

 初めにお断りしておくが、本エントリもいつものようにネタバレ満載なので、(私はお薦めしないが)表題作を読みたいと思われる方がもしおられるなら、この記事は読まないでいただきたい。

 

 やはり周庭氏は東野圭吾を読まない方が良いのではないか。また本邦の中学校や高校の図書室に東野の小説を置いてはならないのではないか。東野が2010年に連載し、2011年に刊行された長篇推理小説真夏の方程式』(文春文庫)を読んで、改めてそう思った。この本はお薦めしないので文春のサイトへのリンクは張らない。

 何よりいけないのは、本作があの反倫理的長篇小説『容疑者Xの献身』(2005) の焼き直しであることだ。つまり、害作品、もとい該作品と同じく「献身」をモチーフにしている。

 しつこいかもしれないが、本作を読んで改めて『容疑者Xの献身』に対する怒りを新たにした私は、またしても同作及びそれに基づいた映画に対するネガティブな批評を見出すべくネット検索をかけてしまったのだった。

 まず、「ミステリの祭典」というサイトに、非常に共感できる同作へのレビューがあったので以下に引用する。本論の『真夏の方程式』ではなく『容疑者Xの献身』への批判である。このサイトでは作品を10点満点で採点するが、最低は0点ではなく1点。つまりレビュワー氏は最低点をつけた。

 

No.78 1点 アイス・コーヒー 2013/12/16 14:08

 

あまりに有名な作品だけにこの点数をつけるのにはずっと躊躇していた。それゆえ、本作の書評は今まで避けてきたのだった。

もともと、私は東野圭吾氏の作品と相性が悪い。その作品の面白さが良く理解できないのだ。そんな私が氏の代表作にケチをつけるのはおかしいかもしれないが、一度私の意見も読んでいただきたい。

 

本作は天才数学者の石神が自分の愛する花岡靖子の為に、鉄壁のアリバイで完全犯罪を成し遂げようとするストーリーだ。見事な伏線や、二転三転する展開に驚かされた読者は多いだろう。私もそうだった。

しかし、まず気にいらなのはトリックに大きく関係するある部分だ。ネタバレにならないように書くが、人の命を虫けら同然に考えるあるまじき内容があるのだ。さらにそこまではいいとしても、それを作中で最も論理的思考ができるはずの湯川がほぼ黙認している。恋愛小説とか、ミステリとかそれ以前に人間としてあってはならない事ではないだろうか。なぜ湯川はそれを…。

またトリックの必然性に乏しいことも本作の欠点の一つである。これは偶然に頼りすぎだし、例え必然的な流れとしてこのトリックが現れたとしても、やはり東野氏自身の道徳的人格を疑ってしまう。もう少しこの点を丁寧に書いても良かったのではないだろうか。恐らくキリスト教圏に翻訳されても日本ほどの賞賛は受けられないだろう。

 

思うに東野氏は恋愛部分と推理部分を別々に思い付いたのではなかろうか。それを強引に縫い合わせてしまったがために思いもよらぬ亀裂が入っていまったのではないだろうか。だから、私は本作が本格かそうでないかという議論には不毛さを感じる。恋愛として若しくは推理小説として別々にとらえるならある程度の評価ができるのに、二つ合わせてよく見ると完成度が低いのだ。実際には恋愛部分もさほど偉大な内容ではないと思うのだが、本書評では特に触れないこととする。

 

あとは、些細なことだが石神や湯川の描き方に違和感を感じる。理系としての立場から言わせてもらえば、彼らは明らかに文系である。湯川の妙に論理から逆らった行動や、石神の再試での奇妙な行動。理系だったら「数学に関する意見を書いてほしい」なんて言わないでしょう。理系を主人公に置く文学において、ここまで粗雑な表現をした東野氏がまた理系であるという事実に驚きを感じる。何故本作が直木賞に輝いたのだろう。

 

ここまでグダグダと書いてきたが、私は本作のすべてを否定したいわけじゃない。本作のトリックや描写にはなかなか優れた部分もある。しかし、本作にある道徳的問題は社会問題も巻き起こしかねないし、それを論理的思考者であるガリレオに美化させるやり方は間違っていると思う。その意味での点数だ。

 

出典:http://mystery.dip.jp/content/book_select?id=815&page=2

 

 東野の「探偵ガリレオ」シリーズは、もともと「理系トリック」を用いた「ハウダニット」に興味の焦点を当てた作品群だったが、東野には「理系トリック」の引き出しの持ち合わせがあまりないらしく、弊ブログでも一度取り上げた第1短篇集の『探偵ガリレオ』(1998)はまあまあの出来だった(というか、ガリレオシリーズの中ではこの第1作が一番マシだと思う)が、第2短篇集の『予知夢』(2000)で早くもネタ切れを感じさせた。しばらくこのシリーズが中断したが、東野が改めて挑んだのが長篇『容疑者Xの献身』だった。この長篇になると、探偵が物理学者・湯川学(間違いなく1949年にノーベル物理学賞に輝いた湯川秀樹にちなんだ命名だ)である必要などもはや何もない。東野は確かに理系学部の卒業だが、彼がもっとも才能を発揮するのは前々回のエントリで取り上げたシリーズの第2長篇『聖女の救済』(2008)で私も見破れなかった叙述トリックであって、「理系トリック」の多くは月並みだ。『聖女の救済』も、本論の対象である『真夏の方程式』もともに湯川は必要ない。『真夏の方程式』には小学校か中学程度の理科(化学)の話しか出てこない。

 だが『容疑者X』にしても『真夏の方程式』にしても、それ以上に道徳的・倫理的な面が大問題だ。

 『容疑者Xの献身』の映画版に対しても、下記の批判があった。

 

172.《ネタバレ》 これは原作が駄目です。

好意の対象としての女性で、DV被害者を助けるために、出来る事いっぱいあるのに・・

この天才?は、無関係のホームレスに嘘のアリバイ工作を指示した挙句、殺して身代わりにするという暴挙に出ました。

どこに、こんなアホな事する天才が居るかって、爆笑しました。

単に死体を完璧に処理すれば、事件が無かったことに出来るのに、もう一人殺すという選択。

原作がアホだと、どんなにいい映画を造ろうとしても結果は同じです。

 

原作はミステリーの何かを受賞してますが、その時の審査員がこう言ってます。

「指摘はあるが、推理小説は、道徳的である必要は無い」

ミステリー読むのが恥ずかしくなるエピソードでしたね

 

グルコサミンSさん [DVD(邦画)] 3点(2016-04-04 21:59:28)(良:6票)(笑:1票)

 

出典:https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=16044

 

 引用文の最後にあるコメントをしたのは、推理作家の北村薫らしい。

 

 ようやく『真夏の方程式』の話に移ると、本作は『容疑者Xの献身』をなぞったような小説だ。2つの殺人事件があるが、最初に提示されるのは時間的には第2の殺人事件であり、その16年前に第1の殺人事件が起きている。

 『容疑者X』では第1の殺人事件の犯人は母娘で、娘は中学生だが、『真夏』では16年前に中学生だった娘による単独殺人だ。この娘は不倫から生まれたが、実の父親が真犯人である実の娘を庇って自らが犯人であるかのような演技をして逮捕され、有罪判決を受けて服役後出所したものの、職が得られずに一時ホームレスになっていた。現在は脳腫瘍に冒されて余命幾ばくもないが、この男を逮捕した元刑事が、この件は実は冤罪事件であって、自分は冤罪の片棒を担いでいたのではないかと疑って退職後もこの事件を追っていた。この元刑事がホームレスになっていた元受刑者を発見し、彼が重病であることに気づいてホスピスに入れていた。

 ある日、この元刑事が、真犯人の両親が営む旅館に泊まりに来た。宿で元刑事が冤罪で投獄された元受刑者の名前を出したところ、16年前の娘の犯罪が暴かれるのを恐れた父親(彼は娘と血のつながりはない)に殺害された。しかも卑劣なことに、この父親は夏休みで遊びに来ていた親戚の少年に犯罪の片棒を担がせた。

 以上、キーボードを打つだけでむかつく話だ。「容疑者X」は罪のないホームレスを虐殺したが、この父親も過剰防衛によって罪のない、それどころか自らが関与した冤罪事件をよって冤罪を被せてしまった元受刑者に償いをしようとしていた、およそ刑事とは思えない高潔な人間を、16年前に殺人を犯した娘を守るためという口実で殺してしまった。これでは元刑事も元受刑者も浮かばれない。とりわけ元受刑者にとっては、ホームレスだった時に「容疑者X」に虐殺されずに済んだことが唯一の救いだったくらいのもので、他に良いことなど一つもなかった。彼が16年前に「献身」さえしなければそんなことにはならなかったのに、と私などは思う。

 ところが、こんな殺人を探偵役の湯川は許して隠蔽に加担してしまう。この点に関しては『容疑者Xの献身』よりももっとひどい。殺人一家の父親は、元刑事の死について警察に自首したが、殺人ではなく事故だったと嘘をつき、無能な県警は彼の嘘にまんまと騙されてしまう。また作中で、16年前の殺人者である30歳の女性は「善玉」扱いされている。この女性は二度までも「献身」の対象になっているが、そのことを思い煩っている様子が全然うかがわれない。彼女が心配しているのは、16年前に自らが犯した殺人が露見することだけのように見える。

 しかし、各種感想文を見ると、こんな小説にも「感動」しているらしい人たちが少なくないのだ。中には、『容疑者Xの献身』では露見したのに、と疑問を呈する人たちもいるが、そういう人たちも『容疑者Xの献身』の方が良かった、などと言っている。頭が痛くなる。

 どう考えても、殺人を犯してしまった愛する者を庇うために別の殺人を犯すことを「美談」仕立てにするのはおかしい。そんなことをしたら、多少は情状酌量の余地がある最初の殺人より「殺人事件を隠蔽するための」第二の殺人の方がより悪質になるに決まっている。しかし、そんな常識は東野の作品世界とその読者たちには通用しないらしい。

 やはり東野圭吾には倫理的に大きな欠陥があるとしか思えない。『容疑者Xの献身』、『真夏の方程式』の他にも、弊ブログで「超駄作」と評した『同級生』、それに加賀恭一郎シリーズ第1作の『卒業』など、大きな倫理的問題を感じた小説がいくつもある。

 ところで、『真夏の方程式』を読んで松本清張の『砂の器』を思い出したという読者を複数ネットで発見した(私は特に連想しなかった)。また、『砂の器』を引き合いに出さずとも感想文中に清張の名を挙げた人が他にもいた。『容疑者Xの献身』や(私が清張の短篇「捜査圏外の条件」を連想した)『聖女の救済』の感想文ではそのような例にはお目にかかっていないのになぜだろうと思ったが、すぐに気づいた。確かに『砂の器』と共通点がある。

 以下に、「読書メーター」および「アマゾンカスタマーレビュー」から拾った、『砂の器』を連想したという感想文の例を紹介する。『真夏の方程式』に対しては賛否両論だ。まず「読書メーター」から3件。

 

カムリン

ガリレオ版「ぼくの夏休み」。この作者は、あれか、「殺人を犯してしまった女を身を挺してかばう男」っていう図式が好きなのか? それが永遠のテーマなのかね。べつにいいけど。人の好き好きだし。個人的には殺人という凶悪犯罪を隠蔽するのは好かん。トリックはそこそこ秀逸。動機は「砂の器」の焼き直しか。犯罪自体は醜く冷酷、殺す必要の無い人を殺してる。少年と科学者が海辺でほのぼのしてるので、それなりに心休まり、面白く読める。二つの殺人、一つは真犯人が隠され、一つは殺人であることが隠されて、そこに正義はないけどね。

2014/08/13

 

出典:https://bookmeter.com/reviews/40292548

 

luny

良かれと思って真実を知ろうとする、元刑事。秘密を知られたくない家族。犠牲愛を貫こうとする真の父。清張の名作「砂の器」を彷彿させる。ところがどっこい、少年にも大きな荷物を背負わせる羽目に。ガリレオ博士の論理的な説得が少年に未来を期待させる。読み応え充分でした。

2013/11/11

 

出典:https://bookmeter.com/reviews/33306340

 

morimama

良質のミステリーには人間が深く描かれている。登場人物である役者が出揃ったところで過去の謎は予想できてしまいますが、現在の事件の謎はやはり解けませんでした。そこは物理の天才湯川博士にお任せです。途中、余命いくばくもない老人の姿に松本清張の「砂の器」が重なりました。和賀英了のことを聞かれた老父が必死の形相で「おら、知らねえ!」と慟哭するところです。そして「容疑者X・・・」に続きここにも現れた「献身」。「白夜行」「幻夜」など献身路線は東野さんの一つのテーマなのでしょうか。果たして人は愛する者の為に罪を被れるのか

 

2012/04/29

 

出典:https://bookmeter.com/reviews/18549215

 

 上記3件目のレビューにはコメントがいくつかついているが、それらを参照すると東野の本作は清張の原作よりも有名な映画版『砂の器』を強く連想させるようだ。なお私は原作は読んだが、映画版は見たことがない。

 続いて「アマゾンカスタマーレビュー」より。

 

トビー

★★★☆☆ ある意味平成の砂の器もどき

Reviewed in Japan on September 7, 2014

 

真実を口にしない病院の父親をいう登場人物が、なぜか映画「砂の器交響曲を思い出させた。

 

砂の器では、もと巡査の三木謙一が音楽家和賀英良に実父の見舞いを強く嘆願したことにより殺人が起きたが、本作品ではそのような記述はない。そのところが、殺人動機として弱すぎるという皆さんの指摘になっている。つまり人一人をそれだけの理由で殺め、そしてガリレオは隠蔽してしまう。

もう一つの殺人とはまったく違って同情の余地はない。

砂の器と比べても、同様である。

 

病院の医療費は誰が負担するのだろう。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYY5U0WLDLKVN

 

 『砂の器』では前衛作曲家(映画版は見ていないけれどもピアニストだっけ)の和賀英良が、自らの過去(少年時代)を知る人物を殺した。『真夏の方程式』では、娘が中学生時代に犯した殺人を知ることになるかもしれない人物を娘の父親が殺した。両作の犯人はともに「過去を隠し続けるために殺人を犯した」。

 しかし、これも弊ブログで繰り返し指摘してきたことだが、作家としてのあり方において清張と東野圭吾は全く違う。当たり前だが、清張は和賀英良を無罪放免したりはしなかった。清張は来年(2022年)に没後30年を迎えるが、今なお読み継がれている。しかし、東野の没後四半世紀経って彼の作品を読む人など誰もいないだろう。

 東野の「ガリレオシリーズ」が清張を思わせるとのレビューの中には、下記のような辛辣な批評もあった。

 

K Tailor

★★☆☆☆ 面白いには面白いのだが、ミステリとしては?

Reviewed in Japan on September 8, 2013

 

東野のガリレオシリーズ長編。

とある海辺の町で見つかった事故死と思われる遺体。たまたま同じ宿に居合わせたガリレオ先生は案外積極的に事件にかかわっていくのだが、やがて判明する意外な事実、警視庁の捜査で掘り起こされる過去の事件、そして・・・というややサスペンスタッチの作品だ。

 

なかなかサスペンスフルで面白い小説なのだが、冷静に思い返してみると・・・さて。とんでもないトリック?快刀乱麻を断つ推理?読者から見てあぁーやられた感?どれもなんともパッとしなくて。ミステリとしてはどうなのか。確かに人物描写は面白い。ガリレオ先生の発言の変人ぶりやら、小学5年理科算数へのオーバーテクノロジーな教え方、科学調査と自然保護の軋轢やらと、突っ込みながら読むには事欠かない面白さがある。まぁその一部が伏線にもなってはいるのだが。。。

 

もともとガリレオシリーズは、あまりトリックトリックしていなくていわゆる松本清張の流儀も取り入れているようなので、そこを指摘してもという話もあるのだが、「聖女の救済」でどかんとやられた後だけに、ちょっとがっかり感あり。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R3N0HVXLGA5ZJ8

 

 最初の短篇集では「理系トリック」がウリだったのに、「あまりトリックトリックしていなくていわゆる松本清張の流儀も取り入れている」などと言われては東野圭吾も形無しだろう。

 東野は、清張よりもはるかに(長篇に清張をモデルにした人物を登場させてこき下ろした)筒井康隆に近い資質があるのではないか。東野作品の比較的初期には、自らが「本格推理小説」のキャラクターであることを自覚している作品をはじめとして、メタ的な視点から書かれた作品が何冊もある。私がもっとも楽しめたのはそれらの作品だった。理系ミステリの短篇集『探偵ガリレオ』も悪くはなかったが、メタミステリの作品群ほどには面白くなかった。最初に引用した『容疑者Xの献身』のレビュワー氏が指摘する通り、東野は理系的というより(たとえ氏の専攻や職歴が技術系であるにせよ)文系的な人であるように思われる。

 私見では、そんな東野に一番合わないのは今世紀に入って多用するようになった「お涙頂戴」の路線だ。また社会派風の味付けも感心しない。氏の考え方には倫理的な問題があるため、変に社会派風や「お涙頂戴」のストーリーにすると、とんでもない方向に読者を誘導してしまう。長篇に隅田川のホームレスを登場させて、社会派推理風の話にするのかと思いきや、そのホームレスを虫けらのように殺すのがメイントリックだったと知った時の驚きと怒りは強烈だった。

 理系もお涙頂戴も社会派も、東野圭吾には似合わない。