今日(3/11)で東日本大震災と東電原発事故からちょうど10年になる。
先月下旬に下記の本を読んだ。
何よりもタイトルが良い。あの原発事故の略称を「福島原発事故」ではなく「東電原発事故」としている*1。弊ブログでは2011年のある時期以来、略称は「東電原発事故」で通している。
内容的にも、近年になってようやく明らかになった東電の悪行が書かれている。それに触れた「アマゾンカスタマーレビュー」があったので、手抜きで申し訳ないが以下に2件引用する。
レビューン
★★★★☆ 事故ではなく、公害事件。
Reviewed in Japan on March 3, 2021
2020年9月30日、仙台高等裁判所は、福島原発事故を国は防ぐことができたという判決を下しました。この本は、その判決に至るまでの経緯が述べられてます。
著者は科学ジャーナリスト(工学修士取得者)で、この著者が見つけた文書が裁判に採用されてもいるようです。
読んで衝撃を受けっぱなしでした。たとえば、裁判によって以下のことが明らかになったと。
2007年時点で、福島第1は国内で最も津波に余裕のない脆弱な原発だとわかっていた。2008年に東電の技術者は津波対策が必要だという見解で一致していたが、東電の経営者が先送りを決めた。東海第2の経営者は津波対策をすぐに始めた。東北電力がまとめた女川原発の最新津波想定を、東電は自社に都合が悪いからと圧力をかけて書き換えさせた。
ひと通り読んで、いわゆる学歴エリートの人たちが何をしているのか、その一端を垣間見れました。自分たちに不都合な事実があると、それを否定する論理を構築してごまかす。間違っていることでも論理的に正しくさせて自己正当化。失敗に対して嘘と隠蔽で対処してます。
出典:https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R39FLOGYJEUQDE
無気力
Reviewed in Japan on February 21, 2021
東日本大震災から10年が経過しようとする中で、各種の出版が相次いでいる。本書は、なかでも福島第一原子力発電所の事故に焦点を当てて、東京電力が適切な対策を講じていたのか否かを論じるものである。
大規模な地震の発生とそれに伴う津波の被害をどの程度想定し、対策を講じていたのか。主に数々の裁判で明らかになった事柄や各種の調査報告書を根拠に、大規模な地震が発生する可能性があり、特に福島第一原子力発電所は津波対策が十分ではないことを知っていながら東京電力が対応を先送りにしていた事実を本書は詳細に明らかにする。これについては本書第2章で詳しく論じられるが、少なくとも2008年段階で、大規模な地震の可能性を認知した日本原電は東海第二発電所について津波対策を追加で行い、東北電力は女川原子力発電所にかかわり大規模な地震と津波への対策を報告書で言及しようとしていた。その東北電力に対して、自らが対策しないことが不自然になることから記述を変えるように東京電力が迫っていたというあたり、完全に「アウト」だろう。
各種の裁判では東京電力の責任を認める場合と認めない場合で結果は分かれている。社内の誰かの責任ということでは確かに明確にならないところはありそうだが、さすがに会社としての責任は免れそうにないことを本書は明確にしているように思う。
出典:https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R34G1L9V2Y1O0V
またネイチャーの社説は、原発はもはや脱炭素の切り札にはなり得ず、再生可能エネルギーが中心になると論じているとのこと。
世界のエネルギー供給における原子力の役割は先細り――3.11を前にしたネイチャー誌の社説。膨大なコストや規制の多さなどから、もはや脱炭素の切り札にはなりえず、世界はこのまま太陽光や風力など再生可能エネルギーに向かう、としています。https://t.co/lOCwYfnHEL
— 小林哲 🌤️ Tetsu KOBAYASHI (@kbts_sci) 2021年3月10日
しかし、世界のエネルギー供給の流れを変えた東電原発事故を引き起こした日本政府は今なお原発にこだわっている。菅義偉が昨年の総理大臣就任時に打ち出した「2050年までに脱炭素社会を実現」とする目標でも前提とされているのは原発の活用だ。
だが、自民党内、それも菅義偉の側近からさえも「脱炭素社会に原発は不要」とする意見が出てきているらしい。これを言っているのは秋本真利衆院議員。以下にブルームバーグの記事へのリンクのみ示す。
そうはいっても自民党政権ではすぐには変わらないとは思うけれども。