KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」を読む (第2回) 「クロイツェル・ソナタ」とアガサ・クリスティのとある中篇(短篇)小説とシェイクスピアの『オセロ』

 少し間が空いたが、7月23日に公開した下記記事の続き。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 トルストイの中篇「クロイツェル・ソナタ」は、妻の不貞を疑った夫が、仕事のために外出して空けているはずの家に帰ってきて、疑っていたヴァイオリニストが妻と一緒に自分の家にいることを発見して逆上し、妻を殺す話だ。夫は男と妻の性交の現場に踏み込んだものですらなく、男と妻が自宅に居合わせただけで切れた。

 小説を読み終えて直ちに連想したのが、アガサ・クリスティのとある中篇ミステリだった。以下の文章は、ハヤカワ・クリスティー文庫の『クリスマス・プディングの冒険』に収録されているさる中篇への言及がある。また、それとほぼ同内容の短篇が同文庫の『黄色いアイリス』と『マン島の黄金』に収録されている。それらのネタバレを嫌う方は、続きを読まない方が良い。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を読む直前に読んでいたのは1960年に刊行された中篇集『クリスマス・プディングの冒険』に収められた「スペイン櫃の秘密」だった。この中篇は1932年に書かれた短篇「バグダッドの大櫃の謎」を土台にして中篇にふくらませた作品だ。「バグダッドの大櫃の謎」はアメリカで1939年に発行された短編集『The Regatta Mystery』に収録されたが、クリスティの本国イギリスでは未刊の短篇だった。それを改作したのが「スペイン櫃の秘密」で、クリスティは42歳の時に書いた短篇を70歳の年に改作したことになる。なおクリスティ没後21年の1997年に本国イギリスで単行本未収録だった短篇を集めて編まれた『マン島の黄金』に古い短編の方の「バグダッド大櫃の謎」が収録されたが*1アメリカ版ではこれの代わりに「スペイン櫃の秘密」が収録されたとのこと。つまりアメリカ版では「バグダッドの大櫃の謎」が既に別のタイトルの本に収録されていたため、『マン島の黄金』には改作された中篇の「スペイン櫃の秘密」を収録したものらしい。ということは、アメリカでは『クリスマス・プディングの冒険』は刊行されなかったのかもしれない。日本版は英米で刊行された短篇集の邦訳がすべて刊行されている。従って「バグダッドの大櫃の謎」が別々のタイトルの短篇集2冊に入っているが、『マン島の黄金』収録の際に同じ訳者(中村妙子)によって改訳されている。つまり同じ訳者の新旧の訳が読めるという念の入れ方だ。その日本でいまだにクリスティをエラリー・クイーンやジョン・ディクスン・カーより下に見るミステリファンが少なからず残っているのに対し、クリスティの本国イギリスはもちろん、クイーンの本国であるアメリカでもクイーンやカーの人気は彼らの没後に急落したのに対してクリスティの人気は今も衰えることがないらしいことも興味深い。

 ここで少し脱線するが、クリスティは晩年の1963年に書いた『複数の時計』でポワロにミステリ論を開陳させており、その中にジョン・ディクスン・カーへの言及があって、クリスティがコナン・ドイルらなどとともにカーを高く評価していたことがうかがわれる。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 この『複数の時計』はミステリ作家の霜月蒼がクリスティ前作品を読破した後に書いた「攻略本」で0.5点という超低得点をつけた作品だ。私が東野圭吾の『容疑者Xの献身』『レイクサイド』『禁断の魔術』の3作品に対してつけそうな点数だが*2、このように「権威が駄作とのお墨付きを与えた」作品に対しては、読書レビューのサイトの投稿者たちが安心して酷評できるらしく、『読書メーター』での評価もさんざんだ。一方で殺人という大犯罪を集団で隠蔽し、主人公がそれに加担することを決意して終わるという東野の信じ難い極悪ミステリ『レイクサイド』に感動したなどと平然と書くレビュアーが後を断たない。これには空いた口が塞がらないとしか言いようがないのであって、明らかな反社会的人物が党首を務める某国政政党が支持を拡大しているらしいことと通底する現象だろうと私は考えている。私が思い出すのは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、1980年頃に極悪漫才コンビのツービートが流行らせたフレーズだ。あれが流行っていると知った時から私は激しい嫌悪感を持ち、それはその後43年間全く変わらないが、43年前から恐れていた通りの事態が今も続いているばかりか、最近はそれが加速しているかのようだ。

 話が逸れたが、『複数の時計』を酷評するレビュアーに限って、犯人は予想もしなかった人物だったなどと平気で書いているのには本当に呆れるほかない。彼らは自らが馬鹿にしたミステリに完敗しているのである。

 確かに1950年に60歳にして名作『予告殺人』を書いたあとのクリスティには顕著な衰えが見られることは事実だ。特にポワロものは第26作の『ヒッコリー・ロードの殺人』(1955)がその前の『葬儀を終えて』(1953)よりも格段に落ちると思ったら、それ以後の長篇でも第25作まで(但し『ビッグ4』を除く)の水準を回復できないまま『複数の時計』に至っていることは否めない。ミス・マープルものでも『予告殺人』に続く5番目の長篇『魔術の殺人』(1952)は不出来だったが、次の『ポケットにライ麦を』(1953)で、それまで「安楽椅子探偵」だったミス・マープルの行動範囲を大きく広げるという設定変更を行なって活路を見出した。マープルシリーズ長篇第7作『パディントン発4時50分』(1957)は、私の見るところ、『予告殺人』には及ばないものの同作以降に書かれたクリスティのミステリの中ではもっともすぐれていると思う。それに続く第8作『鏡は横にひび割れて』(1962)も、以前弊ブログに書いた通り私はそれほど買わないけれども、高く評価する読者もおり、その理由はそれなりに理解できる。しかし、クリスティ自身が気に入っていたミス・マープルものに残された力を振り向けたあおりでも食ったか、エルキュール・ポワロの方が「安楽椅子探偵」と化して精彩を欠くことになった。この残念な特徴は『複数の時計』にももろに当てはまる。

 それはそうだけれども、そんな『複数の時計』にも「腐っても鯛』的なクリスティの特徴はよく出ている。『複数の時計』を馬鹿にした多くの読者が見破れなかった「意外な犯人」の設定もその一つだ。読者が犯人をなかなか見破れないに違いないと見込んだクリスティが大胆なヒントを与えているところも、初期作品にしてクリスティの最高傑作『アクロイド殺し』(1926)とちっとも変わっていないなと、私はある種の懐かしさを感じながら読んだ。

 こう書くからには犯人の見当がついたという意味だが、見破れたは作中で第2の殺人事件が起きたところで、そういえば最近はクリスティ作品の犯人当てをしようとあまり思わなくなったな、ここで推理してみるかと思って第2の殺人の容疑者は誰かと思って考えてみると、簡単に3人に絞られた。そのうちの1人は作品冒頭の三人称で書かれた部分の記述を見ると容疑者の候補から外さないわけにはいかないから2人に絞られる。そのうち1人は、先に候補から外した1人とともに「最初から怪しい人物が本当に犯人だった」というクリスティの得意パターンには該当するけれども、それではあまりに面白くない。ところがもう1人の方は、いかにも読者が気づきにくい人物であるとともに、中期以降のクリスティ作品ではこの手の人物が犯人であることが少なくない。ああ、なんだ、こいつが真犯人なのかと確信し、その通りの結末を迎えた。共犯者については、登場人物が言う「どこかで見たことがあるような」という人物がそうなんだろうなと思ったが、その詳細まで同定する作業をするのはさすがに面倒なのでそこまではやらなかった。でもそういう作業だって私のような年寄りとは違って気が短くない中学生や高校生の読者にならば簡単にできるだろう。

 このように、クリスティ作品には「よく読めば犯人がわかる」という得難い特徴がある。だから『アクロイド殺し』だって中学生が集中して読めば真犯人は割り出せるのである。現に私は中学生の時にそれを成功させつつあったが、まさにその最中に級友のネタバレを喰らうという痛恨事に遭遇した。しかし『読書メーター』を見ると、『アクロイド』を貸した学校の友達との会話で「ねえ、あれってあの人が怪しいんじゃない?」みたいな調子でその友人が真犯人を言い当てていたというレビューがあった。

 その他に、『複数の時計』に出てくる間抜けな諜報員(MI6に属するスパイ)であるコリン・ラムという登場人物が、クリスティ初期の『七つの時計』(1929)で探偵役だったバトル警部の息子ではないかとクリスティ作品のマニアの間では言われているらしいことなど、興味深い話もある。なお『七つの時計』の原題は "The Seven Dials Mystery"、『複数の時計』の原題は "The Clocks" だ。

 とはいえ、第2の殺人事件の犯人がどうやらわかって、そのあとクリスティはどのように話を盛り上げるのかと思いきや、話は逆に盛り下がって弛緩してしまう。このあたりが『複数の時計』が不人気な最大な理由なのだろうが、それでも「腐っても鯛」であって、楽しめる部分は少なくない。少なくとも、何から何まで肯定できる要素が全くない東野圭吾のミステリとは比較にならないと私は思うのである。

 脱線がメチャクチャに長くなったが、ようやく本題に入る。

 私にトルストイの「クロイツェル・ソナタ」を連想させたクリスティ作品は、「バグダッドの大櫃の謎」(1932)を改作した「スペイン櫃の秘密」(1960)だが、基本的な筋立ては同じだ。本記事ではこのあと露骨なネタバレを行い、Wikipediaから作品のあらすじを引用するので、それを嫌う方は以下の文章を読むのを止めていただきたい。

 以下に「バグダッドの大櫃の謎」のあらすじをWikipediaから引用する。

 

バグダッドの大櫃の謎[編集]

(原題: The Mystery of the Bagdad Chest)(1932年)主人公: エルキュール・ポアロ

ポアロは、彼の賛美者アリス・チャタトン経由で依頼を受ける。依頼主マーガリータ・クレイトンの夫は、リッチ少佐の家で行われたパーティー会場の片隅に置かれていたバグダッドの大櫃の中で殺されているのがパーティーの翌日に見つかっており、リッチ少佐が逮捕されていたのだが、クレイトン夫人は犯人が彼のはずがないので真相を調べてほしいと言う。世間では彼女とリッチ少佐の関係が噂されており、彼女がリッチ少佐に惹かれていたのは事実であった。事件当日、クレイトン氏は急な出張でパーティーに出られなくなったとリッチ少佐に告げに訪れ、その部屋でリッチ少佐を待っていたが、リッチ少佐が帰宅したときには姿が無かったとリッチ少佐は証言する。その夜パーティーに呼ばれたのは、クレイトン夫妻の他はカーティス少佐とスペンス夫妻であった。ポアロは、クレイトン氏がリッチ少佐を訪ねる前にカーティス少佐に会っていたこと、パーティーでダンスのときにカーティス少佐が大櫃の近くでレコードをかける役だったことから、真犯人がカーティス少佐であると見破る。彼はクレイトン夫人の不貞疑惑をクレイトン氏に吹き込み、彼が出張と偽って大櫃の中に隠れてパーティでの夫人とリッチ少佐の行動を監視するように仕向け、予め彼に睡眠薬を飲ませ、レコード係をしている間に大櫃を開けて彼を刺したのだった。彼も以前からクレイトン夫人に好意を持っており、クレイトン氏とリッチ少佐を一度に排除しようという企みであった。

この話は、後に中編に加筆され『スペイン櫃の秘密』として出版される。

 

出典:黄色いアイリス - Wikipedia

 

 「クロイツェル・ソナタ」が、嫉妬に駆られた夫が妻を刺殺するという古典的な構図であるのに対し、「バグダッドの大櫃の謎」では三角関係にある夫と愛人の両方を亡き者にしようと企む第四者(愛人の方は死刑に処せられるという計算)によって嫉妬心を掻き立てられた夫が、いるはずのない場所に隠れて妻と愛人の行動を監視しようとして第四者に殺されるという話だ。

 これが「スペイン大櫃の秘密」では下記のようになった。

 

スペイン櫃の秘密[編集]

(原題: The Mystery of the Spanish Chest) (1939年)主人公:エルキュール・ポアロ

ポアロは新聞で「スペイン櫃の謎」の最新記事に目を止め、ミス・レモンに事件の概要を調べてもらう。事件当時、チャールズ・リッチ少佐が自宅アパートで小さなパーティーを開いていた。招待客はクレイトン夫妻、スペンス夫妻、マクラーレン中佐。直前になって、エドワード・クレイトンは仕事でその晩スコットランドに出張しなければならなくなり欠席した。彼はパーティーの少し前にマクラーレンとクラブで会って欠席することを説明し、駅に向かう途中でリッチの自宅に詫びに立ち寄った。リッチはあいにく留守だったが、下男のバージェスが彼を家に入れ、メモを書き残そうとするクレイトンを居間に残して自分は台所に戻った。10分ほど後にリッチが帰宅し、バージェスは用事で外出したが、リッチはクレイトンを見かけなかったし、バージェスもクレイトンを居間に残した後見ていなかった。その晩のパーティーはつつがなく行われたが、翌朝バージェスは部屋の隅にあるスペイン製の櫃から血痕のようなものが染み出てラグを汚しているのに気付き、驚いて櫃を開けるとクレイトンの刺殺死体があった。

警察はリッチを容疑者として逮捕するが、ポアロはリッチが犯人であれば死体の近くで平然と一夜を過ごしたことに納得がいかない。クレイトン夫人に会った彼は、彼女の美しい純真さに心を打たれ、(彼女自身は否定するが)彼女がリッチ少佐に惹かれていることに気がつく。パーティーの関係者たちは、誰もがクレイトン夫人の魅力と対称的な夫の感情の無さに同意する。ポアロは事件現場で櫃を調べ、背面と側面にいくつかの穴を見つけ、殺人のあった夜、衝立が櫃の前に置かれていて人目から隠されていたことを知る。スペンス夫人が使った『オセロ』の言葉を思い出し、ポアロは真相に気づく。クレイトンはオセロで、彼の妻はデズデモーナであり、マクラーレン中佐がイアーゴーなのだ。マクラーレン中佐はクレイトン夫人を愛しており、彼女がリッチ少佐に惹かれていることに嫉妬して、クレイトンが死に、リッチが殺人犯として告発されるという一石二鳥の完全犯罪を計画したのである。彼はクレイトンに夫人の不貞を何度もほのめかし、ついにクレイトンはスコットランドへの出張と偽ってリッチのアパートに忍び込み、櫃からパーティーの様子を観察することにした。マクラーレンは、人々がダンスをするようにレコードをかけ、その間に衝立の裏に行ってクレイトンが櫃の穴から外を覗いているところを刺したのであった。ポアロは、マクラーレンにこの推理をぶつければ、彼は自白すると確信する。

 

出典:クリスマス・プディングの冒険 - Wikipedia

 

 上記引用文中の冒頭にある「(1939年)」はおそらく誤記だろう。改作された中篇の雑誌初出は下記アマゾンカスタマーレビューにある通り1960年と思われる。

 

スペイン櫃の秘密

1932年1月にthe Strand Magazineに掲載された「バグダッドの大櫃の謎」(『黄色いアイリス』収録、改訳版『マン島の黄金』収録)を中編化した作品で、ポアロ物の短編としては53作目にあたります。1960年9月から10月にかけて、女性向け週刊誌Women's Illustratedに3回に分けて掲載され、連載終了の2週間後、本書に収録されました。本作に関しては、先に原型となった「バグダッドの大櫃の謎」を読まれることをお勧めします。その上で、クリスティが何を加え、何を削り、何を変えて中編化したかを読み比べると、彼女の作劇における思考の一端を伺えることができ、ほぼ同内容の話にも関わらず、2度楽しむことができるでしょう。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R35E1RSSD7MZ2X11

 

 クリスティが何を加え、何を削ったか。加えられた部分の多くは、シェイクスピアの『オセロ』への言及であり、これはいうまでもなく「妻殺し」の名作だ。

 クリスティ作品では「第四者」に殺された被害者、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」では『オセロ』と同様に妻を殺害した犯人である夫はともに、不在を偽ってこっそり隠れて妻と愛人の行動を暴こうとした。クリスティは「バグダッドの大櫃の謎」では「昔からよく使われてきた手を使うことにした」(ハヤカワ・クリスティー文庫版『マン島の黄金』320頁)と書いたが、『オセロ』への言及はない。「スペイン櫃の秘密」では「歴史の流れのなかでしばしば行われたこと」(ハヤカワ・クリスティー文庫版『クリスマス・プディングの冒険』188頁)と書き、『オセロ』に言及することによって、自作の中篇がシェイクスピアの『オセロ』に代表される妻殺しの物語の変形であることを自らネタばらししていると解することができる。

 これに加えて、もう一つ私が注目したのはクリスティ作品の犯人がかけたレコードだ。「バグダッドの大櫃の謎」ではポワロが「《いとしい人と夜の道を》という曲だったかもしれませんね」(ハヤカワ・クリスティー文庫版『マン島の黄金』322頁)と言っているが、それが「スペイン櫃の秘密」では、それまで流していたダンス音楽に代えてクラシック音楽をかけたことに変更されている(ハヤカワ・クリスティー文庫版『クリスマス・プディングの冒険』184頁)。但し曲名は書かれていない。

 私は、犯人がかけたレコードはベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』だったかもしれないと想像する。第1楽章プレストの終結部で、いったんテンポをアダージョに落としたあとの「Tempo I」の最後の部分に合わせて一刺しし、最後の2つの和音でとどめを刺したのではなかろうか。そんな想像をした。

 なお、アガサ・クリスティはピアノと声楽を学び、パリの音楽学校に入ったものの生来の「あがり性」のために音楽の道を断念したとされる。従ってクラシック音楽には造詣が深く、しかもワグネリアンでもあったらしくて作中にしばしばワーグナーへの言及がある。ベートーヴェンについては、今図書館から借りている『マン島の黄金』冒頭に収められた短篇「夢の家」(1926)に、のちに精神を病んで死ぬことになる女性が『悲愴』ソナタの第1楽章を弾く場面が出てくる。彼女は曲を最後まで弾き終えることができず、「ふととちり、不協和音を響かせたと思うと唐突に演奏を中断し」*3(中略)『わかるでしょ? 彼らがこれ以上弾かせてくれないのよ』*4と言ったあと、悪魔的な即興演奏を始めた。なおこの短篇中にもワーグナーの『ヴァルキューレ』への言及がある*5ベートーヴェンの『悲愴』ソナタの第1楽章は『クロイツェル・ソナタ』の第1楽章と構造が似ていて、グラーヴェの遅くて重苦しい序奏で始まってテンポの速い主部に入るが、終結部でもいったんグラーヴェの序奏が戻ってくる。女性が曲の終わり近くで「ふととちり、不協和音を響かせた」のはこの部分ではなかったかと思われる。

 なお、ベートーヴェンの音楽の作品世界で『クロイツェル・ソナタ』にもっとも近いのは、この『悲愴』ソナタではなく『熱情』ソナタではないかと思うが、それは次回に書く余裕があれば書きたい。

 私見では、アガサ・クリスティトルストイベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』から感じたのと同じような音楽の魔力を感じることができた人だったのではないかと思っている。それを感じさせる作品は、クリスティの比較的初期の作品に多い。彼女は同時代の音楽にも関心を示した。未読だが、彼女がメアリー・ウェストマコット名義で書いた6作の恋愛小説の第1作『愛の旋律』(1930)に出てくる音楽家が書いたのはシェーンベルクの12音技法を用いたような音楽ではなかったかとの説もある。それを取り上げているのが下記ブログ記事だ。

 

blog.livedoor.jp

 

 以下引用する。

 

 物語の流れからいえば、天才音楽家のヴァーノンが幾多の愛の苦悩を経験し、それらを糧にしてようやく実を結んだ作品であるのだから、人々から絶賛されてしかるべきであろう。読者のカタルシスを最終目的とする大衆文学の語法からは、それが当たり前の結論である。ディーン・R・クーンツなら間違いなくそう書いていたはずだ。

 そうした読者の当惑を予想してのことだろう、解説の服部まゆみはこの小説が書かれた時代の芸術状況について説明している。

 

> 二十世紀初頭は、芸術――美術、音楽、文学、演劇、舞踊、そして思想の革命――古い文化に反旗を翻したアバン・ギャルドの寵児たちの時代だった。(P.650)

 

 そして、

 

> ヴァーノンの求めるものは今までの音楽ではない未来の音楽である。(略)どうやら一九二一年に十二音技法を発見し無調音楽の体系を作り上げたシェーンベルク風の音楽らしい。(P.652)

 

 と書いている。ただし、プロローグを読む限り、それは十二音技法を明確にイメージしているというよりは、ミュージック・コンクレート的な要素も強い、もう少しあいまいなイメージのような気がする。そして、演奏が賛否両論を巻き起こしたという点については、ストラヴィンスキー春の祭典』の初演(1913年)が作者の頭にあったのかも知れない。

 いずれにしても、服部さんの解説がなければこんなことは考えず、なんとなくおさまりの悪さを感じて読書を終えただろう。まことに痒い所に手が届く、素晴らしい解説だ。

 

出典:http://blog.livedoor.jp/a30a988/archives/52483287.html

 

 この『愛の旋律』の原題は "Giant's Bread" だ。ある理由によって、私にとっては非常に不穏なタイトルだが、幸いにも訳者がその不穏な訳語を避けて『愛の旋律』にしてくれた。

 クリスティのミステリの未読が残り10冊を切って一桁になったので、全部を読み終えたら『愛の旋律』を含むウェストマコット名義の作品にも手を出すかもしれない。霜月蒼がこれらの作品を絶賛しているらしいこともあるし。

 最後に、クリスティ以外の小説その他についても少し書いておく。

 前回も引用した共同通信の松本泰樹記者によると、推理作家の夏樹静子(1938-2016)に『クロイツェル・ソナタ』と題した長篇ミステリがある。また、ミステリではないが林芙美子(1903-1951)にも同名の、おそらく短篇と思われる小説がある。

 

www.47news.jp

 

 小説『クロイツェル・ソナタ』は迫力ある筆致で世界的な反響を呼び、その題名だけでも不倫や殺人を連想させるようになった。夏樹静子には社会派推理小説の『クロイツェル・ソナタ』があって、不倫と殺人の両方が出てくる。作品の性質上詳述はひかえるが、ヴァイオリンを学んでいる少女が拉致・惨殺される事件が起き、少女の親の友人である音楽評論家(実は少女の父)が自ら犯人に復讐しようとするのが骨格である。放送をエアチェックした『クロイツェル・ソナタ』のカセットテープがひとつの鍵になっている。

 

 音楽評論家がそのテープを自分の妹と一緒に聴くシーンがある。ケースには「クロイツェル・ソナタ 一九八九年五月十日 ザルツブルグ音楽祭」と書かれていた。二人の間で「あんまりうまくとれてないんだけど、バイオリンはギドン・クレーメルだったと思うね」「私、ベートーベンのバイオリンソナタではクロイツェルが一番好きなの」という会話が交わされる。この小説で大事なのはカセットテープというモノの方なので、曲自体や演奏についての記述はないが、やはりここは、同じベートーヴェンでも『スプリング・ソナタ』ではいけなかった。


 林芙美子も『クロイツェル・ソナタ』と題する小説を書いた。殺人は起きないが、夫婦間の軋轢が主題で、夫は自分の友人と妻の間を疑っている。林の自作解説に「トルストイの作品の題名をかりたが、内容は、私のクロイツェル・ソナタである。市井の何氣ない、夫婦の關係を書いてみた」という一節がある。<クロイツェル・ソナタ>という言葉は林にとって、結婚生活の破綻の代名詞だった。

 

出典:https://www.47news.jp/9413087.html

 

 両作とも近くの図書館には置いてなさそうだ。

 トルストイの作品の内容から言って、それを意識したミステリはもっとあっても良さそうなものだと思ったが、他にどんな作品があるかはわからなかった。

 その検索で引っかかったのはさだまさしの『推理小説(ミステリー)』という歌で、その歌詞に「クロイツェルソナタ」が出てくるが、単にその固有名詞が出てくるだけの歌だった。馬鹿馬鹿しいからリンクも張らない。

 トルストイの『クロイツェル・ソナタ』の「ミステリ編」は以上。トルストイというよりはアガサ・クリスティ作品の記事になってしまった。次回は「音楽編」。これはあまりマニアックになっても誰も読まないだろうから、次回で完結させるようにしたい。ただ公開にこぎ着けるまで少し時間がかかるかもしれない。ミステリ編でさえこれだけ時間がかかってしまった上、記事が1万字を超えてしまった。

*1:マン島の黄金』には『クリスマス・プディングの冒険』の表題作である同タイトルの中篇の原型となった短篇「クリスマスの冒険」も収録されている。

*2:私はこの東野の極悪3作品に対しては、許される限りの最低点しかつけない。

*3:ハヤカワ・クリスティー文庫版『マン島の黄金』29頁

*4:同前。二重括弧は引用元では単括弧(「」)。

*5:同27頁