私が現在住む東京都江東区出身のミステリ・歴史小説作家で私と同世代の宮部みゆきが2010年に書いた非ミステリの現代小説である『小暮写眞館』を読んだ。もとは講談社の創業100年を記念して2010年に刊行された作品とのことで、700ページを超える分厚いハードカバー本だったらしいが、2013年に計1000ページほどの講談社文庫上下巻になり、さらに2017年には「新潮文庫nex」という「ラノベを卒業した人や若い人向け」と銘打たれたシリーズから4巻本で刊行された。こちらは新潮文庫発刊100年を記念したシリーズらしい。私が図書館から借りて読んだのはこの4巻本であり、先々週にI巻とII巻を借りたところ、短時間で読めたのでその2冊を返却してIII巻とIV巻を借りた。今日はこのあと本を返しに図書館に行く予定だ。
ラノベというと、つい最近ラノベ作家だという樋口明雄、この人も宮部みゆきと同い年だが、南アルプスの麓、標高750mの地に在住するこの作家が北岳を舞台にして2012年に書いた『南アルプス山岳救助隊K-9 天空の犬』を読んだ。
警察小説、山岳小説、動物小説の3要素を併せ持つなどと評されるこの小説はなかなか面白かった。舞台となる北岳の白根御池小屋には2016年に泊まり、翌日北岳に登ったことがある。ネット検索をかけると、昨年山小屋の主人が変わったようだが、それを伝える下記記事を書いたのは前述の樋口明雄氏だった。
小屋からはいきなり急登の「草すべり」が待ち構えているが、山小屋で朝食をとったあとの午前中、まだ日が高くなる前に登り始めた効用は絶大で、快調に急登をクリアすることができた。これが既にかなりの距離を登って日が高くなってからの「草すべり」通過だと、急登のみならず背中から強烈な直射日光を浴びて大いに難儀したところだったかもしれない。しかしこの時にやった白峰三山の縦走で一番の難関は農鳥岳からの下りで、これには大ばてして予定時刻をはるかにオーバーしてほうほうの体で大門沢小屋にたどり着いた。前日に農鳥小屋で泊まっていればまだ少しはましだった可能性があるが、評判の悪いこの小屋を避けて北岳山荘に泊まったのが失敗だったかもしれない。傾向として、六甲山に向かう坂道の多い阪神間で育った私は登りは比較的得意だが下りを大の苦手にしている。
そんな7年前の登山を思い出しながら懐かしく読んだが、作中には起きたばかりの東日本大震災や東電原発事故も出てくる。そして小説の後半では「野党・自由党の総裁」とやらがお忍びで登山してきて、彼を暗殺者が付け狙い、その暗殺者たちと山岳救助隊が対峙するというアクションものの展開になるが、その「自由党総裁」とやらのモデルは安倍晋三でも小沢一郎でもなく、おそらく谷垣禎一であろう。なぜなら小説が書かれた当時の自民党総裁は谷垣だったからだ。もし安倍晋三がモデルだったら読みながら犯人側を応援してしまったかもしれない(笑)。
それはともかく、「ラノベ作家」樋口明雄の小説を読みながら思い出していたのは、少し前にさる大学准教授が「ラノベより東野圭吾を読むべき」との妄論を発した一件だ。発信者は飯島明子という理系の学らしい人。
頼むからもっと小説を読んでくれ…。できればラノベではなく、もう少し文章の整ったものを…。東野圭吾とか宮部みゆきとか北村薫とか、あるいは翻訳ミステリやSFもいいぞ…。そうすれば自分で文章を書くときにもう少しマシになる…。こちらも答案を解読する手間が減る…。頼む…。 #採点の祭典
— 飯島明子 💉×6😷 (@a_iijimaa1) 2021年2月4日
要は学生の文章力が低すぎると言いたいらしいのだが、東野や宮部みゆきと「ラノベ作家」樋口明雄との差なんか全くないよなあ、と改めて思ったのだった。
そして同ツイートに反発するラノベファンの意見は、《『ラノベ』と一括りにされるのは読み手としては悲しい》《なんかラノベを下に見てるような言い方》《幼女戦記とかめっちゃ文章整ってますけどね》《東野圭吾とか宮部みゆきも読んできたけど、ラノベにだって名作はある》《そもそも東野圭吾や宮部みゆきもラノベ寄りだよね》といったものとなっている。
これはラノベファンの言い分が全面的に正しい。それどころか、私は「東野圭吾の病的な小説を読むくらいなら、樋口明雄の健全なラノベを読む方が数段良い」とさえ思う。
東野に限らず、小説には小説内でしか通用しない論理があって、たとえば東野の全著作のうちでも最低最悪と私が断定する『容疑者Xの献身』においては、「愛する女性のために罪なきホームレスを平然と虐殺し、身元がわからないように顔を潰す」という容疑者「X」の凶悪な犯罪を「献身の美談」とみなすルールが設定されている。小説の世界ではこういうことも許される「なんでもあり」ではあるのだが、そういう作品世界のルールが実社会では反社会的以外の何物でもないことを冷静に認識できる力が小説の読者には要求されて当然だろう。東野には他にも、やたら子どもが犯人であるミステリが多く、かつその場合に探偵役が子供の犯行をもみ消してしまうことは多いなどの傾向が見られ、こういう作家が大人気を博しているのは好ましくないのではないかと思われてならない。
ところで検索語「東野圭吾 ラノベ」でググると『ナミヤ雑貨店の奇蹟』という2012年の作品が引っかかった。これは東野の非ミステリの現代小説であり、かつ超常現象が作中に取り込まれている、5つの短篇(宮部作品では4つの中篇)を接続した構成などなど、の本記事の主題である宮部みゆきの『小暮写眞館』と酷似した体裁になっているが、発表は宮部作品より2年遅い。私がまだ前述の東野の極悪ミステリ『容疑者Xの献身』を読む前にこの作品を読んで、東野はこんな作品も書くのかと思ったことがあるが、今にして思えば宮部作品のつくりをパクった、失礼、宮部作品に触発された作品だったのかもしれない。しかし2012年の時点では既に東野の人気は宮部を上回っていたのではないかと思われる。
やっと『小暮写眞館』の話に移るが、4つの中篇を接続した形式のこの作品を読み始めた時、前述の樋口明雄の『天空の犬』をラノベというなら、この『小暮写眞館』もラノベといえるんじゃないかと思った。少なくとも「ラノベより東野圭吾や宮部みゆきを読め」という学者氏の訴えは、私には説得力を全く持たない。
しかしながら、『小暮写眞館』は、余所者として江東区にやってきた私にはなかなか興味深い小説だった。というのは、主人公の高校1年生・英一を含む花菱一家が目黒区から引っ越した先の「小暮写眞館」跡の建物は、明記されてはいないが作者の出身地でもある江東区が明らかに想定されていると思われるからだ。
この小説は、残念ながら絶大な人気を誇る作品とまではいえなさそうで、舞台のモデルとなった場所を探訪してみたとのブログ記事も少なかったが、ハードカバー版が刊行された2010年夏に江東区を探訪したという下記ブログ記事が見つかった。
以下引用する。
先月、久しぶりに深川へ行ってきました。
のんびり、さわやかに下町を散歩したんですよ、
なんて言えたらいいのですが、ご推察のとおり、
灼熱の深川散歩
となりました・・・。
しかし、それは出かける前からわかりきっていたことですから、
仕方ありません。炎天下は承知の上です。
ですが、
それとはまったくべつの問題で、
今度の深川探検は出だしからつまずいたのでした。
なんと、せっかくデジカメをもっていったのに、電池切れ。
しかも、現地に到着して、
いざ写真を撮る段になって気がつきました。
急いで新しい電池を買いにあちこちのコンビニを
探し回りましたが、ついに見つからず。
というわけで、今回の探検は写真なし、なのであります。
URL: https://blog.goo.ne.jp/kstyle_2007/e/475e621049f72c2027d9fbf718fa845a
そんなわけで引用先のブログ記事に画像がないのは残念。
2010年は私が江東区にやってきた年で、この年の東京の暑さ、特に夜間の暑さは異常だった。昼間ならそれ以前に10年住んだ瀬戸内(岡山のち香川)の方が暑かったが、夜は東京の方が暑かった。
ブログ記事の引用を続ける。
気を取り直して。
今回の深川歩きの目的は、宮部みゆき『小暮写眞館』に出てくる
「しおみ橋」
を探すことです。
ただし、その前に確認しておくべきことがあります。
この小説の舞台(=花菱家の所在地)がどこなのか
ハッキリとは書かれていないのです(下町というのは
明記されていますが)。
ですが、
いくつかの理由から、深川界隈だとわかります。
例えば、
主人公の花菱英一が日本橋蛎殻町へ自転車で行くシーンがあります。
深川界隈からなら、十分に自転車で蛎殻町へ行ける距離です。
と、根拠はたったひとつ・・・?
とにかく、宮部みゆきってことで、やっぱり、深川でしょ。
という偏見も否定できない・・・。
■
さて、しおみ橋、しおみ橋と。
確かめておきましたので、まずはそこへ行ってみました。
大横川からカーブして枝分かれした平久川にかかる橋です。
でも、なんか道路(永代通り)は交通量が多いし、
ちょっとイメージがちがうんだよなあ、と思いつつ、
橋を往復したわたし。
川岸には、小説のとおり、遊歩道があるにはありますが、
これもちょっとちがう。
橋から下へ降りるというわけではないし、
英一たちがすわる古びたベンチもない。
これは絶対にちがう。
少なくとも現在の汐見橋は小説の「しおみ橋」のモデルではない、
というのがわたしの結論。
特定のモデルはないのかもしれません。
とはいえ、
このあたりにはたくさんの水路がありますから、
このどこかがモデルでもおかしくありません。
ちなみに、
小説のなかで、ピカと両親が歩いた「皆川親水公園」は
仙台堀川公園がモデルだと思います。地形からみてまず間違いなし。
URL: https://blog.goo.ne.jp/kstyle_2007/e/475e621049f72c2027d9fbf718fa845a
汐見橋のあるあたりはよく、とまではいえないけれども知っている。しかし橋の名前までは頭に入っていなかった。ブログ主によるとこの汐見橋は作中の「しおみ橋」のモデルではないとのことだ。それはそうだろうと私も思う。この橋は、門前仲町というよりは木場駅に近いところにあり、確かに交通量は非常に多い。作中のベンチのイメージには確かに全くそぐわない。
なお、仙台堀川公園は深川というより区の東部の城東地区にあるので、名前には聞き覚えがあるものの行ったことはない。
しかし、上記ブログ記事にも書かれている通り、「このあたりにはたくさんの水路がありますから、このどこかがモデルでもおかしくありません」というのは本当にその通りだ。私の自宅のすぐ近くにも「親水公園」がある、というより江東区には親水公園だらけだ。
新潮文庫版III巻「カモメの名前」の表紙を飾る」「げみ」氏のイラストなんて、本当にどっかにありそうだと思う。いつかそんな構図を目撃したらスマホで写真を撮ろうと決めた。2010年当時、というより2019年末までガラケーをしぶとく使い続けてきた私もが世の流れに屈してスマホに乗り換えて間もなく、コロナ禍が始まった。
なお「しおみ橋」が作中に登場するのは表紙に「英一たちがすわる古びたベンチ」が描かれたIII巻ではなく、最終のIV巻「鉄路の春」の71頁だ。
そしてIV巻の表紙はどこを描いているんだろうか。
答えは、千葉県の房総半島を走る鉄道の駅だ。私もコロナ禍の前、2017年から19年までの間のいずれかの年の菜の花の季節に小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継いだことがある。IV巻の表紙にはその小湊鉄道の飯給(いたぶ)駅が描かれている。この駅がIV巻のどこかに出てくるわけだ。しかし私は飯給駅で降りてデジカメで写真を撮ったりはしなかった。乗客が非常に多かったことを覚えている。
IV巻の巻末に作者が書いた「あとがき」によると、作中に出てくる前記の小湊鉄道を含む全国15箇所の鉄道の見どころを紹介した「お勧め鉄道ファイル」には、この作品のために田中比呂之(ひろし)氏が作った現物があるらしい。東洋経済オンラインを参照すると、田中氏は
新潮社で「日本鉄道旅行地図帳」シリーズなど主に鉄道書籍・ムックの編集を手掛ける。鉄道趣味歴50年以上。
とのこと。
このファイルの実物が公開されているかどうかとか、小湊鉄道以外の残り14箇所がどこかはネット検索をかけたがわからなかった。ただ、III巻36頁に磐越西線から見る八重桜の話が出てくるから、これは載っていると推測される。新潟寄り、阿賀野川を渡るあたりらしい。
面白いのは、作中の三雲高校鉄道愛好会・通称「クモテツ」のメンバーの名前が田中博史(ヒロシ)であることだ。なんと、実在の田中比呂之氏の名前の読みをそのまま借用している。
ところで、ある作中人物の母親には3人の子どもがいるが、父親は全員違うという。今回も連載を1回飛ばしたトルストイの「クロイツェル・ソナタ」の記事でベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の推薦CDに挙げようと思っているデュオでヴァイオリンを弾いているヴィクトリア・ムローヴァ(1959-)を思い出した。ムローヴァには3人の子がいるが、長男の父は指揮者のクラウディオ・アバド(1933-2014)、長女の父はヴァイオリニストのアラン・ブラインド(1969-)、次女の父はチェリストのマシュー・バーリー(1965-)でこの人がムローヴァの夫らしい。26歳年上の男の次は10歳年下の男なのだからまことにすさまじい。そのムローヴァは20代前半の1983年にソ連から西側に亡命した経歴を持つ。彼女と3人の子との親子関係は知らないが、長男との共演をした記録があるようだ。彼女の演奏からは情熱的というよりは知的かつ冷静な印象を受けるが、あるブログ記事が指摘する通り、一種の「影」「暗さ」「憂い」がある。そのムローヴァが「毒親」かどうかは知らない。あるいはムローヴァの人生などは「事実は小説より奇なり」を地で行くものかもしれない。
『小暮写眞館』では今は亡き写真館の主(その幽霊が現れるとの噂が写真館にある)がまだ小僧っ子だった戦争中に中国に送られ、一緒に中国に渡った従軍カメラマンが撮った写真の現像などをしていたことが語られる。日本軍が南京を陥落させたことにも言及されているから、現像した写真には「南京虐殺」に関するものがあり、もちろんそれらは軍の検閲によって公表はできないことも書かれている。
だが、それにもかかわらず当時小僧っ子だった写真館の主は、自らを中国に非戦闘員として送った先代の写真館主に「救われた」と深く感謝した。それを「非戦闘員なら、誰も殺さなくって済む」「〈救われた〉っていうのは、そういう意味だよ」と、ある作中人物は喝破した。これはIII巻の終わりの方だ。
このあたりについて、アマゾンカスタマーレビューや『読書メーター』などのサイトで「ありもしない『南京大虐殺』を示唆した」などといちゃもんをつけたレビュワーは、私が見た限りでは1人もいなかった。著者が日本軍の加害責任に結びつける記述を一切しなかったためもあるかもしれないが、日中戦争に絡めて南京の地名を出しただけでいちゃもんをつけるネトウヨがかつては少なからずいた。『読書メーター』でこの作品について感想文を書いた人の多くは若い人だと思うが、彼らの間ではネトウヨ的な文脈などもはやほとんど流行らないのではないだろうかと思った。
以上、読書サイトでは全くといって触れられていないけれども、本作で興味深いと思った点についていくつか書いた。
多くの読者と同様、本作では最後のIV巻が一番良い、というより、I巻からIII巻まではIV巻のための前奏曲みたいなものだと思った。特にエンディングが印象に残る。仮に私が書いたのだったらもう少し辛口の終わらせ方にしたに違いない、というよりそれを予想しながら読んでいたら、最後の4ページに思いがけないどんでん返しが待っていた。と同時に、そうだ、それを忘れていたとも思った。実はその前に一度どんでん返しがあったから、アガサ・クリスティが得意とした多段どんでん返しの伝統に則っている。ここはミステリ作家らしいと感心した。本作のエンディングは私が想定していた形よりもこちらの方が間違いなくずっと良い、と脱帽した。
もっとも私は宮部みゆき作品は本作を含めてまだ4タイトルしか読んでいない。そのうち2018年に読んだ『火車』はまずまず良かった(この作品が現在に至るまで宮部作品の最高傑作とされているようだ)が、2001年に最初に読んだ『レベル7』が全然面白くなかったので以後17年間手を出さなかった次第。2019年に読んだ初期の『魔術はささやく』も全く内容を覚えていない。この2作と比較すると、地元・江東区を明らかに舞台のモデルとした『小暮写眞館』はいつまでも覚えていそうだ。私は作中の花菱英一とその一家や不動産会社の事務員である垣本順子と同様「新参者」として江東区にやってきたので、昔からこの地に住んでいる人たちが形成するコミュニティはよく知らない。それどころかこちらに引っ越してきて以来「威勢の良いべらんめえ調の言葉を聞く機会なんて驚くほど少ないよな」とずっと思っている人間なのだが、作中、とくにI巻に出てくる地元の年配の方たちに主人公の花菱英一が聞き取りをする場面を読んで、やっぱりこんな感じなのか、さもありなん、この地に生まれ育った宮部みゆきが書くのだから間違いないのだろうと思った。少なくとも、邪悪な作品が多い東野圭吾*1のミステリを読むくらいなら、現在の地元・江東区出身の宮部みゆきの作品を読む比率をもう少し上げても良いかもしれない。もっとも最近では私が東野作品を読む時には、最初から批判する目的しか持っていなかったりするのだが。
次はこの作者が本所深川を舞台にして書いた時代小説でも読んでみるかな。
*1:彼には今なお解決されていない「心の闇」が残っていて、それが作品世界に影響しているのではないかと勝手に想像している。