宮部みゆきの『三島屋変調百物語』シリーズ、現在10冊出ていてうち8巻が角川文庫になっているが、図書館本で現在3冊目の『泣き童子』を読んでいる。
江戸時代の江戸(東京)を舞台にした時代小説だが、宮部の時代小説は時代小説らしからぬところがある、というより最近の時代小説はそういうものが多いのかもしれない。少し前に読んだ朝井まかての小説もそうだった。
上記リンクに「江戸怪奇譚集」とある通り怪奇譚の中篇集で、3冊目(参之続)にはシリーズ中最多の6篇が収められている。
そのうちの第二話「くりから御殿」には驚かされた。なんと江戸ではなく上方の、しかも私が育った現阪神間の漁村の話で、思い出話を江戸に出てきて四半世紀になる初老の男性が語る設定になっている。
2011年の東日本大震災の直後に書かれたこの小説の舞台が、あの大地震の前に一番大きな地震があった阪神間を舞台としている。この設定がまず絶妙だ。語り手はこう語る。
「手前は上方の生まれにございます。難波湊からもう少し西に入った小さな漁師町で、両親(ふたおや)は〈三ツ目屋〉という屋号の干物問屋を営んでおりました」(角川文庫版69頁)
その直後に「海に近く、すぐ後ろに山並みを背負い、お椀を伏せたような形のいい入り江に面した町」とあるから、間違いなく六甲山麓の港町だろう。
本作は山津波、つまり土石流などによる水害の悲しい話なのだが、実際に六甲山麓には多くの天井川がある。東から西に向かって夙川、芦屋川、住吉川、石屋川など。これらが現在の西宮市、芦屋市、神戸市東灘区にあってしばしば水害を引き起こした。特に芦屋川と住吉川で被害が大きかったのではないか。上掲の地図には仮に住吉川をマークした。
その水害で、仲良し四人組の三人までが命を奪われた。残った一人が語り手だ。家族でただ一人山津波を生き延びた語り手が、町の北にある別宅に預けられた。その別宅について下記のように書かれている。
山の別宅はもともと網元の家の隠居所で、町の人びとは〈おかどさんの山御殿〉と呼んでいた。〈おかど〉というのは、この地方で金持ち・物持ちを指す呼称だが、三島町*1では網元のことと決まっていた。(角川文庫版75頁)
金持ちを「おかど」と呼ぶという(古い? あるいは局所的な?)関西弁を私は知らなかった。ネット検索をかけても何も出てこなかった。
だが、今も阪神間の天井川の上流に金持ちが豪邸を構えていることは地元民だったからよく知っている。現在すぐ思いつくのがJR住吉駅近くに住んでいるという内田樹である。一般的には芦屋川上流の金持ちの邸宅の方がイメージが強いかもしれない。しかし、ネット検索で江戸時代の水害について調べてみたら、芦屋川よりも住吉川の情報の方が多かった。それが住吉川流域だろうと推定した理由だ。
それにしても、作中に出てくる「ほかす」(捨てる、の意)などの関西弁といい、何より六甲山麓の天井川で水害が多かったことをよく知っているなど、よく生まれも育ちも江東区の作者がこんな小説を書けたものだなあと感心した。もちろん正調関西弁ではないが、江戸に移って四半世紀の語り手の言葉だから問題ない。私だって正調関西弁などもはや喋れない。
おそらく宮部みゆきを担当する編集者か、さもなくば作家仲間に阪神間出身か阪神間在住歴のある人がいたのだろう。まさか東野圭吾ではなかろうが。東野は大阪出身だが阪神間との関わりは知らない。
何より作品自体が素晴らしい。以下に文庫本巻末の解説文(高橋敏夫氏)を引用する。
三・一一東日本大震災のすぐ後に発表された「くりから御殿」は、一〇歳のとき山津波で両親をはじめ仲良しの幼馴染たちを失った少年の奇怪な夢と、四〇年後の今なお男の心をとらえる痛切な思いをえがく。男の思いをうけた女房の言葉がまた胸をうつ。この短篇は、多くの作家による秀作がそろう「三・一一後文学」のなかでも、とりわけすぐれた作品になっている。人と社会の「いまとここ」をたえずみすえ、そこに独自の物語をつむぐ宮部みゆきらしい作品である。(角川文庫版474頁)
本作は文句なくおすすめ。できればシリーズ第1冊の「おそろし」から順に読まれたい。
*1:仮称。怪奇譚が語られる商家「三島屋」の名前を仮に用いている。