少し前の記事で宮部みゆきの『三島屋変調百物語』の『六之続』にやや「変調」がみられるのではないかとの危惧を書いたが、この巻の前半の2話で感じた低調さから、後半の2話では立ち直っていたのでひと安心した。やはり宮部みゆきは東野圭吾とは違う。
ところで本作の角川文庫版で気になったことが二点あった。
まず小松和彦氏の解説文。第三話「同行二人」のところだ。
幸いこの解説文はネットで参照できる。以下にリンクを示す。
私には「富次郎編」が「早くも絶好調を迎えた」とまでは思えなかったが、気になったのは下記の文章だ。
第三話の「同行ふたり」にも、第四話の「黒武御神火御殿」にも、著者の好みの「あやかし」が登場する。
なんで「国際日本文化研究センター名誉教授」ともあろう方が「同行二人」(どうぎょうににん)を「同行ふたり」と読むのかと思った。角川文庫版245頁にも
――とんだ同行二人(どうぎょうににん)ときたもんだ。
弘法大師じゃなくって、お化けと二人の道行きだ。
とルビが振られて「どうぎょうににん」と読むことが示されている。プチ歩き遍路旅をやったことがある元四国民の私としては看過できなかった。
Wikipediaによれば小松和彦氏は1947年生まれの78歳で、
専門は文化人類学で、口承文芸論や妖怪論、シャーマニズム、民間信仰を研究対象とし、超自然的な力や存在への信仰を体系的に研究している。
とのこと。
もう一点は作者及び編集者側の問題点だ。こちらは『六之続』で半分以上、角川文庫版で335頁を占める第四話にして表題作でもある「黒武御神火御殿」に出てくる武家の姓に関する。
以下、角川文庫版528頁から引用する。
「日誌を記した屋敷の主は、二ノ谷(にのや)という家の当主だ。名は焼け落ちているので、文書からは読み取れぬ。但し、それがしの知る限りでは、二ノ谷の姓は西国のものだ。東国ではまず目にすることはなかろうな」
上記は作中人物である九州の武士・堀口金右衛門親房の言葉。「あやかしの屋敷」の主である二ノ谷某(なにがし)は隠れキリシタンの武士だったという設定になっている。
私は上位文章中に振られたルビを見て、「二ノ谷」を「にのや」と読ませるのは東国の姓の発音なのではないか、西国なら「にのたに」と読むはずだと思ってネット検索をかけた。
すると、二ノ谷は全国的にも稀少な姓だが、大分に「二ノ谷」と書いて「にのたに」と読ませる姓の人が10人ほどいるらしいことを知った。
二ノ谷
【読み】にのたに
【全国順位】 94,476位
【全国人数】 およそ10人
なんと!
大分には安土桃山時代のキリシタン大名・大友宗麟(1530-1587)がいた。その流れを汲む武家が大分に生き残っていたという設定がされていたのかもしれない。
宮部みゆきのような現在人気のある大衆作家の場合、作品がモデルとしている対象などがなかなかネット検索で引っかからない。この点がこの手の検索が比較的容易な松本清張作品との大きな違いだ。でも『三島屋変調百物語』の『参之続』に含まれる、六甲山から流れてくる阪神間の川の下流を昭和初期までしばしば襲った水害を踏まえた「くりから御殿」など、それなりの時代考証がなされている作品がある。本作もその一つではないか。
ただ、「二ノ谷」に「にのや」とルビを振ってしまったことが編集部のミス(?)だったのかもしれない。とはいえ西日本出身の私が「西国では『谷』の発音は『たに』のはずなのに」と引っかかってネット検索をかけたからこそ、大分に10人ほどしかおられないという「二ノ谷」姓の人たちが実在することを知ることができた。
このように、小説を読んでいるとどんどん「ノイズ」の情報を知りたくなる傾向が私にはある。「ノイズ」を知ろうと思わなければカズオ・イシグロの小説などは読み解けないのではないだろうか。
でもこの話を始めるとキリがなくなるので今回はここまでにしておく。