KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

東野圭吾の長篇『聖女の救済』を読んで、松本清張の短篇「捜査圏外の条件」を思い出した

 私が不思議でたまらないのは、東野圭吾が日本のみならず中国や韓国で人気があるらしいことだ。その中国の息のかかった香港当局に逮捕され、有罪判決を受けて収監された周庭氏も、村上春樹とともに東野圭吾の小説を読むという。

 

 

 私も2010年代に頑張って村上春樹を読み、作品によっては面白いと思ったものが結構あったのでこのブログにも取り上げたが、どうにも相性が悪くてダメだったのが『ノルウェイの森』だった。

 純文学の村上春樹とエンターテインメントの東野圭吾では全然違うと思うのだが、東野作品にもどうしようもなく相性の悪い作品がいくつかあり、しかもその割合は村上春樹よりずっと多い。その最たる小説が『容疑者Xの献身』であることは、前回を含め何度か書いた。愛する女性のためと称して罪のないホームレスを虐殺した男の物語のどこが「純愛」なのか私にはさっぱり理解できない。

 東野圭吾は、推理小説の世界では大先輩に当たる松本清張とも、前記の村上春樹とも違って、小中学生の頃には本などほとんど読まなかった人らしい。それがミステリにはまり、高校時代には清張を読み耽ったとのことだ。

 だが、清張の読者と東野の読者とはほとんど重ならないのではないだろうか。清張は一時期直木賞の選考委員を務め、筒井康隆を選ばなかったために筒井の『大いなる助走』のモデルとして辛辣に描かれた。清張は多忙で候補作をほとんど読んでいなかったとの話もあるが、清張が選考委員を務めていた頃のコメントを見ると、1969年上半期に佐藤愛子が受賞した時に「私も一、二篇を読んだだけだったら推薦をためらったかもしれないが、作品集の全部をよみ、大丈夫と思ったのである。直木賞にはそういう意味がある」とコメントしているから*1、世評がどれくらい正しいかはわからない。なお筒井が『大いなる助走』を書く前に、清張と筒井は一度だけ対談している。本当に清張を激しく嫌っていたのは、筒井よりも彼の先輩SF作家だった星新一だとの説もある。星は思想心情的には保守反動の人だった。

 清張といえば政治に深入りした人だったが、東野圭吾ノンポリだろう。そのノンポリの人間が何も考えずにホームレスの命を犠牲にして「純愛」をうたった小説を書き、それが日中韓の人々や周庭氏に愛読されていることに不条理を感じずにはいられない。私は2006年に清張が健在で直木賞の選考委員だったなら、果たして東野の『容疑者Xの献身』の受賞に異を唱えなかっただろうか、異を唱えたに違いないのではないかと思うのだ。

 とはいえ、東野圭吾の小説を飛ばし読みすることは、その作品のインモラルさを批判できることも含めてある種のストレス解消になることも事実だ。多くの東野ファンとは全く違うだろうが、私はそういう読み方をしている。

 ここからが本題だが、私は清張作品には本当にのめり込んだ。そんな私が東野圭吾ガリレオ・シリーズ長篇第2作である『聖女の救済』(文春文庫)*2を読んで直ちに連想したのが清張の短篇「捜査圏外の条件」だった。

 このエントリはこのあとがネタバレ満載なので、未読の方はこれ以上読まれないことをおすすめする。下記に両作(清張の方は当該作品を収録した短篇集のうち入手の容易な新潮文庫版)へのリンクを示すが、そのあとからネタバレの文章が始まる。

 

www.bunshun.co.jp

 

www.shinchosha.co.jp

 

 東野作品の感想文を読んでも、私と同じ感想を持った人はまだ一人も見つかっていないが、両作には多くの共通点がある。

 まず、ともに倒叙形式をとっていること。犯人は最初から読者に示されている。ただし、清張作品では殺人の手口も示され、「犯行がいかに露呈したか」を興味の的とする、「刑事コロンボ」などにも見られる普通の倒叙形式をとるが、東野作品ではトリックも動機も隠されている。東野作品では「ハウダニット」が興味の焦点だ。

 もっとも東野は『容疑者Xの献身』で、倒叙推理小説と見せかけて替え玉殺人を隠すという大トリックを使っているから、『聖女の救済』でもその手の仕掛けがないかと疑いながら読んだが、さすがにそれはなかった。

 トリックはわからなかった。というか、読者の感想文をネットで多く閲覧したけれども、わかったという人には未だにお目にかかっていない。ただ、非現実的なトリックではある。しかし、トリックの非現実性をいうなら、清張の『砂の器』や、古くはコナン・ドイルの「まだらの紐」なども実にひどいものだから、それをもってミステリ作家を非難することはさすがにできない。

 作中、犯人が何度も花に水をやろうとするが、この行為が毒を洗い流して証拠を湮滅するためであることは、最初に水をやろうとした時からすぐにわかった。また、水をやるために犯人が用いた、底に穴を開けた如雨露(じょうろ)代わりの空き缶が物証になり得ることにも直ちに気づいた。だから、女性の犯人と、彼女に恋心を抱いた草薙刑事との会話で、草薙が空き缶を処分したらしいことを知って、何やってるんだこの間抜けな刑事は、と思った。しかし、草薙は自らの言葉とは裏腹に、どういうわけか空き缶を処分せずにとっておいていたのだった。

 そこまではわかったが、トリックには行き着かなかった。非現実的ではあるが、ここは作者の勝ちだと認めておいて良いだろう。

 犯行の動機は、長篇の終盤でようやく明らかにされる。それは、被害者である男性の外道な振る舞いによって自ら命を絶った友人の女性に代わって、犯人が復讐を遂げることだった。そしてトリックが明かされ、犯人が犯行のトリックを仕掛けてから1年間何もしないことによってアリバイ工作を行い、「完全犯罪」を実行しようとしたのだった。

 このアイデアが清張の「捜査圏外の条件」に酷似している。清張作品も復讐の物語だった。犯人の妹は病気持ちだったが、被害者と不倫旅行をしている時に発作を起こして死んでしまった。被害者は犯人の同僚だったが、不倫の発覚を恐れて現場から逃げ出したため、妹は身元不明の変死体になってしまった。犯人はその真相に気づき、身元不明の死体にされてしまった妹の復讐を遂げるために被害者を殺す「完全犯罪」をたくらんだ。彼は会社を辞め、7年間何もしなかった。殺人を実行した時に、被害者の関係者として捜査線上に浮かばないようにするためだ。東野作品とは違って、特段の不自然なトリックはない。ただ、「年単位で何もしない」ことが大きな共通点だ。そして殺害手段が毒殺であることも同じ。清張作品では、妹が好きだった流行歌「上海帰りのリル」から足がついてしまった。東野作品では草薙刑事が持ち帰っていた空き缶が物証になった。完全犯罪の破られ方もどことなく似ているように思われる。ただ、東野作品の方がずっと凝っている。ここらへんは後発作家ならではだろうが。

 なお清張作品に使われた「上海帰りのリル」は、戦前の流行歌「上海リル」のアンサーソングであり、これらの歌に関する記事を2018年に弊ブログに公開したことがある。だからよく覚えている。

 東野作品について各種感想文を見ると、「短篇向きの題材ではないか」と書かれているものが結構みつかり、鋭いと思った。なぜなら清張作品は短篇だからだ。また、作品としての評価は概して『容疑者Xの献身』より低いが、一部に本作の方を高く買う感想文もあった。そちらに私も同意する。ただ、私の場合は『容疑者X』のインモラルさがどうしても気に食わないという理由が大きいのだが。それに私は清張マニアだから、清張の短篇を連想させる作品の方に点が甘くなってしまう。

 ただ、トリックの非現実性はあまり気にならないとはいえ、犯行に用いた浄水器のタイプや配置状況などの説明が全然ないのはアンフェアの誹りを免れないだろう。私は浄水器といわれても蛇口に取りつけるタイプしかしばらく思い浮かばなかった。だが、当然ながら浄水器には蛇口直結型、据置型などいろんなタイプがある*3。作者は浄水器の構造をあまり詳しく説明するとトリックに気づかれてしまう恐れがあると考えて、わざと説明しなかったのだろうが、それが本作最大の欠点になっている*4

 とはいえ、最初の章の会話が1年前だったという大仕掛けにはうならされた。これはあまりにも大胆だ。確かに「あれこれ思い悩むのはやめて、新しい生活のことを考えろよ」という言い方に引っかかりはした。離婚後の生活を指すにしては変な言い方だなあと。これを結婚前の会話だと見破った人が「作者に勝った」といえると思うが*5、そんな読者はどのくらいいたのだろうか。東野圭吾は、推理小説叙述トリックの使い手としては優秀だと認めざるを得ない。

 また、犯人は「だからあなたも死んでください」と心の中で言っていたから、最後に自殺するものだとばかり思い込んでいたが、犯行を自供したものの自殺はしなかった。あなた「も」の「も」が指し示すもう一人は、自殺した友人なのだった。このあたりも凝っている。清張作品にも、犯人一味の女性に惚れてしまい、小説の終わりの方で、その女性が刑期を終えたら云々と考えている探偵役がいる小説があったはずだ。確か私が「駄作」と酷評したあの長篇だったと思うが、記憶が定かではないのでそのタイトルはここには書かない。また、そういう含みを込めて東野圭吾が犯人を死なせなかったのかどうかも知らない。ただ、清張の「捜査圏外の条件」では犯人は最後に自殺したはずだし、こういう作品ではたいてい犯人が自殺するものなので、異例だなとの感想を持った。

 なお、「読書メーター」などの感想文で、「1年間も何もしないとは、女の執念は恐ろしい」というのが多数あったが、何を言うかと思った。一つには、清張作品の犯人は男だが、1年どころか7年も待ったではないか、それに『聖女の救済』の作者は男だぞ、と思ったからだが、小説とは別に、リアルの世界で12年も前に言われたことを根に持ち続けて、12年後にやっと仕返しした男がいたことが頭から離れなかったからだ。さすがに殺人まではしていないけれども。

 その男の名は安倍晋三という。12年前の参院選に負けた時に安倍を批判した溝手顕正を追い落とすために、2019年の参院選広島選挙区に、溝手の対立候補として同じ自民党から河井案里を擁立して、安倍は溝手を落選させたのだった。その後の顛末については説明を省略するが(笑)。

 ことほどさように、男の執念の方がずっと恐ろしいのである。

*1:https://prizesworld.com/naoki/sengun/sengun45MS.htm

*2:シリーズの長篇第1作が『容疑者Xの献身』で、短篇集を含めると第3作になる。『聖女の救済』は第5作。

*3:たとえば、https://www.cleansui.com/shop/product/product.aspx などを参照。

*4:あと一つ、『聖女の救済』のタイトルもいただけない。さすがにあれを「聖女」と呼んではいけないと思う。

*5:さすがにあの非現実的なトリックには気がつかなくても仕方ないと思う。

直木賞受賞当時「本格推理」や「純愛」をめぐる激論を巻き起こした東野圭吾『容疑者Xの献身』を改めて批判する

 東野圭吾の『容疑者Xの献身』に対する批判はこれまでにも何度も書いたが、一度まとめておいた方が良いだろうと思ってネット検索をかけたところ、同書のハードカバー版が刊行されて直木賞を受賞し、評判をとった頃に書かれた、強く共感できる批判を2件みつけたので紹介する。

 1つめは、2006年2月5日に公開されたブログ記事。当時はライブドア事件が話題になっていて、前年の「郵政総選挙」で圧勝した小泉純一郎政権の強烈な新自由主義政治に対する批判がようやく強まっていた頃だった。当時ライブドア投資事業組合に深く関与していたのではないかと疑われた政治家が西村康稔だった。また安倍晋三の非公式後援会だという「安晋会*1の名前が耐震偽装問題の証人喚問で飛び出し、『週刊ポスト』が書き立てるなどして(私を含む)一部から注目されていたのを思い出す。そんな思い出深い頃に書かれた下記ブログ記事に、私は文章の最初から最後まで、全面的に共感した。以下全文を引用する。なお著者は先日78歳の誕生日を迎えられたそうで、現在もブログ『梟通信〜ホンの戯言』の更新を続けておられる。

 

pinhukuro.exblog.jp

 

「容疑者Xの献身」再論 納得できない人権無視

2006年 02月 05日

 

以下に書くことはこの小説のネタそのものに触れるので、これからこの小説を読むつもりの方は、そのことをご承知ください。

 

先の直木賞を受賞して今ベストセラー街道を突っ走るこの小説。作品・ミステリとしての出来はともかくその内容に問題があると思う。

 

「純愛」とか「無私の愛を描いた」ということが売りのように言われるその「無私・命懸けの献身」とは、一目ぼれの女性とその娘が犯した殺人を隠蔽する為に自分がもうひとつ別の殺人を犯し、その死体を隠ぺい工作につかう、ということなのだ。トリック設定のよしあしもここではおくことにする。

 

彼が用意した死体とは誰からもあまり注意されていないホームレス。まだホームレスになり立てで、髪も短く保たれ、髭も剃られている。工業系の雑誌を読んでいる。まだ再就職の道を諦めていない。青いビニールシートの生活とは一線を画したいとおもっている(文中の主人公の観察)。主人公は彼を「技師」と心中密かに名づける。

突然行方をくらましても、誰にも探してもらえず誰からも心配してもらえない人間、として生け贄になるのだ。もちろん主人公にも誰にも何か悪いことをしてはいない(少なくとも小説の中では)。

 

純愛・無私の貢献の主人公が「技師」を殺そうと決めるのは一瞬だ、逡巡や懊悩なぞ皆無だ。富樫(女が殺した男)の死体を目にした時、すでにひとつのプログラムが出来上がっていて・・いつ見つかるかと怯えながら暮らすような苦しみを味あわせることは耐えられない・・そこで「技師」を使おうと、決める。絞め殺したあと顔を潰し指を焼いて偽装工作をする。そのことについて主人公は「思い出すたびに気持ちが暗くなる」としか描写されていない。もともとクライ男なのだ。名探偵が登場しなければオミヤ入りだったかも知れない。何が無私だ!ムシがよすぎる!

 

罪と罰」もある。極悪非道な主人公が残虐な殺人を連続して犯す小説も山ほどある。しかしそのような小説はそのこと自体がテーマになっていたり唾棄すべき事柄として書かれている。または犯した罪に対する良心の呵責や悩みを描く小説もおおい。

 

この小説のように”感動、泣ける””純愛・無私”の主人公の行為として肯定的に描かれることはあまりないのではなかろうか。ヒューマニズムというか健気な母子に同情して自らを犠牲にするというテーマの中でホームレスの扱いは”違和感”そのものだ。

 

人格などないように小道具のように殺される。”死体提供の役以上の何物も持たない”存在として圧殺される。ほとんど”背景”扱い。二つの矛盾に満ちた行為をなさねばならなかった弱き人間としての苦悩と悲哀を描いているとも思えない。要するに作家はホームレスを道具としてしか見ていないのだ。ギリギリのやむを得ざる選択としてのホームレス殺しではない。都合よくそこにいたホームレス殺しで間に合わせたのだ。

 

自家撞着している主人公をシニカルに描いたわけでもなく糾弾するわけでもない。戯画化しているのでもない。そこが問題だ。

 

社会性などと関係のない純粋謎解きミステリならともかく、小説の冒頭に隅田川を歩く主人公を登場させそこでホームレスたちを紹介する鮮やかな手並みの中で事件の環境に現実性を付与している。そのような小説だから多くのフアンたちがわが身に引き寄せて興奮し感動したのだろう。そのような作品を表彰する審査員が問題だ。わずかな発言・失言でも見逃さず”問題視”するさまざまな人権団体や人権屋さんが問題にしないのだろうか。

 

そういう世の中になってしまったのか!子供たちがホームレスに集団暴行してももう記事にもならないかも。

 

(『ブログ『梟通信〜ホンの戯言』2006年2月5日付記事)

 

出典:https://pinhukuro.exblog.jp/2673403/

 

 本当にその通りだ。私も同じことを感じた。以前の記事にも書いたが、私も『罪と罰』を思い出した。私に言わせれば、この真犯人は「自ら犯した罪に対する苦悩や懊悩を一切しない」ラスコーリニコフであって、もちろんラスコーリニコフとさえ比較にならないくらい悪質だ。

 著者の東野圭吾は作家になる前の若い頃(高校生だか大学生だかの頃)に松本清張をずいぶん読み込んだらしい。だから一件「社会派」風に「小説の冒頭に隅田川を歩く主人公を登場させそこでホームレスたちを紹介する鮮やかな手並みの中で事件の環境に現実性を付与し」たのだろう。私もそういう期待を持って本作を読み進めていった。ところが、「刑事コロンボ」のような倒叙推理小説だと思い込んで読んでいた本作の核心部が、実は「ホームレスを犠牲にした替え玉殺人」だったと知って、びっくり仰天するとともに激怒したのだった。

 逆に本格推理小説を熟知した人たちにとっては、この「替え玉殺人」を見破るのは容易で、「難易度が低い」のだという。確かに手がかりは作中に示されているし、本格推理を読む人にとっては「顔のない死体は替え玉を疑え」という鉄則があるのだそうだ。また、そもそも本作が本格推理としてフェアかどうかについての激しい論争もあったようだ。しかし本格推理小説など高校1年生の時を最後にを何十年も読んだことがなかった私には、そんな議論には全く関心がない。

 上記のような批判を含む本作に関する議論が下記サイトにまとめられている。

 

 この中に、早川書房の『ミステリマガジン』2006年6月号の特集「現代本格の行方」に掲載された我孫子武丸氏の論考「容疑者Xは『献身的』だったか?」が引用されているが、これが本作の反倫理性に対する批判になっており、私はこれに共感した。以下引用する。

 

 彼らの両方が、石神の行為を「自己犠牲」「献身」と捉えていることがはっきりと分かる場面である。ここには、何の関係もなく殺された人間に対する一片の同情も、そんなことをやった石神という人物に対する嫌悪、恐怖のどちらもまったく感じられない。靖子はやや恐れを感じているようにも見えるが、それは自分にはもったいないほどの大きな愛情に対する畏怖でしかない。ネタは見えつつも、楽しく読み進めてきたぼくはこのあたりですっかり「ひいて」しまった。フィクションにおいて、一方的に思いを寄せる女性のために何の関係もない人間を殺す人物(明らかに異常者だ)を、感情移入させるような形で描くことについては、ぼくは何の疑問も不満も感じない。たとえ一人称一視点であったとしても、主人公の考えイコール作者の考えと限らないことは当然だ。しかし、そういう人物の行動を、他の、モラルの側に立つはずの人物たちまでもが「大きな犠牲」などと捉えるとなると、ぼくには到底受け入れがたい。一歩譲って、登場人物全員がインモラルな人物として描かれているのだとしてもいい。しかし、別れた妻をつけまわす陰湿な男・富樫とその富樫殺しの隠蔽のために殺されたまったく無関係な人物、「技師」。読者は一体どちらの罪を重いと考えるだろう。「技師」殺しを石神の「自己犠牲」と捉える湯川は一体どんな正義の元に真相を暴こうというのか。真相を墓場まで持っていこうとした石神の気持ちを知りながら、それを靖子に告げることで自白を引き出そうとした湯川の行為は誰かを救っただろうか。正当防衛に近い偶発的な殺人をしてしまっただけの親娘に、石神の分の罪も背負わせただけではなかったか。

 

 何人かの評者は本作を二重の読みが可能なたくらみに満ちた作品と読んだようだったが、こうして見る限りそれは深読みのしすぎではないかと言わざるを得ない。愛すべき平凡な女性として描かれてきたはずの靖子と、犯罪者を断ずる役割を担った探偵役の双方が同じ価値観を持っている以上、それが作者自身の価値観と重なると考えるのが普通の読みだろう。彼らが(つまりは作者が)「ネオリベ的」であるかどうかは、そもそもぼくには「ネオリベ」の意味がよく分からないので判じかねるが、この二人のせめてどちらか一人でも石神の行動を厳しく断罪する価値観を持ってくれていれば、ぼくの本作に対するエンタテインメントとしての評価はかなりアップしただろうし、笠井が感じた違和感も大幅に減じたのではないかと推察するのだが……どうだろうか。

 

我孫子武丸「容疑者Xは『献身的』だったか?」〜『ミステリマガジン』2006年6月号「現代本格の行方」より)

 

出典:http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/710606.html(リンク切れ)

 

 上記批評から、東野圭吾に対する「ネオリベ的」との批判があったらしいことがわかる。面白い視点だし、一面で当を得ている。ただ私は、東野圭吾は「強者目線」を強く持ってはいるものの、基本的にノンポリの人だと思う。もちろん私がはまりにはまった松本清張とは全く違う。次回エントリで取り上げる予定の『聖女の救済』は、おそらく清張の短篇「捜査圏外の条件」を下敷きにした作品だと思われるが(両作には多くの共通点がある)、2006年から書き進められて2008年に発表された『聖女の救済』で被害者として殺された人物は、「女性は産む道具」との価値観を持っていたことを作者に断罪されている。この作品を読んだ人たちの多くは、2007年に当時の第1次安倍内閣厚労相柳澤伯夫が発した「女性は産む機械」という発言を思い出したに違いない。東野圭吾とは「時流に乗る」ことを得意とする作家なのではないかと思った。小泉純一郎郵政解散を仕掛けて総選挙に圧勝した2005年には「ネオリベ全盛」だったから『容疑者Xの献身』のような小説を書いただけなのではないか。また、出版元の文藝春秋がこの本に「純愛」をうたった帯をつけるなどして売り込んだとのことだ。そういえば数年前にも別の「ジュン愛」騒動があったことを思い出した。私はとことん「ジュンアイ」とは相性が悪いらしい。だがここで百田尚樹の話に脱線するのは止めておく。

 東野圭吾はあまり売れなかった時期が長いようだが、その若き日の作品には「作者の倫理観が崩壊している」としか思えない作品が多くある。当たり障りのない言い方をすると「玉石混淆」になるが、その「石」はあちこちがとんがっていたりして強烈に凶悪なのだ。私が読んだ中で最悪の例は『同級生』(1993)だ。この作品を徹底的にこき下ろしたあるサイトの感想文があまりにも痛快だったので、以下にリンクを示す。

 

blog.netabare-arasuji.net

 

 上記リンクの紹介文にも見える通り、「自分の子を身籠もって事故死してしまった彼女のために愛がなかったので罪滅ぼしのた」めに、主人公の高校生が真相を探ろうとする話だが、そもそも「本当に愛してもいなかった」彼女を「身籠もらせた」時点で論外の主人公であって、しかも「絞殺された」はずの女性教師は、明らかに作者の東野圭吾が嫌いなタイプの教師だと思われるが、実は自殺だった。滅茶苦茶かつ作者にとって都合の良いだけの筋立ての「超駄作」だ。こんな小説が売れなかったのは当たり前だとしか思えない。繰り返すが、東野圭吾とは本質的に「強者目線」の人なのだ*2。だからこそ「ネオリベ的」だと評されるのだろう。しかし長年のミステリマニアだった東野は、その後作風を「お涙頂戴」式に変え、それに長年培ったミステリの技巧と、松本清張から形だけ借りてきた「社会派風」の味付け(それは飾りに過ぎないが)を加えて「人気作家様」にのし上がった。しかし『容疑者Xの献身』では東野の「ネオリベ的地金」が出てしまったということではなかろうか。

 最近では東野を批判するために東野作品を読んでいるようなものだ。こういう読み方をさせる作家は珍しい、というかこれまでの毒書、もとい読書習慣にはなかった。

*1:安晋会」の実体はいまだによくわかっていない。

*2:『同級生』の感想文を「読書メーター」で見ていると、「同じ男性として主人公に共感した」などと平然と書いた人間がいるのを見つけてぞっとした。

アガサ・クリスティ『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳、創元推理文庫)を読む

 前回に続いてアガサ・クリスティを取り上げる。最初に書いておくと、クリスティのミス・マープルものの短篇集である創元推理文庫の『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳, 2019)とハヤカワ文庫の『火曜クラブ』(中村妙子訳, 2003)は同じ作品の翻訳だ。1932年にイギリスで "The Thirteen Ploblems" のタイトルで刊行されたが、アメリカ版では "The Tuesday Club Murders" と題された。またイギリスのペンギンブック版では "Miss Marple and the Thirteen Ploblems" と題された。おそらく中村訳はアメリカ版を、深町訳はペンギンブック版を底本としていると思われる。

 で、創元推理文庫版とハヤカワ文庫のどちらかを選ぶなら、断然創元推理文庫版にすべきだ。なぜなら、ハヤカワ文庫の解説文には、他のクリスティ作品のネタバレが満載されているらしいからだ。前回も書いた通り、私は中学生時代の昔、級友に『アクロイド殺し』のネタバレを食うという痛恨の思い出があり、それがトラウマになって半世紀近くもクリスティ作品を読まずにきた。このご時世になってもミステリの解説文で平然と他の作品のネタバレをやらかす文庫本があるとは呆れる。

 話が逸れるが、1989年にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を初めて読んだ時に「犯人のネタバレ」を食わなかったのは本当に良かった。あの長篇もミステリと呼べなくはないどころか、終盤になって初めて父親殺しの犯人が明かされる部分は重要な場面なのだ。しかし昔は、平気で帯に犯人の名前が書いてある本があったらしい。

 今回、ハヤカワ文庫版でなく創元推理文庫版を選んだのは幸運だった。半世紀近く前の雪辱が果たせたというべきかもしれない。

 ところでハヤカワ文庫版の訳者・中村妙子氏は一昨日(2021年2月21日)に98歳の誕生日を迎えた。『火曜クラブ』は2003年刊行だから、当時中村氏は80歳だった(訳出の時期は知らないが)。また創元推理文庫版の訳者・深町眞理子氏は1931年11月1日生まれの89歳。『ミス・マープルと13の謎』は2019年刊行の「新訳」だから、訳者80代後半での仕事ということになる。

 この16年の違いは大きい。たとえば短篇集の8番目に置かれた "The Companion" は、中村訳では「二人の老嬢」、深町訳では「コンパニオンの女」という題になっている。ここでいうコンパニオンとは、深町訳の34頁の注釈*1によると、「自活することを余儀なくされた良家の女性が、富豪に雇われて、女主人や病人などとの付き添い兼話し相手をつとめるもの。イギリス独特の存在で、かつては良家の女性の就いて恥ずかしくない、数少ない職業のひとつと見なされていた」とのことだ。

 中村訳では日本語に訳しようがないので「二人の老嬢」としたものだろうが、二人の年齢は「四十前後」*2とのことだから、今時これを「老嬢」と訳すのは良くないだろう。またクリスティ自身もいわゆる「オールド・ミス」を思わせる書き方はしていない。なおこの短篇が書かれたのは1929年である。

 ただ、2冊を読み比べ、かつ上記の邦題から受ける印象の違いにも言及した下記リンクの記事を書かれた方によると、

「二人の老嬢」「コンパニオンの女」どちらも大きく解釈の差は無く、読後の印象も大きく変わりません。

どっちもめっちゃ楽しめた。

話の内容的には、表現の違いはもちろんあるものの、どちらの訳を読んでも、登場人物像の印象が変わる・・・というような大きな差は無かったです。

とのことだ。

 

www.365books.site

 

 ハヤカワ文庫版のメリットは、創元推理文庫版よりも文字が大きいことだが、解説文がネタバレ満載ではどうしようもない。ハヤカワ文庫からはアガサ・クリスティ作品が103冊刊行されているが、他にも同様の例がないか警戒した方が良いかもしれない。前回も書いた通り、解説文ではなくクリスティの孫が書いた「序文」から真犯人の見当がついてしまったのが『スタイルズ荘の怪事件』だった。

 ところで創元推理文庫版は、2019年に新訳版が出るまでは高見沢潤子訳だったらしい。ネット検索で知ったのだが、この方は小林秀雄(1902-1983)の2歳下の妹で、田河水泡(1899-1989)の妻だったようだ。亡くなったのは100歳の誕生日を22日後に控えた2004年5月12日だった。創元推理文庫版旧版の『ミス・マープルと十三の謎』は1960年に刊行された。

 

 小林秀雄とクリスティというと、小林が『アクロイド殺し』をアンフェアだと評したことが知られているようだ。以下Wikipediaから引用する。

 

雑誌『宝石』誌上の江戸川乱歩小林秀雄との1957年の対談[10]において、小林は次のように批判している。

「いや、トリックとはいえないね。読者にサギをはたらいているよ。自分で殺しているんだからね。勿論嘘は書かんというだろうが、秘密は書かんわけだ。これは一番たちの悪いウソつきだ。それよりも、手記を書くと言う理由が全然わからない。でたらめも極まっているな。あそこまで行っては探偵小説の堕落だな。」「あの文章は当然第三者が書いていると思って読むからね。あれで怒らなかったらよほど常識がない人だね(笑)。」

ただ、対談の相手である江戸川乱歩はフェア・プレイ派である。

 

出典:アクロイド殺し - Wikipedia

 

 小林秀雄はもしかしたら妹の高見沢潤子の訳文で『アクロイド殺し』を読んだものかもしれないとも思ったが、ネットで調べたところ、残念ながら『アクロイド殺し』に高見沢訳はなさそうだ。古くから『アクロイド』を翻訳していたのは松本恵子(1891-1976)だった。この人はアガサ・クリスティの4か月あとに生まれて10か月あとに亡くなった、まさにクリスティの「同時代人」だった。

 ミス・マープルの誕生は、その『アクロイド殺し』と深い関係があることが、創元推理文庫深町眞理子による新訳の解説文(大矢博子)に書かれている。ミス・マープルの原型は『アクロイド殺し』の語り手であるシェパード医師の姉・カロライン(キャロライン)なのだという。『アクロイド殺し』が舞台化された時、探偵のポワロ(ポアロ)が設定より二十歳若いイケメンのモテ男にしようとしたところ、クリスティの反対にあってこの案は潰れたが、その代わりにカロラインが登場せず、若い綺麗な女性が登場することになったのだそうだ。これに怒ったクリスティが短篇にカロラインを原型とするミス・マープルを登場させたといういきさつらしい。

 『アクロイド殺し』は1926年の作品で、ミス・マープル最初の短篇である「〈火曜の夜〉クラブ」の雑誌『スケッチ』誌掲載は1927年12月号、『アクロイド殺し』が舞台化された『アリバイ』の初演が1928年であり、舞台の設定が前年にきまったとすれば辻褄が合わなくもない。当時から『アクロイド殺し』は大人気作品だったようだ。

 ところでミス・マープルの雑誌初登場は、シャーロック・ホームズが最後に雑誌に登場した「ショスコム荘」(『ストランド』誌1927年4月号)のわずか8か月後にである。クリスティはフランスを舞台とした『ゴルフ場殺人事件』(1923)でシャーロック・ホームズを戯画化したと思われるパリ警視庁のジロー刑事をポアロのライバルとして登場させ、大恥をかかせているが、これはコナン・ドイルに加えてモーリス・ルブランの『ルパン対ショルメ(ホームズ)』(1908)でイギリスのホームズがフランスのルパンにしてやられたことに対する意趣返しの趣向も含まれているかもしれない。また同じフランスのガストン・ルルーの『黄色い部屋の秘密』(1907)も意識していただろう。もちろん『ゴルフ場殺人事件』の犯人はジロー刑事ではないけれども。『ゴルフ場殺人事件』は前回の記事で少なからず批判した長篇ではあるが、男性先輩作家3人を向こうに回した若きクリスティの意欲が感じられる野心作だ。

 肝心の『ミス・マープルと13の謎』の2番目に置かれた「アシュタルテの祠」は、ドイルの『バスカヴィルの犬』と同じダートムアを舞台とする怪奇譚だ。以下はネタバレを含む部分を白文字で表記するが*3、なんといっても秀逸なのは、短篇集12番目の「バンガローの事件」だろう。これを読んで直ちに私が思い出したのがアクロイド殺しだった。この短篇は一人称で書かれてはいないが、三人称版の「信頼できない語り手」ともいうべきトリックが用いられている。さすがはアクロイド殺し』の作者だと舌を巻いた。私は例によって物語を語るジェーン・へリアを全く疑わないでもなかったが、そもそもわけのわからない話だと思った。だから「ミス・ヘリア自身が犯人だ」という結論を出すには至らなかった。ところがミス・マープルが語り出した言葉が指し示すものは、「犯人は語り手であるミス・ヘリア自身だ」ということではないか。短篇集の7番目から登場するミス・ヘリアは、Wikipediaの表現を借りれば、この短篇集の後半において、一貫して「美しく気立ても良いが、『頭の中身は空っぽ』と表されている人気女優」として描かれてきたが、まさにそれこそがヘリアの「演技」だったのだ。ヘリアは自ら犯罪を企んでいたが、種明かしはしなかった。つまり「信頼できない語り手」だった。しかし、ミス・マープルは真相を見抜いたが、それを他のメンバーの面前では言わずにミス・ヘリアに耳打ちするにとどめた。犯行はまだ行われていない計画段階だったので、企みを見破られたヘリアは実行を思いとどまったのだった。

 マープルの下記のセリフがふるっている。

 

これだけのことをしでかすのには、ただのメイドあたりではとても持ちあわせていそうもない、それくらいの知恵が必要だという気がするんですよ。(深町訳359頁)

 

 つまり、ミス・ヘリアは「お馬鹿」に見せかけてミス・マープル以外の登場人物の全員、及び私を含む短篇集の読者たちを騙しおおせたのだった。

 しかるに、「読書メーター」などを見ると、「お馬鹿なミス・ヘリアがかわいい」などと書かれた感想文が少なくなかった。おいおい、本当に読んだのかよと思ってしまった。

 かつてカズオ・イシグロの『日の名残り』で、「信頼できない語り手」である執事・スティーブンスの本心を見抜けない日本のお馬鹿な読者たちに私は苛立ち、彼らを批判する記事をこの日記に書いたものだが、今回は大笑いしてしまった。

 この短篇はとてもよくできている。終わり方も良かった。ミス・マープルものは長篇が12篇、短篇が20篇あるそうなので、長篇12篇と短篇7篇が未読で残っている。『アクロイド殺し』は別として、それ以外はマープルものを優先して読もうかと思った次第。

*1:最初の短篇「〈火曜の夜〉クラブ」に付された註より。

*2:深町訳203頁。

*3:短篇集5番目の「動機対機会」のトリックである「消えるインク」にヒントを得た。

アガサ・クリスティ『ゴルフ場殺人事件』と東野圭吾『容疑者Xの献身』の感心しない「共通点」

 初めにおことわりしますが、このエントリにはアガサ・クリスティ(1890-1976)及び東野圭吾推理小説に関するネタバレが思いっ切り含まれているので、それを知りたくない方は読まないで下さい。

 

 今年(2021年)に入ってクリスティ作品を4冊読んだ。

 実は私の少年時代、クリスティのミステリに関する嫌な思い出がいくつかあって、昨年までクリスティ作品を一つも読み切らずにきた。その最たる苦い思い出が、中学1年生の時に『アクロイド殺人事件(ロジャー・アクロイド殺し)』を半分くらいまで読んだ時に、旧友にネタバレをされてしまったことだ。

 あれは、探偵のエルキュール・ポアロが暴く前に真犯人を知ってしまったら、読む気が起きなくなる小説だ。それをやられてしまったのだからたまったものではない。

 しかも、信じてもらえないかもしれないが、私は読みながら「この語り手、なんだか怪しいなあ。もしかしたらこいつ自身が犯人なんじゃないか」と思っていたのだった。そしてそれはズバリその通りだったのだが、読み切る前に真犯人がわかったら読む気が一気に失せた。結局結末の部分だけ読んでそれ以外の後半部分は読まずに今に至っている。

 その『アクロイド殺し』を再読しようと思うようになったのは最近のことだ。

 まず、2013年以降松本清張にはまり、2014年には河出文庫から刊行されたコナン・ドイルシャーロック・ホームズ全集を読むなど、中学生時代以来40年ぶりにミステリを読む習慣が復活したことだ。

 次いで、一昨年にカズオ・イシグロの『日の名残り』を土屋政雄訳のハヤカワ文庫版で読み、文芸評論の理論に「信頼できない語り手」というのがあるのを知ったことだ。『日の名残り』の「執事道」に生きた(と自らを偽っていた)語り手と、自らの犯行を隠して語る「アクロイド殺し」の語り手とは意図が全く異なるが、「信頼できない語り手」という点では共通する。

 最後に、ネタバレの被害を受けてしまった小説を読むんだったら、中学生時代になぜ語り手が怪しいと思ったのかくらいは注意して読もう、せめてその程度のインセンティブがなければ犯人がわかっているミステリなんかは読めないけれども、昔を思い出すよすがになるのではないかと思ったのだった。

 こうして、半世紀近い昔からの「鬼門」に再度挑むことにした。

 だが、図書館の書棚にはなかなか『アクロイド殺し』は置いていない。クリスティの代表作とされる人気作品だから借り出されていることが多いためだろう。そこで、悪友によってではなく、よくあるミステリ論のせいで読んでもいないのに犯人を知らされていた『オリエント急行殺人事件』の光文社古典新訳全集版(安原和見訳)を手始めに読んでみた。この小説はは犯人がわかって読んでも面白かったし訳文も読みやすかった。ただ、勧善懲悪の復讐譚であることにちょっと引っかかりを感じたが。

 

www.kotensinyaku.jp

 

 次いで、どうせならポアロものを最初から読もうと、クリスティの処女長篇である『スタイルズ荘の怪事件』とポアロもの2作目の『ゴルフ場殺人事件』の2冊をいずれもハヤカワ文庫で読んだ。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 この2作を読んだ感想は、クリスティとは本質的に「フーダニット」(誰がやったか)を興味の中心とするミステリ作家だったんだなあということだ。トリックは、『スタイルズ荘』の方は薬学の知識がなければ想到不可能なものだし、『ゴルフ場』の方はせっかく「替え玉殺人」というトリックを使っていながら物語の中盤で早々にネタを明かしてしまい、物語後半では「替え玉殺人」に便乗してこの陰謀を企んだ当人を殺したのは誰かという点に興味が絞られる。この小説には殺人が2件あって、替え玉殺人で犠牲になった被害者があとから発見され(第2の殺人)、その前に替え玉殺人を企んだ悪人が殺される第1の殺人事件が露見している。そして、時間的にはあとから起きたこの第1の殺人事件の犯人が誰かをめぐってどんでん返しが三度起きるという仕掛けだ。しかし、第1の殺人にはトリックも何もない。単に替え玉殺人を企んだ悪人を刺殺しただけなのだ。

 『スタイルズ荘』でも二段階のどんでん返しがあり*1推理小説的にはもっとも怪しくないけれども、普通に考えればもっとも怪しい人間が真犯人だ。それはある意味で「意外な犯人」といえるのだが、ハヤカワ文庫版につけられたクリスティの孫だというマシュー・プリチャード氏による序文を覚えていれば、犯人の見当がつくようになっている。だから二度のどんでん返しのを経てこの人物が真犯人としてポアロに指し示されても「やっぱりそうだったか」としか思えなかった。

 また、『ゴルフ場』の方は、推理小説的にはもっとも怪しいし、普通に考えても(嫌な言い方だが)この出自なら怪しいと思われる人物が三度のどんでん返しの末に真犯人として示される。この人物については作中でポアロが語り手のヘイスティングズに何度も警告していたりもするし、あまりにも怪しすぎるのだが、やっぱり真犯人かよ、と思ってしまった。しかし、この作品に示された「極悪人の子はやはり極悪人」という思想は、どうしても私には受け入れがたい。そういう結末にはなって欲しくないなあと思いながら読んでいたが、恐れていた通りの結末だったので大いにがっかりした。さらに、それよりももっと嫌だったのは、第2の殺人で浮浪者が身代わり殺人の犠牲になってしまったことだ。この殺人は第1の殺人の被害者とその妻による共謀だったのだが、ポアロは無実の罪に問われそうになった夫妻の息子に対して、「あなたの父親は悪人だったが母親は立派な人だ」みたいな言い方で励ました。しかし、その妻は罪もない浮浪者を身代わり殺人の犠牲者とした悪人の夫の共犯者だったのだ。いくら夫を愛していたからといってもそんな犯罪行為が許されるはずないじゃないかと思った。結局、クリスティは浮浪者を人間扱いしない倫理観の持ち主だったのではないかと批判せずにはいられないのである。

 しかし思うのだが、2005年下期の直木賞を受賞した東野圭吾の『容疑者Xの献身」(2005)はこのクリスティの『ゴルフ場殺人事件』にヒントを得た小説なのではなかろうか。この2作には共通点が多い。

 まず、ともに殺人事件が2件ある。ただ東野作品で巧妙なのは、第2の殺人事件そのものを隠していることだ。つまり、トリックに無頓着なクリスティがせっかくのトリックをもったいない使い方をしたのに対し、東野は替え玉殺人のトリックを最大限に活かしたといえる。私も第2の殺人が隠されていたとは全く予想できなかった。

 しかも、東野作品でも第2の殺人事件で罪のないホームレスが犠牲になっている。クリスティ作品とは異なり、第1の殺人事件の犯人は生きていて、その犯人を熱愛した第2の殺人事件の犯人を第1の殺人事件の犯人への嫌疑から逃れさせるために第2の殺人事件を引き起こしたというのがトリックだ。つまり殺人が起きた順番はクリスティ作品の逆。この第2の殺人事件の犯人は、共犯者に過ぎなかった『ゴルフ場殺人事件』第1の殺人事件の被害者にして第2の殺人事件における犯人の妻よりも、ずっと悪質な犯罪者だといえる。以前にも書いた通り、こんな小説を書いた東野圭吾の倫理観もどうかしていると思うが、それを読んで「感動した」とか言う人とは友達になれないというのが私の率直な意見だ。東野圭吾も『容疑者X』に感動した人もともにホームレスを人間扱いしない倫理観の持ち主と言わざるを得ないのではないか。1923年に書かれたクリスティ作品にはまだ「時代的な制約」があったとの言い訳が成り立つかもしれないが、2005年に書かれた東野作品やその読者にはそのようなエクスキューズは通用しない。ミステリとしての意外性が抜群なのは認めるが、仮に私が直木賞の選考委員だったなら、その倫理観の欠陥ゆえにこの作品は直木賞に値しないと強く主張したに違いない。

 本当は上記の3冊に続いて読んだクリスティの短篇集『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳・創元推理文庫2019)を中心に据えたエントリにするつもりだったが、次回に回すことにする。一言だけ書いておくと、この短篇集は『アクロイド殺し』と密接な関係がある。一つは主人公のミス・マープルその人であり、もう一つは13篇からなる短篇集のうちのある一篇だ。詳しくは次回に。

*1:この「多段のどんでん返し」は松本清張の多作期(1950年代終わり頃から60年代初め頃)の作品によく出てくるが、どうやらルーツはこれらクリスティの初期作品ではないだろうかと思い当たった。

沼野雄司『現代音楽史 - 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書)を読む

 沼野雄司『現代音楽史 - 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書,2021)を読んだ。

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/01/102630.html

 

 私が聴く音楽は、武満徹(1996年没)を除けば、新しくてもせいぜい(福田康夫が好きな)バルトーク(1945年没)とか(志位和夫が好きな)ショスタコーヴィチ(1975年没)くらいのもので、いわゆる「現代音楽」についてはよく知らない。

 いや、かつてアルヴォ・ペルト(1935-)や、稲田朋美が検閲しようとした映画『靖国 YASUKUNI』に使われていたヘンリク・グレツキ(1933-2010)の交響曲第3番「悲歌」(1976)のCDを聴いたことがあるので、ああいう「新ロマン派」的な潮流が前世紀後半にあったことくらいは知っているが、その先になると、そもそも音楽を聴く機会自体が減っていたために全然知らない。

 たまに、「21世紀の音楽」はどうなっているのだろうか、一度20世紀以降の音楽史の通史でもあれば読みたいとは時々思っていたが、なかなかそのような一般書はなかった。

 今回、出たばかりの中公新書にこの手の本があったので読んだ次第。

 著者は音楽学者だが、あとがきに下記のように書いている。

 

 現代音楽史を書こうとした動機はいくつかある。

 まず類書がほとんどないこと、日本語で書かれた二十一世紀までを含めて通観できるもの、それもある程度コンパクトなものが必要だと考えていた。実際、いまだに柴田南雄『現代音楽史』(1967初版)を参照する人もいると聞くので(確かに「名著」ではあるが)、いくらなんでも情報や音楽史観をアップデートしなくてはならない。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)267頁)

 

 専門家がこう書くのだから間違いない。確かに一般書の「類書」はほとんどない。私など柴田南雄(1916-96)の『現代音楽史』さえ知らない。私の現代音楽史の知識は、70年代初めに発行されたと思われる小中学生向けの学習百科事典のほんの一部分と、亡父が持っていた1967年頃の『レコード芸術』だったかの増刊号、それに1961年に書かれた吉田秀和の『LP300選』の現代音楽に関する項くらいのもので、いずれも1970年代に読んだから、もう半世紀近くも「音楽史観をアップデート」していない状態だった。だから興味津々で読み始めた。

 面白かった。以下いくつか興味深いと思った点をピックアップする。

 まず第1章「現代音楽の誕生」から。

 著者は、マーラー(1860-1911)、ドビュッシー(1862-1918)、スクリャービン(1872-1915)らの音楽について、下記のように論評している。

 

 単に音楽語法という観点のみから見れば、彼らの音楽は、それなりにモダンな側面を持っている。マーラーの未完の大作「交響曲第10番」に見られる破壊的な不協和音、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」における多調性、あるいはスクリャービンの「第6番」以降のピアノ・ソナタにおける無調的な音の連なりは、その斬新さゆえに、時には現代音楽の出発点として語られることも少なくない。

 

 しかし、どのように新しい技術が使われていても、これらの作品はブルジョワジーを主体にした聴衆から、最終的には離れようとしていない。彼らが想定しているのは、あくまでも「よき趣味」を持った上流階級であり、その意味で臍の緒は十九世紀としっかり繋がっている。

 

 しかし、大戦*1を経たあとにあとに歴史の表舞台に躍り出てきたのは、それまでとは異なるタイプの(中略)聴衆だった。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)26-27頁)

 

 なるほどと思わされる指摘だ。

 ただ、「現代音楽」には、市民革命家的な生き方を貫いた「楽聖ベートーヴェンに擬せられる作曲家はいなかった。半世紀前には十二音技法を創始したとされるアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)と、その弟子だったアルバン・ベルク(1885-1935)、アントン・ウェーベルン(1883-1945)の3人が、ハイドンモーツァルトベートーヴェンの3人に代表される「ウィーン楽派」に対照される形で「新ウィーン楽派」と呼ばれていたが、本書の索引を見ても「新ウィーン楽派」の項目はなく、少なくとも本書ではこの呼称は用いられていないようだ。

 なお、「十二音技法を創始したとされるシェーンベルク」と書いたが、実際に十二音技法を初めて用いた作曲家はシェーンベルクではなかったらしい。そのことが本書に出ている。本当の一番乗りはヨーゼフ・マティアス・ハウアー(1883-1959)という作曲家であって、シェーンベルクに盗用されたと感じたハウアーは、どちらが元祖かという抗争をシェーンベルクとの間で展開したそうだ。実際に早かったのはハウアーの方らしく、彼が最初に十二音技法で「ノモス」を作曲したのは1912年だったのに対し、シェーンベルクが十二音技法を試し始めたのは1921年だった*2

 この件について、著者は下記のように論評している。

 

 現代音楽の世界では、しばしば「誰が最初にそれを行ったか」が問われる。本来は「誰が良い曲を作ったか」こそが問題になるはずなのだが、二十世紀の「新しさ」への希求は、こうした傾向を生み出すことにもなったのだった。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)129頁)

 

 「誰が最初にそれを行ったか」といえば、ジョン・ケージの「4分33秒」(1952) の先駆者があったらしいことも本書で知った。ケージの「4分33秒*3については、本書132頁に「楽譜」が掲載されているが、本書には「4分33秒」に33年も先立つ1919年に作曲されたエルヴィン・シュルホフ(1894-1942)の「未来へ」という作品が紹介されている。以下本書より引用する。

 

 より本格的にジャズと関わった作曲家には、エルヴィン・シュルホフ(1894-1942)がいる。プラハに生まれた彼は、大戦後には社会主義者として活動するとともに(管弦楽伴奏付き歌曲「風景」[1919] はカール・リープクネヒトに献げられた後期ロマン派的な音楽だ)、一時期はシェーンベルクの「私的演奏協会」にも参加。やがて画家のオットー・ディクスの家でジャズのレコードに接すると、その自由さに惹かれて作風を変化させた。たとえば「五つのピトレスク」(1919)は基本的には単純なラグタイム風の音楽だが、第3曲「未来へ」では休符と記号のみが楽譜に記されるという、極度に実験的な趣向が用いられている。さらに、数年後の「五つのジャズ・エチュード」(1926)になると、半ば無調的な語法とジャズのエッセンスが見事に溶け合っており、スウィング以降のジャズを予見するようでさえある。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)64-65頁)

 

 上記の文章が載っている本書64頁に「未来へ」の楽譜が掲載されているのだが、「休符と奇妙な顔文字のみが記されている」と書かれている。楽譜は2段だが、普通のピアノ用の楽譜とは異なり、上段がヘ音記号で下段がト音記号になっている。拍子は、上段が5分の3拍子で下段が10分の7拍子というでたらめな拍子だが、楽譜には休符と「奇妙な顔文字」を含むいくつかの記号しか載っていないので関係ない。あるいは、演奏者がピアノに向かって右手と左手を交差させた姿勢で動かないか、または腕を振り上げたり振り下ろしたりするもののいっこうに鍵盤を叩こうとしない、といった様子に客席がざわめくことが「音楽」だという趣向なのだろうか。

 この「音楽」を取り上げたサイトがネット検索でみつかったので、以下に紹介する。下記サイトには、「5つのピトレスク」を構成する各曲の楽譜の冒頭部分がそれぞれ掲載されている。

 

www.virtuoso3104.com

 

 以下引用する。

 

 第3曲『未来へ』

 

 これこそが《5つのピトレスク》中で最大の謎にしてメインの話題です。

 テンポ表記は「時間を超越」という意味です。拍子記号は上段が3/5拍子、下段が7/10拍子という一見とんでもないことになっていますが、実際に音符を数えると4/4拍子です。最初の発想標語は「歌全体を自由に表情と感情をもって、常に、最後まで!」という意味。

で、肝心の音符が殆ど休符!

 もっとぶっ飛んでいるのは楽譜の中に「!」や「?」や「顔文字」があることです。どうやって演奏するの?と思うところですが、実は演奏指示や楽譜の読み方などについて、一切シュルホフは書いていません。しょうがないので、これを「演奏」する人たちは各々独自の読み方で楽譜を読んで「演奏」しています。

 一体何を意図して、この曲は書かれたのでしょうか。こればかりは僕も答えを出すことができません。より詳しく研究している人に丸投げしたいと思います。

 

出典:https://www.virtuoso3104.com/post/5pittoresken

 

 なお、『現代音楽史』の著者・沼野雄司はシュルホフとケージとを結びつける文章は書いていない。シュルホフとケージの両方を取り上げ、「未来へ」と「4分33秒」の「楽譜」をともに掲載しているにもかかわらず。これはむろん意識的にそうしたのだろう。しかし「現代音楽」に関して聞きかじったことのある人間であれば、本書のシュルホフの項を読んでケージの「4分33秒」を思い出さなかった人は誰もいないのではないだろうか。

 Wikipedia「ネオダダ」の項にもシュルホフとケージとの関係が書かれているので、以下引用する。

 

ネオダダに属する作家たちのうち、ロバート・ラウシェンバーグらは1930年代から1950年代にかけて存在したノースカロライナ州の小さな芸術学校、「ブラック・マウンテン・カレッジ英語版」で学んでいた。ここでは美術家のみならず音楽家、詩人、思想家らが教えており、なかでも教鞭をとっていた音楽家ジョン・ケージの、音響を即物的に考えることや偶然性を利用するといった活動から強い思想的な影響を受けている。もともと「何もせずに黙りこくる」という発想はケージのオリジナルではなく、エルヴィン・シュルホフの「五つのピトレスク」で初めて楽譜になったものであり、これをケージが「4分33秒」にしたこと自体がネオ・ダダの発端であった。ヨーロッパで発案されたものがアメリカ流に改良され、理論化されたものがネオダダなのである。

 

出典:ネオダダ - Wikipedia

 

 なお、シュルホフは沼野『現代音楽史』にもう一箇所だけ出てくる。それは不幸なことに、ナチスとの関わりだった。以下引用する。

 

 また、前章で名を挙げたシュルホフの場合、ユダヤ人にして共産主義者、さらにはジャズや前衛音楽に関わるという、ナチスが敵視したすべての要素を体現する存在になってしまった(彼はソ連への移住を望んでいたが、プラハで逮捕され、強制収容所で生涯を終えた)

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)93頁)

 

 だがソ連にもスターリンがいた。仮に首尾良くソ連に移住できたとしても、同じような目に遭った可能性がある。

 

 以上見た通り、シェーンベルクの前にハウアーあり、ジョン・ケージの前にシュルホフありといった具合に、音楽史上に残る大きな試みであっても先駆者がいた。18世紀後半から19世紀初めにかけてのベートーヴェンに対するモーツァルトと同じように。

 たとえば、音楽学者のアインシュタインが「モーツァルトエロイカ」と呼んで称賛したというK(ケッヘル) 271番のピアノ協奏曲変ホ長調(一般に第9番と呼ばれているが、実際にはモーツァルトが4番目に書いたピアノソロと管弦楽のための協奏曲)が、ベートーヴェンの第4と第5(「皇帝」)のピアノ協奏曲の他、第3交響曲エロイカ」にまで影響を与えたのではないかと私が再発見したのは、昨年末のことだった*4。何事をなすにも先人はいるものだ。

 長くなった。以下ははしょる。

 前述のショスタコーヴィチ(1906-75*5)やベンジャミン・ブリテン(1913-1976)は私がクラシック音楽を聴くにようになったあとに訃報に接した作曲家たちだった。NHK-FMで初めて追悼の意を込めてショスタコーヴィチ交響曲第5番ではなかった)が流された時にはちんぷんかんぷんだった。また日曜夜の吉田秀和の番組でブリテンがとりあげられたのも覚えている。ブリテンの死は確か12月で、モーツァルトの命日とは同じくらいではなかったかしら*6、と思って調べてみたら、ブリテンの命日はモーツァルトより1日早い12月4日だった。

 沼野『現代音楽史』では「社会主義リアリズム」を見直すことを提言していて、ショスタコーヴィチの第5交響曲が取り上げられている。しかし私は、第5交響曲が悪い曲だとは思わないが、それよりは弦楽四重奏曲の方がより良いと思う。たとえばまだ晩年の晦渋さにはいかない頃のショスタコーヴィチであれば、第3弦楽四重奏曲ヘ長調(1946)などの方が第5交響曲よりも惹かれる。また、本書に「ブリテンの現代性」*7が取り上げられているが、日本の「皇紀二千六百年式典」のために日本政府に送付された彼の「鎮魂交響曲」作品20については「諸事情により演奏されず」*8とのみ書かれている。あれはブリテンが日本に対する悪意を込めた音楽じゃなかったっけと思って調べてみたら、必ずしもそうは言い切れなかったのかもしれない。どのくらい信頼できるかどうかは不明だが、下記にWikipediaへのリンクを示しておく。

 

 またミュジック・コンクレートの話が147頁から始まるが、黛敏郎(1929-97)と武満徹の名前がそれぞれ出てきた*9直後に松本清張(1908-92)の推理小説砂の器』(1961)が出てきたのには笑ってしまった*10。有名な映画版では犯人はロマン派的な音楽を弾くピアニストになっているが、原作は前衛作曲家が電子音で殺人を行う設定になっていて、その作曲家のモデルは黛敏郎か、はたまた武満徹かなどと言われている。

 音響をマルチトラックで重ね合わせる方法について、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)が挙げられているが(これは私もCDで持っている)、そのビートルズに、明らかなミュジック・コンクレートというべき「レボリューション9」(1968)という作品があることが書かれている*11。こちらは曲の存在は以前から知っているが聴いたことはない。著者は「この時期、現代音楽とポピュラー音楽の距離はかつてないほど縮まっていたのだった」*12と書く。

 著者は、現代音楽史上において1968年は大きな切断点となっていると書く。著者は「政治による音楽、音楽による政治」という一節を設け、「六八年を経てみれば、あらゆる音楽が不可避に政治性をはらんでいることはもはや明らかだった。この中で作曲家や演奏家たちは、さまざまな形で政治と音楽の実践を交差させるようになる」*13と書く。そしてその例としてレナード・バーンスタイン(1918-90)を挙げている。

 アメリカでジョー・バイデンが大統領就任式を行ったばかりだが、ニクソンの大統領就任式を翌日に控えた1973年1月19日にワシントンDCで行われたユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの序曲「1812年」にぶつけるかのように、同じ日にバーンスタインは同じ市内のワシントン大聖堂でハイドンの「戦時のミサ」の無料演奏会を開いた*14。この様子を手塚治虫(1928-89)がこのエピソードを「雨のコンダクター」と題した短篇漫画にしたという。本書206頁にはその1ページが載っている。

 この漫画の存在も知らなかった。ネット検索をかけると、小学館から刊行されていた雑誌「FMレコパル」の1974年8月12日号に掲載されたものらしい。私がFM雑誌をよく立ち読みするようになったのは翌1975年からだから、タッチの差で間に合わなかったようだ。1974年といえば少年漫画の週刊誌は立ち読みしまくっていたものだったが。

 

 バーンスタインは1990年に72歳で、手塚治虫は1989年に60歳で亡くなった。いずれも訃報にはショックを受けたが、それからもう30年以上になる。現在の日本では、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅに対して「無知な歌手が政治のことを口にするな」と言わんばかりの無礼なツイートを発した某政治評論家(元時事通信記者)が、トランプの落選に我を失って無様なツイートを発し、人々の失笑を買っている。

 

 

 上記ツイートに対する私の反応は、下記ツイートと同じだ。

 

 

 くだらない人間をついつい嘲笑してしまったが、本書最後の2章である第7章「新ロマン主義と新たなアカデミズム」と第8章「二十一世紀の音楽状況」、特に後者はよくわからなかった。後者には「現代音楽のポップ化、あるいは資本主義リアリズム」*15という一節があるが、これによると「資本主義リアリズム」とは、もともと1961年に東ドイツから西ドイツに移住した美術家ゲアハルト・リヒターが言い出したものだという。著者は、「この名称は、たとえ東側の社会主義リアリズムを逃れたとしても、西側で芸術を行うことは、資本主義的な「ポップ化」を強制されることなのだというアイロニーを鮮やかに示すものだろう」*16と書いている。

 この「資本主義リアリズム」という言葉は、2017年に自死したマーク・フィッシャーが用いたことで知られることになったようだ。以下本書から引用する。

 

 二十一世紀に入ってからこの語は、資本主義が世界にとって唯一の選択肢となった、冷戦後の状況を指すものとしても使われるようになったが(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』)、冷戦後に顕在化している現代音楽のポップ化を「資本主義リアリズム」という枠組みで考察することも可能かもしれない。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)262頁)

 

 要するに、資本主義の呪縛によって「現代音楽」は窒息させられそうになっているということだろうか。

 その前の第7章に書かれた下記の文章も印象的だった。

 

(前略)新ロマン主義が「前衛様式に対する自由」であったことは明らかである。元来は自由を求めて開拓された無調や非拍節的な音楽は、しかし一部の作曲家たちにとっては大きな抑圧として機能するようになっていたのだ。かつて筆者は、六〇年代を過ごした年長の作曲家たちから、「あの頃は前衛的でなければ許されない雰囲気があり、自分もいやいやそんな曲を作っていた」といった類の述懐をしばしば耳にした。してみると、彼らもまた無調や前衛からの自由を勝ち取るために、新ロマン主義的な音楽を選択したということになろう。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)240頁)

 

 これには本当にぶっ飛んだ。彼らが前衛音楽を「いやいや」作っていたとは!

 そして、「前衛や自由からの自由」は勝ち得たものの、今では「資本主義リアリズム」が作曲家を縛っているのだろうか。「資本の論理だけには忠実で、その制限下で芸術作品を作れ」とでもいうのだろうか。いやはや。

 こんな状態だから「新ロマン主義の音楽」にも「ポップ化した現代音楽」にも本当に良い作品が出てこないということか。

 まだまだ「現代音楽」は混迷の時代を抜け出せそうにもないのかもしれない。

*1:もちろん第一次世界大戦のこと。

*2:以上、本書128頁による。

*3:何やら某年の日本プロ野球の日本シリーズを連想させる数字だが。

*4:K271は、当時の協奏曲の形式に反して曲の初めにピアノソロが出てくるところがベートーヴェンの第4及び第5のピアノ協奏曲の先駆をなしているとはよく指摘されることだが、長大なハ短調の第2楽章は、その長さといい曲調といい「エロイカ」の第2楽章と共通点があるように思われる。相当にオペラ風のK271の第2楽章と葬送行進曲による「エロイカ」の第2楽章は、両作曲家が普段書く緩徐楽章の作風とはいずれも異なり、かなり芝居がかった様式で悲痛な曲調がいつ果てるともなく続く。またK271はモーツァルト自身の後年の作品にも強い影響を与えており、自作のK456, K482, K491の3つのピアノ協奏曲は、K271なくしては生み出されなかっただろうと思わせる。特にK482はK271の直系ともいうべき作品で(ともに「エロイカ」とも共通する変ホ長調の曲)、ハ短調の第2楽章、ゆるやかな変イ長調の中間部を持つロンドのフィナーレなど、K271と酷似した構造になっている。

*5:本書53頁と62頁に出てくるダンサー・歌手・俳優のジョセフィン・ベーカーは生没年がショスタコーヴィチと同じだ。同じ生没年の人としては、他にハンナ・アーレントがいる。

*6:吉田秀和の文体または口調を真似た。

*7:本書142-143頁

*8:本書108頁

*9:本書154頁

*10:本書155頁

*11:本書160頁

*12:本書160頁

*13:本書204頁

*14:本書205頁

*15:本書258-263頁

*16:本書262頁

山本太郎『感染症と文明 - 共生への道』(岩波新書)を読む

 今のところ、今年最後に読み終えた本は山本太郎著『感染症と文明』(岩波新書2011)だった。私が買ったのは2020年5月15日発行の第7刷だが、「アマゾンカスタマーレビュー」を見ると、4月24日(26日?)発行の第4刷が出ていたそうだ*1。つまり緊急事態宣言発令中の短期間に増刷を重ねていた。

 

www.iwanami.co.jp

 

 山本太郎といっても今年(2020年)馬脚を現したあの政治家のことではない。著者は医師で、国際保健学と熱帯感染症の専門家だ。現在は長崎大学の教授で、あの悪名高い京大准教授・宮沢孝幸と同じ1964年生まれ。

 今年8月に、ウイルスの弱毒化について、私が読んだ井上栄著『感染症 増補版』(中公新書2020, 初版2006)より詳しく書かれているよ、と紹介された本だが*2、買ったのが11月下旬で、読み終えたのが昨日とずいぶん遅くなってしまった。

 非常に興味深い本で、前記井上栄の『感染症 増補版』よりずっと良かった。

 2020年は2011年から始まる十年紀の最後の年だが、本書は十年紀最初の2011年に起きた東日本大震災の直後に刊行された。山本太郎医師は、大震災直後に被災地入りした。

 下記は岩波書店のサイトへのリンク。

 

www.iwanamishinsho80.com

 

 以下引用する。

 

山本太郎:いま、岩波三部作を読む意味

 

新型コロナウイルスの感染拡大にともない、「ウイルスとの共生」を論じた山本太郎さんの岩波新書感染症と文明』に注目が集まりベストセラーとなりました。そして、63日には長らく電子版のみで流通していた『新型インフルエンザ 世界がふるえる日』が復刊します。そこで復刊を記念して、山本太郎さんに3冊の自著解題をご執筆いただきました。(編集部)

 

新型インフルエンザ 世界がふるえる日』(2006920日刊)

感染症と文明――共生への道』(2011621日刊)

抗生物質と人間――マイクロバイオームの危機』(2017920日刊)

 

岩波書店から最初の新書を上梓して14年ほど、構想から数えれば、16-7年が経過した。その間にわたしも、40歳代前半から50歳代後半へと歳を重ねた。その事実に素直に驚く。

 

いろいろなことがあった。20101月には、ハイチの首都ポルトープランス地震が襲い、30万人以上が亡くなった。地震2日後に成田を飛び立ちハイチへと向かった。2003年から04年にかけて、20人に満たないハイチ在住日本人の一人として、一人の研究者として、彼の地に暮らしたことがあった。多くの人にお世話になった。かつて暮らしていたアパートが全壊していた、その姿を見た時、その時の思い出が一瞬によみがえった。青い空には雲ひとつなかった。

 

2011311日には、東日本で大きな地震が起きた。『感染症と文明』の打ち合わせのために、岩波書店がある神保町にいた。足元が大きく二度揺れたかと思うと、目の前を本が落ちてきた。午後246分のことだった。首都圏では、列車の運行がすべて停止し、その夜、東京は帰宅する人の群れで溢れた。震源は、牡鹿半島の東南東約130キロメートル、深さ約24キロメートル。太平洋プレートと北米プレートの境界域で、マグニチユード9.0の海溝型地震だった。福島、宮城、岩手、東北三県の太平洋沿岸部は、地震によって発生した津波で壊滅的な被害を受けた。

 

震災の翌日から被災地に入り、緊急支援活動を開始した。

 

そんなある日、よく晴れた午後の海岸へ出てみた。破壊された堤防の傷跡は痛々しく、鉄橋は跡形もなく崩れ落ちている。折れ曲がった鉄路は、太陽の下で赤錆びた色を晒していた。空はあくまで青く、海はあくまで蒼かった。穏やかな水面には、渡り鳥が羽を休め、風が海上を吹き渡る。波音に驚いた渡り鳥が一斉に飛び立つ。水面が波打つ。

 

どこまでも平穏で美しい景色が広がっていた。これが、地震津波を引き起こした同じ惑星の営みであることに眩暈を覚えたことを覚えている。

 

 

それぞれに、それぞれの本を書いた時間を思い出す。どの本も、構想から資料の収集、書き下ろし、校正と少なくとも2年以上の月日が必要だった。

 

その間にも、何人かの大切な人が逝った。ガーナ、ケニアとアフリ力で働き、「アフリ力」が好きだった若い友もいれば、酒をこよなく愛した年長の友もいた。幼い頃から休みの度に遊びに行っていた祖母や、叔父、叔母も、だ。

 

そして、今、わたしたちが暮らす世界を新型コロナウイルスが襲う。

 

十数余年という時間が、短い時間でなかったことを自覚する。そしてそんな折だからこそ、その間に著した3冊の感染症に関する新書をもう一度概観してみたいと思った。(後略)

 

出典:https://www.iwanamishinsho80.com/post/yamamoto3

 

 山本太郎医師が書いた他の2冊の岩波新書である『新型インフルエンザ - 世界がふるえる日』(2006)と『抗生物質と人間 - マイクロバイオームの危機』(2017)も読んでみたいと思った。

 山本医師は『新型インフルエンザ』を書いた頃に山登りを始めたという。穂高や槍、八ヶ岳、北海道の山を歩かれたとのことだが、臆病な私は八ヶ岳には5回行ったが、まだ穂高には行ったことがない。また十勝岳登頂を目指した時には体調が悪くなって引き返した。

 『感染症と文明』ではミシシッピ川の治水の話が、阪神間の夙川、芦屋川、住吉川などの天井川を思い出させて興味深かった。以下アマゾンカスタマーレビューより。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1X8QX6IC76B2G

 

このウイルスとの共生を著者はミシシッピ川の治水に例えています。私の身近な神戸の住吉川に置き換えてみると、ちょっとした雨で起こる洪水が起こらないようにと堤防を築くと次第に川底に土砂が溜まって水位が上昇するのでさらに堤防を高くする、これを繰り返しているといつの間にか川底が家々の天井よりも高くなる(天井川)。天井川は全国いたるところに見られますが、これが決壊すると大洪水になってしまいます。ウイルスも完全に締め出すと時間とともに集団免疫が次第に低下して、少し変異したウイルスにもまったく無力となり感染爆発が起きてしまいます。共生とはわずかばかりの感染と犠牲者を出し続けることで感染爆発が起きないようにするということ。しかし、誰も自分がわずかばかりの犠牲者の一人にはなりたくない・・・という心情的矛盾はあるわけですが。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1X8QX6IC76B2G

 

 もちろん、欧米よりずっと感染者が少ないのに医療崩壊の危機に瀕している日本では集団免疫戦略などとりようがないし、集団免疫戦略はスウェーデンでも既に失敗したという結果が示されている。しかし何らかの「ウイルスとの共生」が求められるというのはその通りだろうし、小池百合子らがよく言う「ウィズコロナ」という標語を私は嫌いだけれども(それは小池らが標語を自らの私欲のために悪用しているからだが)、好んで用いる人間の邪悪さのためにネガティブな印象がまとわりついてしまったこの標語も、源流は山本医師のような思想だったのだろう。

 そういえば「政治家」(元俳優)の山本太郎は「ワクチン反対派」だったんだっけ。山本太郎医師と政治家の山本太郎とでは、立ち位置がかけ離れているかもしれない。

 2011年に刊行された内橋克人編の岩波新書『大震災のなかで - 私たちは何をすべきか』に、山本太郎医師は寄稿されているそうだ。

 

www.iwanami.co.jp

 

 この本が出たのは『感染症と文明』と同じ2011年6月だった。当時俳優だった方の山本太郎Twitterで最初に脱原発を訴えたのは2011年4月だから、うっかり俳優の山本が執筆者の一人ではないかと誤解して本を買った人もいたかもしれない。

 

 今年は新型コロナウイルス感染症に特化した本は読まなかった。同感染症は現在進行形であり、内容がすぐに陳腐化してしまうのではないかと思ったせいもある。新書で読んだのは1983年に刊行された村上陽一郎著『ペスト大流行 - ヨーロッパ中世の崩壊』(岩波新書)だった。

 

 カミュの『ペスト』(新潮文庫)は2012年に読んだので再読はしなかった。その代わりにダニエル・デフォーの『ペスト』(中公文庫)を読んだ。コロナ禍でも起きなければ一生涯読む機会がなかったに違いない本だ。

 

 しかし今年は例年よりも読んだ本が少なかった。読了したのは今日まで66タイトルで、現在読んでいる宇野重規(現在新型コロナ対応で無能さを露呈している菅義偉に学術会議新会員の任命を拒否された人)の『民主主義とは何か』(講談社現代新書)を明日までに読み終えたとしても67冊止まりで、101タイトル読んだ昨年の3分の2しかない。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 特に4月から9月までの半年間は本を読みたいという意欲が著しく減退した。その後も、読んだ本の内訳にストレス発散のための軽い本(東野圭吾のミステリーなど)が占める比率が高かった。読書に関しては、いや、読書に関しても、良い年とは全くいえなかった。昨年最後のエントリで、来年は最低でも月平均2件の計24件公開を目指すと書いた記憶があるが、本エントリで18件しか公開できなかった。

 来年は今年達成できなかった目標、つまり最低月平均2件の24件公開を目指したい。

 それでは皆様、良いお年を。

*1:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-revws/R35INNFHU1BHCT

*2:ウイルスの弱毒化に関しては、ずいぶん長いタイムスケールの話であって、たとえば188頁に「短期的(5-100年程度)」との記載がある。本書では、今年夏頃一部で流布した俗説で言われていたような、流行が始まってから数か月しか経っていないのに、もともと強毒性とは決していえない現在流行中のの新型コロナウイルスがさらに「弱毒化」するかのような記載は確認できなかった。

1997年に東野圭吾『探偵ガリレオ』に描かれていた「原子力工学」の斜陽

 このブログでは珍しく2日連続の更新になる。珍しく、というよりブログ開設以来初めてかもしれない。昨日は音楽の話題だったが、今日は小説の話題。

 初めにお断りしておくが、このエントリには頭書のミステリのネタバレが思いっきり含まれているので、未読かつ知りたくない方は以下の文章を読まないでいただきたい。

 

 東野圭吾の小説には、松本清張など私が本格的にはまった作家と比較して問題を感じる箇所が多いし(その代表例が『手紙』に出てきた平野社長の考え方)、構成面でも過去の名匠たちの作品からの借り物が多いように思うが、娯楽作品としては文句なく面白いので、飛ばし読みしてストレスを解消したい時にはしばしば読む。なにしろ多作家だ。

 そんな東野作品の中でも、ガリレオシリーズは「理系ミステリ」としてよく知られているが、その第一作である『探偵ガリレオ』(文春文庫)は人気が高いらしく、なかなか図書館の棚で見掛けなかった。しかし先週末、ついに置いてあるのを見つけたので借りて読んでいる。

 

www.bunshun.co.jp

 

 『探偵ガリレオ』は5編の短篇からなるが、第4章「爆ぜる(はぜる)」まで読んだ。今回取り上げるのはこの第4章。

 著者は大阪府立大電気工学科を卒業しているから、電気や物理系のトリックが多い。読んでいて、結構いいところまではわかるのだが、トリックはなかなか見破れなかった。例えば第1章「燃える(もえる)」での「赤い糸」はヘリウムネオンレーザーじゃないかな、だけどヘリウムネオンで殺人なんかできないよな、と思った。第2章「転写る(うつる)」は落雷と関係あるんだろうな、とまでしかわからなかった。また第3章「壊死る(くさる)」では「大人のおもちゃ」としてのバイブレーターと超音波溶接機の両方を思い浮かべたけれども、それ以上は深く考えなかった。

 ところが第4章「爆ぜる」だけは様相が違う。水と反応して爆発する、といったら化学の領域じゃないか、と思ったのだ。

 しかし読み進めると「エネルギー工学科」というのが登場する。これって昔の「原子力工学科」じゃないかとはすぐにわかった。さらに読み進めるうちに、水と反応して黄色の炎を上げて燃える物質を思い出した。

 ナトリウムだ。

 確か中学校の授業で、教師がごく微量のナトリウムを水と反応させる実験をやったのを見た記憶があった。もちろん生徒にはやらせなかった。金属ナトリウムが水と反応して黄色の炎を上げた印象は鮮烈だった。

 ナトリウムなら1995年に起きた高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故など、原子力技術とのかかわりが深い。なるほどその関係なのか、と作者の意図に気づいた。

 案の定、犯行に使われたのはナトリウムだった。だが、それだけではブログ記事を書こうという気は起きない。つまり、以下が本エントリの核心部だ。

 予想通り、帝都大理工学部エネルギー工学科の前身は「原子力工学科」だった。ガリレオ役の湯川学は「名前を変えたのはイメージが悪くなったからだ」*1と言い、引き続いて高速増殖炉のナトリウム漏れ事故に言及した。これが犯行の動機になったのだった。

 この短篇の初出は「オール讀物」1997年10月号だ。前述のように「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故はそれ以前の1995年に起きている。

 それではガリレオシリーズの「帝都大学」のモデルであろう東大で原子力工学科が名前を変えたのはいつだろう、確か「エネルギー工学科」という名前ではなかったはずだが、と思いながらネット検索をかけると、なんと2番目に引っかかったのが、私が2012年4月7日に公開した「kojitakenの日記」の下記記事だった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 東大は、1993年に原子力工学科を「システム量子工学科」に名称変更していた。「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故よりも2年前のことだ。だから、原子力工学科のイメージが悪くなったのは、ナトリウム漏れ事故よりももっと前の出来事が原因だ。

 そう、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故。これを機に原子力工学科の人気は地に堕ちた。

 上記記事から引用する。

 

 昨年、東電原発事故が起きた時にテレビに出てくる「原子力ムラ」のコメンテーターたちは年寄りばっかりだったことに読売の論説委員たちは気づかなかったのだろうか。同じことは、日本の原発の技術は世界一だとかほざいていた安倍晋三についてもいえるが。

 

もうとっくに日本の原子力工学の関係の技術者は人材が払底していたのである。

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20120407/1333777286

 

 ああ、安倍晋三は総理大臣に返り咲く前に「日本の原発の技術は世界一だ」などという妄言を発していたんだったな。こんな奴を復活させたばかりか、8年近くも総理大臣の座に居座らせ続けたのは、21世紀前半の日本にとってとんでもない痛恨事だったな、と改めて思ったのだった。

 覆水盆に返らず。

*1:文春文庫版257頁