KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

東野圭吾の長篇『聖女の救済』を読んで、松本清張の短篇「捜査圏外の条件」を思い出した

 私が不思議でたまらないのは、東野圭吾が日本のみならず中国や韓国で人気があるらしいことだ。その中国の息のかかった香港当局に逮捕され、有罪判決を受けて収監された周庭氏も、村上春樹とともに東野圭吾の小説を読むという。

 

 

 私も2010年代に頑張って村上春樹を読み、作品によっては面白いと思ったものが結構あったのでこのブログにも取り上げたが、どうにも相性が悪くてダメだったのが『ノルウェイの森』だった。

 純文学の村上春樹とエンターテインメントの東野圭吾では全然違うと思うのだが、東野作品にもどうしようもなく相性の悪い作品がいくつかあり、しかもその割合は村上春樹よりずっと多い。その最たる小説が『容疑者Xの献身』であることは、前回を含め何度か書いた。愛する女性のためと称して罪のないホームレスを虐殺した男の物語のどこが「純愛」なのか私にはさっぱり理解できない。

 東野圭吾は、推理小説の世界では大先輩に当たる松本清張とも、前記の村上春樹とも違って、小中学生の頃には本などほとんど読まなかった人らしい。それがミステリにはまり、高校時代には清張を読み耽ったとのことだ。

 だが、清張の読者と東野の読者とはほとんど重ならないのではないだろうか。清張は一時期直木賞の選考委員を務め、筒井康隆を選ばなかったために筒井の『大いなる助走』のモデルとして辛辣に描かれた。清張は多忙で候補作をほとんど読んでいなかったとの話もあるが、清張が選考委員を務めていた頃のコメントを見ると、1969年上半期に佐藤愛子が受賞した時に「私も一、二篇を読んだだけだったら推薦をためらったかもしれないが、作品集の全部をよみ、大丈夫と思ったのである。直木賞にはそういう意味がある」とコメントしているから*1、世評がどれくらい正しいかはわからない。なお筒井が『大いなる助走』を書く前に、清張と筒井は一度だけ対談している。本当に清張を激しく嫌っていたのは、筒井よりも彼の先輩SF作家だった星新一だとの説もある。星は思想心情的には保守反動の人だった。

 清張といえば政治に深入りした人だったが、東野圭吾ノンポリだろう。そのノンポリの人間が何も考えずにホームレスの命を犠牲にして「純愛」をうたった小説を書き、それが日中韓の人々や周庭氏に愛読されていることに不条理を感じずにはいられない。私は2006年に清張が健在で直木賞の選考委員だったなら、果たして東野の『容疑者Xの献身』の受賞に異を唱えなかっただろうか、異を唱えたに違いないのではないかと思うのだ。

 とはいえ、東野圭吾の小説を飛ばし読みすることは、その作品のインモラルさを批判できることも含めてある種のストレス解消になることも事実だ。多くの東野ファンとは全く違うだろうが、私はそういう読み方をしている。

 ここからが本題だが、私は清張作品には本当にのめり込んだ。そんな私が東野圭吾ガリレオ・シリーズ長篇第2作である『聖女の救済』(文春文庫)*2を読んで直ちに連想したのが清張の短篇「捜査圏外の条件」だった。

 このエントリはこのあとがネタバレ満載なので、未読の方はこれ以上読まれないことをおすすめする。下記に両作(清張の方は当該作品を収録した短篇集のうち入手の容易な新潮文庫版)へのリンクを示すが、そのあとからネタバレの文章が始まる。

 

www.bunshun.co.jp

 

www.shinchosha.co.jp

 

 東野作品の感想文を読んでも、私と同じ感想を持った人はまだ一人も見つかっていないが、両作には多くの共通点がある。

 まず、ともに倒叙形式をとっていること。犯人は最初から読者に示されている。ただし、清張作品では殺人の手口も示され、「犯行がいかに露呈したか」を興味の的とする、「刑事コロンボ」などにも見られる普通の倒叙形式をとるが、東野作品ではトリックも動機も隠されている。東野作品では「ハウダニット」が興味の焦点だ。

 もっとも東野は『容疑者Xの献身』で、倒叙推理小説と見せかけて替え玉殺人を隠すという大トリックを使っているから、『聖女の救済』でもその手の仕掛けがないかと疑いながら読んだが、さすがにそれはなかった。

 トリックはわからなかった。というか、読者の感想文をネットで多く閲覧したけれども、わかったという人には未だにお目にかかっていない。ただ、非現実的なトリックではある。しかし、トリックの非現実性をいうなら、清張の『砂の器』や、古くはコナン・ドイルの「まだらの紐」なども実にひどいものだから、それをもってミステリ作家を非難することはさすがにできない。

 作中、犯人が何度も花に水をやろうとするが、この行為が毒を洗い流して証拠を湮滅するためであることは、最初に水をやろうとした時からすぐにわかった。また、水をやるために犯人が用いた、底に穴を開けた如雨露(じょうろ)代わりの空き缶が物証になり得ることにも直ちに気づいた。だから、女性の犯人と、彼女に恋心を抱いた草薙刑事との会話で、草薙が空き缶を処分したらしいことを知って、何やってるんだこの間抜けな刑事は、と思った。しかし、草薙は自らの言葉とは裏腹に、どういうわけか空き缶を処分せずにとっておいていたのだった。

 そこまではわかったが、トリックには行き着かなかった。非現実的ではあるが、ここは作者の勝ちだと認めておいて良いだろう。

 犯行の動機は、長篇の終盤でようやく明らかにされる。それは、被害者である男性の外道な振る舞いによって自ら命を絶った友人の女性に代わって、犯人が復讐を遂げることだった。そしてトリックが明かされ、犯人が犯行のトリックを仕掛けてから1年間何もしないことによってアリバイ工作を行い、「完全犯罪」を実行しようとしたのだった。

 このアイデアが清張の「捜査圏外の条件」に酷似している。清張作品も復讐の物語だった。犯人の妹は病気持ちだったが、被害者と不倫旅行をしている時に発作を起こして死んでしまった。被害者は犯人の同僚だったが、不倫の発覚を恐れて現場から逃げ出したため、妹は身元不明の変死体になってしまった。犯人はその真相に気づき、身元不明の死体にされてしまった妹の復讐を遂げるために被害者を殺す「完全犯罪」をたくらんだ。彼は会社を辞め、7年間何もしなかった。殺人を実行した時に、被害者の関係者として捜査線上に浮かばないようにするためだ。東野作品とは違って、特段の不自然なトリックはない。ただ、「年単位で何もしない」ことが大きな共通点だ。そして殺害手段が毒殺であることも同じ。清張作品では、妹が好きだった流行歌「上海帰りのリル」から足がついてしまった。東野作品では草薙刑事が持ち帰っていた空き缶が物証になった。完全犯罪の破られ方もどことなく似ているように思われる。ただ、東野作品の方がずっと凝っている。ここらへんは後発作家ならではだろうが。

 なお清張作品に使われた「上海帰りのリル」は、戦前の流行歌「上海リル」のアンサーソングであり、これらの歌に関する記事を2018年に弊ブログに公開したことがある。だからよく覚えている。

 東野作品について各種感想文を見ると、「短篇向きの題材ではないか」と書かれているものが結構みつかり、鋭いと思った。なぜなら清張作品は短篇だからだ。また、作品としての評価は概して『容疑者Xの献身』より低いが、一部に本作の方を高く買う感想文もあった。そちらに私も同意する。ただ、私の場合は『容疑者X』のインモラルさがどうしても気に食わないという理由が大きいのだが。それに私は清張マニアだから、清張の短篇を連想させる作品の方に点が甘くなってしまう。

 ただ、トリックの非現実性はあまり気にならないとはいえ、犯行に用いた浄水器のタイプや配置状況などの説明が全然ないのはアンフェアの誹りを免れないだろう。私は浄水器といわれても蛇口に取りつけるタイプしかしばらく思い浮かばなかった。だが、当然ながら浄水器には蛇口直結型、据置型などいろんなタイプがある*3。作者は浄水器の構造をあまり詳しく説明するとトリックに気づかれてしまう恐れがあると考えて、わざと説明しなかったのだろうが、それが本作最大の欠点になっている*4

 とはいえ、最初の章の会話が1年前だったという大仕掛けにはうならされた。これはあまりにも大胆だ。確かに「あれこれ思い悩むのはやめて、新しい生活のことを考えろよ」という言い方に引っかかりはした。離婚後の生活を指すにしては変な言い方だなあと。これを結婚前の会話だと見破った人が「作者に勝った」といえると思うが*5、そんな読者はどのくらいいたのだろうか。東野圭吾は、推理小説叙述トリックの使い手としては優秀だと認めざるを得ない。

 また、犯人は「だからあなたも死んでください」と心の中で言っていたから、最後に自殺するものだとばかり思い込んでいたが、犯行を自供したものの自殺はしなかった。あなた「も」の「も」が指し示すもう一人は、自殺した友人なのだった。このあたりも凝っている。清張作品にも、犯人一味の女性に惚れてしまい、小説の終わりの方で、その女性が刑期を終えたら云々と考えている探偵役がいる小説があったはずだ。確か私が「駄作」と酷評したあの長篇だったと思うが、記憶が定かではないのでそのタイトルはここには書かない。また、そういう含みを込めて東野圭吾が犯人を死なせなかったのかどうかも知らない。ただ、清張の「捜査圏外の条件」では犯人は最後に自殺したはずだし、こういう作品ではたいてい犯人が自殺するものなので、異例だなとの感想を持った。

 なお、「読書メーター」などの感想文で、「1年間も何もしないとは、女の執念は恐ろしい」というのが多数あったが、何を言うかと思った。一つには、清張作品の犯人は男だが、1年どころか7年も待ったではないか、それに『聖女の救済』の作者は男だぞ、と思ったからだが、小説とは別に、リアルの世界で12年も前に言われたことを根に持ち続けて、12年後にやっと仕返しした男がいたことが頭から離れなかったからだ。さすがに殺人まではしていないけれども。

 その男の名は安倍晋三という。12年前の参院選に負けた時に安倍を批判した溝手顕正を追い落とすために、2019年の参院選広島選挙区に、溝手の対立候補として同じ自民党から河井案里を擁立して、安倍は溝手を落選させたのだった。その後の顛末については説明を省略するが(笑)。

 ことほどさように、男の執念の方がずっと恐ろしいのである。

*1:https://prizesworld.com/naoki/sengun/sengun45MS.htm

*2:シリーズの長篇第1作が『容疑者Xの献身』で、短篇集を含めると第3作になる。『聖女の救済』は第5作。

*3:たとえば、https://www.cleansui.com/shop/product/product.aspx などを参照。

*4:あと一つ、『聖女の救済』のタイトルもいただけない。さすがにあれを「聖女」と呼んではいけないと思う。

*5:さすがにあの非現実的なトリックには気がつかなくても仕方ないと思う。