KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

アガサ・クリスティ『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳、創元推理文庫)を読む

 前回に続いてアガサ・クリスティを取り上げる。最初に書いておくと、クリスティのミス・マープルものの短篇集である創元推理文庫の『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳, 2019)とハヤカワ文庫の『火曜クラブ』(中村妙子訳, 2003)は同じ作品の翻訳だ。1932年にイギリスで "The Thirteen Ploblems" のタイトルで刊行されたが、アメリカ版では "The Tuesday Club Murders" と題された。またイギリスのペンギンブック版では "Miss Marple and the Thirteen Ploblems" と題された。おそらく中村訳はアメリカ版を、深町訳はペンギンブック版を底本としていると思われる。

 で、創元推理文庫版とハヤカワ文庫のどちらかを選ぶなら、断然創元推理文庫版にすべきだ。なぜなら、ハヤカワ文庫の解説文には、他のクリスティ作品のネタバレが満載されているらしいからだ。前回も書いた通り、私は中学生時代の昔、級友に『アクロイド殺し』のネタバレを食うという痛恨の思い出があり、それがトラウマになって半世紀近くもクリスティ作品を読まずにきた。このご時世になってもミステリの解説文で平然と他の作品のネタバレをやらかす文庫本があるとは呆れる。

 話が逸れるが、1989年にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を初めて読んだ時に「犯人のネタバレ」を食わなかったのは本当に良かった。あの長篇もミステリと呼べなくはないどころか、終盤になって初めて父親殺しの犯人が明かされる部分は重要な場面なのだ。しかし昔は、平気で帯に犯人の名前が書いてある本があったらしい。

 今回、ハヤカワ文庫版でなく創元推理文庫版を選んだのは幸運だった。半世紀近く前の雪辱が果たせたというべきかもしれない。

 ところでハヤカワ文庫版の訳者・中村妙子氏は一昨日(2021年2月21日)に98歳の誕生日を迎えた。『火曜クラブ』は2003年刊行だから、当時中村氏は80歳だった(訳出の時期は知らないが)。また創元推理文庫版の訳者・深町眞理子氏は1931年11月1日生まれの89歳。『ミス・マープルと13の謎』は2019年刊行の「新訳」だから、訳者80代後半での仕事ということになる。

 この16年の違いは大きい。たとえば短篇集の8番目に置かれた "The Companion" は、中村訳では「二人の老嬢」、深町訳では「コンパニオンの女」という題になっている。ここでいうコンパニオンとは、深町訳の34頁の注釈*1によると、「自活することを余儀なくされた良家の女性が、富豪に雇われて、女主人や病人などとの付き添い兼話し相手をつとめるもの。イギリス独特の存在で、かつては良家の女性の就いて恥ずかしくない、数少ない職業のひとつと見なされていた」とのことだ。

 中村訳では日本語に訳しようがないので「二人の老嬢」としたものだろうが、二人の年齢は「四十前後」*2とのことだから、今時これを「老嬢」と訳すのは良くないだろう。またクリスティ自身もいわゆる「オールド・ミス」を思わせる書き方はしていない。なおこの短篇が書かれたのは1929年である。

 ただ、2冊を読み比べ、かつ上記の邦題から受ける印象の違いにも言及した下記リンクの記事を書かれた方によると、

「二人の老嬢」「コンパニオンの女」どちらも大きく解釈の差は無く、読後の印象も大きく変わりません。

どっちもめっちゃ楽しめた。

話の内容的には、表現の違いはもちろんあるものの、どちらの訳を読んでも、登場人物像の印象が変わる・・・というような大きな差は無かったです。

とのことだ。

 

www.365books.site

 

 ハヤカワ文庫版のメリットは、創元推理文庫版よりも文字が大きいことだが、解説文がネタバレ満載ではどうしようもない。ハヤカワ文庫からはアガサ・クリスティ作品が103冊刊行されているが、他にも同様の例がないか警戒した方が良いかもしれない。前回も書いた通り、解説文ではなくクリスティの孫が書いた「序文」から真犯人の見当がついてしまったのが『スタイルズ荘の怪事件』だった。

 ところで創元推理文庫版は、2019年に新訳版が出るまでは高見沢潤子訳だったらしい。ネット検索で知ったのだが、この方は小林秀雄(1902-1983)の2歳下の妹で、田河水泡(1899-1989)の妻だったようだ。亡くなったのは100歳の誕生日を22日後に控えた2004年5月12日だった。創元推理文庫版旧版の『ミス・マープルと十三の謎』は1960年に刊行された。

 

 小林秀雄とクリスティというと、小林が『アクロイド殺し』をアンフェアだと評したことが知られているようだ。以下Wikipediaから引用する。

 

雑誌『宝石』誌上の江戸川乱歩小林秀雄との1957年の対談[10]において、小林は次のように批判している。

「いや、トリックとはいえないね。読者にサギをはたらいているよ。自分で殺しているんだからね。勿論嘘は書かんというだろうが、秘密は書かんわけだ。これは一番たちの悪いウソつきだ。それよりも、手記を書くと言う理由が全然わからない。でたらめも極まっているな。あそこまで行っては探偵小説の堕落だな。」「あの文章は当然第三者が書いていると思って読むからね。あれで怒らなかったらよほど常識がない人だね(笑)。」

ただ、対談の相手である江戸川乱歩はフェア・プレイ派である。

 

出典:アクロイド殺し - Wikipedia

 

 小林秀雄はもしかしたら妹の高見沢潤子の訳文で『アクロイド殺し』を読んだものかもしれないとも思ったが、ネットで調べたところ、残念ながら『アクロイド殺し』に高見沢訳はなさそうだ。古くから『アクロイド』を翻訳していたのは松本恵子(1891-1976)だった。この人はアガサ・クリスティの4か月あとに生まれて10か月あとに亡くなった、まさにクリスティの「同時代人」だった。

 ミス・マープルの誕生は、その『アクロイド殺し』と深い関係があることが、創元推理文庫深町眞理子による新訳の解説文(大矢博子)に書かれている。ミス・マープルの原型は『アクロイド殺し』の語り手であるシェパード医師の姉・カロライン(キャロライン)なのだという。『アクロイド殺し』が舞台化された時、探偵のポワロ(ポアロ)が設定より二十歳若いイケメンのモテ男にしようとしたところ、クリスティの反対にあってこの案は潰れたが、その代わりにカロラインが登場せず、若い綺麗な女性が登場することになったのだそうだ。これに怒ったクリスティが短篇にカロラインを原型とするミス・マープルを登場させたといういきさつらしい。

 『アクロイド殺し』は1926年の作品で、ミス・マープル最初の短篇である「〈火曜の夜〉クラブ」の雑誌『スケッチ』誌掲載は1927年12月号、『アクロイド殺し』が舞台化された『アリバイ』の初演が1928年であり、舞台の設定が前年にきまったとすれば辻褄が合わなくもない。当時から『アクロイド殺し』は大人気作品だったようだ。

 ところでミス・マープルの雑誌初登場は、シャーロック・ホームズが最後に雑誌に登場した「ショスコム荘」(『ストランド』誌1927年4月号)のわずか8か月後にである。クリスティはフランスを舞台とした『ゴルフ場殺人事件』(1923)でシャーロック・ホームズを戯画化したと思われるパリ警視庁のジロー刑事をポアロのライバルとして登場させ、大恥をかかせているが、これはコナン・ドイルに加えてモーリス・ルブランの『ルパン対ショルメ(ホームズ)』(1908)でイギリスのホームズがフランスのルパンにしてやられたことに対する意趣返しの趣向も含まれているかもしれない。また同じフランスのガストン・ルルーの『黄色い部屋の秘密』(1907)も意識していただろう。もちろん『ゴルフ場殺人事件』の犯人はジロー刑事ではないけれども。『ゴルフ場殺人事件』は前回の記事で少なからず批判した長篇ではあるが、男性先輩作家3人を向こうに回した若きクリスティの意欲が感じられる野心作だ。

 肝心の『ミス・マープルと13の謎』の2番目に置かれた「アシュタルテの祠」は、ドイルの『バスカヴィルの犬』と同じダートムアを舞台とする怪奇譚だ。以下はネタバレを含む部分を白文字で表記するが*3、なんといっても秀逸なのは、短篇集12番目の「バンガローの事件」だろう。これを読んで直ちに私が思い出したのがアクロイド殺しだった。この短篇は一人称で書かれてはいないが、三人称版の「信頼できない語り手」ともいうべきトリックが用いられている。さすがはアクロイド殺し』の作者だと舌を巻いた。私は例によって物語を語るジェーン・へリアを全く疑わないでもなかったが、そもそもわけのわからない話だと思った。だから「ミス・ヘリア自身が犯人だ」という結論を出すには至らなかった。ところがミス・マープルが語り出した言葉が指し示すものは、「犯人は語り手であるミス・ヘリア自身だ」ということではないか。短篇集の7番目から登場するミス・ヘリアは、Wikipediaの表現を借りれば、この短篇集の後半において、一貫して「美しく気立ても良いが、『頭の中身は空っぽ』と表されている人気女優」として描かれてきたが、まさにそれこそがヘリアの「演技」だったのだ。ヘリアは自ら犯罪を企んでいたが、種明かしはしなかった。つまり「信頼できない語り手」だった。しかし、ミス・マープルは真相を見抜いたが、それを他のメンバーの面前では言わずにミス・ヘリアに耳打ちするにとどめた。犯行はまだ行われていない計画段階だったので、企みを見破られたヘリアは実行を思いとどまったのだった。

 マープルの下記のセリフがふるっている。

 

これだけのことをしでかすのには、ただのメイドあたりではとても持ちあわせていそうもない、それくらいの知恵が必要だという気がするんですよ。(深町訳359頁)

 

 つまり、ミス・ヘリアは「お馬鹿」に見せかけてミス・マープル以外の登場人物の全員、及び私を含む短篇集の読者たちを騙しおおせたのだった。

 しかるに、「読書メーター」などを見ると、「お馬鹿なミス・ヘリアがかわいい」などと書かれた感想文が少なくなかった。おいおい、本当に読んだのかよと思ってしまった。

 かつてカズオ・イシグロの『日の名残り』で、「信頼できない語り手」である執事・スティーブンスの本心を見抜けない日本のお馬鹿な読者たちに私は苛立ち、彼らを批判する記事をこの日記に書いたものだが、今回は大笑いしてしまった。

 この短篇はとてもよくできている。終わり方も良かった。ミス・マープルものは長篇が12篇、短篇が20篇あるそうなので、長篇12篇と短篇7篇が未読で残っている。『アクロイド殺し』は別として、それ以外はマープルものを優先して読もうかと思った次第。

*1:最初の短篇「〈火曜の夜〉クラブ」に付された註より。

*2:深町訳203頁。

*3:短篇集5番目の「動機対機会」のトリックである「消えるインク」にヒントを得た。