岡田暁生と片山杜秀が『ごまかさないクラシック音楽』というタイトルの対談本を新潮選書から出したらしく、本を宣伝するための対談記事が新潮の『波』のサイトに載っている。
私が読んだのは対談の方だけだが、なかなか面白かった。以下に冒頭部分を引用する。
バッハは「怖い」
岡田 片山さんとは、これまでもクラシック音楽について様々な機会で話してきたけど、今回ほどじっくり話したのは初めてだよね。
片山 なにしろ1回3時間以上の対談を6回もやりましたからね。合計では優に20時間を超えているでしょう。1冊の本を作るだけなら、その半分もあれば十分なのに(笑)。しかも、初っ端から岡田さんが「バッハ以前の一千年はどこに行ったのか」なんて言い出したものだから、バッハの話に入る前に20ページ以上も費やしてしまって……。
岡田 だって「ごまかさないクラシック音楽」と銘打つ以上、そもそもバッハ以前がなぜ「クラシック音楽」ではなく「古楽」というジャンルで扱われるのかという謎は、避けては通れないものでしょう。
片山 たしかに、かつての古楽が現代のミニマル・ミュージックとして再び聴かれるようになっていると考えれば、「クラシック音楽とは何だったのか」を考える上で非常に重要なポイントなので、最初に話せて良かったです。
ただ、その分バッハの話を短く切り上げなくてはいけなかったのに、これがまた盛り上がってしまって……。
岡田 バッハと言えば「音楽の父」と呼ばれ、敬虔とか調和とか荘重の極致といったイメージがあります。しかし、私は昔から彼ほど「本当は怖い」作曲家はいないと考えていて、その点をぜひ読者の方々に知ってほしいと思ったのです。
片山 バッハの曲にはプロテスタントの過剰な宗教的戦闘性が込められているという話ですよね。その最たる例である《マタイ受難曲》が、なぜか非キリスト教国の日本でしょっちゅう演奏され、聴いている方もそれを疑問に思わない。これはちょっと怖い話です。
岡田 それに加えて、グールドがモスクワで《ゴルトベルク変奏曲》を「ランダム再生」で弾いた意味、タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』でのバッハの曲の使われ方についても、ぜひ議論したいと思っていたので、話せて良かったです。バッハこそは「超近代」の作曲家だという結論は、読者も納得してくれるのではないかと思います。
今年初めにiMacを更新した時、それまで使っていた旧機種に内蔵されていたDVDドライブがついていなかったので外付けで追加したが、その時Macの「ミュージック」(旧 iTunes)にCDを読み込ませる動作確認のために聴いたバッハのゴルトベルク変奏曲にはまっているうちに坂本龍一が死去し、ポピュラー音楽を含めた音楽史への興味が何十年ぶりかに高まったが、バッハがゴルトベルク変奏曲を作るきっかけはブクステフーデの「カプリッチョーサ変奏曲」だったという。そこでその曲とゴルトベルク変奏曲の両方を収めたCDを買って聴いてみたが、ブクステフーデの曲には和声が非常に単純なためにうまく聴けなかったことは以前にもこのブログに書いた。
その後、坂本龍一が亡くなると、彼が生前好み、強い影響も受けていたらしいテリー・ライリーのミニマルミュージックも聴いてみた。ライリーの代表作『In C』(1964) がどういう作りの曲なのかは何度かめに聴いた時に知った。あれはCの持続音に伴われた53個の音型を合奏していく曲だ。そのルールについては下記の連ツイを参照されたい。長いのでリンクは途中までにとどめる。
「In C」の楽譜は、No.1からNo.53までのフレーズが書かれた譜面が1枚と、作曲者自身による演奏上の注意(英文)2ページから成っています。これから内容の要約を連ツイしますが、拙い訳でよければこちらに全文アップしております。 https://t.co/26t0gAId81
— SAKAI Yasushi (@fomalhaut) 2013年9月2日
「In C」の演奏方法を要約すると、大体こんな感じ→1)No.1からNo.53までのフレーズを、1から53まで順番に演奏していくよ。2)どんな楽器で演奏しても、何人で演奏してもいいよ。3)声で参加する人は、母音や子音をスキャットとして使っていいよ(歌詞を歌っていいとは書いてないよ
— SAKAI Yasushi (@fomalhaut) 2013年9月2日
4)それぞれのフレーズは、それぞれ何回か繰り返して演奏してから、次のフレーズに移るんだけど、何回繰り返してもいいよ。5)ちなみにこの曲の演奏時間は大体45分~1時間半くらいだから、たぶんそれぞれのフレーズは45秒~1分半か、あるいはそれ以上繰り返すことになるんじゃないかな。
— SAKAI Yasushi (@fomalhaut) 2013年9月2日
6)何回繰り返してから次のフレーズに移るかは、演奏者が自分で決めていいよ(指揮者とかいないよ)。7)そうやって繰り返していると、周りのフレーズとの微妙なズレが、複雑なポリリズムになって浮かんでは消えていくよ。これがこの曲の醍醐味だよ。←ここ大事だよ☆
— SAKAI Yasushi (@fomalhaut) 2013年9月2日
8)そうなるためには、周りの演奏に良く耳を澄ませて、時には演奏を一旦止めて、自分以外の演奏者が今、どの辺りのフレーズを演奏しているか、良く聴くことが大事だよ。←ここ重要!9)スリリングな演奏にするためには、お互いのフレーズが2~3以内に収まっていることを目指すといいよ。
— SAKAI Yasushi (@fomalhaut) 2013年9月2日
9-2)大事なことなのでもう一度いうよ☆つまり、No.1のフレーズを繰り返し演奏している人は、誰かがNo.4のフレーズを弾き始めたのが聴こえたら、No.1の演奏をやめて、No.2のフレーズに移るんだよ。夢中になって演奏していると案外周りの音を聴くのを忘れちゃうので、これ超大事だよ
— SAKAI Yasushi (@fomalhaut) 2013年9月2日
続きを含む全部は下記Togetterで読める。
なお、Twitterは昨日(6/30)昼頃からアカウントを持っていなければ読めなくなってしまったらしく、私もアカウントを持っていないので読めないが、はてなブログからリンクのURLを張れば表示できることがわかった。また上記リンクのように、Togetterには表示される。これらもいつまで続くかはわからないが。
『In C』はいくつかの編成で聴いたが、この曲などは1枚のCDを繰り返して聴くことに意味は全くないように思われる。この記事は、クラシックの室内アンサンブルの編成で演奏された下記YouTubeを聴きながら書いているが、クラシックにありがちの「お行儀の良い部類」の演奏で、ちょっと統制がとれすぎているかもしれない。
C音を持続音として徐々に変容していく音楽だが、C音は最初から最後まで鳴り続ける。バッハ以前のブクステフーデあたりまでの音楽が20世紀にミニマルミュージックとして再来したという片山杜秀の指摘にはうなずかされた。
ライリーの『In C』は坂本龍一のEテレ版「スコラ」でも取り上げられていたらしい。
バッハの音楽が「怖い」とは私はあまり思わないが、少し前にスウィングル・シンガーズのスキャットによるパルティータ第2番の演奏がホラーのアニメに使われたことをこのブログで紹介したことがあった。そういえば私も一度だけ、バッハを聞いて本当に「怖い」と思ったのは、「フーガの技法」の未完の三重(四重)フーガが作曲が中断した箇所で演奏が打ち切られるのを最初にFMラジオで聴いた時だ。1980年頃のこと。
岡田暁生の「バッハこそ『超近代』の作曲家だ」との指摘は本当にその通りだと思う。
岡田と片山の対談はワーグナーの話に移るが、例のロシアの民間軍事会社を思い出して気分が悪くなるので飛ばして、某左翼政党のボスが大好きなショスタコーヴィチが取り上げられた箇所を引用する。
ショスタコは「ミリオタ」
岡田 最後の章では、20世紀から21世紀にかけてのクラシック音楽について話しました。ロシアによるウクライナ侵攻が起きたことを受けて、これまでのような西欧目線ではなく、いわゆる「ユーラシア主義」の視点から音楽史を語り直すとどうなるかという試みもできたことで、類書にはない新たな議論をたくさん盛り込むことができたと思います。
それにしても片山さんは、ロシアをはじめとする非西欧の音楽にただならぬ共感がありますよね。私のような西欧の価値観を内面化させてしまっている人間からすると、片山さんの“反西欧主義者”ぶりに、あらためて驚かされました。
片山 誤解を招く言い方はやめて下さい(笑)。私は決して“プーチン支持”ではありませんので。
ただ、音楽的には、どうしてもショスタコーヴィチのような全体主義的な響きのある曲に惹かれてしまうのは事実です。
岡田 実生活では人とつるむのが苦手な片山さんが、音楽になると集団主義的になってしまうというのが面白い。
片山 本で述べたように、私の中にあるミリタリー・オタク(軍事オタク)的な部分が反応してしまうんだと思います。それこそ幼稚園の頃から『日本海大海戦』とか『トラ・トラ・トラ!』とかの戦争映画に熱中していましたから。ショスタコでも代表作の《五番》よりも、レニングラード攻防戦をテーマにした《七番》の方に強く惹かれます。
岡田 片山さんの話を聞いて、これまでショスタコーヴィチを西側の理想に引き付けて理解しようとし過ぎていたのではないかと反省しました。今回の対談のおかげで、私のクラシック音楽史観も大きく更新されたように思います。ぜひ多くの方に読んで欲しいですね。
私もショスタコーヴィチは交響曲と弦楽四重奏曲の全曲をCDで持っているが、交響曲には苦手な曲が少なくなく、片山杜秀が強く惹かれるという第7番「レニングラード」などは嫌いな曲の最たるものだ。この曲というと「ちちんぶいぶい」という歌詞で歌われた1990年頃のCMで知られるが、あのCMも私は苦手だった。
福田康夫が愛好するバルトークの「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章中間部に、この「ちちんぶいぶい」の旋律が引用されているが、これがショスタコーヴィチをおちょくったものであることは前から知っていた。しかしショスタコーヴィチがバルトークに逆襲していたらしいことは知らなかった。このことはこの記事を書くためにかけたネット検索で知った。
上記note記事の引用はしないが、バルトークのオケコン4楽章の動画へのリンクを下記に張っておく。
ショスタコ7番からの引用は上記リンクの動画の2分36秒あたりから始まる。
バルトークとの確執はともかく、ショスタコーヴィチの音楽に全体主義的なところがあるという片山の指摘は正しいと思う。それは交響曲にも弦楽四重奏曲にもある荒々しい短調の楽章に反映されており、それらの楽章には暴力や戦争をイメージさせるものがある。
そういえば、かなり以前にショスタコーヴィチの5番のフィナーレ(の抜粋)を子どもたちに演奏させた動画がYouTubeに投稿されて評判をとったことがあったが、それを「はてなブックマーク」のコメントで「これぞ『強制された歓喜』」と評した人がいて、うまいこと言うなと感心したことを思い出した。その動画がまだ残っていたので以下にリンクする。
ところでショスタコーヴィチといえば志位和夫に触れないわけにはいかない。ネット検索をかけたら志位のツイートがいくつか引っかかった。
ショスタコーヴィチも話題に。私は、彼がスターリンによって命を奪われる寸前の迫害を受けたこと、それに屈せず交響曲4番、バイオリン協奏曲1番、ラヨークなどの傑作を、未来の聴衆のために残したこと、日本共産党はこうした全体主義を決して再現させてはならないという立場であると話しました。 https://t.co/iq4RLuvpSg
— 志位和夫 (@shiikazuo) 2020年9月8日
ショスタコーヴィチの弾圧はスターリン自身の判断だった。彼は、音楽のもつ力、それが彼の全体主義国家を覆す力さえもちうることもよく知っていた。だから音楽を恐れたのです。
— 志位和夫 (@shiikazuo) 2020年9月9日
文化芸術への抑圧も、政治利用も、決して許してはなりません。世界の万人の幸せのための自由な営みでなければなりません。 https://t.co/wmQfTAy5P1
2020年に志位和夫は小泉純一郎と対談して音楽を語っていたようだ。
志位はその前年には玉木雄一郎の「たまきチャンネル」に出演してピアノを弾いていた。曲はショパンのマズルカ変ロ短調作品24-4だ。
この頃は志位和夫に悪いイメージはなかったが、その後2021年の衆院選で敗北の総括を拒否した頃から全体主義的なところが前面に出てきたものかもしれない。一方の玉木も玉木で、その後大きく右旋回を遂げて、現在ではLGBT理解増進法案に対し、維新とつるんで極右的な修正案を提出して認めさせる暴挙に走るに至った。玉木もここ数年で極悪な本質をむき出しにしたといえる。
岡田暁生と片山杜秀の対談本は新潮新書なのでサイズがやや大きいし、価格も2090円なので買って読む気になるかどうかはわからない。本屋に置いてあるのを見たら立ち読みして、買う気が起きれば買って読むかもしれない。