KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

小泉悠『ウクライナ戦争』(ちくま新書,2022)を読む

 今月は新しく読み終えた本が7冊。少し元のペースに戻したが、それでも2010年代に年間100冊をめどにしていた頃には戻っていない。

 読み終えた本の中に小泉悠の『ウクライナ戦争』(ちくま新書,2022)がある。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 今頃になってやっと読めたかといったところだが、ウクライナ戦争に関する中庸を得た解説書との印象だった。

 ウクライナ戦争に対する著者のスタンスを「おわりに」から引く。

 

(前略)この戦争は「どっちもどっち」と片づけられるものではない。やはり本書で描いてきたように、ゼレンシキーは決して完全無欠のリーダーではないし、バイデン政権にも(今の目で見れば)ロシアを止めるためにあらゆる手を尽くせたとは言えない。

 しかし、それでもこの戦争の第一義的な責任はロシアにある。その動機は大国間のパワーバランスに対する懸念であったかもしれないし、あるいはプーチン民族主義的な野心であったかもしれないが、一方的な暴力の行使に及んだ側であることには変わりはない。開戦後に引き起こされた多くの虐殺、拷問、性的暴行などについては述べるまでもないだろう。

 この点を明確に踏まえることなしに、ただ戦闘が停止されればそれで「解決」になるとする態度は否定されねばならない。これはウクライナという国家が置かれた立場をめぐる道義的な議論にとどまらず、我が国が戦争に巻き込まれた場合(あるいは我が国周辺で戦争が発生した場合)にそのまま跳ね返ってきかねない問題だからである。それゆえに、日本としてはこの戦争を我が事として捉え、大国の侵略が成功したという事例を残さないように努力すべきではないか。軍事援助は難しいとしても、難民への生活支援、都市の再建、地雷除去など、できることは少なくないはずだ。

 

(小泉悠『ウクライナ戦争』(ちくま新書2022)231-232頁)

 

 ところが、日本の左派あるいはリベラル派の中にはこういう考え方ができない人たちが一定数いた。今もいるが、戦争が進むにつれてロシア(プーチン)の悪逆非道ぶりが明らかになってくるとともに彼らの声は小さくなりつつある。

 彼らは、日本の政党では唯一ロシア非難決議に(棄権ですらなく)反対した某新選組に集まる傾向が強い。ひところは、Twitterウクライナを罵倒してプーチンを礼賛するヤマシン(山本太郎信者)がずいぶん目立ったものだ。彼らはプーチンの口真似をしてウクライナをネオナチが跳梁跋扈する国だと言っていた。小泉はそれにも一定の留保をつけつつも反論している。以下、本書第5章第3節「プーチンの主張を検証する」から再び引用する。

 

(前略)2014年のウクライナ政変(マイダン革命)にネオナチ的・国粋主義的勢力が関与したことは事実であり、その後の第一次ロシア・ウクライナ戦争ではこうした勢力の武装部隊も内務省国家親衛軍に編入されて戦ったことが広く知られている。

 マリウポリの攻防戦で世界的に有名になったアゾフ連隊もその一つだが、彼らが当初掲げてきたイデオロギーは白人種の優越性を唱えるナチス的人種主義の影響を強く受けたものであった(佐原2022年7月)

 また、アゾフ連隊は独自の政治部門を有しており、移民や性的マイノリティに対する政治的暴力を行使してきたほか、第一次ロシア・ウクライナ戦争においても民間人の殺害や捕虜の虐待を行っているとの記載が国連高等人権弁務会事務所(OHCHR)の2016年の報告書には見られる(OHCHR, 2016: OHCHR, 2017)

 さらに「はじめに」で述べたとおり、ウクライナ政府は第一次ロシア・ウクライナ戦争勃発後、「地域言語法」を廃止してロシア語を公用語から外すという決定を下している。国際的な非難を浴びたこの決定からしても、ウクライナがロシア系住民に対して全く弾圧を加えていなかったとも言えまい。

 しかし、以上のような事情を考慮したとしても、ウクライナ全体がネオナチ思想に席巻されているとは到底言い難い。アゾフ連隊の創設者であるアンドリー・ビレツキー率いる政党「国民軍団」が2019年の選挙で大敗し、ビレツキー自身が落選を余儀なくされたことからもこの点は明らかであろう。今回の戦争で彼らの影響力が強まる可能性自体は懸念すべきものではあるが、開戦前の段階からゼレンシキー政権やウクライナ社会がネオナチ化していたと主張するのは困難であると思われる。

 また、ロシアが今回の戦争に投入している民間軍事会社ワグネルは、ネオナチ的な思想を持つGRU将校のドミトリー・ウトキンによって組織づくりが進められ、その組織名自体がヒトラーの好んだ作曲家リヒャルト・ワーグナーをロシア語読みしたものとされている。

 ワグネルがどこまでまとまりのある組織であるかについては議論の分かれるところではあるが、その一部として第一次ロシア・ウクライナ戦争当時からウクライナで戦ってきたグループに関してはサンクトペテルブルグ超国家主義・ネオナチ組織「ロシア帝国軍」にルーツを持つことは広く指摘されてきた。ゼレンシキー政権がアゾフ連隊を利用していることを以てネオナチと呼ぶならば、プーチン政権についても同様とせねば公平性を欠くだろう。

 

(小泉悠『ウクライナ戦争』(ちくま新書2022)217-219頁)

 

 また、今回の(第二次ロシア・)ウクライナ戦争に関して「NATOの東方拡大」をその原因の一つに挙げる向きがあるが、それについても著者は、ウクライナよりももっとロシアにとって影響が大きいであろうスウェーデンフィンランドNATO加盟申請についてプーチンが「心配することは何もない」と言ったことなどから、下記引用文のように推測している。

 

 平たく言えば、「自分の代でルーシ民族の再統一を成し遂げるのだ」といった民族主義的野望のようなものを想定しないと、スウェーデンフィンランドNATO加盟をめぐるプーチンの振る舞いにはうまく説明できないように思われるのである。

 この場合、NATO不拡大などの西側に対する要求は外交的ブラフに過ぎず(合意文書案を公表しながら交渉を迫るという手法が外交的常識に反することは第2章で述べた)プーチンウクライナに対する執着により強くドライブされていたということになる。これまで幾度か取り上げてきたプーチンの言説を素直に受け取る限り、第二次ロシア・ウクライナ戦争により強く影響したのはこちらの方であるようにも見える。

 現時点では、以上は筆者の想像に過ぎない。この開戦に至る詳細な意思決定過程が明らかにされたとき、実はプーチンの頭の中はNATO拡大への恐怖でいっぱいだったことがわかるのかもしれないし、民族主義的な動機の方が中核であったことが判明するのかもしれない。あるいは両者はプーチンの内部では不可分に結びついており、NATOウクライナを「反ロシアの拠点にする」と本気で信じていた、という可能性もある。

 

(小泉悠『ウクライナ戦争』(ちくま新書2022)226頁)

 

 上記引用文の最後の段落に見られる著者の態度が、本記事の最初に書いた「ウクライナ戦争に関する中庸を得た解説書との印象」を私が受けた理由だ。

 ネットの多くの論者はそうではない。プーチンに味方するか、そこまでは行かずともプーチンに一定の理解を示す論者は、判で押したように「NATOの東方拡大が戦争の原因(の一つ)だ」と、それが不動の真理であるかのように主張する。

 だが、昨年末に2002年刊行の下記中公新書ウクライナの概観的歴史をかじっただけの人間に過ぎない私ではあるが、もっとも説得力を感じた仮説は本書の著者・小泉悠の「想像」だった。

 

www.chuko.co.jp

 

 かなり長い間「積ん読」にした本書だが、読了後に「プリゴジンの乱」とやらが起きたことから、良いタイミングで読むことができたと思った。

 

 その他に読んだ今月の本から、その一部に出版社のサイトへのリンクを張っておく。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 上記は2009年単行本初出。著者の死去に付随した追記や解説文等は一切ない。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

 こちらは2013年単行本初出。

 

publications.asahi.com

 

publications.asahi.com

 

 上記2冊は朝日新聞の土曜版「be」連載をまとめたもの。