KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

小松左京『日本沈没』(1973) を読む

 連休後半に小松左京(1931-2011)の『日本沈没』(1973)を2020年のハルキ文庫版上下巻で読んだ。初出は光文社のカッパ・ノベルス。図書館本で読んで、今日が返却日なので簡単にメモを残しておく。

 この本は少年時代からいつか読もうと思いつつ長年放置していた。著者の小松が9年間かけて調べ、地球物理学者の竹内均(1920-2004)らの監修を受けたとのことで、地学のバックグラウンドもしっかりしている。たいへんにヘビーなSFらしいSFであり、SF御三家仲間の星新一筒井康隆には決して書けなかった小説だと思った。

 ただ、本作に書かれたメカニズムでの「日本沈没」は起きようがない。Wikipediaに書かれている通り(下記)。

 

現実に日本列島が沈没する可能性[編集]

地球物理学者の上田誠也(当時、東京大学教授)は、『中央公論』1973年7月号に掲載された小松との対談において、量子力学上のトンネル効果を援用したところが日本を沈没させるための「トリック」であることを指摘しており、小松も上田の指摘を認め、「あれ〔トンネル効果〕がないと、日本列島だけ沈んでくれないんですよ」と述べている[9]

日本列島の土台は複数のプレートの運動によって形成された付加体である。これは大陸側のプレートと太平洋側のプレートの衝突によって、海洋プレートの上の堆積物が押し上げられる形で隆起したものである。よって、このプレートの動きが変わらない限り日本列島が沈没することはなく、むしろ沈下ではなく隆起している。実際にプレートの動きが変わっても完全に沈没するまで100万年以上かかると計算されており、差し迫って沈没時のための準備や心配、対策などをする必要はないとされている[53]

また、愛媛大学教授の入舩徹男は、『ネイチャー』2008年2月14日号に発表した論文で、地表から地中に沈下したプレートは地下600キロ前後で滞留しそれ以上は沈下しないとしている[54]

2006年版の映画において使用された「プレート」を爆破して沈没を防ぐというアイディアも、現実科学的にはありえない。これは、マグニチュード5.25クラスの地震でも史上最大級の核爆発による人工地震に相当しており、日本列島を沈没させるプレート幅は余裕で1000kmを上回る。これを破壊するためには、マグニチュード10クラスの地震を引き起こすだけのエネルギーが必要であり、その量はTNT換算で150億トンにも達するためである(日本最大の巨大地震として知られる「東北地方太平洋沖地震」がマグニチュード9で、40分の1の規模)。

上記のことは作者の小松も承知していることであり、作品中でも示唆されている通り「日本沈没」は「何十億年に一度かの天変地異が今起こったら?」という、あくまでも仮定の話である。仮定が現実となった場合であっても天変地異が日本列島のみに限定されることや、僅か数年の前触れだけで起こることは、まずあり得ない。日本周辺からプレートの繋がる各大陸での地殻変動環太平洋地域の諸国への巨大津波来襲など世界規模の大災害につながるであろう。

 

出典:日本沈没 - Wikipedia

 

 量子力学のトンネル効果というミクロな世界での現象をトリックに用いた荒唐無稽さが、むしろSFとしては秀抜といえると思った。地球温暖化による海面上昇がじわじわ進んで小さな島国が沈没してしまう懸念は現実にあるが、本作が書かれた1970年代の日本は一時的に低温の年になることが多かったので、本作と同時期に恥ずべきベストセラー『ノストラダムスの大予言』を書いた五島勉(1929-2020)との共著がある西丸震哉(1923-2012)などは地球寒冷化説を唱えていた。小松も、日本沈没のあと火山噴火などの影響でしばらく地球が寒冷化するシナリオ(この現象は実際に起きたことがある)を続編で考えていたとのことだが、それが小松が構想にのみ関わって谷甲州が書いた『日本沈没 第二部』(2006)に生かされたかどうかは読んでいないので知らない。

 作中に出てくる「渡老人」についての記述から、本作が設定した時代がわかる。ハルキ文庫版上巻117頁で渡老人は「今年の十月で百一歳になる」と言っている。同下巻353頁には、渡老人は明治21年1888年)に9歳だったと書かれているから、作者は1980年頃に起きると設定していたと認められる。

 作中に登場する緒方首相(良い政治家の役である)のモデルは、本作発表当時の総理大臣だった田中角栄(1918-1973)ではなく、実際には沖縄密約などの悪事を多く働いた私の嫌いな佐藤栄作(1901-1975)だろうなと思った。それは首相のキャラクター設定からの推測だが、小松左京が本作を書くのにかけた9年間の大部分は佐藤政権時代だった。個人的には佐藤栄作の政治こそ、その後の日本の「経済的沈没」の遠因になったのではないかとの仮説を持っている。田中角栄は本作が発表された1973年を「福祉元年」と位置づけて福祉国家への転換を図ったが、まさにその年に起きた第一次石油ショック等によって日本の高度成長時代(1955〜1973)が終わったことによって今に至るも日本は福祉国家とは言えない。本当は佐藤政権時代に福祉国家への転換がなされなければならなかった。角栄の転換はあまりにも遅すぎたのであって、これは戦後日本の保守政治における最大の失敗の一つだろうと私は考えている。

 そう、実際に起きたのは日本の地球物理学的な沈没ではなく、日本経済の沈没だった。今後はそれが大がかりに進む時代であろう。それによる被害や犠牲を少しでも少なくすることが今後の政治の課題だが、それは自公政権にはできない。しかし維新の政策などが実現してしまうと、それは自公政権の継続よりももっと悪く、経済の崩壊を加速させる効果しか持たない。

 話題をがらりと転換させるが、本作の末尾で日本沈没を目前に控えた若者たちが「今生の思い出」とばかりに春の(今頃の季節だろうか)後立山連峰縦走という無謀な行動に出て、本作の重要人物の一人である小野寺俊夫(30歳の設定)が彼らの救助に当たるとの設定にぶっ飛んだ。この後立山連峰縦走は私自身も2015年のシルバーウィークに唐松岳から鹿島槍ヶ岳までを南下するコースで行ったことがあるが(5連休の年で天気も良かったので大変な人出だった)、このあたりは日本アルプスでも北部なので雪が多い。本作では戸隠連峰高妻山が大噴火を起こして小野寺と摩耶子(マコ)が巻き込まれる設定になっているが、実際には雪崩に巻き込まれる恐れの方が強いだろう。松本清張はこの山域を舞台とした短篇ミステリ「遭難」(1958)を書いている。清張とは緊張関係にあったとみられる小松左京がこの短篇を意識したかどうかは知らない。本作での若者たちは八峰キレットのみならず不帰キレット、というより不帰嶮(かえらずのけん)という名前からして不気味な難所(私は行ったことがない)も春に通過した設定になっている。命知らずな、とは思うが、日本沈没で死ぬくらいなら山岳で遭難して死にたいと思う気持ちもわからなくはない。

 後立山連邦を舞台にしたミステリは清張作品以外にも森村誠一折原一の作品を読んだことがあるが、『日本沈没』の末尾にも出てくるとは思わなかった。

 高妻山噴火に巻き込まれた小野寺と摩耶子(「小野寺の妻」を自称しているが小野寺は記憶を失っている)はどういうわけか生き延びて日本を脱出したが、その後はいかに。この設定およびその少し前に富士山の噴火に小野寺の妻だか婚約者だかの玲子が巻き込まれた設定から、小松が第二部の登場人物をどのように構想していたかはある程度見当がついたし、Wikipediaを見るとそれは谷甲州が書いた第二部に実際に反映されているようだが(つまり玲子も小野寺と同様に生きていたという設定*1)、第二部は小松自身が書いた作品ではない。ただ小松自身が存命のうちに完成した作品なので、『カラマーゾフの兄弟』の続編などとは全然違うけれども、読みたいという気が強く起きるには至らない。この第二部も長そうだからというのも一つの理由だが、タヒチに向かっているつもりだった小野寺がマコと一緒に実際に乗っているのは西へと向かうシベリア鉄道だったという衝撃的な結末の余韻が、第二部を読むことで損なわれてしまうのではないかと恐れるからだ。

 この日本SF史上に残る歴史的な名作を遅ればせながら読んだのは正解だった。

*1:マコは第二部開始の時点では既に死んだことにされてしまっている。おそらく作者の設定の邪魔になるからだろう。不憫である。