KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

2011年に自死した中村とうようは執拗に坂本龍一を批判し続けたらしい

 坂本龍一の訃報に接して1か月以上が経ったが、未だに私の主たる関心事は音楽、音楽史及び音楽の受容史であり続けている。

 弊ブログの読者には政治に関心がある方が多いと思うので、それに絡めて書くと、私は1980年代初めに当時の国鉄吉祥寺駅*1に付随した商業施設「ロンロン」の2階で立ち読みした現代音楽の作曲家・柴田南雄(1916-1996)の本に、世界中のあらゆる国の大衆音楽がことごとく西洋音楽の語法を用いた音楽になってきているとの指摘に目を開かされた。だから柴田を含む現代音楽の作曲家たちは自国を中心とした民族音楽を取り入れようとするのかと思った。

 坂本龍一自身も柴田南雄に言及している。

 

mikiki.tokyo.jp

 

 以下引用する。

 

――坂本さんが高校1年生だった67年11月9日に、小澤征爾の指揮、鶴田錦史の琵琶、横山勝也の尺八、ニューヨーク・フィルハーモニックにより、武満氏の「ノヴェンバー・ステップス」がNYにて初演されています。

「雑誌の『音楽芸術』は、目を皿のようにして読んでいましたし、『美術手帖』のような美術系の雑誌も読んでいましたから、たぶん情報としては知っていたと思います。初めて『ノヴェンバー・ステップス』を聴いたのはいつだったか記憶にないけれども、そのころはNHK-FMの『現代の音楽』が重要な情報源で、レコードが発売されるよりも早く各地のライヴの録音が放送されることもあった。解説を担当していた柴田南雄さんのトークは華麗なもので、こうした番組で聴いていた可能性はありますね」

 

URL: https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368

 

 坂本龍一は若い頃には晩年よりずっと先鋭的な左翼だったから(とはいえ当時の新左翼によくある毛沢東主義志向だったが)、西洋音楽帝国主義的な音楽史の流れに対する問題意識はずっと持っていたはずだ。

 なお、坂本はおそらく1979年頃に柴田の新作の演奏に加わってもいたようだ。

《ふるべゆらゆら(布瑠部由良由良)》(1979)について。


作品に使用されているテクストの出典
1) 奈良県天理の石上(いそのかみ)神宮の「ひふみ」の祓詞(はらえのことば)、身振り手振りを伴う布瑠部の神業(かむわざ)、十種祓詞(とくさのはらえのことば)、十種神宝大御名(とくさのかんだからのおおみな)。
2) 東大寺お水とりの声明から「神名帳」(じんみょうちょう)の第八段(天一太白)。
3) 奄美加計呂麻島の民話の語りと民謡。
4) 吉増剛造「地獄のスケッチブック」。(詩集『わが悪魔祓い』より)
5) ボードレール詩・福永武彦訳「秋の歌」。

器楽部分の素材
1) 縄文時代の石笛。
2) 弥生時代の琴。〔福岡県春日市辻田(つじばたけ)遺跡出土の琴の原寸大複製品〕
3) 弥生時代の銅鐸。〔複製〕
4) リコーダー合奏。
NHKで放送初演されたテープ・ヴァージョンでは、リコーダー合奏のかわりに渡辺香津美坂本龍一小原礼山木秀夫によるバンドが参加し、各種の音素材が大胆にミックスされています)

 以上すべての素材は、合唱「秋の歌」と土笛のアンサンブルの部分を除いて、演奏のたびに指揮者によってステージ上で即興的に構成されます。スコアには断片的な音符やモチーフだけが記されていて、ほとんどの部分が即興演奏になります。本作品の作曲意図と経過については、柴田南雄の著書『日本の音を聴く』青土社 絶版/2010年に岩波現代文庫から復刊]に詳述されていますので、興味のあるかたは是非御参照ください。

 

URL: http://musicircus.on.coocan.jp/saijiki/002.htm

 

 下記ブログ記事には「坂本氏は柴田南雄の教え子である」と書かれている。

 

sekaikai.hatenadiary.com

 

 しかし、坂本にせよ柴田にせよ、拠って立つ基盤は西洋の古典(クラシック)音楽だった。だから2011年に自死した中村とうようとは相性が悪かったに違いないと思ってネット検索をかけたら案の定だった。

 中村とうようは下記noteの記事に書かれたような論法で坂本龍一の音楽を批判していたようだ。

 

note.com

 

 以下引用する。

 

ミュージックマガジンを定期的に読み始めた頃、中村とうようさんがジャズの魅力を説明するのに「スポンテニアス」という言葉を使って、それまでまったく知らなかった言葉そのものと共にスポンテニアスな音楽とはどのようなものか教えてくださった。

スポンテニアスな音楽とは「自然発生的な」感じを醸し出すものという趣旨だったと理解して、今でも時々スポンテニアスとはと考え直すくらいだから、当時DKだった僕相当は大きな影響を受けた。
ジャズ、R&B、ブラジリアン、ラテン、アフリカン、歌謡曲の歌い手。
スポンテニアスな感じがするのは同じだ

記憶によれば、対比として楽譜を読み込んで正確に演奏することが求められる西洋音楽、所謂クラシックを挙げていたように思う。

YouTubeに残る音源には、坂本龍一は細野さんは楽譜が読めないからと語り、細野さんも自分は楽譜が読めないと発言するものがそれぞれある。

超一流のベーシストであり、流行歌の作曲家としても超一流だった細野さんでさえ、西洋音楽的な譜面読みができないことを両者は共に認めていると僕は判断した。
一方で「出来損ないのピアニスト」だったと述懐する浅田彰は明らかに譜面を読んでなければできないとしか思えない発言をしばしば残している

譜面読みというテーマで、坂本龍一を真ん中に置き細野さんと浅田彰を対局に配置すると、「スポンテニアス」な音楽とはどんなものなのか、よりわかりやすくなるように思う。
楽家でなくても西洋音楽理論を踏まえて譜面を読めれば理解できる。
しかし、それは「自然発生」的な音楽とは程遠い。

僕が聴くたびに毎回いつも「うわぁ…」と新鮮に感動するのがラテンの音楽で、もちろん楽器は違ってもオーケストラのような多人数の編成で指揮者もいないのに、ぴったり息の合った演奏で「スポンテニアス」としかいえない音楽をやっている。

西洋音楽を聴く楽しみは、作曲家や指揮者や演奏家がどう譜面を読んで解釈したかを聴き取ることができなければ面白くもないようなもので、それはまったく「スポンテニアス」な音楽を楽しむのとは異なる。

最近になってバロックから古典派、20世紀前後のドビュッシーやサティらの「印象派」(?)と呼ばれる音楽を好んで聴き始め(19世紀のロマン派は後回し)、西洋音楽を聴く楽しみ方を学びつつあるが、まだまだ初心者ではあれ、これはラテンを聴くのとは全く異なる脳の部位を使うということくらいならわかる。

同じ原稿でとうようさんは客に尻を向けて音も奏でない指揮者が一番偉いとされるとして、クラシック批判を展開していたような記憶もある。
スポンテニアス」というキーワードを充分に理解した上で坂本龍一のつくる音楽を聞き直せば、なぜとうようさんが執拗に坂本批判を続けたのかという謎は解ける筈

そして、それは坂本龍一の音楽を正しく理解する意味でも必要不可欠なことであることにも気づくはずだ。
ミュージックマガジン増刊号『坂本龍一』は、その千載一遇の機会を意図的に排除して逃した。
繰り返すが、これだけはマガジンでしかやれないことなのに。

ただね、『スコラ』のジャズ編で、チャーリー・パーカーの火を吹くような演奏に上手い酒でも飲み干した後のように喜びに顔をクシャっとさせながら、「メタリカみたいだね」とコメントした坂本龍一は、スポンテニアスな音楽の楽しみ方を知っていたし、そのあり方を理解していて肯定してもいたんだよね。

 

URL: https://note.com/oomorikei/n/ne0643c0e2566

 

 『スコラ』のジャズ編とは2010年代初頭にNHKEテレで放送された番組のことだろうが、当該の映像は見ていない。4シリーズ、計50回近く放送されたこの番組の多くは流布している海賊版の映像で見ることができるが、まだ追いついていないのだ。印象派の全4回に続いてバッハの全4回を見終えたが、ジャズ編は1回の半分くらい(番組の一部をカットした動画がアップされていたため)しか見ていない。だがバッハとジャズとの相性が良いこと、バロック音楽には即興演奏の要素が多いことなどは、私でも1970年台に、ともに故人となった服部幸三(1924-2009)や皆川達夫(1927-2020)らにNHK-FMの番組で教わって知っている常識だ。

 このように上記記事には若干の異論もあるが、古典派以降の西洋音楽がプレイヤーたちの自発性を抑圧して作曲家が絶対君主として君臨する仕組みになっていったことは否定しようがない。中村とうようはそれに対するアンチテーゼを高く掲げていたものに違いあるまい。ただ下記記事を見ると、どうやら中村とうよう自身は実は現代音楽を(おそらくクラシック音楽をも)相当に聴き込んでいて、その上で自説を強調して批判をしていたらしいことを遅まきながら知った。それは、中村が坂本の音楽を批判した下記の文章に反映されている。

 

reminder.top

 

 以下、中村の坂本評に関する部分のみ引用する。

 

『B-2 UNIT』発売当時の「ミュージック・マガジン」で、中村とうよう氏はやや批判的に「アルバム全体はクラフトヴェルク(クラフトワーク)やジョン・ケージやテリー・ライリーの線に近すぎるように聞こえる」と評しておられますが、テリー・ライリーが同時期にリリースしたアルバム『Shri Camel』を今聴くと、その音色はオモチャみたいに安っぽく感じます。とても教授の比ではありません。

 

URL: https://reminder.top/596565506/

 

 『Shri Camel』はこの間坂本龍一に関するブログ記事を書きながら聴いた。上記記事中に『B-2 UNIT』への言及があるので、以下の文章はそれを聴きながら書くことにする。

 

open.spotify.com

 

 また脱線部分だけで記事が馬鹿長くなりそうなので、当初の方針を転換して、中村とうように関することだけを書いてこの記事を切り上げることにした。

 私が氏に対して持っていた偏見は「ポピュラー音楽評論会の宇野功芳」というものだった。宇野功芳(1930-2016)とは「誰それ(作曲家)のなんとかいう曲は、誰それの演奏でなければダメだ」と言って自らの好みを読み手に押しつける、うざいことこの上ないクラシック音楽の評論家で、私は中学生の頃から今に至るまで一貫してこの宇野が大嫌いである。私は宇野のせいで、つい最近までドイツの大指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーを敬遠していた。私は宇野と同じくヘルベルト・フォン・カラヤンナチス党員だった)は大嫌いだが、カラヤンの場合は実際にその録音を聴いて嫌っていた。しかしフルトヴェングラーの場合は、宇野だの福永陽一郎(1926-1990)だのの、その良さがわからない奴は音楽を解しない奴だ式の言い草に腹が立ったので聴く気にならなかったのだ。しかしそんな極悪な奴であるにもかかわらず、世のクラシックファンの間には宇野の「信者」が少なからずいることに辟易している。宇野は政治思想的にも極右だったから、その点でも私とは相容れない。

 その宇野の悪弊の一つに、レコード評に極端な高評価と低評価をつけたがることがあった。ところが、宇野と同じ悪弊が中村とうようにもあったらしい。

 

gyogyo.seesaa.net

gyogyo.seesaa.net

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

先ず「クロス・レヴュー」というのは『シティロード』の方が先だった。
巷で話題になっているのはヒップホップに対する徹底的な拒絶、それからマイケル・ジャクソンの『スリラー』に対する「黒人のもっともダラクし果てた姿を見せつけられた気がする」という評価だろうか。当時、俺も『スリラー』というかマイケル・ジャクソンをそんなに高く評価していなかったと思う。その理由はたんにメジャーだから(つまらない、若気の至り)。今はもっと素直に評価できる*2。ところで、当時のコアな黒人音楽ファンの評価はどうだったのだろうかと思った。「クロス・レヴュー」ではないけれど、中村とうようがアース・ウィンド&ファイアを酷評していたのを読んだことがある。EWFといえば渋谷陽一だが、渋谷氏はコアな黒人音楽ファンには馬鹿にされていたEWFを敢えて戦略的にプッシュした節がある。『スリラー』に戻ると、そこに収録された”Beat It”はエディ・ヴァン・ヘイレンスティーヴ・ルカサーを起用しているのだが、白人的なものとしてのハード・ロックを(黒人である)MJが包摂してしまったという歴史的意義があったとも言える。

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110723/1311391037

 

 上記の記述から類推して、中村とうようは「白人的なもの」が大嫌いな人だったのだろうか。中村には昔から「極左」のイメージがあるから、その意味でも極右の宇野功芳とは好一対かもしれない。ともに「極に振れた」人たちということだ。

 しかし「黒人音楽(ブラック・ミュージック)」とはいっても、Wikipediaによればアメリカの黒人発祥の音楽の総称を表す言葉であってアフリカ音楽を指す言葉ではない。

 坂本龍一の『スコラ』のジャズの回(私が唯一試聴した2分の1回分)によれば、アフリカの黒人音楽とヨーロッパ発祥の西洋音楽がぶつかってできた音楽がジャズとのことだから、ジャズなどは発祥の時点で「ダラク」していたことになってしまうのではなかいかとも思うのだがどうか。

 とはいえ、中村は(アメリカを中心とした)ポピュラー音楽にはずいぶん博識の人だたみたいだし、彼の岩波新書『ポピュラー音楽の世紀』(1999)には下記の書評もある。

 

中村とうよう*1という人の音楽止まらない言説には様々な賛否があることだろう。しかし、ロック、ジャズ、ブラック・ミュージック、ラテン、さらには亜細亜や中東やアフリカの音楽、さらには邦楽に至る音楽知識の広大さは誰も否定できないだろう。勿論その半面で、(現代音楽を含む)クラシック的なものには敵意に近いものが感じられ、そのとばっちりを受けたのがプログレッシヴ・ロックというジャンルだったわけだ。岩波新書から出た『ポピュラー音楽の世紀』は良質なポップ・ミュージック入門書であるだけでなく、グローバライゼーション(研究)入門書としてもお薦め。

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110722/1311261926

 

www.iwanami.co.jp

 

 中村とうように酷評されたというプログレッシブ・ロックについては、Wikipediaの記述が興味深い。

 

概要[編集]

プログレッシブ・ロックは、実験的・革新的なロックとして、それまでのシングル中心のロックから、より進歩的なアルバム志向のロックを目指した。1960年代後半に誕生し、全盛期は1970年代前半である。当初の進歩的・前衛的なロック志向から、一部のクラシック音楽寄りな音楽性が、復古的で古色蒼然としていると見られ、1970年代半ばから後半にかけて衰退した[注 1]とされている。ピーター・バラカンプログレッシブ・ロックの全盛期が短かかったことを指摘している。後年、マリリオンアネクドテン[2]などの登場により、復活してきている。

プログレッシブ・ロックとは進歩的ロック、クラシック的ロック、アート・ロック、前衛ロック、実験的ロックなどの概念を包括したジャンルである。プログレッシブ・ロック・バンドはロックに、クラシックジャズフォーク、地域音楽などを融合させた。

アート・ロック[3]や「ニュー・ロック」、あるいは「シンフォニック・ロック」と呼ばれる場合もあるが、それぞれ微妙な差異を持ち、それらをプログレッシブ・ロックの一派に含めることもある。また、イギリス以外のイタリアフランスオランダドイツ、北欧にも、有力なバンドが存在し、ユーロロックとも呼ばれた[4]

 

URL: プログレッシブ・ロック - Wikipedia

 

 要するに「白人たちによる『進歩的』ロックなんて俺は認めないよ」ということだろうか。しかし、今回のネット検索によって、生まれて初めて中村とうようの本を読んでみたいと思ったのも確か。もしかしたら中村が大嫌いだったであろう坂本龍一柴田南雄とも共通した問題意識が読み取れるかもしれない。

*1:当時の私は1年ほど杉並区西部に住んでいたことがあった。だから関西の阪神間にも似た中央線沿線の文化はある程度知っている。