KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

YMOのデビューアルバム冒頭に収録された「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」に出てくる葬送行進曲が懐かしかった/バッハの音楽に頻出する不協和音のこと/シェーンベルクの妻と画家の不倫&画家の自殺の痛手から無調音楽が生まれた

 先週月曜日(4/10)に公開した下記記事に続いて、坂本龍一YMO、それにスウィングル・シンガーズによるジャズのバッハなどの話をする。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 歳をとることの最大のメリットは、生きてきた間に起きたいろいろな変化を思い起こすことによって時間軸に沿った思考ができるようになることだろう。これは若い時にはできないことだ。若い頃には数年か、せいぜい十数年のことしか体感していないので、軍国主義の時代に生きた少年少女たちは軍国少年、軍国少女になるしかなかった。それと同じで、政治のニュースに接するようになったのが2012年以降である若い人は2020年8月までは安倍政権しか知らなかったのだから、私から見ればトンデモ極右政治家でしかない安倍を支持する若者が多かった。

 音楽やその受容も同じで、小学校2年生の時に行った遠足、確か神戸の須磨浦公園プラネタリウムだったかと思うが、人生で初めて「歌謡曲」という言葉を聞いて「火曜日の曲」かと思った頃からもう半世紀以上が経つけれども、あれは遠足でやってきた子ども向けの歌ではない、森進一の演歌をかける前振りのアナウンスだった。森進一の歌は全く印象に残らなかった。子供心には面白くもなんともなかったことはいうまでもない。ネット検索をかけると、森進一が初めて紅白歌合戦に出演したのは彼が21歳だった1968年だった。

 イエロー・マジック・オーケストラのデビューは1978年だったが、この頃は日本の大衆音楽の一大転換機だったと思う。この年にもっとも強く印象に残っているのはサザンオールスターズだが、この年の6月に発売された「勝手にシンドバッド」、これは前年の1977年に大ヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」を掛け合わせたタイトルの曲だ、タイトルからして際物くさいと思ったし、歌も最初どこが良いのかさっぱりわからなかった。しかし当時聴いていた大阪のABC(朝日放送)ラジオのアナウンサーは「これがいいんですよ」とサザンを絶賛していた。私が彼の耳に追いついたのはそれから少し経ってからだった。

 グループ名を冠したイエロー・マジック・オーケストラYMO)のデビューアルバムもサザンと同じ年の1978年11月25日だったが、私は知らなかった。通して聴いたのは昨日から今日にかけてが初めてだ。シングルデビューは翌1979年10月25日発売の「テクノポリス」だが、この曲は覚えている。ABCやMBS毎日放送)でもよくかかっていたはずだ。しかしこの曲にしても、翌1980年6月21日発売の「ライディーン」(高橋幸宏作曲)にせよ、大した革新性は感じられなかった。その感想はこれらの曲を改めて聞き直した今日でも変わらない。

 しかし1978年のデビューアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を聴いたら少し感想が違った。冒頭の「コンピューター・ゲーム“サーカスのテーマ”」からして、「なんじゃこりゃ」と思わせてくれたのだ。

 この曲よりもさらに先進的だと思ったのは、坂本のデビューソロアルバム(1978年10月25日発売)に含まれるらしい「千のナイフ」だ。しかしこの曲を含む坂本のデビューアルバムの売り上げは極めて悪かったらしい。結局「千のナイフ」よりは「テクノポリス」、さらにそれよりも高橋幸宏作曲の「ライディーン」でなければ大衆の心はつかめなかった。

 ところで「サーカス」というアーケードゲームの名前に記憶はなかったが、調べてみると1980年頃にゲームセンターでやって結構熟達したゲームだということがわかった。だからゲームオーバーになった時にあざ笑うかのように流れるショパンの葬送行進曲はよく覚えている。懐かしかった。

 

gmdisc.com

 

 以下引用する。

 

YMOのデビューアルバムは1978年の『イエロー・マジック・オーケストラ』。そこには「コンピュータ・ゲーム」と名のつく2曲が収録されています。

 

ひとつは 5曲目の「コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ”」 (COMPUTER GAME “Theme From The Invader”)というもの。これはまさに当時大ブームであったタイトーの『スペースインベ―ダー』の音を使ったものです。

しかしもう「コンピュータ・ゲーム」はさらにもう一つあり、そちらのほうが有名です。それは1曲目に収録されている「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」(COMPUTER GAME “Theme From The Circus”)。

ここに出てくる「サーカス」は1977年に Exidy)社から発売されたブロック崩しタイプのアーケードゲーム。しかし、ここですでにナムコのゲームよりも以前に「音楽」として聴けるものの存在が確認出来ます。

特徴的なのは、ゲームスタートの時の音、そしてBOUNSを獲得したときの音楽、そしてゲームオーバー時の曲。

 

これらの曲をシンセサイザーで表現してリミックスしたのが「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」。1曲目であり、しかもその後の名曲「ファイアークラッカー」に繋がっているため、さらに印象に残る曲となっています。

この時点、1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が出る6年前にすでに「ゲームの音楽」という概念は、YMOによって認知度を上げたと言ってよいでしょう。

特徴的なのは、ゲームスタートの時の音、そしてBOUNSを獲得したときの音楽、そしてゲームオーバー時の曲。

 

これらの曲をシンセサイザーで表現してリミックスしたのが「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」。1曲目であり、しかもその後の名曲「ファイアークラッカー」に繋がっているため、さらに印象に残る曲となっています。

この時点、1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が出る6年前にすでに「ゲームの音楽」という概念は、YMOによって認知度を上げたと言ってよいでしょう。

特徴的なのは、ゲームスタートの時の音、そしてBOUNSを獲得したときの音楽、そしてゲームオーバー時の曲。

 

これらの曲をシンセサイザーで表現してリミックスしたのが「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」。1曲目であり、しかもその後の名曲「ファイアークラッカー」に繋がっているため、さらに印象に残る曲となっています。

この時点、1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が出る6年前にすでに「ゲームの音楽」という概念は、YMOによって認知度を上げたと言ってよいでしょう。

特徴的なのは、ゲームスタートの時の音、そしてBOUNSを獲得したときの音楽、そしてゲームオーバー時の曲。

 

これらの曲をシンセサイザーで表現してリミックスしたのが「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」。1曲目であり、しかもその後の名曲「ファイアークラッカー」に繋がっているため、さらに印象に残る曲となっています。

この時点、1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が出る6年前にすでに「ゲームの音楽」という概念は、YMOによって認知度を上げたと言ってよいでしょう。

 

葬送行進曲

 

ここで特徴的なものがあります。それはゲームオーバーの時に流れる曲。これは聴いてすぐ分かる人もいらっしゃるでしょうが、ショパンの「葬送行進曲」。クラシックの一節をこの時点からゲーム音楽で採用していた、ということです。ちなみにこの「葬送行進曲」については、「ゲームでのやられた時の音楽」というイメージが強くなったのか、この後もしょっちゅう使われることになります(YMOを経由しての流れなのか、「サーカス」などからのダイレクトな流れなのかは不明ですが)。テレビの効果音として使われた記憶もあります(たしか『ドレミファ・ドン』だったかな)。

ただ、調べるとこのサーカスのもっと前にも「葬送行進曲」を使ったものはあったようですが、現在、ゲーム音楽の起源を含めて調査中なので、まとまったらそのうち(とりあえず1975年まで溯った)。

このように『ビデオ・ゲーム・ミュージック』の6年も前からYMO(細野晴臣氏)はすでにゲームの音と関係が深かったわけですが、もしかしたらファン層でも重なるところがあるのかなあ。つまりYMOからの流れでゲーム&ゲーム音楽とか、その逆とか。その辺今後調べて見るとおもしろそうです。

 

URL: https://gmdisc.com/archives/6361

 

 「サーカス」は、シーソーで受け止められない画面の右端または左端に人が落ちてくると、どんなにつまみを機敏に動かしても死を免れることはできない。だから、いかに端っこに落ちてこないように人を飛ばすかが熟達の鍵だったはずだ。そんな記憶がある。

 その1975年に葬送行進曲が使われたのが「Gun Fight」というゲームらしいが、これはやったことがない。

 

www.youtube.com

 

 しかしショパンの葬送行進曲を原曲のピアノソナタ第2番第3楽章として初めて知ったなんて人がいるんだろうか。小学校低学年の頃からテレビなどで流れる葬式の歌として知っていた記憶があるのだが。

 なお私はインベーダーゲームはあまりやらなかったがアーケードゲームは結構やった。パックマンとかギャラクシアンとかニューラリーXなど。

 だんだん記事の脈絡がなくなってきたが、読んだばかりのブログ記事をここでご紹介する。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

先週のことだったと思うけど、Eテレの深夜に、『SCHOLA』という坂本龍一*1が出演している番組が再放送されていた。出演者はYMOピーター・バラカン*2YMOには坂本龍一細野晴臣高橋幸宏のほかに小山田圭吾(ギター)がサポートとして加わっていたので、そもそもが2010年頃に放映された番組だったのだろうか?

その中の坂本とバラカン氏との対談が興味深かった。現在私たちは音楽、特にポップ・ミュージックにおいてドラムスによってリズムがキープされていることを自明なことだと思っている。しかし、それは20世紀的な事態にすぎないのではないか。西洋のクラシック音楽において、打楽器(ティンパニーやシンバル)は曲を盛り上げアクセントをつけるための仕掛けであり、ルーティン的にリズムをキープする仕掛けではなかった。リズムをキープするツールとしてドラムが使われるようになったのはニュー・オーリンズにおける初期のジャズからではなかったかとバラカン氏は言う。やがて、マーチングから解放されてジャズがステージで演奏されるようになると、リズム楽器としてのコントラバスが前面に出てくる(ウォーキング・ベース)。マーチング時代に低音部を担っていたのはチューバだった。バラカン氏はリズム&ブルースのようなポップ・ミュージックを聴いた後でバッハを聴いたとという。そこで、氏が感じたのはバッハのベース・ラインが凄いということだった。それはバッハの曲の多くがダンス・ミュージック(舞曲)だったからなのではないか。

 

URL: https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/04/15/133604

 

 ご指摘の通りバッハの音楽の多くは舞曲で、しかも彼の時代には「通奏低音」がありましたから、「ベース・ラインが凄い」のも道理ですね。私が唯一楽譜を持っているバッハの曲であるゴルトベルク変奏曲の楽譜をこの間眺めていて驚嘆したんですが、第15変奏の後半に入ると、2声のカノンを支える役割のバス(ベース)がいきなりカノンの主題の音型を奏し始めて事実上3声の対位法の音楽になります。

 そのジャズによるバッハだが、昨日Spotifyでやっとスウィングル・シンガーズによる平均律曲集第2巻第9曲を見つけた。1963年に発売された彼らのデビューアルバムに収録されていた。

 

open.spotify.com

 

 しかしながら、上記の曲のすぐ後に収録されているパルティータ第2番のシンフォニアはもっとすごい。私は原曲を知っているので、えっ、あれを歌うの?と一瞬驚いた。

 Spotifyは登録していなければ曲を通して聴けないので、この曲は映像つきのYouTubeの動画で紹介する。

 

www.youtube.com

 

 画像をアップしたのはZvonko Slisuricさんという方で、ネット検索をかけたところクロアチア系の名前らしい。

 実は、この曲の編曲には私の好まない和音の変更が施されている。冒頭の0分07秒の和音がそれで、原曲では不協和音が鳴り響くところだ。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 このQ&Aのベストアンサーの最後にパルティータ第2番のシンフォニア冒頭の楽譜が貼られているが、これを見ると第1小節の3拍目で左手が低い順にC, D, F, A♭, B(ドイツ語の音名だとC, D, F, As, H)の5音からなる和音を弾いていることが確認できる。 B(ロ音)とC(ハ音)とD(ニ音)がぶつかり合っているわけだ。特にBとCとは半音程である。しかし、スウィングルの編曲では一番下の音を半音下に変えてこの半音のぶつかりを解消しているように聞こえる(なお同時に移調もされている)。これではバッハの良さがかなり損なわれてしまう。同じ箇所を下記グレン・グールドのピアノによる演奏と聴き比べられたい。グールドは分散和音にして弾いているから違いがわかりやすいかと思う。

 

www.youtube.com

 

 後年のモーツァルト弦楽四重奏曲でバッハと似たようなことをやったら、曲に「不協和音」などというあだ名をつけられてしまったが*1、バッハの音楽では当たり前だった。そもそもそれは対位法の音楽では避けられないことだった。下記楽譜付きのYouTubeフランス組曲第5番だが、ルールという舞曲にミとファとソという音階で隣り合う3音や、それにレが加わった隣り合う4音だけを響かせる箇所がある。こういう書法はハイドン以後の古典派ではあまり使われなくなった。

 

www.youtube.com

 

 しかし、冒頭の和音の変更によるデメリットを差し引いてもスウィングル・シンガーズによるパルティータ第2番のシンフォニアは聴く価値がある。

 前記YouTubeの動画は、スウィングル・シンガーズによるバッハの中でも特にアクセス数が多いが、その中になぜかさる日本人の名前が含まれるコメントが散見されることに私は気づいた。その人物は何者か。続きは次回(最終回の予定)に先送りする。

 

 なお、今回の記事にスウィングル・シンガーズが加わったルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」の話を盛り込もうと思ったが、文章の収拾がつかなくなったのでギブアップした。

 とりあえず、ベリオのシンフォニアYMOのアルバムへの大量のリンクを含む下記サイトをリンクしておく。

 

 また、現代音楽に関する下記YouTubeの動画も興味深く視聴した。

 

www.youtube.com

 

 全11回のシリーズだが、まだ第1回だけしか見ていない。上記動画で初めて知ったのは、シェーンベルクの妻マティルデと表現主義の画家・ゲルストルの出奔とゲルストルの自殺の話だ。妻の不倫と友人の自殺によってシェーンベルクが受けた痛手は大きく、それで妻のために作曲していた嬰ヘ短調弦楽四重奏曲第2番のフィナーレが無調音楽になったという。この曲の後半2つの楽章にはソプラノ独唱も加わっているが、この曲ももう長年聴いたことがない。

 上記の件以外には新しい知見こそ得られなかったものの、第1回での指摘には私もほぼ同意見であり、大いに意を強くした次第。なんといっても、4分18秒あたりから、20世紀の音楽を大衆音楽、現代音楽、民族音楽の3つに分けて、大衆音楽と現代音楽がそれぞれ西洋のクラシック音楽を土台としているという指摘は実に的確だと思う。あの悪名高い(私も大嫌いな)ワーグナーを含む19世紀欧州の作曲家たちは数世紀前に発明された平均律、機能和声、拍節構造などの呪縛に苦しんだが、おそらく出発点においては現代音楽を目指していたであろう坂本龍一も、大衆音楽と現代音楽との境にあって同じ呪縛に苦しんだに違いない。その坂本の晩年の言葉が印象に残る。下記は前回もリンクした記事。

 

mikiki.tokyo.jp

 

 以下に坂本の言葉を引用する。

 

「『LIFE』という作品は戦争と革命の世紀である20世紀の歴史というものを、いわばオペラのリブレットにして、いくつかのアスペクトで切っていくというものだったんですね。音楽的には20世紀のいろいろなヨーロッパ音楽のスタイルというものを、模倣的に後追いしていくというようなかたちになっている。ちょうど世紀をまたぐあたりのドビュッシーからミニマリズムのあたりまでを追っていくなかで、20世紀の音楽というものを聴きなおしてみたんですね。

 

長くファンであったピエール・ブーレーズですとか、メシアンとか、ヴェーベルンとか、ケージとかをまとめて聴いたんだけれども、やっぱり武満さんの音楽の強さっていうものを改めて認識させられたんです。100年後にブーレーズの音楽は誰も聴いていないかもしれないけれども、武満徹の音楽は100年後も聴かれているだろうと思いました。ルチアーノ・ベリオなんていう作曲家はすばらしい音楽を書く力を持っている人で、ぼくはとても尊敬しているんです。でも、いまでさえヨーロッパですらだんだん演奏されなくなってきている。残酷なものですよね。

 

しかし、武満さんの作品はますます再演が繰り返されるようになっているという話を、昨日、藤倉大くんとしていたところなんですけれども、それだけ強い魅力が武満さんの音楽にあると思います。大くんの意見では、ブーレーズは自分で自分の作品を指揮して録音しちゃったから、もうあれ以上の演奏はできない、誰も再演したくならないよね(笑)ってことなんですけれども、確かにそういう面はあるかもしれないですね」

 

URL: https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368

 

 2003年に死んだベリオももう本場ヨーロッパでもあまり演奏されなくなっているとのこと。

 

当時、武満さんが黛さんによる初のミュージック・コンクレート『X・Y・Z』を聴いて、具体音楽だけれども音楽的には保守的じゃないか、以前の音楽と同じじゃないかと感じたという意味のことも書いてありましたけれども、黛さんという人は昔の音楽語法を守って具体音楽を手がけたわけですよね。武満さんがそれを的確に批判したというのはさすがだと思うし、表層的に使われている具体音だけではなく、その背後にある音楽性をきちんと聴き取っているというのもさすがだと思いますね。

 

いままでのぼくは面倒だから鍵盤を使って作曲していた。ものすごく遅いんだけれども、ここに来て12平均律などの呪縛からやっと解かれ出したんです。そういう音楽がほとほと嫌になっちゃってね。家に2台あるピアノも1台は調律するのを止めて、どんどん狂っていけばいいと思っているんですよ。塩とか塗って錆びさせたらどうなるんだろうなんて考える。弦の間にコーヒー豆を落としてみるとか、最近はそんなことばかりやっているんです。内部奏法もケージのような繊細なものではなく、石をバーンと転がしてみたりとかね。

 

だから、10歳のときに草月会館で観たような、ああいうところに戻りつつある。あと20年くらいは生かしてもらって、武満さんを追いかけないといけない(笑)。あらゆる音楽が平均律を土台にしていて、売られているシンセサイザーだってもちろんそういうものですよね。使っている音楽のソフトウェアにしても拍節構造ありきですから、なかなかそこから抜け出すのは難しい。武満さんもそういうことを目指していたと思いますが、ぼくにとって絵を描くように音楽を作るような手段がやっと整いつつある。だから、いまこそ武満さんとコラボレーションできたらおもしろいと思うんですよね」

 

URL: https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368

 

 私が特に注目したのは赤字ボールドの言葉だ。生涯にわたって課題としたことの一つを、坂本はようやく67歳になって乗り越えようとしていた。

 上記インタビュー記事は2019年1月に公開された。坂本は「あと20年くらいは生かしてもらって、武満さんを追いかけないといけない」と言ったが、当時67歳の坂本に残された時間は4年あまりしかなかった。武満徹が1996年に亡くなった時はまだ66歳だった。

 芸術は長し、人生は短しである。

*1:もっともモーツァルトベートーヴェンも半音がぶつかり合う不協和音など平気で使っていたが。たとえば両作曲家の変ホ長調交響曲である第39番と「エロイカ」(ともに第1楽章)が好例。