KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

犯人を知っていて読んでも抜群に面白かったアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』

 初めにおことわりしておきますが、表題作を未読の方はこの記事を読まないようにお願いします。それどころか検索語「アクロイド」でネット検索をかけることも絶対にお薦めできません。露骨なネタバレは行いませんが、それでも容易に真相の見当がついてしまうと思われるからです。

 私自身は中学生の頃にネタバレの被害に遭って、途中まで読んでいたこの本(1958年発売の中村能三訳新潮文庫版)をそれ以上読む気がしなくなって読み続けるのを放棄した。それから半世紀近くが経った今回、初めて羽田詩津子訳のハヤカワ文庫版で全篇を通して読んだ。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 この作品の需要は今でも高いらしく、今年に入ってから図書館に行くたびに置いてないかチェックし始めてから3か月にしてやっと見つけた。本作はクリスティ作品の中でも飛び抜けて人気の高い作品であって、『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行殺人事件』でもここまではいかない。

 本作をテレビドラマ化した作品を見てしまった例、さらに本作と同様の犯人設定を用いた日本国内の多くのミステリー(東野圭吾にもその手の作品があるし、読んだことはないが古くは横溝正史を含めて最近の作品にも多数の例があるらしい)に先に接したために本作の犯人に早々と気づいてしまった例*1なども含め、全くの予備知識なしで本作に接することができなかった読者の方が多いのではないかと想像される。

 試しに「アマゾンカスタマーレビュー」や「読書メーター」を覗いてみると、早い段階から真犯人に気づいたという読者は少なくない。しかしそれは、先に複雑怪奇なマーラー交響曲を知ってしまってリスナーがベートーヴェンの第3交響曲エロイカ」や第9交響曲をあとから聴いて(さすがにそんな聴き手はほとんどいないと思うが)驚きを感じなかったようなものではないか。

 ここで『エロイカ』の例を挙げたが、『アクロイド殺し』は作者アガサ・クリスティにとってエルキュール・ポアロを探偵役に設定した長篇ミステリーの3作目に当たる。私は『アクロイド』が借りられないうちに、ポアロものの長篇第1作『スタイルズ荘の怪事件』と同第2作『ゴルフ場殺人事件』を読んだが、その2作から見ると本作には紛れもなく大きな飛躍がある。「クリスティの『エロイカ』」なる表現が思い浮かんでしまった。このたとえでいうと、コナン・ドイルハイドンモーツァルトに相当するだろうか。

 「アマゾンカスタマーレビュー」に私の読後感に非常に近い書評があったので以下に引用する。

 

本好き

★★★★★ ネタバレぎりぎり

Reviewed in Japan on September 9, 2020

 

と言っても、多くの人にそのメイントリックはバレている、言わずと知れたミステリの女王の名作です。

 

子供の頃、藤原宰太郎という大悪人のおかげで、読む前にトリックを知ってしまいました。

それでもいつか読もうと思いつつ、幾十年

 

大人になってやっと初めて読みましたが、真犯人を知っていても面白い!

直前に『ナイルに死す』を読んでいましたが、改めてクリスティの筆運びの巧さに舌を巻きました。これも、大人になって初めて感じられたこと。

そして、この作品は特にユーモアが魅力的なエッセンスになっていて、しかもそれがまた周到なミスディおっっっと!!

あんまり言うとネタバレになる。でも、ネタバレしている。それでもこれだけ読ませる、クリスティはやっぱり凄い!

脱帽。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2LAUV0EX29T5B

 

 本当にその通り、と思った。私の場合は最初に読んだのが『オリエント急行殺人事件』(光文社古典新訳文庫。ハヤカワ文庫版では『オリエント急行の殺人』)で、これも「犯人」を知っていたのに面白かったが、『アクロイド殺し』は『オリエント急行』の比ではなく、本当に抜群に面白かった。中学生の頃にネタバレの被害さえ受けなければ、と思ったが、仮にそうであったとしても中学生の頃だったら犯人の意外性以外印象に残らなかったのではないか。犯人を知っていて、どうやったら真犯人を割り出せるかを考えながら(ミステリー作品としては)やや丁寧に読んだら十分堪能できた。大人には大人の読み方がある。かつて少年少女時代に一度読んだだけの読者の方々にも再読をおすすめできる、これはそのような作品だ。これまでに読んだクリスティの8作(ポアロもの長篇5作、マープルもの長篇2作、同短篇集1作)の中でも群を抜いている。これが本エントリの結論だ。

 

 以下は長い蛇足になる。あくまで蛇足なので面倒な方はここで読み終えられても良い、というよりその方が良いだろう。

 私と同じ読み方をした「アマゾンカスタマーレビュー」の書評を以下にもう1件挙げる。

 

二次元世界の調教師

★★★★☆ 天下一品のミスリード

Reviewed in Japan on March 20, 2017

 

 ミステリの女王クリスティーの代表作で、当時フェアかどうかで論争を引き起こした意外な犯人の先駆者的作品。実の所私自身が読んだことがあるかどうか不明なんだけど、内容はまるで覚えていなかった。にも関わらず真犯人は誰だか読む前に知っていた。恐らくミステリ好きなら知らない人はいないと言えるくらいの有名作品だから。

 従ってどのくらい巧みに読者をミスリードしているか確かめるような、本来の楽しみ方とは違う読み方をしてしまった。そういう意味でクリスティーの企みは満点。何しろ私自身、読みながら本当にこいつが犯人でうまく小説として成り立つんだろうか? と不安になったくらいで、余計な事前知識なしで読んだら絶対この犯人はわかるまい。面倒なので細かい点を捕らえてどうこう言うのは控えたい。

 とにかく初めてこのトリックを使ったミステリとして価値の高い作品。読んでみて巧みなミスリードぶりに感心した。と同時に、途中で犯人がわかるなんて読者は、小説の読み方に問題があるのではないかと思った。

 普通の読解力でこの犯人がわかったら、絶対おかしいのだ。この作品はそうゆう結論には到達しないよう、悪知恵では天下一品のクリスティーが全力で書いているのだから。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1RDVGM12WMIUD

 

 「読みながら本当にこいつが犯人でうまく小説として成り立つんだろうか? と不安になった」というくだりには途中まで本当に同感だった。

 しかし、私には初めて途中まで読んで、級友のネタバレのために挫折した時、「えっ、やっぱり本当にそいつが犯人だったのか」と思った記憶が鮮明にある。ストーリーをほぼ完全に忘れてしまってからも、その記憶だけは残っている。そう思った理由は本の後半部分を読んでわかった。

 ハヤカワ文庫版の230頁で、主要な登場人物を集めたポアロが「この部屋の全員が何かを隠していらっしゃる」と怒鳴る場面があり、それに続いて下記の記述がある。

挑戦的な非難がましい視線で、ポアロはテーブルをひとわたり見渡した。すると、その視線を前に、全員が目を伏せた。そう、わたしも。(本書230頁)

 その後、登場人物たちが隠していた秘密が、1つ、また1つと明かされていくが、秘密が明かされない人物がいる。「こいつ」はその中の1人だった。だから中学生時代の私は「こいつ」を疑ったものに違いない。ただ、巧妙なことに、秘密が明かされない登場人物は「こいつ」だけではなかった。現在の私が予備知識なしで読んでも、「こいつ」ではなくその登場人物を疑った可能性が高い。

 ただ、エルキュール・ポアロ(ポワロ)には、というよりアガサ・クリスティにはほのめかしが過ぎる癖がある。『ゴルフ場殺人事件』と『青列車の秘密』はそれで真犯人の見当がついた。特に後者では、早い段階から真犯人がミエミエ*2で、かなり興醒めさせられた。

 「意外な犯人」がウリの本作でも、ハヤカワ文庫版316〜318頁でポアロがシェパード医師とその姉のキャロライン(カロライン*3)の前で繰り広げた長広舌は、露骨に「こいつ」を指し示すものだった。中学生時代にこのくだりまで読んだかは全く記憶にないが、現在予備知識なしで読んだとしても、この箇所で「こいつ」を強く疑った可能性がある。というのは、後述のように特にポアロを探偵役とするクリスティのミステリには、ポアロの強烈なほのめかしによって犯人の見当がつく作品が少なくないからだ。

 現在まで読み終えたポアロものは長篇の5作だけだが、他の作品でもポアロはこんな調子なのだろうか。もしそうだったら、いつかクリスティ作品に飽きがくるかもしれない。現在は『アクロイド』が犯人がわかっていても面白かったから、もう少し読んでみようと思っているが。

 なお本作に録音機(ディクタフォン)を用いたトリックが用いられているが、1926年にこのトリックを用いたミステリーを書いたのはかなり先進的だったのではないだろうか。そう思ってネット検索をかけ、下記の記述を発見した。

 

ディクタフォンとは?

 

ディクタフォンは、特殊な録音技術です。 これらのデバイスは、主に話し言葉の録音とその後の書き起こしを容易にするように設計されています。 この用語は、Dictaphone Corporationのブランド名に由来しますが、このタイプの機能を実行するデバイスの一般的な用語としてよく使用されます。 このタイプの録音デバイスは、通常、ポータブルであり、有用であるが完全ではないオーディオ忠実度でサウンドを録音するように設計されています。

ディクタフォンの歴史は、企業が設立された1920年代に遡ります。 最初のモデルは、スタイラスが録音面にパターンをエッチングする録音業界で使用されていた同じ録音技術のバージョンを使用していました。 その後、エッチングを後で再生できます。 これらのマシンは通常、人間の秘書の代わりに使用され、中央のタイピングプールで複数のソースからの文字をタイプアウトできます。(後略)

 

出典:https://www.netinbag.com/ja/technology/what-is-a-dictaphone.html

 

 もちろん、大がかりな録音設備はそれ以前からある。私がすぐに思い出すのは、1913年にニキシュ・アルトゥル*4(1855-1922)の指揮で録音されたベートーヴェンの第5交響曲の演奏で、1970年代後半にFM放送でその第1楽章だけ聴いたことがあるが、およそ聴くに堪えない音質だった。

 人の語った言葉をテープ起こしする事務機器として「ディクタフォン」が発売されたのは1923年だったという。以下、テープ起こし - Wikipedia から引用する。

 

1923年、エジソンの蝋管レコード技術を継承していたコロムビア・グラフォフォン(現コロムビア・レコード)から、事務機部門が「ディクタフォン社」(Dictaphone)として独立、蝋管をメディアとする事務用録音機「ディクタフォン」(en)を発売した。蝋管メディアには人の声で録音を行うことが容易というメリットがあり、これを活かしたものである。

 

ディクタフォンはタイプライターを用いる口述筆記事務を想定した録音機で、平均的水準のタイピングスキルしか持たない者でも再生を繰り返すことで録音の正確な文章化を容易としたため、1930年代まで欧米でのビジネス向け需要を席巻した。

 

弁護士ペリー・メイスン」シリーズなどで知られたアメリカの推理小説家ES・ガードナーは、長編小説1作を数日で執筆できるほど創作力のある多作家であったが、自身のタイピングでは着想した小説を思うように高速タイプできないため、タイピスト相手の口述筆記を試みた。だがこれでも速度に不満があり、1930年代には早くもディクタフォンに文章を口述、録音を秘書にタイプライターで清書させるという、現代的な口述筆記著述を常用するようになった。「テープ起こし」活用の先駆例であろう(彼はテープレコーダーが一般化すると、そちらを使うようになった)。

 

出典:テープ起こし - Wikipedia

 

 本書の真犯人はこの「ディクタフォン」をかばんに入れて持ち運んだ。その程度のサイズには小型化されていたわけだ。

 なお本作を「アンフェアだ」と酷評したヴァン・ダイン(本名はウィラード・ハンティントン・ライトというアメリカ人)にも同様の録音トリックを使った例があるらしいが、それは『アクロイド』よりもあとに発表された作品だ。

 今なら、録音機を使ったアリバイ工作など当たり前だが、1920年代にこのトリックを使ったことは、もしかしたら先例があるのかもしれないが結構先進的ではないか。クリスティの学生時代の専門は機械・電気・物理系ではなく薬学だったらしいが。

 1926年のディクタフォンの音質でこのトリックが有効だっただろうかとも思ったが、それは音質が改善された現在の視点であって、95年前には人の声が聞こえただけで十分だったに違いない。いや、オーケストラの楽器の音ではなく人の声であれば、現在でも有効なトリックかもしれない。

 なお、「ディクタフォン」と「アクロイド」を検索語としたネット検索をかけていたところ、下記ブログ記事をみつけて読んで、爆笑してしまった。

 

s-taka130922.hatenablog.com

 

 上記ブログ記事に紹介された本の著者によると、

事件を起きたときに短時間でポアロが指摘したようなトリック(ディクタフォンに時限装置を取り付けて指定の時間に起動させる)を実現させるのはかなり困難である

 とのこと。

 本の著者によると、真犯人は小説でポアロが名指しした人物ではなく、その○の○○○○○だという。

 ここまでくるとシャーロッキアンの世界に限りなく近づいている。世のシャーロッキアンたちが「ホームズとモリアーティ教授は同一人物だ」などとする仮説を構築しては楽しんでいることは中学生時代から知っていた。

 ただ、上記リンクのブログで紹介された本には、『アクロイド殺し』以外のクリスティ作品のネタバレも盛大に盛り込まれているそうだから読まない方が良さそうだ。なお書物の原著者は文学理論と精神分析の専門家とのこと。

 本作は「キングズ・アボット村」が舞台になっているが、直前に読んだミス・マープルものの長篇第1作『牧師館の殺人』で詳細に描かれた「セント・メアリ・ミード村」と酷似しており、『アクロイド殺し』の登場人物であるカロラインがミス・マープルの原型であることを作者のクリスティ自身が認めている。また、ポアロものの長篇第5作である『青列車の秘密』*5には、セント・メアリ・ミード村出身のミス・グレーという登場人物が出てくる。1920年代から1930年頃のクリスティは、イギリスの田舎の村での上流及び中流の人々を集中して描いていたようだ。『アクロイド殺し』第16章に描かれた麻雀の場面などまことに興味深かった。100年近く前のイギリスの村でこんな遊びをやっていたなんて。以下にこの場面に触れた「アマゾンカスタマーレビュー」を引用する。

 

青天井

★★★★☆ イギリスでも家庭麻雀?!

Reviewed in Japan on March 3, 2010

 

今から80年以上前の出版当時、イギリスで家庭に友人を招いてご婦人も一緒に麻雀が行われていたとは!! ポン、チーと鳴いてばかり、鳴き間違えもしょっちゅうで、安上がりを続けて勝っている人と大きな手を狙いながら上がりきれない人との言い合いなど、我らのヘボ麻雀と同じで笑えます。

また、オバサンの噂好きとそれに伴うあくなき好奇心や図々しさも、洋の東西を問わないなと感心。このオバサンが真犯人を察知するのかどうか、読後に残る興味です。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R360LMDBMLYFJT

 

 まあ噂好きだったり図々しかったりするのは何も「オバサン」に限らず「オジサン」も、それどころか若者も少年少女も皆同じだと私などは思ってしまうけれども。カロライン(キャロライン)が真犯人を察知するかは、「しない」に賭けておく方が精神衛生上好ましいだろう。なぜなら作中でカロラインは推理を間違えてばかりいたからだ。いくら作者自身が「祖型」であるとは認めていても、ミス・マープルとは才能が違いすぎる。

 なお、作中では「チー」と鳴くか「チャウ」と鳴くかが軽く議論され、結局「チャウ」と鳴くことになった。ネット検索をかけると、フィリピン式麻雀では「チャウ」と鳴くらしい。関西出身の私は「違う」を意味する「ちゃう」と紛らわしいと思った。

 

 以下は蛇足の蛇足だが、『牧師館の殺人』はポアロものの第1作『スタイルズ荘の怪事件』と同工異曲であって、ハヤカワ文庫版では2冊とも同じクリスティの孫であるマシュー・プリチャードが序文を寄せていて、『スタイルズ荘』はそれで犯人の見当がついた。『牧師館』ではクリスティの孫による犯人のほのめかしには遭わなかったけれども、同じような登場人物がいるからもしかしたらまた同じパターンかなあと思いながら読んでいたら、本当にその通りだったので面食らった。結局これまでに読んだクリスティ作品の7つの長篇のうち、最初から犯人を知っていたのが『アクロイド』と『オリエント急行』の2作、ポアロのほのめかしで犯人がわかったのが『ゴルフ場』と『青列車』の2作、クリスティの孫のほのめかしで犯人がわかったのが『スタイルズ荘』の1作だ。残り2作のうちの1作が前記の『牧師館の殺人』だが、残る1作であるマープルものの『ポケットにライ麦を』が唯一、犯人の見当が本当につかなかったものの、読み終えたあとに同じマープルものの短篇中に含まれるある作品と同じ構図であることを知った。今にして思うと、短篇集の創元推理文庫の解説文はそのことを示唆していたのだった*6。それにこの作品もそうだが、「いかにも怪しげな人物として登場するけれども本当は悪くなさそうな登場人物が、実は本当に極悪人だった」真犯人や、そのパシリにされる共犯者がクリスティ作品には頻出する。つまりクリスティ作品では、よく似たパターンが何度も使われることが多い。

 それら諸作の中にあって『アクロイド殺し』はやはり傑出した作品だと思う。普段は東野圭吾に対する批判*7など辛口のことばかり書いている弊ブログとしては例外的に、文句なくお薦めできるミステリーだ。

*1:たとえば「アマゾンカスタマーレビュー」の下記URLの書評など。https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2F28KLRGGGU6C

*2:いったんそれに気づいて読むと、その人物以外に犯人があり得ないことは相当に高い確度で確信できた。

*3:ハヤカワ文庫版では「キャロライン」と表記されているが、イギリス英語の発音では「カロライン」に近いはずだ。そういえばコナン・ドイルシャーロック・ホームズものの第1作に出てくるアイリーン・アドラーの「アイリーン」も、イギリス流の発音だと日本人の耳には、昔の延原謙訳での表記である「アイリーネ」に近いという話があり、そのことをブログ(『kojitakenの日記』)で取り上げた記憶がある。但し、現在も新潮文庫版に残る延原訳では「アイリーン」に改められている。

*4:ハンガリーの人なので、姓・名の順に表記した。

*5:同第4作である『ビッグ4』は実際には『アクロイド』よりも前に書かれており、推理小説でもないらしいから、『青列車の秘密』は『アクロイド』の次に書かれたポアロものの長篇に当たる。

*6:実は読んでいる最中にもそれには気づいていたが、途中で死んでしまったしなあ、と思って嫌疑から外してしまったのだった。但し、同作のハヤカワ文庫版『火曜クラブ』の解説文による他作品のネタバレは創元推理文庫版よりもはるかに悪質らしいので、前記のネタの示唆にもかかわらずハヤカワ文庫版の『火曜クラブ』よりも創元推理文庫版の『ミス・マープルと13の謎』の方をおすすめする。

*7:そういえば今回取り上げた『アクロイド殺し』ハヤカワ文庫版の解説文は、東野圭吾の『容疑者Xの献身』を痛烈に批判した笠井潔が書いている。