KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

モーツァルトの命日にレクィエムを聴きつつ、44年前の吉田秀和のラジオ番組を思い出す

 何気なくiTunesを開いていたら、2004年12月5日の22時台から23時台にかけてモーツァルトのレクィエム(死者のためのミサ曲)を、アーノンクールの1981年盤で聴いていたタイムスタンプが残っていた。手持ちのCDから読み込んだものだが、iTunesで聴いたのはこの時だけだった。

 これを見て、ああ、今日はモーツァルトの命日だったなと思い出し、16年ぶりに聴き始めた。2004年12月5日から2020年12月5日にタイムスタンプを上書きしながら書いている。

 こんなに長いこと聴かなかった理由の一つは、モーツァルトの絶筆であるこの作品は気軽に聴ける音楽ではないからだ。今回も、コンフターティスの後半から「記事を書きながら」聴くことができなくなり、書くのを中断した。現時点では、ジュスマイヤーの手になるベネディクトゥスだから気兼ねなく記事が書ける(笑)。

 なお、アーノンクールの1981年盤は「バイヤー版」による。最初のイントロイトゥスのテンポがやたら速いのには驚かされるが、全体的には、ピリオド楽器による演奏が普通になった現在では、特に奇矯なスタイルとも思われない。私の現在の感覚は「今さらベームなんか聴けるか」といったところだ。

 ところで2004年12月5日は何曜日だったのかと思ってネット検索をかけたら日曜日だった*1。その日の22時台から23時台ということで、あることを思い出した。

 それは1976年12月5日、日曜日の夜だった。私は前年夏からNHK-FMで毎週日曜日夜にやっていた「吉田秀和 名曲のたのしみ モーツァルト その音楽と生涯」を聴いていた。聴き始めた1975年の夏にト長調(K.301)とホ短調(K.304)のヴァイオリンソナタがかかり、特に後者に強い印象を受けたことが番組を毎週聴くようになったきっかけだった。何年もかけてモーツァルトの全作品を吉田秀和(1913-2012)の解説で聴く番組だったが、1976年にはまだケッヘル300番台の途中だった。しかし、この年の12月5日がたまたま日曜日だったので、特別にレクィエムがかかったのだった。私がモーツァルトの命日を覚えたのは、まさにモーツァルトの命日である1976年12月5日のことだった。

 2004年12月には、モーツァルトの命日とともに、かつて聴いていた吉田秀和の番組をも思い出していたに違いない。2004年にもまだ吉田秀和の番組は続いていたが、もはや聴かなくなっていた。

 吉田秀和の番組を最後に聴いたのは、2005年7月、「サンライズ瀬戸」の車中でのことだった*2。寝台車の個室のラジオをつけたら不意に吉田秀和の声が聞こえてきたので、十数年ぶりに聴き入ってしまった。その夜は土曜日だったが、番組の放送時間帯はしばしば変わったのだった。番組は1971年に始まったが、私が聴くようになった1975年夏には日曜日23時台だった。それがしばらく聴かなくなっていた時期を経て再びしばしば聴くようになった1986年には、日曜日朝9時台になっていた。1975年当時のモーツァルトのシリーズは1980年にいったん終わったが、その直後にまたケッヘル1番から再開されたと記憶する。1981年の後半にK.202の交響曲第30番を聴いた記憶があるが、その頃にはもう毎週は聴かなかった。そして、1986年にミニコンポを買った頃にまたたまに聴くようになっていた。当時印象に残ったのはハ短調ミサK.427で、かかったのは確かカラヤン盤だったと記憶するが*3、最初のキリエを聴いて、えっ、こんなにいい曲だったのかと驚いた。同じ番組では70年代に複数回(2回か3回)に分けて聴いたことがあったのだが、その時には曲の良さが理解できなかった*4。この曲はキリエも良いが、「エト・インカルナートゥス・エスト」がことのほか素晴らしい。この部分と、キリエの中間部「クリステ・エレイソン」はともに妻のコンスタンツェが歌ったとされるが、以前にもこのブログで取り上げた記憶がある「コンスタンツェ悪妻説」は、この曲を知る私には妥当とは思われない。吉田秀和は、1975年にK.304の、1986年にはK.427のそれぞれの魅力を、それにモーツァルトの命日を私に教えてくれたのだった。

 長々と書いているうちにアーノンクール指揮によるモーツァルトのレクィエム(バイヤー版)はとっくに終わったが、思わず昔の思い出に浸ってしまったモーツァルト没後229年の命日。モーツァルトの命日を知ってからまる44年が経った。

*1:もっとも、私はある理由によって同年9月5日が日曜日だったことを覚えていたので、そこから小の月が1回だけの3か月後(つまり91日後)の12月5日が日曜日だったに違いないことは見当がついていた。ネット検索はそれが正しいことを補強するものに過ぎなかった。

*2:月曜日に福島県への出張があったのだが、前日の日曜日に那須連山に登るために夜行列車を利用したのだった。マリンライナーで高松から岡山に出て、岡山からサンライズ瀬戸に乗った。

*3:この曲は長いので、全曲はかからなかったはずだ。

*4:但し、その後1988年に買ったCDはカラヤン盤ではなくガーディナー盤だった。私は当時からピリオド楽器による演奏を好んでいたのだった。このCDは大いに気に入った。