KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

「ハルキスト」たちが「ピアノソナタ第17番 ニ長調 D850」でシューベルトに挫折してしまわないために

 前回に続き、村上春樹の『海辺のカフカ』(2002)で言及されて注目されたクラシック曲を取り上げる。今回はシューベルトニ長調ピアノソナタで、Dで表される「ドイチュ番号」では850番に当たる。

 初めに、この曲を含むシューベルトピアノソナタ村上春樹のエッセイ及び小説との絡みについては、ネット検索で下記のブログ記事を見つけたことを報告しておく。

 

hypertree.blog.ss-blog.jp

 

 これは凄い記事だ。『海辺のカフカ』からの引用部分は記事の終わりの方に記載されているが、そこに至るまでの文章が既に圧倒的だ。そこで、上記ブログ記事をベースに、私の個人的な思い出などを差し挟んで文章を書くことにする。

 上記引用のブログ記事は、2005年に刊行された村上の音楽エッセイ集『意味がなければスイングはない』(未読)に収録された村上によるニ長調ソナタ論(2004年執筆)から論を起こす。以下、村上の文章を上記ブログから孫引きする。

 

意味がなければスイングはない」に収められたシューベルト論は、

    シューベルトピアノソナタ 第17番 二長調」D850
ソフトな混沌の今日性


と題されたものです。村上さんは ピアノソナタ 第17番 二長調の話に入る前にまず、シューベルトピアノソナタ全体の話から始めます。


いったいフランツ・シューベルトはどのような目的を胸に秘めて、かなり長大な、ものによってはいくぶん意味の汲み取りにくい、そしてあまり努力が報われそうにない一群のピアノ・ソナタを書いたのだろう? どうしてそんな面倒なものを作曲することに、短い人生の貴重な時間を費やさなくてはならなかったのか? 僕はシューベルトソナタのレコードをターンテーブルに載せながら、ときどき考え込んだものだった。そんな厄介なものを書く代わりに、もっとあっさりとした、口当たりのよいピアノ・ソナタを書いていたら、シューベルトは ─── 当時でも今でも ─── 世間により広く受け入れられたのではないか。事実、彼の書いた「楽興の時」や「即興曲」といったピアノ小品集は、長い歳月にわたって人々に愛好されてきたではないか。それに比べると、彼の残したピアノ・ソナタの大半は、雨天用運動靴並みの冷ややかな扱いしか受けてこなかった。


この出だしの "問題提起" に引き込まれます。少々意外な角度からの指摘ですが、言われてみれば全くその通りです。それはモーツァルトベートーヴェンと比較するとわかります。村上さんによると、モーツァルトがピアノ・ソナタを書いたのは生活費を稼ぐためであり、だから口当たりのいい(しかし同時に実に美しく、深い内容をもった)曲を、注文に応じてスラスラと書いた。ベートーヴェンの場合は、もちろんお金を稼ぐためでもあったが、同時に彼には近代芸術家としての野心があり、ウィーンのブルジョアに対する「階級闘争的な挑発性」を秘めていた、となります。


しかしシューベルトソナタはそれとは異質で、いわば謎めいています。村上さんはその理由がわからなかった、しかしあるときその謎が解けたと続けています。


しかしシューベルトのピアノ・ソナタときたら、他人に聴かせても長すぎて退屈されるだけだし、家庭内で気楽に演奏するには音楽的に難しすぎるし、したがって楽譜として売れるとも思えないし(事実売れなかったし)、人々の精神を挑発喚起するような積極性にも欠ける。社会性なんてものはほとんど皆無である。じゃあシューベルトは、いったいどのような場所を、どのような音楽的所在地を頭に設定して、数多くのピアノ・ソナタを書いたのか? そのあたりが、僕としては長いあいだうまく理解できなかったのだ。

でもあるときシューベルトの伝記を読んでみて、ようやく謎が解けた。実に簡単な話で、シューベルトはピアノ・ソナタを書くとき、頭の中にどのような場所も設定していなかったのだ。彼はただ単純に「そういうものが書きたかったから」書いたのだ。お金のためでもないし、名誉のためでもない。頭に浮かんでくる楽想を、彼はただそのまま楽譜に写していっただけのことなのだ。もし自分の書いた音楽にみんなが退屈したとしても、とくにその価値を認めてもらえなかったとしても、その結果生活に困窮したとしても、それはシューベルトにとって二義的な問題に過ぎなかった。彼は心に溜まってくるものを、ただ自然に、個人的な柄杓ひしゃくで汲み出していただけなのだ。

そして音楽を書きたいように書きまくって31歳で彼は消え入るように死んでしまった。決して金持ちにはなれなかったし、ベートーヴェンのように世間的な尊敬も受けなかったけれど、歌曲はある程度売れていたし、彼を尊敬する少数の仲間はまわりにいたから、その日の食べ物に不足したというほどでもない。夭折ようせつしたせいで、才能が枯れ楽想が尽きて、「困ったな、どうしよう」と呻吟しんぎんするような目にもあわずにすんだ。メロディーや和音は、アルプス山系の小川の雪解け水のように、さらさらと彼の頭に浮かんできた。ある観点から見れば、それは悪くない人生であったかもしれない。ただ好きなことを好きなようにやって、「ああ忙しい。これも書かなくちゃ。あれも書かなくちゃ」と思いつつ、熱に浮かされたみたいに生きて、よくわけのわからないうちに生涯を終えちゃったわけだから。もちろんきついこともあっただろうが、何かを生みだす喜びというのは、それ自体がひとつの報いなのである。

いずれにせよ、フランツ・シューベルトの22曲のピアノ・ソナタが、こうして我々の前にある。生前に発表されたのはそのうちのたった3曲で、残りはすべて死後に発表された。

「同上」


生前に発表されたのはピアノ・ソナタは22曲のうちのたった3曲、というところが「書きたかったから書いた」という説明を裏付けています。

 

出典:https://hypertree.blog.ss-blog.jp/2018-07-06

 

 こういう文章を読むと、世の「ハルキスト」たちには誠に申し訳ないが、村上春樹とは文学よりも音楽の才能の方が突出しているのではないかと思えてしまう。

 私がシューベルトソナタに初めて接したのは中学生の頃で、妹が習っていたピアノの教材であるソナチネアルバムに、D664の「小さなイ長調ソナタの第2楽章が収録されていたのを引いてみた時だ(私はまともにピアノを習っていないので、つっかえつっかえでたらめに音を出してみただけだった)。その後クラシック音楽を聴くようになってNHK-FMで最初に聴いたシューベルトソナタは、3曲あるイ短調ソナタのうちのD784だった。それまでにいくつか知っていたモーツァルトベートーヴェンのいくつかのソナタとは全く異質の、暗く重い音楽だった。この曲を聴いたのはたぶん1975年だったが、その頃には没後150年の1978年を3年後に控えて、それまで不当に低く見られていたシューベルトピアノソナタが正当に評価されるようになってきていた。

 それ以前の1960年代には、シューベルトピアノソナタに対する評価はまだまだ低かった。村上春樹が「彼の残したピアノ・ソナタの大半は、雨天用運動靴並みの冷ややかな扱いしか受けてこなかった。」と書いた通りだ。現に、前回も引用した吉田秀和の『LP300選』(初出は『わたしの音楽室』1961)には、シューベルトの『楽興の時』と『即興曲』は選ばれているが、ピアノソナタは選から漏れている。70年代以降の吉田秀和なら、D960の最後のピアノソナタ変ロ長調)は必ず選に入れていただろう。

 私が早くからなじんでいたD664やD784のソナタは、シューベルトソナタの中では例外的に早くから弾かれていた曲だったようだ。D784に対するピアニストの嗜好について皮肉っぽく書かれた下記ブログ記事を見つけたので、以下に引用する。

 

shubert.exblog.jp

 

この作品、25分程度で短く、
あまり、シューベルトが好きではないピアニストなども、
プログラムに変化をつけるためだけのように、
利用することがよくあり、
そうした人々が手垢にまみれさせた感じがなくもない。

 

1987年の「レコード総目録」では、
ソナタ16番」のレコードを出していたのが、
クラウス、ツェヒリン、
ハスキル、フィルクスニー、
ポリーニ、ルプーといった、
渋めの布陣に対し、
「14番」は、
ツェヒリン、中村紘子
フィルクスニー、宮沢明子、
リヒテル、ワッツといった、
花のある陣容となっている。

 

この名前を見ると、
ショパンやリストの前座に、
このソナタを利用しそうな雰囲気がある。

 

この手のリサイタルでは、
シューベルトソナタなど、
聴いたことがない人たちが多数参集して、
休憩時間以外は、
寝ているイメージがある。。

 

出典:https://shubert.exblog.jp/13377828/

 

 引用文中、「第16番」とあるのはD845のイ短調ソナタで、今回記事のタイトルにしたニ長調ソナタ(D850)及びト長調(D894)とともに、シューベルトの生前に出版された3曲のソナタの1つ。シューベルトの自信作なのだが、それよりも同じイ短調の「第14番」D784の方が、ピアニストたちにとって「ショパンやリストの前座」として人気があったとのことだ。

 これは、スヴャトスラフ・リヒテル中村紘子(や宮沢明子*1)を一緒くたにするというかなり乱暴な論であって、それには強く抗議したい。リヒテルが1979年に来日した時、D664とD784のソナタを演奏し、私はそれを民放FM(当時はFM大阪で聴いたが、FM東京をキー局とした大都市圏4局だかのネットで放送された)の録音で聴いて感激していた。そして、この時のプログラムはシューベルトが中心であって、決して「ショパンやリストの前座」などではなかったことについては、ネット検索で得たエビデンスを提示することができるのである。

 ただ、これが中村紘子あたりになると「ショパンやリストの前座に利用しそうな雰囲気」は確かにある。そのように軽く見られがちな音楽であったとはいえるかもしれない。

 しかし、このD784についてはある思い出がある。2001年か2002年頃、明るいD664とめちゃくちゃに暗いD784(少しあとに書かれた同じイ短調のD845と比べてもその重苦しい暗さは際立っている)はあまりにも対照的だと書いたら、D784を書く直前に、シューベルトはある宣告を受けたのだと指摘されたのだ。

 その指摘とは、当時「不治の病」とされていた梅毒感染の宣告。1823年の初め頃のことだった。D784の完成は1823年2月。当時、その指摘を受けてなるほどと思った。これは25歳の若さにして死と向き合わされた人が書いた音楽だったのだ。

 昔から、このソナタを境にして、以後のシューベルトの曲にはある種の重苦しさが出てきたと思っていた。D810の「死と乙女」の弦楽四重奏曲はその極端な例だが、そこまでは行かずとも、D804の「ロザムンデ」四重奏曲にだって暗さや重苦しさは感じられる。それまでの小市民的な「ビーダーマイヤー様式」*2に、自分自身の精神の暗闇を覗き込もうとするかのような要素が加わってきた。そしてそのことが、シューベルト音楽史上に残る大作曲家にしたのだと私は思っている。

 とはいえ、シューベルトが罹患した梅毒には症状に波があり、1823年末には快方に向かうかと思われた時期もあったようだ。だが翌年には再び病状がひどく悪化した時期があった。それを反映しているのかどうか、シューベルトは1823年以降も、何も暗さ一辺倒の音楽ばかり書いていたわけではない。前述のように、D784と同じイ短調のD845はD784ほどには暗くないし、このエントリのメインディッシュであるニ長調ソナタD850は、基本的には力強い長調の音楽だ。

 だが、そこにはモーツァルトベートーヴェン長調の音楽とは違う「とっつきにくさ」があるのも事実なのだ。ことに、シューベルトピアノソナタではニ長調D850が突出して取っつきにくい。村上春樹の『海辺のカフカ』を読んだ「ハルキスト」たちが、普段シューベルトを聴いたこともないのに、いきなりD850を聴いて、その難解さに尻尾を巻いたのも当然なのだ。私自身も、D664*3あるいはD784以降の9曲のソナタのうち、7曲までは節(メロディー)がだいたい頭に入っているが、未完成のD840(「レリーク」と呼ばれ、全4楽章のうち最初の2楽章しか完成されていない)はごく一部の記憶しかなく、ほとんど、いや全く覚えていなかった唯一の曲がD850だった。これには、初めて聴いた時にすでにかなり年齢が行っていたせいもあるが*4、それよりも何よりも音楽自体の取っつきが悪すぎるのだ。

 ところが、そのニ長調ソナタD850が、村上春樹の一番のお気に入りだという。以下、最初にリンクしたブログ記事から、再び村上のエッセイを孫引きする。

 


ピアノソナタ 第17番 ニ長調 D850



村上春樹さんによるシューベルトの「ピアノソナタ 第17番 ニ長調」の評論です。シューベルトピアノソナタで最も愛好しているのがこの曲、というところから始まります。


シューベルトの数あるピアノ・ソナタの中で、僕が長いあいだ個人的にもっとも愛好している作品は、第17番 ニ長調 D850 である。自慢するのではないが、このソナタはとりわけ長く、けっこう退屈で、形式的にもまとまりがなく、技術的な聴かせどころもほとんど見あたらない。いくつかの構造的欠陥さえ見受けられる。早い話、ピアニストにとっては一種の嫌がらせみたいな代物になっているわけで、長いあいだ、この曲をレパートリーに入れる演奏家はほとんどいないという状況が続いた。したがって、世間で「これぞ名演・決定版」ともてはやされる演奏も輩出しなかった。クラシック音楽に詳しい何人かの知り合いに、この曲についての意見を求めると、多くの人はしばし黙り込み、眉をしかめる。「なんでわざわざ二長調なんですか? イ短調イ長調変ロ長調、ほかにいくらでも名曲があるのに、どうしてまた ?」

たしかに、シューベルトにはもっと優れたピアノ・ソナタがほかにいくつもある。それはまあ客観的な事実である。

「同上」


ちなみに、二長調ソナタは第17番 D850しかありません。上の引用の中の "イ短調" とは第16番 D845、"イ長調" とは第20番 D959(=イ長調ソナタ。第13番 D664 はイ長調ソナタ)でしょう。"変ロ長調" とは最後の第21番 D960 です。そして次なのですが、村上さんは吉田秀和氏(1913 - 2012)の文章を引用しています。


このあいだ吉田秀和氏の著書を読んでいて、たまたまニ長調ソナタについての興味深い言及を見かけた。内田光子のこの曲の録音に対する評論として書かれたものである。ちょっと引用してみる。

    この2曲では、私はイ短調ソナタは身近に感じる音楽として昔から好んできいてきたが、ニ長調の方はどうも苦手だった。第1楽章からして、威勢よく始まりはするものの、何かごたごたしていてつかみにくい。おもしろい楽想はいろいろあるのだが、いろいろと往ったり来たりして、結局どこに行きたいのか、と問いただしたくなる。もう一方のイ短調ソナタに比べて言うのは不適当かもしれないが、しかし、このソナタが見事にひきしまっていて、シューベルトもこんなに簡潔に書けるのにどうしてニ長調はこんなに長いのかと、歯がゆくなる。シューベルトの病気の一つといったらいけないかもしれないが、ニ長調ソナタは冗漫に長すぎる」(『今日の一枚』新潮社 2001)

僕が吉田秀和氏に対してこんなことを言うのはいささかおそれ多いのだけど、「ほんとにそうですよね、そのお気持ちはよくわかります」と思わずうなずいてしまうことになる。でもこの文章には続きがある。

    こんなわけで、私はこのソナタは敬遠してこちらからわざわざきく機会を求めるようなことはしないで来た。今度CDが出て、改めてきき直した時も、イ短調の方から始め、きき終わるとそのままニ長調はきかずに止めていた。

だが、今思い切って、きいてみて、はじめて気がついた。これは恐ろしいほど、心の中からほとばし出る『精神的な力』がそのまま音楽になったような曲なのである(後略)」
「同上」


このあたりを読んで一目瞭然なのは、村上さんが吉田秀和氏を尊敬しているということです。自分が最も惹きつけられる音楽であるシューベルトピアノソナタ、中でも一番愛好している「17番 ニ長調」を説明するときに吉田秀和氏の文章を引用するのだから ・・・・・・。村上さんほどの音楽愛好家でかつ小説家なのだから、いくらでも自分の言葉として書けるはずですが(事実、書いてきたのだけれど)、ここであえて吉田氏を引用したと思われます。そして、次のところがこのエッセイの根幹部分です。


これを読んで、僕としてはさらに深く頷いてしまうことになる。心の中からほとばしり出る「精神的な力」がそのまま音楽になったような曲 ─── まさにそのとおりだ。このニ長調ソナタはたしかに、一般的な意味合いでの名曲ではない。構築は甘いし、全体の意味が見えにくいし、とりとめなく長すぎる。しかしそこには、そのような瑕疵かしを補ってあまりある、奥深い精神の率直なほとばしりがある。そのほとばしりが、作者にもうまく統御できないまま、パイプの漏水のようにあちこちで勝手に漏水し、ソナタというシステムの統合性を崩してしまっているわけだ。しかし逆説的に言えば、二長調ソナタはまさにそのような身も世もない崩れ方●●●によって、世界の「裏を叩きまくる」ような、独自の普遍性を獲得しているような気がする。結局のところ、この作品には、僕がシューベルトのピアノ・ソナタに惹きつけられる理由が、もっとも純粋なかたちで凝縮されている ─── あるいはより正確に表現するなら拡散している●●●●●●ということになるのだろうか ─── ような気がするのだ。

「同上」


味を言葉で表現するのが難しいように、音楽を聴いて受ける感覚を文章で説明したり、また、音楽を言葉で評価するのも非常に難しいものです。得てしてありきたりの表現の羅列になることが多い。しかし上の引用のところは、"パイプの漏水" や "世界の裏を叩きまくる" といった独自の表現を駆使してニ長調ソナタの本質に迫ろうとしています。それが的を射ているかどうか以前に、音楽を表現する文章が生きていることに感心します。

 

出典:https://hypertree.blog.ss-blog.jp/2018-07-06

 

 私がニ長調ソナタに対して持つ印象も、吉田秀和内田光子の演奏を聴く前の)に近い。おそらくピアニストたちも同じではないかと思う。たとえばルーマニア出身のラドゥ・ルプーというピアニストがいて、この人は70年代半ば頃にレコード会社によって「千人に一人のリリシスト」というキャッチフレーズで売り出された。1976年の春だったと記憶するが、当時の新譜だったルプーの演奏によるシューベルトト長調ソナタ D894の馬鹿長い第1楽章をFMで聴いて感激したものだった(全曲聴いたのだが、とりわけ第1楽章の世界に耽溺していた)。同じ「天国的な長さ」(後述)でも、D894の方がD850よりよほど親しみやすい。このD894は、シューベルトソナタの中でも、D664やD784などとともに早くから弾かれてきた曲だったことはのちに知った。しかし、この曲を弾いたルプーも、ニ長調D850のソナタは74歳の今に至るも録音していないのだ。

 上記ブログ記事の著者によると、村上春樹シューベルトニ長調ソナタと出会い、聴いて一番のお気に入りになったのは1979年頃だろうとのことだ。同じ年までに私は、D840とD845を除く、D664(またはD784)以降のピアノソナタ7曲を全部聴き終えていた。前年の1978年に、NHK-FMが何度も「シューベルト没後150年特集」をやってくれたおかげだった。ただ、のちにたいへんな名曲であることを知った、最後の変ロ長調ソナタD960のすごさは、まだ当時は理解することができなかった。あれは、この世とあの世のあわいの世界を見た人が、短い人生の最後に書き残した、唯一無二の音楽だ。特に第1楽章と第2楽章がすごい。第1楽章ではソナタ形式の展開部の終わりの部分、それに第2楽章では主部が再帰して転調を重ねる部分、特にこの楽章の終結直前の部分には筆舌に尽くしがたいものがある。

 ニ長調ソナタは、いくら「天国的な長さ」とはいっても、D960のようなこの世とあの世との境界の音楽とは全然違う。

 今回、この記事を書くに当たって、手元にあるD850の演奏を、2週間前と昨日の二度聴いてみた。私が持っているのは、レイフ・オヴェ・アンスネスが2002年に入れた録音で、偶然ながら村上春樹が推薦している演奏の一つだ。10年ほど前、2枚組に最後の三大ソナタ(D958, 959, 960)とD845が収録されていたので、聴いたことのなかったD845が聴けるなと思って買ったのだった。しかしD845は全く理解できず、数回聴いただけで投げ出していた。だから前述のように節も全然頭に入っていなかったわけだ。

 ソナタ形式で書かれた音楽には聴き方があって、まず第1楽章冒頭の「第1主題」をよく頭に入れることと、経過区を経て第1主題とは対照的な性格を持つことが多い「第2主題」を把握することだ。ところがこのD850は、吉田秀和が書く通り「威勢よく始まる」もののなんだかわからない経過区を経て、印象の薄い第2主題が出てきたと思ったら、その印象を打ち消すような、第2主題の二度下の調の三和音が強奏されるなど、本当に「とりとめがない」のだ。アンスネスの演奏では第1楽章は提示部の繰り返しがあって8分39秒*5だからそんなに長くない。長いのは第2楽章で、アンスネス盤では12分29秒。村上春樹はこの曲をシューマンが「天国的な長さ」と評したと『海辺のカフカ』に書いているが、実際にこの形容をシューマンが使ったのは、同じシューベルトの音楽ではあるがハ長調交響曲(D944)に対してだった。とはいえ、現在では死の年ではなく1825年にガスタインで書かれたとされる説が有力なハ長調交響曲と、今回取り上げているD850のピアノソナタとは、どうやら作曲時期が同じらしいのだ。つまりニ長調ソナタD850も、シューベルトの外遊先のガスタインで書かれている。そして両曲の第2楽章は、交響曲の方がイ短調ソナタの方がイ長調という違いはあるけれども、性格がかなり似ているように私には思われる。形式も両曲ともA-B-A'-B'-A"であって同じだ。さらに、『最新・名曲解説全集 第15巻・独奏曲II』(音楽之友社 1981)に掲載されている平野昭氏の解説文には下記のように書かれている。

 

(前略)8月に上部オーストリアで書かれたこの作品は、失われた交響曲として有名な「ガシュタイン」D849(この曲がD944の大ハ長調交響曲と同一ではないかとの説が最近は有力になっているようだ=引用者註)の完成直後に作曲されたものである。数ヵ月のうちにソナタやシンフォニーの大曲を仕上げた自信が、この曲で〈過剰への道〉へ迷い込ませることになる。「第二楽章の田園的コン・モートの中に〈天国的な長さ〉をみることができる。ここでは音楽が非現世的な高みの中に浮んでは消えてゆく。そうかと思うと、第三楽章でシューベルトは、民俗色の濃いスケルツォの中で、しっかりと大地に立っている」とゲオルギーは言っている(Georgie: Klaviermusik 1976 Atlantis)。いずれにせよ四十分近い大曲である。

 

(『最新・名曲解説全集 第15巻・独奏曲II』(音楽之友社 1981)92頁)

 

 今回、ニ長調ソナタD850を二度聴き直してみて、言い得て妙だと思った。もっとも第4楽章について平野氏は「全三楽章の充実にもかかわらず、安直な終楽章を書いてしまっている」(前述書93頁)と批判してもいる。また、最近河出文庫でリニューアルされた吉田秀和の『決定版 マーラー』(2019)に引用されていることを買う前の立ち読みで知って、無謀にも買ってしまった『シェーンベルク音楽論選』(上田昭訳, ちくま学芸文庫 2019, 邦訳初出は『音楽の様式と思考』三一書房 1973)の271頁に、ニ長調ソナタの第3楽章の譜例が載っていて、シェーンベルクは同一音型の単純な繰り返しを、「庶民感情に合致させている」、つまりシューベルトが大衆に迎合しているとして批判している。一方で私を含む一般人には取っつきにくく難解と思われるソナタを指して、十二音音楽の考案者はこのような批判をするのだから、真実は一つではない。なお脱線するが、この本でシェーンベルクが、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』でマンがシェーンベルクをモデルにするに際してマンにシェーンベルク像を吹き込んだアドルノに対してブチ切れている箇所があり、そのあたりの事情を岡田暁生氏が巻末の解説文で教えてくれているのだが、岡田氏は「この小説で十二音技法が難解で秘教的な「マニュアル」として描かれたことに、彼(シェーンベルク=引用者註)は我慢ならなかったのである。」(前掲書339頁)と書いている。私個人としては、シューベルトに対するのと同様の批判をシューマンの「アラベスク 作品18」に対して投げつけたシェーンベルクの批評に同意することはできない。

 いずれにせよ、今回村上春樹の小説を読み、さらにシューベルトニ長調ソナタD850を二度聴き直して、これまで全く理解できず取っつくきっかけもつかめなかったこの曲を理解するきっかけを、特に第2楽章、次いで(シェーンベルクに批判された)第3楽章を中心に、多少なりとも得られたと思われたのは収穫だった。一方、第1楽章はなお難解だ。吉田秀和村上春樹がいう「心の中からほとばしり出る『精神的な力』」が全曲の中でももっとも強く表れているのはおそらく第1楽章なのだろうとは思うが、率直に言って、私はそれを感得できるところにまでは至っていない。

 やはりこの曲は「はじめてのシューベルト」として聴く人にはやはりあまりにも難解だろう。ピアノソナタであるなら、現在「第13番」と呼ばれることの多いイ長調D664や、ジャンルは違うが同じイ長調で曲想にも共通点がある「ます」のピアノ五重奏曲(D667)、それに前回の記事でも推薦したピアノ三重奏曲(ピアノトリオ)第1番変ロ長調(D898)、さらには未完成交響曲や三大歌曲集などから入るほうをおすすめする。「村上春樹一推しの第17番ニ長調D850」をどうしても聴きたい場合であっても、「ます」の五重奏曲などの有名曲を併せて聴いた方が良い。村上春樹は「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ」と『海辺のカフカ』の作中人物の「大島さん」に言わせてはいるけれども、その訓練をD850のピアノソナタ第17番でやるのは、どう考えても無謀だ。

 こうわざわざ書くのは、前記アンスネス盤のアマゾンのサイトについた唯一のカスタマーレビューがさる「ハルキスト」によって書かれているからだ。以下引用する。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RD2FHDJTB6BOD

 

2011年1月20日

 
私はいわゆる「ハルキスト」を自認しておりまして、村上春樹さんの著作は、小説からエッセーに到るまでほとんど読んでいます。そんな村上さんの作品の中に、「意味がなければスイングはない」という評論集がありますが、これは、村上さんの音楽に対する強い想いや拘りが込められた、すばらしい音楽評論集だと思います。作家になる前はジャズ喫茶を経営していた人ですから、ジャズに対する造詣の深さは半端ではないわけですが、ここにはジャズに限らず、クラシックからJ-POPまで、いろいろなジャンルの音楽が取り上げられています。そのうちの一つが、このCDに収められている「シューベルトピアノソナタ第17番」です。村上さんは、この曲が収められているCDやアナログレコードを、演奏家別に15種類も自宅に持っているというのですから、驚きます。そして、それぞれの作品の評価が書かれていて、本CDはその中で最もお薦めのものになります。私はシューベルトピアノソナタを一つとして聞いたこともなく、演奏しているアンスネスというピアニストも知らなかったのですが、実際に購入して聞いてみて、確かにすばらしいと思いました。このCDのお陰で、シューベルトピアノソナタも好きになりましたし、アンスネスというピアニストも大変気に入りました。シューベルトピアノソナタはどれも大変長いのですが、第17番のみならず、全て力作で聞き応えがあります。

 

 村上春樹がエッセイや小説に取り上げたシューベルトソナタが気に入って良かったですね、とは思うが、初めて聴いたシューベルトソナタが「第17番ニ長調D850」で、かつこの曲を気に入った、というのは、それこそよほどシューベルトと相性が良いなどの要因によるよほどレアなケースだろう。

 この曲を繰り返し聞く訓練をやった結果、「シューベルトは私にはわからない」と挫折してしまうのでは、あまりにももったいない。

*1:宮沢明子(めいこ)は1960年代後半には既に故宇野功芳(1930-2016)に気に入られていたピアニストだったが、ネット検索をかけたら今年(2019年)4月にベルギーのアントワープで死去されていた。享年78。

*2:これは何もシューベルトが小市民的な人間だったことを意味しない。前回も書いたが、当時のオーストリアメッテルニヒが差配する「反動の時代」であり、シューベルトたちには重苦しい時代の束縛があったのだ。シューベルトの25歳以降の音楽に感じられるある種の重苦しさは、不治の病の苦しみに加えて、当時の西欧社会の閉塞感が反映されたのではないかと推測される。

*3:D664の作曲年は1819年という説が有力だが、自筆譜が失われているため、1825年の作曲ではないかとの異説がある。

*4:少年時代には、一度聴いた音楽は脳に深く刻み込まれたものが、成人してからその能力は急速に衰えた。

*5:時間はCDから移したiTunesに表示されているものだから、CDに記載されているものとは異なるかもしれない。