KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

吉田秀和の「晩年のマーラー」評に感銘を受けた

 前回も書いた通り、今年は2012年に98歳で亡くなった音楽評論家の吉田秀和を再発見した年だった。

 吉田秀和の名前を知ったのは1975年で、NHK-FMで日曜夜の深夜だったか、「名曲のたのしみ」という題の番組で、月の4週のうち3週は「モーツァルト その生涯と音楽」と題して、モーツァルトの全作品を流していたのだった。私がこの番組を聞くようになった1975年の秋頃には、ケッヘル番号(以下「K.」)301〜306番のヴァイオリンとピアノのためのソナタをやっていた。この分野でのモーツァルトの作品は、一般にはベートーヴェンの同種のソナタ、特に「クロイツェル・ソナタ」などと比べて軽く見られることが多いが、吉田は「クロイツェル・ソナタ」はあまり買わず、モーツァルトの作品群をこの分野での最高峰とみていたようだ。特にホ短調K.304が強く印象に残った。その少し前に、吉田の番組とは違うNHK-FMの番組で聞いた変ロ長調K.378(冒頭の旋律が忘れられない)などとともに、この分野のモーツァルトの作品群に強く引き込まれるきっかけになった。その後90年代に買った、東京生まれのヒロ・クロサキのヴァイオリンとリンダ・ニコルソンの古楽器による演奏が今では一番のお気に入りで、モーツァルト最後のヴァイオリンソナタであるイ長調K.526の良さが初めてわかったのはこの演奏による。現代楽器による演奏だとピアノがうるさすぎてやや鬱陶しかったのだが、クロサキとニコルソンの演奏で聴くと、ピアノとヴァイオリンのバランスがよくとれた音楽であることがわかるとともに、モーツァルトのヴァイオリンソナタの最高傑作がこの曲であることを初めて感得した。それと同時に、吉田秀和が「クロイツェル・ソナタはピアノが重すぎる」と書いていたことを思い出し、あるいはベートーヴェンのヴァイオリンソナタも19世紀の楽器で弾かれるべき音楽なのかも知れないと思った。

 だが、吉田秀和の音楽以外とのかかわりにはずっと関心が薄かった。ところがここ数年、小説の類をずいぶん読むようになって*1、文学者の文章に吉田秀和の名前が出てくるのを目にするようになった。前回書いた大岡昇平村上春樹などである。ネット検索をかけると、これも最近よく名前に接する丸谷才一*2が述べた吉田秀和への追悼の辞を引用したブログ記事を発見した。

 

kirakuossa.exblog.jp

 

 以下引用する。

 

丸谷才一は、「私の趣味は吉田秀和の本を読むことでした。私は古典派、とりわけハイドンモーツァルト室内楽を聴くのが好きで、それこそ趣味の最たるものですから、そのごく自然な延長として、吉田秀和の音楽評論を読んでおもしろがっていた。それに吉田さんの音楽評論自体が立派なもので、文句のつけようがなかった。それは、しあわせな音楽的環境に生まれ育って音楽好きになった人が、豊かでバランスの取れた知性と教養を身につけ、音楽への高度な愛情を比類のないほど巧みな文章で表現したものでした。文芸評論家も含めての近代日本の批評家全体のなかで、中身のある、程度の高いことを、吉田さん以上に上質で品のいい、そしてわかりやすい文章で表現できた人は、他に誰かいるでしょうか」といった意味のことを吉田氏への「追悼の辞」とした。

 

ずばりと言い当てた、まことによくできた文章だと思う。

 

出典:https://kirakuossa.exblog.jp/22847369/

 

  吉田秀和のあとを追うように、丸谷才一も2012年10月13日に亡くなった(吉田の命日は5月22日)。二人とも、「崩壊の時代」に入る直前*3に世を去ったわけだ。

  今年に入って河出文庫から吉田秀和のシリーズが相次いで出たので、私があまり関心のない指揮者*4、その中でも『決定版 マーラー』に収録された「マーラー」が特に印象に残った。これを今回取り上げる。

 

www.kawade.co.jp

 

 作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)の音楽が広く聴かれるようになったのは1960年代だろう。ちょうど、シューベルトピアノソナタの真価が理解されるようになったのと同じ頃だ。1970年代になると、確か1976年に、NHK-FMクラシック音楽のリクエスト番組で、マーラー交響曲第10番をデリック・クックが完成させた補筆完成版がかかるまでになった。当時の私はまだ後期マーラーが全然わからなかったのでその回は聴かなかったが。ただ、第1交響曲*5と第4交響曲は翌1977年に聴いて大いに気に入り、80年代に入るとマーラーが「マイブーム」になった。第4,5,7,8番の交響曲はコンサートで聴いたこともある。

 しかし、1970年代前半は、日本ではまだマーラーの黎明期だったらしく、吉田秀和が1973年から74年にかけて「ステレオ芸術」誌に連載した「マーラー」は、シェーンベルクアドルノマーラー論を引用しながら、譜例も多く引用して書かれた力作なのだ。

 私が本屋(池袋のジュンク堂書店)で『決定版 マーラー』を買うために頁をめくっていたら、たまたまシェーンベルクマーラー論を引用しているくだりがあったので、引用元のシェーンベルクの著書が文庫本になってないかと思って書棚を見たら、あった。果たして十二音音楽の開祖が書いた本が読めるだろうかと思いながら、しかし躊躇なく吉田の本と一緒に買ってしまったのだった。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 この本は1973年に三一書房から出た『音楽の様式と思考』を改題したもので、文庫化されたばかりだった。偶然かどうかは知らないが、ありがたいタイミングだ。私は十二音音楽の楽譜など読めないし、それ以前にオーケストラの総譜も読めないが、知っている曲の旋律が記された楽譜ならなんとか読める。ブラームスの第4交響曲終楽章の分析などなかなか面白かった。パッサカリアだかシャコンヌだかの第29,30変奏が第1楽章第1主題の再現であることには、ある時ふと自力で気づいて知っていたが、各小節の1拍目の音が変奏曲の主題の音と同じであるもことは、掲載されている楽譜を見て初めて気づいた。2小節目と4小節目が1オクターブ下げられているので、このことに気づかなかったのだった。「フーガの技法」の未完の四重フーガで「BACH」の音型を含む4つの主題を同時に奏させる構想があったとされるバッハを思わさせる作曲の技法だなと思ったが、シェーンベルクは基本的にこういうバッハやブラームスのノリを拡張して十二音音楽を構造を作った、と言ったら素人の決めつけに過ぎるだろうか。

 そのシェーンベルクの本に「グスタフ・マーラー」の章があり、ここでシェーンベルクマーラーの音楽を分析している。シェーンベルクは4小節単位で規則的に進む拍節構造が嫌いらしく、それから逸脱することが多いモーツァルトを褒め、4小節単位の規則的な進行に固執するベートーヴェンにはやや批判的だ。シェーンベルクが好むブラームスは、逸脱が多いことで有名な作曲家だった。マーラーが、普通なら4小節+4小節で8小節にする主題を、引き延ばしや新たな音型の挿入によってたとえば10小節に延ばしていることを、シェーンベルクは第6交響曲の第3楽章アンダンテの譜例を示して紹介し、「(『音楽論』140-142頁)。吉田はこのシェーンベルクの分析を一部自分の言葉に置き換えながら引用し(『マーラー』32-35頁)、さらに第6交響曲についての吉田自身の分析をつけ加えている。

 しかしながら、吉田の「マーラー」でもっとも印象に残るのは、シェーンベルクアドルノの分析を引用しながらマーラーのスコアと格闘している箇所ではない。1907年に長女マリア・アンナを病気で失い、「ヴィーンの帝室オペラの総監督の地位を手放さざるを得ない窮地に追い込まれ」*6マーラーは、自分の健康診断もしてもらったところ、「心臓に重大な故障があるので、生活の仕方を一八〇度転換しない限り、生命は保証できない」*7との診断を受けた。その後マーラーアメリカに渡り、以後アメリカとヨーロッパを何度か往復した後、アメリカで感染性心内膜炎との診断を受けてウィーンに戻り、50歳で亡くなるのだが、吉田はマーラーの「大地の歌」と第9交響曲、それに未完の第10交響曲の3曲を彼の最高傑作群と位置づける(これは一般的な評価と同じだし、私も異論はない)のだが、これらに作品を遺したマーラーを評する文章が素晴らしいのだ。以下引用する。

 

「友よ、私はこの世では仕合わせにめぐまれなかった。私がどこに行くのかって? 私は、当てもなく、山に入る、孤独な心のための安らぎを求めて」

 マーラーの実生活は、《大地の歌》の終曲に歌われているように、即座に、安息を求めて世界をすて、山に隠れるという具合にはいかなかった。しかし、このときを境に、自分の生命があともう数えられる期間しか続かないことを知った。たとえ今はまだ生きていても、自分が間もなく決定的に別の世界に入ってゆく人間であることを、常に自覚しているよう強いられることになった。

 さっき私が、マーラーの人類におくったもっとも美しい、最もすばらしい贈物とよんだ作品は、ここから生まれてきた。そうである以上、この三つの音楽が、文字通り、ひとりの人間の遺言であり、ひとりの芸術家の大地への訣別の歌であったのに、何の不思議もないわけである。

 そういうこととならんで、というより、それよりもまず、私は寿命が数えられたと知った人間が、生活を一変するとともに、新しく、以前よりももっと烈しく、鋭く、高く、深く、透明であってしかも色彩に富み、多様であって、しかも一元性の高い作品を生み出すために、自分のすべてを創造の一点に集中しえたという、その事実に、感銘を受ける。

 こういう人間が、かつて生きていたと知るのは、少なくとも私には、人類という生物の種族への、一つの尊敬を取り戻すきっかけになる。死を前にして、こういう勇気を持つ人がいたとは、すばらしいことではないか?

 

吉田秀和『決定版 マーラー』(河出文庫 2019)44-45頁)

 

 文庫に収められた小沼純一氏の解説文に、還暦を迎えて既にマーラーより10年ほど長い生をおくった吉田秀和が、自らの残り時間を意識しながら(もちろん、まだ40年近い時間が残されていようとは、吉田自身も思いもよらなかったに違いない)書いた文章だと指摘している。小沼氏曰く、「七〇年代は、還暦は現在のように「若さ」をあらわすものではなかった」*8。確かにそうで、私が初めて知った1969年か70年の男の平均寿命は70歳を超えてなかったよな、と思い出した。調べてみると確かにそうで、1970年には男性の平均寿命は69.84歳だった*9。吉田は、85歳まで生きたリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)について「まったく彼は、よくも長生きしたものである」*10と書いたことがあって、これはおそらく戦争中にナチに協力して戦犯の容疑を持たれたシュトラウスに対する皮肉を込めた言葉だろうが*11、そんなことを書いたあんた自身がシュトラウスよりよほど長生きしてるじゃないかとよく思ったものだ。まあこれは余談。

 死を意識してからの作品が素晴らしいという吉田の文章を読んで思い出したのが、このブログで少し前に取り上げたシューベルトだった。シューベルトの場合は25歳にして当時不治の病とされた梅毒を宣告されたのだから、宣告を受けた時の年齢はマーラーよりも20歳以上若かった。そのシューベルトピアノソナタが評価されるようになった時期と、マーラーの音楽が広く受け入れられるようになった時期がぴったり重なる(ともに1960〜70年代)ことは興味深い。

 これで今年の読書・音楽ブログは終わり。来年も最低月1回、年間最低24件以上の公開を目標に更新を続けるつもりです。よろしくお願いします。

 それでは、良いお年を。

*1:この傾向は2013年に突如松本清張にはまって以来始まり、昨年末までで清張作品のうち文字の大きな文庫本で出ているものはほぼ読み尽くしたので、純文学、エンタメを問わず読む範囲を広げようとしたのが今年だった。以前より政治や経済の本を読む頻度が減ったのは、2012年末以来延々と続く鬱陶しい安倍晋三政権に支配された「崩壊の時代」からの逃避かもしれない。

*2:3日前の12月28日に公開した『kojitakenの日記』で引用した大岡昇平の文章に、丸谷の名前が出てきた(https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2019/12/28/151048)。丸谷についてはカズオ・イシグロの『日の名残り』の解説文について、このブログで取り上げたこともある(http://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2019/08/25/135746)。

*3:ここでは第2次安倍内閣の成立を決定づけた衆議院選挙が行われた2012年12月16日以降を「崩壊の時代」と定義している。

*4:指揮者は自ら音を発さないので、実際に楽器を演奏するピアニストやヴァイオリニスト、それに自ら歌う歌手たちほど強い関心を持てない。もちろん関心がないわけではないが、相対的に関心が低い。

*5:この曲を「巨人」と呼ぶなかれ。マーラーはこの曲の副題を破棄しているし、破棄前の副題にせよ「ジャイアント」ではなく「タイタン」なのだ。

*6:マーラー』43頁

*7:同44頁

*8:同書256頁

*9:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk00/7.html

*10:『LP300選』(新潮文庫 1981)207頁

*11:実際、数頁あとに、「シュトラウスは、ドイツ敗戦後、ようやく戦犯の名をのがれて、間もなく死んだ」(同209頁)と書かれている。