まず現在読んでいる本から引く。
この本は473件の質問に村上春樹が答えるという趣向で、その後プロ野球セ・リーグでヤクルトスワローズが優勝することになる2015年の1月から4月まで質問が受け付けられた。93番目の質問「カープは大盛り上がりですけど」に対して村上はヤクルトの順位予想を5位としているが、これを見て「勝った」と思った。なぜなら私は2015年には強気の順位予想をして優勝もあり得ると確かこの日記に書いたはずだからだ。その根拠は、2年連続最下位になった前年の2014年、ヤクルト打線の破壊力はすさまじかったからだ。それをぶち壊しにした投手陣の崩壊もまた半端でなかったわけだけれども、これは投手陣が整備されれば行ける!と思ったのだった。すると、秋吉、ロマン、オンドルセク、バーネットが1イニングずつ投げる「勝利の方程式」が見事にはまるという奇跡が起きて本当に優勝してしまったのだった。その前後の2年ずつが最下位、最下位、5位、最下位だったからいかに奇跡的な優勝だったかがわかる(昨年は2位だったけど今年はどうかな)。セ・リーグでは1960年の大洋ホエールズ以来だろう(ホエールズは6年連続最下位のあと突如優勝し、翌年また最下位に落ちた)。
いや、プロ野球の話をするつもりなどなかったがついつい。本論はここからで、369番目の質問を以下引用する。
村上さん、こんにちは。出版社で校正の仕事をしています。
私の担当している文芸誌では、単純な誤字脱字や事実誤認を指摘する以外にも、「この人物は右利きのはずですが、左手でサインをしています」とか、「携帯電話が出てきますが、この地代にはまだ発売されていないはずです」とか、内容についての細かい「つっこみ」を入れることも校正の仕事のひとつとされています。(後略)
なんと、この校正者自身が「時代」を「地代」と誤記してしまい、村上春樹に
校正者の間違いを指摘するのは作家にとっての無情の……じゃなくて無上の喜びです。
と突っ込まれてしまったのだが、それはともかく、読んだばかりの昔のSF小説に携帯電話が出てきたことを思い出したのだった。その小説は、今日図書館に返しに行く予定だが、小松左京の「眠りと旅と夢」(1978)であって、文春文庫から2017年に新装版が出た短篇集『アメリカの壁』に収録されている。表題作のタイトルから連想される通り、アメリカ大統領・トランプの出現を40年前(1977年)に予言した小説だと小松左京ファンが言い出したのをきっかけに話題となって復刊された本だ。
どのあたりに携帯電話が出てたっけ、と思って開いた頁にたまたま出ていた。120頁だった。なんたる偶然(まあ他の頁にも出てきたのかもしれないが)。以下引用する。
僕のポケットで、携帯電話の呼び出し音がピーッと鳴ったのはその時だった。(小松左京「眠りと旅と夢」=文春文庫新装版『アメリカの壁』2017, 120頁)
そりゃSFだから携帯電話が出てきても不思議はないといえばそれまでだが、本当に昔のSFに携帯電話が頻出だったのか、「SF 携帯電話」を検索語にしてネット検索をかけてみた。すると、正反対のことが書かれたサイトが2つみつかった。
以下上記「はてなブログ」の記事(もちろん元は「はてなダイアリー」の記事だったはずだ。2005年の記事だからね)から引用する。
以前、田崎英明さんと話していて興味を持った話題に「どうしてSFに携帯電話のイメージが欠落していたのか?」というものがある。80〜90年代のSFやアニメではテレビ電話に類するイメージは盛んに出てくるが、携帯電話はまったくと言って良いほど出てこない。それはどうしてか、という問題だ。
もちろんテクノロジー的には携帯電話はトランシーバーの延長であり、それはSFにつきものである(腕時計に向かって喋るとか)。だが、街や駅で多くの人が歩きながら携帯で話をしている、という現代日本の日常生活の情景は、どんなSFにもアニメにも出てこない。つまり、今日のような携帯電話文化は、SF的には予測不可能だったということになる。なぜか?(後略)(『aesthetica's blog』2005年12月28日「どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか?」より)
ところがどっこい、反証がみつかってしまったわけだ。校正者の間違いを指摘した村上春樹の気分になれたかも。いささか悪趣味かもしれないが(笑)。
一方、こんなサイトもみつかった。
上記サイトによると、「携帯電話は『スタートレック』から生まれた」とのこと。以下引用する。
AT&T社といった電話会社が技術改善に取り組んでいましたが、遥かに自由に動かすことのできる新たな通信方法を編み出したのはMotorola社の技術者であり役員だったマーティン・クーパーでした。
1970年代のある日、クーパーは考えてばかりで煮詰まっていたため、休憩を取ることにしました。ソファーでくつろいで、ジーン・ロッデンベリー作のテレビドラマ『スタートレック』を見ることにしたのです。
そのエピソードではカーク船長がもちろん窮地に立たされており、携帯型のポケット通信機を取り出し、ブリッジ(指令センター)に連絡していました。
クーパーの頭の中でアイディアがひらめきました。カーク船長は交換台に電話の取次ぎをしてもらう必要もなければ、小さく粋な通信機は輸送シャトルにつながれてもいない。ただ手中にすっぽりと収まって、機能しているのです!
未来の電話通信は、巨大な通信網に支えられた、1対1のやり取りができる小型携帯機器によって行なわれる必要があるとクーパーは確信していました。他の人にとってはスタートレックに登場する技術など夢物語に過ぎませんでしたが、移動通信技術界の第一線に立つクーパーにとっては具体的な目標でした。そして、彼はそれを実現させたのです。
初めての携帯電話からの通話は、1973年にクーパー自身によって行なわれました。ニューヨークの歩道で、「Dynatech(ダイナテック)」と名付けられた巨大な長方形の通信機から電話した先は、競合相手であるベル研究所でした。ライバルに勝ち誇るように。
1980年代半ば、ダイナテックは市場で売り出されました。通話可能時間はわずか30分。80年代の映画にしばしば登場した、ウォール街の重役やパステルカラーの服を身にまとった麻薬密売人が使っていた巨大なモノ、覚えていますか? あれからずいぶんと進歩しましたよね。私の携帯は今やプロンプター(原稿表示装置)のリモコンとして機能していますから。スタートレックに感謝です。
(『ログミー』より)
「初めての携帯電話からの通話は、1973年にクーパー自身によって行なわれ」たというのなら、1977年末か78年初めに小松左京が書いた小説に携帯電話が出てきても不思議はない。
また、下記Togetterも挙げておく。
上記サイトからSF作家・笹本祐一のツイートを拾う。
んで、大阪万博で示された公共交通機関のひとつに、最近は珍しくなくなった動く歩道がある。こちらは基本的に使用料ただ。収入に関係なく、行けば誰でも乗れる。万博では社会インフラとしてコードレス電話も展示されたが、携帯電話も導入当初はべりぼーな値段で使える人が限られたのはご存知の通り。
— 笹本祐一 (@sasamotoU1) October 11, 2015
そういや大阪万博には私も昔行ったが、そうか万博か。小松左京が万博に深く関わったことはよく知られている。それで携帯電話が小説の中に自然に出てきたわけか。
一方、下記の人のツイート(元ツイートのURLはたぐれなかった)は的外れ。
しめすへん@ネ人造人間 @shimesuhen 2015年10月11日
携帯電話の普及ってのは大規模なインフラ整備があって初めて成り立つもので、需要がないところに金をかけても普及しないというのが一般的な考え方。実際には供給によってはじめて需要が発生する場合もあるがそういうのは社会学の領域。SF作家は科学にはこだわっても社会学には拘らないので携帯電話の普及は予測できなかったということ
(前略)ハイドンって、古典音楽の典型みたいに言われることが多いですが、よく聴くと意外にラディカルなところがあります。理系っぽいというか、モーツァルトの同種の音楽と聴き比べると、その「理系の魂」みたいなのが、わりにくっきりと見えてきます。モーツァルトのような神がかり的な深みはないんだけど、構築性への執拗なまでのこだわりが、しばしば僕らにポストモダン的な快感をぐいぐいと与えてくれます。もちろん演奏にもよるんですけどね。
グレン・グールドが1958年に録音したハイドンのピアノ・ソナタ変ホ長調(Hob.XVI:49)をお聴きになったことはありますか? とても面白い、鮮やかなハイドンです。
これを読んで、そういや30代の頃にハイドンの実験的な交響曲を収めたブリュッヘン指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の5枚組「ハイドン・疾風怒濤期の交響曲」を輸入盤で買って聴き、はまりまくったことを懐かしく思い出した。疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)期といっても、ハイドンの場合はどこまでも理知的で、上記CDに収録された19曲の交響曲のほとんどに、何かしら実験的なところがある。ハイドンはこの疾風怒濤期というか中期と、村上春樹が「構築性への執拗なまでのこだわり」があると指摘した晩年の作品(交響曲のロンドン・セットまたはザロモン・セット、作品76, 77の弦楽四重奏曲、Hob.XVI:48 以降のピアノソナタなど)が良く、その中間にやや中だるみ気味の期間があるというのが私の印象だ。村上春樹が挙げた変ホ長調のピアノソナタ(Hob.XVI:49)についていえば、一般には同じ変ホ長調の最後のソナタ(Hob.XVI:52)の方がハイドンのソナタ中の最高傑作とされているようだけれども、大ピアニストたちに好む人が多いのはこの Hob.XVI:49 の方で、私も大好きな曲だ。グールドの58年盤、これにはモーツァルトのハ長調ソナタ(K.330)と同じハ長調の「幻想曲とフーガ」(K.394)が収められていて、私も持っている。昔はモノラル録音のバージョンが発売されていたのが後年にステレオ録音のテイクが発売されたものだったか、それともモノラル録音のものだったかは長年聴いていないので覚えていない。一度物置きから引っ張り出して聴いてみよう。私がこの曲で主に聴いていたのはルドルフ・ゼルキンの演奏だった。
モーツァルトにもそれこそ革命的な音楽は結構あり、有名なト短調の交響曲(K.550)のフィナーレなどその最たるものだと思うが、この楽章の展開部などまさしく「鬼気迫る」音楽であり、それはデーモンに突き動かされて書いた、という表現がぴったりくる。それと比較すると、ハイドンはあくまで理知的なのだ。その実験精神は、わかる者にはわかる。
そして、昔筒井康隆にはまったことがある一方、小松左京は没後になってようやくいくつかの作品を読んだだけの私は、これから小松左京を再発見しても良いかもしれないと思った。
ところで、『アメリカの壁』の巻末に小松左京の息子さんである小松実盛氏の解説文が載っている。そこで紹介された1978年頃の小松左京の心境がまことに興味深い。以下引用する。
小松左京は、空想の世界だけでなく、漠然とではありますが、実際に宇宙に行けると思っていたようです。いずれ、人類は本格的に宇宙に本格的に進出するだろう、けれど、その乗船名簿に自分の名前はない。(中略)
人として生まれたことによる制約、老いてやがて寿命が尽きるという制約が、長年いだいてきた夢を無にしようとしている。
その焦り、虚しさは、これ以降の小松左京の物語の端々から感じられます。
そのアプローチの一つの道が、「眠りと旅と夢」に込められています。
人としての限界を悟りながら、それでも、どうしても宇宙とその真実に触れたい。
眠り、虚空を旅し、壮大な夢のなかで生きるミイラは、小松左京自身の願望の投影であるともいえます。
小説を書いた当時46歳だった小松左京はそんなことを思っていたのか。私は当時高校生だった。70年代後半といえば、高度成長期の負の側面だった公害もやや収まり、世界における日本の地位も、歴史上もっとも高かった頃だ。今の40代、50代以上の人間の多くは、後退を続ける一方の「崩壊の時代」のこの国を、自分たちの世代の責任を思いながらも呆然と見ているのではないか。焦りや虚しさよりも後ろめたさが感じられてならない今日この頃だ。