「北方領土の日」であったらしい一昨日(2/7)に公開した記事*1に「四国遍路」さんからコメントをいただいた。
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四国遍路
コメントありがとうございます。私は2002年末から7年間高松市に住んでいたことがあって、その終わり近い2008年から「週末遍路」をたまにやっていて、八十八箇所中の六十六箇所にお参りしましたが、高松市からもっとも遠い高知県西部と愛媛県南西部の二十二箇所を残して東京に移住してきました。
さて、佐々木譲さんと北方四島とのかかわりについて、ネット検索したところ、佐々木さんご自身のブログ記事がみつかりました。以下、今からちょうど10年前に書かれた2009年2月19日のエントリから引用します。時の総理大臣は麻生太郎でした。
(前略)天の邪鬼なので、いまさら麻生太郎総理を叩いてもな、と思う。むしろ昨日のサハリン訪問「二島でも四島でもない」「独創的なアプローチ」の北方領土問題解決に、わたしは期待する。
北方領土問題とはつまり、日本が無条件降伏した戦争のその後処理問題だ。戦後処理は、日露戦争の例を持ち出すまでもなく、世論は過激になりがち。国民の多数意志を尊重していたら、もう一回戦争をやるしかなくなる。国益を見据えて、政治家がたとえ大幅譲歩と見えようとも現実的に決着をつけないことには、解決しない。
佐藤優は北海道新聞で「麻生は原則を売った」と批判している。しかし、鈴木宗男の二島先行返還論は、実質的に国後・択捉両島の放棄に等しい。その先に二島が返還される展望はゼロだ。
四年前、わたしの四回目の択捉渡航の際、北方領土返還国民会議の幹部が根室で発言した。
「五百年かかっても、四島を取り戻す」
この先五百年、主権回復なしを受け入れるという態度も、同様に実質的な放棄ということである。ロシア側の立場でも、考えてみるといい。いま択捉島を日本に返還できるか。オホーツクから千島列島を抜けて原子力潜水艦が通過する場合、使えるのは択捉海峡である。国後水道は、原潜は通過できない。地政学的には択捉島は戦争直後よりもはるかに戦略的重要性が増した土地である。また、択捉島では、核開発に欠かせないレアメタルの採掘・精錬がおこなわれている(イスラエル資本が入っているはず)。つまり、択捉島が日本に返還される日は、地球上に国家がある限り、来ないと読んでいい。ならば、プラグマチックな解決しかない。
国後島は、北海道と地理的一体感があり、地域の住民感情としても、経済的にも、返還が切望される島だ。しかし、択捉島はべつである。わたしの一族は択捉島出身だけれど、わたしは島民二世としても、国後島までの主権回復、という線での戦後処理は受け入れてよいと考える。択捉島には自由に往来できて、墓参りが可能になればよい。
日本全体にとっても、日本人が事実上四島に渡航できない現状よりは、ロシアと平和条約を締結し、択捉島を含めた四島で経済活動ができる道を選択したほうがよいのではないか。
ただ、麻生総理の言う線での解決は、政権が国民に圧倒的に支持されていることが条件。もし麻生がやれば、日比谷で焼き討ち事件が起こる。
現在の総理大臣である安倍晋三は、決して日本国民から「圧倒的に支持されている」わけではありませんが、3割ほどの「岩盤支持層」とNHK(宣伝役・岩田明子)や読売新聞といった国民の多数への影響力のあるメディアを押さえているのを背景に、かつ鈴木宗男や佐藤優らの助言も取り入れて、強引に「二島返還」の可能性を追求しているといったところでしょう。佐藤優には一定の「リベラル・左派」からの支持もあるようですが、私は佐藤はとんでもない詐欺師であって、「現代の蓑田胸喜」と言っても過言ではないと考えています*2。
佐々木さんの言う「プラグマチックな解決」は、本来なら1990年代の、日本経済にまだ力が残っていて、かつロシアがソ連崩壊後の混乱期にあった時期までに行わなければいけなかったことなんじゃないかと思います。遅くとも、佐々木さんが上記ブログ記事を書かれた2000年代後半でしょうか。当時、北方四島の面積を半分で等分した、択捉島南端近くを国境とする案が言われていたと記憶しますが、今やそんなことは誰も言い出さなくなりました。現在は、日本経済が力を失った一方、世界的な独裁権力の一つと評するべきプーチンが択捉島などに軍事施設を建設する暴挙に出ており、それを追認するかのような二島返還論は絶対に認めてはならないと思います。現在の日本はロシアと緊張関係があるわけでもなく、平和条約を結ぶ必要に迫られているわけでも何でもないので、千島列島全体を日露の緩衝地域にする*3ことを最終目標にして粘り強く交渉を続けるしかないというのが私の意見です。
なお、全千島を領有していた頃の日本も、民間人の居住を認めるのは択捉島までで、それより北のウルップ島からシュムシュ島までへの民間人の居住を禁止していたことを今回『エトロフ島発緊急電』を読んで知りました。それは良いのですが、一方でシュムシュ島などに住んでロシア化が進んでいた千島アイヌの住民を色丹島に強制移住させたのは暴挙以外の何物でもなく(その悲劇から小説に登場する宣造が造形されたんですよね)、それは厳しく批判されるべきですし、同様にプーチンによる北方四島への軍事施設建設やロシア人移住奨励などの政策も(これはもともとソ連時代からやっていたものの遅々として進まなかったようですが)、戦前の軍国主義日本やスターリンのソ連にも匹敵する恐るべき強権主義的な妄動として厳しく批判されなければなりません。そういえば日本の「リベラル・左派」にはプーチンに対して甘過ぎる悪弊もあるように思います。
やはりソ連時代の終わり頃から新生ロシアの初め頃にかけて、むしろソ連・ロシア側から提案があったという、知床の世界以前遺産を北方四島及びウルップ島にまで拡張する案がベストだったのではないか。歴史的にもウルップ島が北海道アイヌと千島アイヌの共同漁場として両者の緩衝地域だったらしいこと、さらにこれらの地域が世界自然遺産に登録されてロシアの軍事施設なども撤去されれば、択捉島への墓参にも障害がなくなるだろうに。そう思えてなりません。
今はむしろチャンスが遠のいてしまった状態ですが、そんな時に日本側から変な動きをするのは愚の骨頂であって、前回の記事にも書きましたが、安倍晋三だの鈴木宗男だの佐藤優だのといった俗物が己の虚栄心を満たそうとしているだけの妄動に対しては徹底的な批判あるのみ。私はそのように確信します。
本書を含むいわゆる「太平洋戦争3部作」を
読んでから佐々木譲さんの著作はほとんど読んでいるものです。参考までに佐々木譲さん自身は札幌生まれですが、親族(叔父さん?)に択捉島(?)生まれの方がおり、自らも北方4島「墓参」に参加されたこともあります。