KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

岸田文雄首相の思わぬ“挫折”…正月休暇用に購入した『カラマーゾフの兄弟』を1巻で投げ出していた! (Smart FLASH)

 『kojitakenの日記』に、連日立民代表の泉健太をこき下ろす記事ばかり書いてきたが、日本国総理大臣にして自民党総裁岸田文雄も泉と同じくらい大嫌いだ。その岸田がますます嫌いになる一幕があった。岸田は年末に東京都心の八重洲ブックセンターで15冊の本を買い込み、うち5冊は17年前の2006年に話題になった亀山郁夫光文社古典新訳文庫版のドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』全5巻だったが、岸田はこれを第1巻の途中で投げ出し、長男に読んで中身を教えてくれと言ったのだという。朝日新聞論説委員の駒木明義氏がツイートで呆れていた。

 

 

 「『長男』に読ませる」か。それなら岸田はカラマーゾフ3兄弟の父、フョードル・カラマーゾフに相当するわけだから息子の誰かに殺されてしまうことになる。この小説ははてさて犯人は誰でしょうというミステリー仕立ての趣向もあって、大袈裟にいえば芸術としてだけではなくエンターテインメントとしても抜群に面白い小説だと思うのだがそれはさておき、おおかた昨年はロシアがウクライナを侵略し日本では安倍晋三が殺された年だったから、小説にはとんと縁がなかったに違いない岸田が読もうと思い立ったのだろうが、多忙であるに決まっている総理大臣が正月休みだけで読み切れる小説でないことくらいわからなかったのかと開いた口がふさがらないが塞がらなかった。

 朝日の駒木記者は訳者の亀山氏らとロシアの音楽や文学に関する下記の鼎談を行ったくらいの教養人だから、心底から岸田を軽蔑しているのではないかと思われる。

 

ontomo-mag.com

 

 上記リンクの鼎談は2018年に行われたが、その頃岸田は「次の次の総理」を目指してひたすら安倍晋三に取り入り、翌年の参院選では安倍と菅義偉に岸田の一の子分だった溝手顕正の首を獲られてまでもなお安倍の靴を舐め続けた。

 岸田は権力志向の強さにおいては泉健太と同じくらい強烈だが、泉のように用意周到な権力工作を仕掛けまくるのではなく、ひたすら最高権力者に媚び続けた不甲斐なさ。私は泉のようなギラギラした権力志向の人間も大嫌いだが、ひたすら上司に媚び続けるだけで私の予想に反して本当に「次の次の総理」になってしまった岸田は全くの論外だ。泉は大嫌いではあっても権力を得るまでのプロセスのしたたかさには敬意を払えるが、岸田に対してはひたすら軽蔑の念しか持てない。こんな人を「ハト派」だとかいう理由で支持したり肯定的だったりする人の気がしれないといつも思っている。反吐が出るほど岸田が大嫌いだ。

 同じ「安倍のあとの総理」でも岸田と対照的だったのが福田康夫だ。私は福田を21世紀のこれまでの日本で一番「ましな総理」だったと思っているが、福田の権力行使で感心したのは、第1次安倍内閣からの引き継ぎ事項をことごとく棚上げして安倍の極右政治をいったんは終わらせたことだ。権力者はそういうことがドライにできなければならない。泉健太にはそれができるし現にやっているが、それは私が望ましいと思う方向性とは真逆(まぎゃく)だから激しく嫌っているのである。立民支持層の間には、枝野には枝野の良さがあり、泉には泉の良さがあるなどと言う人たちもいるが、あまりにもおめでた過ぎる。彼らは権力の恐ろしさを理解していないと私は思っている。

 岸田は総理大臣就任直後に、口先だけでは「新しい資本主義」と言い、新自由主義からの脱却を口にしたが、現に今までやってきたことはといえば、軍事費倍増なる破天荒かつ衰退国日本に追い討ちを掛けるようなトンデモ政策であり、安倍の国葬であり、原発の再推進という軍事大国化と矛盾する、つまり日本の安全保障上のリスクを高めるだけの政策だ。安倍晋三でさえ、岸田を含む他人に対しては極右風を吹きまくったものの自分がやった時には岸田みたいに極端にはやらなかった。こと政策だけを抽出すれば、岸田は誰よりも極右的で、かつ誰よりも新自由主義的な政策を推進しているといえるのではないか。おそらく岸田は歴代総理大臣の中でももっとも無能な人間だろう。

 正月休みに『カラマーゾフの兄弟』を読もうとしたことなど、大袈裟に言えば「文学を舐めている」とともに、総理大臣の職責の重さを全く自覚していないことが絶望的だ。文学に無関心ではないから本を買ったのだろうが、それならもっと若い時に読んで自分の血肉にしておかなければならなかった。岸田は一体何歳なのか、もしかしたら私より年下なのかと思って調べてみたら、1957年生まれで私より何歳か年上の65歳だった。このドストエフスキーの大作を読んだ人がこの国にどのくらいいるのかは全く知らないが、私が本作を原卓也訳の新潮文庫版で初めて読んだのは28歳の時で、しまった、もっと若い頃に読んでおかなければならなかったと、少年・青年時代のうかつさを悔やんだものだった。その後、2006年に「くだんの亀山訳」が評判をとったので期待して再読したものの、読みやすいという評判に反して(私にとっては)原卓也訳よりずっと読みにくかったので失望した記憶がある。1944年生まれの辺見庸が今でもカラマーゾフばかり読んでいると書いていたように思うが、私は辺見とは違って文学部出ではなく、文学部出の人の文章を読んでは感心して、自らがいかに文学の素養に欠けるかを痛感しているような人間だ。しかしそんな私でも文学に対する経緯だけは持っていると思っている。岸田にはそれすらない。岸田が長男に読んで中身を教えてくれと言ったという話が本当かどうかは知らないが、私が岸田の長男(ミーチャ格?)なら、なんと恥ずかしい父親だろうかと呆れるに違いない。岸田は下記リンク先にでも目を通しておけば良いのである。

 

honcierge.jp

 

 岸田の発想はまるで受験勉強だな、さすがは進学校出身だなとも思うが、しかしながら大学受験の世界でも岸田は周囲と比較すると強者ではなかったようだ。岸田の強みは血筋だけであり、この点で安倍晋三と共通している。だから安倍が岸田にシンパシーを抱き、本当に自分の次の次の総理大臣にしてしまったものだろうか。

 私自身は昨年前半は比較的時間がとれたのでチャールズ・ディケンズの長篇『荒涼館』(佐々木徹訳岩波文庫版,2017)の全4巻を黄金週間の休みを利用して読んだ。この小説は初めの方が読みにくいが途中からは引き込まれた。それでももっとも読むスピードがもっとも上がった最終第4巻を読むのに1日かかり、結局4月29日から黄金週間明け最初の土日明けの5月9日に読了している。つまり11日かかった。日曜日中に読み切れずに日付が変わってやっと読み終えたのだが、確か日曜日の午前中だかに第3巻を読み終え、図書館に第4巻を借りに行って午後に読み始めたのだった。熱中して読んだ本でさえそのくらい時間がかかったのだから、多忙でないはずがない総理大臣が正月休みにドストエフスキーの大作を読み切れるはずがない。いや立花隆ばりの速読術を駆使すればそうではないのかもしれないが、飛ばし読みできる本とそうではない本があり、『カラマーゾフの兄弟』が後者の範疇に属することは当たり前だ。

 しかし日本の政治家には本当に教養人が少ない。安倍晋三百田尚樹の小説を含むネトウヨ好みの本ばかり読んでいた印象がある。西ドイツのシュミット元首相がピアニストとしても玄人はだしで、クリストフ・エッシェンバッハらとともにモーツァルトの3台ピアノのための協奏曲で第3ピアノを弾いたレコードを出した(1982年)こととは大違いだよなあと昔から嘆息していたが、岸田文雄のひどさは歴代総理大臣の中でも飛び抜けている。

 ここまで書いて、この記事を当初予定していた『kojitakenの日記』ではなく、こちらの読書ブログで公開することに変更した。年明けの今月もまだ大きな山を越えたとはいえ多忙期の末期に当たっていてそれなりに忙しいので、自らに月1回のブログ更新のノルマを達成するためにはこちらに公開した方が良いと思ったからだ。

 遅まきながら、今年もよろしくお願いします。『kojitakenの日記』でも新年の挨拶はまだしていなかったのだった。