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古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

中北浩爾『日本共産党 - 「革命」を夢見た100年』を読む - (1) 日本共産党の「民主集中制」の問題点

 本記事は、当初『kojitakenの日記』の下記記事の後半部分として書き始めていたものだ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 以下、今年(2022年)5月に刊行された中北浩爾『日本共産党 - 「革命」を夢見た100年』(中公新書)を参照しながら、日本共産党民主集中制に関する問題点について書く。

 

 まず、下記こたつぬこ(木下ちがや)氏のツイートと、それに対する反応のうち、同氏が発したリツイートに注目した。

 

 

 

 「『民主集中制』『統一と団結』といったキーワードで批判されるかも」というのは、「『志位和夫やってらんねえよ』とか炸裂トークやったら」、共産党員や同党支持者が「それは『民主集中制』や『統一と団結』に反する」として批判するのではないかとの意味だ。しかし志位和夫が現実にやっていることは、「天皇制など自身の個人的な思い入れを「これが共産党の立場」「共産党の目指すもの」と勝手に決めて発言」しているだけではないか、という痛烈な志位批判のレスだ。それを木下氏がリツイートしている。

 

 下記は、上記のすぐあとに氏が発信したツイート。

 

 

 氏はおそらく共産党員であろうから、直接「民主集中制」を批判しなかったものと推測されるが、その含意は明らかだろう。

 日本共産党民主集中制の問題については、下記中北浩爾著『日本共産党』(中公新書, 2022)の序章でも取り上げられている。

 

www.chuko.co.jp

 

 著者の基本的なスタンスは「はじめに」に示されている。以下引用する。

 

(前略)あたかも日本共産党社会民主主義政党に変化したような主張が現れている。他方で、今なお同党が暴力革命の方針を保持しているという見方が、警察庁公安調査庁を中心に維持され、政府の公式見解になっている。結論的にいって、いずれも妥当な評価ではない。共産党には、過去から変わった部分と変わらない部分とが並存する。その両面を正確に捉えなければならない。(本書i頁)

 

 続く「序論」で、著者は世界の急進左派政党を「保守派共産主義」「改革派共産主義」「民主的社会主義」「革命的極左*1の4つの類型に分類する。著者は日本共産党を第3の「民主的社会主義」の類型ではなく、第2の「改革派共産主義」に属するとみる(序章「国際比較のなかの日本共産党」の第2節「日本共産党の柔軟性と教条性」, 本書16頁)。

 しかし、日本共産党には「教条性」も残っているとする。

 

 その一方で、日本共産党には保守派共産主義の残滓もみられる。共産党の組織原則とされてきた民主主義的中央集権制民主集中制の堅持である。(本書18頁)

 

(前略)現在も中央集権が民主主義に優越しているのが実情であり、綱領や規約の解釈権も党中央によって握られている。末端組織の支部でも、党中央への信頼が一因とはいえ、批判的な意見を煙たがる空気があり、異論を口にする党員は上級の党会議の代議員などにまず選ばれないと聞く。(本書21頁)

 

 本書の終章「日本共産党と日本政治の今後」にも民主集中制への言及がある。以下にやや長く引用する。

 

 その一方で、共産党は分派の禁止を伴う民主集中制を維持している。つまり、党組織の外延部分については市民に開きつつも、中核部分は固く閉ざしている。例えば、立憲民主党は、年間2000円*2で登録できる協力党員(サポーター)に代表選挙の投票権を付与している。しかし、JCPサポーターは無料で登録できる代わりに、重要な意思決定に関わることができない。

 

 共産党の人事は事実上の任命制であり、党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない。天安門事件や東欧革命が起きた翌年*3の第19回党大会の際には、民主集中制を見直して党内民主主義を活性化すべき、最高幹部は全党員の直接選挙で選出すべきといった投稿が党員から寄せられたが、いまだ実現をみていない。共産党民主集中制を近代政党として当然の組織原理と主張するが、かくも厳格に分派を禁止し、強力な党内統制を加えている政党は例外的である。

 

 ソ連の解体から30年あまりを経てもなお、日本共産党民主集中制の組織原理を維持しているだけでなく、科学的社会主義と称する共産党イデオロギーについても見直しの兆しをみせていない。

 

 日本共産党が自主独立路線を確立して以降、ソ連や中国の大国主義・覇権主義と戦ってきたことは確かだとしても、革命を成功させた各国共産党がことごとく人権の抑圧など共産主義の理想に反したのはなぜなのか、日本共産党は本当に兄弟党の失敗から無縁であり得るのか、ロシア革命に始まる共産主義マルクス・レーニン主義)そのものに欠陥があるのではないか、こうした疑問に対して科学的な反論を十分に行っていない。そうである限り、共産党は多くの若者を惹きつけた過去の輝きを取り戻すことができないであろう。

 

 ソ連研究者の塩川伸明は、1994年の著作で共産主義社会主義)の可能性について次のように書いている*4

 

「負けたのは特定の型の社会主義に過ぎない」という人は、往々にして、「社会主義Aは失敗したが、社会主義Bはまだ試されていない」という風に考えがちである。だがそれは社会主義の歴史を踏まえない見方である。1950年代半ばのスターリン批判以降、さまざまな国でさまざまな仕方でスターリン社会主義からの脱却の試みが30年以上もの間続いてきたことを思えば、問題は、「社会主義Aも、社会主義Bも、社会主義Cも、社会主義Dも、社会主義Eも……失敗した後に、なおかつ社会主義Xの可能性をいえるか」という風にたてられなければならない。そして、これだけ挫折の例が繰り返されれば、もはや望みは一般的にないだろうと考えるのが帰納論理である。

 

(中北浩爾著『日本共産党』(中公新書, 2022)398-399頁)

 

 日本共産党がある時期以降、ソ連からも中国からも距離をとった、自主独立のいわゆる「宮本路線」をとったのは大成功だった。宮本顕治はその一方で民主集中制を堅持し、袴田里見野坂参三らを切り捨てていったが、民主集中制を問題視していつか武闘路線へ回帰するではないかとの、かつて共産党に対する強力な批判者だった立花隆らが指摘した懸念は現実にならなかった。その一方、ソ連及び中国に対する批判が功を奏して現在まで生き延びてきた。

 私は中北浩爾の著書を読む前の先月、立花隆の『日本共産党の研究』(講談社文庫1983, 雑誌連載『文藝春秋』1975-77, 単行本初出講談社1978)を読んだが、これを読み終えたあとにも、歴史的審判に耐えた「宮本路線」とは大したものだったんだなあ、と逆に感心したくらいだ。批判本を発刊後40年経って読んで、逆にその批判に耐えた人物を評価させるなど、滅多にない事例だ。

 その宮本顕治民主集中制について、下記松竹伸幸氏が中北浩爾著『日本共産党』を取り上げた3回連載のブログ記事の最終回に注目した。

 

ameblo.jp

 

 以下、松竹氏のブログ記事からまたしてもやや長い、というより記事の大半を以下に引用する。

 

 この書評の「上」で紹介した産経新聞書評で、佐藤優さんは、共産党がまだ暴力革命を捨てていないという見方をしている。そこが中北さんの本の評価とは違うと述べている。なぜ佐藤さんがそこにこだわるのかは分からない。共産党の現在の方針のどこを見ても、暴力革命などというものは欠片も見えてこないからだ。宮本路線にもとづく共産党の前進についても、中北さんが言うように、暴力革命路線から決別したからこそ達成されたものである。

 

 もしかしたら佐藤さんは、共産党民主集中制が組織原則だから、ある日、中央が暴力革命を公然と唱えはじめたら、都道府県から地区から支部まで党員は従うものだと言いたいのかもしれない。実際に過去に暴力革命の方針をとったことがあり、少なくない党員が従ったのだから、佐藤さんの危惧は無根拠ではないのかもしれない。しかし、それにしても、党員が従ったのは51年綱領がそういうものだったからである。61年綱領の採択以降60年も経つのに、見方が変わらないのは知的な誠実さが足りないと思う。現在の綱領に反するような方針が採択されたとして、それに従う党員は一人もいないだろう。

 

 ところで、この本にも出て来るが、その50年問題のとき、宮本顕治さんは九州地方委員会に左遷されていた。その頃、私の父親は長崎県の崎戸炭鉱の党細胞(支部)に所属していて(のちに作家となった井上光晴さんなどもいたそうだ)、父自身は宮本さんとは面識がなかったのだが、当時の父を指導していた幹部からは、私が成長する過程で宮本さんのことをよく聞かされた(父とともに50年代に生活苦で離党)。暴力革命路線と決別し、党の統一をはかる過程で、宮本さんの名前で党中央が「全ての党員に宛てる手紙」を出したのだが、その指導者がそれをいつまでも大事に保存していてびっくりした。

 

 いや、思い出話をしたいわけではない。そうやって左遷されたりして、共産党は暴力革命だということで国民から不人気な状態では、普通なら、宮本さんのように頑張れない。民主集中制の組織原則では党員の意見が反映されず問題だとする人は多いのだけれど(この本の著者もその一人である)、民主集中制の組織原則のもとでも、左遷された人がトップにまで登り詰めることができたのだ。その体験から宮本さんは、民主集中制でも個人の意見が中央を変えることができると思って、この原則を大事にしたのかもしれない。

 

 ただそれも、宮本さんほどの胆力と頭脳があれば、という条件付きだと思う。普通の党員には現実味のない話である。50年問題からの脱却のような大きな論争をしなくても、普通の党員の普通の路線上の模索が、何かに結実させるようなことができないのだろうか。

 

 この本の著者は、「党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない」ことを問題点として指摘している。それが一つの契機となるのではと、このブログでも書いてきた。(後略)

 

出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12748368016.html

 

 引用文の冒頭に佐藤優産経新聞に書いた中北本の書評への言及があるが、最近は産経のサイトにも有料記事が増えたので、無料で読むことはできない。産経を儲けさせるのは嫌だから有料記事のURLもリンクしない。しかしその佐藤が来月、朝日新聞出版から「日本共産党の100年」と題した本を出すらしいとの情報は読者にお伝えしておく。本体価格1700円とのことだからおそらくハードカバー本だが、私は佐藤を批判する目的で買って読もうと思っている。マルクスにせよドストエフスキーにせよ、私は佐藤優に対して常に反感を持たずにはいられないからだ。

 ところで宮本顕治の件だが、宮本は1950年以降の一時期、党内反主流派の「国際派」に属し、徳田球一野坂参三が属していた党内主流派の「所感派」から分派認定を受けた。宮本自身が民主集中制違反に問われたわけだ。しかし国際派はそこから反撃に転じ、1954年には所感派と国際派が歩み寄り、1958年には宮本は党の最高権力者のポストだった党書記長に就任した。これが共産党の党史において、執行部に分派認定を受けた集団が党中央に返り咲いた唯一の事例であることは中北本が教えるところだ。つまり、自分くらいの「胆力と頭脳」があれば、民主集中制下であっても「個人の意見が中央を変えることができる」と宮本顕治は思っていたのではないか。松竹氏はそう言っているわけだ。

 しかし松竹氏が書く通り、それは「宮本さんほどの胆力と頭脳があれば、という条件付きであって、「普通の党員には現実味のない話」だろう。

 そして、思っていることをはっきり書かせていただくと、現在日本共産党の党執行部にいる志位和夫委員長や小池晃書記局長に宮顕ほどの胆力と頭脳があるかといえばそれは大いに疑問であって、それどころか志位和夫不破哲三にも遠く全く及ばないのではないかと思われる。その一つの表れが2019年9月に志位がにれいわ新選組*5代表の山本太郎と結んだ野党連合政権との協力合意だ。

 前述の木下ちがや氏は当時からこの合意に警鐘を鳴らしていたが誰にも顧みられなかったとのことだ。私には氏の議論よりレベルの低い直感的な話しかできないが、当時から疑問に思っていたのは、日本共産党がかつて分派認定したはずの「日本共産党(左派)」の実質的な機関紙である『長周新聞』に熱烈な応援を受けていることが当時既に知られていたれいわ新選組と、なぜかくもあっさりと合意してしまったのかということだった。

 「日本共産党(左派)」は毛沢東主義の立場に立つ分派で、中北本の4類型に当てはめると「革命的極左」に該当する。一時れいわ新選組のブレーンではないかと言われた(現在は訣別したとの説があるが不明)斎藤まさしと近い立場だといえるかもしれない。

 中北本にも「日本共産党(左派)」と『長周新聞』への言及が出てくるので、以下に引用する。

 

 日本共産党の内部では、これら*6と並行して教条主義的批判の対象となってきた中国派の排除が進んだ。党中央の幹部では1966年10月13日の中央委員会総会で西沢隆二*7の除名処分が決まり、地方では山口県委員会の外郭紙『長周新聞』を握る福田正義らが除名された。やがて福田は「日本共産党(左派)」を結成することになる。(本書236頁)

 

 『長周新聞』には現在も日本共産党を批判する記事を多数掲載しているはずだ。少なくとも私がかつて目を通した時にはそうだった。

 ところが、その『長周新聞』に熱烈に応援されているばかりか、2019年当時ブレーンにマオイストにしてかつてポル・ポトにも肯定的だったとされる斎藤まさしがいるらしいと言われていたれいわ新選組と、なぜ志位和夫はあっさり「合意」してしまったのかと不思議でならなかった。なんでかつての「分派」につながっているかもしれない政党と不用意に手を結ぶのか、と思ったのだ。

 その後、新選組共産党に対する「抱きつき」戦術を強め、現在行われている参議院選挙の東京選挙区でも、「共産党公認の山添拓の当選は堅いから、私が共産党幹部なら政策が共産党に近い山本太郎に10万票を融通する」などという怪文書講談社のサイトから堂々と発信されるに至った。この「怪文書」の効果かどうかはわからないが、朝日新聞の情勢調査では山本太郎の当選可能性が強まる一方、山添拓が当落線上に転落したとのことだ。

 

 

 執行部がこんなていたらくなのに下からの意見が全然通らず、前記のれいわ新選組との合意のように見られる不用意な決定をしてしまう。このような共産党の現状には、どう考えても大きな問題があるとしか思えない。これを解決するためには「民主集中制」を見直すことが必要条件ではないか。これが私の長年の持論である。

*1:レーニン主義トロツキズム毛沢東主義などが「革命的極左」に属する。レーニン主義者を自称する白井聡や、『長周新聞』を実質的な機関紙としているとされる「日本共産党(左派)」はこの第4の類型に属することになる。

*2:本書の表記は漢数字の「二〇〇〇円」。以下同様=引用者註

*3:1990年=引用者註

*4:塩川伸明社会主義とは何だったか』(勁草書房, 1994)113-114頁=原註

*5:本記事で取り扱う問題の重大性に鑑み、あえてNGワードの自己規制を破って新選組の正式名称を表記した。

*6:日本共産党が繰り広げた文化大革命批判=引用者註

*7:筆名ぬやまひろし。彼が作詞した「若者よ、身体を鍛えておけ」という怪しげな歌詞の歌を高校の音楽の授業で習った。おそらく教師は左翼の人だったのだろう。=引用者註